佐竹義宣 (伊予守)

南北朝時代の武将。常陸国佐竹氏10代。左近将監。左馬助。伊予守。

これはこのページの過去の版です。ちくわじゃないよちくあだよ (会話 | 投稿記録) による 2019年1月13日 (日) 11:50個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

佐竹 義宣(義信)(さたけ よしのぶ、貞和2年/正平元年(1346年) - 康応元年/元中6年7月14日1389年8月5日))は日本の南北朝時代の武将で、常陸国佐竹氏の第9代当主。父は佐竹義篤。弟に小場義躬石塚宗義大山義孝藤井義貫(義実)。子は佐竹義盛佐竹義有。伊予守。

小田氏小山若犬丸を匿った罪で鎌倉公方足利氏満の追討を受けた際は、小田氏と縁戚関係にあったため警戒され、家臣の小野崎通郷江戸通高を派遣するに留まっており、通高は難台城の戦いで奮戦した末、討死した。

参考文献