L・M・モンゴメリ
ルーシー・モード・モンゴメリ(Lucy Maud Montgomery, 1874年11月30日 - 1942年4月24日)はカナダの児童文学者、赤毛のアンは日本でも有名である。作品などにおける公式表記はL. M. Montgomery(カタカナ表記にした場合はL. M. モンゴメリ、L・M・モンゴメリ)。なお、名の呼びかけにはミドルネームのモード(Maud)がよく使われた。
カナダ東部プリンス・エドワード島のクリフトンで生まれ、2歳の時に母が死亡、父は再婚し、母方の祖父母に育てられる。1893年から1894年にプリンス・オブ・ウェールズ・カレッジで一級教員の資格を取得、小学校教員や新聞記者などをし、1895年から1896年にかけてノバスコシア州の州都ハリファックスのダルハウジー大学で文学を学んだ。1906年、長老派教会牧師ユーアン・マクドナルドと婚約、1908年処女作『赤毛のアン』(原題:グリーンゲイブルスのアン)を出版し、成功を収める。その後、1909年の第2作『アンの青春』(原題:アヴォンリーのアン)など『赤毛のアン』シリーズは10冊が刊行され、生涯に20冊の小説と短編集を書いた。特に『赤毛のアン』は何度も映画化され、40ヶ国語に翻訳されるほどの成功を収めた。モンゴメリは1935年にフランス芸術院会員となり、トロントに引越し、また、大英帝国勲位も受けた。
ユーアン・マクドナルドとは1911年7月11日に結婚し、その後モンゴメリ36歳の時、オンタリオ州の田舎町リースクデールに移り住んだ。ユーアンは結婚後8年目に学生時代に患ったうつ病が再発、生涯快癒する事はなかった。モンゴメリは世間に夫の病名を隠して看護を続けたが、晩年は家庭内外の問題で心労が重なり、モンゴメリ自身も神経を病んだという。この辺りの事情は、最近刊行を終えた『モンゴメリ日記』全五巻(The Selected Journals of L. M. Montgomery: Oxford Univ Press)に詳しい。
『赤毛のアン』は日本でも中学の国語の教科書に収録され、1979年に世界名作劇場シリーズでテレビアニメ『赤毛のアン』として放映された。現在でも若い女性に人気があり、プリンス・エドワード島で結婚式を挙げるカップルまでいる。カナダからはまだノーベル文学賞作家が出ておらず、モンゴメリは児童文学とはいえ、世界的に最も著名なカナダ人作家である。