永六輔
永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日 - )は、元放送作家で、タレント、作詞家、エッセイスト。東京都台東区浅草の、浄土真宗の寺の住職の息子として生まれる。本名は永孝雄(えい たかお)。趣味は旅行。映画エッセイストの永千絵は長女、元フジテレビアナウンサー(現在はフリー)の永麻理は次女。
概略
早稲田中・高等学校卒業(一時疎開で長野県上田高等学校に在籍)。早稲田大学第二文学部(夜間)在学中に、NHKのラジオ番組「日曜娯楽版」にネタを投稿して認められ、放送作家、司会者としてデビューする。大学は中退。
以後、ラジオ・テレビ番組の企画・演出や、ピアニストで作曲家の中村八大らと組んでの歌曲作詞、また軽妙な語り口を生かしたタレントとしての活動など、非常に多芸なマルチプレイヤーとして活動を続けてきた。ラジオパーソナリティーとしての知名度は特に高い。古今の芸人についての研究や、政府によるメートル法の厳しすぎる施行で過度に排除された尺貫法の復権を志すなど、ユニークな取り組みも多い。芸人研究を中心としてエッセイの著作が多数ある。
1983年6月、第13回参院選に比例代表区から出馬(無党派市民連合)、落選している。
1994年には「大往生」を発表。日本のあちこちの無名の人々の生、死に関する様々な名言を集めたこの本は、200万部を超える大ベストセラーとなる。2000年に、全業績で菊池寛賞を受賞。
また、オネエ言葉で話すことが多く「男オバサン」とも呼ばれている。
自身のポリシーとしてウェブや電子メール、携帯電話など文明の利器に触れることを頑なに拒否し続けてきたが、最近になってようやく携帯電話を所持するようになった。機種はソニーエリクソンの「RADIDEN」。
また、年末の忘年会を 「毎年日本人は過去(主に戦争があったことなど)を忘れようとしている。」 として嫌っているが、これは多分微妙な勘違いによるものと思われる。
テレビ出演について
永六輔は出演するテレビ番組について徹子の部屋(年1回)と山梨放送の旅番組(年1回)にしか出演しないと発言している。但し、NHKの一部の番組には年に数度出演している。(視点・論点など)
楽曲
著書
テレビ番組
ラジオ
- 土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界(TBSラジオ)
(※ 前身の土曜ワイド→土曜ワイドこんにちは永六輔です→おはようからこんにちは・土曜ワイド人間ばんざいでも担当していた。)
- 永六輔・遠藤泰子 誰かとどこかで(TBSラジオ)
- パックインミュージック
その他
- 変わった特徴として、物柔らかく高めの声音が、今上天皇(明仁)とそっくりである(永本人もこれを自覚して、今上帝の皇太子時代から冗談の種にしている。二人は同じ1933年の出生である。)。ただし永は常に極端な早口で話すため、非常にゆっくりとした口調を常とする今上帝と聞き違えることはまずあり得ない。
- 自身も口にするが「男オバサン」と仇名されるほどの柔和な語り口とは裏腹に短気な性質で若者が街中で非礼な行為をしているのをみるや「なんだっ!!」と怒鳴りつけることもシバシバ。この性質から若者には敬遠されている。柔軟性がありながら遠慮なく怒り口調でしかるほどの短気な性質が結果若者には敬遠されるというのから皮肉だ。しかし2ちゃんねるの投稿者からバッシングされるということはない。
- 「日本人は過去に戦争が起こったことを忘れようとしている」との理由から毎年の忘年会を嫌うのが単なる微妙な勘違いによるものなのは有名だが意外にももしこれがやしきたかじんや上岡龍太郎、上沼恵美子当たりが発言したら無理解発言・大暴言ということで世間から顰蹙を買うほどの微妙な勘違いによる問題発言が多い人物である。2006年4月5日の誰かとどこかで(TBSラジオ系列)で「ここ最近糖尿病が多くなったのは狩猟民族(=欧米人)の食文化を日本人がするようになったからです。日本人は…いいですか。本来日本人は農耕民族です。本来ならありえないことです。」と発言しているが糖尿病のなかには生活習慣に関係なく発病する1型という種類が存在している。従って生活習慣病とはいえないがこのイメージから患者達は無理解に苦しめられているわけで永のコメントはある意味暴言といえる。しかしそう聞こえないのはオネエ言葉でしゃべっているからである意味得をしているといえよう。
- 1986年、国鉄の分割民営化に反対する意見広告にコメントを寄せているがこれが国鉄当局の逆鱗に触れ当時国鉄がスポンサーだった遠くへ行きたいを降板させられる。しかし国鉄の後身のJRグループ各社がスポンサーを降り複数社提供となってから再び出演している。
- 1998年、自民党総裁選挙の際、永は世論に迎合して、候補者の一人であった小渕恵三に対し、「あんな顔を毎日見ると思うだけでウンザリする」と週刊誌にコメント。これを読んだ小渕は、日頃の温厚な人柄にもかかわらず激怒したという。
- 2006年4月27日の誰かとどこかでで「ジェンダーフリーを排撃する風潮が日本各地で吹き荒れている」事を取り上げ「いいですか…なんで日本だけ男は男らしく、女は女らしくする必要があるのですか?」と述べその風潮を批判しているが背後には日頃から(ジェンダーフリーを)批判している安倍晋三・山谷えり子・石原慎太郎の保守派議員が圧力をかけているという事情がある。なわけで永は名前こそ出さなかったものの彼らを非難している。だが彼らは批判しようものなら刑事告訴をちらつかせて恫喝するためほかの論客なら及び腰になってしまうがそれを恐れず批判したのはやはり保守御用機関メディア(フジサンケイグループ・文藝春秋・新潮社・小学館)に執筆しており彼らにしてみれば「御得意様」だからでもし恫喝したらひと悶着になって大やけどを負ってしまうと恐れているからなのだろう。意外としたたかな一面を持っているのである。
- テレビ黎明期の番組構成や脚本を手掛けていた永六輔だが、実は大のテレビ嫌いでもある。「全国こども電話相談室」に回答者として出演した際、子供からの「どうやったらテレビに出れますか?」という質問に対し「出なくてもいい」という趣旨の答えを返し、挙句「テレビに出るとかではなくもっといろいろなものに興味を持ちなさい」と子供に説教を始めてしまった。この模様は「伊集院光 日曜日の秘密基地」2005年12月18日放送分の特別企画「TBSラジオ珍プレー好プレー大賞2005」でも取り上げられ、リスナーからの投票によりめでたく第1位に選出された。
- テレビ嫌いで有名だとはいってもまったく出ないわけではなくテレビ朝日の徹子の部屋、よみうりテレビの遠くへ行きたいに出演したり、最近のテレビバラエティ番組にも裏方として顔を出している(フジテレビのSMAP×SMAPでは中居正広が永七輔のちょっといい話というコントをやる際に自身の衣装を提供していたのと、日本テレビの世界一受けたい授業が講師紹介の際に推薦者の映像を出していた頃に推薦者として出演していたのがその証拠。)。意外と柔軟性があるのだ。
- ラジオ番組にしか出ない永だが出ているのはTBSラジオのみで文化放送・ニッポン放送などのフジサンケイグループ系のラジオ局や関西のラジオ局には出演していない。前者は永自身と考えが相反する人物が創業者である(文化放送は特高警察によって転向させられて反共となった水野成夫が、ニッポン放送は元職業軍人の右翼財界人鹿内信隆が創設者)ためで後者は自身が大事にしている江戸の芸能・風俗を理解してないためだと思われる。ただし、つボイノリオ・道上洋三の両名とは仲が良く、中部日本放送・朝日放送にあるそれぞれのラジオ番組に時折ゲスト出演することがある。
- 自身が老人を大切にしましょうと呼びかけていることから毒蝮三太夫が老人に対して毒を吐いていることを快く思っておらず自身のラジオ番組で「毒蝮のヤツ、また老人をいじめている。」と苦言を述べるほど。しかし仲は悪くない。
- ラジオ番組にしか出てないこともありボキャブラリーが発達していて原子力発電を「危ない発電」、村上ファンドとそれを率いる村上世彰を「なんとかファンドのなんとかと…」と想像力を高める発言ができるのが特徴。同業の青島幸男が都知事在任中に公約を破り、変節をして官僚と
タックを組んでいたことから、青島を批判するようになる。青ちゃんから青島と表現。
- 先祖は江戸時代初期に渡来した中国の学僧である。