ルドヴィーク・スヴォボダ

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ルドヴィーク・スヴォボダLudvík Svoboda, 1895年11月24日 トシェビーチ Třebíč 近郊フロズナチーン Hroznatín - 1979年9月20日)は、チェコスロヴァキア軍人大統領1968年1975年)。

来歴・人物

第二次世界大戦中、チェコスロヴァキア軍を率いて、ソ連軍とともにナチス・ドイツからチェコスロヴァキアを解放する。その功績から、戦後国防大臣に就任。しかし1950年代の粛清裁判の余波で閑職に追いやられる。

1968年3月、辞任したアントニーン・ノヴォトニーに代わって、大統領に就任。アレクサンデル・ドゥプチェクヨセフ・スムルコフスキーオルドジフ・チェルニークと並んで、「プラハの春」を象徴する顔となった。8月のワルシャワ条約機構軍の軍事介入に際して、親派による革命労農政権樹立に断固として反対し、逮捕・軟禁されていたドゥプチェクたちの解放を要求。直接モスクワに飛び、ソ連指導部と事態収拾にあたった。

その後、1975年まで大統領の地位に留まったが、グスターフ・フサークが進める「正常化」路線において、ほとんど影響力を持たなかった。1979年9月20日死去。享年83。