視聴率争い

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視聴率争い(しちょうりつあらそい)とは、各放送局が放送するテレビ番組視聴率の争いをいう。

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項目分割の提案:この項目では、記事の一部を帯番組における視聴率争い月曜日における視聴率争い火曜日における視聴率争い水曜日における視聴率争い木曜日における視聴率争い金曜日における視聴率争い土曜日における視聴率争い日曜日における視聴率争い大晦日における視聴率争い日本テレビの冬の時代TBSの冬の時代フジテレビの冬の時代テレビ朝日の冬の時代分割することが提案されています。分割に関する議論はノート:視聴率争いを参照してください。

概要

日本では、全国ネットで放送を行っている放送局が6局(NHK日本テレビTBSフジテレビテレビ朝日テレビ東京)と、諸外国と比較して多く、視聴率の争いは激しいものとなる。また、視聴率が番組の評価と直結し、スポンサーの確保や番組の存続にも関わるため、視聴率争いに拍車を掛ける結果となっている。

なお、視聴率争いはどんな曜日や時間帯に於いても、またどの地域でも繰り広げているものであり、そのすべてを列記する事は不可能に近い。また、その一部であるここで挙げられている各事象は、特にごく少数のテレビ番組マニアにのみ騒がれて、認識されている事に留意されたい。

以下では、地上波各局の全国ネットの拠点である関東広域圏を中心に、視聴率争いに特徴が見られる時間帯を挙げていく。

もちろん、こういった現象は日本に限られた訳ではなく、代表的なものにアメリカではWWF(→WWE)とWCW、WWEとNWA-TNAが演じたプロレス中継の競争(マンデー・ナイト・ウォー)がある。

平日

各局で出勤前のサラリーマンOLを対象とした情報番組を放送している。

早朝

  • 古くから朝の番組といえばNHK総合テレビの独壇場で、午前7時台から午前8時台に掛けて放送されているニュース(『スタジオ102』→『NHKニュースワイド』)が高視聴率だった。
  • 1979年4月、日本テレビはそれまで子供向け番組の時間だった午前7時台に『ズームイン!!朝!』で情報番組に参入した。全国の各ネット局と中継回線でつなげていきながら番組を進めてゆくという構成で地道に人気を得るようになり、1980年代後半になると、NHK(『NHKモーニングワイド』→『NHKニュースおはよう日本』)と『ズームイン!!朝!』の2強時代が続いた。
  • ただ、朝の視聴率争いが勃発し始めたのは、フジテレビが朝の時間帯奪還を目指して『めざましテレビ』の放送を始めた1994年4月以降からだと言える。それまでフジテレビは子供向け番組では定評があったものの情報番組は定着していなかった。そのため『めざましテレビ』は「どんなに低視聴率でも最低5年は続ける」と覚悟を決め、じっくりと番組を育てて行った。実際視聴率は低かったが、NHKアナウンサーだった大塚範一をメインキャスターに迎え、アイドル的女子アナウンサーを多く起用、女性向けの内容を採り入れた番組構成で1997年になると視聴率は10%台まで上昇し、『NHKニュースおはよう日本』や『ズームイン!!朝!』と肩を並べる程になった。
  • これに対し日本テレビは2001年10月から『ズームイン!!朝!』をリニューアルし『ズームイン!!SUPER』をスタートさせた。前時間帯で視聴率トップになっていた早朝の情報番組『ジパングあさ6』などを吸収し2部制を敷いた。このことは視聴率争いを朝から早朝にまで広めることとなった。
  • 一方、この煽りで打撃を受けたのはTBSである。『ビッグモーニング』(1990年10月~1994年9月)が局の方針で終了した1994年10月から2005年3月までの間に6つの番組ができては消えた。「TBSの変」と呼ばれる2005年3月28日の改編に際し、土曜早朝に放送中の『みのもんたのサタデーずばッと』が好評であることを受け、「視聴率男」としておなじみのみのもんたの起用を切り札に『みのもんたの朝ズバッ!』を開始した。開始当初あまり評判はよくなかったが、その後は政治経済を中心に取り上げるようになったことで視聴率が上昇し、時によっては10%まで超えることもある。特に目玉コーナーといえる「ズバッ!8時またぎ」が始まる7:30以降は急激に視聴率が上がることはざらで、ときには『ズームイン!!SUPER』や『めざましテレビ』の視聴率を超えることもある。
  • 逆に『ズームイン!!SUPER』は視聴率は開始当初高かったものの、最近は特にTBSの『朝ズバッ』好調による悪影響が出始めている。2005年夏までは第1部の時間帯が他局の番組を圧倒し、8~9%がとっていたものが、2005年秋以降は 5~6%までに落ち込んでいる。第2部の時間帯は全体的にはそれほど落ち込んでいないが、「ズバッ!8時またぎ」がスタートする7:30前後に特集コーナーを新設したりして対抗したものの抜本的な視聴率の改善にはならず、より厳しい状況になった。また、第1部が放送されていない地域の中には、地方局制作の情報番組(北海道(札幌テレビ放送の『朝6生ワイド』)、東海(中京テレビ放送の『おめざめワイド』)、山口(山口放送の『KRYさわやかモーニング』)、福岡(福岡放送の『朝ドキッ!九州』)など)が低調になる場合も出ており、後続の「ズームイン」に悪影響を及ぼしているケースがある。
  • テレビ朝日は1981年3月30日からスタートした『おはようテレビ朝日』で好評だった朝刊紹介コーナー「やじうま新聞」をベースとして、1985年9月30日に『やじうまワイド』としてスタート、その後も改良を加えながら、現在の『やじうまプラス』に至っている。当初はTBS『ビッグモーニング』や『めざましテレビ』と共に『ズームイン!!朝!』の2番手争いを繰り広げた(「ビッグモーニング」の司会だった生島ヒロシは番組の最中に「『やじうまワイド』は、もう抜きました。」と発言していた。)。但し関西地区(ABC)では『やじうま』開始前の1979年から『おはよう朝日です』を放送している(『やじうま』はネットされたことが無い)。初期の頃は大阪タワーから生放送で人気を博していたが、最近は芸能情報やトレンド情報に偏りつつあるため、失速しつつある。また東海地区(メーテレ)、福岡・佐賀地区(九州朝日放送)では午後6時台に途中飛び降りして自社制作の情報番組『どですか』(メーテレ)、『アサデス。』(九州朝日放送)を放送されている。自社制作の朝の情報番組を放送していた地方局はほかにもあったが、近年取りやめて「やじうま」をネットする局が増えてきている。
5~7時台のキー局の主な番組

ワイドショー

  • 1964年4月から始まったNET(日本教育テレビ)(→テレビ朝日)の『モーニングショー』と1965年5月から始まったフジテレビの『小川宏ショー』の争いから勃発したとされる。
  • この2大勢力に食い込もうとした日本テレビは1969年10月より『奥様ハプニングサロン』を皮切りに対抗番組を開始するも下記の通り目まぐるしく変遷し、朝の時間帯の抜本的な改編は積年の課題となっていた。
  • その中で1979年4月、午前7時台に『ズームイン!!朝!』を投入したのに続き、メイン司会にまだ20代後半だった沢田亜矢子を抜擢し、『ミセス&ミセス』で打ち出された「女性による、女性のための番組」という路線をさらに全面に押し出す形でスタートしたのが『ルックルックこんにちは』であった。番組内のコーナーとして「ドキュメント・女ののど自慢」や「突撃!となりの晩ごはん」等が話題となり、他のワイドショーとの差別化に成功。沢田のキャラクターも相まって、徐々に『モーニングショー』・『小川宏ショー』(とその後継番組である『おはよう!ナイスデイ』)を脅かす存在に成長していった。
  • そんな中、テレビ朝日は日本テレビの『ルックルックこんにちは』やTBSの『モーニングEye』、フジテレビの『おはよう!ナイスデイ』に対抗するため、1993年4月より『スーパーモーニング』を午前8時開始でスタート(当時の番組はすべて午前8時30分から)させるフライングスタート作戦を打ち出した。当初は芸能ネタがない番組だったために低視聴率であったが、芸能ネタも扱われる様になってからは次第に視聴率を上げていき、低迷期を脱した。2006年4月3日からはさらに放送開始を30分繰り上げ、午前7時30分からのフライングスタートで再び日本テレビ・TBS・フジテレビ超えを目指している。
  • その影響があって、1999年4月1日からはフジテレビは17年間続いた『おはよう!ナイスデイ』を打ち切り、『情報プレゼンター とくダネ!』を午前8時開始でスタートした。開始当初から高視聴率で、2001年2月からは時間帯平均視聴率トップの座を独占している。
  • その傍ら、長年朝の顔として親しまれた子供向け番組「ひらけ!ポンキッキ」→「ポンキッキーズ」が帯番組としては継続するも、夕方に追いやられた(これより先に1994年4月にいったん夕方に移動させられているが、このときは半年で朝に復帰していた)。半年後には週1回の放送に短縮され、さらに半年後には土曜の朝に移動した。
  • 日本テレビは『ルックルックこんにちは』が2001年3月に終了、次番組は『レッツ!』であるが、視聴率が振るわず2002年3月で打ち切りになった。2002年4月からは『ザ!情報ツウ』がスタート、開始当初は安定しており好調なスタートをきる。しかし途中でリニューアルするが一時期視聴率が上がったもののまたもや低迷状態に戻ってさらにはジリ貧状態が続いたため視聴率は不安定となり2006年3月で終了した。次番組は『スッキリ!!』であって、開始当初は情報ツウよりも視聴率は不安定になっていたがここ最近は5%台にまで上ってきた(3~5%ほど。しかし「とくダネ!」には惨敗している)。ルックルックの終了後、同枠の番組は『とくダネ!』に追いつくどころか『スーパーモーニング』にも追い抜かれてしまい、一転して鬼門枠となってしまっている。
  • 一方、TBSはこの時間帯に於いて他局とは違った展開が生まれている。1971年4月から始まった『モーニングジャンボ』をベースとして、午前7時から10時の間は他局と同様にニュースやワイドショーを放送していた。しかし、1996年3月に「TBSビデオ問題」が発覚したため、当時放送されていた『フレッシュ』『モーニングEye』や午後に放送していた『スーパーワイド』といったワイドショー番組を一掃した。その結果、10月から芸能ネタを扱わない生活情報番組として『はなまるマーケット』をスタートさせた。このワイドショー的なものを取り扱わないところが他局の隙間を埋めるべく、ある程度の層を確保している。また、この番組の好評なコーナーなどを他局が分析・追随する展開も生まれて来ており、視聴率争いに拍車を掛けている。なお、他局が午前7時30分~8時スタートの現在でも午前8時半スタートを貫いている。視聴率は安定している(6~8%ほど)。
  • ただ、この時間帯の番組の多くが、番組同士の間にCMを挟まないで続け様に放送する(ステブレレス)スタイルを取っている事からも、視聴率争いの激しさが伺える。
  • このように、ワイドショー8時スタート化が進行し、軌道に乗っていく中で、NHK朝の連続テレビ小説は、徐々に視聴率が下降し、かつての勢いがなくなった。BS2で先行放送(7:30 - 7:45)するためにBSの受信できる視聴者はそちらに移った視聴者も少なくない。そのためか、近年の作品は平均視聴率が20%を割ることが多くなっている。特に近年制作能力が衰退している下半期(大阪放送局制作)は視聴率が15%にまで落ち込むことはざらである。
  • 2006年現在の状況は、ワイドショーの方は、「とくダネ!」がトップに立ち、「スーパーモーニング」と「はなまるマーケット」が追う展開となっており、「スッキリ!」は苦戦が続いている。連続テレビ小説の方は、「純情きらり」が19%を推移している。
8~9時台のキー局の主な番組

正午

ここでは主に日本テレビの『午後は○○おもいッきりテレビ』とフジテレビの『森田一義アワー 笑っていいとも!』の視聴率争いを指す。

森田一義アワー 笑っていいとも!

  • 1982年10月にスタートしたフジテレビの生放送によるバラエティー番組で、『笑ってる場合ですよ!』の後継番組でもある。
  • 当時大衆向け人気が薄かったタモリを司会に据えたためスタート時は人気がなかったものの、半年も経たないうちに視聴率が伸び、たちまちお昼の人気番組へなっていった。タモリは単独司会番組最長のギネス記録が載ったものの、掲載年の日本版ギネスブックは発売されていない。
  • 近年はマンネリ化で度々リニューアルを重ね、2005年の夏頃から来期打ち切りや司会者交代の噂が囁かれていたが、2006年4月に新いいとも青年隊が登場するなどして一部内容をリニューアルし、当面番組自体は続くと見込まれる。若者中心で(20代~40代ごろ)見る事が多め。

午後は○○おもいッきりテレビ

  • 1987年10月にスタートした日本テレビの生放送による健康生活情報番組で、『お昼のワイドショー』の後継番組でもある。初代司会者は山本厚太郎(→山本コータロー)であるが、番組当初は視聴率が低迷していた。
  • そんな中、山本が参議院議員選挙に出馬する事になったという理由で番組を降板し、1989年4月からはみのもんたを司会とし、2006年現在に至るまで『森田一義アワー 笑っていいとも!』との激しい視聴率トップ争いを繰り広げている。
  • 健康や身の上相談など年輩世代をターゲットとした番組内容で、番組で紹介された商品はスーパーマーケットなどで売り上げが顕著に上がるなど視聴者への影響力を持っているが、2003年頃から内容のマンネリ化とみのの体調不良により、裏番組の『森田一義アワー 笑っていいとも!』と同様にリニューアルするも、さほどの効果はないようだ。なお、2006年春は現状維持の方向で乗り切った。50代女性前半からの番組である。
  • 1996年4月にスタートして、2006年4月に10周年を迎えた、テレビ朝日の情報ワイドショー番組である。スタート時は12:00~13:55で、その後現在の11:25~13:05(地方により異なる)となった。
  • この時間帯では長年『アフタヌーンショー』が放送されていたが、1985年にやらせ問題が発覚して打ち切られた。それ以降は数多くの番組を放送していたものの、視聴率が極端に悪かったために打ち切られていたので、これらの番組と比べたらある程度改善されている。とはいえ、『午後は○○おもいッきりテレビ』と『森田一義アワー 笑っていいとも!』の2大勢力に挟まれ、保坂尚輝(→保阪尚希)の離婚会見を中継した日に両番組の視聴率を超えたものの、それ以外の日では両番組に水を空けられており、必ずしも視聴率争いには加われていない。30代女性~60代の女性に見ることが多い。
  • 2005年3月28日にスタートしたTBSの情報番組で、『ニュースフロント』と『情報とってもインサイト』を統合した後継番組でもある(なお、過去の番組はTBS系列平日正午枠を参照。)。
  • この時間帯では長寿番組の『ベルトクイズQ&Q』とその後継番組『スーパーダイスQ』が終了して以降、視聴率不振が続いている。昼前のニュースを内包したり、有名タレントを司会者に据えたり、と様々な試行錯誤を施すも泣かず飛ばずで、多くの番組が目まぐるしく変わっていた。
  • ちなみにここ20年間で最も放送期間が長かったのは1985年12月から4年4ヶ月放送した『新伍のお待ちどおさま』で、次いで2000年4月から4年放送した『ベストタイム』である。現在の『きょう発プラス!』は『新伍のおまちどおさま』以降で17代目、ベルトクイズQ&Qから数えると24代目になる。

関連項目(含裏番組)

夕方ワイド番組

午後4~5時台を中心とするローカルワイド番組(「夕方ワイド番組」)では、各地で視聴率争いが起こっている。

先駆者たちの「札幌戦争」

札幌テレビ放送(STV)の「どさんこワイド」が開始される1991年頃まで、地方局の午後5時台はアニメやドラマなどの(多くが)再放送というのが半ば常識化しており、生番組を編成している放送局は前述の中部日本放送(CBC)の他、RKB毎日放送(RKB)、一部の独立UHF局など、ごく僅かの放送局のみであった。

生活情報、料理コーナー、中継などで構成され、開始当初から高い注目を浴びた「どさんこワイド」は、それまで午後6時台でトップの視聴率を独占していた北海道放送(HBC)の「テレポート6」を放送開始から数週間で抜き去り、在札各局を驚かせた。

1993年にはマスコミ業界で「札幌戦争」などと呼ばれる程、夕方ワイド番組が激戦となる。「どさんこワイド」登場で視聴率トップの座を奪われたHBCは、同年10月にSTVより1時間早い午後4時から3時間のワイド番組「HBCゆうやけワイド・テレビ一番星」を編成、TBSの「スーパーワイド」のネットを含めた5時間の生放送を実施しようとするも、STVは同時期に「どさんこワイド」を午後3時50分開始に変更して対抗。さらに「ちょっと和久井の2時ですよ」やドラマ、アニメの再放送を打ち切り、午後1時55分から午後3時50分の「ザ・ワイド」をネット、午前11時30分から午後7時00分までの長時間の生放送ゾーンを確立した。なお、この時タイトルを当時の北海道の市町村数からとった「どさんこワイド212」とし、ライバルの登場を阻んだ。

なお、道内では20年もの間、HBCが「パック2」、STVが「ちょっと和久井の2時ですよ」と、平日午後2時台に主婦向けワイドショーを編成してきたが、1993年9月に両番組とも終了。長年、午後2時台で火花を散らした両局の対決は、夕方帯に移動して続けられることとなる。

一方で、フジテレビ系列の北海道文化放送(uhb)は、午後3時30分からの1時間で情報番組「TVポテトジャーナル」を編成していたが、「ニュースと生活情報は別」との方針から、ドラマの再放送を挟んで、報道主体の番組「スーパータイムHOKKAIDO」を午後5時30分から編成していた。しかしながら、HBC・uhbともに、それまで2年間「どさんこワイド」で午後5時台を開拓してきたSTVには及ばず、uhbは夕方のワイドニュース枠を午後6時台のみに縮小。HBCも「4時からワイド いちばん星」→「気になるパンプキン」→「活き活きテレビ特急便」等、リニューアルを繰り返すも視聴率低迷で次々と終了に追い込まれ、午後4時台に「ビタミンTV」、午後5時台に時代劇の再放送、午後6時台に「テレポート2000」を放送していた。しかし、2006年4月17日からは午後3時50分から午後6時55分の3時間5分の枠で「Hana*テレビ」を開始している。

また、夕方ワイド番組では遅れをとっていた北海道テレビ放送(HTB)は、1999年4月に午後4時50分から午後7時00分までの枠で「情報ワイド夕方Don!Don!」を開始。2003年4月にローカルタレントヒロ福地をキャスターに迎えた「イチオシ!」へ変更、2005年9月26日からは「どさんこワイド」と同じ午後3時50分から午後7時00分に拡大。さらに2006年7月3日からは放送開始を5分繰上げ午後3時45分からの3時間15分放送となり、放送時間全道一の座を「どさんこワイド」から奪った。

その結果、現在はSTV・HBC・HTBの三つ巴で、熾烈な戦いが繰り広げられている。

この1990年代前半の「札幌戦争」と呼ばれた戦いは、全国のテレビ業界が注目。全国の民放テレビ関係者が「どさんこワイド」を視察。週刊誌や全国紙もこぞって「デジタル時代に地方局が生き延びる手法」として取り上げるようになる。番組の制作手法を学ぶため、STVに系列外の局のスタッフが相次いで見学に訪れた。特にフジテレビは、関係者向けの機関誌で「どさんこワイドに学ぶ」と題して、他系列のローカルワイド番組を徹底して取り上げる特集を組んだほか、北海道に自社系列のuhbがあるにも関わらず、系列外のSTVに社員を出向させる異例の措置を取るほどだった。

各地の戦い

関東広域圏

1990年代後半には、夕方ワイド番組は、キー局の編成にも影響を与えた。当初、首都圏と地方都市では夕方の時間帯の在宅層(=テレビを視聴している世代で主なターゲット)に違いがあるということから、これらの編成はなかなか実現されにくく、各局とも午後5時台を再放送、午後6時からニュース番組という編成を長らく続けてきた。フジテレビはSTVに社員を出向させた成果を反映すべく、1993年10月に「スーパータイム関東」をスタートさせ、夕方ワイドへの進出を試みるが、視聴率が低迷。わずか半年で撤退している。また、すでに関東地区一部を除く各県において独立U局が地域密着型の情報をカバーしているため、キー局にそれに対するニーズが起こらないという理由もある。特に東京MXテレビ開局以降、キー局は夕方枠にて首都圏ローカルニュース(主に都議会および各県議会などの地方政治・経済の話題)をほぼ放送しなくなるといった棲み分け的現象も起きている。

しかし、1997年テレビ朝日が「スーパーJチャンネル」をスタートさせて以降、2000年には「スーパーニュース」(フジテレビ、1998年放送開始)が午後5時からの2時間ワイド編成に拡大した。但しこれらは芸能ニュースやワイドショー的要素を取り入れた内容であり、地方局が展開する夕方ワイド番組とは一線を画したものであった。他地方に比べて家事や夕飯の支度といった“ながら視聴”が多いため、また費用(制作費)対効果(視聴率)の面から15~20分位の作りこまれたVTRを延々と流し、最後にコメンテーターが感想を述べるといった形が定番となっている。

一方「ニュースプラス1」(日本テレビ)は、2000年10月の改編で、生中継を多用した地域密着スタイルを試みた。これは系列局の「どさんこワイド」や「テレビ宣言」が驚異的な視聴率をはじき出していることを受けて、日本テレビが全国の夕方ワイド番組を徹底的に研究したためである。実際にこの時スタートしたコーナーは、商店街からの中継やネット局のリレー中継といった、各局の成功例や、朝の人気番組「ズームイン!!朝!」のノウハウを生かした内容であったが、首都圏の視聴者には受け入れられず、視聴率が低迷。翌年8月をもってこのスタイルは終了。その後は先発の2番組の形式に近い番組となる。

こうした中、日本テレビは2003年から午後4時台から午後5時台に、報道番組とは別に生放送枠を設けていた(「汐留スタイル!」、2005年4月からは「クリック!」として放送)。日替わりのタレント司会者による情報バラエティだったが、2005年10月に大幅リニューアル。ラジオ形式の生ワイド番組「ラジかる!!」をスタートさせる。これまでとは違い、ニュースコーナーやワイドショー的な情報、さらに携帯電話やお天気カメラを駆使し、生放送性を強めた内容の番組となっていた。なお、この枠(午後3時55分から午後4時53分)は2006年4月からドラマ再放送枠に戻っている。

2005年からはTBSも午後5時台に進出。これまで午後5時台のドラマ再放送が安定した視聴率を獲っていたため、この時間の報道・情報番組には消極的であったが、2005年4月に「イブニング・ファイブ」をスタート。そして2006年4月、日本テレビは「ラジかる!!」を「ラジかるッ」として午前に移動し、午後4時53分から「プラス1」の後継となる「NNN Newsリアルタイム」を開始。4局の放送時間が共に約2時間と、ついに横並び状態となった。

宮城県

後発番組ながら、キャスターに地元出身、全国区の有名人でもある歌手・さとう宗幸を起用したミヤギテレビの「OH!バンデス」が大ヒットした仙台地区では、他の民放3局全てがローカル夕方ワイド(東日本放送あなたにCue!」、東北放送ただいまワイド」、仙台放送夕やけTV編集局」「ほっとチャンネル」など)をぶつけてきたが、視聴率面で「OH!バンデス」に遠く及ばず、全ての番組が午後5時台から撤退し、他の時間帯で、自社制作のワイド番組を放送していた。しかし「OH!バンデス」は2004年から15:50からの開始になり、午後5時台から午後4時台へ移動した仙台放送の情報ワイド番組「ヨジテレビ!」と再び熾烈な視聴率競争を展開している。

静岡県・午後5時台は一騎打ち

1994年、静岡第一テレビ静岡○ごとワイド!木藤たかおのちょっと聴いてヨ!」の放送開始が夕方ワイド番組の最初(16:00~ 1998年から16:55~に縮小)。司会は元ニッポン放送アナウンサーの木藤たかおが起用された。その後2000年に静岡朝日テレビが「とびっきり!しずおか」を開始。司会には木藤に対抗してか元文化放送アナウンサーの梶原しげるを起用。一方「静岡○ごと-」は2001年10月に「○ごとX」にタイトルを変え放送開始を15:50からに拡大。(しかしその後放送開始を再び午後5時前に戻した。)2003年には木藤が復活し、タイトルも「静岡○ごとワイド!」に変更。2004年10月にはSBS静岡放送が午後4時台に「とく報!4時ら」を開始。(午後5時台は伝統的に水戸黄門の再放送を行っているため、先発2局と異なり午後4時台に編成された。)同時に静岡朝日テレビは「とびっきり!-」の司会を大沼啓延に変更している。2006年現在、午後5時台は「とびっきり!-」がリード。一方「静岡○ごと-」は木藤が愛媛の父親の介護のため降板し、NEWSリアルタイムの午後5時台一部ネット開始などで自社制作枠が縮小と、やや下降気味である。

中京広域圏

名古屋ではCBC「ミックスパイください」の裏で、名古屋テレビがニュースを中心とした情報番組「TRYあんぐる」を午後5時台に編成した。東海テレビ中京テレビは、自社制作番組は朝や深夜などに数多くあったことなどから、夕方ワイドに着手しなかった。また、名古屋テレビは通称名を「メ~テレ」に変更したとき、午後6時台に「大須ぱっぱ屋」という情報バラエティー番組を開始したものの短命に終わり、2005年からは健康情報を組み込んだニュース番組「UP!」を編成するなど、試行錯誤が続いている。

近畿広域圏

関西では1980年代後半に、お笑い番組「4時ですよーだ」「素敵!!KEI-SHU5」をはじめとする、若手芸人による生放送のバラエティが夕方の時間帯に放送されていたが、1990年代前半にほとんどの番組が姿を消す。

一方、朝日放送(ABC)が1994年4月から、関西初の夕方ワイド情報番組「ワイドABCDE~す」を放送開始。当初は午後5時台に吉本の若手芸人(有名になる前のナインティナインもここで出演していた。)のコーナーもあったが低迷し、半年で地域密着路線に切り替えるようになってからは支持されるようになった。同年9月には毎日放送も「幸福100% 宵待5」をスタートさせたが不調に悩む。その一方で関西地方の日本テレビ系のよみうりテレビは、この時間に放送している2時間ドラマの再放送の視聴率が高いことから夕方ワイド番組を手掛けなかった。

そして風向きが変わり始めたのは1999年にはじまった毎日放送ちちんぷいぷい」である。ここからABCを上回るようになり終了に追い込まれた。2006年4月からは関西テレビも夕方ワイド「スーパーニュースアンカー」を開始。8月からはよみうりテレビも「情報ライブ ミヤネ屋」を開始させる。現在巻き返しつつあるABC「ムーブ!」との四つ巴の争いになる。

広島県

1993年4月に「柏村武昭のテレビ宣言」がスタート。半年後には20%を越える視聴率を獲得し独走状態に。翌1994年に「なんでもワイド」をスタートさせた中国放送は絶えず挑戦し続けていた。一時期午後4時台の「川島宏治の広島大百科」が健闘するも、試行錯誤が繰り返され、午後6時35分から自社製作のバラエティ番組を編成するなど、突飛な作戦に出たりするも「テレビ宣言」には勝てず。「ごじテレ。」は長く続くも試行錯誤の趣は消えず、西田篤史が司会となって3ヵ月後、「イブニング・ファイブ」開始を機に「RCCイブニングワイド」として再スタートする。

岡山・香川地区

1990年代になって山陽放送が「RSK5時」をスタート。その後は「ハマイエてれび回覧板」「元気一番」「イブニングワイド21」と次々に立ち上げる。しかし他局は再放送編成が多く(岡山放送は一時期「あしたは土曜日」など19:30までまたにかけた週末ローカルワイドを編成していた)、2000年になって瀬戸内海放送が「おとなりTV・KSBスーパーJチャンネル」を立ち上げたものの視聴率的に山陽放送には遠く及ばずわずか1クールで方針転換、午後5時台前半を東京ネット受けしてからは視聴率も安定している。同じ年、西日本放送は午後5時台をまるまる東京ネット受けし、それは2006年になってから岡山放送も追随した。

2006年7月現在、午後5時台は後半部を自社差し替えにしている瀬戸内海放送を除いて100%東京ネット受けしている。自社製作の夕方ワイドを編成していた山陽放送は現在午後4時台に移して「イブニングDonDon」を放送している。

山口県・YAB開局と同時にスタート

この影響は新局(いわゆる「平成新局」)にも刺激を与えた。1993年10月に開局した山口朝日放送(YAB)は、開局初日に夕方5時台に1時間の生ワイド帯番組「5時からワイド」を編成し、先発局を驚かせた。先発2局がまだ夕方の時間にまったく着手していないこの時代に、開局初日から番組がスタートしたことが影響し、1993年10月に日本テレビ系列単独ネット局となった老舗の山口放送(KRY)は、半年後にワイド番組をぶつけてきた。

当時の新規開局のテレビ局の定石としては、ローカル番組はデイリーのニュース番組と、週1回のワイド番組の放送が制作体制の限界であったが、同局は「先発他局とは違う売り物を」と考え、開局初日からのローカルワイド制作に踏み切ったという。

脱・地域密着

こうした中、夕方ワイド番組の動向に2000年代になってから変化もみられる。特に在京キー局が夕方のニュース番組を午後5時台から始めたことにより、これらの番組を地方局がネット受けし、ローカル枠を縮小する傾向がみられる。特に1局が、高い視聴率を誇るローカルワイド番組を放送している地域(北海道、広島など)で顕著である。そのため、午後4時台を自社制作枠に充て、午後5時台と午後6時台の前半を全国ニュースとする例も増えてきた。山梨県や富山県、宮崎県など、自社制作の夕方生ワイド番組が一切放送されていない地域もある(全局がニュースの午後5時台完全ネットかドラマやアニメの再放送ということになる)。

例えば、関西圏では長年、朝日放送の「ワイドABCDE~す」が地域密着を謳い、高い支持を得ていたが、1999年に放送を開始した毎日放送の「ちちんぷいぷい」が肉迫。同局のラジオで人気を得ていた看板アナウンサー・角淳一のキャラクターを全面に生かした番組づくりが受け、2000年以降「ワイドABC」はリニューアルを繰り返すが、2004年9月をもって終了する。

そして、これまでの「地域密着」から180度方向転換し、同年10月から報道ワイド番組「ムーブ!」をスタートさせる。司会者も報道番組出身のアナウンサーを据え、コメンテーターも在京のジャーナリストやコラムニストを増やし、全国ニュースを多く扱うようになった。また地域の話題も、大阪市の不正支出問題等の硬派なものを大きく扱うようになった。こうしたスタイルも一定の評価を受け、裏番組の「ちちんぷいぷい」と視聴者を二分しており、夕方の視聴者層の棲み分けも進んでいる。

そして2005年11月からよみうりテレビは毎週金曜に「激テレ★金曜日」を、2006年4月には関西テレビもキー局から自社製作に切り替えて報道番組「スーパーニュースアンカー」の放送を開始する。(一時期関西テレビは午後5時台から『FNNスーパーニュース』をやっていたがわずか1年で撤退) これらの番組も関西ローカルの話題に特化しないスタイルになっている。

しかし今のやり方には幾つかの問題点がある。全国版のニュースでも一地方局での制作になることからキー局の全国版のニュースと比べると格段に情報伝達能力が鈍い。そのうえ大きなニュースが入ってきても、全国版のニュースをやらずにそのままワイド番組を断行することがしばしばある。(特に「ムーブ!」や「ちちんぷいぷい」はよく発生している。)また午後5時台には普段キー局の全国ニュースをやっている時間帯にも関わらずこぞって芸能情報をしている。(関西地区では芸能情報をしないワイド番組は視聴率に負ける風土がある。)しかもリポーターによってはウラネタが飛び交うことも多々あり、濃度の濃い芸能情報にはうんざりしている視聴者も少なくはない。またキー局の全国版ニュースが午後5時台でもある程度やることから、午後6時台ではやらないネタもあって、関西地区では情報から取り残されている感も否めない。そのために午後5時台にキー局のニュースを放送してほしいという要望も出てきている。

NHKも参入

民放各局の夕方ワイド編成の影響を受けて、1998年からNHKも首都圏向け「首都圏いきいきワイド」を皮切りに、10月から関西「夕方5時です千客万来」、1999年からは東海「ゆうがたチャンス」・・・と、これまで午後6時台のニュース中心だった地域ローカル放送を午後5時台にまで拡大するようになる(祝日や大相撲、高校野球シーズンを除く)。午後5時台には地域の話題や視聴者からの情報、豊富なNHKの地域の過去の映像の紹介等を放送し、従来の午後6時台のローカルニュースにつなげている。

中でも「どさんこ」が圧倒的な強さを誇る北海道エリアに於いて、NHK札幌放送局2002年4月に「ほくほくテレビ」で、夕方帯に本格参入する。開始当初は東京から全国的に顔の知られるアナウンサー(目加田頼子アナ、森本健成アナ)を送り込み、キラーコンテンツともいえる「連続テレビ小説」の再放送も盛り込み、4時間弱(午後3時05分から午後7時00分)という長時間編成を組んで対抗したが、大相撲期間中や国会中継の時期は実質休止状態となることから視聴者に定着せず、放送時間縮小を繰り返し、2005年10月より全国他地域と同様に午後5時台から午後6時台での放送となっている。

2006年4月からは午後5時台に「ゆうどきネットワーク」の放送を開始。首都圏だけでなく、財政難のために午後5時台を縮小した地方局でも放送されている。

夕方ワイド番組の今後

「どさんこワイド」の登場から10年以上を経て、その後の夕方ワイド番組が新たな方向性を求められているのも事実といえる。

午後5時台の全国ネット化

テレビ朝日の系列局では「スーパーJチャンネル」の放送を自社制作生ワイドを放送する静岡朝日テレビ(SATV)とABC以外は午後5時前後から放送している。午後4時台に自社製作の夕方ワイド番組に取り組んでいる放送局もあるが「Jチャン」をはさんだ編成となっている。特にHTBはSTV「どさんこワイド」などの強力なライバルへの対抗策として、午後4時台は自社製作を放送して「夕方ローカル」で真っ向から対決、午後5時台はローカルの夕方ワイドと全国ニュースでの対決となっている。その他の午後5時台の全国ニュース番組も、各地で放送されている。

コンテンツとしての夕方ワイド番組

今後もデジタル時代に向け、ますます地方局の制作能力が問われる時代になってきており、今後も同種の番組が競い合うことは望ましい。しかしながら小さな地方都市故、扱う話題や切り口に多様性が見られない例もある。一方でドラマやアニメの再放送などで支持を集める放送局も存在する。このことから、この時間帯に必ずしも夕方の在宅層だけに向けた、生放送情報番組だけが求められているわけではないことも、各局は見極めねばならないといえる。

ローカル情報は地域メディアの生命線である故、その情報の切り口、番組の演出能力等の充実、および新たな展開が、夕方ワイド番組の今後を切り開いていくといえよう。

夕方のニュース番組

ここでは夕方のニュース番組の視聴率争いを指す。

日本の民間放送4大ネットとされる日本テレビTBSフジテレビテレビ朝日は編成が似通っており、朝のワイドショー、夕方のニュース番組に関しては長らく放送時間が重複している。重複している為、視聴者に少しでも長く視聴してもらおうと放送局が試行錯誤をし、少しでも視聴率が上昇するよう努力する。視聴率上昇に繋がり、成功すれば他の放送局が追随し、結局護送船団(横並び)となってしまう。

しかし、さすがにそれでは視聴率までが横並びになってしまうというので、それぞれ差別化を図ろうとしている。(成功すれば他局が追随する恐れがあるが)

ワイドショーに関しては過剰取材が起きる度に見直される風潮にあり、ニュース番組には特に過剰取材も起きず、評論家は評論の対象としなかった。

そんななか、取材方法以外の、細かな争いが静かに始まるようになり、そういう事に関心を持たない限り気付かない程度の争いなのでこれまで評論家も評論の対象としていない。結果、なかなか認知されていない。

また、これは特にキー局と呼ばれる放送局、上記の4つの放送局に顕著に見られることで、他地域ではあまり細かな争いは起きていない。

また、テレビ東京は午後5時台にニュースを放送し、午後6時台にアニメを放送するなど、視聴率争いに直接関係していないとされている。

視聴率争いの序章

スーパータイムの成功

一番大きなものは『FNNスーパータイム』(1984年10月1997年3月)の成功である。主な視聴者層のひとつである主婦も念頭に置いた構成で人気を博した。

それまでどおりのニュースキャスターが原稿を読むニュースはそのままであった。新たに取り入れたのは、ニュースを身近なものとして捉えてもらおうとキャスターが取材を敢行し、その模様を含めてニュースを放送したことである。さらに特集も特徴があった。医療問題を真摯に取り組む一方で、息抜きのようなテーマを扱うなど、硬軟織り交ぜて放送していた。

『スーパータイム』の特徴のひとつは全国向けニュースとローカルニュースを統合した編成にある。ニュースを最初に放送することで、ローカルニュースの時間の内の特集に充てる時間を増やすことが可能となり、結果前身といえる『FNNニュースレポート6:30』よりニュースの時間を減らすことができた。その分、短くテンポよく伝えて補った。また、テンポのよさは視聴者に好評を得ている。

ライブオンネットワークの失敗

こんな中で決定的となったのが『NNNライブオンネットワーク』(1986年10月~1988年3月、以下「ライブオン」)の登場である。午後6時からの30分は日本テレビのみ、午後6時30分から全国向けに放送した。よって、ひとつの番組で主要ニュースを午後6時と午後6時30分の2回放送するなど非効率な結果となった。また、午後6時からの『スーパータイム』、午後6時30分からの『JNNニュースコープ』とそれぞれ重複しており、1度に2番組に対抗する作戦となったが、視聴率はどちらにも勝てなかった。

日本テレビは全国向けニュースを午後6時から放送することとして、ニュースの重複を避けることにする。『NNNニュースプラス1』(1988年4月~2006年3月、以下「プラス1」)はこうして登場した。

これにより、「ローカルニュースを統合」させて、「ニュースを冒頭の全国向けニュースに集中」し、「特集コーナーやスポーツニュースに時間を割く」放送局が2つとなり、『600ステーション』(1989年10月~1991年3月)『JNNニュースの森』(1990年4月~2005年3月)も番組を開始するにあたり、原則を遵守した。

幕開け

『スーパータイム』が築き上げた形式は結果として4局横並びとなってしまった。

しかし、視聴率争いが過熱化することでもなかったが、事故で瀕死の状態にあったビートたけしの退院会見(1995年)は大きな財産を残した。

記者会見は通常なら午後のワイドショーが放送されている午後4時までに開かれ、生中継が可能な午後3時頃までに始まるのが常だったりするが、記者会見は夕方の全国向けニュースが始まる午後6時に始まることとなった。テレビを見るもの・作るものにとって衝撃を与えた事故を起こしたたけしが初めて公に姿を見せるので、どの番組も生中継で伝えることとなった。

結果、中継を打ち切った時間が一番遅かった『スーパータイム』が、早く中継を打ち切ったニュース番組の視聴者を取り込む格好で視聴率は上昇した。これを機に、多くの視聴者が関心のあるニュースについて、さらにはコマーシャルのタイミングは出来るだけ長く・遅くすることが視聴率上昇に繋がるというセオリーが出来上がった。

繰り上げ合戦

ニュースプラス1の午後5時台進出

1996年、ついに『プラス1』が午後5時台にも放送することとなった。夕方ワイド番組とも称される、地域・生活情報を据えた番組が東京以外で相次いで放送されるようになったのがきっかけと見られるが、あくまで「6時のニュースの拡大」という格好なのは『ライブオン』が活かされている。午後6時台のニュースも午後5時57分開始というフライングスタートを始めたことで視聴者確保に繋がった。

結果、『スーパータイム』が1997年3月に終了すると『プラス1』の黄金期に入るのであった。

各局が追随

『スーパータイム』の後番組『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』(1997年4月~1998年3月、以下「ヒューマン」)は午後6時台のニュースを午後5時55分開始とし、特集も『プラス1』より2~3分早く始めるなどしたが、視聴率の面では奮わず。テレビ朝日は午後5時からの放送とした『スーパーJチャンネル』(1997年4月~、以下「Jチャン」)はタレントをキャスターに起用するもこれも『プラス1』、またはテレビ東京の『TXNニュースワイド 夕方いちばん』(1997年9月~1998年9月)に大差を付けられなかった。

1998年4月に『ヒューマン』の後継『FNNスーパーニュース』(1998年4月~)と小宮悦子を迎えた新生『Jチャン』がスタート。この頃から『Jチャン』は他局より1~2分早くニュースや特集を放送する作戦を執り始める。例えば『夕方いちばん』の特集より2分早く午後5時台の特集を開始するなどした。

そして1998年10月、『スーパーニュース』『プラス1』の午後6時台のニュースを午後5時55分から、『Jチャン』は午後5時54分からと、3局が揃って繰り上げた。その後『Jチャン』は午後5時54分を堅持しているが、午後5時台は徐々に、ことあるごとに繰り上げを実施している。

午後5時台も争い

2000年4月、『スーパーニュース』は『スーパータイム』の象徴的存在、安藤優子を起用。『ニュースの森』と共に午後6時台のニュースを午後5時54分からとした。また、『スーパーニュース』はニュースのあとの特集をどこよりも早い午後6時20分からとし、ここから今度は「午後6時のニュースの後の特集」の開始時間の繰り上げ合戦が始まる。

一方、午後5時台の特集コーナーではテレビ東京(午後5時24分から)に対抗したテレビ朝日は2分早い時間から放送するなど対抗した。フジテレビはそれらに対抗して午後5時20分からとしたら、テレビ朝日が再度繰り上げ17分から放送する、など午後5時台にも繰り上げ合戦が起こった。

手塩にかけたVTR

繰り上げ合戦は依然と続く中、新たな戦いも始まる。『プラス1』はキャスターがニュースを読まずにナレーターの読む原稿がほとんどであった。『スーパーニュース』は2000年のリニューアルでナレーションが感情豊かになり、「ワイドショーと区別が付かない」と揶揄されることが間々ある。

同時テロ・日朝首脳会談・イラク戦争

2001年アメリカ同時多発テロ事件からアメリカのアフガニスタン侵攻に至るまでや、2002年日朝首脳会談から始まる一連の「北朝鮮報道」、2003年イラク戦争は連日長時間を割いて報道し、ワイドショーと夕方のニュース番組はアルジャジーラ朝鮮中央放送の最新ニュースなどを事細かに放送するようになる。

これを機に、午後5時台のニュースに充てる時間が大幅に増える。『スーパーニュース』が進めていた作り込んだVTR演出は加熱し、前後するが自由民主党在籍時代の「鈴木宗男報道」の時はバラエティ番組並みの演出が施された。

また、在宅女性という、主な視聴者層がワイドショーと同じでもあり、ワイドショーに似通った内容になっている場合もある。例えばワイドショーの『ザ・ワイド』(1993年~)はキャスターが登場せず20~30分進行し、その間ナレーションによるVTRが延々と続く。これらと何ら変わりないというのが批判の対象となっている。

しかし、海外の放送局とは違った、どの記者が書いたか分からないような記事(ナレーション原稿)に対する批判は少ない。

共通するところ

こうした歴史を踏んできた、夕方のニュース番組で現在の共通する要素は以下の通り。

  1. 午後5時前後からの2時間番組
  2. VTR主体のニュース
  3. 右上にニュースのタイトルを表記
  4. 午後5時台に芸能ニュース、午後6時台にスポーツニュース用のコーナーを設置(「Jチャン」は共に設置せず)
  5. ナレーターが記事のほとんどを読む

夕方の番組改編後の影響

  • しかし、この一方でそれまで放送してきた各局の、番組再放送枠が消滅したのも事実である(フジテレビはローカルで午後3時からに移動、チャンネルαとする)。
  • 日本テレビでは、午後5時台に放送してきたアニメ「ルパン3世」や、「シティーハンター」などの再放送枠が消滅。(夏休みに数週復活する程度。)

現在の放送番組

Template:キー局夕方ニュース

関西地区のローカルニュース・夕方のワイド番組

  • 関西地区はVOICE毎日放送)、ニューススクランブルよみうりテレビ)、ABC NEWSゆうABC)、スーパーニュースアンカー関西テレビ)の争いが繰り広げられており、1990年代以降に辛坊治郎を起用したニューススクランブルがリード。現在は硬派路線のVOICEが一歩リードしている。一方関西テレビは関東とは対照的に苦戦が続いている。
  • 実際には午後4時台(さらに早くて昼のワイドショーの時間帯)から激しい視聴率争いが行われている。99年に毎日放送で「ちちんぷいぷい」が放送開始に伴い、ABCの「ワイドABCDE~す」も生中継や生活情報主体の内容から、徐々に報道主体に変わっていく。「ワイドABCDE~す」も番組名を変えながらも2004年9月の改編で「ムーブ!」に切り替わる。また「ちちんぷいぷい」は関西テレビの「2時ワクッ!」を打ち切りに追いやった「っちゅ~ねん!」を吸収合併して今は午後2時からの放送となった。
  • 一方関西テレビや讀賣テレビはドラマの再放送をしていたが、2005年から参入してくる。特に関西テレビでは2005年から「FNNスーパーニュース」を午後5時台からフルネットし、在阪民放局(テレビ大阪を除く)では初めて午後5時台で全国ニュースがスタートする。一方讀賣テレビは11月から金曜日のみ「おはよう朝日です」の宮根誠司が司会する「激テレ★金曜日」がスタートし、関東地区と同様に視聴率の激戦区となった。しかし両局とも視聴率は低迷し、2006年4月の改編で午後5時台の「スーパーニュース」の放映枠が打ち切りとなり、関西ローカルのスーパーニュースアンカーに切り替わる。そのために再び午後5時台に民放の全国版のニュースが完全になくなってしまった。今では「ちちんぷいぷい」と「ムーブ!」のマッチバトル状態である。また低迷している讀賣テレビでは2006年7月31日から「激テレ★金曜日」が月曜日から金曜日までの帯番組となり『ミヤネ屋』としてリニューアルした。
  • 近年は放送時間が早まる傾向がある。「ムーブ!」も2006年4月から午後3時49分スタートと年々早まっている。また最近はどの局でも午後4時前からのスタートが主流となり、今後在京放送局のような護送船団方式のスタートが起こりうる可能性がある。しかし午後5時台ではキー局を主導とした全国版のニュースを全くやっていないため、他の地域と比べて情報伝達能力が明らかに鈍いことが懸念されている。
主な裏番組

各曜日の状況については、下記参照

関連項目(含裏番組)

視聴率合戦の激しかった番組一覧

1980年代までこの時間帯はアダルト系の番組中心に放送されていたが、日本テレビの『きょうの出来事』(通称:きょう出来、2006年10月1日放送分で終了。)やフジテレビの『プロ野球ニュース』が放送されていたことと、テレビ東京の『ワールドビジネスサテライト』(通称:WBS)が放送されていることから、平成に入ってからはニュース番組激戦区になっている。

11PM(日本テレビ)vs午後11時ショー(NET→テレビ朝日)
11PM(日本テレビ)vsプロ野球ニュース(第2期)(フジテレビ)vsトゥナイト(テレビ朝日)
きょうの出来事(日本テレビ)VS筑紫哲也 NEWS23(TBS)VSバラエティ番組とニュースJAPAN(フジテレビ)VSバラエティ番組(テレビ朝日)VSワールドビジネスサテライト(テレビ東京)

月曜日

月曜午後7時台

この時間帯は長らく俳優・タレントの関口宏が司会を務める長寿番組『関口宏の東京フレンドパークII』、2006年で10年目を迎えるよみうりテレビの『名探偵コナン』が高視聴率を稼いでいて、フジテレビが迷走を続けていた事が有名だった。現在はフジテレビがある番組を放送していて、上記の2つの番組にも打撃が見えてきている。しかしその間でも数々の視聴率争いが行われていた。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

  • この時間帯は1979年4月に放送を開始、関口宏が司会を務めていた『クイズ100人に聞きました』が高視聴率を稼いでいたが、1992年10月に月曜日から木曜日までの帯番組『ムーブ』が放送されることになったため、そのあとの『わいわいスポーツ塾』と共に枠確保ができなくなり1992年9月で打ち切り、この枠の月曜日に同じ関口が司会を務める『東京フレンドパーク』(通称:フレパー)をスタートさせる。
  • 『フレパー』は1年間続いて終了、半年間は『ムーブ』から番組名を変更した帯番組『ザッツ!』として、やはり関口が司会を務めていた『関口宏のPAPAパラダイス』を放送、1994年4月に『東京フレンドパーク2』(通称:フレパー2)として復活し高視聴率を連発。1996年春にはテレビ朝日の『クレヨンしんちゃん』・『邦子と徹のあんたが主役』(後に終了)を時間帯移動に追い込んだ。以後テレ朝のこの時間帯は苦戦を強いられる。
  • よみうりテレビもこれに対抗すべく1997年、1995年、96年の堂本剛版のドラマ(土曜午後9時枠) で大ヒットした『金田一少年の事件簿』(通称:金田一)を開始。さらに1996年に週刊少年サンデーで絶大な人気を誇っていた『名探偵コナン』を放送開始する。また『名探偵コナン』と『金田一』が放送開始された当時、同じ水曜日発売の週刊漫画雑誌〈週刊少年サンデー;『名探偵コナン』と週刊少年マガジン;『金田一』〉の人気連載漫画がしかも同じ局(両方ともよみうりテレビ制作)で縦並びする異例の事態となり、注目の的になった。また『名探偵コナン』以前にもこの枠では『コボちゃん』(1992年)、CLAMP作品の草分け的存在『魔法騎士レイアース』(1994年~1996年)、女子柔道界を有名にした浦沢直樹の『YAWARA!』(1990年~1992年)、今でもビックコミックスピリッツ(小学館)で連載されている社会派のグルメ漫画『美味しんぼ』(1989~1991年、日本テレビ制作で後に火曜に移動)などといった高視聴率の人気アニメを輩出している。
  • 一方、フジテレビは長らく低迷が続いていたがみのもんた美川憲一が司会を務める『愛する二人別れる二人』が高視聴率を稼いで、『フレパー2』と互角の戦いをするが、やらせ問題が発覚したため、2年後の1999年11月で打ち切られた。
  • 一方の『金田一』も1997年~1999年頃は視聴率が良かったものの、2000年に入って低迷、同年9月に終了した。
  • このころから『名探偵コナン』VS『フレパー2』(関西地区では関西テレビの『怪傑えみちゃんねる』)の戦いが始まった。
犬夜叉名探偵コナン(よみうりテレビ・日本テレビ系)vs関口宏の東京フレンドパーク2vs月曜時代劇(テレビ朝日)
  • 金田一が終わった後よみうりテレビは「犬夜叉」を開始。初回は15.1%を記録。「名探偵コナン」と同じ「週刊少年サンデー」だったので高い人気を誇っていた。
  • フジテレビはこの頃幾つかの番組を送るもやはりアニメ枠や『フレパー2』に撃沈していてた。
  • 日本テレビのこの時間帯は長らくよみうりテレビ制作のアニメ番組を放送していたが、人気アーティストを起用したテーマ曲がヒットするなどして話題となる。
  • またこの頃『名探偵コナン』の絶頂期を迎えており、毎週20%越えを連発。『フレパー2』を抜く事もあった。
  • 一方テレビ朝日は『クレヨンしんちゃん』、『邦子と徹のあんたが主役』が時間帯移動させた後、長らく低迷が続いていたが、2001年秋に時代劇枠を月曜に移動する。ここから安定した視聴率を取っている。
  • 2003年で『名探偵コナン』の絶頂期は終了。その後2004年に入り『犬夜叉』の視聴率が低下しオリジナルストーリーの限界も来ていたため、同年秋に終了した(原作については現在も連載中)。
ブラック・ジャック・名探偵コナン(よみうりテレビ・日本テレビ系)vs関口宏の東京フレンドパーク2vsネプリーグ(フジテレビ)(関東地区等)・快傑えみちゃんねる(関西テレビ)(関西地区のみ)vs月曜時代劇→月バラ!SP又は奇跡の扉 TVのチカラSP(テレビ朝日)vsいきなり結婚生活(テレビ東京)
  • 2004年秋、よみうりテレビは『犬夜叉』が終わった後に『ブラック・ジャック』を導入。初回の一時間SPは13.2%を記録。その後新潟中越地震JR福知山線脱線事故で放送内容が変わることもあったが、ビデオリサーチの種目別高世帯視聴率「アニメ」のベスト10に入る程の人気番組となった。
  • 一方の『フレパー2』も毎回15%~20%並の視聴率を記録。『名探偵コナン』・『ブラック・ジャック』との対決が始まる。裏で『月曜時代劇』も人気シリーズを導入し視聴率は安定していた。その一方でフジテレビも特番で高視聴率だった、『う!ウマいんです。』や『ほんとにあった怖い話』(通称:ほん怖)を導入するが、よみうりテレビ制作のアニメ枠や『フレパー2』、時代劇には勝てずどちらも半年で終了する。
  • だが、そんなことが続いたこの枠に状況を一変させる番組が登場する。長らく低迷が続いたフジテレビが2005年4月に水曜バラパラで好評だった『ネプリーグ』である。初回は11.7%(関東地区)の、まずまずを記録。これも当初はよみうりテレビ制作のアニメ枠や『フレパー2』に苦戦していたが、番組のメインコーナーであるファイブリーグの珍解答やゲストとネプチューンの駆け引きなどが人気を呼び、2005年8月頃から徐々に人気が上昇。時としては『フレパー2』との視聴率差0.1%になったり、よみうりテレビ制作のアニメ枠を一桁に落とす快挙をなしとげ、「フジテレビの魔の月曜7時」の汚名返上に成功した。
  • 一方、関西地区ではかつてのフジテレビ低調ぶりとは裏腹に関西テレビでは上沼恵美子の司会で『快傑えみちゃんねる』を長年放送している。中高年齢層(中でも大阪のおばちゃん世代)に人気があり、『フレパー2』はやや苦戦気味でよみうりテレビのアニメ枠(特に『名探偵コナン』)とは互角の勝負をしている。(『ネプリーグ』は日曜日に遅れネットで放送しているが、関東地区とは逆に、視聴率が低迷している。#日曜正午を参照)なおフジテレビがこの時間帯で特別番組を編成したときでも、よほどのことがない限り、この番組が休止になることがない。(この場合、関西テレビのみ特別バージョンで放送される。)
  • 『フレパー2』は新アトラクションを導入したり、『ブラック・ジャック』は2006年春から「ブラック・ジャック21」と番組名を変えてリニューアルを行ったり、『名探偵コナン』も10周年記念で10週連続の懸賞を行ったりなどの考慮を行った。その一方で2001年から続いた『月曜時代劇』は視聴率が低迷したために2006年4月から火曜日に移動。今後この枠はテレビ朝日でやっている、深夜番組の特番を放送する『月バラ!』(19:00~20:54、今後は『月バラ!』SPとこの後の番組『奇跡の扉 TVのチカラ』(通称:テレチカ)SPを毎週交互に放送。)を放送することになり同時に2時間枠とした。
  • 前述の通り現在、テレ朝の月曜は毎週2時間スペシャルを放送していて、『テレチカ』SP時には安定していて、時代劇よりは改善されているが、『月バラ!』SP時には毎週ほぼ同じテーマを行っている『フレパー2』と『ネプリーグ』(関東地区)・『名探偵コナン』・『快傑えみちゃんねる』(関西地区)が圧倒的に有利になっており、今後『月バラ!』SP時にはどうするのかが気になる。
  • なおテレビ東京の『いきなり!結婚生活』は視聴率1桁(時としては5%以下)と惨敗している。かつてこの時間帯は30分番組(アニメ番組とジャニーズ番組)2本立てだったが、1時間枠になってからは『イタダキ!公募生活』『うた世紀ベストテン』などを放送するも視聴率不振が続いており、特に2001年1月から放送された『芸能人お見合いベストマッチ』は改編を待たずして打ち切られた。
  • 2006年7月以降、関東地区では、『フレパー2』と『ネプリーグ』が1位、2位争いをしていて、その後を、『ブラック・ジャック』と『名探偵コナン』、『月バラ!』SPと『テレチカ』SPの順に追っている。一方関西地区では『名探偵コナン』が18%前後、『快傑えみちゃんねる』が15%前後になっている。

月曜午後8時台

長年にわたって親しまれているTBSの『ナショナル劇場』が放送されている時間帯でありながら、数多くの番組が争われている。ここでは、ナショナル劇場以外の視聴率争いを扱う。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

歌のトップテン(日本テレビ)VSナショナル劇場(TBS)VS志村けんのだいじょうぶだぁ(フジテレビ)VS月曜ドラマ・イン(テレビ朝日)
  • この時間帯は長らく日本テレビの『NTV紅白歌のベストテン』が放送されていた時間帯で、後番組となった『ザ・トップテン』も好評を得ていた。
  • 1986年4月から『歌のトップテン』に代わっても好評を得ていたものの、フジテレビが『志村けんのだいじょうぶだぁ』を放送し始めると苦戦をするようになり、同じような内容を放送していたTBSの『ザ・ベストテン』終了後の半年後に打ち切られた。
  • テレビ朝日は若者向けのドラマとして『月曜ドラマ・イン』を放送していた。菅野美穂奥菜恵安達祐実などの一線級の女優を輩出するものの視聴率はほぼ1桁で低迷、2000年4月にスポーツバラエティ番組スポコン!』に入れ替わる形で終了した。
世界まる見え!テレビ特捜部(日本テレビ)VSナショナル劇場(TBS)VSHEY!HEY!HEY!(フジテレビ)VS徳光和夫の情報スピリッツ(テレビ東京)
  • 1989年頃~1992年にかけて、この枠はフジテレビの『志村けんのだいじょうぶだぁ』が人気を博していた。
  • 『歌のトップテン』末期から視聴率が低迷していた日本テレビは、1990年7月~9月に『所さんのまっかなテレビ』打ち切り後の穴埋め番組として放送されていた『世界まる見え!テレビ特捜部』を1991年4月にレギュラー化。開始当初は苦戦していたが、1993年初頭から徐々に人気が出始め、『志村けんのだいじょうぶだぁ』を打ち切りに追い込んだ。
  • その後、フジテレビは約1年間に渡って迷走を続けていたが、1994年10月にダウンタウンを司会に据えた音楽番組『HEY!HEY!HEY!』を開始。年明けの1995年初頭には人気が上がり始め、『世界まる見え!テレビ特捜部』と五分五分の争いとなり、『まる見え』を抜くことも度々あった。
  • また、テレビ東京は1995年4月に『徳光和夫の情報スピリッツ』を開始させ、安定した人気を保っていた為、『世界まる見え!テレビ特捜部』は1995年~1996年にかけて、15%程度で伸び悩んでいた。
  • しかし、1997年4月に『HEY!HEY!HEY!』がそれまでのチャンプ制度を廃止するなどのリニューアルを行うと裏番組に苦戦し始め、『世界まる見え!テレビ特捜部』が再び同時間帯の首位となり、2003年頃まで『まる見え』の独走が続いた。
  • 一方、テレビ朝日は2000年10月、1970年代~1980年代中期まで放送されていた人気クイズ番組『タイムショック』が『タイムショック21』として15年ぶりに復活した(実はその間に生島ヒロシ版のがあったが、極端な低視聴率だったため、テレビ朝日自体はなかったことにしていた。その件に関しては水曜7時の項を参照)。しかし、定期的にやっていた芸能人サバイバル大会では10%台前半は辛うじていっており、生島版よりは改善されてはいたものの、それ以外は1桁台を記録する事が多く、2002年6月をもって期首期末特番に格下げされてしまった(なお、夏休み高校生サバイバル大会は2002年、2003年度は放送していたが、2004年以降はやらなくなった)。
世界まる見え!テレビ特捜部(日本テレビ)VSナショナル劇場(TBS)VSHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP(フジテレビ)VS奇跡の扉 TVのチカラSP又は月バラ!SP(テレビ朝日)VS鶴瓶の家族に乾杯(NHK総合)VS主治医が見つかる診療所(テレビ東京)
  • 長年苦戦し続けたテレビ朝日は、2004年4月にそれまで土曜午後8時台に放送されていた『奇跡の扉 TVのチカラ』をこの時間帯に移動し、13%前後で安定し始めたことで、この頃から『まる見え』の牙城が徐々に崩れることになる。
  • 更に、『HEY!HEY!HEY!』が2005年4月『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に大幅リニューアル。当初は低迷したものの、前時間の番組『ネプリーグ』の好調の影響もあり、同年10月頃から15%程度に戻り、回によっては10%台後半を出すようになった。
  • 更に、NHK総合が『生きもの地球紀行』『地球・ふしぎ大自然』と長らくファミリー向けの教養番組を月曜午後8時台に放送していたが、2006年4月から、『土曜特集』で月1回の特番として放送、2005年4月から金曜午後8時台にレギュラー化した『鶴瓶の家族に乾杯』を月曜午後8時台に移動し、ここから15%前後で安定している。
  • しかしここに来てテレビ朝日が、月曜午後7時台の低迷を受け、2006年4月から『TVのチカラ』が『月バラ!』と毎週交互にSPをやる作戦(#月曜午後7時台を参照)が失敗したのか、『月バラ!』SPの時には視聴率が落ちることが多くなってきた。
  • 現在、以上の3番組がいずれも15%前後(テレ朝の『月バラ!』SP時を除く)の数字を取る状況になったため、『世界まる見え!テレビ特捜部』は13%前後に落ちてきている。
  • 2006年7月現在は『鶴瓶の家族に乾杯』、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』が一歩リードしており、『奇跡の扉 TVのチカラ』SP・『月バラ!』SP、『世界まる見え!テレビ特捜部』、『ナショナル劇場』、『主治医が見つかる診療所』の順に追っている。
  • しかし『奇跡の扉 TVのチカラ』が2006年7月頃やらせ疑惑が発覚した為、2006年9月で打ち切りが決まった。後番組は現在検討中である。

月曜午後9時台

1970年代1980年代半ばにやっていた『欽ドン!』が終了した後、日本のドラマの代表的な枠『月9』やビートたけし司会討論バラエティ番組の『ビートたけしのTVタックル』などがある月曜午後9時。ここでは主に月9、TVタックルVS他局の番組を述べる。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

月9(フジテレビ)VSビートたけしのTVタックル(テレビ朝日)VS愛の貧乏脱出大作戦(テレビ東京)
  • 月曜日の午後9時台は、長らくフジテレビが1987年4月から放送している、OL・若年齢層を主力とする『月9』がトップを走り、そしてビートたけしが司会で、ニュースを主に取り扱う情報番組『ビートたけしのTVタックル』(通称:TVタックル)がそれに次ぐ高視聴率を稼いでいたが、テレビ東京がそれまで不毛続きだったこの枠に、1998年4月にサラリーマン・中高年齢層を主力とする『愛の貧乏脱出大作戦』を開始したため、3番組がデッドヒートを繰り広げる(ちなみに『愛の貧乏脱出大作戦』が『月9』に勝っていたのは1998年7月期の頃だけであった。当時の月9は『ボーイハント』)。
  • そんな月9は木村拓哉松嶋菜々子など人気の女優や俳優を主役にした番組なると平均視聴率が20%越え、2000年秋の「やまとなでしこ」、2001年冬の「HERO」はどちらもかなりの高視聴率(HEROに至っては平均30%以上)のためこのときばかりはさすがに「TVタックル」や他の番組も苦戦していた。
  • 一方『TVタックル』は90年代半ばまでは安定傾向だったものの、それ以降が裏番組の影響や番組自体のマンネリ化に伴い人気が低迷していた。それでも多方面のバックアップ(圧力)もあって延命することができた。しかし上記の月9が大ヒットの最中は5%台まで記録した2000年代初頭は「もう限界」と編成部からの申し出もあり2001年秋に遂に打ち切りを計る暗示も出していた。ところがこれまでの番組スタイルを政治経済に絞り企画構成が見直されたところ視聴率が徐々に回復され番組開始10年以上にしてテレ朝局内の1番手番組へと登りつめた。当然ながら打ち切りの話は白紙撤回された。
  • 『愛の貧乏脱出大作戦』が開始した当初は『月9』が高視聴率を稼いでいたが、崖っぷち店主を立ち直らせる内容がサラリーマン・中高年齢層の共感を呼び、『月9』や『TVタックル』をしのぐ視聴率を稼ぐまでになった。ただ、3番組の視聴率合戦は2002年9月に『愛の貧乏脱出大作戦』が終了することで幕を閉じる。
キスだけじゃイヤッ!(よみうりテレビ・日本テレビ系)VS月曜ミステリー劇場(TBS)VS月9VSビートたけしのTVタックル
  • 『愛の貧乏脱出大作戦』が終了した後は『月9』、『TVタックル』、そして2001年4月に始まっていた『月曜ミステリー劇場』(通称:月ミス)が高視聴率を稼いでいたが、2004年4月に『スーパーテレビ情報最前線』と『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ系)に苦戦していたよみうりテレビ制作の連続ドラマ枠の放送時間帯を入れ替えた際、連続ドラマ枠をバラエティ枠に置き換えた上で、深夜帯で好評だった視聴者参加恋愛バラエティ番組『キスだけじゃイヤッ!』(通称:キスイヤ)をこの時間帯へ進出させ、『月ミス』、『月9』(この時期は『東京湾景』を放送)、『TVタックル』をしのぐ視聴率を稼いだ。
  • しかし、『キスイヤ』が『月ミス』、『月9』、『TVタックル』をしのぐ視聴率を稼いだのはごくわずかな時期であり、日本PTA全国協議会から低俗番組レッテルを貼られていたことや2004年10月から始まった『月曜エンタぁテイメント』(テレビ東京)に押されることも影響していたためにすぐ視聴率が低迷し、『月ミス』『月9』『TVタックル』が人気を取り戻し、『キスイヤ』が10年目に入ることから新たな恋愛バラエティ番組『芸恋リアル』にリニューアルすることとなったため、2006年3月で終了した(ちなみに、『キスイヤ』の平均視聴率は西高東低であった)。
  • そんな中、『月ミス』が『月9』や『TVタックル』の人気が上がったことに影響して視聴率が低迷したため、『キスイヤ』と同じく2006年3月に、『月曜ドラマスペシャル』から16年半の歴史に幕を閉じた。こうして『月9』、『TVタックル』は2006年春改編でNHK、日本テレビ、TBS、テレビ東京の月曜午後9時台の番組を打ち切り、時間変更に追い込んでいる。
ニュースウオッチ9(NHK)VS芸恋リアル(よみうりテレビ・日本テレビ系)vs月曜ゴールデン(TBS系)vs月9(フジテレビ)vsビートたけしのTVタックル(テレビ朝日)
  • よみうりテレビは2006年4月からキスイヤから芸恋リアルに切り替わる。特番のいちコーナーをレギュラー化するが、関西地区以外では視聴率が10%前半と苦戦気味である。(関西地区では紳助人気もあるせいかそこそこ健闘している。)
  • またフジテレビの月9は人気枠ではあったものの近年は良くても20%前後の作品ばかりとなっていたが、2006年冬の『西遊記』で30%近い視聴率、同年春の天海祐希主演の「トップキャスター」で完全に復権し、初回は23%を記録する。しかし2006年7月期の『サプリ』は初回の視聴率が関東地区では17.9%(関西地区では15.8%)を記録し前の二作と比べると苦しいスタートとなった。また7月17日放送分で関東地区の視聴率が13%を記録し、月9のワースト記録を更新してしまった。 月9の視聴率はドラマの内容と役者、そして裏番組次第であることは今でも変わらない。またこの枠の視聴率争いは月9、『TVタックル』が決めているかと思われる。

月曜午後10時台

現在はプレミアム10(NHK)、アンテナ22(日本テレビ)、月曜ゴールデン(TBS)、SMAP×SMAP(フジテレビ)、報道ステーション(テレビ朝日)、日経スペシャル カンブリア宮殿~村上龍の経済トークライブ~(テレビ東京)を放送中。

主な動き

  • 以前は1970年代~80年代半ばにかけてフジテレビの『夜のヒットスタジオ』によって他からの人気を寄せ付けない状態が続いていた。そんな人気もあって1985年春から2時間番組の『夜のヒットスタジオDELUXE』へと鞍替えするべく同番組は水曜へと放送時間を移動させた。
  • それからは日本テレビは『スター爆笑Q&A』(制作:読売テレビ)、フジテレビはサスペンスシリーズ(制作:関西テレビ)と他の時間帯と比較すると双方共に地味な人気しか得られなかった。
  • そして90年代になっても日テレは『関口宏のびっくりトーク ハトがでますよ!』、フジはサスペンスシリーズから連続ドラマ枠へと変貌したが共に活気が見られなかった。
  • だが1995年10月に木曜午後9時に読売テレビ制作の連続ドラマ枠を編成していた日テレがこちらに連ドラ枠を移したことで動きが変わっていく。一方関西テレビの連ドラ枠は裏のドラマ同士のバッティングになってしまったことやバラエティがこの時間に無くなったことに目を付け、火曜のバラエティ枠と交換しフジとの共同制作で1996年4月に開始された『SMAP×SMAP』(通称:スマスマ)を立ち上げ開始して間もなく20%以上の高視聴率を取り続け、読売テレビのドラマは完全に完敗状態であった。
  • しかし例外だった期間は1997年7~9月に放送された『失楽園』がやっていた時である。映画での大ヒットもあり流行語も生んだぐらい社会現象になった。そして双方平均20%以上を高視聴率を取り稀に見るハイレベルな視聴率争いとなった。
  • しかし、読売テレビドラマはそれ以降ヒットドラマは出ず、2000年代に入ると平均で二桁すら取ることの出来ないドラマばかりとなってしまった。そして『スマスマ』は2000年の木村拓哉の結婚や2001年の稲垣吾郎の当て逃げ事件などで番組人気に左右されるのでないかと危ぶまれたが、全盛期よりも多少落ち着いたぐらいでまだまだ高視聴率を保ち現在に至る。(稲垣の復帰会見での瞬間最高視聴率は39%をだしたため、そのとき放送されていた読売テレビドラマ『ギンザの恋』を早期打ち切りに追い込ませた一因ともいえる。)
  • そして読売テレビドラマは長らくの低迷期間の後2004年1月~3月の『乱歩R』をもって終了。同年4月からは月曜午後9時からの『スーパーテレビ』を枠移動させ、以前のドラマよりは改善されたもののやはり『スマスマ』の牙城は厚く1年後の2005年に終了し『アンテナ22』と改めたものの『スーパーテレビ』とさほど変わっていない状態で現在に至る。但し内容(比較的ダークな話題を扱う回)によっては、12~14%程度の安定した視聴率が取れている場合もある。
  • なおテレビ東京は『ファッション通信』『THEフィッシング』が視聴率的に安定していたが、2001年に枠移動後1時間番組としてリニューアルするも『スマスマ』に押される形で不毛続きとなっていった。現在は経済トーク番組『カンブリア宮殿』を放送しているが、他局と張り合えない視聴率のまま続いている。

今の所この時間帯は『スマスマ』がリードし『報道ステーション』が『スマスマ』に追いつけそうで追いつけない状況になっている。そして他の番組がこの2つの番組に差を付けられている。

フジテレビ・関西テレビの黄金の月曜日

  • 視聴率争いにおいて、トップに君臨することの多いフジテレビで、最も人気番組がそろっているのは、月曜日のプライムタイムであり、フジテレビ・黄金の月曜日と称される。またここの関西テレビの制作枠(午後7時台<関西地区のみ>、午後10時台)も好調である。関西地区、関東地区共々視聴率ランキング20の常連にもなっている。
1980年代
  • 主に黄金の月曜日と呼べるようになったのはこの頃から。1970年代は午後10時の『夜のヒットスタジオ』は絶大な人気であり、後述で記す『月9』はこの頃からあったが恋愛物や若者向けの職業物とは違い硬派な路線のドラマが中心だった(代表作には『大空港』などがある。しかし午後7時台は帯番組の『クイズグランプリ』『スター千一夜』などがあってこちらは名が知られる人気番組だったが月曜特有では無いのと、午後8時は連続ドラマ枠だったが強力な裏番組の影響により鬼門枠とされていた為1980年代になってからの見方となる。
  • 午後7時は当時一世を風靡したクラッシュギャルズがメインとなった『女子プロレス』、午後7時30分の『月曜ドラマランド』→午後9時の1981年スタートの『欽ドン!』→午後10時の『夜のヒットスタジオ』が好評を博していた。特に、『夜のヒットスタジオ』は、すでに80年代には一つのブランドを確立し、裏番組を寄せ付けないほどの人気と勢いがあって、日本を代表する音楽番組でもあった。その後『夜のヒットスタジオ』は水曜午後9時枠に移動し、空いた枠は関西テレビ制作のバラエティ番組『三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』が水曜午後10時枠から移動してきたが、裏番組に桂三枝と同じ吉本興業やすしきよしが出演していたよみうりテレビ製作のバラエティ番組スター爆笑Q&Aが放送されていたため、半年後、火曜午後10時の関西テレビ製作のドラマ枠と交換になり、1996年3月までこの枠は、関西テレビ製作のドラマ枠が放送された。
  • 『月曜ドラマランド』は『意地悪ばあさん』や『志村けんのバカ殿様』が主な代表作でそれ以外も当時のアイドルをよく主演に持ってきた短編ドラマが制作され大人気となった。しかし後期になると段々と失速していき、87年の秋の改編時に終了し、放送されていた午後7時30分から午後8時54分の枠は19:30~20:00、20:00~20:54に分離された。
  • また『欽ドン』も同じように下降路線を辿る形となってしまいこちらは同年の春に終了した。そして再び午後9時台に後に日本を代表するドラマ枠を開始されることとなった。
  • 午後7時台はドラマ枠で午後8時台には、『志村けんのだいじょうぶだぁ』が開始された。この当時フジの月曜の番組を見渡すと午後9時台の当時の『月9』は『アナウンサーぷっつん物語』などは大勢はしてなかったものの15%以上の視聴率を取っていたのだが、他の曜日が好調だったために内部で軽蔑されるような見方がされ「不毛の月曜日」と一部の関係者から言われるぐらいになった。そのため『だいじょうぶだぁ』の開始当初は1桁であった。しかし回を重ねるにつれ志村の笑いがうけるようになり番組は25%前後の高視聴率を取る大人気番組となった。
  • そして翌年の88年『月9』は田原俊彦主演の『教師びんびん物語』が30%の大台となり、田原が志村の元へ『前の番組の視聴率がいいから、チャンネルを変えずに見てくれる視聴者を増やしていただいたことに感謝します』と礼の返事までしに来たことで一時期は傾いた月曜が再び活気付いたのは志村けんのおかげとされている。
  • ちなみにその頃午後7時は『あっぱれさんま大先生』(通称:あっぱれ)午後7時半には宮沢りえ主演のドラマ『スワンの涙』、午後10時は単発のサスペンスドラマが放送され午後8~9時台と比較したら振るってはいなかったがそこそこの人気となってようやく隙間を無くすことができたと言われた。。また関西地区では当時午後7時台に『さんまのまんま』が30分枠で放送され高視聴率番組になっていた。また関東地区と関西地区とでは同じ時間帯に全く内容の違う明石家さんまの出演番組が放送されていたことも特筆される。
1990年代
  • この時代に入ると午後7時は『あっぱれ』とドラマ枠の視聴率が低迷し、ドラマ枠は撤廃・『あっぱれ』は日曜昼1時台へと移動した。こうしてスタートしたのは情報番組『今夜は好奇心!』で木曜から移動してきた。
  • これにより午後7~8時台は迷走してしまい黄金月曜日が途絶えてしまった。だが午後8時台を立て直したのが94年秋スタートのダウンタウン司会の新感覚音楽番組『HEY!HEY!HEY!』である。平成期になってからは「音楽番組なんて数字(視聴率)取れないで当たり前」などと揶揄されたりしたが、歌だけでなくトーク中心のスタイルに仕立てたのが好評で徐々に視聴率を上げていきたちまち20%を超えていくようになり『まる見え』と張り合い時には負かす回までも出すようになった。
  • しかし午後7時台は改善されないまま時が流れ、低迷を余儀なくされる状態が続いたが1998年秋のフジテレビの視聴率改善を目的とした大改編で『愛する二人別れる二人』がスタートし、高視聴率を稼ぎ、『関口宏の東京フレンドパーク2』と競り合ったが、1年後の1999年に、やらせ事件が発覚し打ち切りとなり、以後、この枠は6年後の2005年春、『ネプリーグ』がスタートするまで、再び低迷を強いられることになった。
  • 関西地区の午後7時台は1995年までは長寿番組『さんまのまんま』が30分枠で放送されていた。またこの時19:30 - 20:00まではローカル番組をやっていた。その後『さんまのまんま』は金曜日に枠異動し、今では大阪のおばちゃんたちに絶大の人気を誇る『快傑えみちゃんねる』をスタートして現在に至る。『名探偵コナン』とはハイレベルな争い(関西では『名探偵コナン』は平均視聴率が15%を越える大人気アニメ)をしているが、『関口宏の東京フレンドパーク2』には圧倒的な差をつけている。
  • 一方で午後9時は、今や日本を代表する名物ドラマ枠、『月9』ブランドが定着し、この時代に入り、社会現象を巻き起こしたヒット作を立て続けに輩出した。特に有名なのは、1991年の夏に放送された『101回目のプロポーズ』での、武田鉄矢の台詞、「僕は死にましぇ~ん」であり、同年の流行語にもなっている。また、この枠の作品で使われた主題歌はヒット曲を連発しており、この時期には、オリコン年間チャートトップ10に入った曲やミリオンヒットを記録した曲もあった。その中でも、1992年の春に放送された『素顔のままで』の主題歌に使われた米米CLUBの『君がいるだけで』は同年のレコード大賞(ポップス部門)を受賞した。また2000年までに『東京ラブストーリー』、『ひとつ屋根の下』、『ロングバケーション』(1996年に流行語にノミネート)などといった平均視聴率30%強のドラマを数多く輩出している。時には振るわない作品を出すことがあっても1桁などの極端な低視聴率までは出していない為この頃は、まだ人気は落ちていなかった。
  • 午後10時台の関西テレビ制作枠はドラマ枠は晩年になった頃今ひとつ不振気味だったが、1996年4月に現在でも絶大な人気を得ている、SMAPがメインのバラエティ番組、『SMAP×SMAP』(放送開始当時から関西テレビ制作枠ではあるが、共同制作になっている)をスタートさせる。関西テレビのドラマ枠は火曜日午後10時枠に交換となった。視聴率は、開始当初から高く、現在でも、18%~20%前後を推移していて、前枠のフジテレビの月9ドラマでSMAPのメンバー主演、出演している作品がある時や、高視聴率作品放送時には、25%近くをマークすることもあり、日本テレビ・よみうりテレビやテレビ東京の同時間帯を現在でも迷走に追い込み、文句なしの看板番組である。
  • この頃『HEY!HEY!HEY!』はやや人気に陰りが出てきたため、リニューアルを計ったが失敗し、視聴率が下降していったが、『まる見え』に負ける回が増えただけであり、深刻な低迷には至らず、番組は継続されていた。
  • 1998年10月にフジテレビの視聴率改善を目的とした大改編で新設された、月曜バラパラ枠は、『西村雅彦のさよなら20世紀』『恋愛の家庭教師』が2クールごと放送され、両者の視聴率は『スマスマ』から引き続けて見る視聴者が多かったため苦戦していたわけではなかったが、いずれも俳優や女優(『恋愛の家庭教師』は木村佳乃が司会)していたため最初から長続きするつもりでは無い期間限定番組との説もある。
  • その後の1999年10月に世界各国を回りながら恋愛をメインとした番組、『あいのり』を放送開始。世界を舞台に一般市民の恋を見守る事が開始当初から好評となり、テレビ朝日の月曜ネオバラエティを現在でも迷走に追い込み、この枠はこの番組が完全に天下を取った。
2000年代
  • この時代に入ったら午後9時・午後10時の番組は90年代編の通り全盛期よりは落としているものの好調であり局内の看板枠として一線を保っている。午後8時台は視聴率は落ちている物の、深刻な低迷にはなってなかった。それと同時に午後7時の番組も迷走状態が継続中となっていた。
  • だがそれまで良かった『月9』が2002年の『ランチの女王』終了以後、1度でも20%を取れないドラマばかりとなってしまい極端に低視聴率ではなかったとは言え同局の看板枠である為頭を悩ませていたが、それも1年少しの期間のみで、2004年の冬に放送された『プライド』は2年ぶりの木村拓哉が主役だった事もあり、毎回20%台をマークする高視聴率を稼いだ。ここから視聴率も回復し始め、その後、同年秋の『ラストクリスマス』や2005年春の『エンジン』、2006年冬の『西遊記』などが人気を博し、現在では完全復権した。そのため、2006年春には『TVタックル』以外の番組を打ち切り又は時間帯移動に追い込んだ。
  • 関東地区の午後7時台は幾つかの番組を送るも、撃沈し、2005年春、切り札策として水曜バラパラで高視聴率を得ていた、『ネプリーグ』を投入する。これも開始当初は裏番組に苦戦していたが、夏頃から人気が出始め、現在では、「フレパー2」とほぼ互角に戦い、内容によっては、勝つ回も増えて来た。そして『月アニメ7』(日本テレビ・よみうりテレビ系)の勢いを止め、人気アニメである『名探偵コナン』の視聴率を一桁に落とす事もあった。そして2006年春にはテレビ朝日の月曜時代劇を火曜に移動させ、テレ朝の月曜を毎週2時間放送(「月バラ!」SPとテレ朝で午後8時から放送している「奇跡の扉 TVのチカラ」SP)にする快挙を成し遂げた。
  • 『HEY!HEY!HEY!』は2005年春、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に大幅リニューアル。関東では1つ前の番組『ネプリーグ』の人気上昇と共に視聴率も回復し、15%近い視聴率を推移。他局の裏番組と互角に戦っており、音楽番組の視聴率でもトップ5にほぼ毎週ランクインしている。
  • 『SMAP×SMAP』は最盛期よりも視聴率は落ちている物の、それでも平均視聴率は15%を越えており、内容によっては20%を越える事もあるため、人気が衰えることは無く、高い人気を誇っている。
  • 『あいのり』は2000年に入ってからも、人気は衰えず、現在でも15%前後の視聴率を取る高い人気を誇っている。
  • 現在放送している、午後7時の『ネプリーグ』(関東地区など)・『快傑えみちゃんねる』(関西地区のみ)→午後8時の『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』→午後9時の『月9(現在は『サプリ』)』→午後10時の『SMAP×SMAP』→午後11時の『あいのり』はどれも好評を博していて、またここがプロ野球中継で中止・後の番組が繰り下がりになることも殆ど無いことから、まさに、黄金の月曜日と呼ぶのにふさわしいラインナップとなっている。

テレビ東京の苦戦(テレビ東京の魔の月曜日)

火曜日

火曜午後7時台

長らく30分番組が多く放送されていたこの時間帯では、さまざまなバラエティ番組を中心に視聴率争いが繰り広げられている。

視聴率争いの激しかった番組一覧

それは秘密です!!他(日本テレビ)VSザ・チャンス!ぴったし カン・カン(TBS)VSサザエさん再放送火曜ワイドスペシャル(フジテレビ)VS藤子不二雄ワイド他アニメ番組枠(テレビ朝日)
  • この時間帯の視聴率争いは、1975年10月に日本テレビが始めた『それは秘密です!!』と同じ1975年10月にTBSが始めた『ぴったし カン・カン』での争いが出発点と言える。
  • 両者が視聴率争いをしている1976年にフジテレビが『火曜ワイドスペシャル』(通称:ワイスペ)をスタートさせて、その前に放送されていた『サザエさん』の再放送の視聴者を獲得したり、人気企画が多数放送されたりしたことなどから高視聴率を稼ぐようになり、巴戦を演じる。(特にドリフ大爆笑は有名)
  • その後、長らく午後7時台前半に人形劇や特撮ものを放送していたTBSは、1979年4月に『ザ・チャンス!』をスタートさせたことから、その後に放送される『ぴったし カン・カン』とともに1時間の視聴者参加クイズ番組が放送されたことから高視聴率を稼ぐようになった。1984年10月に『ニュースコープ』が放送時間を20分拡大させたことに伴い、19:20-20:00での放送になったことから、『ザ・チャンス!』が水曜日に移行、『ぴったし カン・カン』が10分拡大される形で続いた。
  • 一方、テレビ朝日は長らく30分アニメを2本放送していたが、1985年4月に始めた『藤子不二雄ワイド』が大ヒットする。
  • そんな中、『ぴったし カン・カン』が視聴者参加クイズ番組打ち切りのあおりを受けて、1986年3月に終了した。その後も『それは秘密です!!』が視聴率低迷で、『藤子不二雄ワイド』が『ニュースシャトル』スタートに伴い放送枠が確保出来なくなったことから、ともに1987年9月で打ちきられた。このため、しばらくは『サザエさん』再放送と『火曜ワイドスペシャル』の独壇場に近い形が続いた。
ムーブザッツ!(TBS)VSサザエさん再放送・火曜ワイドスペシャルVSさんまのナンでもダービー(テレビ朝日)
  • 長らく『サザエさん』再放送と『火曜ワイドスペシャル』の独壇場に近い形が続いたが、1992年10月にTBSが『ムーブ』(1年後に『ザッツ!』)を、1993年4月にテレビ朝日が『さんまのナンでもダービー』をスタートさせたことで、再発することになる。
  • 『ムーブ』で放送された『三宅裕司のぎゃっぷウォーズ』と『三宅裕司の!どこが違うの?』は低迷したものの、『ザッツ!』で放送された『ウェディングベル』は大ヒット、『ザッツ!』終了後も引き続き放送されることになり、高視聴率を稼ぐ。
  • 『さんまのナンでもダービー』は人気企画が多数出るなど、視聴率的にも悪くなかったものの、ゲストとのトラブルで生じたスタッフとの考えの相違から1995年9月で終了、『ウェディングベル』と『サザエさん』再放送・『火曜ワイドスペシャル』の一騎打ちがしばらく続いた。
  • 視聴率低迷が続いていた日テレは1997年10月に『伊東家の食卓』をスタートさせて、開始当初こそ9~12%程度と苦戦していたが、裏ワザを中心に放送するようにリニューアルされ高視聴率を稼ぐようになった。
  • 一方、テレ朝は1995年10月に『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれが出来たら100万円!!』(通称:炎チャレ)をスタート、人気コーナーを多数放送したこと高視聴率を稼ぐ。
  • 他方、TBSは『炎チャレの』煽りを受けて『ウェディングベル』が終了。その後枠に高田純次、和田アキ子が司会を務める、人生相談を中心にしたヒューマンバラエティ『怪傑熟女!心配ご無用』(通称:怪傑熟女)をスタートした。
  • そして、1999年頃になると、『伊東家の食卓』と『怪傑熟女』がリードし、『炎チャレ』がそれを追う展開となる。そして、『炎チャレ』は『伊東家の食卓』の人気に勝てなくなったため、2000年3月で終了。TBSも『怪傑熟女』がマンネリ化してきたことやフジテレビも低迷していたことから、『伊東家の食卓』の独壇場に近い形となる。(CXのカスペ!は時々高視聴率も出るが番組内容による)
伊東家の食卓vsぴったんこカン・カン(TBS)vsカスペ!(フジテレビ)vsアニメ番組(テレビ東京)
  • 『伊東家の食卓』が根強い人気を得ている中、TBSが2003年4月に『ぴったんこカン・カン』をさせるが、その前の時間帯に放送されていた『探偵学園Q』が低迷していたあおりを受けて低空飛行を続けていたものの、半年後に『探偵学園Q』が放送時間帯を移行したことに伴って、この時間を吸収する形で放送時間を倍増、この時期から人気を得るようになった(ちなみに、『ぴったんこカン・カン』の司会を務める安住紳一郎アナウンサーは、2000年10月から2001年3月まで火曜午後7時枠で放送されていた『おウチに帰ろう!』の進行役を務めていたが、視聴率不振のため半年で打ち切りとなるという今では考えられない過去があった)。
  • フジテレビはアニメ・バラエティ枠などが不振だったため、『火・曜・特・番!!』、『火曜ワイドスペシャル』、バラエティ番組を経て、現在は『カスペ!』が放送されている。
  • 一方『伊東家の食卓』は2003年春までは20%以上の視聴率を常に取っていたが、番組内容がややマンネリ化してきた為にそれ以降は16~18%ぐらいに落ち着くようになった。
伊東家の食卓vsぴったんこカン・カンvsカスペ!vsマシューTVテレビ朝日火曜時代劇(テレビ朝日)vsアニメ番組
  • 2005年に入り『伊東家の食卓』、『ぴったんこカン・カン』が火曜午後7時台を制していた、『旅の香り時の遊び』(現在の『旅の香り』)もその後を追っていた。
  • そんな中『旅の香り』が日曜に移るに従い、深夜で高視聴率を取っていた『マシューTV』を2005年10月からスタートした。
  • しかし視聴率は『旅の香り』時代よりも悪く、視聴率も低迷。グルメ企画をやるもほぼ同じテーマを行っている『伊東家の食卓』、『ぴったんこカン・カン』が圧倒的に有利だったこと、『カスペ!』もSPで好評だった企画をどんどん行ったこと。ついには『アニメ番組』にも抜かされたため半年で終了した。
  • 後番組は低迷だった月曜日から移動した時代劇枠で『マシューTV』よりは改善されている。
  • 現在は『ぴったんこカン・カン』がリードし『伊東家の食卓』が野球中継の連発などにより落ち気味である、その後を『カスペ!』、『アニメ番組』、時代劇と後を追っている。

火曜午後8時台

この時間帯は長らくNHKの演歌を主力とする音楽番組を中心にした視聴率争いが繰り広げられている。

視聴率争いの激しかった番組一覧

NHK歌謡コンサート(NHK総合)VS踊る!さんま御殿!!(日本テレビ)VS学校へ行こう!MAX(TBS)VSカスペ!(フジテレビ)VS最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学(ABC・テレビ朝日系)
  • 現在は上記の番組が視聴率争いを繰り広げているが、NHK以外は様々な番組を経て現在に至っている。
  • 日本テレビは長らく時代劇を放送していたが、1997年10月に『踊る!さんま御殿!!』(通称:さんま御殿)を始めると、たちまち高視聴率になり、この時間帯の視聴率上位を占めている。
  • TBSは長らくドラマを放送していたが、後にローカル枠となり、全国枠に戻っている。
  • フジテレビは長らくレギュラー単発番組『火曜ワイドスペシャル』を放送していたが、1997年10月に木曜に単発枠を移し一時期時代劇などの1時間枠になり、再びレギュラー単発番組が復活する歴史をたどっている。
  • テレビ朝日はもともとテレビ朝日制作枠を放送していたが、火曜スーパーワイド火曜ミステリー劇場の2時間単発時期をはさんで、1992年10月以降ABC枠になって『たけしの万物創世記』が大ヒットしている。
  • NHKは番組名が何回か替わったものの、演歌を主力とする音楽番組を一貫して放送しており、現在は『NHK歌謡コンサート』が放送されている。
  • 2006年4月現在の視聴率は『NHK歌謡コンサート』と『踊る!さんま御殿!!』が一歩リードして、『学校へ行こう!MAX』と『カスペ!』、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』が追う展開となっている。
  • なおテレビ東京系列はローカル枠となっており、争いには加わっていないようである。近年では『教えて!ウルトラ実験隊』が捏造事件で改編を待たずして打ち切られ、『三宅式こくごドリル』もボビー・オロゴンが暴行事件を起こしたことに伴い、半年で打ち切られた。そして現在、『奥さまは外国人』を放送しているものの、視聴率的に惨敗している。

火曜午後9時台

この時間帯は長らく日本テレビの『火曜サスペンス劇場』(通称:火サス)とフジテレビの『なるほど!ザ・ワールド』(通称:なるほど)が高視聴率を稼いでいた時間帯である。あらゆる層に視聴されていた『なるほど』が常に20%以上の高視聴率を獲得しトップとなり、主婦層に強い『火サス』がそれを追う形2位になることがしばしであった。

視聴率争いの激しかった番組一覧

火曜サスペンス劇場(日本テレビ)VSギミア・ぶれいく(TBS)なるほど!ザ・ワールド(フジテレビ)VS
  • 1980年代まで上記の通り、『なるほど』・『火サス』の順々で人気枠として定着されていたが、1989年10月にそれまで『火曜ロードショー』等の映画枠を行っていたTBSが2時間枠の大型エンタテインメント番組『ギミア・ぶれいく』を立ち上げたことで巴戦が勃発。
  • 『ギミア・ぶれいく』は、「史上最強のクイズ王決定戦」やアニメ「笑ゥせぇるすまん」など、人気企画を多数放送したことから、『火サス』と『なるほど』にも影響が生じ、特に『なるほど』は20%を割り出し、同時間帯の3位にまで転落するようになったことも多くなった。
  • しかし、『なるほど』ここで黙ってはおらず、リニューアルを計り、ゲスト解答者や番組レポーターを大幅に変更させ、新たに番組の顔として登場したトランプマンを迎えたことにより、人気を取り戻した。こうして『ギミア・ぶれいく』は徐々に人気を衰退させたことから、1992年9月に終了したことによって、再び『火サス』VS『なるほど』の2大対決となった。
火曜サスペンス劇場(日本テレビ)VSなるほど!ザ・ワールド(フジテレビ)VS開運!なんでも鑑定団(テレビ東京)
  • 1981年の秋改編で『火サス』と『なるほど』が始まり、両番組が高視聴率を稼ぐ一騎打ちの時期が長らく続いていた。
  • ところが、1994年4月に一騎打ちへ割って入る番組が出て来た。テレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』である。当初の約1年間は低迷したが、1995年に入ると『なるほど』のマンネリ化とリニューアルの失敗により、『開運!なんでも鑑定団』が高視聴率を稼ぎ出したため、10%~15%ほどに低迷させて、1996年3月に打ち切りへと追い込んだ。その後は『平成教育委員会』同様、不定期特番として放送されるようになる。
  • なお、TBSは1995年9月まで連続ドラマ枠だったが、こちらも人気低迷していたため、翌月の10月にとんねるずのバラエティ番組へと切り替わったが、こちらも人気が伸び悩み翌年10月に石橋貴明のみを残し、木梨憲武に代わり中居正広を起用した音楽番組『うたばん』を開始したことで定着するようになった(後に同番組は木曜午後8時台に移行された)。
  • 朝日放送制作枠を放送していたテレビ朝日は、1988年4月~1991年9月の火曜スーパーワイド火曜ミステリー劇場の2時間単発番組時期をはさみ、必殺仕事人・激突!→ドラマ、ドキュメントやバラエティ枠など、何回かの路線変更をしたものの、劣勢続きとなり、1997年10月開始の『人気者でいこう!』でようやくそこそこの人気を得られるようになった。
  • このことから、それまでの間は『火サス』と『開運!なんでも鑑定団』の一騎打ちへと変わっていく。
プロジェクトX~挑戦者たち~ニュースウオッチ9(NHK総合)VSDRAMA COMPLEX(日本テレビ)vsガチンコ!ズバリ言うわよ!(TBS)vsフジテレビ火曜9時枠の連続ドラマvsロンドンハーツ(テレビ朝日)vs開運!なんでも鑑定団(テレビ東京)
  • 『なるほど』が終了した後は、フジテレビは連続ドラマ枠に転換。その枠で『ナースのお仕事』シリーズ、『踊る大捜査線』『神様、もう少しだけ』、『救命病棟24時』などが高視聴率を挙げていたが争いとしてのメインは『火サス』と『開運!なんでも鑑定団』の一騎打ち状態が続いた。そして1999年春にTBSがTOKIOメインのバラエティ番組『ガチンコ!』がスタート。当初はTOKIOが社会問題に体当たりするという内容だったが、9か月後にスタートしたガチンコファイトクラブが人気となり視聴率20%以上を叩きだす人気番組となる。また、2000年4月にNHKが『プロジェクトX』をスタートさせると、ある商品や出来事にかかわった人物を取り上げる内容が、サラリーマンや中高年齢層の共感を呼んだことから高視聴率になる。
  • その後2001年10月に、1999年4月から2年半にわたって日曜午後8時台で放送されていた、テレビ朝日の『稲妻!ロンドンハーツ』が、火曜午後9時台だった朝日放送(ABC)枠との交換に伴って火曜午後9時台に移動、『ロンドンハーツ』に番組名を変更するが、番組改編期や年末年始を中心に放送されている長時間の特別番組を中心に高視聴率を稼ぐようになり、現在も放送されている。
  • 一方、『ガチンコ!』は人気絶頂期だった2002年夏にやらせ発覚とガチンコファイトクラブの塾生が暴行事件で逮捕されると同時期に視聴率も急落。ファイトクラブはその後打ち切りとなり2003年以降は初期の内容やバラエティ企画メインに路線変更するも視聴率は回復せず2003年秋の改変期を待たずに打ち切り。その後枠に深夜番組で好評だった『ブーケをねらえ!』をリニューアルした愛と誠を開始させるも、視聴率が悪くて2003年12月に打ち切られた。一方で『火サス』も人気に陰りが出たころだったので、こちらに流れ込むような動きは無かった。
  • そして、火曜午後9時台の視聴率争いの勝負を決定づける番組が登場する。2004年8月に人気占い師の細木数子タッキー&翼滝沢秀明くりぃむしちゅーが出演するTBSの『ズバリ言うわよ!』である。『ズバリ言うわよ!』が始まると、『ズバリ言うわよ!』が独壇場となって裏番組が苦戦、2005年9月に『火サス』が、2005年12月に『プロジェクトX』が打ち切られる状態になった(同時にやらせ疑惑→発覚もあったため)。
  • 『火サス』を打ち切った日本テレビは2005年11月に『DRAMA COMPLEX』(通称:ドラコン)をスタートさせるが、初回のドラマ「火垂るの墓」の視聴率は20%以上と高視聴率だったものの、それ以降は『火サス』時代よりも低い視聴率に悩まされている。
  • 視聴率は今の所、『ズバリ言うわよ!』が大きくリード。その後をドラマ枠、『ロンドンハーツ』、『なんでも鑑定団』が追い、『ドラゴン』がさらにその後を追っている。

火曜午後10時台

現在は・クイズ日本の顔プライスの謎(共にNHK)、DRAMA COMPLEX(日本テレビ)、リンカーン(TBS)、関西テレビのドラマ枠(関西テレビ・フジテレビ系)、報道ステーション(テレビ朝日)、ガイアの夜明け(テレビ東京)を放送中。

主な動き

  • そして、午後9時台同様『火サス』を放送していたこの枠は、1980年から2000年代まで、朝日放送(ABC)、関西テレビ放送(関西テレビ、KTV)、毎日放送(MBS)など、関西制作局が放送する全国ネット番組の視聴率争いだった。また、同時刻にはテレビ朝日の『ニュースステーション』→『報道ステーション』などがあるが、ここでは報道番組以外の視聴率争いを扱うことにしよう。中でも毎日放送制作の『ジャングルTV~タモリの法則~』(通称:ジャングルTV)と関西テレビ制作の『三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』(通称:愛ラブ!爆笑クリニック)での争いが比較的知られている。
  • かつて70年代のこの枠はABCの「プロポーズ大作戦」が独走態勢であったが、1980年代になると失速するようになった。そして、1985年に番組は打ち切られた。
  • 一方、その頃関西テレビは『影の軍団』シリーズを放送。その後1985年10月に『影の軍団』は月曜日に移動となり、月曜の同時間から桂三枝司会のトーク番組『愛ラブ!爆笑クリニック』が入ってきた。その後は1990年代中盤まではこちらが主導権を握るようになる。
  • そしてMBSは1992年、『怪傑!ドクターランド』から同時間がMBS枠となり、しばらくヒット番組も出ないままでいたが、1994年4月、タモリ司会の『ジャングルTV』がスタートする。『ジャングルTV』も放送開始当初はお笑い番組だったが、後にジャングルクッキングというコーナーをスタートさせたことによって高視聴率を稼ぐようになり、遂に『愛ラブ!爆笑クリニック』が弱体化をみせた。
  • その後『愛ラブ!爆笑クリニック』は1995年9月の30分スペシャルをもって終了。その後は『ジャングルTV』が主導権を握るようになる。しかし、1998年に裏番組『スキヤキ!!ロンドンブーツ大作戦』に押され、更に2000年代に入ると、ジャングルクッキングなど、人気コーナーが廃止されたや『ジャングルTV』も失速し、2002年秋で打ち切られた。
  • 『ジャングルTV』終了後、『タモリのグッジョブ!胸張ってこの仕事』を開始させたが視聴率が延びず終了。その後『世界バリバリバリュー』が始まったが、水曜夜10時台に移動、現在は『リンカーン』を放送している。
  • 現在は『報道ステーション』、ドラマ枠が一歩リードしていて、他の4番組がほぼ10%前半で落ち着いている。

テレビ朝日・黄金の火曜日

また、黄金の金曜日同様、1990年代後半には『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!!』から深夜の『「ぷっ」すま』まで人気番組が多く、「テレビ朝日の黄金の火曜日」と称される時期があった。

火曜7時台は94年まで不毛続きだったが、95年に『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー』が開始させると、イライラ棒などの人気コーナーなどか高視聴率となり、火曜7時は「炎のチャレンジャー」が天下を取るようになった。一方日本テレビは、対抗する形で97年に『伊東家の食卓』を開始。当初は情報番組で「炎のチャレンジャー」に苦戦されていたが、翌年に裏ワザをメインにリニューアルすると、視聴率もたちまち上がり、同時にTBSも『解決熟女!心配ご無用』も好調になり「炎のチャレンジャー」は低迷し、99年に惜しし詰まれつつ最終回を迎えた。その後『いきなり!黄金伝説』が始まったものの、『伊東家の食卓』には勝てず、1年後、木曜日に移動。以降テレ朝火曜7時は5年間、迷走状態になってしまった。幾つかのバラエティ番組を送るも撃沈し、2006年4月に低迷だった月曜日から移動した時代劇枠となる。時代劇は苦戦が続いているものの、前番組より改善されており、ある意味安定している。

火曜8時台はもともとテレビ朝日のドラマ枠であったが、ABC枠に交換し、同時に『たけしの万物創世記』により大ヒットし、視聴率も安定していた。2001年に終了し、その後こちらも迷走なり、何回もの番組変換をし、現在は『たけしの本当は怖い家庭の医学』を放送していて、何とか安定している。

火曜9時台も、当初は苦戦されていたが、ABC枠に交換して『人気者で行こう!』が開始、ようやく人気を出し、中でも「芸能界格付けNO.1決定戦」が特に人気を誇っていた。2001年に日曜8時と枠交換という形で(その後日曜8時にはリニューアルした『弾丸!ヒーローズ』が放送されたが、視聴率低迷により終了。)、後番組の『ロンドンハーツ』がでた。当初こそあまり思わしくなかったが、人気コーナーを徐々に出してゆき、現在はスペシャルを中心に視聴率を獲得している。

その後10時台『ニュースステーション』(現在の『報道ステーション』)、11時15分からの『「ぷっ」すま』も裏の火曜バラパラを低迷に追い込み、現在も人気も絶えず放送している。但し関西地区はナイトinナイトごきげん!ブランニュ)がその時間帯に放送され、こちらは安定はしているが『「ぷっ」すま』は『たかじんONEMAN』(MBS)に被る影響で視聴率が低迷気味である。

水曜日

水曜午後7時台

かつて鳥山明原作のアニメが1980年代前半から1990年代後半までの主導権を握るが、その裏でも数々の争いがあった。ここでは、午後7時台前半の争いを主に扱うことにしよう。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

追跡どちら様も!!笑ってヨロシク(日本テレビ)VSDr.スランプドラゴンボールZ(フジテレビ)VS目撃!ドキュン(テレビ朝日)
  • かつて水曜午後7時台は、朝日放送(ABC)が制作してテレビ朝日系列で全国放送していた『霊感ヤマカン第六感』が独走態勢だった。(セールス上はローカル扱いのため広島ホームテレビ等異時ネットの局もあった)
  • その後、フジテレビは1981年に週刊少年ジャンプで大好評だった『Dr.スランプ』をアニメ化し、『ドクタースランプ』と『霊感ヤマカン第六感』の視聴率争いが勃発した。
  • 一方、TBSは1982年秋に、『Dr.スランプ』と対抗するために親子向けクイズ番組『親子クイズ国語算数理科社会』を開始させたが、結果としては『Dr.スランプ』に水を開けられ、半年で番組は打ち切られた。
  • しかしその余波は『霊感ヤマカン第六感』にも及んでしまい、1983年頃になると視聴率が低迷し始めたため、1984年に終了。その後同じABC制作枠にみのもんた司会の『ABOBAゲーム』を投入するも、結果としては『Dr.スランプ』には勝てず、1年弱で打ち切りとなった。
  • しかし、ここにきて『Dr.スランプ』にも陰りが見え始めてきた。恋愛を描くのが大の苦手だった鳥山は編集者に連載の終了を要望した。その結果、『Dr.スランプ』は1984年8月に連載を終了。その後11月に『ドラゴンボール』を連載するようになる。原作漫画のネタを使い切った1985年3月以降はアニメオリジナルストーリーとし、主題歌の変更などリニューアルが図られたが以前ほどの視聴率は稼げず、アニメ版の『Dr.スランプ』はついに1986年2月に終了。その翌週に『ドラゴンボール』がアニメ化されることになる。
  • 『ドラゴンボール』開始当初は、視聴率が余り思わしくなかった。しかし、話が進んでいくうちに次第に上昇し、20%超えすることも珍しくならない程まで視聴率が上昇した。そして1989年には『ドラゴンボールZ』として再出発。こちらも人気となった。
  • そして、テレビ朝日はその後ABC制作枠を打ち切り、1987年に月曜日から金曜日の19:20-20:00枠で『ニュースシャトル』を開始、『ニュースシャトル』が枠移動した後、人気アニメだった『つるピカハゲ丸』を『ドラゴンボール』の真裏に枠移動。しかし、この枠移動が大失敗したため、半年後に打ち切られた(アニメでは公表されなかったものの、ハゲ丸の声優だったつかせのりこは、この時既に他界されていた。)。
  • しかし、そのテレビ朝日もこれに黙ってはいるはずもなく、今度はかつて17年にわたって放送してきた人気クイズ番組『クイズタイムショック』を、1989年10月にフリーアナウンサーになって半年の生島ヒロシの司会が務める形で、『ドラゴンボールZ』の真裏で復活させた。しかし、田宮・山口時代と比べてかなり軽い内容だったことが不評だったため、人気絶頂だった『ドラゴンボールZ』にも大苦戦、結果としてこちらも半年で打ち切られてしまい、生島時代の『クイズタイムショック』はなかったことにされている。
  • それからしばらくの間、『ドラゴンボールZ』がこの時間で常にトップに立つようになる。そして、フリーザ編~セル編の頃は、人気もピークに達していたことから子供達の楽しみも考え、夏場のフジテレビの水曜日のプロ野球中継の数を減らしたり、また、水曜日にプロ野球中継があっても、優勝決定などの大事な試合以外は『ドラゴンボールZ』を通常放送し、午後7時30分から野球中継にするなど編成自体努力をするようになる(これは、同じ週刊少年ジャンプで連載していた『幽☆遊☆白書』も同様で当時フジテレビの土曜日のプロ野球中継は午後6時30分から開始されていたが、当アニメが全盛期だった頃は土曜日の野球中継は午後7時からだった)。
  • そして、1994年春には日本テレビがそれまで帯で放送していた『追跡』が終了することに伴い、午後7時30分から放送していた所ジョージ司会のクイズ番組『どちら様も!!笑ってヨロシク』が時間拡大し、午後7時からの放送となった。一方、同じ時期にテレビ朝日もクイズ路線をやめ、ラサール石井司会のヒューマンバラエティ『目撃!ドキュン』を開始させた。
  • 『どちら様も!!笑ってヨロシク』は、1時間化後に人気を加速し、1時間化からさらに半年後には、遂に立場は『ドラゴンボールZ』と逆転をするようになる。また、当時はJリーグブームでもあり、毎週、水曜と土曜にはどこかの局で中継も組まれて、高視聴率を獲得していたこと、番組のメインファンだった子供の塾通いが増えて、この時間帯にテレビを見る子供が少なくなったことから、『ドラゴンボールZ』は一気にここにきて弱体化を見せ始めた。すでにこの頃には『ドラゴンボール』も、作者の鳥山が連載終了を要望していたこともあり、1995年5月に週刊少年ジャンプでの連載を終了した。その影響もあり、TVアニメ版『ドラゴンボールZ』は1996年1月31日に終了した。しかし、その頃になると『どちら様も!!笑ってヨロシク』も視聴率が低迷するようになり、『ドラゴンボールZ』の後を追うように1996年6月19日をもって打ち切られた。
  • 『ドラゴンボールZ』を終了したフジテレビはその後枠にオリジナルアニメ番組『ドラゴンボールGT』をスタート。そして、その後の午後7時30分には同じ週刊少年ジャンプで連載されていた『るろうに剣心』をほぼ同じ時期にアニメ化した。一方、『どちら様も!!笑ってヨロシク』を終了した日本テレビも前枠から引き続き所ジョージが司会の旅番組風バラエティ番組『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』(通称:笑ってコラえて!)を1996年7月3日に開始。こちらも高視聴率を稼ぐようになる。その影響もあってか、『ドラゴンボールGT』は大きな期待はあったものの、完全なオリジナルのストーリー展開が受けなかったために2話以降は視聴率20%を下回る事が多くなり、1997年11月19日に終了。同じ時期にスタートした『るろうに剣心』も視聴率低迷で1997年秋より火曜日の同時間帯に枠移動となった。その空いた水曜午後7時30分枠に、SMAPの中居正広が初めてクイズ番組の司会を務めた『中居正広のボクらはみんな生きている』(通称:ボク生き)がスタート。こちらも大きな期待はあったものの、視聴率は笑ってコラえてには勝てず、やはり1年で土曜日(サタスマ1部)に枠移動された。
  • 『ドラゴンボール』シリーズを終了したフジテレビ水曜午後7時前半枠は、かつて一躍人気を博した『Dr.スランプ』を現代版にアレンジして放送することとなった。しかし、1998年後期頃からヒューマンバラエティーが高視聴率を獲得するようになり、ここにきて『目撃!ドキュン』も最高で15%以上獲得し、『笑ってコラえて!』と、『目撃!ドキュン!』が筆頭に立ち、その後を追う形で『Dr.スランプ』と並ぶようになる。そして、その半年後に長らくアニメに敗れ続けていたTBSが視聴率改善目的で、この枠を毎日放送(MBS)制作枠にすることとなった(なお、1999年3月に終了した『特捜!芸能ポリスくん』に付いていたスポンサーは、4月以降はTOKIOが出演していた人気番組『ガチンコ!』のスポンサーになった)。しかし『Dr.スランプ』は視聴率が改善しなかったため、1999年9月で打ち切られた。後番組は鳥山の影響を受けた尾田栄一郎の『ONE PIECE』となり、『Dr.スランプアラレちゃん(第1期)』から続いた鳥山作品は終焉を迎える。その『ONE PIECE』も2001年春のアニメ枠再編の煽りを受け日曜に移動、深夜及びローカル枠を除く平日のアニメ枠が消滅することとなった。
1億人の大質問!?笑ってコラえて!(日本テレビ)vs.まんが日本昔ばなしあなた説明できますか?おいしいビンゴ旅(毎日放送・TBS系)vs.爆笑・おすピー番組→クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ)vs.スイスペ!愛のエプロン(テレビ朝日)vs.アニメ番組(テレビ東京)
  • ここからは2000年代に入ってからの番組を述べる、水曜午後7時は『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』(通称:笑コラ)が独走状態だった。そんな中2001年秋にテレビ東京が『いい旅・夢気分』を水曜午後8時に移動、新たにアニメ『テニスの王子様』、『ヒカルの碁』をスタートし水曜午後7時をアニメ枠にした。フジテレビも2002年春、爆笑問題おすぎピーコ司会の『ハッピーボーイズアワー!爆笑おすピー問題』を開始した。(テレビ朝日はこの頃『スイスペ!』(土曜日の『ドスペ!』の前番組)を放送していた)。
  • 前術の結果はテレビ東京は成功だったが、TBSとフジテレビは苦戦している状況が続いた。2002年~2005年頃はTBSは毎日放送(MBS)制作のいくつかの番組を送るも結果としては失敗状況が続いていた。そんな中2003年に『ヒカルの碁』が終了(理由は不明)。後番組は『NARUTO』となった。
  • 2004年に入るとフジテレビは『爆笑おすピー問題』が低迷していたため、秋に『爆笑おすピー大問題』とリニューアルするも視聴率は下降していった。同時にテレビ朝日は『スイスペ!』を土曜に移動し深夜で好評だった『愛のエプロン』、『銭形金太郎』(水曜午後8時)をスタートした。関東地区ではどちらも安定した(2桁の)視聴率を取っている。(関西地区では阪神戦の乱発により、『愛のエプロン』、『銭形金太郎』(水曜午後8時)の視聴率がやや低迷気味である。)
  • 2005年春、フジテレビはおすピーを降板させ、新たに『爆笑問題☆伝説の天才』をスタートさせたものの、視聴率低下をさらに加速させてしまったため、同年秋、爆笑問題(おすピー)の続いた3年半のクイズ番組に幕を閉じた。こうして爆笑・おすピー問題シリーズは全て失敗に終わった。後番組に水曜午後8時からの『クイズ!ヘキサゴン』をリニューアルした『クイズ!ヘキサゴンII』をスタートし何とか視聴率は安定している。テレビ東京は同年春に『テニスの王子様』が原作に追いついたため、終了。後番組は『アイシールド21』となる。
  • 一方のTBSは2005年春から『水曜特番』を導入するが、わずか半年で終了(つなぎ番組だったと思われる。)。秋から後番組に『まんが日本昔ばなし』と『あなた説明できますか?』(2006年7月から『おいしいビンゴ旅』と番組名を変更して放送継続されるが、9月での終了が決まっている。)、水曜午後8時に『全員正解あたりまえ!クイズ』(2006年2月8日終了、現在は『ドリーム・プレス社』。)を導入するものの、午後7時台は苦戦している。
  • 現在は『笑コラ』がリードしており、その後を『クイズ!ヘキサゴンII』、『愛のエプロン』、アニメ番組、『まんが日本昔ばなし』・『あなた説明できますか?』(2006年7月から9月まで『おいしいビンゴ旅』)と追う形になっている。

水曜午後8時台

1960年代~1980年代が中心だった「#土曜午後8時台」は主にバラエティー番組だったが、1990年代が中心だった水曜午後8時の視聴率争いは主にクイズ番組だった(他にクイズ番組の視聴率争いは、日曜午後7時のMBS・ABC制作の視聴者参加クイズもある)。そして2000年代21世紀)に入るとサラリーマンや中高年齢層(主にお年寄り高齢者))を主力とするNHKとテレビ東京の番組が高視聴率を取り、OLや若年齢層(主に10歳代)を主力とする民放4局(日本テレビ・TBS・フジテレビ・テレビ朝日)の裏番組が低視聴率で苦戦や放送時間帯の移動又は打ち切りに追い込まれるという状況へと変化している。但し、この視聴率争いは日本テレビの『速報!歌の大辞テン!!』が終了した2005年春以降になって注目され始めた視聴率争いだと言えるため、まだ余り知られていない。

また、有名なところとしては日本テレビの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』とTBSの『わくわく動物ランド』の視聴率争いが挙げられるが、サラリーマン・中高年齢層を主力とするテレビ東京の『いい旅・夢気分』が放送時間帯を水曜日午後8時台へ移動させた2001年10月以降は、サラリーマンや中高年齢層を主力とするNHK総合テレビの『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』が高視聴率を取り、OLや若年齢層を主力とする民放4局の裏番組が低視聴率になったことから、苦戦や放送時間帯の移動又は打ち切りに追い込まれるという形が2006年初めまで続いていた。特にTBSでは『オフレコ!』→『恋のバカヤロー!』→『黄金筋肉』→『ぶっちゃけ!99』が打ち切られており、午後7時台を統合した2時間の『水曜特番』を放送後、『アッコにおまかせ!』と『水曜特番』で好評だった『全員正解あたりまえ!クイズ』を放送したものの、やはり低視聴率で2006年2月8日に打ち切られたため、同じく『水曜特番』で高視聴率を稼いだ番組『ザ・ドリームプレッシャー』を中心にレギュラー化した『ドリーム・プレス社』にバトンタッチして、ようやく改善の兆しが見えるようになった。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ)VSわくわく動物ランド(TBS)
  • 1983年4月にTBSが『わくわく動物ランド』をスタートさせ、世界各地の珍しい動物達がこの番組で紹介されるなどして、一躍人気番組になる。そして、放送開始から2年後の1985年1月30日には番組最高視聴率を獲得した。
  • 一方、日本テレビは幾つかの番組を水曜午後8時枠に送るも、結果としては『わくわく動物ランド』に撃沈される結果となってしまった。そこで、「日本テレビクイズプロジェクト」を発足してその第1弾となる『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』を1988年10月に「わくわく動物ランド」の裏でスタートした。
  • 『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』はスタートしてすぐの頃に視聴率が1桁という回が続いていたが、司会(店長)の逸見政孝と解答者だった山城新伍らとのやりとりや、逸見と山城の対決などが人気となり、回を重ねる毎に上昇していき、1990年に入ると遂に『わくわく動物ランド』と逆転する立場になった。さらに、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の前に始まる所ジョージが司会のクイズ番組『どちら様も!!笑ってヨロシク』も高視聴率となったため、裏番組だったフジテレビの『クイズ!年の差なんて』を木曜日に移動(その際に30分→1時間に拡大)すると共にNHK総合テレビの『連想ゲーム』を終了にまで追い込み、これらとセットで見ていた視聴者も多かった事から水曜夜の日本テレビは「日テレクイズライン」とまで呼ばれる様になる(その後、『どちら様も!!笑ってヨロシク!!』は1994年3月の『追跡』の帯解消後に1時間枠に発展し、それまで鬼門だった裏番組の『ドラゴンボールZ』と遂に立場を逆転することにも成功する。)。
  • 一方、視聴率を『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』に奪われた『わくわく動物ランド』は、解答方式を個人戦からチーム戦にしてリニューアルしたものの、結果としては失敗し、1992年3月の2時間スペシャルを以て9年間の歴史に幕を降ろすこと事になる。それから2年間、常にこの時間は『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』がリードすることになった。
ためしてガッテンVSクイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ)VSクイズ悪魔のささやき(TBS)
  • 『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』が人気絶頂期に達していた1993年12月25日、番組の司会者であった逸見が48歳の若さで急逝したため、このニュースは日本全国に大きな衝撃を与えた。『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』は1994年1月から司会者をつなげて番組を掛け持ちしていたが、3月16日放送分からは当時日本テレビアナウンサーだった福澤朗が2代目司会(店長)として就任した。
  • 一方、『わくわく動物ランド』の終了後に放送されたバラエティ番組の視聴率に伸び悩んでいだTBSは、再び水曜午後8時にクイズ番組を制作することになった。「一般視聴者参加の普通のクイズ番組では、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』に勝てない。」という理由から、敢えて貧乏人限定参加で、正解したら最高100万円の賞金が獲得できる番組『クイズ悪魔のささやき』を1994年5月11日にスタートさせた。初回視聴率は12%とまずまずの出出しで、日本テレビがプロ野球中継になる回は視聴率が上昇し、6月には20%超えをする事になる(しかし、当時はJリーグブームでもあった事から、日本テレビが巨人の主催試合を組んでいる裏でTBSが横浜マリノスの主催試合を編成していたことや、TBSが横浜ベイスターズの主催で巨人戦が中心となる試合を組んでいる裏で日本テレビがヴェルディ川崎の主催試合を組んでいたこともあり、両番組とも休止された週もあった。)。
  • しかし、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』もこれに黙ってはいられず、1994年10月にクイズ趣向を変えたりした『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』にリニューアルし、10~12月クールは『クイズ悪魔のささやき』とデットヒートを争うこと事になったが、1995年1月に久本雅美が新たに司会(看板娘)として加入したあたりから番組のコンセプトからかけ離れたクイズが多くなり、遂に立場は『クイズ悪魔のささやき』に逆転されることになってしまう。
  • また、NHKは「健康ブーム」に乗り、サラリーマンと中高年齢層向けを主力とした『ためしてガッテン』を1995年4月5日にスタートさせ、安定した視聴率を取っていたため、『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』が急激に弱体化した一因ともなった。
  • 一方、『クイズ悪魔のささやき』も毎週15%以上の視聴率を出す人気番組となって定着はしたが、アンケートで子供に見せたくない低俗番組にランクインされたこと、さらに司会を務めていた古舘伊知郎和田アキ子が収録時間の長さなどから生じたスタッフとの考えの相違から、番組終了を要望していたことなどが理由で、1996年5月8日の2時間スペシャルをもって終了した。
  • そして、1995年10月に『新装開店!SHOW by ショーバイ2』として再リニューアルした『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』も番組の核であったミリオンスロットが廃止された事や、この頃には番組のテーマである「世界の商売」から大きくかけ離れていたこと、放送開始時から解答者だった山城やジャイアント馬場が1996年3月で降板し、視聴率が1桁にはなっていなかったものの、人気が下降していたことから、『クイズ悪魔のささやき』の後を追う様に9月に終了してしまった。一連の『SHOW by ショーバイ!!』シリーズ終了に伴い、この時間帯の視聴率争いが一時途絶えることになる。
ためしてガッテンVS速報!歌の大辞テン!!VSしあわせ家族計画(TBS)VS力の限りゴーゴゴー!!(フジテレビ)VSいい旅・夢気分(テレビ東京)
  • 『SHOW by ショーバイ!!』シリーズを終了させた日本テレビは、後番組としてゴールデンタイムでの音楽番組が6年半ぶりとなる『速報!歌の大辞テン!!』をスタートさせ、当時ミリオンヒットが増えるなど、音楽業界が盛んだった時期だった事と昔と現在のヒット曲が紹介される事から、家族全員で見られる内容だったこともあって高視聴率を稼ぐ。
  • また、TBSも1997年よりお父さんが番組から与えられた宿題を1週間でマスターし、スタジオで成功できたら豪華賞品を獲得できるチャレンジ番組『しあわせ家族計画』をスタートさせ、同番組開始から半年後には視聴率15%以上を獲得するなどの人気番組となった。さらに3年後の2000年にはそれまで放送されていたフジテレビの時代劇枠が廃止されたことに伴って、ネプチューンが司会を務めるOL・若年齢層を主力とした『力の限りゴーゴゴー!!』が枠移動し、『速報!歌の大辞テン!!』・『しあわせ家族計画』との巴戦に発展、再び「水曜午後8時」が再燃されることになる。
  • そんな中、視聴率を維持するためにテコ入れを図った『しあわせ家族計画』は、「私ならできる」というコーナーをスタートさせたところ、数多くの家族の夢を奪ったシガーボックスを成功させたまでは良かったが、番組コンセプトだった「お父さんへの宿題」から懸け離れることになったため、視聴率は低迷の一途をたどり、2000年9月で終了した。その頃からTBSの水曜日のゴールデン・プライムタイムの番組自体が低視聴率を連発する様になってしまう(詳しくは下の項「TBSの苦戦(TBSの魔の水曜日)」を参照)。
  • その一方で『速報!歌の大辞テン!!』は依然として家族全員で見られる番組として根強い人気があり、『「力の限りゴーゴゴー!!』もハモネプなどのコーナーで人気を得たため、この時間帯の視聴率としては2強の状態になる。しかし、『ためしてガッテン』がここに来てほぼ毎週20%以上の視聴率を獲得するようになる。そして2001年10月、テレビ東京は水曜午後7時枠がアニメ枠となることに伴いそれまで同枠から放送されていた長寿番組『いい旅・夢気分』を午後8時台に枠を移動させる(それまで水曜午後8時台は「絶品!地球まるかじり」が放送されていたが、火曜日午後8時代に移行した)、と、ほぼ毎週2桁の視聴率を上げるようになる。
  • 一方、『力の限りゴーゴゴー!!』は、『恋のバカヤロー!』に対抗するためハモネプのコーナーを廃止した後に視聴率が低迷状態となったため、『力あわせてゴーゴゴー!!』としてリニューアルを図るも失敗し、2003年3月に終了した。その後2年間の水曜午後8時枠は家族向け音楽番組の『速報!歌の大辞テン!!』とサラリーマンと中高年齢層向け番組の『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』の3強へと衣替えすることになる。
ためしてガッテン(NHK)VSいい旅・夢気分(テレビ東京)VSその他民放4局番組(サルヂエ中京テレビ・日本テレビ系)・全員正解あたりまえ!クイズドリーム・プレス社(TBS)・はねるのトびら(フジテレビ)・銭形金太郎(テレビ朝日))
  • 2003年4月から2005年3月まで『ためしてガッテン』と『速報!歌の大辞テン!!』、『いい旅・夢気分』の3強が視聴率争いを演じたが、『速報!歌の大辞テン!!』がミリオンヒットの激減から音楽業界が大きく衰退したことや音楽番組に対するアーティストの変化が1990年代に比べて大きくなっていたことなどの影響から、徐々に視聴率が低迷して来たため、2005年3月の2時間スペシャルを以て終了した。その後継番組だった『ミンナのテレビ』も番組開始から低視聴率状態が続いたため、半年後に『歌笑HOTヒット10』(→『ウタワラ』)にリニューアル、放送日時を日曜午後8時台(19:58~20:54)に移されたことから、『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』の2強時代が始まる。
  • 一方、民放4局もそれに負けじと深夜番組から『サルヂエ』・『クイズ!ヘキサゴン』(2005年10月からは19:00~19:57に放送時間帯を移動して番組名を改題)・『はねるのトびら』・『銭形金太郎』を、そしてTBSも毎週日曜日昼に放送中の『アッコにおまかせ!』から『全員正解あたりまえ!クイズ』を同時間帯に昇格させたが、視聴率は『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』に押される形となっていた(なお『全員正解あたりまえ!クイズ』は、裏番組の『サルヂエ』とのクイズ番組での視聴率争いを再び巻き起こすと意気込んでいたが、結果的には不発に終わる。)。
  • このような状態の中で、『全員正解あたりまえ!クイズ』が番組開始から視聴率が1桁と低迷したため、2006年2月8日で終了、やはり『水曜特番』で好評だった『ザ・ドリームプレッシャー』を中心にレギュラー化した『ドリーム・プレス社』にバトンタッチされた。
  • 現在では、『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』を中心に高視聴率を取っている状態ではあるが、『サルヂエ』・『ドリーム・プレス社』・『はねるのトびら』・『銭形金太郎』の民放4局番組が高視聴率になる週も出てきており、6番組の激戦状態が続いている。

水曜午後9時台

1980年代前半までのこの枠は、テレビ朝日の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(通称:欽どこ)が独走していた枠だった。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

  • 『欽どこ』が1986年9月に終了した後、『遊びにおいで~Come on-a my House』→『ナイトライダー』を経て、1987年4月に刑事ドラマが始まった。1987年度に放送された『大都会25時』と『ベイシティ刑事(べいしてぃこっぷ)』は低視聴率だったものの、翌年に開始した『はぐれ刑事純情派』と『さすらい刑事旅情編』が大ヒット、高視聴率を稼ぐようになる。
  • そんな中、フジテレビは2時間にわたる音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』(通称:夜ヒット)を放送していたが、平成に入ると他の民放の音楽番組同様に視聴率は低迷、1989年10月に『夜のヒットスタジオSUPER』としてリニューアルするのを機に午後10時台のみの放送に短縮、空いた午後9時台に『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(通称:やまかつ)を放送することになった。
  • その後、日本テレビは、1991年秋改編で2時間ドラマ『水曜グランドロマン』を打ち切り、『とんねるずの生でダラダラ生かせて!!』(通称:生ダラ)をスタートさせる。
  • 『生ダラ』をスタートさせたことで、『やまかつ』・刑事ドラマの巴戦を演じたが、『やまかつ』が低迷し、1992年3月で終了している。
とんねるずの生でダラダラいかせて!!VSウンナンのホントのトコロ(TBS)VS刑事ドラマVS女と愛とミステリー(テレビ東京)VS水9(フジテレビ)
  • 『やまかつ』終了後は長らく『生ダラ』と刑事ドラマの一騎打ちが続いていたが、1998年10月にTBSが『ウンナンのホントのココロ』(通称:ホントコ)を始めると、『生ダラ』・『ホントコ』・刑事ドラマでの巴戦となった。
  • そんな中、『生ダラ』は長らく司会を務めていた当時日本テレビアナウンサーの福澤朗が『ズームイン!!朝!』3代目キャスターとなったために降板、その頃からドッキリが主体となったため低迷し始める。その影響もあり、当初は1998年秋改編で終了し、後継番組もとんねるずが務めてリニューアルする予定だったが、番組内容などが固まらず、直前になって急遽番組は続けられる事となった。
  • 1998年10月に始まった『ウンナンのホントのココロ』は、開始当初に低視聴率となったが、てこ入れするために始めた「未来日記」コーナーが大ヒット、高視聴率を稼ぎ、生ダラを追い詰めていった。
  • フジテレビでは水曜劇場(いわゆる水9)を1997年から再開。『タブロイド』や『ショムニ』では高視聴率をキープするものの、それ以外のドラマはとんねるずの生ダラに苦戦する作品が多かった(再開第1作は木村拓哉主演の『Gift』だったが、生ダラに苦戦し、最高でも20%台前半止まりだった)。2003年からタモリの「トリビアの泉」が深夜番組から昇格する。
  • 一方、当時の刑事ドラマは『はぐれ刑事純情派』と『はみだし刑事情熱系』(通称:はみ刑事(はみでか))を放送、年輩、サラリーマン層に大きな支持を集め比較的高い視聴率を稼いでいた。
  • ところが、この巴戦に割って入る番組が出て来た。2001年1月にスタートしたテレビ東京の2時間ドラマ『女と愛とミステリー』である。『女と愛とミステリー』がスタート、高視聴率を稼ぐようになったことで、まず『生ダラ』が低迷、2001年3月に惜しまれつつも打ち切られた。次に『ホントコ!』が「未来日記」コーナー終了もあいまったことから低迷して、生ダラの後を追うように2002年3月で打ち切られた。
ニュースウオッチ9(NHK総合)VSザ!世界仰天ニュース(日本テレビ)VSザ・チーター(TBS)トリビアの泉(フジテレビ)VS刑事ドラマ(テレビ朝日)VS水曜ミステリー9(テレビ東京)
  • 現在は上記の番組が放送されているが、テレビ朝日の刑事ドラマ以外のこの時間の番組で、1番最初に始まったのが2001年4月開始の『ザ!世界仰天ニュース』である。続いて2003年7月に深夜番組から昇格した『トリビアの泉』、2005年4月に『女と愛とミステリー』から番組名変更した『水曜ミステリー9』、2006年4月に深夜番組から昇格した『ザ・チーター』である。
  • 日本テレビが『ザ!世界仰天ニュース』を開始させた2001年4月以降は『ザ!世界仰天ニュース』と刑事ドラマ、それに『女と愛とミステリー』の巴戦が続いたが、2003年7月にこの時間帯の視聴率争いを一時、決定付ける番組が登場する。フジテレビが低視聴率だったドラマ枠を打ち切って開始した『トリビアの泉』である。『トリビアの泉』が開始早々に20%前半の高視聴率を稼いで、『ザ!世界仰天ニュース』と刑事ドラマ、『女と愛とミステリー』が追う格好になる。ちなみに『トリビアの泉』は2004年の流行語大賞にノミネートされるぐらいの人気を誇っていて、まさにこの頃は『トリビアの泉』の絶頂期であった。
  • その後、2004年後半から2005年になると『トリビアの泉』にマンネリ化が現われた為、視聴率は『ザ!世界仰天ニュース』・『トリビアの泉』・刑事ドラマ・『女と愛とミステリー』→『水曜ミステリー9』が拮抗するようになる。
  • 一方で、TBSは『ウンナンのホントのココロ』が終了した2002年4月以降に『ウッチャきナンチャき』と『ディスカバ!99』を放送したが、4つの番組には勝つことが出来ず、『ウッチャきナンチャき』は2003年2月で打ち切られて、『ディスカバ!99』は放送時間帯を1時間早くして、『ぶっちゃけ!99』にリニューアルした(リニューアル後の『ぶっちゃけ!99』も1年後に終了、参考資料として「TBSの苦戦(#TBSの魔の水曜日)」も参照して欲しい。)。2004年4月からは同じく低視聴率で打ち切られた、次に放送されていた連続ドラマ枠を統合して『水曜プレミア』を放送、1年半放送された。2005年10月に往年の人気音楽番組『ザ・ベストテン』のお笑い版として、『お笑いLIVE10!』をスタートさせたが、やはり4つの番組に勝つことが出来ず、2006年2月で打ち切られて、4月から『ザ・チーター』に代わっていて苦戦が続いている物の、『お笑いLIVE10!』よりは改善されている。
  • 視聴率は今のところ、『ザ!世界仰天ニュース』と『トリビアの泉』が一歩リードし、刑事ドラマが3位に踊り出ていて『水曜ミステリー9』、『ザ・チーター』が追う形となっている。
  • 関西地区、名古屋地区など関東地区以外では『ザ!世界仰天ニュース』が圧倒的優勢となっている。

水曜午後10時台

現在はその時歴史が動いた(NHK)、日テレのドラマ枠(日本テレビ)、世界バリバリ★バリュー(毎日放送・TBS系)、水10!(フジテレビ)、報道ステーション(テレビ朝日)、水曜ミステリー9(テレビ東京)を放送中。
  • 水曜午後10時は以前から、他のプライムタイムの時間と比較してあまりヒット番組が出にくくどちらかが食うか食われるかの状況で現在に至る。

主な動き

  • 1980年代前半~半ばまでは、双方後に枠移動することになる『三枝の愛ラブ爆笑クリニック』(関西テレビ・フジテレビ系)と『特捜最前線』(テレビ朝日)の人気番組が立ち並ぶようになり、半ば過ぎには日本テレビは『水曜ロードショー』から連続ドラマ枠となり、フジテレビは『夜のヒットスタジオDELUXE』、テレビ朝日は『ニュースステーション』と革新していき、当面は2時間編成で午後9時台とともに『夜のヒットスタジオDELUXE』優勢となったが、80年代末期になると他の音楽番組と共に低迷していき『夜のヒットスタジオSUPER』と改めたものの巻き返せず前身と合わせ約22年で同番組の歴史に幕を降ろした。
  • 一方日テレは一時期『水曜グランドロマン』の午後9時台からの2時間ドラマ枠編成していったが、91年10月から連続ドラマ枠に戻し、その頃はヒット作に恵まれないままで終わっていったが90年代半ばになり『恋も2度目なら』、『星の金貨』などの人気作を出すようになり、他の作品も15~18%ほどの視聴率を取れる作品に恵まれるようになった。
  • そしてフジはなかなか安定した番組が生まれず終いだった後、94年4月に水曜午後7時台に高視聴率を遂げた『タモリのSUPERボキャブラ天国』をこの時間に立ち上げしばらく安定した人気を得ていたものの、一つ一つのネタ勝負の番組だっただけに長期間持続が難しくネタ切れ・マンネリ化は否めず、96年9月までは視聴者からの投稿ネタとお笑いタレント(通称:キャブラー)によるネタ構成だったのを、同年10月から投稿ネタを排除しキャブラー主体化に仕立て上げたものの、ネームバリューは高かったが視聴率には反映されず97年3月にこの時間帯から撤退させられた(同番組は日曜深夜11時45分に移動し、司会のタモリは降板)。
  • その後タモリはこの枠を引き続き担当し『タモリの新・哲学大王!』→『タモリのネタでNIGHTフィーバー!』と試行錯誤したものの視聴率改善へと結びつかず、98年3月で終了しタモリ枠と同時にバラエティ枠も消滅してしまった。
  • そしてフジはこの年の4月に連続ドラマ枠を新設し『ショムニ』を立ち上げ20%以上の高視聴率を平均で出し大ヒットをした。その後の『ハッピーマニア』はそこそこ人気はあったがこの後のドラマが全て低迷してしまう結果となり、このドラマ枠は1年半で終了し99年秋から再びバラエティ枠となった。(『ショムニ』はその後特番を含め4本作られるが、通常枠では水曜午後9時枠での放送となった。)
  • その頃TBSは98年秋にそれ以前スペシャル版として好評だった、ビートたけしの『ここがヘンだよ日本人』がスタートしこれが当たるようになり、たちまち日テレ・フジのドラマ枠を差し置いて高視聴率を取るようになった。その1年後にバラエティ枠に戻したフジは明石家さんまメインの『明石家マンション物語』をスタートさせ、この影響があってか『ここがヘンだよ日本人』の人気が微減し2001年3月に木曜10時へと枠移動した。ちなみに『明石家マンション物語』の視聴率は当時のフジのバラエティの中でギリギリの合格ライン人気であった。そして同番組はその後を追うべく人気が次第に衰退していき『明石家ウケんねん物語』と改めたが巻き返せず前身とあわせて2年半の歴史となった。
  • また、日テレドラマは90年代半ばまでは調子がよかったもののそれ以降は当たり外れの大きいドラマ枠となってしまった(ちなみに代表的なヒット作には『夜逃げ屋本舗』、『平成夫婦茶碗』がある)。そんな中02年4月に『ごくせん』(第1シリーズ)がスタートし、ここでヒットを飛ばし、05年1月には土曜午後9時枠に第2シリーズをスタートさせ更に大勢させることになる。しかしその後の作品に上記どおり当たり外れが大きいことに変わりは無かった。またTBSも01年4月からドラマ枠を新設したがヒット作に恵まれず04年3月で終了した。
  • そしてフジは02年4月に2段重ねバラエティ番組『水10!』をスタートさせる。内容はお笑いコンビのココリコ松下由樹らの女優が繰り広げるコント&トーク番組『ココリコミラクルタイプ』と爆笑問題おすぎピーコの進行による番組『ハッピーボーイズ!』の2番組構成。開始当初は『ごくせん』人気により苦戦を強いられ低調スタートとなったが、7月過ぎに徐々に視聴率を上げていき人気を博すようになった。そして『ハッピーボーイズ』は『爆笑おすピー問題』として10月から水曜午後7時台に移行(後に終了)され、空いた枠にそれまで深夜で大人気だった吉本興業のお笑いタレント主体の『ワンナイR&R』がこの時間にスタートした。ちなみにこの2番組の中では『ココリコミラクルタイプ』を放送している時間の方が視聴率が高い模様。
  • しかし、日テレのドラマ枠もフジの『水10!』も日や期間によって変動が激しく現在に至る。
  • TBSは火曜から移動して来た毎日放送の『世界バリバリ★バリュー』となっているが、こちらも裏番組などの影響で視聴率が低迷している。
  • 以上のことから現在は『水10!』、『報道ステーション』が一歩リード。その後を『世界バリバリ★バリュー』、『水曜ミステリー9』、ドラマ、『その時歴史が動いた』の順に追っている。

TBSの苦戦(TBSの魔の水曜日)

TBSにおける毎週水曜日ゴールデンタイム及びプライムタイムでは、テレビ東京の『いい旅・夢気分』が午後7時台から午後8時台に移動した2001年10月以降、午後8時台を中心に視聴率が取れなくなったことから、打ち切りとなってしまった番組が集中、2006年初めまでその影響が他の時間帯にも及んだことから、「TBSの魔の水曜日」と呼ばれていたことがある。
かつてTBSの水曜日ゴールデン・プライムタイムは、午後8時台で放送されていた『わくわく動物ランド』や『クイズ悪魔のささやき』を中心に多くの高視聴率番組が放送されていたが、2001年4月に午後10時台で放送されていた高視聴率番組『ここがヘンだよ日本人』が木曜日に枠移動した頃から影響が出始める。さらにテレビ東京が『いい旅・夢気分』を午後7時台から午後8時台に移動させた2001年10月以降は、当時裏番組として放送されていた『オフレコ!』が好調から低迷に転じたことから1年後の2002年9月に終了、それ以降は他の時間帯にも低迷の魔の手が襲いかかることになった。特に2002年から2006年初めまで、午後7時台~午後10時台で放送されていた番組4本(2005年10月以降は5本)がすべて平均視聴率1桁を記録してしまったため、在京キーテレビ局で最下位となっているテレビ東京にさえも抜かれてしまう始末だった。

午後7時台の番組

午後8時台の番組

  • かつては『わくわく動物ランド』が放送されていた時間帯だったが、裏番組で日本テレビの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の視聴率上昇に影響して1992年3月に終了した。その後、後継番組として『生生生生ダウンタウン』→『おちゃのこサイサイ』→『王道バラエティ つかみはOK!』を送り込んで来たが、いずれも『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』には勝てず、1994年5月からタレント・フリーアナウンサーの古舘伊知郎と歌手・タレントの和田アキ子が司会を務める番組が続いて、第1弾となった『クイズ悪魔のささやき』を投入したところで視聴率を回復、その後は1997年4月に投入した『しあわせ家族計画』などが人気番組となり、日本テレビが『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』を内容変更させたが、1996年9月に終了し、10月から『速報!歌の大辞テン!!』を開始させてからも古舘・和田コンビはTBS水曜日午後8時台の顔とまで言われていたが、このコンビも2002年9月の『オフレコ!』終了で解消した。
  • その後は2005年3月まで『恋のバカヤロー!』や『黄金筋肉』(ゴールデンマッスル)、『ぶっちゃけ!99』を放送していたものの、サラリーマン・中高年齢層を主力とする裏番組でNHK総合テレビの『ためしてガッテン』とテレビ東京の『いい旅・夢気分』に苦戦したため、平均視聴率1桁の番組が続いた。そのため、4月から半年間単発特別番組枠の『水曜特番』を放送し、10月に『アッコにおまかせ!』や『水曜特番』で高視聴率を出していた『全員正解あたりまえ!クイズ』が放送を開始したものの、『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』には勝つことができず、かつ平均視聴率1桁と低迷、この番組の次に放送されていた『お笑いLIVE10!』と同様に2006年2月8日をもって終了、後番組として『水曜特番』で高視聴率を獲得した『ザ・ドリームプレッシャー』を中心にレギュラー化した『ドリーム・プレス社』にバトンタッチして、ようやく改善の兆しを見せるようになった。

午後9時台の番組

  • 元々は『水曜ロードショー』という映画枠であり、それが終了して1時間枠になってからしばらく低視聴率番組が続いていたが、『ウンナンのホントのトコロ』内の一コーナーであった「未来日記」が話題となり、この躍進が裏番組で日本テレビの『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(通称生ダラ)を終了にまで追い込んだ。しかし、「未来日記」が終了してからは視聴率が低迷し、その後を追う様にこの番組もその1年後に打ち切りとなった。さらに、その後番組である『ウッチャきナンチャき』も低視聴率になり、改編期を待たずして打ち切りとなった。
  • その後は『ディスカバ!99』(2004年4月からは『ぶっちゃけ!99』)、『水曜プレミア』を経て、『お笑いLIVE10!』となっていた。なお、それまで『水曜プレミア』に付いていた一部スポンサーは(筆頭スポンサーだった花王や消費者金融会社)『リンカーン』のスポンサーになった。しかし、『お笑いLIVE10!』も以前の番組と同様に視聴率が低迷したため、この番組の前に放送されていた『全員正解あたりまえ!クイズ』と同様に2006年2月8日をもって終了した。現在は『ザ・チーター』を放送しているが、『お笑いLIVE10!』よりは改善されているものの、高視聴率にはなっていない。

午後10時台の番組

木曜日

木曜午後7時台

この枠は、長らく視聴者参加クイズ番組が独走態勢だったが、1990年代中期にはセガvsナムコのゲーム番組での視聴率争いもあった。

視聴率争いの激しかった番組一覧

木曜スペシャル(日本テレビ)vs.クイズ!年の差なんて(フジテレビ)vs.上岡龍太郎がズバリ!(TBS)vs.TVチャンピオン(テレビ東京)
  • 長らく木曜の夜7時台は、テレビ朝日の『クイズタイムショック』と朝日放送(ABC)制作の『三枝の国盗りゲーム』が1980年代中期までは独走態勢だった。しかし、視聴者参加クイズ番組ブームが下火になったことに伴い、1986年春に両番組とも打ち切られ、一時は活気を失うことになった。
  • その後、TBSとフジテレビでは、日本の歴史をテーマにした『クイズ日本昔がおもしろい』、『なっとく歴史館』というクイズ番組が放送され、共に高視聴率となった。またフジテレビは1984年~1989年に週刊少年ジャンプの人気漫画『北斗の拳』、『魁!男塾』を放映し、水曜日の『ドラゴンボール』にひけをとらないような高視聴率をたたき出した。
  • そして、1990年10月にフジテレビが水曜日時代に好評を得た『クイズ!年の差なんて』を1時間番組にするために木曜日に枠移動してきた。この枠移動が成功し、1992年頃には毎週20%を獲得するようになる。
  • 一方、TBSも1992年10月に視聴率改善を目的として、30分番組を廃止した上で、月曜日から木曜日までの午後7時台をバラエティ番組枠『ムーブ』として、この木曜日には上岡龍太郎が司会を務める討論番組『上岡龍太郎の男と女ホントのところ』がスタートした(この改編で長寿番組だった月曜日の『クイズ100人に聞きました』と『わいわいスポーツ塾』が打ち切られて、『関口宏の東京フレンドパーク』に変わった。)。
  • そして1993年秋になると、『上岡龍太郎の男と女ホントのところ』から番組名を変更した『上岡龍太郎VS50人(かみおかりゅうたろうとごじゅうにん)』(1994年4月から『上岡龍太郎がズバリ!』。)と、『クイズ!年の差なんて』との立場が逆転するようになり、『クイズ!年の差なんて』は1994年9月に終了、『上岡龍太郎がズバリ!』は裏番組でテレビ朝日の『超次元タイムボンバー』の司会をすることになったため、1996年9月で終了した。
  • そんな中、日本テレビは長年『アメリカ横断ウルトラクイズ』やよみうりテレビ制作の『鳥人間コンテスト選手権大会』、『全日本有線放送大賞』(現在の『ベストヒット歌謡祭』)を看板企画とする『木曜スペシャル』を放送してきたが、1992年にテレビ東京が『TVチャンピオン』を開始させると、『木曜スペシャル』の視聴率を抜くことも珍しくなくなり、視聴率が低迷した『木曜スペシャル』は『スーパースペシャル』としてリニューアル、土曜日午後7~8時台に拡大させる形で移動、土曜日午後8時台で放送されていた『マジカル頭脳パワー!!』と交換された。
嗚呼!バラ色の珍生!!(日本テレビ)vs.学校へ行こう!(TBS)vs.ポケットモンスター・TVチャンピオン(テレビ東京)
  • 1994年10月、日本テレビが島田紳助司会のヒューマンバラエティ『嗚呼!バラ色の珍生!!』(通称:バラ珍)をスタート。最初の半年間は不幸自慢を紹介する番組だったが、視聴率が低迷し、1995年4月にかつて日本テレビが『それは秘密です!!』で得意としていた再会型中心にリニューアル。このリニューアルが成功し、視聴率20%近くにまで行くほどの人気番組となった。
  • 一方、TBSとテレビ朝日は1996年10月、Kinki Kidsがメインでセガが協力した『バリキン7 賢者の戦略』と、上岡龍太郎が司会でナムコが協力した『超次元タイムボンバー』という2大ゲーム番組の視聴率争いが勃発することとなったが、いずれも視聴率低迷により、翌1997年9月に両番組とも終了した。
  • 1997年10月にTBSはみのもんたが司会を務める『学校へ行こう!』をスタート。開始当初から高視聴率を記録し、裏番組に追いつくところまでいけた。しかし、視聴率は徐々に低迷化していき、火曜日午後8時台へ移行する。(2006年5月現在、TBSの木曜日午後午後7時枠はローカル枠になっている)
  • それに負けじとテレビ東京は1998年4月にポケモンショックで放送自粛していた『ポケットモンスター』を復活させ、主に小中学生をターゲットに放送。この煽りを受けたのか後番組の『TVチャンピオン』が視聴率を取るようになる。
天才!志村どうぶつ園(日本テレビ)vs.クイズ!日本語王(TBS)vs.クイズ$ミリオネア(フジテレビ)vs.いきなり!黄金伝説。(テレビ朝日)vs.ポケットモンスター・TVチャンピオン
  • 2000年代に入り、『クイズ$ミリオネア』をスタートさせたことでフジテレビがこの時間帯のをリードするようになる。
  • 一方テレビ朝日は2001年10月に『いきなり!黄金伝説。』を火曜夜7時から移動し、「節約バトル」が好評だったため、『クイズ$ミリオネア』を抜く回もあった。
  • そんな中、日本テレビは『バラ珍』を歌手デビューオーディションや、最愛の人の死を乗り越えて出発する企画中心に変更するものの、視聴率が低迷し2001年3月に打ち切り。その後後枠にはモーニング娘。がメインの、『モー。たいへんでした』(通称:モー。たい)を放送し、当初は期待されていたものの、裏番組だった『クイズ$ミリオネア』に苦戦したこと、野球中継が乱発したことで(モー。たいは初回スペシャルから第2回まで、1ヵ月半も間があった。)、1年で打ち切り。その後の番組も低迷し続けた。2004年4月に『天才!志村どうぶつ園』を開始。当初は裏番組に勝てず苦戦していたが、内容によっては『クイズ$ミリオネア』『いきなり!黄金伝説』を抜く回も珍しくなく、次第にトップに上り詰め現在に至る。

2006年4月現在、この時間帯は『天才!志村どうぶつ園』がリードしその後を『クイズ$ミリオネア』、『いきなり!黄金伝説』、『クイズ!日本語王』、『ポケモン』・『TVチャンピオン』と後を追う形となっている。

備考・TBS系木曜日午後7時ローカル番組

1999年より、『学校へ行こう』と火曜日午後8時台と枠交換でこの時間となった。

木曜午後8時台

視聴率争いの激しかった番組一覧

マジカル頭脳パワー!!(日本テレビ)vs.うたばん(TBS)vs.奇跡体験!アンビリバボー(フジテレビ)vs.木曜ミステリー(テレビ朝日)vs.TVチャンピオン(テレビ東京)
  • 長らく木曜日午後8時台は、毎日放送(MBS)が制作してTBS系列で放送されていた『世界まるごとHOWマッチ』が独走態勢であった。
  • その後、『世界まるごとHOWマッチ』は司会を務めていた大橋巨泉がセミリタイヤしたことに伴い、1990年3月に打ち切ったため、その後は劣勢続きで活気を失うこととなった。
  • 1994年4月、日本テレビはそれまで放送していた「木曜スペシャル」を土曜日に移動させ、土曜日から『マジカル頭脳パワー!!』が枠移動してきた。
  • 『マジカル頭脳パワー!!』移動後から半年後、MBSはかつて放送していたクイズ番組、『ダウトをさがせ!』を『ダウトをさがせ2』として復活させ、『マジカル頭脳パワー!!』と対決して木曜午後8時の視聴率争いが勃発した。
  • しかし、すでにこの頃には『マジカル頭脳パワー!!』が毎週25%以上を獲得するなどし、『ダウトをさがせ2』は全く歯が立たず、リニューアルを繰り返すも不評で、改編期でもない時期に打ち切られた。
  • その後、『マジカル頭脳パワー!!』に対抗すべくMBSは1997年秋に土曜昼に放送している『よしもと新喜劇』を『超!よしもと新喜劇』として放送するが、結果としては関西では最高で26%の視聴率を得るなどで大人気を博したものの、そのドタバタギャグが関東や他の地域では余り受け入れられずに低迷し(これは同じ関西発である朝日放送(ABC)の『探偵!ナイトスクープ』や、よみうりテレビの情報生番組『なるトモ!』に通ずるものがある。)、打ち切りとなった。TBSでは、このような例は、「超!よしもと新喜劇」以前にもあった。1980年代前半にMBS制作で関西では人気番組だった『突然ガバチョ!』を一時期ネットしていた。が、こちらも関東では関西のギャグが受け入れられずにTBSでのネットは3か月で打ち切られた(以降、TBSでは『痛快!明石家電視台』などの関西ローカル扱い番組はネットしていない)。
  • それからしばらくして、『マジカル頭脳パワー!!』の方もマジカルバナナなど、人気コーナーが廃止されたことなどで1997年秋頃から陰りが見えてきた。
  • フジテレビは1998年秋、それまで土曜日に放送していたかつて『マジカル頭脳パワー!!』のレギュラーだった所ジョージがレギュラー出演する『奇跡体験!アンビリバボー』を裏にぶつけてきた。
  • そして、その半年後にTBSが視聴率改善のために枠交換をはかり、MBS枠が水曜日に移動したのに伴い火曜午後9時台から枠移動してきた『うたばん』がここに入り、音楽業界でのミリオンヒットブームも手伝って高視聴率となったため、『マジカル頭脳パワー!!』が一気に弱体化をした。
  • そして、さらに半年後の1999年9月、「マジカル頭脳パワー!!」は9年間の歴史に幕を降ろし、以後ヒット番組が生まれないまま迷走を続けている。かつて2002年秋に特番で好評だった『国民クイズ常識の時間』を放送するも、結果としては裏番組に勝つことは無く2006年6月までは深夜枠で好評だった『金持ちA様×貧乏B様』をリニューアルした『金のA様×銀のA様』が放送されていたがそれでも「うたばん」、「アンビリバボー」には勝てず2006年6月22日の放送で終了し、後番組は2005年4月~2006年3月まで「バリューナイト」枠で放送されていた「くりぃむしちゅーのたりらリラ~ン」をゴールデン昇格させた「くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!」が開始したが初回視聴率は8%台とやや苦しめなスタートとなった。

木曜午後9時台

この時間帯は長らくTBSの『ザ・ベストテン』が高視聴率を稼いでいたが、1988年10月にフジテレビがとんねるず枠を設けると様相が一変したという時間帯である。

視聴率争いの激しかった番組一覧

ザ・ベストテン(TBS)vs.とんねるずのみなさんのおかげです(フジテレビ)
  • 1978年にスタートした「ザ・ベストテン」は番組内で起こる演出やハプニング、そして司会の久米宏黒柳徹子の巧妙なやりとりが好評で平均視聴率は常に20%強を獲得、更に1981年には41.9%の最高視聴率の快挙を成し遂げた。
  • そして他局はドラマ制作の横並びでとても歯が立たない状態であったが、80年代半ばを過ぎると司会の久米が『ニュースステーション』を始めるために番組を降板し、その後は黒柳と小西博之等の男性司会者で乗り切るも徐々に人気は衰退するようになった。また80年代後半ごろになると『歌のトップテン』や『夜のヒットスタジオ』など、他局の音楽番組まで人気低迷の余波が来るようになり、俗に言う音楽番組・冬の時代到来とまで言われるようになった。
  • そんな最中に、1988年10月、とんねるずが『火曜ワイドスペシャル』で高視聴率を得ていた『みなさんのおかげです』をこの時間にスタートさせたことで、開始当初から絶大な人気を博すようになり、『ザ・ベストテン』は平均視聴率1桁となったため、1989年10月5日に11年9か月の歴史に幕を降ろした。その後も『みなさんのおかげです』の独走態勢は1994年まで続いた。
ニュースウオッチ9(NHK総合)vs.どっちの料理ショー(よみうりテレビ・日本テレビ系)vs.TBSドラマ(TBS)vs.とんねるず番組(フジテレビ)VS.テレ朝ドラマ(テレビ朝日)
  • 前述の『とんねるずのみなさんのおかげです』が優勢だった中、苦戦を強いられることとなったTBSは『ザ・ベストテン』終了後に連続ドラマ枠へ差し替えて、1990年1月スタートの「HOTEL」で一定の人気を得るものの、牙城を崩すまでには至らず、後続ドラマも不毛続きとなった。しかし、同年10月にスタートした橋田壽賀子が脚本を務めるドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(通称:渡鬼)がスタートしたことによりたちまち大ヒットとなり『とんねるずのみなさんのおかげです』と四分六分の争いをするまでにもなった。
  • だが、『HOTEL』や『渡鬼』以外のドラマはこれと言って人気を得られることが無く、必ずしも安定傾向にあるわけでは無かった。しかし、1995年10月に7年ぶりに復活した『3年B組金八先生』(通称:金八先生)がこの時間にやってきたことでもう一つの人気定番ドラマが増えたことになる。一方で、この時期『特捜最前線』以降、長年劣勢続きであったテレビ朝日のドラマも、1995年1月~3月に放送された『味いちもんめ(第1期)』が人気となり、これにより1996年1月~3月の間『金八先生』と『味いちもんめ(第2期)』がデットヒートするようになる。これらの影響で1995年初頭から『とんねるずのみなさんのおかげです』は失速するようになる。
  • その翌年の1996年の「渡鬼」は視聴率的にピークを迎え25%を超える回も珍しくなくなるほどとなり、『ザ・ベストテン』以来の頂点を極めた。そして『とんねるずのみなさんのおかげです』は押されてはいたものの、まだ余力があり打ち切られなければならないほど落ち込んではいなかった。しかしこの頃、フジテレビにとんねるずの後輩にあたるお笑い芸人やアイドルの番組(『ダウンタウンのごっつええ感じ』、『SMAP×SMAP』(フジテレビと関西テレビの共同制作)、『めちゃ×2イケてるッ!』など。)が勢いを付け始め、『とんねるずのみなさんのおかげです』が同局の4番手以下の扱いを受けることなってしまい、1997年3月に惜しまれながらも8年半の歴史に幕を降ろした。
  • 一方、よみうりテレビ(日テレ)では1992年に『木曜ゴールデンドラマ』終了後、安定した番組が無く、TBSとフジから目を向けられることが無かったが、1997年4月に『どっちの料理ショー』がスタートしたことで開始当初からヒットを飛ばす。この頃『木曜洋画劇場』を放送しているテレビ東京以外ではドラマを含め民放局で一斉に新番組がスタートし、フジは引き続きとんねるずを起用した番組『とんねるずの本汁でしょう!!』を開始。関係者、スタッフから大きな期待をされていたものの、「アジアンタイフーンディスコ」や「お台場ダービーキッズ」などの企画が受け入れられず惨敗する形となり、加えて他のTBSとテレ朝のドラマも(当時TBSは『新幹線物語』、テレ朝は『最高の食卓』を放送していた)人気が振るわなかったことから、これが消去法で『どっちの料理ショー』に流れていった見方が強い。
  • こうして『とんねるずの本汁でしょう!!』は2ヵ月半と言った短命で終わらされ、『とんねるずのみなさんのおかげでした』がスタートした。こちらは『とんねるずのみなさんのおかげです』時代の人気コーナー「食わず嫌い王決定戦」を主体としたコーナーに前半の「ほんとのうたばん」が人気となり、更にこの番組から誕生した『野猿』がCDデビューしてヒットを飛ばすようになって起死回生したことから、客層を掴みきった『どっちの料理ショー』と1998年~1999年にかけて四分六分の争いをするようになった。
  • なお、TBSドラマは前述通り『渡鬼』と『金八先生』がよみうりテレビとフジテレビの両番組に打撃の影響を与えていたものの、他のドラマは振るわないままに終わっていった。そんな中2000年になると『とんねるずのみなさんのおかげでした』の人気に陰りが生じ(この時期、一時的に食わず嫌い王が休止状態であった)、翌年には日本テレビの『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(通称:生ダラ)が終了して、とんねるずとしての番組がこれ一本となり、彼ら自体が追い詰められていた時期があった。そして『どっちの料理ショー』側が勝利する回が多くなった。だが、それも長くは続かずこちらもマンネリ化は避けられない状態にあったため、徐々に『とんねるずのみなさんのおかげでした』に流れ込むようになって人気を取り戻した。そして2005年3月にこの形としての番組は終了、『新どっちの料理ショー』と改めたがこれも不評となり視聴率も一桁の回が増えるようになった。
  • そして長年押されっぱなしであったテレビ朝日のドラマは2003年ごろになるとようやくTBSに対抗できるような人気作品(『菊次郎とさき』、『トリック』、『エースをねらえ!』、『黒革の手帖』、『熟年離婚』等)を生むようになり、特に『黒革の手帖』は『渡鬼』の視聴率を上回る回まで出すほど注目を浴びた。
  • 現在『渡鬼』を放送しているTBSと2003年ごろからヒットドラマを生み出すこともあるテレ朝だが、高視聴率の部類にはいるもののかつてのような勢いは無く、『渡鬼』がリードしていてる物の、それ以外のドラマの時は『とんねるずのみなさんのおかげでした』がトップでいることが多い。またTBSでは『渡鬼』以外のドラマが入る時期は『とんねるず』に相当苦戦している。そして『金八先生』は2004年の第7シリーズから金曜ドラマ枠(金曜午後10時枠)に移行したため今後は『渡鬼』以外のドラマはヒットが難しいと思われる。
  • テレビ東京で最長寿番組枠であり、この枠で長い歴史を誇る『木曜洋画劇場』は、内容や裏番組によって大きく視聴率的に変動し現在に至っている。

木曜午後10時台

現在は、プロフェッショナル 仕事の流儀(NHK)、ダウンタウンDXよみうりテレビ・日本テレビ系)、ドラマ枠(TBS)、木曜劇場(フジテレビ)、報道ステーション(テレビ朝日)、木曜洋画劇場(テレビ東京)を放送中。

主な動き

  • この時間帯は過去から今現在にかけて、1人勝ち状態の目立つことが多い。
  • 特に軸になっているのはフジテレビの『木曜劇場』であって同枠は1984年10月からスタートしたが、開始以後からの当面はヒット作の出にくい作品が多かった。しかし1988年にW浅野浅野温子浅野ゆう子)主演で話題になったドラマ『抱きしめたい!』を皮切りに火が付き、同時期に火が付き始めた『月9』とともにフジの2大看板ドラマ枠として定着した。『ニューヨーク恋物語』『愛という名のもとに』『Age,35 恋しくて』などのヒット作を生み、近年では『白い巨塔』『電車男』などがヒットしそれ以外にも多数人気作品がある。
  • 一方他局では、1992年開始の「木曜ドラマ」(TBS)と1993年開始の『ダウンタウンDX』(よみうりテレビ制作・日本テレビ系)が放送されるようになり、両者ともに当初は振るわなかった(またTBSは1992年10月~1994年3月の間はバラエティ枠だったがここでも視聴率低迷していた)。故にTBSのドラマは『木曜劇場』に勝てない状態が続くことが多いが時には『長男の嫁』『ストーカー・誘う女』『魔女の条件』などのヒット作がありその時の『木曜劇場』は押されてはいたが極端に低視聴率では無かったが、接戦状態と言う例が極めてない。
  • 一方で『ダウンタウンDX』はそれまで2桁で踏ん張るのが精一杯だったが、1998年からクイズからトークスタイルへ番組内容を一新し徐々に視聴率を上げるようになった。しかし裏のドラマ枠2本の影響で低迷することも多く、逆にTBS・フジのドラマ両者が低迷する場合にはこちらが高視聴率になることもある。またTBSは『木曜劇場』に勝てなくなったことを理由に1999年夏の『P.S元気です。俊平』を最後に一旦ドラマ枠を廃止し、1999年10月から東山紀之がMCを務めるアスリートドキュメント番組『ZONE』を開始。その後『ZONE』は日曜日に移動し、2001年4月からは水曜10時で放送されていた『ここがヘンだよ日本人』をやっていたが、『ダウンタウンDX』には勝てず、『ここがヘンだよ日本人』が押されてしまい、2002年3月で打ち切られてしまった。その後同枠は2002年4月の『しあわせのシッポ』から再びドラマ枠に戻るが、2002年秋の『真夜中の雨』以来、ヒット作が出ずに苦しんでいる。
  • またこの時間帯のNHKのBS2の韓国ドラマ枠がかなり好調な時期があった。特に2003年放送の『冬のソナタ』では地上波の番組の視聴率を脅かすことがしばしばあった。ここの時間帯で人気を博した『冬のソナタ』や『宮廷女官チャングムの誓い』はNHK総合の土曜午後11時台で放送されている。最初は2時間枠ではあったが、最近は韓流ブームが下火になったことや対日・対韓感情の悪化などが原因で1時間に縮小されている。

金曜日

金曜午後7時台

主にテレビ朝日のアニメ枠に対し日本テレビなどの数々のバラエティ番組との間で争われている。

主な動き

  • 1981年10月『ドラえもん』が金曜夜7時枠に移動。翌1982年3月に午後7時半枠に特撮シリーズ(メタルヒーローシリーズ)が開始され、このタッグは他局を寄せ付けないほどの人気を得ていた。7時半枠が『宇宙船サジタリウス』→(『ニュースシャトル』→)『はなきんデータランド』→『クレヨンしんちゃん』(1996年4月月曜から移動、2002年4月土曜へ移動)→『あたしンち』→『クレヨンしんちゃん』(2004年10月土曜夜より復帰)と番組は変わってもテレ朝の金曜午後7時のラインは安定していた。
  • 日本テレビは『歌まね振りまねスターに挑戦!!』(通称:スターに挑戦)を午後7時に、『カックラキン大放送!!』(通称:カックラキン)を午後7時半に放送し、70年代のバラエティ番組の顔の一つであったが、80年代に入ると子供の視聴者が段々テレビ朝日へ流れていき、徐々に人気が衰えていった。そして『スターに挑戦』が1986年3月に、『カックラキン』1986年9月までに終了。
  • その日本テレビも一時は『発明将軍ダウンタウン』(1993年10月~1996年9月)の投入により安定傾向を見せたものの、ダウンタウンの2人からの降板要望を受け入れ、後輩である今田耕司東野幸治に受け渡し『ひらめけ!発明大将軍』をスタートさせた。そこで視聴率が急落し歯止めが利かなくなったためにわずか半年で終了。
  • こうして1997年4月から始まったのが、日曜夕方で好評だった『ぐるぐるナインティナイン』(通称:ぐるナイ)(1994年4月開始)のゴールデン版である。開始当初は期待していたよりも伸びに欠けたような視聴率であったが、翌1998年に現在も続く人気企画『ゴチになります』が大当たりし高視聴率を取るようになった。このことで『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』のテレ朝アニメにも影響が出るようになることもあった。
  • フジテレビの場合、90年代半ばまでは単発枠「金曜ファミリーランド」でつなぐことが多かったがネタの供給不足とマンネリ化によって撤廃しそれ以降は1時間のバラエティ枠にするも不毛続きとなった。2000年代に入ってからも『ビューティー・コロシアム』で好視聴率を得たことはあっても常に安定していたわけではなかったため、レギュラー放送は終了(単発で行うようになった)。
  • 一方関西テレビでは90年代までは親元である阪急電鉄のスポンサー枠で30分ドラマ『阪急ドラマシリーズ』を放送していた時期もあった。1995年7月『さんまのまんま』が月曜午後7時台から枠移動となり、さらにはその後に『ムハハnoたかじん』がスタートし、現在では安定した視聴率が保っている。ちなみにさんまのまんまはフジテレビでも別の時間帯で放送されている。東海テレビでは丸栄単独30分枠時代が開局当時から続いており、『アグネスの音楽に乾杯!』→『鶴瓶の音楽に乾杯!』→『スペンサーの喫茶店』というトーク番組を放送していた。1時間になってからはキー局の番組を同時ネットしていたものの、現在は『西川きよしのご縁です!』を放送している。しかし視聴率はやや苦戦しつつある。岡山放送(OHK)では『ニョッキン7』が現在1時間で放送されている。
ぐるナイ(日本テレビ)VS金スペ!(TBS)VSDのゲキジョー~運命のジャッジ~(フジテレビ)VSドラえもんクレヨンしんちゃん(テレビ朝日)VSポチたま(テレビ東京)
  • テレ朝アニメは『ぐるナイ』の影響以外にも、アニメそのものの低迷の余波を浴び最近では一桁まで出してしまうようになった。特に『ドラえもん』は、2005年春に声優を大幅に変更し巻き返しを図ったが、往年のファンからの不満や苦情も少なくなく、声優変更以前より視聴率が低迷している。『ぐるナイ』も決して普段から高視聴率であるわけではなく『ゴチになります』以外の企画の回では10%前後にまで落ち込むこともある。その場合フジの『Dのゲキジョー~運命のジャッジ~』が15%前後取り民放トップになることもある。
  • テレビ東京は『ポチたま』が10%弱と、テレ東の番組の中ではまずまずの人気であり、TBSは1990年にスタートした単発枠『金曜テレビの星!』(現・『金スペ!』)で定着している。

金曜午後8時台

長らくこの枠は、日本テレビの『太陽にほえろ!』とTBSの『3年B組金八先生』に代表される桜中学シリーズのドラマ対決があり、平成に入ると日本テレビの『静かなるドン』とフジテレビの『半熟卵』→『ヘルプ』のドラマ対決があった。また、2000年代に入ると、大物タレントが司会を務めるバラエティ番組の対決があったりと、平日では一番熱い視聴率争いがあった枠である。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

太陽にほえろ(日本テレビ)VS3年B組金八先生(TBS)

依頼中

  • 1986年5月2日にTBSは緑山スタジオに約1億円の巨額な費用をかけた実写版RPGバラエティ番組『風雲!たけし城』をスタート。徐々に高視聴率となり、テレビ朝日の『ワールドプロレスリング』を時間移動まで追いやる結果となる。その後、テレビ朝日は1986年10月24日に、後に長寿番組となる音楽番組『ミュージックステーション』(通称:Mステ)を開始させた。
  • たけし城の視聴率上昇のあおりを食らったのが「太陽にほえろ!」で、たけし城では「あちらのパート2はもうおわったようですな」と、視聴率で勝ち誇る台詞が出てきている。(「太陽にほえろ!パート2」は低視聴率のため12話で終了している。)
  • しかし、たけし城の殿役だったビートたけしはフライデー襲撃事件を起こし、謹慎処分となってしまう。
  • 一方、「ミュージックステーション」も視聴率がたけし城に敗れてて低迷していたため、視聴率改善をはかり、司会者を関口宏からタモリに交代した。この司会者交代が成功し、視聴率も上昇した。更に日本テレビが1988年10月に「あぶない刑事」の続編、「もっとあぶない刑事」の放送を開始した。これらの影響でたけし城の視聴率は低迷し、1989年春についに「風雲!たけし城」を打ち切りに追い込んだ。
  • 「風雲!たけし城」を終了したTBSは、その後枠にやはりビートたけしがメインのお笑い番組『北野テレビ』を開始した。しかしこの番組は非常に期待されていた番組だったが、視聴率が低迷し、半年で終了。その後枠もやはりたけしがメインの『たけしの頭のよくなるテレビ』を開始させたがこちらも視聴率が低迷。その後TBSの金曜8時枠はスペシャル番組となる。
ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(日本テレビ)VSザ・ジャッジ!~得する法律ファイル(フジテレビ)VSミュージックステーション
  • 1994年10月、それまで日本テレビが放送していたドラマ枠の裏に、2時間スペシャルを木曜日に追いやったフジテレビがやはりドラマ枠を新設した。日本テレビはこのクールでは人気コミックをドラマ化した『静かなるドン』。そして、フジテレビは当時人気絶頂だった若手女優の内田有紀主演のドラマ『半熟卵』をスタートし、平成の金8ドラマによる視聴率争いが勃発した。
  • 結果としては両作品とも高視聴率で、まさにデットヒートを争った。しかし、静かなるドンは2クール。半熟卵は1クールだったため、半熟卵はそれに対抗するため最終回スペシャルは午後7時30分から放送した。
  • その後フジテレビは1995年1月-3月クールは同じく若手女優の観月ありさ主演の『ヘルプ』を開始させた。しかし、この枠のドラマの視聴率争いは日本テレビ、フジテレビ共に4月以降はバラエティ枠に転換されるため結果として共倒れという形で終焉した。
  • ドラマ枠を終了した日本テレビは1995年5月に『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』(「ウリナリ!!」)を開始させた。当初はコント中心の内容だったが、1995年年末に番組レギュラーのウド鈴木と千秋、そして内村光良の3人でポケットビスケッツが結成。翌年4月17日にCDデビューし、大ヒットとなる。
  • しかしポケットビスケッツにライバルが現れ、同じく番組レギュラーの天野ひろゆき(天山ひろゆき)とビビアン・スー、そして南原清隆(南々見狂也)の3人でブラックビスケッツを結成。このポケビVSブラビの対決が人気となり視聴率も毎週20%以上を記録するようになる。
  • しかし、この対決も長くは続かなかった。1999年にブラビはケディが加入し、4枚目のシングルが73万枚以上を記録しないと活動休止というノルマが課された。しかし4枚目のシングルは目標の73万枚には届かず、ブラビは活動休止状態になってしまう。
  • 一方、フジテレビは長らく低視聴率番組が続いていたが、2000年秋に爆笑問題がメインの『世界超密着TV!ワレワレハ地球人ダ!!』が開始。一時はウリナリに及ぶまでの視聴率を獲得するようになる。しかし、番組で10Mのアナコンダを捕獲する企画は結局失敗に終わってしまった。そしてその後2001年には爆笑問題とみのもんたが司会を務める法律番組『ザ・ジャッジ』がスタート。遂にはウリナリを追い詰め、2002年3月でウリナリは終了してしまった。
  • 2002年4月、ウリナリを終了させた日本テレビは土曜深夜で好評だった『マネーの虎』を金8で開始させた。しかし、内容がゴールデンに余り向いてなかった事などが響き、結果としては裏の『ザ・ジャッジ』に水を開けられてしまい、2003年秋に月曜午後10時54分からの枠に降格してしまった(そして、この番組はやらせサブリミナル演出が原因となって打ち切られてしまった)。
  • 日本テレビはすかさず二の矢を放つ。今度は特番で好評だった『謎を解け!まさかのミステリー』をレギュラー化。司会の島田紳助も記者会見で「ジャッジには死んでもらいます」とやる気満々の姿勢で臨んだ。
  • なお、この「まさかのミステリー」の開始で2003年10月から2004年9月までのこの時間帯ではタモリ(『Mステ』)・みの(『ザ・ジャッジ!』)・紳助(『謎を解け!まさかのミステリー』)が、また2004年11月から2006年3月までのこの時間帯ではタモリ・徳光(『幸せって何だっけ』)・紳助という大物司会者が対決するという、近年稀に見る状況も起きた。
  • 2003年に深夜で好評だった『元祖!でぶや』がゴールデンに昇格し、ゴールデンにおいても安定した視聴率を保っている。
  • 『謎を解け!まさかのミステリー』はレギュラー化後、視聴率15%以上を獲得し、遂に『ザ・ジャッジ』が弱体化を見せ始めることとなった。そして追い詰められた『ザ・ジャッジ』は2004年秋にローカル枠へと格下げされることになる。
  • 当然『ザ・ジャッジ』をローカル枠に格下げしたフジテレビがそれに黙っているはずはなく、TBSの『ズバリ言うわよ!』で人気を得ている六星占術師の細木数子と徳光和夫がメインの『幸せって何だっけ~カズカズの宝話~』を金曜午後8時で開始。こちらも高視聴率となった。
  • 一方、それと同じ時期に『謎を解け!まさかのミステリー』の司会者だった島田紳助は2004年10月25日に関西ローカル番組の収録中、番組の女性スタッフに暴行、謹慎処分となってしまい「まさかのミステリー」は視聴率が急落してしまう。その後2005年初頭に紳助は司会に復帰したが、かつての勢いは戻る事はなく、2006年3月で打ち切られた。
  • 『謎を解け!まさかのミステリー』終了後、その後継番組として『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』(通称:太田総理)を開始させるが、裏番組の『幸せって何だっけ』や『Mステ』に苦戦し続けている。

2006年6月現在、「幸せって何だっけ~カズカズの宝話~」がトップで、「ミュージックステーション」が2位に立ち、「大田総理」、「元祖!でぶや」がそれを追っている。

金曜午後9時台

長年に亘って『金曜ロードショー』(日本テレビ)と『金曜エンタテイメント』(フジテレビ)が放送されている枠であり、その他の局ではドラマ・バラエティ番組などで視聴率争いが繰り広げられている。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

  • TBSの金曜9時枠のドラマは『東芝日曜劇場』や後枠の『金曜ドラマ』同様に名作ドラマの宝庫であり、70年代は山口百恵主演の『赤いシリーズ』で一世を風靡した。しかし1982年10月~1985年9月の間は萩本欽一メインのバラエティ番組『欽ちゃんの週刊欽曜日』(通称:週欽)が放送されていた。
  • また、80年代はテレビ朝日が系列局ABC制作(通称松竹枠)の『赤かぶ検事奮戦記』『ハングマン』のシリーズで人気となっていた。比較的この時期の抗争が目立っていた。『週欽』は開始当初はメインである萩本の全盛期(この頃に『視聴率100%男』の異名が付いた)ということもあり高視聴率を常に得ていたが、次第に先行の番組『欽ドン』(フジテレビ)や『欽どこ』(テレビ朝日)よりも内容が薄いと思われるようになり短命人気となった。
  • その後ドラマ枠に戻したTBSが再び優勢となり、80年代後半はトレンディー路線を開拓させる鍵となった『男女7人夏物語』や田村正和主演のホームコミカルドラマ『パパはニュースキャスター』、90年代には『ダブル・キッチン』などの30%を超える視聴率を生んだ。
  • テレ朝のABC松竹枠両シリーズも次第に人気が下がり、1987年に終了。その後は一新し『素敵にドキュメント』のタイトル通り、ドキュメンタリー番組を新設した。裏番組のTBSドラマや映画・サスペンス枠があった中で健闘し、争っていたとまでは一概に言い切れなかったが、安定した人気を得ていた。特に1989年進行役に逸見政孝が加入してからまれに同時間帯トップにまでなった。だが、番組内でおきたやらせ事件があり(詳細は番組の項を参照)、1992年9月で番組は終了。後に単発枠→『インディー・ジョーンズ~若き日の大冒険』のドラマ枠で1993年3月まで繋いだ。
  • そして1993年4月に三宅裕司司会の歴史フューチャー番組『驚きももの木20世紀』がスタートした。この分野の人気番組『知ってるつもり?!』(日本テレビ)は当時人物のみに焦点を当てていたが、後発のこちらは時代背景もテーマとして扱うようになり教養性もありながらバラエティ色も強かったため、それなりの人気を得ていた。またTBSのドラマはその頃ヒットドラマも多かったが、失敗作のドラマも目立つようになりやや陰りを見せていた。
  • 時が進む連れに両者がともに失速するようになった。1999年10月1日で『驚きももの木20世紀』が終了し、TBSドラマは2000年代に入り『池袋ウエストゲートパーク』などのヒット作はあったものの、それ以外の作品が平均視聴率1桁を出す作品が多くなったこともあり2001年9月に終了。ちなみにその頃テレビ東京では『たけしの誰でもピカソ』(1997年4月開始)が放送され、通常は8%前後、いい時期でも10%超え程度だったが、手品師Mr.マリックメインの回のスペシャルで20%弱の高視聴率を得ていたこともあった。
ニュースウオッチ9(NHK総合)vs中居正広の金曜日のスマたちへ(TBS)vs笑いの金メダル→ドラマ番組(ABC・テレビ朝日)vs所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!&その他(テレビ東京)
  • 2001年10月に多くの歴史を作ったドラマ枠の後を次いだのは『中居正広の金曜日のスマたちへ』(通称:金スマ)。タイトル通りSMAPの中居正広が司会を務めるバラエティ番組である。通称はかつてのTBSドラマ『金妻』とかけている。このことが示すとおりターゲットを20代以上の女性にしぼり、上手い具合に視聴率を取るようになって現在に至る。しかし最近ではゲストの人間の半生をつづる「金スマ波瀾万丈」のコーナーが人気となり、徐々に当初のコンセプトからは変わりつつある。
  • その頃テレ朝のABC枠は『驚きももの木20世紀』司会の三宅の起用した『世界痛快伝説!!運命のダダダダーン!』を放送していたが思うように人気が伸びず、2003年3月でこの時間から撤退し(火曜午後8時に移動するが、さんま御殿に勝てず打ち切られた)、後番組にはみのもんた司会の『サムズアップ』が放送されるも、視聴率が5%台を下回る回まで出し半年で終了。(余談だが、みののテレ朝・ABC制作は基本的に受け入れられにくく以前は同じみのが司会してた『ABOBAゲーム』も短命に終わった。)この低迷・不安定状態は『驚きももの木20世紀』の晩年から2004年3月まで続いてしまった。
  • それを脱出できたと言えるようになったのは2004年4月にスタートした『笑いの金メダル』(通称:ワラキン)である。司会は三宅裕司とくりぃむしちゅー。元々はお笑いブームに便乗して開始されたような番組で、当初はお笑いタレントのネタバトル形式でボブ・サップがレギュラーだったが、視聴率が取れずリニューアルとしネタの合間にゲームコーナーや暴露コーナー等を入れるようになって人気となり、『金スマ』をしのいでいた時期もあった。
  • またテレ東は2003年4月から『誰でもピカソ』が午後10時に移動されたことに伴い、三宅裕司の司会で『最高!ブギウギナイト』を始めたものの不振に終わり半年で終了、後番組に深夜の高視聴率番組『元祖でぶや』を開始し多少改善へとなった。翌年の2004年には当時人気不振だった『ワラキン』よりも視聴率が上になることが多く、『ワラキン』人気に火がついたころも視聴率を落とすような傾向には無かった。そんな時期に2005年10月にテレ東で建て直しが必要となっていた金曜午後8時の枠に移動され現在に至る。ちなみに移動後の同番組は裏番組などの影響で若干苦戦気味である。
  • だが、『ワラキン』もお笑いブームそのものが落ち着いてきた影響もあるが、徐々に衰退するようになった。そして2006年3月に金曜の放送が終了し、日曜午後8時に移動された。空いた枠はテレ朝・ABCの共同制作ドラマ枠となり第一作目の『富豪刑事デラックス』が12~14%ほどとなっている。テレ朝との共同制作になったために、事実上ABCがこの時間帯から撤退したとも言える。ちなみにテレ東は『元祖でぶや』の後番組として『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ』が開始され、8%前後と定着している状態。
  • 現在この時間帯は総合で『金スマ』がリードし、ドラマ枠、『金曜エンタテイメント』、『金曜ロードショー』、『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ』の順に追っている。

金曜午後10時台

この時間帯は9時台からスタートしている日本テレビの『金曜ロードショー』やフジテレビの単発ドラマ枠(現在は『金曜エンタテイメント』)を放送している為番組そのものが他の時間と比べ少ない。主に軸となっているのはTBSの『金曜ドラマ』である。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

金曜10時!うわさのチャンネル!!(日本テレビ)vs金曜ドラマ(TBS)vs必殺シリーズ(ABC・テレビ朝日系)
  • 上記通り金曜10時は番組戦争としては冴えない状態ではあったが、過去を遡ると1970年代半ば~末期頃、日テレの『金曜10時!うわさのチャンネル!!』とテレ朝の『必殺シリーズ』と『金曜ドラマ』の巴戦をしていた時期があり、これにより一番の敗者は『必殺シリーズ』となった。しかし藤田まこと演じる中村主水を主演にした『新・必殺仕置人』から起死回生し人気を取り戻した。
  • その後『うわさのチャンネル』が1979年に終了し、『金曜ドラマ』vs『必殺シリーズ』の2大争いになった。
  • 1980年代に入り、当面は『必殺シリーズ』優勢だったが1983年になり『金曜ドラマ』に『金妻シリーズ』『ふぞろいの林檎たち』などのヒット作を産んだ事から逆転するようになり、『金曜ドラマ』が制するようになる。ちなみにこれは東高西低の例によるもので関西地区では『必殺シリーズ』の方が人気が高かった。
  • 1985年10月になるとテレ朝の平日に『ニュースステーション』が開始されたが『必殺シリーズ』を放送している金曜のみはそのままで、『ニュースステーション』は11時開始だった。しかし『必殺シリーズ』の晩年はマンネリ化により視聴率も徐々に後退していき1987年9月をもって同シリーズの歴史に幕を閉ざした。

その後の主な動き

  • 1987年10月、『必殺シリーズ』の終了に伴い11時開始だった『ニュースステーション』が他の曜日同様10時開始となったが、こちらと同時期にTBSが『金曜ドラマ』を始め、他の曜日の10時台の番組を全て終了・枠移動させて立ち上げた番組『JNNニュース22プライムタイム』を放送したが『ニュースステーション』を筆頭とする他の裏番組に返り討ちされる羽目になってしまいその後も『JNNニュースデスク'88・'89』とリニューアルを計ったものの巻き返せず2年間でTBSの10時台ニュース番組は終了した。
  • こうして再び『金曜ドラマ』が開始され、1990年代に突入し『ずっとあなたが好きだった』『高校教師』と言った視聴率30%超えと同時に、当時社会現象にまで発展したドラマを生み出すようになった。その後も『愛していると言ってくれ』などの人気作品を次々と送り出した。決して打率10割のドラマ枠と言う訳ではなく不人気作品もあったがこの当時は極稀なケースとして片付けられていた。
  • だが2000年代に入り『金曜ドラマ』に冬の時代が訪れるようになり、一度でも20%を超える作品が出ず、時には裏番組の映画や単発ドラマ枠によって一桁になることも目立ってしまった。特に前述でヒット作として挙がった『高校教師』は2003年1月にリメイクしたが裏番組に特別映画『千と千尋の神隠し』が46.9%と日本の映画史上最高視聴率を記録し、その煽りを受け6%台にまで落ちてしまい平均でも前作と大きく差が開いてしまうほど低い結果に終わった。
  • また2004年10月からそれまで木曜9時で放送されていた『3年B組金八先生』シリーズをこの枠で放送され、数々の話題性があったものの前作よりも視聴率が取れず最高でも最終回の19%台と歴代シリーズ最下位の結果を出してしまった。
  • しかし2005年からの『ドラゴン桜』『花より男子』で活気を取り戻し20%を超えたことにより、再び『金曜ドラマ』が看板枠になりつつある。ちなみに近年は若者向け路線の作品が多数である。
  • 一方で他局の場合だと『金曜ロードショー』や『金曜エンタテイメント』や『ニュースステーション』→『報道ステーション』は一時的に視聴率に上下に変動したり、『金曜ドラマ』に影響を及ぼす程度の状態である。そして2006年の時点で唯一のこの時間のバラエティであるテレビ東京の『たけしの誰でもピカソ』は2003年4月のこの時間への移動後、5~7%と今ひとつ元気の無い状態が続き現在に至る。

金曜午後11時台

視聴率合戦の激しかった番組一覧

メントレG僕らの音楽(フジテレビ)vs『探偵!ナイトスクープ』(ABC)・金曜ナイトドラマ(テレビ朝日)vs恋するハニカミ!(TBS)

備考・平日深夜11時台

フジテレビ系のバラエティーパラダイス(通称:バラパラ)(23:00~23:30)とテレビ朝日系のネオバラエティ(通称:ネオバラ)(23:15~0:10)の対決である。普段はそれぞれの放送時間が定時で始まっていない為、特に抗争のようなものは見受けられないが、前枠番組の放送時間拡大・延長によって各番組に影響が生じることもある。

当初は日本テレビの夜は別バラ22:54も入っていたのだが2004年4月にNNNきょうの出来事が再び早まったのでこの枠の視聴率争いからは外れてしまった。(但し金曜日はNNNきょうの出来事と筑紫哲也NEWS23が23:30スタートとなるためこの時間他の枠は健在である)。小学生や中高生、若者に人気の枠でここ数年はつの局もゴールデンに負け時と劣らず戦っている。

ただし小学生や中学生の場合運動会または体育祭や合唱コンクールなどの時期が近づくと「朝練習」などがあり、早く寝なければならずその場合はフジテレビの30分で終わるバラパラが有利な時が多い。

一方、関西地区では『痛快!明石家電視台』『たかじんONEMAN』『ジャイケルマクソン』『今夜はえみぃ~GO!!』(毎日放送)や『クイズ!紳助くん』『ごきげん!ブランニュ』『きになるオセロ』『ビーバップ!ハイヒール』『探偵!ナイトスクープ』(ABC)が放送されている。関東地区より芸人などの新陳代謝がすすんでいないことや大阪のテレビ界の二大巨頭(上沼恵美子やしきたかじん)がこの時間帯でも君臨しているため、むしろ中高年層がターゲットになっていると言えよう。

テレビ朝日・黄金の金曜日

  • 視聴率争いにおいて最近まで余りスポットを浴びること事がなかったテレビ朝日だが、唯一他局を圧倒する時間帯があり、その時間帯を黄金の金曜日鉄(鉄板)の金曜日と呼ぶことがある。
  • 1980年代前半頃には、午後7時からの『ドラえもん』、午後7時30分からの『宇宙刑事ギャバン』などの特撮シリーズ、午後8時からの『ワールドプロレスリング』、午後9時からの『ハングマン』シリーズ(ABC制作枠)、午後10時からの『必殺シリーズ』(ABC制作枠)など黄金のラインナップと称された。
  • その後、1986年10月になると、午後8時枠に『ミュージックステーション』(通称:『Mステ』)を開始し、午後7時30分枠の特撮シリーズが日曜日の朝に引っ越しとなり、『はなきんデータランド』というランキング中心の番組に衣替えした。『はなきんデータランド』は1995年4月に『はなきんデータH』にリニューアルしたが、1996年3月に終了し、再びアニメ枠に戻っている。
  • 2006年は現在も放送中の「ドラえもん」に午後7時30分からの『クレヨンしんちゃん』、午後7時54分からの『Mステ』は、どれも長寿番組の代名詞的存在で、フジテレビ系の黄金の月曜日同様、常に他局の追随を許さない。また、この枠が全国ネットのプロ野球中継に返上されることも年に1~2回程度しかないのも有名である(但し「ニュースシャトル」編成時は西武ライオンズ主催のナイターでも「ドラえもん」が休止になることがあった)。なお、午後9時から放送していた『笑いの金メダル』は視聴率が安定していたが、4月に日曜日午後8時枠(19:58-20:54)に移動するとともにテレビ朝日との共同制作のドラマ枠に衣替えしてしまった。
  • そんな中、フジテレビは2001年10月にみのもんた爆笑問題のWメインとして立ち上げた「ザ・ジャッジ!~得する法律ファイル」をスタートさせ、それなりに安定傾向にあった。その後同番組は午後7時台に移り2004年11月には、打倒『Mステ』を掲げて人気司会者徳光和夫と人気占い師の細木数子を投入した占い番組『幸せって何だっけ~カズカズの宝話~』を開始すると、この午後8時枠は『幸せって何だっけ』が視聴率を独占するようになり、『Mステ』は1桁になることが多くなった。
  • 一方、日本テレビは約7年間放送した『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の後『マネーの虎』、続いて2003年10月に人気司会者の島田紳助を投入した『謎を解け!まさかのミステリー』を放送開始。紳助はみのもんたの『ザ・ジャッジ!~得する法律ファイル』に宣戦布告し、2004年10月に午後7時台へ追いやるなど、一時期は高視聴率を稼いでいた。その後『Mステ』へターゲットを切り替えたが、2004年11月に『幸せって何だっけ』が開始されると同番組に勝つことができなくなった。結局同じ低視聴率番組だった『Mステ』よりも早く姿を消すことになった。
  • テレビ朝日の黄金の金曜日は実際深夜まで及んでいる。午後10時台のニュースステーション(今の報道STATION)、午後11時台になると金曜ナイトドラマ(テレビ朝日制作、関東地区中心)、探偵ナイトスクープ(ABC制作、西日本地区中心)、深夜にはタモリ倶楽部(関東地区中心)や朝まで生テレビ(月末のみ)と続いている。特に一時期関西地区では19:00 - 24:30までは平均視聴率が20%を超えることがしばしばあった。

土曜日

土曜午前・正午

関西・東海地区では激しいワイド番組の争いが行われている。それ以外の地域では『王様のブランチ』(TBS)が一人勝ち状態である。

主な動き

土曜午後6時台

主な動き

現在は、週刊こどもニュース(NHK)、リアルタイム・サタデー(日本テレビ系)、アニメ番組(TBS)、MUSIC FAIR21(フジテレビ)、人生の楽園(テレビ朝日)、釣りロマン(テレビ東京)を放送中。

  • かつてこの時間はTBSが料理天国というサントリー1社提供の料理番組が放送されていた枠の裏にテレビ朝日が子供向けの戦隊特撮番組(関西地区では部長刑事の影響で午後7時半の番組を先行放送していた)を放送していた枠だった。それ以外の局はローカル番組や土曜日夕方のニュースを放送していたが、料理天国の番組終了後、製作枠をMBS枠に移行してからは低迷が続いた。一方のテレビ朝日も子供向け戦隊特撮番組を金曜日夕方へ移行し、鳥越俊太郎を編集長に起用したザ・スクープという報道ドキュメンタリー番組に編成替えをしていく。(以上は1980年代後半~1990年代前半にかけて)
  • 日本テレビが1985年にそれまで土曜昼に放送していたお笑いスター誕生!!を夕方5時30分に移動してから1990年代前半まで夕方5時30分~夜6時30分にバラエティー番組を編成していくが、鶴ちゃんのプッツン5以外は苦戦を強いられた。一方のフジテレビも1986年頃より夕方6時枠にアニメを編成していくが、長続きしなかった。(一時ニュース枠に戻された時期もあった。)
  • MBS枠になってから苦戦していたTBSもウルトラマンシリーズの特撮や機動戦士ガンダムシリーズ(いずれもMBS制作)のアニメを編成したりして、放送当時、新聞や雑誌の話題になったが、それ以外の作品では冴えない物もあり続けている。
  • 一方のテレビ東京はこの時間1968年の東京12チャンネル時代から放送していた三菱ダイヤモンド・サッカー(第1期)が1988年春まで放送されていたが、その後は明治屋・マイワールドビッグテニスRPG伝説ヘポイのアニメ番組を編成後、他の時間から移動してきた「釣り」番組の枠になっている。
  • ところが日本テレビが1993年7月24日~土曜日夕方5時枠にTVおじゃマンボウを編成するに当たり1991年頃から夕方6時をニュースプラス1・サタデーに編成替えする。(それ以前は夕方6時30分がニュース枠だった。)それまでのNHK総合テレビは人形劇や海外ドラマ「大草原の小さな家」などを経てYAT安心・宇宙旅行などのアニメ番組を編成していたが、2000年春の改編で土曜夕方6時のアニメ枠は教育テレビへ移動される。
  • 1997年秋に当時の編成上の事情でテレビ朝日は「ザ・スクープ」を土曜日夜11時枠に移動し、アニメ番組を編成するが、視聴率上の問題で長続きせず、2000年春に再び「ザ・スクープ」に戻されるが、2000年10月の改編で日曜日夜7時枠(夕方6時56分~夜7時58分)に移し、タイトルもスクープ21に変更されるのを期に故・いかりや長介をナレーションに起用した団塊世代向け旅番組人生の楽園に路線を変更し、40歳代以上の視聴者に圧倒的な支持を得ている。

一方フジテレビもそれまで日曜日夜11時に編成していた塩野義製薬1社提供のMUSIC FAIR21を2001年4月7日~ 土曜日夕方6時に放送しており、若い世代からお年寄りの世代まで視聴者層を浸透させていく。

  • そんな状況を見ていたかのようにNHK総合テレビもそれまで日曜日朝に編成していた週刊こどもニュースを2000年4月~土曜日夕方6時10分に放送時間を移動させたため、それまで、裏のアニメ番組を見ていた子供を持つ親達が18:00になったら、チャンネルをNHK総合テレビに合わせて「6時のニュース」をはさんで、「週刊こどもニュース」を続けて見ている人が多くなっている。一方NHK教育テレビは総合テレビで編成していたアニメ番組編成を引き継いで放送している。
  • 2006年7月現在、トップは「週刊こどもニュース」と「人生の楽園」、「ミュージックフェア21」の3番組が互角の勝負をしており、これを追いかけて「NNNニュースリアルタイム・サタデー」、「釣り・ロマンを求めて」が勝負をしている。なお最下位争いは「BLooD+」と「メジャー」。

土曜午後6時半台

現在は、たべごろマンマ!(日本テレビ系)、イブニング・ニュース(TBS)、もしもツアーズ(フジテレビ)、ポカポカ地球家族(テレビ朝日)、竹山先生。(テレビ東京)を放送中。

  • フジテレビのこの時間帯では2000年頃にローカル枠に格下げされるまでは日曜日のサザエさんに並ぶ不動のアニメ枠であった。主な人気作品として『タイムボカンシリーズ』(1975年10月~1983年3月)、赤塚作品の『おそ松くん』(1989年)・「平成天才バカボン」(1990年)、週刊少年ジャンプの人気漫画『幽遊白書』(1992年~1994年」、『忍空』(1994~1995年)などが挙げられる。また人気作品の場合は野球中継に返上されることが少なかった。現在、この枠はローカル枠となっている。
  • 日本テレビ系列の中京テレビでは、長らく自社製作による『お笑いマンガ道場』を放送してき提た。後に日本テレビにもネットされるが、スポンサーの意向により日曜朝に移動することになり、カゴメ一社提供による『モグモグGOMBO』を放送。こちらは小学生が料理を作る番組ということもあり、安定した人気を得てきた。
  • 現在、イオングループ一社提供の番組。『たべごろマンマ』を放送している。
  • なお、テレビ東京ではこの枠はローカル枠となっており、テレビ大阪ではローカル経済情報番組『なるほど!ラボ』が、テレビ愛知では長年旅番組『遊びに行こっ』を放送している。
  • TVQ九州放送は、ソフトバンクホークス戦がある場合。野球中継を放送している。ホークス戦が、デーゲームの場合『スポ・スタ』を放送している。
  • 2006年7月現在、『もしもツアーズ』が一歩リードしていて13%前後であり、他の番組が10%程度と言う中、『竹山先生。』が若干苦戦している状態である。

土曜午後7時台

この時間帯は毎日放送制作の『まんが日本昔ばなし』、『クイズダービー』、そしてこれらの後に放送されていた『8時だョ!全員集合』と合わせたTBSのファミリー枠が長らく高視聴率を稼いでいた。また、80年代に入るとフジテレビが『オレたちひょうきん族』をスタートしたことにより半ばには7時台のバラエティやアニメにも火が付くようになり、TBSかフジのいずれかに集中して見ていた視聴者が多かった。

視聴率争いの激しかった番組一覧

まんが日本昔ばなし(毎日放送・TBS系)・クイズダービー(TBS)vs.所さんのただものではない!&アニメ番組(フジテレビ・テレビ朝日)
  • 1970年代後半から1980年代後半まで、視聴率争いでは『まんが日本昔ばなし』と『クイズダービー』が独走状態だった。8時台の『8時だョ!全員集合』が生放送だった関係上、この両番組はプロ野球中継で番組が返上されることはほとんどなかった(クイズダービーがプロ野球中継に返上されたのはたった4回だったといわれている)。
  • TBS以外の放送局は、打倒『まんが日本昔ばなし』・『クイズダービー』を掲げて多数の番組が放送されていたが、なかなか勝てず、特にアニメや子供向けドラマを制作していたテレビ朝日は『あばれはっちゃく』『聖闘士星矢』など話題性はあったものの視聴率にはまで反映されなかった。しかしあばれはっちゃくは比較的健闘したと言え、むしろこれと「クイズダービー」にはさまれた他局の番組はもっと悲惨だった。(その「あばれはっちゃく」シリーズは『逆転~』を最後に1985年9月に打ち切られた。後番組は『愛川欽也の探検レストラン』が移動してきた)。
  • 中でもフジテレビでは7時台に「ズバリ!当てましょう」が1982年3月に終了(同番組は1980年以降視聴率低迷していた)し、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が1980年3月に終了して以降の土曜夜7時半はどの番組も揃って半年~1年以内で打ち切られる鬼門枠であった。1985年10月に『所さんのただものではない!』がスマッシュヒットし、『まんが日本昔ばなし』の牙城が厚かった中で健闘していた。また同時期にスタートした7時半のアニメ『ハイスクール!奇面組』は当時社会現象まで巻き起こしたアイドルグループ「おニャン子クラブ」と連動したストーリーなども展開大ヒット。これで『クイズダービー』は負ける回も出していた。そして『ハイスクール!奇面組』は人気の最中漫画の連載とともに終焉を迎えることとなった。そしてこれ以降のフジのアニメは地味な視聴率しか取れずに1990年には『ドラゴンクエスト』を最後にアニメ枠を撤退させてまで始められた、深夜で大人気を博した『やっぱり猫が好き』が的外れする結果となってしまった(アニメ「ドラクエ」はその後抗議が殺到してローカル枠で再開されている)。そして『やっぱり猫が好き』は『ただものではない!』と共に1991年9月に終了した。
  • ここで特筆すべきことは、関西の系列局・朝日放送(ABC)がテレビ朝日と違う編成をしていたことである。長らくABCでは大阪ガスが独占提供していた『部長刑事』シリーズを放送していたため、ニュースを除いた7時台以前の番組を別時間に放送していた。当時テレビ朝日の午後7時半枠で放送するアニメは先だって午後5時台で放映されていた。過去に戦隊シリーズが全国枠で土曜午後6時枠で放送されていた頃、関西地区では金曜日の午後5時30分から放送されていた。一時は10パーセント前後を維持していた『部長刑事』シリーズも、90年代後半には視聴者からの脚本コンクールをやるなどしててこ入れ策を行ったもののキャスト、スタッフの高齢化やいいタレントが関西に集まりにくくなったことで視聴率が低迷、またそのことによるテレビ朝日から編成上の都合による打ち切りの要請(圧力?)があったことで、2001年には午後6時台へ追いやられて、2002年3月で打ち切られる。
スーパースペシャル(日本テレビ)vs.平成教育委員会(フジテレビ)vs.筋肉番付シリーズ(TBS)vs.アニメ番組(テレビ朝日)
  • この時はテレビ朝日系列の1992年からスタートした『美少女戦士セーラームーン』の全盛時代であった。実際続編含めて5年で全200話放送されている。一時期、その前の時間帯の『幽遊白書』(フジテレビ土曜日午後6時半枠)との一つの黄金ラインが創られていたときがあった。そして、1993年10月に始まった午後7時30分枠の『SLAM DUNK』も人気が急上昇し、黄金のアニメ枠ともいえる。
  • 一方、日本テレビは『木曜スペシャル』を移動する形で『スーパースペシャル』を放送、『THEスペシャル!』を経て10年半放送された。1991年10月開始の『平成教育委員会』の大ヒットに伴う低迷が理由で、テレビ朝日の「おぼっちゃまくん」が打ち切り(打ち切り(実際は原作ごと連載が切られた)の理由は視聴率低迷以外に作者の小林よしのりが右翼団体に狙われていたという説もある。)、TBSも『まんが日本昔ばなし』をローカル放送に格下げと『クイズダービー』を打ち切ってそれ以後数々の番組を放送したものの、全く振るわない状態が続いていたが、1995年10月に始めた『筋肉番付』が大ヒットして、『平成教育委員会』が追い詰められる形となった。そして低迷を強いられることになるが一番の大きな要因は『平成教育委員会』のコンセプトが段々変化していき、番組末期には開始当初のスタイルに近づけたものの、収拾つかない状態になってしまったために、1997年9月に終了した。また『平成教育委員会』とデットヒート争いしていた『美少女戦士セーラームーン』シリーズもほぼ同じ時期にブームが下火になり、徐々に失速していき、1996年の美少女戦士セーラースターズでひとまず終了となる。
  • ちなみに、『筋肉番付』は同時間帯のトップにはいたが、開始当初は現在の『スポーツマンNo.1決定戦』のような内容ばかりを放送していたため、次第に飽きられてしまい、視聴者参加コーナーを中心にしたものの、やや失速気味に立たされて、80年代末期~90年代初頭の土曜8時を彷彿させるような(後述参照)結果となり、それ以降他の裏番組も活気が見られず当面この時間帯の視聴率争いが休戦状態となる。そして『筋肉番付』は収録中にケガ人を出す事故を起こしたことから、2002年5月に終了し(詳細は前述参照)、それ以後TBSは低迷を強いられることとなるがこれ以降しばらくの間はこの時間帯の視聴率争いは活気を失うようになっていた。
ひらめ筋GOLDシャル・ウィ・ダンス?(日本テレビ)VS爆笑問題のバク天!ぴーかんバディ!(TBS)vs.脳内エステ IQサプリ(フジテレビ)vs.ドスペ!(テレビ朝日)vs.土曜スペシャル(テレビ東京)
  • 長らく低迷していたTBS土曜日夜7時台に2003年10月、『どうぶつ奇想天外!』の人間版である『爆笑問題のバク天!』(通称:バク天!)を放送、テレビ東京の長寿番組『土曜スペシャル』を苦戦に追い込んだ上、日本テレビの『スーパースペシャル』(後の『THEスペシャル!』)を打ち切りにする人気を遂げていた。
  • 一方のフジテレビは2003年3月の『デリバリースマップ!デリスマ(サタ★スマシリーズ)』終了後の1年間いくつかの番組を送るも、結果としてはすべて全て失敗に終わっていた。そこで03年末の特番で高視聴率だった、『脳内エステ IQサプリ』(通称:IQサプリ)を2004年春からスタートした。
  • 『IQサプリ』も当初は『バク天!』や『土曜スペシャル』に苦戦していたが、夏ごろから解答者増員やクイズの問題のリニューアルが講じて視聴率を上げていき、2005年4月頃になると『バク天!』と視聴率が逆転するほどの人気となった。
  • 日本テレビも『億万のココロ・愛しのマネー$伝説』を送るが、視聴率が低迷し半年後にリニューアルして、『世界!超マネー研究所』となるが失敗。次に深夜番組『(秘)ひらめ筋(ひみつのひらめきん)』をゴールデンタイムに昇格させた『ひらめ筋GOLD』を放送したものの、また失敗。2006年4月からはかつて人気を得ていた『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』・「ウリナリ芸能人社交ダンス部」をレギュラー化した『シャル・ウィ・ダンス?』を放送していて、初回に18%強の高視聴率を稼ぐものの、2回目以降は10%前後と低迷している。
  • 一方、テレビ朝日はアニメ枠・バラエティ枠を廃止にし、2004年10月から単発スペシャル枠「ドスペ!」を開始。当初、7時台は「IQサプリ」、「バク天!」、「土曜スペシャル」に勝てず苦戦していたが、深夜で好評だった企画、かつてSPで好評だった企画を行ったことが功を奏し、「IQサプリ」が「バク天!」と視聴率を逆転させたことにより、「バク天!」と視聴率を逆転することにも成功した。
  • 『IQサプリ』に視聴率を逆転された『バク天!』はレイザーラモンHGをブレイクさせたきっかけを生んだものの、視聴率の改善にはつながらず、新コーナーを導入するも失敗。さらに太田光の下ネタの多さも影響。その結果、他のお笑い番組に似てきたことも否めなかったため、2006年3月に終了した。後番組に『ぴーかんバディ!』を導入するが、初回から10%前後をさまよっている。おまけに番組内で紹介したダイエット法に問題があったため厳しい状況となっている。
  • 2006年4月以降、この時間帯の視聴率争いは『IQサプリ』、『土曜スペシャル』が一歩リード。その後を「シャル・ウィ・ダンス?」、「ドスペ!」、「ぴーかんパディ!」と後を追う形となっている。

土曜午後8時台

土曜午後8時は、1960年代終わりから1980年代に於ける日本時間土曜日午後8時台の、日本バラエティ番組による、放送局(TBSvs.フジテレビ)とコメディアン(コント55号vs.ザ・ドリフターズvs.ビートたけし・明石家さんま)の視聴率争いで、「土曜8時戦争」ともいわれる。

明確な番組と期間の定義は曖昧であるが、およそ『8時だョ!全員集合』(TBS 1969年放送開始)から『オレたちひょうきん族』(フジテレビ 1989年放送終了)までの20年間を指す。

1960年代末には、テレビの一般家庭への普及率が高くなり、また世間では土曜日が「午前中は学校または仕事」という、いわゆる半ドン状態で、夜はゆっくりと家族でテレビ番組を見るという習慣が根付き始めていた。そして、視聴率の稼げる時間帯であるということで、各テレビ局はこの時間帯の番組に注力し始めた頃であった。

この頃の土曜の夜はフジテレビの『コント55号の世界は笑う』とナイター中継が主な番組であり、この時間帯の視聴率が低迷していたTBSは、居作昌果(いづくりよしみ)を中心として、坂上二郎と萩本欽一のお笑いコンビ・コント55号に対抗する番組を打ち上げるプロジェクトを開始した。居作は、アドリブが売りのコント55号に対抗する意味で、一度コント55号に敗れたネタ作りと練習が売りのザ・ドリフターズを起用した。この作戦が成功して1980年代前半まではTBSの視聴率一人勝ち状態となり(最盛期は40%以上の平均視聴率を稼いでいた)、ザ・ドリフターズは一大スターの座を獲得することになる。

1981年5月にフジテレビは『8時だョ!全員集合』に対抗して、関東勢以外にも関西のお笑い芸人や若手漫才師を多数起用し、アドリブを売りとする『オレたちひょうきん族』の放送を開始した。同番組は『8時だョ!全員集合』から徐々に視聴率を奪い、同番組を追い詰めていった。(但し『オレたちひょうきん族』は野球シーズン時に時々ナイター中継で番組が返上される時もあったが、『8時だョ!全員集合』は生番組であった関係上、ほとんどナイター中継で返上される事がなかった。実際、全員集合放送期間にプロ野球中継で番組が返上されたのはたった2回だったといわれている)遂に視聴率が10%台までに追いやられた『8時だョ!全員集合』は1985年9月に放送を終了したため、ザ・ドリフターズは視聴率争いに敗れてしまう。これに対抗してTBSは同番組の後番組としてザ・ドリフターズの人気者であった加藤茶と志村の2人をメインとした『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を1986年1月に放送開始した。「THE DETECTIVE STORY (探偵物語)」と「おもしろビデオ(素人ビデオ投稿)」の2大コーナーをヒットさせた事から『オレたちひょうきん族』を追い詰め、同番組も1989年に放送を終了したため、「土曜日8時台」は再びザ・ドリフターズの天下となった。

一方、日本テレビはTBS・フジテレビの抗争の陰で長年悪戦苦闘に追いやられたが、1990年に『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』と『知ってるつもり?!』に続く「クイズプロジェクト」第3弾としてスタートした『マジカル頭脳パワー!!』がヒットした事により、ようやく肩を並べるまでになった。ちなみに、夏場になると巨人戦を行う日本テレビにとって有利となり、当時の1970年代から1980年代に掛けての各番組に大きな打撃を与えることにもなった。

しかし、この頃になると原則として土曜日・日曜日・祝祭日が休みとなる週休2日制が根付いたこととチャンネル権の主役である子供の学習塾通いが増えたこと、及び居酒屋ブームにより土曜日の夜に家族でテレビを見るという習慣が薄れ始めて来たことから、この時間帯の平均視聴率はせいぜい20%程度と低迷を始めた。この社会の変化により、土曜8時台の視聴率争いは下火となった。

だが、1980年代後半以降、かつてのテレビ以上の勢いで爆発的に普及した家庭用ビデオデッキや、赤外線リモコン付きテレビの登場が、視聴率に対する基準的視点を変化させる。一家が複数台のテレビ及びビデオデッキを保有し、数十秒単位でチャンネルが切り替えられる様になると、どんな人気番組でも30%以上の視聴率は不可能になった。その中でフジテレビの『めちゃ²イケてるッ!』は安定した視聴率を確保し2004年秋のSPで視聴率30%越えをしたことから、他局もこの時間帯を見直す様になり、「土曜8時戦争の再燃」と言われるようになった。

視聴率争いの激しかった番組一覧

8時だョ!全員集合(TBS)vs.コント55号の世界は笑う(フジテレビ)
  • 『8時だョ!全員集合』の立ち上げ直後は、視聴率は良くもなく悪くもない状態ではあったが、コント55号には全く及ばない状態であった。このため、居作は当時の人気タレントをゲストに呼ぶ作戦を取ってコント55号に対抗した。この作戦が当たったことと、加藤の一発芸がヒットしたことにより同番組はコント55号を追い抜いた。加藤の話によれば、初期には放送作家の原稿通りにやっていたコントを自分達で書き直すようになってからコントが受け出したことが視聴率アップになったという。
8時だョ!全員集合vs.欽ちゃんのドンとやってみよう!(フジテレビ)
  • 『8時だョ!全員集合』では荒井注が引退し、新メンバーとして志村が起用された直後で、志村のギャグが全く受けずにコントが低迷状態に陥ってしまい、素人葉書投稿がメインである『欽ドン!』に視聴率で抜かれてしまう。8時ではなく7時半からのスタートというのもあり、当時としては斬新であったロケーションを交えてのコーナーなどが人気を博したちまち視聴者をつかんだ。しかし、志村は「東村山音頭」を大ヒットさせ、起死回生の一撃で『8時だョ!全員集合』が再び視聴率を逆転させ1980年3月で『欽ドン!』が終了、もう一説によるとメインである萩本が「これ以上ドリフと張り合いたくない。」との理由で撤退させたとの見方もあるが、後に月曜午後9時の枠に移る。
8時だョ!全員集合vs.オレたちひょうきん族(フジテレビ)
  • 『オレたちひょうきん族』では、ザ・ドリフターズを意識し、『8時だョ!全員集合』の柱である前半コントと『オレたちひょうきん族』の柱である「タケちゃんマン」をぶつけないようにして、『8時だョ!全員集合』が後半コントに入る8時半から「タケちゃんマン」を開始させる程の配慮を行った。
  • 一方、同番組では1982年にいかりや長介がネタ作りを降板させられ、変わりに加藤と志村が音頭を取るようになった。さらに居作がプロデューサーを降板し、メンバー内とスタッフの不協和音が見られ、コント作りが低迷し始めた。そして1984年に遂に視聴率で『オレたちひょうきん族』に抜かれた『8時だョ!全員集合』は、1985年9月に16年間続いた放送に終わりを告げた。
加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBS)vs.オレたちひょうきん族
  • 『オレたちひょうきん族』のメインの一人であったたけしが「講談社フライデー襲撃事件」を起こして逮捕されたために謹慎処分となったため、共演者だったさんまが一人で「タケちゃんマン」を支える状態に陥ったことから、同番組は苦境に立たされた。
  • 一方、1986年1月にスタートした『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』は、加藤と志村のゲスト歌手やタレントを迎えたコントと8時半の時間帯を素人投稿ビデオにより視聴者が流れるのをカバーして視聴率を獲得した。その結果『オレたちひょうきん族』は追い詰められる形になった。それでも1988年の春頃までは双方いい勝負をしていたが、『オレたちひょうきん族』に数々の追い討ちとなるものが来るようになる。そのためか秋には人気コーナー『ひょうきんベストテン』と『タケちゃんマン』が終了した。
  • また直接対決ではないが、この当時には『とんねるずのみなさんのおかげです』の全盛期でフジのお笑い番組(と言うよりも総合的に)の王者が完全に受け渡され、「かまへんライダー」は(「仮面ノリダー」がウケてるから)仮面ライダーのパロディをやれといわれて作られたと言われる状況にまで至ってしまったため、三宅プロデューサーも「役目は終わった」と語るようにまでなった。こうして『オレたちひょうきん族』は1989年9月(レギュラー放送)に放送を終了、再びザ・ドリフターズが視聴率争いを勝ち抜いた。しかし『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』も勝利を収めたものの、週休2日制などの原因(前述参照)によりかつてのような勢いは衰えていた。
マジカル頭脳パワー!!(日本テレビ)vs.加トちゃんケンちゃんごきげんテレビvs.ウッチャンナンチャンのやるならやらねば(フジテレビ)
  • 1990年10月、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が人気だった土曜日8時台に日本テレビが『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』と『知ってるつもり?!』に続く「クイズプロジェクト」の第3弾として『マジカル頭脳パワー!!』をスタートさせる。また、フジテレビも木曜日9時台に放送されていて好評だった『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば』を『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』にタイトルを変更すると共に土曜日8時台に放送時間帯を移動させた。この番組は『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』とは異なる全編コント番組だった。これにより、それまで一人勝ち状態であった同番組は徐々に視聴率が低下していく。そして、1991年~1992年頃になると『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』が『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を抜いて視聴率トップとなり、『マジカル頭脳パワー!!』がそれを追う状況が続いた。この影響は『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の前に始まる『まんが日本昔ばなし』や『クイズダービー』にまで及んでしまい、TBSの土曜日ファミリー枠そのものが衰えてしまう結果となってしまった。
  • そして、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』は1992年4月から『KATO&KENテレビバスターズ』のタイトルで新装開店するも、番組開始からの視聴率の低迷でわずか半年で終了し、TBS土曜日8時台で23年余り続いたドリフ関連のお笑い番組がここで途絶えることになる。
  • しかし、1993年6月に『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』が収録中に死亡事故を発生させてしまい、番組はそのまま打ち切られて、さらに『マジカル頭脳パワー!!』が1994年4月の番組大改編で木曜日8時台に移動したことから、代わって木曜日夜に放送していた単発特別番組枠『木曜スペシャル』を『スーパースペシャル』として再出発させ、『久米宏の道徳の時間』や『欽ちゃんの仮装大賞』が25%以上を出したが、土曜日8時台は1996年10月19日にフジテレビの『めちゃ2イケてるッ!』がスタートするまでの約2年半にわたって活気を失う状況が続いた。その時期は家族向けをターゲットにしたTBSの『どうぶつ奇想天外!』とお年寄りをターゲットにしたテレビ朝日の『暴れん坊将軍』シリーズが主にこの時間帯の番組では視聴率がトップだった。しかし時代劇シリーズは番組のマンネリ化や裏番組の影響によって徐々に低迷し1999年4月に木曜夜7時枠に移行された(現在は火曜夜7時枠)。その後テレビ朝日は時代劇枠が移動した後、『プリズンホテル』、『笑ゥせぇるすまん』などの現代劇連続ドラマ枠に転換したが、『どうぶつ奇想天外』と『めちゃイケ』には勝てず、1年でバラエティ枠に転換された。
  • この現象の要因の一つには学校や会社における「完全週休二日制」の普及がある。これにより、従来この時間帯が持っていた特性は金曜日の同時間帯に移ったことになる。
スーパースペシャル(日本テレビ)vsジャニーズ番組(TBS)vs.めちゃ²イケてるッ!(フジテレビ)
  • 1992年の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』終了後、同ジャンルとしての対決が空白状態が続いていたが、2000年4月にそれまでTBS土曜日8時台に放送されていた『どうぶつ奇想天外!』を日曜日同時間帯に移動させ、新たにタッキー&翼滝沢秀明が率いるジャニーズJrと進行の三宅裕司を迎えて、様々なコーナーを融合させた『ガキバラ帝国2000!』を立ち上げた。番組開始直前にメインである滝沢がパーソナリティを務めていたラジオ番組にはいかりやをゲストに招いて、「新旧土曜日8時の顔!」や「土曜日8時戦争の再現!」と意気込んだものの、『めちゃ²イケてるッ!』に押される一方で、先述の意気込みも「いまだに土曜日8時台の栄光を引きずっているのか?」と揶揄された上、視聴率も低迷した。そのため、1年後にTOKIO国分太一が司会を務める『USO!?ジャパン』という、メンバーがほぼ同じで心霊・怪奇特集にスポットを当てた番組で巻き返し、2002年頃には『めちゃ²イケてるッ!』の人気が低迷してた時期だったこともあって勝利する回もあったが、翌年で人気を取り戻し、こちらの視聴率は低迷したため、2年半で打ち切られてしまった。
  • 一方、1994年4月に『木曜スペシャル』から枠移動した『スーパースペシャル』は、2000年を迎えると裏番組(特に7時台)が苦戦する中で「行列のできる法律相談所」を投入して20%と好評を博したため、2002年4月から日曜日9時台に『知ってるつもり!?』の後継番組としてレギュラー番組に昇格した。同企画をレギュラー化した後のスタッフは『謎を解け!まさかのミステリー』を手掛けて、こちらも好評を博したため、2003年10月から金曜日8時台にレギュラー化(~2006年3月)されたことから、視聴率を同時期にスタートしたTBSの『爆笑問題のバク天!』や『スーパースペシャル』とテレビ東京の「土曜スペシャル」(19:00~20:54)に奪われ、「鳥人間コンテスト選手権大会」と「ベストヒット歌謡祭」(ともによみうりテレビ制作)以外の看板企画が失われてしまい、番組自体がパワーダウンした。このため、2004年4月に『THEスペシャル!』に衣替えしたが、前途のパワーダウンに否めなかったことから、9月を以て1973年4月に始まった『木曜スペシャル』以来31年6か月にわたって放送されて来たレギュラー単発特別番組枠が廃止された。そのためか、日本テレビの土曜夜7時枠は苦戦を強いられている。
世界一受けたい授業(日本テレビ)vs.クイズ番組→ニッポン!チャ×3!(TBS)vs.めちゃ²イケてるッ!vs.ドスペ!(テレビ朝日)vs.土曜スペシャル(テレビ東京)
  • 2004年に入り、土曜8時台は『めちゃイケ』が独走状態だったが、2004年10月に日本テレビがテコ入れのためにそれまで放送されていた2時間の単発特別番組枠を廃止して『世界一受けたい授業』を開始、時を同じくしてテレビ朝日が『スイスペ!』から放送日を移動した『ドスペ!』(19:00~20:54)を開始、TBSも『めちゃイケ』に対抗するべく2003年10月に前番組だった『USO!?ジャパン』に引き続きTOKIOの国分が司会を務める『探検!ホムンクルス~脳と体のミステリー』→関口宏が司会を務める『8時です!みんなのモンダイ』を立ち上げて、クイズ番組で攻勢に出るが、視聴率低迷でともに失敗に終わる。
  • そんな矢先にTBSは2005年4月に島田紳助が司会を務める『島田検定!! 国民的潜在能力テスト』で視聴率を一時は挽回する。しかし、ルールが複雑だったことなどから視聴者の評価は芳しくなく、同時に視聴率も低下したため、半年後の10月に『島田検定SUPER!!』にリニューアルしたものの、ほぼ同じテーマを扱う『世界一受けたい授業』と『めちゃイケ』が視聴率的にも有利だったことや、『ドスペ!』が深夜番組で好評だった企画を次々と昇格させて両番組に対抗し、また、テレビ東京もこの時間帯に放送されている番組の中で一番長い歴史を誇る『土曜スペシャル』でサラリーマンや中高年齢層を獲得し、根強い人気を得ることになってしまって、さらなる視聴率低下を招いたため、2006年2月25日で終了した(なお、過去にTBSは低迷した伝統ある土曜日午後8時枠をテコ入れするため、『さんまのSUPERからくりTV』を日曜日から枠移動して、『めちゃ²イケてるッ!』と対抗する予定だったが、司会を務める明石家さんまがそれを拒否して実現しなかった。)。なお、4月29日からは同じ紳助が司会を務める『ニッポン!チャ×3!』がスタートしている。ちなみに初回の2時間スペシャル視聴率は8%台でその後も落ちてきていることから、苦しいスタートとなった。

2006年現在は『めちゃ²イケてるッ!』がトップに立ち、『世界一受けたい授業』が2位をキープしている。そして、『土曜スペシャル』、『ドスペ!』、『ニッポン!チャ×3!』が追っている展開になっている。

TBSの黄金・魔の土曜日

  • 1970年代、TBSは「民放の雄」と称され他局と大差をつけるほど勝ち誇り特に土曜日は一目置かれていた。
  • 70年代前半が『お笑い頭の体操』→『8時だョ!全員集合』→『キイハンター』&『アイフル大作戦』、70年代半ば~80年代前半にかけては夕方6時からの『料理天国』も人気となり、『まんが日本昔ばなし』→『クイズダービー』→『8時だョ!全員集合』→『Gメン'75』と時には全て30%以上の高視聴率を取る人気番組が立ち並び、10時からの『報道特集』は日本テレビの強力な人気番組『ウィークエンダー』が裏番組だった為振るっていなかったが、それでも他の土曜番組が絶好調であるため十分に黄金のラインナップと言えた。
  • だが、1982年に『Gメン'75』が終了した後、徐々に地盤が緩み80年代半ばにはフジテレビも全体的に活気付くようになり押しつ押されつ状態となり黄金曜日の終焉となった。
  • 1985年に『8時だョ!全員集合』が終了し後番組の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』は人気を博したが、9時・10時の番組が伸び悩んでしまい、1986年4月にスタートした『世界・ふしぎ発見!』も開始当初は10時台の放送で低視聴率だったが、9時台に上がってから段々視聴率を上げ他のTBSのクイズ番組と比較したら地味だが人気を獲得するようになる。でも10時台は単発ドラマ枠だったがなかなか改善されず1991年3月に終了し、4月から『ブロードキャスター』開始により改善された。
  • しかし、1990年代に入り9・10時が改善したが今度は7・8時が低迷するようになり1992年に『料理天国』『クイズダービー』『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が終了、更に1994年には『まんが日本昔ばなし』が終了(正確にはゴールデンタイムの全国放送が終了)し後述で記す「魔の土曜日」の序章となってしまった。
  • だがその後は『筋肉番付』→『どうぶつ奇想天外!』→『世界!ふしぎ発見』のラインナップでかつてのような黄金曜日とは言い切れないが息を吹き返した。
  • しかし、近年のTBSは土曜日は午後7時台と午後8時台を中心に視聴率が低迷している番組が出ているため、「魔の土曜日」という呼称も浮上している。
  • この発端は、ジャニーズをメインにした『ガキバラ帝国2000!』など土曜日午後8時枠は期待されていたが、視聴率低迷で打ち切られたのが始まりではないかと思われる。
  • 以降、前午後7時枠では当時やや陰りがあったもののそれなりに視聴率を稼いでいた『筋肉番付』が2002年5月に、収録中に怪我人が出てしまい、急遽お休みするなどの事態が起きた(事実上の打ち切り。)。
  • 『筋肉番付』は事故から約半年間、『CDTVゴールド』や『ザ・激闘!大家族!!』といったつなぎ番組を経て、2002年10月に『体育王国』としてリニューアルするものの、視聴率が『筋肉番付』よりは低迷したため、1年で『黄金筋肉』(ゴールデンマッスル)に再リニューアルすると共に水曜日午後8時に枠移動した(その後の『黄金筋肉』はサラリーマン・中高年齢層を主力とする『ためしてガッテン』と『いい旅・夢気分』に視聴率をとられたことで低迷、2004年4月に火曜日午後9時台へ移動したものの、今度は『開運!なんでも鑑定団』などに視聴率をとられたことで低迷となってしまっため、7月で終了。)。その後枠で入った『爆笑問題のバク天!』も序盤はそこそこの視聴率を稼ぎ、日本テレビの『スーパースペシャル』を終了させたものの、半年後にフジテレビが2003年末に特番で放送して好評だった『脳内エステ IQサプリ』を開始させたことに伴って視聴率の低迷とともに次第にマンネリ化して、2006年3月の2時間スペシャルを以て終了した。現在は『ぴーかんバディ!』を放送している。
  • 他にも、スポーツ中継や単発特別番組などが、期待されていた視聴率よりも下になることが多かった。
  • ただ、近年は『世界・ふしぎ発見!』も日本テレビのドラマの視聴率回復傾向や、『ブロードキャスター』も日本テレビの『エンタの神様』に視聴率を取られて低下傾向にある。

土曜午後9時台

この枠は日本テレビの土曜グランド劇場、TBSの世界・ふしぎ発見!、テレビ朝日の土曜ワイド劇場、テレビ東京の出没!アド街ック天国と言う長寿番組があるこの時間帯。

昭和時代の主な動き
  • 1970年代の初頭からTBSの『キイハンター』『Gメン‘75』の刑事ドラマがこの時間を制していた。そして各裏番組も同じようにドラマ枠であったが横並び状態の低迷であった。
  • そしてその牙城を打ち崩そうと其々あらゆるドラマを制作するが、特に有名なのはフジテレビの田宮二郎主演『白い巨塔』で当時としては注目されていたが、視聴率は12%前後で時には一桁をも出してしまうことになりこちらまでも『Gメン‘75』に押されることになってしまった。そんな矢先『白い巨塔』が物語の終盤に差し掛かったころ、主演の田宮が自殺を図り急死した。この衝撃的なニュースにより視聴者の注目を集め、自殺から数日経過した最終回前の回の視聴率が26%取り、年明けの最終回では31%を記録した。
  • 以上のことは9時台の動きとしては一時的な出来事だったが、1979年から変動が起こるようになる。フジ同様苦戦を強いられていた日本テレビの『土曜グランド劇場』に『熱中時代』『池中玄太80キロ』などの人気ドラマが生まれ、『Gメン‘75』とともに2大勢力となっていた時期があった。
  • そして『Gメン‘75』は惜しまれつつも1982年に終了し、『土曜グランド劇場』もその頃は再び失速するようになり1987年~1988年にかけて中断しバラエティ枠に当てていたことがあった。
  • 一方でテレビ東京は関口宏司会の『テレビあっとランダム』を放送しており、同局の中では安定した人気番組となっていた。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

土曜グランド劇場(日本テレビ)VS世界・ふしぎ発見!(TBS)VS土曜プレミアム(フジテレビ)VS土曜ワイド劇場(テレビ朝日)VS出没!アド街ック天国(テレビ東京)
  • この時間帯で最も古いのは1977年にスタートした2時間ドラマの老舗ともいわれる『土曜ワイド劇場』(通称:土ワイ)である。市原悦子主演の『家政婦は見た!』は現在でも視聴率20%を超える人気作品である。また『ゴールデン洋画劇場』(フジテレビ;現在の土曜プレミアム)も長年好調であり、最近では人気映画をやることでこちらも視聴率20%を超えることが多く、午後8時スタートが多くなってきた。
  • 一方、TBSは1987年秋、それまで午後10時台で放送されていたクイズ番組『世界・ふしぎ発見!』が1時間繰り上がり、高視聴率を記録するようになる。
  • そして、この時間の視聴率争いを決定付ける番組が登場する。それまであまり話題性のなかった(それでも、中には10%代後半を出すものはあったが)日本テレビのドラマが1994年春、安達祐実主演の『家なき子』が大ヒットし、最高視聴率30%以上を記録。また、この作品内の台詞「同情するなら金をくれ!」は1994年の流行語大賞を受賞するなど大ヒットとなった。
  • その後土9ドラマはジャニーズ事務所所属のタレントを主演にするなどし、若者を中心に高視聴率を稼ぐようになったが、2000年代に入ると、ミスキャストやマンネリ化などの影響などもあり、視聴率1桁を出す作品も多くなってしまった。また近年はジャニーズ事務所所属のタレントを起用しないドラマのほうが視聴率が高いことがある。(『明日はあるざ』、『すいか』など)
  • その影響もあって土9ドラマが低調だった時期は『世界・ふしぎ発見!』や『土曜ワイド劇場』が高視聴率を出すようになった。
  • しかし日本テレビはこれに黙ってはいる筈もなく、2005年、かつて水曜10時で放送された『ごくせん』をキャスト一新し土9で放送。結果としては水曜時代よりも視聴率は上昇し、最終回は30%以上を記録した。
  • ところが今度は『世界・ふしぎ発見!』の視聴率が低迷してしまい、2005年4月にアシスタントを入れたり、クイズ趣向を変えたりした。そして2005年8月6日、ついにレギュラー解答者の野々村真が20年目にして、初のパーフェクト賞(全問正解)を達成する快挙を成し遂げ、瞬間最高視聴率19%を記録するなどし見事復活した。
  • 2006年の改編時からNHKでも短期ながら連続ドラマ枠を導入される。江角マキコ主演の『マチベン』など、こちらは中高年層をターゲットにしたドラマである。大型報道特別番組で番組がなくなることがあるが、こちらも視聴率が比較的安定している。

7月現在、「土曜ワイド劇場」がリードし、「土曜グランド劇場」、「世界ふしぎ発見!」、ドラマ枠、「土曜プレミアム」、「出没!アド街ック天国」がそれを追っている。

土曜午後10時台

現在は、つながるテレビ@ヒューマン(NHK)、エンタの神様(日本テレビ)、ブロードキャスター(TBS)、土曜プレミアム(フジテレビ)、土曜ワイド劇場(テレビ朝日)、美の巨人たち地球街道(テレビ東京)を放送中

主な動き

  • この時間帯も、金曜午後10時台と同様、9時からの番組が2本(土曜プレミアム土曜ワイド劇場)放送されているため、番組そのものが少ない。軸となっているのは、日本テレビのバラエティ番組である。
  • その日本テレビは、1975年4月にワイドショー番組『テレビ3面記事 ウィークエンダー』がスタートする。この番組は、あまりテレビで報道されることのない事件などを取り扱っていた。賛否両論が激しい番組であったものの、この時間帯の主導権を握っていた。
  • TBSは、対抗番組として、1980年10月に『JNN報道特集』を立ち上げるも、『ウィークエンダー』の牙城を崩すことはできず、視聴率が低迷したため、1982年4月に日曜午後6時台に移動した。移動後は、ドラマの枠となったが、視聴率は改善されなかった。
  • しかし、『ウィークエンダー』は、1984年5月に終了した。終了後の同時間帯は、30分番組2本の枠となったが、1994年4月に『夜もヒッパレ一生けんめい』が開始されるまで、日本テレビの土曜午後10時枠は、鬼門枠となってしまった。
  • 上記のように、『ウィークエンダー』終了後、この時間帯は、活気を失う状況が続いていたが、1991年4月に、TBSが『ブロードキャスター』開始により、再び活気付くようになる。同番組は、『ウィークエンダー』とは違ったタイプのワイドショー番組であり、一つ前の番組『世界ふしぎ発見』と共に高視聴率を稼ぐようになった。同番組のコーナー、山瀬まみの『お父さんのためのワイドショー講座』は、好評を博しており、名物コーナーとなっている。しかし2004年秋の改編でアシスタントの三雲孝江が平日の夕方(イブニングファイブ)に異動したため、そのときから久保純子がアシスタントを努めるようになってからは視聴率が下がり始めていった。
  • このころの日本テレビは、よみうりテレビ製作の連続ドラマを放送していたが、ヒット作に恵まれず、1994年3月に終了(その後木曜午後9時枠に移動)。そして、後番組には、当時、一つ後の番組だった『夜も一生けんめい。』を昇格させ、『夜もヒッパレ一生けんめい』の放送が開始された。この番組は、前半30分を『夜もヒッパレ』、後半30分を『夜も一生けんめい』というスタイルで放送され、三宅裕司赤坂泰彦といった個性豊かな司会者を始め、それまでの音楽番組にはなかった、ランクインした曲を、ゲストやレギュラー出演者が歌うという斬新なテイストが人気を呼び、『ブロードキャスター』に迫る視聴率を稼ぎ、日本テレビの土曜午後10時枠は、冬の時代にようやく、終止符を打った。
  • 『夜もヒッパレ一生けんめい』は、1995年4月に『夜もヒッパレ』と『夜も一生けんめい』を統合し、単独の1時間番組としてリニューアル。タイトルも、『THE夜もヒッパレ』に改題した。こちらも、視聴率は安定していた。
  • 2000年4月、テレビ東京が、美術系教養番組『美の巨人たち』をスタートさせ、視聴率が比較的安定している。だが、『夜もヒッパレ』→『エンタ』と『ブロキャス』の牙城を崩すまでには至っていない。
  • そんな中、『THE 夜もヒッパレ』が、視聴率は落ち込んでいなかったのだが、プロデューサーの意向により、2002年9月に終了した。後番組に、日曜午後10時30分の枠で絶大な人気を得ていた『電波少年シリーズ』をこの枠に移動させ、『電波少年に毛が生えた 最後の聖戦』としてスタートした。しかし、番組内の相次ぐ不祥事で莫大な批判を浴びたことと、目標の平均視聴率(13%)に到達することができなかったため、3ヶ月で打ち切られた。ちなみに、電波少年シリーズはこの番組をもって、10年間の歴史に幕を閉じた。
  • その後は、『雲と波と少年と』を放送するも、第1回放送の翌日に「屋久島だより」のスタッフが飲酒運転事故を起こすなどの不祥事があったことや、視聴率が『電波少年シリーズ』以上に低迷してしまい、僅か6回で打ち切り。3月は『電波少年シリーズ』の総集編でつなぎ、4月に現在も続く、『エンタの神様』が開始される。開始当初は、番組名の通り、なんでもありのエンターテイメント番組だったが、回を重ねるに連れ、お笑いを取り扱うことが多くなり、10月からお笑いタレントがネタを見せる番組に変身した。この頃から、視聴率も上がるようになり、現在では、『ブロキャス』を負かす回があるのもざらで、前のドラマによっては、20%を越えることもある。
  • 一方NHKでは長年『サタデースポーツ』を放送していたが2005年12月に終了し、『土曜ドラマ』が開始されるが、3ヵ月後の4月に午後9時台に移動した。そして、『ブロキャス』とは切り口をかえた情報番組『つながるテレビ@ヒューマン』をスタートするが民放の勢いを止めることができるまでには至っていない。
  • なお、この時間帯、福井放送四国放送では、『テレ朝水曜21時枠刑事ドラマ』を遅れネットで放送している。
  • 現在の状況は、『エンタの神様』がトップで、その後を『ブロードキャスター』、『土曜プレミアム』、『土曜ワイド劇場』がほぼ同じ視聴率で追う展開となっている。

土曜11時台

ここ数年はゴールデンタイムの番組に勝るとも劣らないほどの人気番組を輩出している時間帯だが、ナイター中継延長やフジテレビの『ゴールデン洋画劇場』(現在の『土曜プレミアム』)の放送時間拡大によって放送時間がずれ込むこともしばしばある。これには11:00~11:30と11:30~0:00の2つの時間での争いがある。なおNHKのこの時間帯は海外ドラマを1時間番組でやっているので一括りとなる。

視聴率争いの激しかった番組一覧

今夜は最高!(日本テレビ)vs.クイズDEデートパンチDEデート(関西テレビ・フジテレビ系)
  • 1977年にスタートした、関西テレビ制作で、スポーツ用品メーカーであるミズノの独占提供クイズ番組『クイズDEデート』がこの時間の定番番組として高視聴率を稼ぎ続け、一線を張っていた中、日本テレビは1981年4月に、当時着々と頭角を表していたタモリをメインとした音響機器メーカーであるパイオニアの独占提供音楽番組『今夜は最高!』を立ち上げて大人気となり、この2番組が争うようになり勃発。
  • この争いの中、関東地区での『クイズDEデート』が低迷するようになり、1984年3月で全国ネットを終了、翌4月からは関西ローカル番組に降格させられた。そして、後続番組に姉妹番組である『パンチDEデート』をこの時間に持ってきたものの、こちらも番組末期だということもあり挽回できず、この時間としては1年で終了してしまった。その後も関西テレビは幾度か番組を立ち上げながら迷走を強いられることになった。
今夜は最高!vs.ねるとん紅鯨団(関西テレビ・フジテレビ系)
  • 『今夜は最高!』の独走が続く中、迷走していた関西テレビは1987年10月に当時若者から絶大な支持を受けていたとんねるずを起用した恋愛バラエティ番組『ねるとん紅鯨団』(通称:ねるとん)をスタートさせる。開始早々たちまち流行語を生み出した『ねるとん』は、毎回ゴールデンの番組と肩を並べるほどの高視聴率をたたき出した。この勢いにより、『今夜は最高!』は押されてしまう形となったが、回によってはまだ数字を取る回もあり、タモリは「まだまだ続けていきたい。」と意欲的だった。
  • しかし、『今夜は最高!』のスポンサーだったパイオニアと日本テレビの社員の一部から出た「もうタモリじゃ数字は取れないだろ?」という発言がタモリの耳に伝わり、これを聞いて激怒、「だったらこっちから願い下げだ!」とあらわにして揉めるようになったため、1989年9月に番組は終了。これ以降日本テレビでのタモリのレギュラー番組は一切無く(単発でごくまれに出る程度。)、これが発端となって日本テレビと深い溝ができるようになったと言う説がある。ちなみに双方の最高視聴率は『今夜は最高!』が21.6%、『ねるとん』が24.7%と同じ1989年3月4日に記録しているが、これはフジテレビの『ゴールデン洋画劇場』がナイター中継延長によりずれ込んだためである。そして、『今夜は最高!』が終了した後は、『爆風スランプのお店』を立ち上げるものの、人気が振るわず、『ねるとん』の勢いを助長させる形となってしまって半年で終了した。
夜も一生けんめい。(日本テレビ)vs.ねるとん紅鯨団
  • 1990年4月、当時老若男女問わず人気を得ていた司会者逸見政孝を起用した『夜も一生けんめい。』がスタートした。軽妙な構成やゲストや出演者のやりとりが好評となりまれに『ねるとん』を上回ることもあった。しかし、平均視聴率は10%台と普段から高かった訳ではなく、1993年12月に逸見が急逝、代理司会をしていた徳光和夫が正式に司会することとなり、翌年の1994年4月に10時台に移動、『夜もヒッパレ一生けんめい』(後の『THE夜もヒッパレ』)が開始され、結局『ねるとん』の勢いを止めるに至らなかった。
恋のから騒ぎ(日本テレビ)vs.ねるとん紅鯨団→とんねるずのハンマープライス(関西テレビ・フジテレビ系)
  • 『夜も一生けんめい。』の後続番組として、明石家さんまを起用した大手自動車メーカーであるトヨタ自動車の独占提供番組(当時)『恋のから騒ぎ』(通称:恋から)がスタートし、開始当初からまずまずの人気を得るようになり徐々に視聴率を上げていくようになった。
  • しかし、『ねるとん』も決して負けておらず、一線を保ち続けた。だが同年12月に打ち切られることになり、7年3ヶ月の歴史に幕を降ろした。理由は色々とあるが定かではない。そして、年明け・1995年1月に当時関西テレビアナウンサーだった杉本清と3人で司会を務めた『ハンマープライス』(通称:ハンプラ)がスタートし、これも「この世に二つと無い(芸能人の)品物」というの触れ込みが大人気となり、『恋から』とは僅差で優勢になり、翌年の1996年になってから五分五分の争いになった。ただ、1997年には立場が逆転して、『恋から』が優勢となった。
  • 1998年になると、『ハンプラ』が先にマンネリ化して、『恋から』がリードを続けたため、同年9月に終了する。その後も10月にとんねるずを起用した番組『JAPAN BOYS』がスタートしたものの、当たらず振るわずとなってしまって、わずか半年後の1999年3月で終了。これによって、関西テレビ制作のとんねるず枠は、『ねるとん』から通算して11年半の歴史に幕を降ろした。そしてこの時間帯は『恋から』が制するようになる。その後の模様は後述参照。

11時半台

11時半台は1989年に開始した松下電器産業(Panasonic)が独占提供のバラエティ番組『夢で逢えたら』や『夢がMORIMORI』(通称:夢MORI)が『ねるとん』との後押し効果で高視聴率を獲得して、この時間はフジテレビの土壌となった。しかし、1994年4月にTBSが開始したサントリーが独占提供する料理番組『チューボーですよ!』(通称:チューボー)によって抗争が勃発するようになる。

チューボーですよ!(TBS)vs.夢がMORIMORI→めちゃ×2モテたいッ!(フジテレビ)

前述の『チューボー』開始に伴い、こちらも人気を得て15%以上もの視聴率を獲得するようになったために『夢MORI』と争う形となる。そして1995年9月に『夢MORI』は終焉を迎えることになるが、これはレギュラー出演しているSMAPが当時個々の活動が増えて、スケジュール調整がうまくいかなくなったために打ち切られたという見方がある。それで6ヶ月のブランクを経て『SMAP×SMAP』(通称:スマスマ、フジテレビ・関西テレビ共同制作)を立ち上げて大ヒット、現在に至っている。

  • そして『夢MORI』の後続番組として『めちゃ×2モテたいッ!』(通称:めちゃモテ)がスタート。この番組も人気を博して、ここでのコントの中で岡村隆史扮する「マチアキ」(マチャアキのパロディ)をやっていたことから、最も裏番組の『チューボー』を意識していた番組でもある。
  • そして1996年10月に番組はゴールデンへ進出、現在の『めちゃ×2イケてるッ!』(通称:めちゃイケ)へと栄転した形になるが、番組内での矢部浩之のツッコミをスポンサーである松下電器産業の社長が嫌がり、番組終了を要請されたものの、人気があったために打ち切ることが出来ず、やむなくゴールデン進出を選んだという一説もある。
ナイナイサイズ!(日本テレビ)vs.チューボーですよ!vs.LOVE LOVEあいしてる(フジテレビ)
  • 1996年10月『めちゃモテ』の後続として始まったのが、KinKi Kidsメインとなった『LOVE LOVEあいしてる』である。こちらをスタートさせたことにより、『チューボー』の勢いを失速させて立場を逆転させた。また『LOVE LOVEあいしてる』はこの頃活気を失っていた関西テレビ制作のとんねるず枠よりも視聴率が上になることが多かった。これらの番組が抗争をしている中、2000年10月に日本テレビは新たにこの時間番組を新設するようになり、それもメインにフジテレビのこの時間で『めちゃモテ』をやっていたナインティナインを起用し『ナイナイサイズ!』を立ち上げた。
  • 『ナイナイサイズ!』は開始当初から『恋から』とセットで見る視聴者を確保することに成功して、半年後に『LOVE LOVEあいしてる』(後の『堂本兄弟』→『新堂本兄弟』)は日曜日夜10時に時間帯移動する。

※なお、このことから『ナイナイサイズ!』が高視聴率になったことで、『LOVE LOVEあいしてる』が低迷、時間帯移動に追い込まれたように見られがちだが、実はこの頃の実際の両者の視聴率が四分六分状態で、『ナイナイサイズ!』開始前とほとんど差は無かった。また、2001年4月の番組改編で日曜日夜10時に『堂本兄弟』(現在の『新堂本兄弟』)を立ち上げることが元々決まっていたが、『LOVE LOVEあいしてる』の出演者の大半を総入れ替えするために番組ごと変えたという見方もある。

その後の行方~現在
  • 関西テレビ制作枠だった11時台は、とんねるず枠終了後から劣勢続きになってしまったことから、TOKIO福山雅治などの人気タレントを登用しても『恋から』の足元にも及ばない結果となってしまった。
  • そして福山が司会を務めていた『福山エンヂニヤリング』に入ると、2002年3月で『クイズDEデート』の頃からスポンサーを続けてきたミズノが撤退、年明け・2002年4月からは代わりに大手繊維メーカーTEIJINが参入するようになった。
  • そして11時半台も同じように劣勢続きで、2002年10月から浜崎あゆみを起用した音楽番組『ayu ready?』からは松下電器産業(パナソニック)を含めた複数社提供番組になったが、後に松下電器産業は提供から降板している。
  • そして2004年になると、11時台で帝人が独占提供していたバラエティ番組『グータン』(関西テレビ制作)と11時半台で大手音響機器メーカーであるソニーが独占提供していた音楽番組『僕らの音楽』が、ともに視聴率が5%を下回る結果を出してしまった。ただ、番組ごと打ち切ることはできず、2005年4月から枠移動を兼ねたリニューアルをした(皮肉にもこのことで、両番組は後に安定した視聴率を取るようになった。)。そのため、長らく放送されてきた関西テレビの土曜日11時台独占提供枠が姿を消すことになる(水曜日11時台に移動したが、移動と同時に独占提供もなくなった。)。
  • その後は『23 SATURDAY DREAM SHOW』→『ブンブンサタデー』→『くるくるドカン~新しい波を探して~』(現在)と、人気お笑いタレントのくりぃむしちゅー青木さやかを起用した1時間番組になり、開始以前よりは多少改善され、日本テレビの『恋から』にはまだ及ばないが『ナイナイサイズ!』には最近になって互角の勝負をするようになった。
  • 一方で他局はTBSが『チューボーですよ!』が10%前後となり、テレビ朝日は2001年10月からスタートしたSMAPの香取慎吾が司会を務める『SmaSTATION』が放送されているが、張り合えるほどの視聴率は取れない状態で現在に至っている。またNHKは2004年からこの時間帯に韓流ドラマの放送を始めている。特に冬のソナタではブームもあって最高視聴率(最終回)が20.7%を記録する。他の地区では更に高視聴率をマークしていた。その後BS(木曜日の午後10時枠)で人気のあった連続ドラマ(2006年5月現在は「宮廷女官 チャングムの誓い」)を軒並み放送している。しかし今では竹島問題などで対日・対韓感情が悪化しつつあることやNHKの受信料問題の一原因になっているため(近年のNHKでは過剰気味に韓流ドラマをPRしている)、視聴率が10%台前後と低迷している。
  • 関西地域を中心に視聴率がこの時間一時落ちた原因として1991年10月より同時刻(土曜日夜11時→土曜日夜11時台)に放送しているラジオ関西発のアニラジ番組「林原めぐみのHeartful Station」の影響を受けていると思われる。(番組放送開始当時、在京局はタレント系のラジオ番組やさだまさしのセイ!ヤングのネットが多かったため、アニラジリスナーがエリア外からも聞いていた。またこの番組は関東地区でもTBSラジオで番組名を変えて関西地区とはほぼ同じ内容で放送されていた。現在、「林原めぐみのHeartfulstation」は関東地区では茨城放送栃木放送で放送している)なお、同番組は1994年4月から1年間文化放送からのネット番組「大学受験生ワイド番組Jランド」のため一時金曜日夜11時台に放送していたが、1995年4月より土曜日夜11時台に戻って現在も放送されている。この頃から関東でもアニラジ番組が主体になりつつあった。)。アニラジ番組の最盛期は平日の夜でも頻発的に放送されていたが、2000年頃にはブームが下火になり、今では土日の夜に押し込まれる形になっている。その一方で朝日放送やニッポン放送のようにアニラジを一切やらない放送局もある。
  • テレビ東京系は長年スポーツ情報番組を編成していたが、2002年10月以降はワールドビジネスサテライト土曜版を放送しており、平日同様好調である。

日曜日

日曜午前8・9時台

視聴率合戦の激しかった番組一覧

ザ・サンデー(日本テレビ)VSサンデーモーニング(TBS)VS報道2001(フジテレビ)

日曜朝のワイド番組は1987年。TBSがサンデーモーニングを開始した事に伴って戦争が勃発した。その後1989年に日本テレビがザ・サンデーを開始。その3年後の1992年4月にフジテレビが報道2001を開始した。しかしこの時間帯はどちらかというと志向や世代などによって視聴者を分け合っている感がある。また日曜日の午前中は報道2001(フジテレビ)、日曜討論(NHK)、サンデープロジェクト(ABC、テレビ朝日共同制作)を中心に政治・経済の討論番組が多く、特に中高年世代を中心に高い視聴率を誇っている。

なお、それらのワイド番組、討論番組の裏ではアニメ・特撮モノも名を連ねており、特に子供のいる家庭では討論番組よりもこちらのほうを視聴している家庭が多い。ここでは、簡単に解説する。

  • ABCアニメは1984年に『とんがり帽子のメモル』が土曜日から日曜8時30分に移動。その後『ビックリマン』シリーズ、『まじかる☆タルるートくん』、『おジャ魔女どれみ』シリーズ、『ふたりはプリキュア』シリーズなど人気作品が多く、現在も続いている。今でも東映制作は健在である。
  • 一方、テレビ朝日は1989年4月に、それまで日曜9時30分で放送されていたメタルヒーローシリーズが1時間早くなった(当時は『機動刑事ジバン』)。そして、1997年にはそれまで金曜夕方に放送していたスーパー戦隊シリーズが『スーパーJチャンネル』の開始に伴って枠確保ができなくなり日曜7時30分枠へ移動した(当時は『電磁戦隊メガレンジャー』)。そのため、子供のいる家庭では日曜朝は『スーパー戦隊シリーズ』→『仮面ライダーシリーズ』→『ABC制作アニメ』と親子揃ってセットで視聴する家庭も多い。その影響もあり、最近ではスーパー戦隊シリーズのオープニングテーマ曲がオリコンチャート20位以内に入ることが多くなった。
  • 一方、フジテレビの日曜朝9時枠は実写ヒロイン枠でこちらも子供世代中心に支持されていたが、1993年の『有言実行三姉妹シュシュトリアン』を最後に打ち切られ、その後は1993年11月7日からスタートした『蒼き伝説シュート!』からアニメ枠となっている。1999年開始の『デジモン』シリーズはゲームがヒットした事もあって、現在も放送されている。(但しフジテレビ系列局の日曜9時台は完全なローカル枠であるために放送されていない地域が多い。ちなみに『デジモン』は関西・東海地区などでは金曜の夕方に放送されている。)
  • 関西・中国・四国・北陸地区ではJR西日本スポンサーの異色の旅番組「走れ!ガリバー君」が2005年まで放送されていた。しかし2005年4月に福知山線脱線事故が発生してJR西日本のCMが自動的に自粛となり、同年9月に番組打ち切りに追いやられている。その後『GO!GO!ガリバーくん』リニューアルされるもののJR西日本のCMが自粛されてる影響で2006年4月に土曜日に枠移動されている。

日曜昼

以前は比較的おとなしい時間帯であったが、関西地区では上沼恵美子やしきたかじんといった大阪のテレビ界の二大巨頭の台頭で急変した時間帯である。

関東地区『ミラクル☆シェイプ』・『極上!腹ぺこ旅レシピ』(日本テレビ)vs『アッコにおまかせ!』(TBS)vs『サンデースクランブル』(テレビ朝日)vs『ハロー!モーニング。』(テレビ東京)
  • 現在では日本テレビが『ミラクル☆シェイプ』と『@サプリッ!』→『テレつく!』→『極上!腹ぺこ旅レシピ』、テレビ朝日が『サンデースクランブル』などの情報番組が放送されてはいるが、TBSの『アッコにおまかせ!』の牙城を崩せてまでは至っていない。しかしテレビ朝日の『サンデースクランブル』はネット局を徐々に増やしているのも事実である。
  • 『ハロー!モーニング。』は開始当初は人気はあったものの、モーニング娘。の人気低下に伴い、時には3~4%台と非常に低い視聴率を出してしまい打ち切りの危機の状態である。またテレビ東京の一部の系列局では同時ネットの打ち切りが相次ぎ、『ハロモニ』のネットしている局が次第に減っていっている。(2006年現在、同時ネットされているのはTVQ九州放送のみ。)
  • ちなみに午後1時台では日本テレビの『スーパージョッキー』とTBSの『噂の!東京マガジン』が熾烈な視聴率争いが繰り広げられていたが、『スーパージョッキー』は長期に伴うマンネリ化や、ABC制作テレビ朝日系全国ネットの『新婚さんいらっしゃい!』『パネルクイズアタック25』に視聴者を奪われたりした事などから1999年3月で終了。終了後はローカル枠に格下げられ、『とりあえずイイ感じ。』『日本のミカタ』『巨人中毒』を放送したが、視聴率低迷で打ち切られ、現在この枠は特別番組再放送枠となっている。なお関東地区、関西地区以外では『たかじんのそこまでいって委員会』(よみうりテレビ制作、日本テレビ系列局)と『噂の!東京マガジン』がマッチバトル状態である。
関西地区『週刊えみぃSHOW』・『たかじんのそこまで言って委員会』(よみうりテレビ)vs『アッコにおまかせ!』(TBS制作、毎日放送)vs『日曜笑劇場』(ABC)vs『ネプリーグ』(関西テレビ)
  • 関西地区は1999年以降読売テレビ放送で『週刊えみぃSHOW』(11:40スタート)の放送開始で情勢が急変する。それまでよみうりテレビのこの枠では長らくルパン三世を中心にアニメの再放送をやっていたが、後に進ぬ!電波少年雷波少年(日本テレビ制作、遅れネット)の枠になるものの、『週刊えみぃSHOW』のスタートで1時間後にずらされる。『週刊えみぃSHOW』は司会の上沼恵美子と井上公造梨元勝(後に降板)などといった芸能大物レポーターとの巧みなやりとりや、キー局ではできない芸能裏情報(一部暴露情報あり)が大きく受けて、特に中高年層を中心にこの時間帯としては17%台の高視聴率をとる。
  • この影響を大きく被ったのは関西テレビテレビ大阪だった。関西テレビでは2003年に人気番組だった『紳助の人間マンダラ』が視聴率低迷で打ち切りに、その後も新たなローカル番組を放送していたが、2005年10月から関東地区で月曜午後7時台で放送している『ネプリーグ』をスタートさせるものの、今でも視聴率が低迷し、打ち切りまたは放送時間帯移行の危機に瀕している(一部では関西地区の『ネプリーグ』のネットは2006年9月で打ち切りという話が出てきている)。さらに、関西テレビでは、2006年4月から午後1時台に半年ぶりとなるローカルバラエティ番組『お笑いワイドショー マルコポロリ!』をスタートさせた。テレビ大阪はテレビ東京の『ハロー!モーニング。』(通称:ハロモニ)を放送していたが、モーニング娘。の人気が下火になったことが追い打ちになり、2005年10月に日曜朝6時台に移動、2006年4月からは水曜日の朝10時台に移動した。テレビ大阪では2006年4月現在はテレビ東京で『ハロモニ』が放送されている枠ではローカル情報バラエティ番組『みみヨリぃ!?』を放送している。
  • この時間帯の毎日放送(MBS)ではTBSの『アッコにおまかせ』を、朝日放送(ABC)では吉本興業のコメディ枠『日曜笑劇場』と『新婚さんいらっしゃい!』を放送しているが、今ひとつ冴えない情勢である。特にABCの『日曜笑劇場』は若手芸人が台頭やゲストを豪華陣に揃えるなど打開策を練ってはいるが、実際のところ改編のたびに番組名が変わっている。また長寿番組である『新婚さんいらっしゃい!』や「パネルクイズアタック25」もかつての勢いはなくなってきている。実際この2番組はかつて地方(テレビ朝日系のネット局)からの収録(中継)も頻繁に行われてきたが、今では少なくなってきている。
  • その後よみうりテレビはさらに攻めの攻勢に出る。2002年に雷波少年が放送打ち切りになると、この枠を使って、すぐさま『週刊えみぃSHOW』を30分延長に出る。また2003年に日曜深夜から移ってきた週刊トラトラタイガース(2005年に阪神タイガースとのトラブルがあって打ち切り)を挟んで午後1時35分から『たかじんのそこまで言って委員会』をスタートさせる。こちらはやしきたかじんと辛坊治郎が政治経済を中心に辛口批評する番組で『週刊えみぃSHOW』同様17%台の高視聴率をとる。このために時間帯が被る「アタック25」(ABC)の視聴率が下落している。また大阪のテレビ界の二大巨頭(やしきたかじん上沼恵美子)がしかも同じ局で縦並びする異例の事態となっている。ちなみに『週刊えみぃSHOW』は関西地区のみの放送だが、『たかじんのそこまで言って委員会』は日本テレビ系列局(但し日本テレビは除く)関東地区以外はほぼネットされている。なお日本テレビがこの枠に特別番組が編成されるとき(特に冬場が多い)、『週刊えみぃSHOW』は中止になることが多いが、『たかじんのそこまで言って委員会』は逆に時間を変更して(繰り下げが多い)放送されることが多い。

日曜午後6時台

主な動き

現在は、NHK海外ネットワーク(NHK)、真相報道バンキシャ!(日本テレビ系)、JNN報道特集(TBS)、ちびまる子ちゃん(フジテレビ)、いまどき!ごはん(テレビ朝日)、ドライブ A GO!GO!(テレビ東京)を放送中。

  • フジテレビは、1969年10月の『ハクション大魔王』を皮切りにアニメ枠を編成しており、『いなかっぺ大将』、『科学忍者隊ガッチャマン』、『てんとう虫の歌』といったヒット作を輩出したが、その後は失速する。1981年10月にスタートした『ダッシュ勝平』で持ち直したが、後を継いだ『未来警察ウラシマン』が、途中から土曜午後6時30分に移動し(このあおりで同時間帯のタイムボカンシリーズは当時の鬼門枠だった土曜夜7時半に追いやられ、結果としてシリーズ打ち切りとなった)、後番組も、『サントリー スポーツ天国』というスポーツ情報番組となったため、『ハクション大魔王』以来続いていたアニメ枠が途切れてしまった。しかし、視聴者にとって、フジテレビの日曜6時はアニメ番組というイメージが強かったためか、『スポーツ天国』とこれを受け継いだ『スポーツ特Q]』は長続きせず、1986年9月に終了し、10月スタートの『あんみつ姫』で3年半ぶりにアニメ枠が復活することになる。そして、いくつかの作品を経て、1990年1月にちびまる子ちゃんの放送が開始される。エンディングテーマに使われた『おどるポンポコリン』の大ヒットも相まって、高視聴率を稼ぐ。その後、1992年9月で一旦打ち切って、『ツヨシしっかりしなさい』を経て、1995年1月に再開され、現在に至る。視聴率は、第1期より落ちるものの、15%近くを推移しており、安定している。
  • テレビ朝日も、かつては、アニメ枠を編成していたが、1978年3月に廃止し、情報番組『日曜夕刊!こちらデスク』をスタートさせる。現在、『NEWS23』のキャスターを勤める筑紫哲也のテレビデビュー番組でもあった。『こちらデスク』は、4年間続いて終了し、1982年4月に、雪印一社提供の料理番組『料理バンザイ!』がスタートする。『たまに行くならこんな店』という名物コーナーに加えて、司会の滝田栄とゲストのトークも好評を博し、人気番組となった。しかしながら、2000年に、雪印集団食中毒事件を発生させてしまったあたりから、失速し始め、これに追い討ちをかけるように、翌2001年、雪印食品の牛肉偽装事件が発覚し、スポンサーを降板したため、2002年3月に終了した。終了後、『隠れ家ごはん!~メニューのない料理店~』を経て、2004年4月に『いまどき!ごはん』がスタートし、現在に至る。
  • TBSのこの時間帯は、かつて、毎日放送製作枠であった。ここで放送されていたのは、『ヤングおー!おー!』であり、この番組は、若手芸人の登竜門として人気を集めていた。その後、1982年4月に午後1時台へ移動した代わりに、土曜午後10時から『JNN報道特集』が移動してきた。視聴率は、浮き沈みが激しかったものの、何とかこの時間に踏みとどまっていた。現在は、午後5時30分開始となっている。
  • 日本テレビは長年、『NNN日曜夕刊』→『NNNニュースプラス1』→『The独占サンデー』→『真相報道バンキシャ!』と報道・情報番組を一貫して放送している。
  • テレビ東京は、1998年10月に『ドライブ A GO!GO!]』がスタート。視聴率は、安定している。(それ以前は夕方のニュース番組を放送していた。)
  • 一方、NHKは、海外での高い取材力を生かし、2003年4月に『NHK海外ネットワーク』をスタートさせた。こちらも視聴率は、安定している。

日曜午後6時半台

現在は、真相報道バンキシャ!(日本テレビ系)、夢の扉 ~NEXT DOOR~(TBS)、サザエさん(フジテレビ)、グレートマザー物語(テレビ朝日)、トコトンハテナ(テレビ東京)を放送中。 この時間帯は国民的お化けアニメ『サザエさん』VS裏番組の形勢が激しい時間帯である。

  • フジテレビが東芝1社提供時代から続いているサザエさんの裏に様々な番組が挑戦した者も国民的お化けアニメ番組に勝てない状況が長く続いた時間帯である。第一の変化は1961年6月4日~1972年10月1日まで当時日本テレビ系が牛乳石鹸共進社の1社提供で生放送されていたシャボン玉ホリデーとの激突だったが、視聴率上で「サザエさん」の方が上回り、「シャボン玉ホリデー」は1972年10月1日で終了する。(その後牛乳石鹸共進社提供枠は日曜日夜6時30分枠から金曜日夜7時30分枠→土曜日夜7時30分枠→歌まね振りまねスターに挑戦!!を長年放送していた金曜日夜7時枠へと移っていった。1985年10月以降は水曜日夜10時枠に移るも1994年10月に金曜ロードショーの1スポンサーに移動され、1995年4月に金曜日夜7時枠へ戻るが、ぐるぐるナインテイナインになってから30秒に縮小されて、最末期はルックルックこんにちはの月曜日9時頃に流されていた。1999年12月末で提供枠は消滅している。)その後は1973年1月にアニメ番組を放送するが、大苦戦を強いられて、1979年4月1日に独占!!スポーツ情報という日曜日のスポーツ最新情報番組を誕生させた。
  • TBSは1965年4月以来JNNニュースコープを筆頭にした日曜日夕方のニュース枠だったが、1982年4月以降JNN報道特集になる。(2000年頃までは夕方のニュースは17:30スタートになっていた)
  • テレビ朝日は素敵な宇宙船地球号を編成するまではローカル番組→アニメ番組→複数社提供のバラエティ番組→全日空1社提供の旅情報番組→サッカー情報満載のスポーツ番組を編成していた。(朝日放送などのネット局は一時別番組を放送していた。)
  • テレビ東京は東京12チャンネル時代から様々な番組を送り出してきたが現在は高橋英樹クワバタオハラ出演のトコトンハテナが放送されている。(一時期サイボーグ009の平成版リメイクアニメを放送していた。)
  • 2000年以降日本テレビは独占!!スポーツ情報から夕方6時枠のニュース・情報番組と合体してTHE独占サンデー→真相報道バンキシャ!と変わっている。TBSも報道特集を17:30~18:24へ移動させニッセイワールドドキュメント・未来の瞳を2000年4月にスタートするが、その後人間解析ドキュメント ZONE→夢の扉~NEXTDOOR~と番組を変更しながら放送している。テレビ朝日も1997年4月20日にスタートした素敵な宇宙船地球号を1999年4月4日~日曜日夜11時に移行させてからは100人の20世紀を経て現在放送しているグレートマザー物語になっている。
  • NHK総合テレビはかつてレッツゴーヤングと言った音楽番組を放送していたが、現在は「NHK海外ネットワーク」からローカルニュース・天気予報の時間になっている。
  • 「サザエさん」は今でも安定した視聴率を保っているが、1998年から東芝1社提供が解消されている。また前の時間帯の「ちびまる子ちゃん」同様、野球中継はおろか(ただし、オールスター、日本シリーズは除く)、FNS27時間テレビの放送時でも返上されることはない。(FNS27時間テレビの放送時は若干時間がずらされることがある。) 

日曜午後7時台

午後7時~7時30分や午後7時30分~8時で放送されていた30分枠が中心で、長らく読売テレビ放送(よみうりテレビ、YTV)制作の『びっくり日本新記録』、毎日放送(MBS)制作の『アップダウンクイズ』、フジテレビのアニメ番組、朝日放送(ABC)制作のクイズ番組などが放送されていた枠である。現在はフジテレビを除いて1時間枠での放送となっている。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

びっくり日本新記録(よみうりテレビ・日本テレビ系)VSアップダウンクイズ(毎日放送・TBS系)VSアニメ番組(フジテレビ)VSクイズ番組(ABC・テレビ朝日系)
  • この時間帯はフジテレビを除いて関西準キー局が制作して全国放送する枠が多い時間帯だったが、ロート製薬の1社提供だった視聴者参加クイズ番組『アップダウンクイズ』を中心に視聴率合戦が繰り広げられていた。
  • 特に毎日放送の『アップダウンクイズ』と武田薬品グループの1社提供だったABCのクイズ番組枠での視聴率合戦は大変有名で、ABCのクイズ番組枠が『アップダウンクイズ』に敗れる状態が長らく続いていた。そんな中、番組改編の1か月前となる1983年3月にABCが視聴者参加クイズ番組『世界一周双六ゲーム』を関西ローカル枠(毎週日曜日11:00-11:45、テレビ朝日では『クイズ!!マガジン』が放送されていた枠。)から移行して始めると、当時ABCアナウンサーの乾浩明(現・ABCリブラ社長)が行っていた関西弁での司会が全国的人気となり、たちまち『アップダウンクイズ』を低迷させて、1983年9月に番組開始から20年間登場していた当時毎日放送アナウンサーの小池清を降板させてしまった。その後、『アップダウンクイズ』は歌手タレント俳優西郷輝彦が司会を務めることになり、ルールを一部変更するなどして起死回生を図ったが、低迷を脱することが出来ず、1985年10月6日で打ち切られた。
  • 一方、『びっくり日本新記録』とアニメ番組はABCのクイズ番組枠同様、『アップダウンクイズ』に苦戦していたが、『びっくり日本新記録』は1975年10月から10年間続き、アニメ番組は何度かの作品変更を経て、2006年現在も放送されている。その中で『世界名作劇場』枠は日曜午後7時30分の70年代から80年代中盤にかけて『アルプスの少女ハイジ』、『母をたずねて三千里』、『フランダースの犬』、『小公女セーラ』などとといった名作を輩出する。しかし、末期はマンネリが進んだため、1997年の『家なき子レミ』をもって打ち切りとなる。その後、『世界名作劇場』を制作していた日本アニメーションは、その次に放送された『中華一番』を持ってこの時間帯から手を引いている(1998年秋スタートの『花さか天使テンテンくん』から、日本アニメーション枠は土曜午後6時30分枠へ移動された)。
  • 前述の「世界名作劇場」の前に始まる午後7時のアニメも、数々のヒット作を生み出しており、「アタックNo.1」、「マジンガーZ」「タッチ」といった日本のアニメ史に残るヒット作を輩出したほか、「キテレツ大百科」、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」といった長寿番組も放送された。現在この枠では、「ONE PIECE」が放送されている。
  • そんな中、『アップダウンクイズ』を低迷・打ち切りに追い込んだ『世界一周双六ゲーム』は他の視聴者参加クイズ番組が打ち切られるあおりを受け、また「タッチ」人気にも負けてしまい、『アップダウンクイズ』の後を追うかのように1986年3月で終了。その後も数多くの視聴者参加クイズ番組が打ち切られたため、現在の視聴者参加クイズ番組はABCの『パネルクイズアタック25』と2000年4月に始まったフジテレビの『クイズ$ミリオネア』の2つしかない状態に至っている。
ザ!鉄腕!DASH!!(日本テレビ)VSさんまのSUPERからくりTV(TBS)VSアニメ番組・平成教育予備校(フジテレビ)VS旅の香り(テレビ朝日)VS田舎に泊まろう!(テレビ東京)
  • 長らく30分番組2本という形で放送されていた日曜午後7時台は、1990年代に入ると1時間枠となり、加えて関西準キー局から在京キー局制作の番組に切り替えられた。現在はいずれも在京キー局制作でフジテレビを除くと全て1時間番組で放送されている。
  • 日曜午後7時台で1時間番組を最初に放送するようになった番組は、1994年5月に日本テレビが放送開始した『投稿!特ホウ王国』である。開始から数か月で視聴率は20%越えを記録。半年後にはテレビ朝日の『象印クイズ ヒントでピント』を打ち切りに追い込んだ。その後、特ホウに負けじとTBSが1996年4月に30分番組だった『さんまのからくりTV』を倍に拡大させた『さんまのSUPERからくりTV』として再出発。半年後には遂に『投稿!特ホウ王国』と立場を逆転することとなる。追い詰められた『特ホウ王国』は1997年9月に終了。その後は2000年まで『からくりTV』の独走態勢となる。一方、1999年4月にテレビ朝日が『神出鬼没!タケシムケン』で、テレビ東京も2003年4月に『田舎に泊まろう!』で1時間番組を開始した。
  • その後、日本テレビは『だんとつ!!平成キング』を放送するも、『さんまのSUPERからくりTV』に苦戦して半年で打ち切り。その後『ザ!鉄腕!DASH!!』を放送。開始当初は『からくりTV』に苦戦はしていたものの、2000年にDASH村企画がスタートしてからは人気が上昇。このころから『からくりTV』を抜く回も多くなった。
  • 一方、テレビ朝日は『週刊ワイドコロシアム』→『スクープ21』→『ほんパラ!痛快ゼミナール』を放送するも撃沈。2002年4月にスタートした『決定!これが日本のベスト100』で一時は回復したが、ネタ切れ、マンネリ化が進み、2005年4月に知識を問う企画にするも、低迷は止められず、遂には『ONE PIECE』にも抜かれた事から、2005年9月で放送終了。10月から『旅の香り』を放送して、なんとか安定している。なお、その影響もあってか『からくりTV』は2003年頃からご長寿クイズをそれまでの毎週放送から数回に1回の放送に格下げするなどの措置を行っている(その頃に枠移動を検討されたが、さんまが拒否したという説がある)。
  • 一方、長らくアニメ番組を放送していたフジテレビは、1998年秋にフジテレビの視聴率改善を目的とした大改編に於いて午後7時30分枠のアニメが廃止され、ユースケ・サンタマリア、千秋が司会のバラエティ番組『トロイの木馬』を開始。しかし内容が当時人気絶頂だった『電波少年』の模倣だったということもあり、1年で打ち切られて翌年、水曜の同時刻から移動してきた『GTO』から再びアニメ枠となり、2004年12月に『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が主役級の声優のほとんどがタレント声優だったこともあり、スケジュールの調整もあって特番に格下げされた事に伴い終了するまで、アニメ2本の放送だったが、2005年1月からは『ONE PIECE』と『平成教育予備校』の体制で放送している。そして2006年に入り、『平成教育予備校』は1時間スペシャルになると高視聴率を獲得するようになったこと、『ONE PIECE』の物語の進行状も限界に来ている事から『平成教育予備校』を1時間化にする話も上がってきている。
  • 現在この時間帯は『ザ!鉄腕!DASH!!』・『さんまのSUPERからくりTV』・『ONE PIECE』と『平成教育予備校』・『旅の香り』・『田舎に泊まろう!』が放送されているが、『ザ!鉄腕!DASH!!』が一歩リードしている状態で16%前後、その後を『さんまのSUPERからくりTV』、『田舎に泊まろう!』がほぼ13%前後で『ONE PIECE』と『平成教育予備校』、『旅の香り』が10%前後となっている

日曜午後8時台

長年に亘って放送されているNHK総合テレビの『NHK大河ドラマ』がある枠であり、同じ時間帯で数々の人気番組対決が存在する。ここでは、『NHK大河ドラマ』以外の視聴率合戦を挙げる事にする。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

  • 1970年代前半、それまで家族向け番組がなかったこの時間帯に、フジテレビはお笑いコンビ・コント55号萩本欽一が司会を務める音楽番組『オールスター家族対抗歌合戦』が放送され、萩本の素人いじりやアットホームさで人気を博した。
  • 一方、日本テレビは長年ドラマ枠だったが、『久米宏のTVスクランブル』は毎回旬の話題をビデオ構成で取り上げ、コメントしていく質の高い番組として人気を得るが、『オールスター家族対抗歌合戦』には及ばなかった。そのため、1985年4月に『久米宏のTVスクランブル』を終了した後、テリー伊藤が総合演出を手掛け、ビートたけしが司会を務めたドキュメントバラエティの先駆である『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の放送を開始した。開始当初からばかばかしい演出や市井の人々が話題を呼び、高視聴率を記録した(但し、1986年に「講談社フライデー襲撃事件」で謹慎した際、相方であるビートきよしが1回だけ司会を務めたこともあった。その後、たけしの復帰までは山田邦子が臨時の司会として番組の進行を行う)。
  • そんな中で『オールスター家族対抗歌合戦』は1984年7月に司会が萩本欽一から小川宏に交代するも、防犯上の問題やプライバシーの観点から家族をメディアに公開する芸能人が減少し、芸能人のみならず視聴者側も家族のふれあいが薄れて来たことから、1986年9月28日に16年に亘る歴史に幕を降ろした。
天才・たけしの元気が出るテレビ!!vs世界の常識・非常識!ダウンタウンのごっつええ感じ(フジテレビ)
  • 『オールスター家族対抗歌合戦』終了後、視聴率争いは日本テレビの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』が独走状態であった。
  • 一方、フジテレビは『オールスター家族対抗歌合戦』を終了した後に数々の番組を開始させるも『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に撃沈してしまった。そんな中で逸見政孝が司会を務めていたクイズ番組『世界の常識・非常識!』に出演し、深夜番組で絶大な支持を得ていたダウンタウンがメインを務めるバラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』を1991年12月8日に開始した。この番組では回を重ねる毎に創作性の高いコントやコント内でのキャラクターが人気爆発し、1995年頃には視聴率は平均15%以上を記録した。そのためか『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は1995年10月に『超・天才たけしの元気が出るテレビ!!』と改題してリニューアルを図ったが、視聴率は伸びず、1996年10月6日に終了した。
特命リサーチ200X(日本テレビ)vsどうぶつ奇想天外!(TBS)VS笑う犬の冒険(フジテレビ)vs稲妻!ロンドンハーツ(テレビ朝日)
  • 1996年10月に日本テレビはSF・ミステリー・オカルトにスポットを当てた『特命リサーチ200X』を開始させ、これまでにない超能力や心霊現象などで好事家の間では既にインチキだと暴露されてはいたが、一般には信じられている事柄に対して、一般人にそれを知らせる役目を果たす内容が視聴者から共感を得て、高視聴率を記録する。
  • 一方、フジテレビは『ダウンタウンのごっつええ感じ』が安定した視聴率を保っていたものの、1997年11月には10月に番組をプロ野球ヤクルトスワローズ優勝決定戦試合に差し替えられたことに伴うスタッフと出演者の1人だった松本人志との考えの相違から打ち切られてしまったため、一時この枠での視聴率争いが途絶えることになる(12月まで『日曜ビッグウェーブ』を放送し、1998年1月から『ハッピーバースデー!』に切り替えた。)。
  • それから約2年は常に『特命リサーチ200X』がリードすることになった(フジテレビはこの時期に『ハッピーバースデー!』を放送した。)が、1999年春にテレビ朝日の視聴率改善を目的とした大改編において2時間の単発特別番組枠(『ザ・スーパーサンデー』→『ザ・ゴールデンタイム』→『サンデーパワーTV』)が廃止され、その空いた午後8時枠に『稲妻!ロンドンハーツ』がスタートし、初回は12%とそこそこの出出しでスタートする(もう一方の午後7時枠は、ビートたけし志村けんの司会で期待されていた『神出鬼没!タケシムケン』がスタートしたが、同番組の開始以来視聴率が低迷していたために、1年で打ち切られた。)。
  • 一方、フジテレビはその半年後に深夜枠で好評だった『笑う犬の生活』がこの枠に移動して巴戦となり、再び日曜午後8時台の視聴率争いが勃発することになる。そして、長らくこの時間で高視聴率番組が取れていなかったTBSが2000年春に『どうぶつ奇想天外!』を土曜から移動し、4番組争いとなった。
特命リサーチ200X.VSどうぶつ奇想天外.VS笑う犬の発見→笑う犬の情熱→ジャンクSPORTS(フジテレビ).VS大改造!!劇的ビフォーアフター(ABC・テレビ朝日系)
  • 4番組の争いとなった日曜午後8時台の視聴率争いだが、2001年10月に『稲妻!ロンドンハ-ツ』が火曜午後9時台にABC枠と交換される形で移動し、ABCはその後枠としてダウンタウンの浜田雅功が司会を務めていた『弾丸ヒーローズ』をスタートするも同番組開始から視聴率が低迷し、半年で打ち切りとなる。そして2002年4月に『大改造!!劇的ビフォーアフター』がスタートし、高視聴率を稼ぐようになる。
  • 一方、フジテレビは『笑う犬の発見』→『笑う犬の情熱』時代後期の2002年4月頃からマンネリ化で視聴率が低迷していた『笑う犬』シリーズを2003年秋に火曜午後8時に枠を移動させ、新たな視聴者を稼ごうとするも結果としては視聴者離れをさらに加速させてしまい、2003年12月9日をもって打ち切られた。また『特命リサーチ200X』もネタ切れもあったため視聴率が低迷していった。
  • その後フジテレビは、2004年1月から、深夜で高視聴率を取っていた、浜田雅功とスポーツ選手のトークをメインとした番組『ジャンクSPORTS』昇格させ、『特命リサーチ200X』をさらに弱体化させた。そして前述の通りネタが切れ掛かっていたことや視聴率も低下していたことにより、2004年3月をもって終了し、日曜午後8時の視聴率争いが一旦途絶えるすることになり、この時間帯は、『大河ドラマ』、『ジャンクSPORTS』、『どうぶつ奇想天外』が一歩リードしていた。
歌笑HOTヒット10ウタワラ(日本テレビ)vsどうぶつ奇想天外!vsジャンクSPORTS(フジテレビ)vs大改造!!劇的ビフォーアフター→笑いの金メダル(ABC・テレビ朝日系)vs日曜ビッグバラエティ(テレビ東京)
  • 2005年10月、日曜午後8時の視聴率争いが再び勃発する。『特命リサーチ200X』終了後、日本テレビは特番で好評だった『ワールド☆レコーズ』が2004年4月にレギュラーとして放送されたが、巨人戦中継の乱発や同番組開始からの視聴率低迷(といっても10%は確保していたが)で1年で打ち切られた。その後継番組として2005年4月には『A』を放送するも同番組開始から視聴率が非常に悪く(第8回目の視聴率は4%と史上最悪だった)、司会の久米宏が降板してしまい3ヶ月で打ち切りになってしまった。その後は7月から9月まで単発特別番組枠(特命リサーチ200X特別版や音楽番組などが放送)の『日曜スペシャル』を放送した。そして10月にはかつて水曜午後8時に放送されたものの低視聴率だった『ミンナのテレビ』を『歌笑HOTヒット10』(2006年4月から『ウタワラ』に変更)に改題して日曜午後8時台へ移動して放送を開始する。同番組では10%前後を出しており、『A』や『ミンナのテレビ』に比べると改善されてはいるものの、視聴率は裏番組にやや押され気味でかなり苦戦している。
  • フジテレビは2004年1月、かつてこの時間帯に『ダウンタウンのごっつええ感じ』に出演していた浜田雅功が出演している『ジャンクSPORTS』をゴールデンに昇格し放送していて、こちらは2005年10月頃も視聴率は安定している。
  • そんな中で高視聴率をキープし続けていた『大改造!!劇的ビフォーアフター』が耐震強度偽装問題の影響やアスベスト問題によりリフォームが長期化される恐れがあるため、ABCのスタッフの勤務割りなどの問題があったことから、2006年3月19日の2時間スペシャルを以てレギュラー放送を終了した(但し、4月からは特別番組として放送。)。そして4月からは金曜午後9時台から枠移動した『笑いの金メダル』を放送しているが、出だしは10%前後で『ウタワラ』に若干差を付けられている事から、金曜日時代に比べてやや苦しいスタートとなった。
  • なお、テレビ朝日では当初1999年春の視聴率改善を目的とした大改編の時に日曜午後8時枠に「ナイナイナ」を深夜から枠移動する予定であったが、岡村隆史がそれを拒否して結局実現はされなかった説がある。
  • 近年はNHKの大河ドラマ自体が視聴率の勢いがなくなりつつあり、どうぶつ奇想天外!やジャンクSPORTSに押されている傾向がある。
  • 2006年現在の視聴率争いでは、大河ドラマがトップであり、『どうぶつ奇想天外!』と『ジャンクSPORTS』が大河ドラマに追いつくほどの状態であり、その次に『ウタワラ』、『笑いの金メダル』、『日曜ビッグバラエティ』という順で視聴率を争う形となっている。

日曜午後9時台

主に世代を問わず家族揃って視聴されているのがこの時間帯である。長年に渡って親しまれている『日曜洋画劇場』(テレビ朝日)と同じ時間帯で数々の人気番組対決が存在する。

視聴率合戦の激しかった番組一覧

東芝日曜劇場(TBS)VS花王名人劇場関西テレビ・フジテレビ系)
  • 1970年代、当時石井ふく子プロデュースによる『女とみそ汁』『女の家』に代表される茶の間ドラマとして人気の高く、北海道放送(HBC)・TBS・中部日本放送(CBC)・毎日放送(MBS)・RKB毎日放送(RKB)の持ち回り制作でも話題を呼んだ単発ドラマ枠『東芝日曜劇場』に対して、関西テレビ制作だった連続ドラマ枠は西日本エリアでやや人気が高かったものの、関東広域圏での人気が伸び悩んでいたために1979年9月で終了し、10月に新たに花王(当時花王石鹸)の一社提供スポンサー番組『花王名人劇場』が立ち上がった。
  • こちらは『東芝日曜劇場』と同様に単発のドラマ作品の他に、主に横山やすし西川きよしなどを基盤としたお笑い芸人がメインとなったバラエティも放送される様になった。これが1980年に一世風靡した漫才ブームの火付け役となる。
  • また、芦屋雁之助主演のドラマ『裸の大将』も大人気となり、1990年4月以降は『花王ファミリースペシャル』に引き継がれて長寿シリーズ化した。こうしてTBSVSフジの劇場対決となってデッドヒートとなった。
知ってるつもり?!(日本テレビ)VS.東芝日曜劇場VS.花王ファミリースペシャル(関西テレビ・フジテレビ系)
  • 長い間、TBSVSフジの対決で続いたが、1989年10月に日本テレビが『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』に続く『クイズプロジェクト』第2弾としてスタートした『知ってるつもり?!』の参戦により、巴戦となった。
  • 『知ってるつもり?!』は故人を中心とした人物を忠実に伝えるスタイルが人気となり、常に安定した視聴率を獲得する様になった。一方、『花王名人劇場』は1990年4月にリニューアルし、『花王ファミリースペシャル』と改題し、お笑い以外の様々なジャンルや出演者を交えた単発特番となり、こちらも人気を博す。
  • そんな中で『東芝日曜劇場』の人気に陰りが生じ、1993年3月を以てそれまでの持ち回り単発スタイルを終了、4月からはTBS単独制作の連続ドラマ枠に切り替わった。その後は『カミさんの悪口』や『SWEET HOME』などの高視聴率作品もあり、その一方で『知ってるつもり?!』と『花王ファミリースペシャル』はやや押されつつも極端に落ち込むことはなかった。しかし、『花王ファミリースペシャル』は1995年頃になるとネタ切れによる原因で、人気作品とそうでない作品の差が極端に出てしまい、1996年9月に『花王名人劇場』から続いた単発枠が17年余りの歴史に幕を降ろした。
知ってるつもり?!VS東芝日曜劇場VS発掘!あるある大事典(関西テレビ・フジテレビ系)VSASAYAN(テレビ東京)
  • 前項の『花王名人劇場』→『花王ファミリースペシャル』が終了し、1996年10月に『発掘!あるある大事典』(引き続き花王が一社提供を担当)がスタートし、「知ってるつもり?!」の人物に対抗して『発掘!あるある大事典』は物(主に健康がテーマ)で勝負した。
  • 『発掘!あるある大事典』開始当初の視聴率は2桁をキープするのがやっとだったが、回を重ねる事によって番組独自の切り口が受け入れられ、1997年半ば頃から『知ってるつもり!?』を抜く回も度々あった。
  • そのためか、『知ってるつもり?!』は1999年頃から故人を中心とした従来の人物だけではなく、現存している人物や時代背景そのものを取り上げるなどのリニューアルなども行われた。
  • 一方で今度は『東芝日曜劇場』の人気が低迷し出した。『サラリーマン金太郎』などの人気作品もあったが、他が失速に陥られた。その背景には、それまで視野になかったテレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』(『浅草橋ヤング洋品店』のリニューアル版)がモーニング娘。らの人気で視聴率が上昇し、最高で16%台にまでなったのが要因とも言える。そこで起死回生への鍵になったとも言える作品が2000年1~3月期の『ビューティフルライフ』であり、平均で30%以上を常にキープして、最終回は41.3%を記録した。ちなみに『ビューティフルライフ』による打撃の影響を一番受けたのは『知ってるつもり?!』だった。
  • その後も『東芝日曜劇場』は『オヤジぃ。』や『白い影』(リメイク版)などのヒット作を出し再燃して行った。そして、『知ってるつもり?!』はネタ切れの影響もあってか視聴率も低迷したため、『発掘!あるある大事典』にも常に差を付けられた事から2002年3月に12年半の歴史に幕を降ろした。
  • また、『ASAYAN』は毎週のようにモーニング娘。が出演していたものの、その後同じ日曜日に放送されている『ハロー!モーニング。』など他の番組に多く出演される事などにより番組を卒業し、視聴率は低迷した(その後も度々モーニング娘。の企画を放送した)。その後は2001年3月にデビューした男性デュオのCHEMISTRYが大人気を得て視聴率は上昇したにも関わらず、モーニング娘。の人気がさらに低下したことなどにより視聴率が再び低迷となってしまい、『知ってるつもり?!』の後を追うかのように2002年3月に終了した。その後、テレビ東京は後継番組として浜田雅功を司会に迎えた『ハマラジャ』を4月から放送開始したが、視聴率低迷で9月に終了、そして10月から『WINNERS』になっても視聴率が低迷状態となってしまい、2003年3月に終了した。現在この枠は20:00スタートの『日曜ビッグバラエティ』となっている。
行列のできる法律相談所(日本テレビ)VS日曜劇場(TBS)VS発掘!あるある大事典→発掘!あるある大事典II(関西テレビ・フジテレビ系)
  • 2002年4月、日本テレビはそれまで単発特別番組枠で高視聴率を獲得した『行列のできる法律相談所』をこの時間にレギュラースタートさせた。初回から常に高視聴率を保ち、開始当初は『発掘!あるある大事典』とほぼ五分五分の視聴率だった。
  • その一方で、『東芝日曜劇場』はスポンサーだった東芝が不況による広告費削減を理由に降板し、10月には共同提供番組『日曜劇場』となった。しかし番組自体には影響がなく、2003年1~3月期の『GOOD LUCK!!』では『ビューティフルライフ』に続く大ヒットとなり、『行列のできる法律相談所』・『発掘!あるある大事典』ともに苦戦を強いられた。
  • その後は『発掘!あるある大事典』の人気が低迷し出したため、秋頃から1桁を出す回も多くなった。そして2004年4月から『発掘!あるある大事典II』としてリニューアルを図った。リニューアルは成功し、第1回目は23.2%を記録し、その後もテーマによっては『行列のできる法律相談所』を抜くこともあった。また、この影響で『日曜劇場』が再び失速し出して、2005年は1桁にはなっていないものの、作品すべてが平均13%台未満となってしまった。
  • 2006年7月現在の視聴率は、『行列のできる法律相談所』が平均で20%弱でトップ、『発掘!あるある大事典II』が平均16%前後でそれを追う2位の状態となり、そして『日曜劇場』は『誰よりもママを愛す』が初回13.4%と期待されていたのとは裏腹に、苦しいスタートとなった。

日曜午後10・11時台

主な動き

  • 日曜の夜10時台は11時台と合わせ同局の番組が揃って人気番組が立ち並ぶラインナップが目立っていた、そして30分編成の番組ばかりでもあった。
  • 1970年代からその傾向にあり、フジテレビ・関西テレビの『ラブラブショー』『パンチDEデート』『唄子・啓助のおもろい夫婦』が土壌になっており、1980年代前期は『アイ・アイゲーム』『三枝の爆笑美女対談』『ミュージックフェア』、後期になると『TVプレイバック』『たけしのここだけの話』『ミュージックフェア』の流れに変貌したが土壌は守りきった。しかし1990年代をしばらく過ぎたらその土壌は日本テレビへ移される形となり、『オシャレ30・30』(後の『おしゃれカンケイ』)『笑撃的電影箱』(後に『電波少年』『ガキの使いやあらへんで』の2番組ヘ独立)が制するようになる。但し日本テレビの22:30枠はローカル番組の放送枠であり、地域によっては『笑撃的電影箱』が別の時間帯に放送される。その地域番組によっては裏番組に押されているところもあった。
  • 一方TBSは1992年3月まで『すばらしき仲間』(制作:中部日本放送)等を放送しており、視聴率的にはフジの『ミュージックフェア』同様それほど高くは無かったがスポンサー(HONDA)の意向などもあってそれまで長寿人気番組として保っていた。その終了後制作先が毎日放送に代わり『たけし・所のドラキュラが狙ってる』を放送し、際どい指摘を受けながらもそれが番組人気となり当面安定していたのだが、1994年8月にメインであるビートたけしがバイク事故に遇ってしまい、所ジョージと山口美江らで乗り切るも徐々に視聴率が低下し、たけしが番組に復帰した頃には手遅れ状態となり1995年3月に終了した。
  • このことからフジで放送していた『新伍・紳助のあぶない話』(関西テレビ制作)→『ワーズワースの冒険』とTBSの『世界ウルルン滞在記』との対抗戦が目立っていた。中でも『あぶない話』は安定人気していたが晩年は裏番組の影響により人気が下がり、更に『おしゃれカンケイ』の影響により番組に出るゲストも限られるようになりゲストの人選に困り果てていたことから改編期を待たない1996年6月に、『ワーズワースの冒険』も、視聴率低下に伴い1997年3月に終了した。
  • TBSは夜11時台に『情熱大陸』(毎日放送製作、1998年4月)、11時30分台に『世界遺産』を(1996年4月)を開始させ、こちらはいずれも安定した人気を保っている。
  • そしてフジは『カジノザウルス』『Grade-A』(現在の日曜午後10時枠はフジテレビ・関西テレビと共同制作)が裏番組の影響で苦戦してしまうが、1997年10月にスタートした『スーパーナイト』)によって改善され、日テレの日曜の土壌勢力が更に高まる中で人気を得るようになり『世界ウルルン滞在記』との2位争いが目立つようになる。
  • そんな時に2001年4月、番組改編により『LOVELOVEあいしてる』の発展版の『堂本兄弟』が10時台に来ることによって、『スーパーナイト』は『EZ!TV』と改め、それに伴い『ミュージックフェア』は土曜夕方へと移動させられた。このことから『堂本兄弟』『EZ!TV』も合わせて人気となり、日テレがトップの座を守りつつも勢い落とすことになった。『スーパーナイト』と『EZ!TV』は午前1時前ぐらいまでの放送であったが、番組の後半部分は欧州サッカーやFIの中継の乱発でなくなることが多く(時には番組放送なしの時もあり)、23:45で打ち切られるようになった。
  • その日テレは過渡期を迎え2002年9月で『電波少年』を土曜日に移動させたことで、後番組は中居正広をメインにするも人気が長続きせず不安定だったが、『中井正広のブラックバラエティ』を開始したことで、コアな視聴者をはじめあらゆる層からの支持を受け人気を得るようになる。
  • またフジは効率上の問題(欧州サッカーやFI中継の乱発が原因)で『堂本兄弟』と『EZ!TV』の時間を逆にし(同時に日曜日のすぽるとを復活させた。) 、それなりに安定していたものの『EZ!TV』キャスターの森本毅郎小島奈津子の番組降板により、同番組は終了しその後は阿川佐和子と爆笑問題を起用した『週刊人物ライブ スタ☆メン』によりこちらもそれなりに安定するようになった。
  • テレビ東京は、音楽番組を主体に放送していた。まず『演歌の花道』がヒットし、『演歌の花道』終了後は『期間限定!ピカてんLIVE』→MUSIX!』を放送していたが、視聴率低迷により枠移動を余儀なくされた。そんな中『日経スペシャル ガイアの夜明け』がスタート、ドキュメンタリーに方針転換し、多少持ち直したものの抜本的な視聴率改善にはいたらず、こちらも枠移動を余儀なくされた。その後、視聴率は『ソロモンの王宮』でやや持ち直したが、司会の竹中直人が降板し、2005年10月からは『ソロモン流』となっている。
  • この時間帯は2006年7月現在、『おしゃれイズム』『ブラックバラエティ』(一部地域では放送なし)がリードし、『週刊情報ライブ スタ☆メン』『日曜洋画劇場』が追撃。追撃3番組のいずれかが『おしゃれイズム』を逆転する事も多少ある。またそれまで安定した視聴率を獲得していた『世界ウルルン滞在記』と『ガキの使いやあらへんで』が2005年終盤頃から低迷するようになり一桁を出す回も増えるようになった。


日本テレビ・黄金の日曜日

かつて1990年代後半の日本テレビは、夕方の『笑点』から、夜の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』まで、高視聴率の番組を放送し、他局の人気番組よりも一歩リードしていた。

  • しかし、『天才・たけしの元気が出るテレビ!』は1995年初頭から、裏の「ダウンタウンのごっつええ感じ」に苦戦し始め、同年10月にリニューアルするも低迷が続いたため、1996年10月に終了。後番組として、「特命リサーチ200X」をはじめると数字を取り戻した。
  • 2000年代になると日曜8時の「特命リサーチ200X」が徐々に衰退し、2002年にリニューアルするも、2004年3月に終了。その後の日本テレビ日曜8時はさえない状況が続く。現在放送中の「ウタワラ」も相変わらず苦戦中だが「笑いの金メダル」(テレビ朝日)、「日曜ビッグバラエティ」(テレビ東京)には勝つことができた。
  • 日曜7時台は1998年4月に深夜から昇格した「ザ!鉄腕!DASH!!」が放送中で視聴率は好調である。
  • また、野球シーズン中でも日本テレビの日曜日の野球中継は他の曜日に比較して視聴率は高く、特に巨人-阪神のカードになると25%以上記録していた。
  • そして黄金の日曜日のピークの日曜10時台は、「おしゃれカンケイ」「進め!電波少年」がリードし、1998年-1999年頃は『おしゃれカンケイ』→『進ぬ!電波少年』→『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』とセットで見る方も多かった。
  • 日曜10時台前半は2005年3月に『おしゃれカンケイ』は『報道STATION』(テレビ朝日)の視聴者から苦情が殺到したため(実際は司会の古舘が『報道STATION』専念の為降板)打ち切りとなり、『おしゃれイズム』にリニューアルした後も安定している。
  • 日曜10時台後半は「進め!電波少年」が有り、1998年1月に「進ぬ!電波少年」にリニューアル後も成功していた。だが転機は2002年。「進ぬ!電波少年」が土曜午後10時台(後に終了)に移行後に始まった「別れてもチュキな人」は、開始当初はタイトルの通りの内容で高視聴率であったが、リニューアル後、「ワカチュキ」に変更したが、内容が徐々に変わってきて視聴者からの支持、視聴率が衰えてゆき、2004年6月に終了。司会は中居だけ残してリニューアル、同年7月に「中井正広のブラックバラエティ」がスタートすると視聴率も安定し、「おしゃれイズム」と共に裏番組の「世界ウルルン滞在記」(毎日放送・TBS)を低迷に追い込んだ。一方「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」は2001年までは16%前後、時には20%を超える視聴率だったが最近は日によって低視聴率になることもしばしである。
  • ただ一点違うのは、日曜10時台後半はよみうりテレビなど、一部の系列局は『電波少年』(現在のブラックバラエティ)、『ガキの使い』を同時ネットせず(この帯は基本的にローカル放送枠のため)、『大阪ほんわかテレビ』など、ローカル編成をしているため、これらの地域では『世界ウルルン滞在記』が一歩リードしている地域がある。
  • 前記の通り夕方の「笑点」は未だに高視聴率を得ているが、相撲シーズンは視聴率が伸び悩む事が多い(これは、番組のメインファンが、大相撲開催時はそちらに流れてしまうと思われる)。(但し関西地区ではお笑いの価値観が違うせいか、終始視聴率が低迷している。)
  • 近年日本テレビ黄金の日曜日は低視聴率の番組(例『ウタワラ』等)や低視聴率の巨人戦の乱発などで、黄金の日曜日の牙城は崩れつつある。また関西地区(よみうりテレビ)では近年夜の時間帯よりも昼の時間帯のほうが視聴率が高くなることが多くなってきた。

日本テレビ・よみうりテレビの黄金の午後7時台

かつて1990年後半から2000年代前半の頃まで日テレ(月曜日はよみうりテレビ製作)の午後7時台は他局の番組よりも一歩リードしていた。

現在、月曜日は『ブラック・ジャック』と『名探偵コナン』。火曜日は『伊東家の食卓』。水曜日は『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』。木曜日は『天才!志村どうぶつ園』。金曜日は『ぐるぐるナインティナイン』、土曜日は『シャル・ウィ・ダンス?』。日曜日は『ザ!鉄腕!DASH!!』を放送していて中には苦戦している日もあるが、かつて上記の頃は日テレの午後7時台はまさに「黄金の時間帯」と呼ばれていた。

しかしプロ野球シーズンになると、巨人戦が乱発していて番組が潰され視聴率が低迷していた時代もあって、なかなか番組が放送されない時が今でも続いている。また上記の通り落ちている日もあることから、これは徐々に崩れ始めてきている。

大晦日の視聴率争い

毎年12月31日、長年『NHK紅白歌合戦』と『日本レコード大賞』が放送されている枠である。

視聴率争いの激しい番組一覧

NHK紅白歌合戦(NHK)VS細木数子スペシャル(2004年)・ウィークエンダーリターンズ2005(2005年)他(日本テレビ)VS日本レコード大賞・Dynamite!(TBS)VSPRIDE男祭り(フジテレビ)VSドラえもんビートたけしのTVタックル(テレビ朝日)VS年忘れにっぽんの歌(テレビ東京)
  • 大晦日は長年『NHK紅白歌合戦』(通称:紅白)と『日本レコード大賞』(通称:レコ大)の2大音楽番組が高視聴率を稼いでいた。だが、1990年代(平成時代)に入るとOL・若年齢層を主力とするJ-POP中心の内容に傾いたことから低視聴率で推移しており、特に『レコ大』に至っては日本テレビの裏番組に2004年と2005年の2年連続で敗れている。
  • なお、長年打倒『紅白』・『レコ大』を目指して、各局とも色々な裏番組を放送しているが、中でも注目すべき番組は、サラリーマンや中高年齢層を主力とする裏番組で、テレビ東京が演歌を中心に放送している音楽番組『年忘れにっぽんの歌』である。『年忘れにっぽんの歌』はもともと1982年から放送されているが、『紅白』と『レコ大』がJ-POP中心に傾いた1990年代に入ると、演歌ファンが多いサラリーマン・中高年齢層を中心に見られるようになり、『紅白』や『レコ大』をしのぐ人気を得るようになっていることから、『紅白』に代えて『年忘れにっぽんの歌』へ出場目標を切り替える演歌歌手も増えているという。
  • また、2000年代(21世紀)に入ると格闘技番組が放送されるようになって、これが定評を得ており、TBSが『Dynamite!』を、フジテレビが『PRIDE男祭り』を放送している。特に『Dynamite!』においては2003年にボブ・サップvs戦で瞬間最高視聴率43%と初めて紅白を上回る記録を出した。また2004年においても魔裟斗vs山本"KID"徳郁戦で視聴率は20%を記録した。しかし、2005年はPRIDEの吉田秀彦vs小川直也戦とK-1の須藤元気vs山本“KID”徳郁戦のそれぞれのメインカードをほぼ同時刻に放送した為、視聴率は予想通りには行かず共倒れになってしまった。また、PRIDEとフジテレビがトラブルを起こしたために2006年6月以降の放送が中止となってしまった。今年の年末の動向が懸念される。またTBSではボクシング亀田三兄弟の中継の放映権を取得し大晦日に試合を生中継することを検討している。もしこれが実現した場合、「レコ大」の放送日が移動することが濃厚である。
  • そんな中、テレビ朝日は『ドラえもん』のスペシャル版を番組開始以来放送し続けているが、最近ではほぼ10%前後で推移している。もうひとつ「TVタックル」であるが、長年不思議現象に関するテーマを行って、視聴者をおびき寄せようとした。2004年まで「紅白」や「レコ大」に苦戦されてたが2005年以降は「紅白」や「レコ大」の視聴率を超え、平均視聴率は15%に改善されている。
  • 先述の通り、『紅白』や『レコ大』は現在視聴率が低迷しているため、放送日の移動や打ち切りなど、抜本的な見直しが必要な時代に入っていると言えよう。

日本テレビの冬の時代

日本テレビの主に1980年代に掛けてのバラエティ番組などが不振であった時期を指す。日本テレビはこの1980年代に1970年代から続いていた長寿番組を終了させ、新たなバラエティ番組をスタートさせるものの、低視聴率となったために半年で打ち切りの番組が多かった。特に1985年~1988年頃に多い。

また、この時期に日本テレビのゴールデンタイムの番組はプロ野球中継などしか視聴率が取れなかったりと、年間視聴率もフジテレビ、TBSに続いて3位と、時にはテレビ朝日やテレビ東京にも敗れる事があり、正に冬の時代でもあった。

2006年現在は、TBSには余裕で勝っている物の、フジテレビには勝てず、テレビ朝日にも2位の座を奪われ(だが最近ではテレ朝の番組のマンネリ化によりテレ朝を抜く可能性がある。)、総合視聴率ランキングが3位に転落してしまっている。1番の要因に巨人戦の視聴率低迷が挙げられる。最近では巨人が連敗中で、巨人戦の連発で視聴率がさらに低下。その結果、バラエティ番組が野球で潰され、7時台の人気番組も視聴率差が縮まってきている。

おまけにフジテレビには平均15%前後の番組が多数(『ネプリーグ』、『SMAP×SMAP』、『とんねるずのみなさんのおかげでした』、『脳内エステ IQサプリ』、『めちゃ×2イケてるッ!』など)あることや低迷になっていた午後7時枠が回復した事を考えると、再び1位に返り咲くことは難しいかと思われる。

その時期に放送されていた主な短命番組

当時、漫才ブームの一翼を担ったツービートビートたけしビートきよし)司会のバラエティ番組。アメリカゴングショーのような視聴者参加番組だったが、あまりに低俗を極め、『連想ゲーム』に勝てず1クールで終了。その後『わっ!!ツービートだ』を放送したが、半年で終了した。
司会者に元NHKアナウンサーだった生方恵一を、アシスタントに新人タレント女優南野陽子を起用し、鳴り物入りで始めたが、土曜夜8時という激戦区に編成したためか、3か月で即打ち切りとなった(当時、TBSの『ドリフフェスティバル・全員集合ベスト100』、フジテレビの『オレたちひょうきん族』、テレビ朝日の『暴れん坊将軍』という裏番組があり、それらに押されたのも一因であろう。)。
「おもしろ人間ウォンテッド!!」に代わって土曜夜8時に放送された番組で、司会には東京に再進出したばかりの落語家笑福亭鶴瓶を起用するも、こちらも3か月で終了し『鶴瓶のテレビ大図鑑』に改題するも打ち切られた。
今では大物司会者の一人である所ジョージが司会のバラエティ番組。内容はコメディードラマ仕立てのバラエティで、この他にいたずらVTRや視聴者参加の100万円争奪ゲームといったコーナーが編成されていたが3か月で打ち切られ、『いい!!かもしんない』とリニューアルされたが、視聴率が回復せず終了、以後所ジョージ司会番組は『どちら様も!!笑ってヨロシク』で安定していった。
司会はノンフィクション作家の北方謙三による情報バラエティ番組。北方による知的な司会が売りだったが、『夜のヒットスタジオDELUXE』等に押され、北方が降板を申し出たため1クールも持たずに終了した。
1クールも持たずに打ち切られた『ビッグ・ウエンズデー』の後番組で、三枝成章が司会をつとめたが、こちらも1クールで終了し司会の三枝は『三枝成章の気まぐれ』にうつったものの、半年で終了した。
当時流行していた『風雲!たけし城』を意識して模倣した番組で、スタッフには有名になるプロデューサー時代のT部長もいたが二番煎じ的要素が強かったため、半年で終了した。
視聴率100%男と呼ばれた萩本欽一が司会をつとめた公開バラエティ番組であったが、『わくわく動物ランド』の真裏であったことから3か月で終了。後番組に『歌のワイド90分!』の流れを汲んだ『新伍の演歌大全集』を放送した。夕方に放送されていた帯バラエティ番組『欽きらリン530!!』も3か月で終了した。
フライデー事件後、ビートたけしがたけし軍団とともに釈放して初めてレギュラー出演した番組だったが、3か月後に『番組の途中ですが・・・再びたけしです』と改めるも結局は視聴率が伸びずあわせて半年で終了した。
東京進出して間もないダウンタウンや個性派俳優から成り立つSET隊などがレギュラー出演した番組だったが、放送時間が土曜夜7時台だったこともあり『まんが日本昔ばなし』『クイズダービー』『所さんのただものではない!』といった強力な裏番組に押され、1クールで終了した。

TBSの冬の時代

2006年現在、NHK、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日には敗れ続け、時にはテレビ東京に追い抜かれることのあるまさに現在も冬の時代でもある。特に水曜日や土曜日での視聴率争いではほとんどの番組が最下位に等しいものばかりで低迷・打ち切りへと苦戦している。

フジテレビの冬の時代

2006年現在、視聴率トップだが、他の民放局同様に全体的に活気の無い冬の時代と称された時期があった。1970年代はTBSの1強、日本テレビ・フジテレビ・NETテレビ(1977年からテレビ朝日へ)3弱、テレビ東京(当時は東京12チャンネル)1番外地と言われていたが、1974年には日本テレビ・NETテレビに差を付けられ「振り向けば12チャンネル」と揶揄されたことがあった。また1980年はそれまでの人気番組までも低迷・終了するようになり第二次冬の時代を迎えてしまった(打破への流れは後述)。また上記ほど低空飛行はしなかったが1995年には日本テレビにトップを奪われ、ドラマなどは好調だったがバラエティ番組が振るわなくなり3位のTBSが調子を取り戻したため、2位の座からも奪われかけたこともあった。

フジテレビのプライムタイムの状態

フジテレビの1980年ごろと1994年~2003年までのプライムタイムを表す。 もともとフジテレビはアニメ番組が多かった。しかし視聴率はそれほど良い方ではなく、ある意味伸び悩んでいた。そこで1981年~1982年に全面リニューアルし、「笑っていいとも!」「オレたちひょうきん族」「THE MANZAI」を放送すると、視聴率もアップし、同年、ついに視聴率1位になった。1993年までフジテレビの独走状態だったが、このころ日本テレビは巨人戦のスポーツ中継や「進め!電波少年」や「マジカル頭脳パワー」などのバラエティー番組がリードし始め、1994年にはに日本テレビにトップの座を取られてしまった。以降フジテレビは日本テレビに追い越せない状態が続いたが、それでもバラエティー、ドラマ番組 で激しい抵抗を続けた。2003年に日本テレビの巨人戦低迷やバラエティー番組の終了が相次ぐと、フジテレビがリードし始め、2004年にはついに再びトップの座を取り、2006年も多少失速傾向にある番組も目立つがその座を守っていて、現在2位であるテレビ朝日とも以下(テレビ朝日冬の時代を参照)の諸事情の影響でテレビ朝日とも差を付けている。

テレビ朝日の冬の時代

テレ朝の2000年頃~現在の、プライムタイムを表す。当時と現在のテレビ朝日の番組は、視聴率は安定しているが、ヒット番組がなかなか出ず、裏番組に差をつけているバラエティ番組がほとんど無かった。

同時にその殆どの視聴率が日本テレビの番組に取られていることから、2005年2位だった年間視聴率も現在ではフジテレビに大差を付けられていて、日本テレビとも差が縮まってきている。

現在テレ朝で放送中のゴールデンバラエティ番組の状態

かつてテレビ朝日1980年代中期までは視聴者参加型のクイズ番組アニメ番組の数が比較的多く、幅広い年齢層から支持されていた。 ところが、1987年秋改編で「ニュースシャトル」がスタートした事で午後7時台から放送していたバラエティ番組などが枠確保ができなくなり打ち切られるなどし、そこから10年余りの冬の時代に突入することとなる。 そして1993年には長らく午前の顔として親しまれてきた柳生博司会の「100万円クイズハンター」が、1994年秋には土居まさる司会の「象印クイズ ヒントでピント」など、その時期から代表されていた番組が次々と終了してしまった。 その5年後の1999年春に視聴率改善を目的とした大改編に於いて若手お笑いタレントメインのバラエティ番組を増やしたり、深夜枠や特番で好評だった番組のゴールデンタイム進出で冬の時代を脱却した。 しかし、一時は安定していたバラエティ番組も、2005年頃よりマンネリ化、ネタ切れのためか、ヒット番組がなかなか出ず、そして視聴率の殆どが日本テレビ・フジテレビに取られている。だが一部の番組においては日本テレビ・フジテレビに大きな差をつけていることも事実である。そのため現在2位の座は2006年度で日本テレビに奪われる可能性がある。