利用者:ゆりのき橋/試作品製作所

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緑台(みどりだい)は、日本全国各地の地名ニュータウン

鹿島川
 
 
(上)佐倉橋より下流方、河川幅が広がる地点
(下)鹿島橋(側道橋)より下流方
水系 一級水系 利根川
種別 一級河川
延長 31.8 km
平均流量 3.39 m3/s
流域面積 153.44 km2
水源 千葉市昭和の森公園
水源の標高 95 m
河口・合流先 印旛沼西部調節池(西印旛沼)
北緯35度44分18秒 東経140度12分31秒 / 北緯35.73833度 東経140.20861度 / 35.73833; 140.20861座標: 北緯35度44分18秒 東経140度12分31秒 / 北緯35.73833度 東経140.20861度 / 35.73833; 140.20861
流路 千葉市緑区若葉区)、佐倉市四街道市
流域 千葉県佐倉市四街道市千葉市若葉区緑区)、八街市
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鹿島川(かしまがわ)は、千葉県中北部を北流し印旛沼へ注ぐ、利根川水系一級河川。印旛沼への最大流入河川である。

地理

千葉県千葉市緑区千葉市昭和の森公園を水源とし、ほぼ真北に流れる。

上流部は北総台地に典型的な狭い谷津田地形である。千葉市若葉区大井戸町を過ぎた辺りから谷が開け、比較的広い水田地帯となる。佐倉市岩富で弥富川、四街道市物井で小名木川、佐倉市寺崎で高崎川を合流する。国道296号の鹿島橋を越えた辺りから印旛沼湾入部の干拓地となり、佐倉市角来の飯野竜神橋付近で印旛沼西部調節池(西印旛沼)へ注ぐ。

支流

一次支流のみ上流より記載

主な橋梁

上流より記載

関連項目

  • 佐倉城 - 鹿島川及び支流の高崎川が、天然の外堀に利用されていた。また、鹿島川の名の由来も、佐倉城の築城に因む。

参考文献

生実川
水系 二級水系 生実川
種別 二級河川
延長 約4.6 km
流域面積 5.66 km2
水源 千葉市中央区仁戸名町付近
水源の標高 20 m
河口・合流先 東京湾(千葉市中央区)
流域 千葉市中央区
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生実川(おゆみがわ)は、千葉県千葉市中央区を流れる二級河川

地理

中央区仁戸名町付近に源を発し南流する。源流部は狭く急峻な谷間を流れるが、周囲には新興住宅街が隣接する。花輪町付近で暗渠になり、大森町南部の集落を抜けると地上に出る。間もなく白旗付近より流れる支流を西から、赤井町東部より流れる支流を東から同時に合わせると河川幅が広がり、自然土手で両岸に歩道の整備された準用河川指定区間(1,190m)となる。いくつかの小支流を合わせJR外房線を越えると住宅街に入り、生実池へ流入する。

生実池からは二級河川指定区間(2,164m)となり西流する。京葉道路を越えると河川幅が急に広がり、JR内房線を越えると間もなく生実川排水機場へ到達する。以降は京葉工業地域内を流れる蘇我水路として、東京電力千葉火力発電所JFEスチール千葉工場の間を進み東京湾へ注ぐ。

治水

主な橋

脚注


参考資料

浜野川
水系 二級水系 浜野川
種別 二級河川
延長 約5.9 km
流域面積 6.9 km2
水源 泉谷公園千葉市緑区
水源の標高 30 m
河口・合流先 東京湾(千葉市中央区
流域 千葉市
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浜野川(はまのがわ)は、千葉県千葉市緑区中央区を流れる二級河川

地理

治水

主な橋

脚注


参考資料

吉橋(よしはし)は、千葉県八千代市西部の地名。住民基本台帳による2012年11月30日現在の人口は1,556人(八千代市調べ)。

地理

北部を桑納川が流れ、その支流の石神川が中央部、花輪川が東部を流れる。北部は田地が中心の低地で、中央部は台地状である。石神川と花輪川の間に吉橋工業団地が形成され、食料品工場や建材会社が多く集積する。

2002年より西八千代北部土地区画整理事業が開始され、南西部では東葉高速線八千代緑が丘駅の駅勢圏の住宅地として、隣接する大和田新田とともに2008年より本格的な区画整理・宅地造成が続いている(詳細は大和田新田#はぐみの杜を参照)。

歴史

吉橋という地名は鎌倉時代1243年寛元元年)の下総国国衙領、吉橋郷に始まる。台地の間の小さな谷に架かる橋を「吉橋」という佳名で呼んだことが由来とされている。

原始・古代

中世

鎌倉時代、前述の通り当地域を中心とした国衙領であった「吉橋郷」は桑納川流域に近いという地理的関連から、萱田郷・神保郷とともに臼井氏の有力庶子家である神保氏の支配下と考えられる。だが萱田郷と神保郷は「萱田神保御厨」という一体化した荘園でもあった一方、吉橋郷は御厨にはならなかった。別の歴史的経過を辿ったからだとされているが、理由は不明である。後に宝治合戦で三浦氏側についた臼井氏が敗れ衰退すると、代わりに千葉氏が勢力を伸ばし、その中で萱田郷・神保郷とともに香取神社の造営費用を負担している。だが吉橋郷の負担は覆勘使の通行・接待のための輸送力や兵士、食料品など間接的なものである。

戦国時代に千葉氏が臼井氏を滅ぼす中、当地域に吉橋城が築かれる。千葉氏系統の「高木(城)伊勢守胤貞」という城主が八千代市西部と船橋市北部を支配していたという伝承が残り、吉橋城を小金領東域の拠点として桑納川流域にあたる部分を治めたことを示す。一方で千葉氏の領域を示す「原胤長判物」にはこの地域が原氏(臼井氏の後継氏族である小弓原氏)の所属であることを示している。両者は新川を境界とするがいずれも後に後北条氏の諸侯となり、そのため史料に乏しい。だが更に、吉橋城には北条氏の敵方である里見氏の関与を示す伝承もある。これは1567年永禄10年)8月に富津市上総三船山合戦が起き、佐貫城攻略を狙った後北条氏が里見氏に敗れた際、上総より撤退したことに端を発する。原氏は領域の一部を失い、原氏の居城である小弓城に軍事的緊張が走った。小弓城は結局1570年元亀元年)に陥落することとなるが、それ以前に里見氏は市川・松戸方面に既に攻め込んでおり、一時的に吉橋城は里見氏の手に移った可能性が高い。なお吉橋城が後北条氏に攻略され落城したのは1536年 - 1537年(天文5 - 6年)であるが、その後千葉氏を頼って落ち延びた高城氏の家臣は当地域に土着して四家老と呼ばれ、貞福寺を開山しその周辺に十三か寺を置いている。

史跡としては吉橋城遺構の確認調査は行われているが、発掘は行われていない。また吉橋城は広大な外郭部を持ち、城域西側には妙見前遺跡、南西側には渋内遺跡がある。これらの遺跡からは土塁や堀、地下式坑、火葬墓が発見されており、常滑産甕・青磁碗・銭貨などの遺物も出土したことからこの一帯は15世紀後半を中心とする生活地となっていた模様。

近世

当地域は千葉郡吉橋村となり、旗本の川村氏・小栗氏・清野氏が領主となった。当時の石高は377石程度。検地帳が無いため、1698年元禄11年)に名主組頭惣百姓が立ち会って古帳をもとに反別を決定した。また吉橋村は大和田宿助郷役だった。用水は溜井1か所では不足したため、隣接する坪井村から引水し、年に米2俵を払っていた。

近代

1876年(明治9年)に塙小学校が開校し、市制・町村制以降千葉郡睦村の大字となる。当時の人口は793人。1954年(昭和29年)に睦村が八千代町となり、市制施行後の1971年(昭和46年)に吉橋工業団地が建設された。

交通

施設

吉橋工業団地

近隣地名

参考文献

  • 「八千代市の歴史 通史編 上・下」(2008年3月15日、八千代市編纂委員会)
  • 「日本地名大辞典・下」(2004年10月、吉田茂樹)
  • 「角川日本地名大辞典」(1999年4月30日、竹内理三)


桑橋(そうのはし)は、千葉県八千代市西部の地名。住民基本台帳による2012年11月30日現在の人口は401人(八千代市調べ)。

地理

南部は桑納川が流れる平地だが中央部以北は台地であり、畑地や針葉樹が多い。住宅は段丘上と千葉県道61号船橋印西線沿いに林立する。また北東部の丘上、北西部の中山カントリークラブ内、北部の秀明学園東側(島田台内)の3か所に飛び地が存在する。後者の飛び地は小高い丘であり、鈴身川の水源となっている。

歴史

交通

施設

近隣地名

北東飛び地

  • 桑納(東)
  • 島田台(南)
  • 桑納飛び地(西)
  • 島田(北)

北西飛び地

  • 島田台(南~東)
  • 船橋市鈴身町(北)
  • 船橋市豊富町(西)

参考文献

桑納(かんのう)は、千葉県八千代市中央部の地名。住民基本台帳による2012年11月30日現在の人口は122人(八千代市調べ)。

地理

東部を流れる印旛放水路(新川)と南部を流れる桑納川が南東で合流する。標高は西高東低で、台地部と低地部の境界付近に集落が並ぶ。桑橋を挟んだ西側、新川の小支流の谷間に飛び地が存在する。

歴史

交通

施設

近隣地名

参考文献

麦丸(むぎまる)は、千葉県八千代市中央部の地名。住民基本台帳による2012年11月30日現在の人口は512人(八千代市調べ)。

地理

東部を印旛放水路(新川)が流れ、北部をその支流である桑納川が流れる。西部には更にその小支流(津金谷津排水路)が流れ、吉橋地域との間に谷を形成する。中央部は新川の河岸段丘上にあり、畑地が中心である。集落は河川付近の低地との境界面に並んでいる。新川と桑納川の合流地点付近には桑納川公園があり、桑納川浄化施設が整備されている。

都市計画図によればゆりのき通りを当地域まで延伸することとなっているが、市街化区域への編入は行われていない。

歴史

交通

施設

近隣地名

参考文献

神野(かの)は、千葉県八千代市東部の地名。住民基本台帳による2012年11月30日現在の人口は375人(八千代市調べ)。

地理

北部を印旛放水路(新川)が流れ、集落は段丘部分に並ぶ。歴史的経緯から隣接する保品地域との関連が深い。南部は畑地や針葉樹が多いが、現在は保品地域を中心としたニュータウン「もえぎ野」の開発により宅地化が進んでいる。

歴史

交通

施設

近隣地名

参考文献

  • 「八千代市の歴史 通史編 上・下」(2008年3月15日、八千代市編纂委員会)
  • 「角川日本地名大辞典」(1999年4月30日、竹内理三)

外部リンク