石成友通

日本の侍 (1519-1578)

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岩成 友通いわなり ともみち永正16年(1519年) - 天正元年8月2日1573年8月29日))は三好氏の家臣。三好三人衆の一人。

1565年の13代将軍・足利義輝暗殺をはじめ、そのすべてを他の三人衆と行動を共にした。織田信長が上洛してくると、友通は信長と徹底して対立し、1569年には信長の庇護下にあった義輝の弟・15代将軍足利義昭を襲撃している。また、義昭が信長包囲網を敷くとこれに呼応して信長と対立するなど、アンチ信長カラーの色濃い人物であった。

しかし信長の命を受けた細川藤孝山城国淀城を攻められて、戦死した。