準ひきこもり
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準ひきこもり(じゅん-)は富山国際大学専任講師樋口康彦が論文『大学生における準ひきこもり行動に関する考察』に中で提唱した概念である。インターネット上では準ヒキと略され、樋口本人も使用している。
論文によれば「大学には真面目に登校するものの家族を除く他者との交流がほとんどなく、対人的な社会経験が不足している状態」をいい、ニート、フリーター問題の隠された要因になっていると指摘している。引きこもりのように部屋に閉じこもるわけではなく、問題が顕在化するのは就職活動期や大学卒業後という。2006年、論文のPDFがネット上に公開され、2ちゃんねるなどインターネット上で話題となった。同年、さらに講談社+α新書から『「準」ひきこ森』が出版された。
特徴
- たくましさに欠ける。社会で期待されている男性役割を身につけていない。
- 自己中心的、視野狭窄。
- 被害者意識が強い。
など
(統計年月日、サンプル数、調査対象、調査方法、因果関係等が不明)
批判
- この概念は学術的に認められているものではなく、提唱者本人が心理学の専門家でないこともあり批判もされている。何をもって準ひきこもりとみなすかも著者の印象に負うところが大きく、マンガやアニメなどの趣味・娯楽と自閉傾向を直列繋ぎにしていることや男性にたくましさを要求している点(女性につつましさを求めることは女性差別とみなされるのに、男性にたくましさを求めることは男性差別にならないのか、という批判)、「妄想と現実を行き来」という文言や、準ひきこもりが変態性欲やストーカー的な性癖を持っていると受け取れるなど、偏見的要素が含まれるのを問題視する向きもある。内藤朝雄は東京新聞の取材に対して「『社会性』なるものをビジネスで成功しやすいタイプに限定した上で、どこにでもいそうな、ちょっとズレているボンヤリ系の若者に印象的なレッテルを張って、新しく『問題化』しようとしている」と批判している。
- 「友達ができない=準ひきこもり」と定義付けているが、これも偏見的要素だと言える。昨今の若者社会にあっては、『真面目な人間』や『堅実な人間』には、逆に友達ができにくい、という事情を無視している。
- 『「準」ひきこ森』の著書自体には準ひきこもりへの批判がほとんどであり、解決策がほとんど書かれていないとも言われている。
関連項目
参考文献
- 「準」ひきこ森―人はなぜ孤立してしまうのか?(著者:樋口康彦 講談社) ISBN 4-06-272405-7
- 2006年7月13日付東京新聞