毎日放送

近畿広域圏のTBSテレビ系列準キー局

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株式会社毎日放送まいにちほうそう)は、1951年に開局した日本初の民間放送新日本放送として設立された近畿地方中波(AMラジオ)・テレビジョン放送事業者。略称 MBSエムビーエス)。英称 Mainichi Broadcasting System,Inc.放送対象地域近畿広域圏

本社・支社・支局所在地

  • 大阪本社:〒530-8304 大阪府大阪市北区茶屋町17-1
    • ※一部番組は番組専用の番号を取り入れる場合がある。
    • (例)「MBSタイガースナイター」→539-0007
  • 東京支社:東京都千代田区一ツ橋1-1-1 パレスサイドビル9階
  • 名古屋支局:名古屋市中区錦3-23-31 栄町ビル6階

局データ

テレビ放送

中継局

大阪府
  • 柏原 54CH
  • 枚方尊延寺 53CH(垂直偏波)
  • 河内長野寺元 52CH
  • 河内長野清見台 35CH(垂直偏波)
  • 泉南金熊寺 54CH
  • 岬深日 54CH
滋賀県
  • 大津 36CH
  • 大津石山 18CH
  • 大津比叡平 54CH(垂直偏波)
  • 甲西 55CH
  • 信楽 33CH
  • 彦根 54CH
京都府
兵庫県
  • 神戸摩耶 31CH
  • 神戸灘 54CH
  • 神戸住吉川 53CH
  • 神戸楠谷 53CH
  • 神戸高座 53CH
  • 神戸長田 38CH
  • 西宮山口 55CH
  • 姫路 54CH
  • 赤穂 54CH
  • 城崎 54CH
  • 香住 33CH
  • 篠山 33CH
  • 浜坂 53CH
奈良県
  • 生駒あすか野 37CH(垂直偏波)
  • 桜井慈恩寺 42CH(垂直偏波)
  • 吉野 34CH
和歌山県

徳島県福井県嶺南)へも電波が届いており、JNN系列の無いこれらの地域も視聴者が多い。

ケーブルテレビ再送信局

以下のケーブルテレビではテレビが再送信されている。

  • 従来、平日(金曜除く)の早朝5:00~5:30にサイマル放送されていたJNNニュースバードが2004年8月よりフィラー番組として放送時間を拡大し、通常放送番組の終了後~5:30(金曜日のみ5:00まで)に放送されている。なお1日の基点を4:45(土・日は5:00)に設定しているため、一旦4:44(同4:59)に開始映像(ジャンクションともいう)を挿入する。

ラジオ放送

  • コールサイン:JOOR 毎日放送ラジオ
    • 周波数:1179kHz
    • 出力 50kw
    • 送信所 大阪府高石市西取石6-6-45(鴨公園南方)
  • 4:00(土曜日4:50、日曜日5:00)を基点に24時間放送(日曜深夜2:25~月曜未明4:00は原則休止。ナイター延長による短縮あり)。

ラジオのネットワーク

ラジオはTBSラジオをキー局とするJRN文化放送ニッポン放送をキー局とするNRNのネットワークに属する(プロ野球及び競馬中継のネットワークは複雑である。詳しくは「タイガースナイター」、「みんなの競馬」を参照)。ラジオのニュース番組は、毎日新聞社JNNから配信のニュースも伝えている(ラジオのニュースタイトルは、開局当初は『毎日新聞ニュース』だったが、その後『毎日ニュース』を経て、現在は『MBSニュース』となっている)。ラジオの時報CMスジャータ

また日本の民放AMラジオ局では唯一、創価学会聖教新聞のCMを流していない。(FMラジオではJ-WAVEなど)
このため創価学会提供のあなたへモーニングコールラジオ大阪、聖教新聞提供の日本列島ほっと通信朝日放送がネットしている。

デジタルテレビ放送

  • コールサイン:JOOR-DTV 毎日放送デジタルテレビジョン
    • チャンネル:16ch リモコンキーID4)
    • 周波数 491.142857MHZ
    • 出力 3kw(2005年末以降)
    • 2005年末以降の放送区域内世帯数 約580万世帯

オープニング(放送開始時)・エンディング(放送終了時)

テレビ

  • 1990年9月の茶屋町本社移転まで、オープニング・エンディングとも千里丘放送センターの社屋の映像をバックに放送していた。使用されていた曲は、池辺晋一郎作曲の「毎日放送開始・終了の音楽」であった。
  • 1990年9月に現在の梅田・茶屋町に本社・放送センターを移転してからは、これまでの音楽の使用をやめて別の音楽を使用し、局舎(スタジオ内部や副調整室などの映像を盛り込んだ)とその周辺の映像が使用された。(音楽は途中で変更された)
  • 2003年12月1日から現在は、デジタル放送開始に併せてハイビジョンによって製作されたサービスエリアである関西各地の名所を織り込んだ映像と前バージョン放映中に変更された音楽を使用した新バージョンになった。(これまで同様オープニングとエンディングでは内容が異なる。但し2004年8月から24時間放送=日曜深夜~月曜未明を除く=が始まったため、オープニングを1日の基点(平日4:44、週末4:59)にジャンクションとして放送しており、エンディングの放送は放送休止の時のみに放送されている)

ラジオ

現在も「毎日放送開始・終了の音楽」が1週間のラジオ放送開始時刻とされる月曜午前3時59分に演奏されている

時刻出し(テレビのみ)

  • 2004年8月からフィラー時間帯はJNNニュースバードサイマル放送となり、この時間中は同チャンネルで使用している時刻表示をそのまま使用している。
    • 参考までに触れるがJNNニュースバードの時刻出しパターンは、フル画像のバージョンで左上に時刻(但し衛星利用のため1~2秒程度のタイムラグ=遅れが生じる)を出し、その下にニューヨーク株式・為替の市況状況。その隣に全国主要都市の天気と降水確率・気温のテロップを出すもの。もう一つはL字型画面で画面の左に全国各都道府県の県庁所在地の天気と気温、画面下にロールテロップで最新ニュースを流すパターンがある。使い分けは時間や曜日にもよる。
    • またJNNニュースバード放送中のCMであるが、4:45(土・日5:00)まではそれで流れるCMをサイマルで放送(但し通常放送終了後からの放送となるため番組の途中から入ることもある)、それ以降はCM部分は毎日放送のイベント情報のスポットに差し替えている。(CM中は時刻出しをしていない)
  • 毎週月曜日の未明はメンテナンスのため、4:45までサイマルは行わず、フィラー中はお天気カメラを使用する。この時は画面の左下に時刻、右下に日付とMBSのロゴ、そして撮影場所を記している。
  • 早朝の放送開始時(フィラー明け)~9:52、平日5:30~8:30の「ウォッチ!」、「あん!」の放送中はカスタム表示で、白地に青の縁取りをし、若干縦に長いフォントを使用している(CM中は白地に黒の縁取りの一般的なフォント)。5:55から8:30までは天気予報テロップ(近畿圏と徳島、東京)を併記。過去には朝7時台のワイド番組(「モーニングジャンボ」「朝のホットライン」などの時代)で時刻を秒単位まで表示したことがあった。
  • 平日8:30~9:55(『はなまるマーケット』第一部)と17:50~18:54のニュース枠(『JNNニュースの森』と『VOICE』枠内)や土曜・日曜の早朝帯(『知っとこ!』、『サンデーモーニング』など)はCM中も含めてカスタム表示を行っているが、平日朝のものとは異なるフォントを使用している。

試験電波音楽(テレビのみ)

  • テレビの時刻出しの項でも触れたが2004年8月からMBSテレビでは毎日4:45(土・日は5:00)を起点にした24時間放送(月曜日未明はメンテナンスのため休止する4:45まではカラーバーお天気カメラを挿入)となったが、毎日4:44(土・日は4:59)から1分間放送される開始映像(ジャンクション)の前にこれまで放送終了時にフルコーラスで演奏された押尾コータローの「ちいさな輝き」という曲のギター演奏が一部放送されている。
  • 24時間放送以前(~2004・7)は開始5分ほど前からラジオ番組「こども音楽コンクール」の西日本地区・Aブロック予選会(近畿地方と徳島県対象)に参加した学校の演奏が毎日1曲ずつ放送されていた。

その他

  • 夜間における緊急事態発生に備え、局アナ1人と制作・技術・報道部門のスタッフ数人が局に毎日交替で泊まり込む「宿直勤務制度」を敷いている。
  • 代表取締役社長は山本雅弘
  • TBSテレビ東京RKB毎日放送の大株主である。
  • 情報誌「MBSドクホン」を改編期ごとに(おおよそ2ヶ月に1回のペース)発行している。
  • 2004年8月からテレビ放送のマスコットキャラクターとして「らいよんちゃん」が登場している。これはライオンを擬人化したもので、マスコット名の「らいよん」はそのライオンとテレビ放送のチャンネル「第4チャンネル」を絡ませたものである。テレビのローカル放送枠のID画面などで随時登場している。

沿革

  • 1950年12月27日 「新日本放送株式会社」設立
  • 1951年9月1日 ラジオ本放送開始 (中部日本放送より半日遅れて本放送開始。民放では日本で2番目)
  • 1958年6月1日 社名を「株式会社毎日放送」に改称
  • 1959年3月1日 テレビジョン本放送開始。日本教育テレビ(NET)・フジテレビとネットワークを結ぶ(翌年NETに一本化。)
  • 1960年 大阪府吹田市の千里丘陵に「千里丘スタジオ」完成。番組制作機能を移転
  • 1964年 TBSラジオ、RKB毎日放送と暫定ラジオネットワークを結成(翌年JRNに発展)
  • 1967年 テレビのカラー放送開始
  • 1970年 テレビニュースネットワーク、ANNに加盟
  • 1975年3月31日 テレビのMBS‐TBS新ネットワーク体制スタート。朝日放送に代わって、五社連盟(北海道放送、東京放送、中部日本放送、毎日放送、RKB毎日放送)、JNNにそれぞれ加盟、東芝日曜劇場の制作にも参加
  • 1978年11月23日 ラジオの周波数が1210kHzから1179kHzに変更(午前5時)
  • 1990年 大阪市北区茶屋町に新本社・放送センター完成。同区堂島(毎日新聞大阪本社ビル内)にあった本社機能と吹田市千里丘にあった放送センター機能を移転統合
  • 1992年3月15日 ラジオのAMステレオ放送開始(午前9時)
  • 2001年 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン内に「MBSスタジオin USJ」完成
  • 2003年 なんばパークス内にラジオ局のサテライトスタジオとなるパークスラジオパラダイスをオープン
  • 2004年 放送局主体のイベントとしては関西初となる『オーサカキング』を大阪城公園一帯で開催、40万人を超える人出となる

設立

第二次世界大戦終結から間もない1947年GHQが「放送基本法」と「電波三法」(放送法電波法電波監理委員会設置法)の立法措置を指令し、1950年6月に施行された。これを契機に「民間放送」の設立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年4月21日、民間放送会社16社に予備免許が下りた。そのうちの一つ、新日本放送株式会社しんにっぽんほうそう、略称 NJB英称 New Japan Broadcasting System,Inc.)は、関西政・財界の支援の下、毎日新聞社京阪神急行電鉄を中心に設立された。

民放初の試験電波発射

1951年7月8日、22時00分~22時30分、日本の民間放送として初めて試験電波を発射。
監理局の指示によりアナウンス「NJB」と「JOOR」、レコード音楽のみ。 7月12日、26日にも実施。
1951年8月15日、サービス放送開始。12時00分、14時00分、16時00分、18時00分、20時00分から各1時間放送。

ラジオ本放送開始

1951年9月1日大阪市北区角田町の阪急百貨店梅田本店の屋上に建てられたスタジオから中波放送を開始。同じ日の朝に開局した名古屋市中部日本放送(CBC)に続いて昼に放送を開始した。第一声は、坂本登志子アナウンサーの「JOOR、みなさまの新日本放送でございます」だった。開局当初は、「うっかりテスト」、「知らぬが佛(ほとけ)」、「バイバイ・ゲーム」、「おたのしみヒント」といった、一般参加のバラエティー番組が中心の編成だった。

テレビ放送開始

 
毎日新聞大阪本社旧社屋(毎日大阪会館) ここにかつて毎日放送の社屋もあった

1956年12月1日朝日放送と合弁で大阪テレビ放送株式会社おおさかてれびほうそう 略称 OTV、JOBX-TV 6ch)を設立してテレビ放送に参入した。大阪ではその後、もう一つテレビチャンネルが割り当てられ、ともに独自のテレビ局を持ちたい朝日放送と新日本放送は、別々に免許を申請。競願の結果、朝日放送は大阪テレビ放送と合併する事となり、新日本放送は1958年6月1日に毎日放送と改称した上で、1959年3月1日、独自にテレビ局を準教育テレビ局として開局した。開局当初のテレビスタジオは、大阪市北区堂島の毎日大阪会館南館12階にあった。

毎日放送テレビは、当初はラジオ東京テレビKRT。現在のTBS)とのネットを目論み、1958年12月1日に開局する予定だったが、KRTの今道潤三常務(当時、のちにTBS社長を歴任)から「KRTは既に大阪テレビ放送とネット協定を結んでおり、毎日放送とネットを組むことはできない。ネット番組はそう簡単に動かせない。」とネット関係を拒まれた。次善策として、高橋信三専務(のち社長)と個人的に親交のあった鹿内信隆ニッポン放送専務(のち社長)が専務を務めるフジテレビとのネット関係樹立を目論んでいたが、これも同社社長の水野成夫が関西テレビの母体である産経新聞社の社長に就任し、結果としてフジテレビと関西テレビとの関係強化が図られたため、断念。結局日本教育テレビNET。現在のテレビ朝日)とネットを組まざるを得ないことになり、開局の予定が3カ月遅れてのスタートとなった。それでも開局当初は、NETの他、スポンサーの関係でKRTやフジテレビの番組も一部ネットされていた。

毎日大阪会館南館に設けられたスタジオは小さい上に狭く、使い勝手が悪かった。こうしたスタジオ事情を逆手に取り、難波南街会館からの「番頭はんと丁稚どん」(七ふく提供)やうめだ花月劇場からの吉本新喜劇中継(大正製薬提供)などが生み出され、これら公開番組は大いに好評を得た。

ニュース番組はもっと苦戦し、当初は一日二回(日曜日は無し)の「毎日新聞ニュース」がKRTから送られてくる以外は、全て自主製作で放送した。1年後、ようやくNETテレビとニュースネットが結ばれたが、そのニュースは「NETニュース 朝日新聞製作」であり、朝日新聞社旗がはためくオープニングをむりやり「MBSニュース」のタイトルに差し替えて凌いだ。1970年1月よりNET発のタイトルは「ANNニュース」に替わったが、毎日放送では3か月間「MBSニュース」のタイトルで押し通した。この時毎日放送側は「ANN」(All-nippon News Network)の「A」を「AsahiのA」だと思っていたとの事である。

1960年日本万国博覧会1970年開催)の開催地に内定していた大阪府吹田市千里丘陵に、近代的なテレビとラジオの総合スタジオ「千里丘スタジオ」を開設、テレビとラジオの部署と報道、制作などの機能が堂島から千里丘に移転した(但し、登記上の本社と営業の部署は堂島に残る)。「アップダウンクイズ」や「がっちり買いまショウ」などの名番組がこのスタジオから世に出た。

1968年には東京12チャンネル(現:テレビ東京)の経営にも参画し、翌1969年10月編成から1975年3月31日にネットチェンジするまでの間は相互に番組をネットし合っていた。

テレビのネットチェンジ

上記の通り、テレビは開局以来NETテレビの系列だったが、当時の郵政省の方針や新聞社(とりわけ朝日新聞社)の強い意向をもとに「腸捻転」といわれたネットワークの体裁を改める動きが年々活発となり、1974年11月これを看過できなくなったTBS諏訪博社長が毎日放送の高橋社長を訪ね、朝日放送がNET系列に移行した際には毎日放送がJNN系列に入るよう懇願し、高橋社長はこれを受諾。直後にTBSから朝日放送に対しテレビネットワークの打ち切りを通告。1975年3月31日、毎日放送はTBSテレビをキー局とするJNN系列に移行し、JNNの準キー局となった(関連記事・朝日新聞ニュース)。

1975年3月6日、東京ヒルトンホテル(のちのキャピタル東急ホテル)で行われた『JNNネットワーク協議会』の総会で、JNN加盟全局の前で朝日放送が退会の挨拶をした後、毎日放送が代わって入場した。毎日放送の齋藤守慶テレビ営業局長(当時、のちに毎日放送社長・会長を歴任)が入会の挨拶をした。

「毎日放送は元々、TBSとのネットワークを希望していた。しかし昭和33年(1958年)の時点でそれは許されなかった。(注)それ以降は、ゴルフでいえば隣のコースでプレーしていたようなものだ。今ここにJNNのコースに戻ることが出来て、大変嬉しい。」とネットチェンジの意気込みを語った。

元々希望していたTBSとのネットワーク関係が実現して、ANNに対し強力だったJNNに参加する事で報道番組が充実し、また、「8時だョ!全員集合」や「ありがとう」「寺内貫太郎一家」「水戸黄門」等の当時の高視聴率番組が毎日放送テレビの番組に加わり、ネットチェンジで得た物は大きかった。しかし、一方で東京12チャンネルとのネットワーク関係は解消を余儀なくされ、同局を足掛かりとして目指していたキー局への夢が絶たれる事となってしまった。また、ゴールデンタイムの全国ネット向け製作時間の縮小や「ベスト30歌謡曲」(NET製作。愛川欽也司会)などの共同セールス番組が消失し、全国的な営業活動は縮小せざるを得なくなった。更にTBS番組の編成による日曜午後の高視聴率ゾーン(「サモン日曜お笑い劇場」→「グリコがっちり買いまショウ」→「素人名人会」→「5人抜きクイズ・イエス・ノー」(児玉清司会))が崩壊し、以降日曜午後は長期にわたり低視聴率にあえぐ事となってしまった。加えて、毎日放送ラジオはこれまで自由に東京地区で報道取材活動を行っていたが、JNNへの加盟で原則として東京地区はTBSラジオが報道取材を代行する事となり、毎日放送ラジオは自由に取材が行えなくなった(代わりに、これまでTBSラジオの取材に頼っていたABCラジオはJRNニュースネットから締め出され、東京地区では朝日新聞社の協力の下で独自に取材活動を行わざるを得なくなった。)。結局こうした代償も多く、ネットチェンジは必ずしも良い事ずくめでは無かった。

ネットチェンジ前日の1975年3月30日の最終ニュース(『ANNニュースファイナル』のローカルニュース)は、千里丘スタジオ内のニューススタジオがストライキのため使用出来なかったため、隣接する「ミリカホール」に特設スタジオを作って放送された。これが、ANN系列最後のローカル番組となった。

なお東京12チャンネルの番組はその後、テレビ大阪が開局するまでは毎日放送でも『プレイガールQ』など一部の番組が番組販売扱いで放送された他、主として近畿地方の独立UHF放送局各局で放送。朝日放送、関西テレビ、よみうりテレビの各局ローカル枠内でも一部放送されていた(番組販売扱い)。

(注)齋藤氏は大阪テレビ放送出身。その後毎日放送テレビ開局準備のために移籍し、テレビ営業課長に就任。ラジオ東京や広告代理店、スポンサーと交渉を重ね、毎日放送テレビとKRTテレビのネット関係樹立直前まで漕ぎ着けた。またラジオ東京の今道常務から「毎日放送テレビとはネットしない」と一蹴された時も、その現場にいた。いわば、この一件の当事者である。

※「腸捻転」に関しては、朝日放送の「テレビの腸捻転ネット」の項も参照のこと。

茶屋町に移転

1990年9月1日、大阪市北区茶屋町に新社屋ビルが完成。堂島にあった本社機能(営業など)と、千里丘スタジオにあった報道局などの部署、千里丘で制作されていたテレビ・ラジオ番組が一部を除いて茶屋町の新社屋に移転した(ラジオ番組の一部は、梅田の阪急グランドビル内にあったサテライトスタジオ『ラジオポートMBS』で制作、『すてきな出逢い いい朝8時』などのテレビ番組制作は千里丘に残る)。現在の本社ビルは、大阪市阪急電鉄が茶屋町地区の再開発計画の一環として、阪急百貨店の流通センターの跡地に建てられたもので、上部部分は「M」の文字を象った形をしている。近隣には、梅田コマ劇場が入居する「ちゃやまちアプローズ」、梅田ロフトなどの商業施設が立ち並ぶ。

2001年3月31日、大阪市此花区に開業した映画テーマパークユニバーサル・スタジオ・ジャパン」(USJ)内に「MBSスタジオ in USJ」を開設。「痛快!明石家電視台」や「ドラマ30」など千里丘スタジオで収録されていたMBS制作番組の殆どが、USJに移転した。

情報カメラ設置ポイント

スタジオ概要・所在地一覧

茶屋町本社

MBSスタジオin USJ

大阪市此花区桜島2-1-33・ユニバーサル・スタジオ・ジャパン

千里丘スタジオ

大阪府吹田市千里丘北1-1

MBSラジオサテライトスタジオ パークスラジオパラダイス

通称パラパラスタジオなんばパークス1F

東京支社

代表的な番組

テレビ

詳しいことは毎日放送テレビ番組一覧を参照の事。

  • 夕方の情報番組ちちんぷいぷい』の成功を機に、土曜に放送されている『せやねん!』や、平日朝の『あん!』などの地域密着型番組の制作に定評がある。また、ニュース番組『VOICE』では数々の事件をスクープし高い評価を得ている。一方で、情報番組などに芸能リポーターらが登場することがほとんど無いことからいわゆる“芸能ネタ”には弱く、他の在阪局や新聞、週刊誌などの“後追い報道”が多い。
  • 月曜~木曜の23時55分からは、『痛快!明石家電視台』や『たかじんONEMAN』などのローカルバラエティ番組が編成されているため、この時間に他のTBS系列局がネットする番組が放送されないことや、遅れ放送となることが多い(詳細はその他『23時ショー打ち切り問題』の項も参照のこと)。
  • TBS系列全国ネット向けには、ゴールデンタイムでは火曜22時枠、水曜19時枠、日曜22・23時枠、昼ドラマドラマ30シリーズ(中部日本放送と交代で制作)、アニメ特撮では日曜7時と土曜18時枠などを製作。長年、水曜19時枠は苦戦が続いている(2005年3月末までは単発番組で穴埋め)。一方で、日曜の『世界ウルルン滞在記』や『情熱大陸』、土曜のアニメ枠の『機動戦士ガンダムSEED』シリーズや、2003年~2004年にかけて同枠で放送された『鋼の錬金術師』などは人気を集めている。また、火曜22時枠には「ジャングルTV~タモリの法則~」が長年放送され、現在「世界バリバリ★バリュー」で落ち着く形となっている。
  • アニメ製作には熱心で、『まんが日本昔ばなし』などTBS系列で放送されたアニメの多くは毎日放送の製作である。
  • なお、『あん!』に関しては2005年3月にTBSからのネット番組『ウォッチ!』の終了に伴いわずか1年で打ち切られるが、同年4月11日から14:00~15:00に新情報番組を新設。タイトルは『っちゅ~ねん!』で、総合司会は「あん!」の司会だった上泉雄一八木早希の両アナウンサーが務める。15:00からの『ちちんぷいぷい』、夕方のワイドニュース番組『VOICE』と合わせて平日14:00~18:55は5時間の関西ローカルの生情報番組ゾーンとなる(17:50~18:17はTBSからのネットによる『JNNイブニングニュース』を放送)。
  • 2005年3月から、クレジットタイトルで“制作著作・毎日放送”の横に、「MBS55周年」のロゴが表示されている。

ラジオ

詳しいことは毎日放送ラジオ番組一覧を参照の事。

  • 聴取率に関しては、開局以来長らくABCラジオの後塵を拝していた。ABCの人気番組に自社制作物が多かったのに対し、MBSの人気番組はほとんどが東京のTBSラジオ文化放送製作の番組であった。とりわけJRN発足前後(1964~66年)は日中ずっとTBSラジオの番組をそのまま放送していた事もあり、在阪局最低の聴取率にまで落ち込んだ。
    その後、「ありがとう浜村淳です」などの生ワイド番組をはじめとしたローカル向け編成に徹し聴取率は着実に回復。一時期(1980~90年後半まで)は全日で在阪局トップに躍り出た時期もあったが、近年再び下降気味となる。特に夜~深夜帯にかけては、改変期ごとにリニューアルが繰り返されているのが実情である。
    なお現在、TBSラジオ(JRNキー局)からのネット番組は「mix」、「生島ヒロシのマネーカレッジ」、「ドライバーズリクエスト」、「グッドモーニングジャパン」のみであり、関西でのほとんどのJRN系番組はABCラジオで放送されている。

アナウンサー

男性アナ

女性アナ

毎日放送出身アナウンサー(退社、OBも含む・五十音順)

その他

中継車

  • 多数の中継車を保有。そのほとんどは千里丘スタジオに保管してある。(そのため千里丘所属の中継車や取材車のナンバープレートの地名表示は北摂・東大阪地域で登録される大阪ナンバーとなっている。)
ファイル:中継車.JPG
SNG車

23時ショー打ち切り問題

NETテレビとネットを組んでいた時代の1971年12月、NET制作の深夜の帯番組「23時ショー」のネット受けを突然打ち切ることを発表した。打ち切りの理由は、性風俗の話題(お色気)を興味本位でとらえていたこの番組の姿勢をMBS社長の高橋信三(当時)が否定したためといわれた。「23時ショー」は、政治問題などの硬派な話題も扱っていたが、高橋社長は、「23時ショー」の内容に不適切な表現や未成年者に見せてはいけない過激すぎる、不快を与える卑猥な映像をMBSにネットするのを嫌い、NETにネット受けを打ち切る通告をした。この一件は「地方局のキー局に対する反乱」ととらえられ大いに話題となったが、そもそも打ち切りが可能だったのはこの番組が番販扱いだったため、ネットスポンサーが付いていなかった事による。なお、「23時ショー」の金曜日はMBS制作で、主に演芸を主題に取り扱っていた。
TBS系列になってからも深夜の帯番組「ワンダフル」をネットしなかったのは、局が「23時ショー」のような事態を恐れて敬遠していたのと、この時間の自社制作番組が好調だったからと言われている。
ちなみにMBSは「筑紫哲也NEWS23」でかつて放送していた第2部(23:50~)のネットにも加わらず、最後に残っていたテレビ山口(TYS)がネットに加わる際に筑紫哲也が「これで第2部をネットしないのは1局のみとなりました」と明らかにMBSをからかう発言をしている。とにかく筑紫哲也に嘲笑されるほどMBSのこの姿勢は頑なである。
「23時ショー」は一部のANN系列では1979年9月まで放送され、「トゥナイト」に引き継がれた(ネットチェンジ後もABCにはネットされなかった)。

敷地内に温泉

1990年、千里丘スタジオ敷地内でボーリング調査をしていた最中に温泉が湧き出た。それを『ミリカ天然温泉 千里の湯』として営業している。ちなみにミリカとは、千里丘スタジオにあったホールの名称である。

日本初の海外衛星中継

1963年11月のジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件の模様を、アメリカ合衆国ニューヨークに当時駐在していた毎日放送社員で元同局アナウンンサーの前田治郎(まえだ じろう)氏が克明に情報を伝えていた。当初、日本初の海外衛星中継(宇宙中継)実験として、ケネディ大統領のスピーチを放送することになっていたが、その最中に遊説していたテキサス州ダラスでのパレード中に暗殺されたことを受けて急遽前田氏がその状況を克明に解説する放送を行った。(この件に関してはNHKの番組プロジェクトX~挑戦者たち~で取り上げられた。概要

劇場

  • MBSは劇団四季との結びつきが強く、これまでにも「CATS」などの代表作を大阪市内の主要ターミナルに特設テント劇場を建設して公演してきたが、近年は大阪ビジネスパークに常設劇場の「大阪MBS劇場」で公演を続けた。そして2004年12月に西梅田ハービスエント内に「大阪四季劇場」が完成したのに伴い、大阪での常設劇場をそこに移動。大阪MBS劇場は大阪市内東部のコンサート・演劇ホールの拠点「シアター・BRAVA!」として2005年5月から再オープンする予定。

関連項目

  • 竹田菁滋(東京支社所属プロデューサー、元報道部所属)

関連会社

  • GAORA(スペースビジョン・ネットワーク)
  • MBS企画
  • 放送映画製作所
  • MBSハウジング(住宅展示場)
  • ミリカスポーツ振興 株式会社(ミリカ天然温泉 千里の湯)

他の在阪テレビ局

外部リンク