樅型駆逐艦
樅型駆逐艦(もみかたくちくかん)は、大日本帝国海軍の駆逐艦の艦級。
| 樅型駆逐艦 | |
|---|---|
| 艦級概観 | |
| 艦種 | 二等駆逐艦 |
| 艦名 | 草木 |
| 前級 | 楢型駆逐艦 |
| 次級 | 若竹型駆逐艦 |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 基準:770t |
| 全長 | 83.82m |
| 全幅 | 7.93m |
| 吃水 | 2.44m |
| 主缶 | ロ号艦本式罐・重油焚3缶 |
| 主機 | オールギアードタービン2基2軸 21,500hp 「蕨」ほか3隻は技本・ブラウン式オールギヤードタービン2基2軸 21,500hp 「菱」ほか1隻はパーソンス式オールギヤードタービン2基2軸 21,500hp 「菫」ほか1隻はツェリー式オールギヤードタービン2基2軸 21,500hp |
| 最大速力 | 36.0kt |
| 航続距離 | 14ktで3000海里 |
| 燃料 | 重油250t |
| 乗員 | 107名 |
| 兵装 | 12cm単装砲3門 53cm連装魚雷発射管2基4門 6.5mm単装機銃2基 |
概要
1917年(大正6年)度予算(八四艦隊計画)で18隻、1918年(大正7年)度追加予算(八六艦隊計画)で3隻建造された。同時期に計画された峯風型一等駆逐艦の小型版で、船体や兵装配置などが峯風型と似ている。二等駆逐艦として初めてオールギアードタービンを搭載し、缶も重油専焼缶とする。ちなみにタービンは各艦それぞれ違った型式のものが搭載され、性能が比較されている。
1920年(大正9年)3月、佐多岬沖で実施された楡の公試成績では排水量893t、軸馬力23,165shpにおいて速力34.35ktを記録した。
太平洋戦争開戦時、多くは哨戒艇に転籍し、あるいは雑役船となって練習任務に就いていたが、駆逐艦籍に残っている艦もあった。哨戒艇、駆逐艦籍にある艦は船団護衛任務に活躍している。
主機械
各艦の形式
- ブラウン・カーチス式(ジョン・ウラウン社製) - 蕨、蓼
- ブラウン・カーチス式(川崎製) - 榧
- 高圧インパルス・低圧リアクション式一段減速(三菱製)- 柿
- パーソン式反動(キャメル・レアード社製) - 蓮、菱
- ツエリー式(石川島製) - 菫
同型艦
解説は竣工日(造船所)- その後(カッコ内は沈没場所)。斜体は、太平洋戦争開戦時に駆逐艦籍にあった艦。
樅(もみ)
- 1919年12月27日竣工(横須賀海軍工廠)- 1932年4月1日除籍。1936年訓練射撃用標的。
榧(かや)
- 1920年3月26日竣工(横須賀海軍工廠)- 1940年2月1日除籍。
楡(にれ)
- 1920年3月31日竣工(呉海軍工廠)- 1940年2月1日除籍。1940年10月15日、航海学校付属の練習船。1944年12月17日、楡 (橘型駆逐艦)との区別のため、第一泊浦(だいいちとまりうら)に改称。1945年7月11日、横須賀海兵団(横須賀突撃隊供用)所属の特攻母艦。戦後解体。
栗(くり)
→詳細は「栗 (駆逐艦)」を参照
- 1920年4月30日竣工(呉海軍工廠)- 掃海作業中の1945年10月8日釜山港で触雷沈没。1945年10月25日除籍。
梨(なし)
- 1919年12月10日竣工(川崎造船所)- 1940年2月1日除籍。
竹(たけ)
- 1919年12月25日竣工(川崎造船所)- 1940年2月1日除籍。除籍後は舞鶴海兵団の練習船。1944年2月10日、機関学校附属の練習船。1948年解体、船体は秋田県秋田港防波堤となるが、1975年、港の外港展開とともに取り除かれた。
柹(かき)
- [1]1920年8月1日竣工(浦賀船渠)- 1940年2月1日除籍。1940年10月15日、兵学校付属の練習船。1945年2月23日、柿 (橘型駆逐艦)との区別のため、大須(おおす)に改称。終戦直後の台風で座礁、解体。
栂(つが)
→詳細は「栂 (駆逐艦)」を参照
菊(きく)
- 1920年12月10日竣工(川崎造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第31号哨戒艇に改称。1944年3月30日、航空機の攻撃により戦没(パラオ西水道)。
葵(あおい)
萩(はぎ)
薄(すすき)
藤(ふじ)
→詳細は「藤 (駆逐艦)」を参照
蔦(つた)
- 1921年6月30日竣工(川崎造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第35号哨戒艇に改称。1942年9月2日、航空機の攻撃により戦没(ビコリア島北東)。
葦(あし)
- 1920年11月15日竣工(川崎造船所)- 1940年2月1日除籍。1940年10月15日、航海学校付属の練習船。1944年12月17日、葦 (橘型駆逐艦)との区別のため、第二泊浦(だいにとまりうら)に改称。1945年7月11日、横須賀海兵団(横須賀突撃隊供用)所属の特攻母艦となるが、後に東京湾第二海上堡塁に擱座。
菱(ひし)
- 1922年3月23日竣工(浦賀船渠)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第37号哨戒艇に改称。1942年1月23日、米駆逐艦4隻と交戦沈没(バリックパパン)。1942年4月10日除籍。
蓮(はす)
→詳細は「蓮 (駆逐艦)」を参照
- 1922年7月31日竣工(浦賀船渠)- 青島で終戦。戦後解体。船体は福井県四箇浦港防波堤。
菫(すみれ)
- 1923年3月31日竣工(石川島造船所)- 1940年2月1日除籍。1940年11月15日、兵学校付属の練習船。1945年2月23日、菫 (橘型駆逐艦)との区別のため、三高(みたか)に改称。戦後解体。
蓬(よもぎ)
蕨(わらび)
蓼(たで)
→詳細は「蓼 (駆逐艦)」を参照
脚注
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦Ⅱ』光人社、1990年。
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』(海人社、1996年) ISBN 4-905551-55-2
- 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。