大高元恭

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大高 元恭おおだか もとやす宝暦8年10月15日1758年11月15日) - 文政末年)は蘭学の草創期に活躍した日本の医師、蘭学者本草学者。箸尾元恭とも名乗ったが、高階氏であったため大高と称した。元喬と記載されることもある。初名は和三郎、次に宗温と名乗り、その後清福庵宗粛と号する。字は知道。

略歴

大坂で延寿院流の医業を営んだ父大高養哲(箸尾師明)のもとに生まれた。本草物産家として知られ、寛政から文化文政頃には大阪の医師番付で高く評価されていた[2] 。寛政版の『浪華郷友録』にも物産家として名前が挙げられている[3]。本草学的な探究に加えて、橋本宗吉に蘭学を学んでおり、学医として当時の浪花で五本の指に入る存在であった[4][1]嘉永5年(1852年)成立、安政元年(1854年)刊の『西洋学家訳述目録』にその名が見え、西洋の医学書の和訳、『醫方集要』全十巻を著したことでも知られる。[5]

江戸後期の大博物学者で画人である木村蒹葭堂と極めて親密な交流を結んでおり、蒹葭堂日記からは、頻繁に蒹葭堂の元へと日参する元恭の姿が窺われる。[2]

妹に大高土沙がおり、懐徳堂学主中井履軒の息子で、水哉館館主であった中井柚園に嫁したが(『近世学芸論考-羽倉敬尚論文集-』鈴木淳編、明治書院)[6]、二十五歳の若さで没している。元恭は能登の豪商文人一族岩城氏の、次男善之助を娘婿としており[7][3]、その子箸尾元市は鴻池家の別家となっている(安岡重明『前期的資本の変質過程:鴻池研究の一節』、宮本又次編『大阪の研究』清文堂. 1970年 第四巻p480)[8]

曾孫に日本人として初の本格的な和英辞書 を作り、ピクトリアリスム 研究家としても知られた箸尾寅之助 がいる。

評価

橋本宗吉の『西洋医事集成宝凾』に門弟として登場することから、橋本門下の蘭学者としての印象が強いが、もともと本道医学も修めており、当時毎年発表されていた名医の番付では、橋本宗吉よりもはるかに上位に位置づけられている。諸侯から仕官の誘いもしばしばあったが、町医としての処世を貫いた。本草家として医師の番付に登場することも多く、博物学的本草学と蘭学を当時の経済的に豊かな大阪の文化背景のなかで探究したディレッタントであり、一代の碩学である。

著書

『古今医書目録』四巻、文化元年[9][4]

訳書

『醫方集要』十巻

脚注

  1. ^ 東大医方、西学医方に分けた寛永末年の医師の見立て番付。ちなみに元恭の後に登場する中環は、同じく橋本宗吉の門下で、緒方洪庵の蘭学の師中天游であり、この番付では元恭のほうが高い評価を得ている 。
  2. ^ 寛政12年の『蒹葭堂日記』。九月の前半部分だけで、元恭が六回も蒹葭堂の元を訪れているのが分かる[1]。またもともと元温であった彼が元恭・宗粛と名乗っているのも、蒹葭堂が孔恭・世粛と名乗っているのに倣ったものであるとも考えられる。オランダ語を読めないものの、アタナシウス・キルヒャーの著作まで所蔵していた蒹葭堂にとって、博物学に強い関心をもち、蘭学者でもある元恭が心強い協力者であったことは疑い得ない。
  3. ^ 当時岩城氏・塩屋は能登から長崎を廻って大阪に荷を降ろして往き来する貿易に従事しており、こうした商活動が本草物産家としての元恭に、またひいてはその師匠筋である橋本宗吉らに与えた影響についても、考慮されるべきであろう。
  4. ^ 京都大学の富士川文庫の分類によれば、この書物は大高知道、元(テツ)の著とされている。これは元の後の文字が判別しがたかったために、尾張の蘭学者、野村立栄の『免帽降乗録』に、「翻訳ノ方ヨシ」と紹介されている、加賀藩の大高玄哲(元哲とも表記)の著と推定したものと思われる。しかし大高知道を名乗っていることからも、この書物が元恭のものであることは明白である。そもそも元恭が能登の岩城家から娘婿を迎えていることを思えば、加賀藩に長く留まった時期があったことも十分に考えられるのであり、その場合この両者は同一人物であることになろう。ちなみに元恭の父の名は、大高養哲であった。

関連項目

参考文献

  • 『洋学史事典』(日蘭学会編、雄松堂出版1984年)
  • 『大阪蘭学史話』(中野操著、思文閣1979年)
  • 『大阪医師番付集成』(中野操監修、古西義麿解説・索引、思文閣出版1985年)
  • 『本朝医家著述目録』(編者ならびに発行人 板原七之助、1935年)
  • 『西洋学家訳述目録』(桐園先生閲・穂亭主人輯、1852年成立、1854年刊)
  • 『蘭学資料『免帽降乗録』の小察』(杉本つとむ、国文学研究第52集、昭和49年)

外部リンク

  • 喎蘭新譯地球全図[10]