国鉄EF10形電気機関車

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国鉄EF10形電気機関車(こくてつEF10がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省貨物列車牽引用に1934年から製造した直流電気機関車である。

EF10 35。前方にデッキを備えた国鉄旧型電気機関車の典型例。関門トンネル向けのステンレス外板車体仕様である。九州鉄道記念館にて2006年1月8日撮影

概要

鉄道省は大正時代末期から欧米の輸入電気機関車を導入し、その実績を元に1928年、旅客列車用の大型機関車EF52形を国産開発したが、これが好成績を収めたことから、1932年にはその改良型として東海道本線の優等列車牽引を考慮した大型高速旅客機関車EF53形を開発していた。

しかし、本線貨物列車用の大型機関車国産化は遅れ、専ら輸入機関車によって貨物列車を運行していた。このため、EF53の実績に基づいて開発された国産の貨物用大型機関車がEF10形である。

モーターや単位スイッチ制御器などの基本機構はEF53形のシステムを踏襲したが、歯車比を牽引力重視の低速形に変更し、最高速度が低いことから先輪も旅客機関車のような2軸式ではなく、より簡素な1軸式になっている。従って軸配置は1C-C1となった。

当時としては大型の機関車であり、東海道本線の電化区間で貨物列車牽引に用いられたほか、勾配線の中央本線上越線水上-石打間では旅客列車牽引にも充当された。量産は1942年まで続き、戦前形の国鉄電気機関車としては最多の合計41両が製造された。以降の増備は出力増強形のEF12形に移行している。また、中央本線向けとしてEF10形に回生ブレーキを追加した設計のEF11形4両が作られている。

長期量産によって形態にも変化が生じた。16号機まではEF53形に準じリベット組立されて角張った車体を持ち、17号機から24号機は、1937年登場のEF56形前期形に準じて丸みを帯びた溶接構造の半流線型車体、25号機以降はEF56形後期形に準じた簡素な角形溶接車体となっている。台車形状が製造時期により変化しており、大半は旧型電気機関車で一般的な棒台枠構造のHT56であったが、一部に住友金属工業製一体鋳鋼台車のHT57を装着したものがあった。

一部は1942年に完成した下関駅門司駅間の関門トンネル電化区間での運行に充てられたが、海底トンネルでの漏水による塩水で車体が塩害を被った。このため一部が防錆措置として、1953年以降、24・27・35・37・41の各機が骨組みはそのまま、外板をステンレスに張り替える改造を受けている。このステンレス外板化された5両も他の機関車と同じように塗装されたが、24号機のみ銀色のまま無塗装であった。1961年鹿児島本線九州地区が交流電化されたことから、関門トンネル用機関車も門司駅構内の交流電化区間を走行可能な交直両用のEF30に置き換えられ、EF10形は撤退し、新鶴見・沼津・稲沢第二・吹田第二の各機関区に転属し、東海道本線などで使用された。無塗装であった24号機も、新鶴見機関区へ転属した直後に塗装されている。

1970年頃までは東海道本線などの主要幹線で貨物列車用として運用されたが、より強力な新型機関車の増備に伴い、徐々に本線運用から撤退するようになる。一方、先輪付きで軸重が軽いことを活かして、身延線や飯田線など支線区での貨物列車牽引に充当されるようになった。

1975年以降老朽廃車が始まり、最終的には飯田線南部に集結して運用されていたが、後継形式であるED62形の増備で淘汰が進み、1983年に故障と補修部品の入手難で31号機が長期休車を経て廃車になったのを最後に形式消滅となった。

保存

関門トンネルで運用されたステンレス外板車のうちの1両、35号機は1978年に豊橋機関区で廃車となった後に北九州市に寄贈され、門司区の大里不老公園に保存された。2003年に修復の上、新しく開館した九州鉄道記念館に移され、静態保存されている。

主要諸元

  • 全長:18380mm
  • 全幅:2810mm
  • 全高:3940mm
  • 重量:97.52t
  • 電気方式:直流1500V
  • 軸配置:1C+C1
  • 1時間定格出力:1350kW
  • 主電動機:MT28

関連項目