ブエノスアイレス地下鉄
ブエノスアイレス地下鉄(ブエノスアイレスちかてつ、スペイン語: Subte de Buenos Aires)はアルゼンチンの首都ブエノスアイレス市内の地下鉄。後述の郊外を走る近郊鉄道路線のウルキサ線及び路面電車のプレメトロとともにメトロビアス社 (Metrovias S.A.) によって運営されている。ここではメトロビアス社自体についても記述する。
ブエノスアイレス地下鉄 Subterráneo de Buenos Aires | |
---|---|
![]() | |
![]() プラザ・イタリア駅 (2014年12月) | |
基本情報 | |
国 |
![]() |
所在地 | ブエノスアイレス |
種類 | 地下鉄 |
開業 | 1913年12月1日(A線) |
所有者 | ブエノスアイレス地下鉄公社(Subterráneos de Buenos Aires S.E.・SUBSE) |
運営者 | メトロビアス |
公式サイト | Metrovías |
詳細情報 | |
総延長距離 |
54.9 km[1] ※路面電車のP線を含んだ場合61.3km[1] |
路線数 | 6路線[1] |
駅数 |
87駅[1] ※P線を含んだ場合104駅 |
輸送人員 | 約123万人[1][2] |
保有車両数 | 565両 |
軌間 | 1,435 mm |
電化方式 |
直流1500V 架空電車線方式 (A、C、D、E、H線) 直流550V 第三軌条方式 (B線) 直流750V 架空電車線方式 (P線) |
路線図 | |
![]() ※濃いグレーは建設中、薄いグレーは建設認可が下りた区間 |

概要
ブエノスアイレス地下鉄 (西: Subterráneo de Buenos Aires)、通称「スブテ (スペイン語発音: [subte])」は1913年に世界で13番目に開業した地下鉄で[3]、ラテンアメリカ、南半球そしてスペインを含むスペイン語圏で初めて開業した地下鉄である[4][5][6]。そのため、ブエノスアイレスの地下鉄はスペイン語本来のMetro(メトロ)ではなくリオプラテンセ方言のSubte(スブテ)と表記してある。この地下鉄のA線は日本最古の地下鉄銀座線建設のモデルにもなっており、この開業は日本地下鉄の歴史においても重要な出来事である。
五月広場を中心に枝状に発展してきた路線は、スペインの小説家ミゲル・デリーベスが記しているように“制限のある”路線網であり[7]、市の中心部への混雑を緩和するため、南北へ路線を広げる計画が進められている。
2015年現在営業中の地下鉄路線は6路線 (A、B、C、D、E、H線)であり、駅は総数85駅。6路線合計の全長は53.9 kilometers (33.5 mi)にのぼる[1]。後述の通り、1993年以降線路や駅のインフラ保全・整備はブエノスアイレス地下鉄公社(SUBSE)が行い、運営をメトロビアス社が行っている。地下鉄路線以外には路線長7.4 kmのトラム路線「プレメトロ(P線)」もSUBSEとメトロビアスの管理・運営。更にメトロビアスは26 kmの郊外電車路線「ウルキサ線 (U線)」の17駅も管理・運営している。メトロビアスの運営する電車が停まる駅はそれら全てを合わせて102駅。なお、地下鉄では2015年現在4つの廃駅があり、E線とH線の延伸工事が行われている。ブエノスアイレスの郊外と都心をつなぐ鉄道網やメトロバスを使う乗換客が多く、1日100万人を超える利用者がいる。
主要路線は20世紀の前半に急ピッチで完成した。第二次世界大戦をきっかけとして、その建設ペースは大幅に落ち込むことになるが、1990年代後半から再び4つの新路線の計画が進められることになった。しかしながら急激な人口増加に伴う公共交通のニーズにより、当初の計画では安定した輸送が実現できないことがわかり、2015年現在、新たにF・G・I線の3路線を建設する「ブエノスアイレス市計画670」と、F・G線は建設し、I線は今後のニーズを考慮した上で新たに建設計画を立てるという「PETERSプラン」の2つの建設計画が検討されている。
1939年に全ての路線網は国営化されたが、1993年にはブエノスアイレス近郊鉄道および地下鉄の民営化事業に伴い、ブエノスアイレス地下鉄公社 (Subterráneos de Buenos Aires S.E.) からメトロビアス社に地下鉄の営業権が譲渡された。新線の建設および地下鉄線の保有は、引き続きブエノスアイレス地下鉄公社が行っており、いわゆる上下分離方式による運営となっている[8][9]。
2015年現在、ブエノスアイレスはアルゼンチン国内の都市で唯一地下鉄網を持つ都市だが、コルドバやロサリオの都市でも近年地下鉄計画が持ち上がっている[10][11]。
2000年代後半から車体への落書き(グラフィティ)が発生・増加し一時的は車体の側面をほぼ全てグラフィティで埋めつくされた車両も存在した。
そこで特殊な洗浄材を用意して2013年項からグラフィティの除去を始めた。この効果は抜群で2019年現在運用中の車両でグラフィティが描かれているものはほぼ存在しない(運用を離脱し地上で保管されている車両には地上に出た後にグラフィティを被ってしまったものは存在する)。
地下鉄路線の簡単な概要
路線名 | 開業年 | 距離 | 駅数 | 区間 |
---|---|---|---|---|
1913年 | 9.4 km | 18 | Plaza de Mayo – San Pedrito | |
1930年 | 11.8 km | 17 | L. N. Alem – J.M. de Rosas | |
1934年 | 4.5 km | 9 | Constitución – Retiro | |
1937年 | 10.5 km | 16 | Catedral – Congreso de Tucumán | |
1944年 | 9.7 km | 15 | Bolívar – Plaza de los Virreyes | |
2007年 | 8 km | 11 | Las Heras – Hospitales | |
1987年 | 7.4 km | 18 | Intendente Saguier – Centro Cívico/General Savio | |
合計: | 61.3 km | 103 |
A線 (Línea A)
1913年に開通したもっとも古い路線で、市内中心部のプラサ・デ・マヨ駅から、コングレッソ、オンセ地区を通りフローレス地区のサンペドリト駅を結ぶ。2008年には、プリメーラ・フンタ駅からカラボボ駅までが開通、2013年にはその先のリバダビア大通りの下をナスカ大通りまでのサンペドリト駅までの延伸区間が完成した。
車両
- 1913年の開業期にイギリスのユナイテッドエレクトリック社(後のイングリッシュ・エレクトリック)もしくはベルギーのブルジョワーズ社(La Brugeoise et Nivelles)で製造された車両が使用されていた。全長15,800 mm, 幅2,600 mmで木造(一部鉄板張り)である。一部鋼製車体に交換(鋼体化)したものもあるが、ほとんどは木造のままで老朽化が著しい。
- 100周年を迎える11ヶ月前であった2013年1月11日、電圧が1100V→1500Vへ昇圧されると同時に"La Brugeoise"と呼ばれる生え抜きの電車は99年におよんだ営業運転から退いた。
- それの置き換えとして中国製の"CNR 200"電車が導入された。
- 2013年の昇圧から2017年まで不足していた中国製の新型電車CNR 200を補う目的でD線から2編成のFiat Materfer車両が応援に来て活躍した。
B線 (Línea B)
1930年開通。ブエノスアイレス中心部から、コリエンテス大通りの下を通りパルケ・チャス地区に至る路線。フェデリコ・ラクローサ駅でウルキーサ線(U線)に接続している2003年にフェデリコ・ラクローサ駅からロス・インカス駅までの区間が、2013年にはロス・インカス駅からファン・マヌエル・デロサス駅までの延伸区間が完成した。なお、当路線だけが第三軌条方式集電を採用しているが、後述のマドリードからの中古地下鉄車完全導入の際に世界では例を見ない架線式への転換をする方針であった。しかしマドリードからの中古車に不具合が多く見つかった為に同所からの中古車導入が中止されこの計画は進んでいない。
車両
2016年現在、以下の3種類の車両が使用されている。
- 1995年に日本の営団地下鉄から譲渡された、元丸ノ内線300/500/900形。現地では主要機器の製造元よりMitsu・(Coche)MitsubishiもしくはMitsubishi Eidan 500と呼ばれ親しまれている。譲渡当時、状態の良さと現代の車両とも通じる設備でありながら、30年以上使用された車両であることに驚いたという話がある。現在でも、側面にステップが設置され大半の車両の塗装が塗り替えられた以外は譲渡時の形態をほぼ留めており、日本語で書かれたプレートなども残っている。この投入で従来の車両は全て淘汰された。2015年頃から老朽化の為故障が相次ぎ運用に支障が起き始めたためマドリードからCAF6000系中古電車を追加導入し老朽化した順から運用離脱・廃車が開始された。2016年現在で30両廃車されている。そして2016年3月、東京メトロが現地で走行中の4両を買い戻す方向で交渉中と報じられ、東京メトロも交渉中であると認めた。海外に譲渡された鉄道車両が、再び日本に里帰りするというのは非常に稀であり、東京メトロでは初めてのケースである。そして7月11日、ブエノスアイレスを離れた4両(771,734,584,752)が航路で大黒埠頭に到着。21,22日の未明にそれぞれ2両ずつ中野検車区に搬入された。[12][13]
元営団500形電車
(2002年)
当初は延伸による増発のみの運用であったが、2015年頃から丸ノ内線車の故障が相次ぎ運用に支障が起き始めたためマドリードからCAF6000系中古電車を追加導入した。
しかし故障が相次いだ上に車体にアスベストが使用されていることが発覚し(後に元営団500~900形も暖房装置にアスベストが使用されていることが発覚している)運用に入る編成が減ってしまった。
- 1996年までは、1930年 - 1931年の開業期にイギリスのメトロポリタン=キャメル社およびアメリカのOsgood-Bradley社で製造された電車、1965年から1977年にかけてアルゼンチンのFabricaciones Militares社のSan Martin工場で製造された電車"Siemens- FM"[14]が使用されていた。
前述の通り、これらの車両は丸ノ内線車両によりすべて淘汰された。そのうち中では新しかった"Siemens-FM"の一部はB線を離れた後気動車に改造された。
C線 (Línea C)
1934年開通。ブエノスアイレス市内中心部を南北に貫き、北方面の交通ターミナルであるレティーロ駅と、南方面の交通ターミナルであるコンスティトゥシオン駅の間を結ぶ路線。H線開業までは唯一の環状方向の路線であった。
車両
以下の5種類の車両が使用されている。なお開業時から活躍した"Siemens-O&K"は2016年に引退した。
- "Nagoya"はその名の通り日本の名古屋市営地下鉄から譲渡された車両。元名古屋市営地下鉄東山線300形・250形、名城線1200形で1999年に登場した。導入に当たりパンタグラフ取り付けや制御装置を東洋電機製のIGBT-VVVFインバータに交換、車椅子スペースの設置など大幅な改造が大阪車両工業にて施工された。これらは一部がD線でも活躍したが現在はC線のみの運行となっている。
2015年には同じく元名古屋市営地下鉄東山線の5000形も登場した。こちらも先にC線に入っていた3形式と同様の改造がなされ5編成運用されている。
す
- 2018年、A線から“CNR200“がC線に転属した為、2019年にはA線の“CNR200“がさらに8編成が追加され、同時に300形、250形、1200形が運用を離脱する予定である。
- "Siemens-O&K"は1934年の開業期にドイツで製造された車両。電装品はその名の通りシーメンス製。ベルリンSバーンの車両(のちのドイツ鉄道477形)と同形であるが架線集電式で前面が貫通路付きの3枚窓である点などが異なる。いくつかの編成がH線開通時に同線へ転属したがそちらでも2016年に運行から退いた。
D線 (Línea D)
D線は、ブエノスアイレス市内中心部から市内北部バリオ・ノルテ、パレルモ、ベルグラーノ地区など山手地区への路線である。
1937年6月3日にスペイン系企業CHADOPyFの地下鉄路線としてフロリダ駅(現在のカテドラル駅)- トリブナレス駅間が開通したのがD線の始まりである。その後、1939年にはパレルモ駅までの区間が開通した。
開通当初から、パレルモ駅から北へさらに延伸する計画があったものの、政治的・経済的事情によりその実現は大きく遅れることになった。パレルモ駅からミニストロ・カランサ駅までの延伸工事が始まったのは、開通から半世紀近くたった1984年のことであった。しかし、この工事も遅れてしまい1987年にミニストロ・カランサ駅までが単線で開通。そして、複線で完全に同駅まで開通したのは1992年のことであった。
1990年代後半にはブエノスアイレス市の地下鉄建設事業としてさらなる延伸が行われた。それにより、1997年にホセ・エルナンデス駅、1999年にはフラメント駅、2000年にコングレッソ・デ・トゥクマン駅まで開通し、現在の路線となった。
車両
D線は軌間1,435mmで架線式であり、C線・E線・H線と同一規格である。近年は新規導入車両が優先的にD線に導入されている。
現在、以下の 3種類の車両が使用されている。
- 1980年代から1990年代にかけて製造された"Fiat Materfer"。フィアット社の現地子会社Fiat Materfer製の車体に、ドイツAEGもしくはシーメンス社製の電装品を搭載している。電機子チョッパ制御である。駆動方式はリンク式駆動方式を採用した。
- 2001年からアルストム社で製造された車両(アルストム・メトロポリスシリーズを採用した"Alstom 100")。ブラジルのサンパウロもしくはアルゼンチンのラプラタにあるアルストムの工場で製造された。
- 最新型のアルストム製車両"Alstom 300"。こちらもメトロポリスシリーズを採用し、ブラジルのサンパウロにあるアルストムの工場(かつてのマフェルサ)で製造されている。
- 一時期元名古屋市営地下鉄の中古である"Nagoya"の3形式も運用されていたが、現在は上記のアルストム製の"Alstom 300"に置き換えられD線での運用は存在しない。
E線 (Línea E)
1944年開通。ブエノスアイレス中心部から市内南部地区への路線。利用客が比較的少ない路線である。終点ビレーシェス駅でプレメトロ(P線、ライトレール)に乗り継ぐことができる。
2007年より中心部側の終点ボリバール駅からレティーロ駅までの延伸工事が行われているが、開通は2017年以降となる予定である。
車両
- 1964年 - 1966年に製造された車両"CAF-GEE"が使用されている。自国Fabricaciones Militares社のSan Martin工場製の車体に、G.E.スペイン社製の電装品を搭載している。長らくE線の顔として親しまれてきたが、近年は老朽化によるものと見られる電気機器からの発煙などが問題となっている。2014年には体質改善車も登場した
- D線と同じ車両"Fiat Materfer"も使用されている。
H線 (Línea H)
ブエノスアイレス市内を南北に結び、市内中心部から放射状に伸びている各路線を結ぶ路線である。2007年10月18日、オンセ駅からパルケ・パトリシオス地区カセーロス駅の区間が開業。1944年のE線開業以来63年ぶりの新路線となる。以降も、2010年、2011年、2013年、2015年と延伸区間が少しずつ開業している。
2017年現在、北側のラス・ヘラス駅から先と南側のホスピタレス駅から先の両端区間が延伸工事中である。将来的には北側はレコレータ地区を通りレティーロ駅まで、南側はヌエバ・ポメーシャ地区までの延伸が計画されている。
車両
- 2016年よりD線と同じアルストム・メトロポリス・シリーズを採用したAlstom 300という最新型電車が使用されている。同年内に同線は全てこのAlstom 300に統一されこれによりH線で使用される電車は100%冷房車となった。
- 新車両導入が困難であることから、2007年の開業に当たってC線の予備車両を用いることになった。この内"Siemens-O&K"電車には車体をリニューアルした体質改善車両が登場したがこれも含めて2016年に全て引退した。
F線・G線・I線
計画中の路線。H線完成後の着工が見込まれている。
トラム(プレメトロE2線)
プレメトロE2線 (Línea E2)
1987年に開通した総延長7.4 kmのトラムであり、E線ビレーシェス駅に接続している。
ウルキサ線(U線・郊外電車)
ウルキサ線(Linea Urquiza)
B線のフェデリコ・ラクロセ駅に接続し、西方にあるサン・ミゲル市のヘネラル・レモス駅(General Lemos)までを結ぶ郊外路線である。1993年以前はアルゼンチン国鉄の保有する路線であった。全区間を通して地上を走行する。軌間はB線と同じ1.435mmであり、フェデリコ・ラクロセ駅構内で地下鉄B線の同駅とトンネルで接続されている。集電方式もB線と同じ第三軌条方式であるが、2019年現在相互乗り入れは行われていない(かつてウルキサ線の車両がB線に直通していた時期が存在し、2019年現在はB線の車両がウルキサ線沿いの工場で整備を受けるためにウルキサ線を走行する)。
なお、このウルキサ線及び各地下鉄路線と路面電車路線の運営権は1993年よりアルゼンチン政府により認可され引き継いでいるものであり、契約期限の過ぎた2017年12月にウルキサ線の運営権が競売に賭けられた[15]が、ひとまず18か月分の運営権は従来通りメトロビアスが引き続いだ。しかし、この延長契約が終了するとメトロビアスの運営する路線は地下鉄路線と路面電車路線含め全て競売に賭けられることになる。メトロビアスは25年以上続いている運営を手放さないようにとドイツ鉄道(DB)と協力し、次の15年間の運営権を落札させる為の努力をしている[16] [17]。
車両
1973年の3線軌条方式での電化開業当時から"Toshiba"と呼ばれる日本製の電車(一部車両の車体は後述するように現地企業でノックダウン生産)が使用されている。1970年代に製造された日本製の車両としては珍しく吊掛駆動。 形式は1両中運転室以外の全てが客室の車両がM.U.3000・1両中に運転室と客室以外に荷物室がついている合造車はM.F(Furgon=荷物車).U.3000である。2両1組のMM'ユニット式で通常は2両x3編成=6両の編成で運転されているが、性能上は最高で10両まで構成可能。車内は濃い緑色のオール転換クロス式の座席となっており冷房はないが天井にはファンデリアが並ぶ。しばしば「東芝製電車」と呼ばれるが、東芝が幹事会社となっている関係上名前が大きく出ているだけである。電装系が主に同社製となっている都合上だ。東芝の他に三菱も関連している。また、メーカーも近畿車輛が幹事担当となっている。全体の取り纏めは丸紅が担当した。 この車両は老朽化して来ているがしっかりと保守・整備され2019年現在置き換えの話はない。
料金と乗車券
地下鉄線
乗車券は、紙製磁気カードのSubtePass(スブテパス)と、リチャージ可能なICカード乗車券MONEDERO(モネデーロ)の2種類である。全ての駅に自動改札が導入されており、乗車の際には、スブテパスを挿入、または、モネデーロをタッチして通過する。
料金は全路線5.00ペソ均一(2014年8月現在)である。回数タイプのスブテパスおよびモネデーロの利用による割引はない。
スブテパスは2000年に導入され、1回券・2回券・5回券・10回券・30回券があり、各駅の窓口で購入できる。使用日時、残回数はカード裏面に印字される。
ICカード乗車券は、2003年にSubteCard(スブテカード)という名称で導入され、2007年に電子マネー展開を目指して名称がモネデーロに変更された。地下鉄以外に、一部のキオスコ、薬局、書店等で代金の支払いにも利用できる。
モネデーロは一部の地下鉄駅、およびウルキサ線ターミナルのフェデリコ・ラクロサ駅などにある発行センターで入手できる。モネデーロカード自体は一人2枚までは無料で発行されるが、初期チャージ25ペソが必要である。また、発行を受けるには、DNIやパスポートなどの身分証明書が必要である。短期滞在の外国人でも発行可能。
リチャージは、全ての地下鉄駅の券売窓口で行える。
車両・線路・関連設備などのメンテナンス
1913年開業以来、車両はA線・C線を除き様々な新型車両が導入されたが線路・変電所などの関連設備はほとんど更新されず、定期的なメンテナンスも行っていなかった(例えばA線の名車"Brugeoise"はいわゆる全般検査は20年に一度しか行っていなかったという)。1994年の丸ノ内線車両を譲渡の際、当時の営団職員と関連会社のメトロ車両職員が実際に現地を訪れた際は車両・設備の想像を絶するほどの状態の悪さには愕然としたという。
これを受けた営団、メトロ車両職員は早速現地の車両工場で技術指導を実施。さらにメトロビアス職員一同が日本訪問時に営団地下鉄を見学し、営団車両工場の業務実態を見学したうえ、故障が発生してからその都度直す事後保守から、故障の有無に関わらず定期的な保守を通じて一定の稼働率を確保する予防保守へと転換した。現在でもメトロ車両職員が技術指導のため、度々当地を訪れる。
線路工事を行う際に必要なマルチプルタイタンパー車(マルタイ車)を数台、オーストリアのプラッサー&トイラー社およびプラッサーアメリカン社などから導入し線路工事にてフル稼働中である。
駅構内でも改修工事が行われており、階段やエレベータなどの更新工事も行われている。エスカレーター設置工事も行っており、特にバリアフリー対策には積極的である。
その他
- 上述したようにこのブエノスアイレス地下鉄はアルゼンチン自国を含め世界中の鉄道車両メーカーから購入した個性豊かな電車が活躍し、近年は成長著しい中国企業からの購入も行われている。
- 日本からもB線やC線などで前述した中古車が購入され高い信頼を得ている(メトロビアス社全体で見るとアルゼンチン国鉄時代にウルキサ線用電車及び同線の事故復旧用クレーン車も日本から輸出されている)。
参考文献
- 園田淳「ブエノス・アイレスにスブテ(地下鉄)をみる」鉄道ピクトリアル791号、99-107, 136頁、東京・電気車研究会 2007年7月(雑誌 06411-7)
関連項目
脚注
- ^ a b c d e f “Nuestra compañía – ¿Qué hacemos?” (Spanish). Metrovias. 2015年12月24日閲覧。
- ^ Aumentó un 12% la cantidad de usuarios que usan el subte a diario, La Nacion, 7 May 2015.
- ^ “An Argentine Tradition Threatens to Crumble With City Architecture”. New York Times. New York Times. 2016年1月16日閲覧。
- ^ Se cumplieron 100 años del primer viaje en subte – Ambito, 1 December 2013.
- ^ La historia de 100 años del primer subte de América del Sur – Perfil, 1 December 2013.
- ^ Background and Inauguration in 1919 – Metro de Madrid]
- ^ Jason Wilson (2007). Buenos Aires: A Cultural and Literary History. Signal Books. ISBN 978-1-904955-09-2
- ^ Barreiro, Ricardo (2015-04-01). 100 años bajo Buenos Aires. Historia de la Línea A. Editorial Dunken. pp. 82–. ISBN 978-987-02-8141-2
- ^ Jeremy Plant (2007-02-22). Handbook of Transportation Policy and Administration. CRC Press. pp. 512–. ISBN 978-1-4200-1702-1
- ^ Retoman el proyecto para licitar un tranvía metropolitano – 21 July 2015.
- ^ “El municipio empieza a estudiar la factibilidad de un subte en Córdoba”. La Voz. La Voz. 2016年1月17日閲覧。
- ^ “アルゼンチン共和国ブエノスアイレスで活躍した丸ノ内線旧500形車両が約20年ぶりに東京に里帰りします! - 東京メトロ プレスリリース(2016年7月20日)”. 2016年7月20日閲覧。
- ^ “南米に渡った丸ノ内線「赤い電車」、日本に里帰り?メトロが交渉中 - withnews(ウィズニュース)”. withnews 2016年6月2日閲覧。
- ^ La accidentada historia de los Siemens-FM - EnElSubte, 30 January 2014
- ^ https://enelsubte.com/noticias/prorrogan-por-18-meses-la-concesion-de-metrovias-en-el-urquiza/
- ^ https://enelsubte.com/noticias/metrovias-apuesta-a-la-alianza-con-deutsche-bahn-para-retener-el-subte-y-el-urquiza/
- ^ https://enelsubte.com/noticias/macri-quiere-privatizar-urquiza-belgrano-norte-15-anos/