ノート:述異記

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最新のコメント:9 年前 | トピック:改名提案 | 投稿者:胡亂堂

改名提案

文中に言及されてますが、祖沖之の同名書がありますので「述異記 (任昉)」と改名して跡地を曖昧さ回避とする提案でした。--逸名子会話2016年1月9日 (土) 12:12 (UTC)返信

  •   反対 記事名に使える文字はWikipedia:記事名の付け方を参照下さい。使える文字はJIS X 0201のラテン文字並びに、類罫線素片・私用領域の文字(いわゆる外字)を除いたJIS X 0208で規定されている文字に限ります。したがって表外字である「昉」は記事名に使用できません。回避の例として谷衛やすを参照くださいませ。--Licsak会話2016年2月3日 (水) 03:12 (UTC)返信
    •   確認「項目名に使用できない文字」であればその部分はカタカナ表記なりになるだけなのですが、例えば括弧内が「任ボウ」であれば反対はしないという事でしょうか、それとも曖昧さ回避は必要ない、というご意見なのでしょうか。根っこは曖昧さ回避にしませんか、の提案ですので、できますればそれを踏まえたご意見をお寄せ願います。--逸名子会話2016年2月5日 (金) 14:52 (UTC)返信
      •   逸名子さん、リダイレクトページにおいては記事名に使えない文字使用例があることは私の示した例より明らかです。転送ページ以外の記事は、Wikipedia:記事名の付け方に従うべきですし、転送ページ以外では制限のある文字を使うべきではありません。(私もその点は詳しくありませんが)正字の表記を転送ページにすることは差し支えないでしょうが、少なくとも記事として実体のある、本文ページや曖昧さ回避ページは記事名の付け方に従うべきでしょう。現行のMicrosoft Windows NT系Mac OS X、スマホなど、UNICODE処理系が大多数になってきたとはいえ、フォントに字体そのものが登録されていない処理系はゴマンとあります。それだけでなくUNICODE以外の文字コードを使っている方々も少なからずいらっしゃることをお忘れにならないよう配慮お願いします。また、技術的側面は今回の事例には当てはまりませんが(「昉」U+6609 )、ページ名そのものにも制約があることも念頭に置いてもらうようお願いします。最後に、間違えても数値文字参照や実体参照は記事名には用いないように。ウィキペディアのシステムソフトウェアで支障をきたします。--Licsak会話2016年2月6日 (土) 12:46 (UTC)返信
      •   逸名子さん、取り急ぎ、副アカウントとして、利用者:逸名子を持っておくべきでしょう。もし仮に誰かが逸名子という名前でアカウントを取得してしまうと、あなたの活動が危機に陥る可能性があります。利用者:逸名子利用者:胡亂堂のリダイレクトにしておき、利用者:逸名子のアカウントを使わない状態に置いておけば、多重アカウントの不正使用には該当せず、心おきなく逸名子のユーザハンドルを使うことができます。ご参考までに。--Licsak会話2016年2月6日 (土) 12:46 (UTC)返信
    •   再確認 や、折角のご回答(?)に対して失礼極まりないのですが、ごめんなさい、実にどうでもいいです。どうも確認事項が伝わっておらないようですのでもう一度お伺いします。
      実は反対意見の「反対」をどう判断すべきかに迷っていまして、括弧内が「任ボウ」なら良いのか、それとも曖昧さ回避化自体に反対なのか、いづれに解すべきなのかという点をこそ何卒お答え願いますでした。--逸名子会話2016年2月19日 (金) 15:07 (UTC)返信
  •   コメント 偶然このページを拝見しましたが、「述異記」を二つに分けたとして、それぞれがスタブ以上の記事に成長するか疑問に思います。もしそれぞれの記事に書くべきことが充分にあるというのなら分けてもよいと思います。項目名のつけ方については私は特に意見ありません。 --Pekanpe会話2016年2月23日 (火) 05:46 (UTC)返信
  •   胡亂堂さん、記事名『述異記』に対し、『ページの名前に関して「述異記 (任昉)」への改名が提案されています。』とある以上、この改名は使用できない文字、『昉』があるため反対です。私の意見はそれ以上でもそれ以下でもありませんでした。それ以上を問うならば、『ページの名前に関して「述異記 (任ボウ)」への改名が提案されています。』と提案し直すのが筋でしょう。--Licsak会話2016年2月23日 (火) 18:02 (UTC)返信
  • 改めて  反対 Pekanpeさんの意見が付いたので便乗します。『述異記』の撰者が2人に増えたところで、記事として分割するだけのボリュームが出来るでしょうか? 当面、2人の撰者でまとめて執筆し、記事のボリュームがそこそこ付いた段階で改めて分割に掛けても良いと思います。--Licsak会話2016年2月23日 (火) 18:02 (UTC)返信
    •   回答 Licsakさんへ。「『ページの名前に関して「述異記 (任ボウ)」への改名が提案されています。』と提案し直すのが筋で」ある点はご尤もなのですが、改名提案→議論→改案提出という流れが生じ、その改案で改名が行われるといった例はままあります。本件はあくまでも改名しませんか(と、跡地は平等な曖昧さ回避にしませんか)、が主旨でして、原案に対する代案を提示してこれでどうでしょう、と問うていますのに、「(原案に対する反対の)それ以上でもそれ以下でもありません」とは少し無責任すぎる気がします。また、祖記と任記は時代も編纂姿勢も異なる全くの別書ですが(袁珂先生の『中国神話・伝説大事典』や近藤春雄先生の『中国学芸大事典』や明治書院の『中国古典小説選2』に概略が記されております)、にも不拘、題が同じだけと言っても良さ気な両書を「記事として(中略)のボリューム」が不明といったご自身の感想だけで両書を「まとめて執筆」するのを是とするご姿勢は、それってどうなの?、って気がしてなりませんし、抑も「記事のボリューム」で鼎の軽重を問うご姿勢に疑問を感じます。例えば、特筆性のありそうな同名の人物が南斉朝と清朝にいるとして、それぞれを「記事のボリューム」が小さいからといって一つの記事に纏めるなんて許される事なのでしょうか(反語)。で、その上で、
      Pekanpeさん、Licsakさんご両賢へ。祖記と任記両書に就いては、森野繁夫先生の「祖沖之述異記について」(国立国会図書館及び図書館送信参加館で閲覧可能)「任昉述異記について」(京大の学術情報リポジトリで閲覧可能)の両論文で「書くべきことが充分にある」立項可能な記事と考えますし、平凡社中国古典文学大系第42巻の前野直彬先生の解説及び同先生著『中国小説史考』に拠って清東軒主人輯の同名書も同じく「書くべきことが充分にある」「スタブ以上の」立項可能な記事と考えております。ので、出来ますれば上記諸書をご瞥見された上で、改めて曖昧さ回避の是非に就いてご意見賜わりたいな、っと願って已みません。--逸名子会話2016年2月24日 (水) 01:09 (UTC)返信
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