ペプシコーラ

炭酸清涼飲料水

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ペプシコーラ
商標登録 1903年
ブランド創業国 アメリカ
本社 PepsiCo, Inc.
日本・販売総代理権 サントリー

ペプシコーラ(Pepsi-Cola)は、アメリカニューヨーク州に本社を置くペプシコ社の所有により、全世界で展開されているソフトドリンクブランドである。

概要

アメリカの大手飲料メーカーであるペプシコ・インク(PepsiCo, Inc,NYSE:PEP)が製造・販売を担当している。コーラの販売を主としていて、日本でもペプシコーラやダイエットペプシの名で、様々な種類のコーラを販売している。

コカ・コーラRCなどの、ライバル企業もある中、ペプシコーラは独自の味を売りとして、大きな売り上げを果たしている。

歴史

ペプシコーラは、1894年アメリカ合衆国ノースカロライナ州の薬剤師ケイレブ・ブラッドハムが消化不良の治療薬として売り出した飲料に起源を発する。当初の処方では消化酵素のペプシンが含有されていたので、1898年にペプシンに因んでペプシコーラと名前を変更した。

第一次世界大戦頃には全米25州にフランチャイズのボトリング工場を擁するまでに事業拡大したが、大戦中の砂糖相場の乱高下の打撃を受けて1922年に破綻した。ブラッドハムはコカ・コーラ社に会社売却を依頼したが、コカ・コーラを買収したばかりだったアーネスト・ウッドラフは、1ドルの価値もないと判断して拒否。結局、投資家のロイ・メガーゲルがペプシを買収するものの、経営は振るわず1933年に再度会社売却することになる。

この時、ドラッグストアソーダ・ファウンテンの経営者でコカ・コーラと利益の分配で対立していたチャールズ・ガズがペプシ社を買収、原液の配合をコカ・コーラに類似したものに変え、コーラの瓶より内容量の多いビール瓶に瓶詰めしてコカ・コーラと同じ値段で売る低価格戦略で攻勢に打って出た。これが当たり、ようやくペプシは経営が安定する。

第二次世界大戦下では軍需品として特別扱いされたコカ・コーラに引き離されてしまう[1]ものの、コカ・コーラから移籍してきたアル・スティールによって、自動販売機での販売を開始すると再び成長軌道に乗った。

1959年には、かつて顧問弁護士であったリチャード・ニクソン副大統領の紹介でソビエト連邦ニキータ・フルシチョフ書記長にペプシコーラを試飲させることに成功。1970年代にニクソンが大統領に就任、ペプシコーラはソビエト連邦政府と20年間の独占契約をした。これによりソ連と契約した最初のアメリカ製品となる。この後、ソビエト連邦ではペプシコーラは一般的に入手することが可能となり、他の共産圏諸国(東ドイツルーマニアなど)でも販売された。

フリトレーピザハットケンタッキーフライドチキンタコベルなどを傘下におさめ、清涼飲料水以外の分野にも進出しているが、現在はレストラン事業はペプシコ・インクよりスピンオフし、トライコングローバルレストラン(現ヤム・ブランズ)となっている。

なお、ペプシコ社の社長であったロジャー・エンリコが当時どのようにコカコーラ社と競争していったかを執筆している。

原著:

  • Roger Enrico & Jesse Kornbluth, THE OTHER GUY BLINKED: HOW PEPSI WON THE COLA WARS
    日本では新潮文庫から邦訳が出版された(現在は絶版)。
  • R・エンリコ <ペプシコーラ社長>、J・コーンブルース 『コーラ戦争に勝った! ペプシ社長が明かすマーケティングのすべて』

日本における歴史

日本には1947年GHQ専用に輸入されたが、一般販売は行われなかった。しかし、後に大統領となるニクソンが弁護士として市場開放のロビー活動をしていたのは有名な話である。

日本における一般販売は本土よりも早く1954年に、当時アメリカ統治下の沖縄で比嘉悦雄により開始される。コカ・コーラの6.5オンスに対して8オンスの容量、回収不要のワンウェイ瓶の導入で当初はコカ・コーラを圧倒していた。

本土では1957年に映画王と呼ばれた大映社長の永田雅一朝日麦酒山本為三郎なども関わる形でペプシ事業がスタートとなった。コカ・コーラが早くから三菱・三井などの大手財閥系企業を中心に大企業を次々とボトラーに抱えいれたのに対して、ペプシも伊藤忠商事・日綿実業(後のニチメン)・宇部興産などの大手非財閥系企業を抱えいれて対抗するものの、日本全土にボトラーを設立することに大きな遅れを取ってしまい、先に大規模な資本・物量攻勢を行っていたコカ・コーラに敗北を喫することとなった(そのような状況下でも宇部興産がボトラー経営をしていた中国地区、コカ・コーラのほかにコアップガラナというライバルとしのぎを削りながら販売網を順調に広げた北海道地区、中日ドラゴンズめんこなど独自のノベルティを展開した中部地区は善戦していた)。ペプシ自社のルート以外にもボトリングを請け負っていた関係でチェリオコーポレーション(旧セブンアップ飲料関西・販売は現在も継続)やカゴメ(静岡、山梨地区でペプシ製品を製造販売していた)の他、提携という形でカルピスユニマットライフ(現ジャパンビバレッジ)等の自販機ルートを通じても販売されていた。

1997年に日本に於ける事業(マーケティング及び製造販売総代理権)をサントリーに譲渡し、1998年以降、飲料部門のサントリーフーズが販売している。これにより製造販売を請け負っていた地域ボトラーはサントリーフーズとの関係が親密になった販社へと業態転換している。一方で国内ペプシボトラーの最大手だったビバックス(旧宇部興産飲料・キリンビバレッジに株式譲渡)の離反なども発生している。例外的に2007年から「クラシックデザイン」のみダイドードリンコが販売。ただし、「クラシックデザイン」もサントリーが製造しダイドードリンコに供給しているものである。

マーケティング

 
ペプシ配送トラック

アメリカにおいて、1970年代にペプシコーラのマーケティングを担当し後に社長となったのがジョン・スカリーである。ジョン・スカリーはスティーブ・ジョブズに口説かれて1983年アップルコンピュータに入社することになる。

ペプシコーラの宣伝でよく使われているのが、コカ・コーラと比較した比較広告である。その先駆けとなったのは1975年に始めたペプシチャレンジというものであり、道行く人々にペプシコーラとコカ・コーラを目隠ししてどちらがうまいかを判定させるというものであった。このペプシチャレンジでは多くの人々がペプシに軍配を上げ、それがCMとして全米に流され、ペプシの業績向上につながった[2]。このペプシチャレンジのキャンペーンは日本でも実施されたが、放送倫理などの問題があってかこちらのコーラを選びましたとペプシを選んだデータだけを強調するものになっている。

この比較広告の方法は、アメリカでは大統領選挙などでも見られるポピュラーなものだが、日本人にはなじみが薄く受け入れられなかった。ことにM.C.ハマーが出演した比較広告は、日本でも放送されたもののクレームがつき、後にコカ・コーラの商品名にモザイクを入れて放送したというエピソードもある[3]。それ以降も、モザイクなどで隠されてはいたが、「UFOがコカ・コーラとペプシコーラを1缶ずつ吸い上げた後、ペプシコーラだけを自動販売機ごと持ち去る」「自動販売機のボタンに手が届かない少年がコカ・コーラのビンを踏み台にしてペプシコーラを購入する」「コカ・コーラっぽいロゴ(モザイクなし版でコカ・コーラのロゴによく似せた別物であることが分かる)のトラックの運転手がペプシコーラを激しく求める」「ダイエットペプシのカロリーはコカ・コーラライトの11分の1であることを名指しで指摘(1 kcalと11 kcalの差であったが)」などの挑戦的なCMを放送した。またイチローデビッド・ベッカムなども日本版限定でCMに出演していた。

日本における販売活動では、現在に続く「おまけ」「ノベルティ」など付加価値を重視したマーケティングを行ってきた。王冠裏に「~円」という文字があるとその分の現金がもらえるというのもペプシが先駆けである。テレビCMにおいてはプロ野球選手の王貞治や人気アニメのルパン三世がイメージキャラクターをつとめたことがあり、そのノベルティが消費者を魅了した。特に前者においてはホームラン世界記録がかかった1977年に大規模なキャンペーンを繰り広げ、「50円で1.5倍」を売り文句にした300mlの瓶入りペプシの発売とともに人気はコカ・コーラに迫るものがあった。時期尚早のため成功はしなかったものの、他社に先駆けて日本市場にダイエットペプシを導入したのもこの頃である。しかし、その勢いも1980年代に入ると急激に衰えていく。市場シェアが年々下落していきペプシのCM自体があまり見られなくなっていった。1981年に発売したマウンテンデューは大ヒットしたものの、従来の看板商品であるペプシコーラやミリンダの低迷に歯止めがかからず、コカ・コーラとの差は広がる一方だった。

80年代の低迷期を経て、ようやく1991年頃から日本市場へのテコ入れが始まった。積極的にテレビCMを出稿し自動販売機の数を増やしていった。基本的にペプシコーラのCMはアメリカのものを輸入し、その他製品のCMは日本にて製作していた(例:セブンアップ、バーディコーヒー、マウンテンデュー、フルーピー等)。

1998年から、コカコーラの赤に対抗して青をシンボルカラーにすることが前面に打ち出される。当時、コカコーラに対する挑戦者(青コーナー)であることを宣言する広告が展開された。

ペプシマンなど、飲料への首掛け景品ボトルキャップブームを創り出し、オープン懸賞も『2001年宇宙の旅』プレゼント(現在のところ未催行)やペプシマンの愛車、シボレー・コルベットのプレゼントなど、話題性の高い懸賞を次々と実施している商品である。

レモン果汁入りコーラとして、日本では2003年にペプシツイストが発売。現在では世界中で販売されている。それまでにも喫茶店やレストランでコーラを注文すると、スライスレモンがついてくることはあったが、その果汁を絞って缶入りにすればいいという発想から生まれた。

2006年春、日本人の味覚にあわせた「カロリーゼロ」「レモン風味」の味わいで、日本発コーラであるペプシネックスを発売。サントリーが全面的に開発に携わっており、現在の日本のペプシコーラの主力商品になっている。

関連イベント

日本のペプシボトラーズ(販売会社)

過去

ペプシマン

ペプシマンは、1996年に登場したコンピューターグラフィックを使った日本独自のキャラクターである。キャラクターの企画を大貫卓也が担当し、Travis Charestがデザインしている。金属的な体を持つヒーローとして登場したが、実は痛がりというコミカルなキャラクターで人気を集め、シリーズCMが作成された。公式設定ではNASAが研究していた謎の金属が意思を持って活動をはじめ、 近くにあった研究者と合体。彼が飲んでいたペプシコーラの影響を受けてペプシマンが誕生したというものであった。風貌がアメコミ的な雰囲気の強いキャラクターなので、日本生まれであることはあまり知られておらず、アメリカなどではほとんど知名度が無いことを不思議に思う人々も多い。

当初は胸から下にかけて太い赤のライン、その上にペプシのマークが入ったデザインであったが、パッケージデザインがリニューアルされた1998年からは、左肩から右腹部、及びその下まで青いカラーリングへと変化した。

2003年にペプシツイストが発売されると、頭にレモン色のニット帽を首までかぶった形で「ペプシツイストマン」として再登場。さらに女性版といえる「ダイエットペプシツイストウーマン」も登場した。

2005年にはトランスフォーマーとのタイアップにより、「キャンペーン司令官ペプシコンボイ」が登場しているが、「NASAで誕生した、意思を持った金属にコンボイの姿を与えたもの」という設定からペプシマンのモーフィングの形態の1つと思われる。

弱者を助ける正義のヒーローとして登場し、困った人を助ける為に主にペプシコーラを届けるなどの活躍を見せるが、ドジでマヌケな面があり、親しみやすいキャラクターとしてCMで表現され、CM放送の際には視聴者に高評価を受けたキャラクターであり、現在でもファンが多い。

CMの最後に表示される缶は、そのときのペプシマンの状況を表している。

セガから発売されたセガサターン向け家庭用ゲームソフト「ファイティングバイパーズ」にゲスト出演した事がある。

Web上にて鴻上尚史監修の一般投稿者によるリレー小説が行われ、出版されたことがある。

CDシングル

  • JAMES&GANG/PEPSI MAN (ZAIN RECORDS、1996年7月22日、1998年7月13日発売)
    リニューアル前後で発売された。収録曲はリニューアル前はオリジナル+2種類のMIXの3曲、リニューアル後はオリジナル+FLYING TO THE STARS~2001年宇宙の旅へ~の2曲とそれぞれ異なる収録となっている。

ゲーム

  • ペプシマン (1999年3月4日、プレイステーション
    制作はKID。クラッシュバンディクー、もしくはメトロクロスのようなアクションゲーム。制限時間内に障害物が設置されている道を走って進み、困っている人々にペプシコーラを与えるというもので、結構コミカルな印象である。宣伝を兼ねたゲームでもある。特殊なアクションとしては、ジャンプ、ダッシュ、ブレーキ、スライディングがある。体力+残機制であり、一撃ミスのトラップもある。体力は路上に落ちているペプシコーラを10本集めることで回復する。また、そのペプシコーラを集めたりすることで1UPする。
  • ファイティングバイパーズセガサターン版に隠しキャラで登場)

他のCMキャラクター

「ペプシネックス」のCMキャラクター

公正取引委員会の勧告

2003年にペプシツイストのおまけとして付いていた機動戦士ガンダムSEEDのフィギュアが「中身が見えないため懸賞にあたる」と公正取引委員会によって認定され、懸賞品に課せられるコスト上限(景表法)を超えていたため「射幸心を煽る」として発売元に注意したというケースがある。それを受けてか2005年夏に発売されたものはあらかじめ中身が見えるようになった。

日本のペプシのラインナップ

  • ペプシコーラ 200ml瓶 350ml缶 500ml缶 500mlペット 1.5Lペット
  • ダイエットペプシ 1.5Lペット
  • ペプシツイスト 350ml缶 1.5Lペット
  • ペプシネックス 160ml缶 250ml缶 300mlボトル缶 350ml缶 500mlボトル缶 500mlペット 1.5Lペット
  • ペプシ期間限定シリーズ 500mlペット(一部490mlペット)
  • ペプシコーラクラシックデザイン 350ml缶
  • マウンテンデュー 350ml缶 500ml缶 1500mlPET(沖縄限定)
  • マウンテンデューマックスエアーシリーズ 500mlペット
  • セブンアップ 350ml缶

商品の一覧

アメリカ

  • ペプシ PEPSI
  • ダイエットペプシ Diet PEPSI
  • ペプシワンPEPSI ONE
  • ペプシワイルドチェリー Wild Cherry PEPSI
  • ペプシダイエットチェリー Diet Cherry PEPSI
  • ダイエットペプシバニラ diet PEPSI Vanilla
  • ダイエットペプシライム diet PEPSI Lime
  • ダイエットペプシツイスト Diet PEPSI Twist
  • ダイエットペプシジャズ Diet PEPSI Jazz
  • ダイエットペプシマックス diet PEPSI MAX
  • カフェインフリー・ペプシ caffeine free pepsi
  • カフェインフリー・ダイエット caffeine free dietpepsi

日本

 
ペプシコーラ500ml缶
 
ペプシコーラ200ml瓶(左:1998~2006のデザイン/右:2007年からの新デザイン)
 
ペプシMX
 
ペプシネックス

販売が中止された商品

  • ダイエットペプシツイスト (diet PEPSI Twist)- 「ペプシネックス」にリニューアルした。
  • ミリンダ (MIRINDA)

期間限定商品

  • ペプシMX (PEPSI MX) - PEPSI MAXの日本名。1994年限定。
  • ペプシラズベリーコーラ - 1995年限定。
  • ペプシトロピカルコーラ - 1995年限定。
  • ペプシカーニバル (PEPSI Carnival) - 2006年限定。
  • ペプシゴールド (PEPSI GOLD LIMITED EDITION) - 2006年限定。
  • ペプシブルー (PEPSI BLUE) - 2004年夏限定。
  • ペプシエックス (PEPSI X) - 2005年夏限定。
  • ペプシレッド (PEPSI RED) - 2006年夏限定。
  • ペプシアイスキューカンバー (PEPSI ICE CUCUMBER) - 2007年夏限定。きゅうり味。
  • ペプシブルーハワイ (PEPSI BLUE HAWAII) - 2008年夏限定。
  • ペプシホワイト (PEPSI WHITE) - 2008年秋限定。
  • ペプシしそ (PEPSI SHISO) - 2009年夏限定。
  • ペプシあずき (PEPSI Azuki) - 2009年秋限定。10月20日発売予定。

かつて日本国内のみで発売された商品

  • ジャズイン(ティーソーダ)
  • フリーダム(缶コーヒー
  • バーディ(缶コーヒー)

ペプシコーラが採用されている外食産業

サントリー系

その他

ペプシコーラが採用されている映画館

脚注・出典

  1. ^ ちなみに第二次世界大戦中にナチス・ドイツがコカ・コーラの代用品として開発・生産を行った際にもペプシの商標を使った(ライセンス生産をしていた訳ではない)。
  2. ^ ペプシが市場シェアを伸ばす一方で、コカ・コーラはシェアがわずかながら減り、カンザス計画をスタートさせるきっかけとなった。
  3. ^ その後、修正前のCMをまとめたビデオテープを期間限定で希望者に進呈した。
  4. ^ 福岡県のうち大牟田市は南九州ペプシコーラ販売の管轄である。

関連項目

外部リンク

日本の地域ボトラーのウェブURL