小谷正勝

日本のプロ野球選手 (1945-)

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小谷 正勝こたに ただかつ、1945年4月8日 - )は、兵庫県出身。昭和中期(1960年代-1970年代)のプロ野球選手。ポジションは投手。日本を代表する名投手コーチである。現読売ジャイアンツ2軍投手コーチ。


来歴・人物

通算成績

285試合24勝27敗6S 防御率3.07

所属球団

  • 大洋(現横浜)(1968年~1977年、1979年~1981年、1982年~1986年)
  • ヤクルト(現東京ヤクルト)(1987年~1989年)
  • 大洋(1990年~1992年)、横浜(1993年~1995年)
  • ヤクルト(1996年~2002年)
  • 横浜(2003年~2004年)
  • 巨人(2005年~)

背番号

  • 24(1968年~1977年)
  • 80(1979年~1981年)
  • 84(1982年~1986年)
  • 76(1987年~1989年)
  • 84(1990年~1995年)
  • 78(1996年~2002年)
  • 72(2003年~2004年)
  • 81(2005年)
  • 70(2006年~)

エピソード

  • :冤罪:

75年9月15日阪神戦、1対1の同点で迎えた延長12回裏阪神の攻撃で、三塁走者の末長がホームスチールを敢行した。これにあわてた捕手福島は小谷の投球をホームベース上に飛びついてキャッチし、打者の池辺と接触してしまった。この場合捕手に打撃妨害がつくが、三塁走者のホームインはなぜか投手のボークとして記録され、小谷は無実のサヨナラボークを記録した。これは小谷が記録した唯一のボークである。

  • :嘆願書:

当時関根潤三監督にヤクルトの投手コーチに招聘された後、大洋投手陣は崩壊し、大洋投手陣は球団に対して「小谷コーチを戻して欲しい。」との嘆願書を出したそうである。関根潤三監督ら退陣とともに大洋へ復帰した。


関連項目