自然法

これはこのページの過去の版です。2400:4151:a380:5700:7461:8822:a3d3:b3 (会話) による 2023年3月4日 (土) 13:33個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

自然法(しぜんほう、: natural law: Naturrecht: lex naturaelex naturalis)とは、事物の自然本性: nature: Natur: natura: φύσις)から導き出される、(時代性・地域性といった制限・条件を超えた)人類にとって共通・普遍・汎通的と見做され得る倫理の総称である。古い訳語では、(儒教用語「性」を用いて)性法(せいほう)とも呼ばれた。

西洋中世の伝統的な自然法論においては、自然法はギリシア哲学ロゴスヌースの概念を引き継いだものであり、人間の理性知性で対応・把握・分有できる範囲での、人類にとっての普遍的な法・規範とされ、神の法としての永久法(や神定法)と、個々の人間社会の個別的・特殊的な人定法実定法)の狭間に位置付けられる。

17世紀18世紀の近代(近世)政治思想においては、自然状態自然権 (人権)・社会契約といった概念・思想と密接な関係にあり、(「自然状態・自然権 (人権)」と「自然法」が調和的か対立的か、また「自然法」の具体的な中身・優先事項が何であるか等は、論者によって見解に相違があるものの)いずれにしろ「自然法」を実現・強化することを目的として、近代国家・近代社会的な「社会契約」は主張されている。

他方で、19世紀以降の近代法学の実定法主義法実証主義)においては、考察の対象外とされる。

こうして近代における自然法思想は、一方では肥大化・複雑化していく自然権 (人権) 思想に吸収・代替されていき、他方では扱う価値・中身が無いと省みられなくなり、今日ではごく一部の論者を除けば、ほとんど言及・主張されなくなっている。

歴史

古代

古代ギリシャにおいては、社会的な実定法慣習としての「ノモス」(: νόμος)と対比される形で、自然本性としての「ピュシス」(: φύσις)として、自然法が主張された[1]。神話的な時代においては、それはテミスディケーといった女神に象徴される「自然の秩序・掟」として表現されたが、オルペウス教ピタゴラス派エレア派等に影響を受けたプラトンアカデメイア派)は、それを善のイデア(創造主・デミウルゴス)を頂点とする理知的・善的・神的な「イデア的秩序」と、魂に内在する理知的・神的な性質に基づいてそれに可能な限り近接しようと努力する人間側の「倫理的・政治思想的な性質・法則・原則」として表現した[1]アリストテレスペリパトス派逍遥学派)も、それに多少の修正を加え、最高善不動の動者)を頂点とする「形而上学第一哲学)的秩序」と、その下で人間を含む形相質料結合体としての個物が、各々の性質を展開・実現しようとする動的な「目的論的自然」や「倫理学政治学的な性質・法則・原則」として表現した[1]ストア派もまた、人間が理性の力を発揮して、「理性的自然」と一致して生きることを説いている[2]

古代ローマにおいては、領土の拡大に伴って、ローマ市民のみに適用される市民法: ius civile)と対比される、万人に等しく適用される万民法: ius gentium)が整備されるようになり、2世紀の法学者ガイウスが『法学提要』の冒頭で指摘しているように、この万民法は当時から既に自然法の一種の反映・現れと見做されていた[3][4]。(他に自然法を万民法・市民法との関連で論じた古代ローマの法学者としては、ウルピアヌスパウルス等が知られている[5]。)

中世

中世においては、上記したギリシア哲学によって醸成された「神の理法」と「人の理法」、そしてローマ法によって醸成された「万民法」と「市民法」の概念・分類が継承されたが、アウグスティヌストマス・アクィナスに代表されるキリスト教神学者達によって、ここに更に、残余の「非理知的な宗教的・信仰的領域」(古代ギリシアにおいては神託秘儀供物の領域)を補充する法として、キリスト教特有の聖書啓示教会法といった宗教的要素が「神定法」(: lex divina)といった概念として付け加えられた[6]

こうしてトマスの『神学大全』第2-1部の90番台で言及されているように、

  • 永久法」(: lex aeterna) - 世界を支配・包摂する神意神慮摂理の法。
  • 神定法」(: lex divina) - 人間の理知の限界を補充する法。聖書啓示教会法など。
  • 「自然法」(: lex naturalis) - 人間の理知に対応する、人間にとっての普遍的な法。
    • 万民法」(: ius gentium) - 自然法と人定法の性質を併せ持った法。
  • 人定法」(: lex humana) - 個々の人間社会の個別的・特殊的な法。市民法など。

といった古典的な法の分類がまとめられた。

他方で、普遍論争においては、トマス等の「実念論」(普遍優位)が、「唯名論」(個物優位)に押されて影響力を失ったことにより、個物(自然権)の側から自然法を組み立てて行く近代(近世)的な自然法論の土壌が用意されることになった[1]

定義

自然法」とは、事物の自然本性から導き出されるの総称である。 したがって、この概念を主として人類・人間社会を念頭に置いて使用する場合、「倫理」と多分に意味内容が重複する概念となる。自然法は実在するという前提から出発し、それを何らかの形で実定法秩序と関連づける法理論は、自然法論と呼ばれる。

自然法には、原則的に以下の特徴が見られる。但しいずれにも例外的な理論が存在する。

  1. 普遍性:自然法は時代と場所に関係なく妥当する。
  2. 不変性:自然法は人為によって変更されえない。
  3. 合理性:自然法は理性的存在者が自己の理性を用いることによって認識されえる。

自然法の法源とその認識原理

法源

自然法の法源は、ケルゼンの分類に従うならば、自然ないし理性である[7]ギリシャ哲学からストア派までの古代の自然法論においては、これらの法源が渾然一体となっている。

法源としての神

が人間の自然本性の作り手として想定されるとき、自然法の究極の法源はとなる。このことは理性にもあてはまり、が人間に理性を与えたことが強調されるときは、合理的な法としての自然法の究極な法源もまたとなる。この傾向は特にキリスト教自然法論において顕著である。例えば、アウグスティヌスにとって、自然法の法源理性ないし意思であった[8][9]。また、トマス・アキナスにとって、自然法とは宇宙を支配するの理念たる永久法の一部である[10][11]

法源としての自然

ここで自然とは、自然本性一般のことではなく、外的な自然環境のことである。外的な自然が自然法の法源となるのは、専ら外的な自然環境と人間の自然本性との連続性が強調されるときである。これはとりわけヘラクレイトスおよびストア派の自然法論において見られ、そこでは自然学と倫理学とが連続性を保っている。このような場合には、自然法則と自然法がほとんど同義で語られることが多く、何らかの傾向性(例えば結婚は普通雌雄で行われることなど)が自然法とされることもある。

自然法とは、自然が全ての動物に教えたである。なぜなら、このは、人類のみに固有のものではなく、陸海に生きる全ての動物および空中の鳥類にも共通しているからである。雌雄の結合、すなわち人類におけるいわゆる婚姻は、実際にこのにもとづく。子供の出生や養育もそうである。なぜなら、私が認めるところによれば、動物一般が、たとえ野獣であっても、自然法の知識を与えられているからである。 — 『学説彙纂』第1巻第1章第1法文第3項[12]

人間の自然本性を理性的であると解する立場から見れば、理性もまた自然法の法源となる。特に理性を自然法の法源として独立させたのは、近世自然法論者たちである。彼らは自然法を正しい理性の命令と定義して、神的な要素をそこから取り除いている。純粋に理性が自然法の法源となるときには、自然法は実定法以外の合理的な法を意味する。この特徴はとりわけホッブズに見られ、彼は自然法を、単に人間が合理的に思考し、その自然本性としての死への恐怖にもとづいて意思が受け入れるであろうと解している。

自然法の認識原理

自然法の法源制定法判例法でない以上、その認識手段が常に問題となる。基本的に、自然法の認識原理は、その法源の種類にかかわらず理性であると言われる。すなわち、自然法が超自然的な存在によって作られたものであろうとなかろうと、それを発見するのは人間の理性である。理性が人間の自然本性である以上、合理的思考は自然法の認識にとって不可欠となる。ストア派にとって倫理学は論理学と自然学の上に成り立つものであり、密接不可分である[13]

義務は次のように定義される。「生における整合的なことで、それが実行されたときに合理的に説明されることである」。これとは反対のことは義務に反することである。これは、非ロゴス的な動物にも及ぶ。なぜなら、それらも、それ自身の自然本性と整合的な何らかの働きをしているからである。理性的な動物の場合は、次のように説明される。「生における整合的なこと」。 — ストバイオス『抜粋集』第2巻7-8[14]

これに対して、自然法が人間には直接的には認識不可能であるという立場からは、何らかの補助手段を用いることが要求される。その場合、キリスト教自然法論は、神からの啓示を重視する。それは、専ら新約聖書および旧約聖書から得られる指図である。典型的な啓示は、モーセ十戒である。

自然法とその他の法との関係

慣習法との関係

既に初期ストア派クリュシッポスが、ノモス(慣習)とピュシス(自然本性)を対置し、後者を前者に優位させる[15]。ローマ・ストア派の思想に影響されたキケロは、自然法の法源を理性に求めながら次のように述べている。

次はもっとも愚かな見解である。すなわち、国民の習慣やによって定められていることはすべて正しいと考えることである。僭主でも正しいのか。…(中略)…人間の共同体を一つに結びつけている正しさは一つであり、それを定めたのは一つのであり、このは命じたり禁じたりする正しい理性だからである。このを知らないひとは、このの書かれているところがどこかにあろうとなかろうと、不正な人である。 — キケロ『法律について』第1巻42[16]

トマス・アクィナスの意思を自然法の法源としながら、次のように述べる。

自然法ならびに神法は神的意志から発出するものであるから、人間の意志から発出するところの慣習によっては改変されえないものであり、ただ神的権威によってのみ改変されることが可能である。したがって、いかなる慣習といえども神法や自然法に反してたるの力を獲得することはできない。 — 『神学大全』第2部の1第97問題第3項[17]

グロチウスは自然法と万民法とを区別しながら[18]万民法とは「時代と慣習の創造である」という[19]

これに対して、歴史法学派カール・フォン・サヴィニーは、自然法を各民族について相対化しながら、自然法と慣習法とをかなり接近させる[20]

実定法との関係

自然法と実定法との関係には主に2種類あり、ひとつは授権関係、ひとつは補完関係である。前者の場合、自然法は実定法に対する授権者となり、自然法に反する実定法は原則的に失効する。但し、正当な理由があるときには、この限りでない。正当な理由としては、堕落した人類は自然法上の義務を完遂できないことなどが挙げられる。他方で、後者の場合、自然法は実定法が欠缺している領域を補うことになり、その最も重要な適用領域は、国際関係とされていた。これは、特に近代において、国際関係を規律するルールが非常に多くの点で整備されていなかったからである。今日においては、非常に多数の国際条約が締結されており、必ずしもその限りではないが、学説上、自然法の復権を訴えるもの[21]も中には見られる。

脚注

  1. ^ a b c d 自然法とは - コトバンク
  2. ^ ストア派とは - コトバンク
  3. ^ 万民法とは - コトバンク
  4. ^ ガーイウス『法学提要』の法思想史的意義 - 長谷川史明
  5. ^ 古代ローマにおける自然法思想の研究 - 塚原義央
  6. ^ 神法とは - コトバンク
  7. ^ ハンス・ケルゼン著、黒田覚=長尾龍一訳『自然法論と法実証主義』木鐸社、1973年、p.11.
  8. ^ Augustinus. Contra Faustum. lib.22. §.27.
  9. ^ Herbert A. Deane. The political and social ideas of St. Augustine. New York: Columbia University Press (1963) p.87.
  10. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第1項
  11. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第2項
  12. ^ 訳出にあたっては、春木一郎『学説彙纂プロータ』有斐閣、昭和13年、p.60-61を参考にした。
  13. ^ A. A. ロング著、金山弥平訳『ヘレニズム哲学ーストア派、エピクロス派、懐疑派ー』京都大学学術出版会、2003年、p.271.
  14. ^ 中川純男訳『初期ストア派断片集1』京都大学学術出版会、2000年、p.162-163.
  15. ^ 中川純男=山口義久訳『初期ストア派断片集4 西洋哲学叢書』、京都大学学術出版会、2005年、p.362.
  16. ^ 中川純男=山口義久訳『初期ストア派断片集4 西洋哲学叢書』、京都大学学術出版会 、2005年、p.196.
  17. ^ トマス・アクィナス著、稲垣良典訳『神学大全 第14冊』、創文社、昭和52年、p.133.
  18. ^ グロチウス著、一又正雄訳『戦争と平和の法』巌松堂、昭和15年、p.22-23.
  19. ^ グロチウス著、一又正雄訳『戦争と平和の法』巌松堂、昭和15年、p.59.
  20. ^ 矢崎光圀「歴史法学派」『法学セミナー』1957年5号、日本評論社、p.8-9.
  21. ^ Hall,S., "The Persistent Spectre: Natural Law, International Order and the Limits of Legal Positivism", European Journal of International Law, Vol.12, No.2, 2001, pp.269-307.

関連項目

外部リンク