グアテマラ地震 (1976年)

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1976年グアテマラ地震(1976ねんグアテマラじしん)は、1917年以降にグアテマラで発生した中で最も大きな被害をもたらした地震である。本震は1976年2月4日早朝に発生、グアテマラシティ北東160キロメートルモタグア断層を震源とし、地震の規模はマグニチュード7.5であった。数千回の余震が発生し、そのうちいくつかの大きなものはさらなる犠牲と損害をもたらした。

1976年グアテマラ地震
本震
発生日 1976年2月4日
震央 北緯15度19分 西経89度06分 / 北緯15.32度 西経89.10度 / 15.32; -89.10
モタグア断層
震源の深さ 5キロメートル (3 mi) km
規模    Mw7.5
被害
死傷者数 死者23,000人 
負傷者76,000人
被害地域 グアテマラの旗 グアテマラ
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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被害

グアテマラ全土が被災し、中でもグアテマラシティ郊外にあったアドベ建築は壊滅的な被害をうけた。ほとんどの住人がまだ眠っていた頃、現地時間の午前3時1分に地震が襲った。犠牲者数は23,000人以上にのぼる。負傷者数は約76,000人、何千もの家々が失われた。一部の地域では幾日にもわたり、電力とコミュニケーション手段が断たれた。

グアテマラの先住民(マヤ系諸民族)は更なる貧困に追いやられることになり、政府による援助も期待できなかったため、協力して困難を乗り越えようとした。1970年代以降、先住民労働者による支配者層(ラディーノ)への抵抗運動が次第に勢いを増していくが、この地震は先住民が団結し政治的な表舞台へ進出する転機となった[1]

ギャラリー

関連項目

脚注

  1. ^ 近藤敦子『グアテマラ現代史』彩流社、1996年、p.106-107

参考文献

外部リンク