ブリトニー・スピアーズ
ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears, 1981年12月2日 - )は、アメリカ合衆国のポップ歌手。日本での愛称はブリ、ブリちゃんなど。現在は二児の母。身長163cm[1]。
ブリトニー・スピアーズ | |
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![]() ブリトニー・スピアーズ(2009年3月撮影) | |
基本情報 | |
出生名 | Britney Spears |
生誕 |
1981年12月2日(43歳)![]() |
ジャンル | ポップス |
活動期間 | 1996年 - 現在 |
レーベル | ジャイヴ・レコード |
公式サイト | www.britneyspears.com |
来歴
生い立ち
アメリカ、ミシシッピ州にて、イングランド系アメリカ人の両親の間に生まれルイジアナ州で育つ。 [2][3][4]。8歳にしてディズニー・チャンネルの「ミッキーマウス・クラブ」のオーディションに応募するも、「年齢が低すぎる」という理由で落選する。その後、11歳で「ミッキーマウスクラブ」のオーディションに再び応募し、合格。番組にレギュラー出演し、14歳でジャイヴ・レコードと契約する。
歌手としての成功
16歳でシングル「...Baby One More Time(ベイビー・ワン・モア・タイム)」(1998年10月)でデビュー。同シングルは全世界で915万枚の売り上げを記録し、世界19ヶ国でプラチナム・ディスクを受賞。同名デビュー・アルバム(1999年)はバックストリート・ボーイズで有名なマックス・マーティンや、ホイットニー・ヒューストンを手掛けたエリック・フォスター・ホワイトらによって製作され、アメリカだけで1726万枚、全世界トータル3000万枚のセールスを記録し、35ヶ国でプラチナム・ディスクを獲得。発売から1年以上にわたりチャートに登場するロングセールスを記録した。
2000年5月、2枚目のアルバム『Oops...I Did It Again(ウップス…アイ・ディド・イット・アゲイン)』はアメリカで1300万枚、全世界トータル2096万枚の売り上げを記録。先駆けて発売された同名シングルのラジオオンエアは、1週間で155局のプレイ・リストにエントリー。アメリカの最高記録を塗り替えた。
アメリカで650万枚、全世界トータル1200万枚を認定した3枚目のアルバム『Britney(ブリトニー)』(2001年)の頃からセクシー路線に切り替わり、アルバム『In The Zone(イン・ザ・ゾーン)』(2003年)では、完全にイノセントなアイドル性を払拭、セクシーなダンス・ビートをベースにしたサウンドで聞き手を圧倒させ、アメリカで430万枚、全世界トータルで800万枚を記録。同アルバムに収録されている曲「Everytime(エヴリタイム)」のミュージックビデオでは自殺未遂、ドラッグといった描写が問題となり、カットされた。
ブリトニー・スピアーズのミュージック・ビデオ‘TOXIC’が、イギリスのテレグラフ紙の行った“The Sexiest Music Video”(もっともセクシーなミュージックビデオ)のランキング1位に選ばれた。
2004年に発売されたベストアルバム『Greatest Hits: My Prerogative(グレイテスト・ヒッツ:マイ・プリロガティヴ)』はアメリカで230万枚、全世界トータル600万枚を越え、80万枚を超えるなど世界中で大ヒット。
2007年発売の『Blackout(ブラックアウト)』は全世界300万枚を売り上げ、フランスで開催されたNRJ Awardsでベスト・インターナショナル・アルバム賞を獲得。
2008年発売の『Circus(サーカス)』は全米初登場1位をとり、6週連続でTOP10内にランクインしている。全世界で400万枚のセールスを突破し、ブラックアウトの売上を抜いた。
2009年に新曲「3」を含むベスト盤の「コンプリート・ヒット・シングルズ」を発表。新曲「3」はブリトニーのデビュー曲「ベイビー・ワン・モア・タイム」や「ウップス!・・・アイ・ディド・イット・アゲイン」、最新作の「イフ・ユー・シーク・エイミー」などを手掛けたマックス・マーティンによる作品である。
最も売れた女性アーティストとして正式に認定され、これまでにリリースした6枚のオリジナルアルバム中5枚が全米チャート1位を獲得し、全世界トータル・セールス9000万枚を誇るスーパーアーティストである。
私生活
2000年にイン・シンクのジャスティン・ティンバーレイクと交際するが、破局。
2004年1月、Hollywood News Wireによると1月4日にネバダ州ラスベガスで幼なじみのジェーソン・アレキサンダーと酔った勢いで結婚するも、すぐに思い直して55時間後には婚姻無効を申請し、離婚するという騒動を起こした。
2004年9月には妊娠中の恋人を捨てたダンサー、ケヴィン・フェダーライン(en:Kevin Federline)と結婚することを発表。9月18日には結婚式を挙げ、10月7日に婚姻届を提出した。
2004年11月にはベストアルバム『Greatest Hits: My Prerogative』を発売(アルバムのタイトルにもなっているヒット曲「My Prerogative」はボビー・ブラウンのカバー曲)し、休業宣言した。
2005年8月に妊娠を公式発表。
2005年9月14日に帝王切開で長男のショーン・プレストン(Sean Preston)を出産。母親になってもニューアルバムの製作は続いていた。公式サイトにてアルバム曲中の「Someday (I Will Understand)〈サムデイ〉」のミュージックビデオを披露。大きくなった腹をさするシーンもある。出産数か月後に第二子を妊娠。
2006年9月12日に次男のジェイデン・ジェームス(Jayden James)を出産。
2006年11月7日、ケヴィン・フェダーラインとの約2年間の結婚生活に終止符を打とうとロサンゼルス郡高等裁判所に離婚を申し立てた。理由は夫との「妥協しがたい不一致」。その後離婚協議の結果、翌年2007年3月に親権は共同保有、ブリトニー側からケヴィンに慰謝料を支払うことで合意し、7月に離婚が成立した。
2007年8月9日、元夫であるケヴィン・フェダーライン(en:Kevin Federline)がブリトニーの度重なる奇行やナイトクラブなどの夜遊びから共同で持っていた子供の養育権をブリトニーから奪う書類を裁判所に提出した。
2007年9月、ブリトニーはあて逃げと無免許運転の容疑で告訴された。[5]ブリトニーは2007年8月6日に店の駐車場で右折する際に見知らぬ車のバンパーにあて、そのまま逃走した上にカリフォルニア州の免許を所持していなかった。この事件はあてられた車の持ち主が警察に届けたことがきっかけとなり発覚した。
2007年10月1日、元夫のケビンと親権を争っていたブリトニーだが、一時的に親権が奪われることが決定した。ブリトニーが親権を失うに至った理由としてドラッグやアルコールを常用している疑いがあり、検査を受けるようにいわれたがそれを拒否し、さらにカリフォルニア州でのあて逃げと無免許運転したことだという。裁判でブリトニーは今後、カウセリングに出席し、週に2度のランダムな薬物検査を受けることを命じられた。さらにブリトニーはケビンに配偶者のサポートとして月に2万ドル(日本円で約320万円)を払い続けなくてはならないといわれている。
2007年11月、2005年に発売された『Do Something』のミュージックビデオの中でブリトニーが乗っているピンク色のハマーにルイ・ヴィトン定番のモノグラムの桜柄と思われるような柄がダッシュボードにデザインされていることについて、仏ブランドのルイ・ヴィトンがブランドイメージを下げるとして訴えを起こした。この訴えに対して民事裁判所はルイ・ヴィトンの申し入れを受け入れた上で、ビデオを製作したプロデューサーに11万7600ドル(日本円で約1300万円)の賠償金の支払いを命じ、さらにビデオがネット上から削除されるまでの間、1日につき1470ドル(日本円で約16万円)を支払うように命じた。
2008年9月、ブリトニーがチャリティのために自身のポートレートをオークションに出品したという。このポートレートはダニエル・マルツマンによって描かれた油絵で胸のあたりで腕組みをし、両目を閉じたビキニ姿のブリトニーが描かれていて、ブリトニーの直筆のサインも入っているという。ポートレートはeBayというオークションサイトで1万ドル(日本円で約108万円)からオークションが開始され、9月10日に終了したという。
2008年9月、ブリトニーがロサンゼルスにある家を家具を全て備えつけて790万ドル(日本円で約8億7000万円)で売却することにしたという。この家は6つの寝室と6つの浴室があるルネッサンス調の家で敷地がおよそ700平米あり、図書館やウェット・バーまであるという。
2009年1月、Daily Mirrorによるとブリトニーが契約金12億4000万円で自叙伝を出版する計画が進められているという。この自叙伝は数年にわたり数冊を出版する予定で、内容は「お騒がせセレブとして名を馳せた成功の頃、結婚・出産を通して徐々に目立ってきた奇行と更生施設での生活、そして2008年の復活まで」だという。ブリトニーはこれまでの事を日記を書きためているらしく、その内容を載せていくのではないかといわれている。
2009年3月、ドラッグやアルコールなどの問題を乗り越え完全復活をし、ワールドツアー『The Circus Starring Britney Spears』を開催。
2009年3月、兄の親友でブリトニーのマネージャーであるジェイソン・トラウィックと交際していることが発覚。
2009年4月、法的後見人である父のジェイミー・スピアーズの厳重な監視下のもとでツアーを行っていたブリトニーだが、ジェイミーが仕事でロンサンゼルスに行っている間にツアーのバックダンサーを務めている21歳のGIO(本名チェイス・ベンツ)と親密な関係になっていることが発覚した。ブリトニーは彼に靴や服を買ってあげるなどお互いの関係を楽しんでいたが、父が仕事から戻ると何事もなかったかのように今まで通りに戻っていたという。以前、ブリトニーは「自分の恋人は自分で選びたい」と語っており、この親密な関係は遊びではないのではといわれた。
2009年4月、バックダンサーとの親密ぶりが報道されたばかりのブリトニーが、不動産投資家で億万長者のジョン・サンダール氏との婚約のニュースが報じられた。ジョン・サンダール氏と最初に出会ったのはリハビリ施設にいた時で関係者によれば今回のツアー中にニュージャージーで再会し、二人の関係は親密になり、4月初旬にはサンタモニカのサンドウィッチ店のサブウェイの前でジョンが5億円のダイヤの指輪を手に突如ひざまずいてブリトニーにプロポーズしたという。さらに2人はジョンの親戚が所有するドイツの牧場で結婚式を挙げる計画もあるという。これに対し、ジョンは「一切、お話することはありません」と黙秘し、ブリトニーの広報も「すべてが事実無根」ときっぱり否定をしている。
2009年6月、ブリトニーが『The Circus Starring Britney Spears』ツアーのための体型維持で35万ドル(日本円で約3400万円)を費やしたことが関係者の証言でわかった。その内訳はお腹の脂肪吸引に4500ドル(日本円で約43万円)、垂れ下がった胸をつり上げるのに8000ドル(日本円で約76万円)、パーソナルトレーナーに月6000ドル(日本円で約57万円)、その他に古くなった角質層を様々なアプローチで取り除き、肌の新陳代謝を促し、肌本来の自然な美しさを取り戻す「ピーリング」などにもお金がかかったという。食生活にも気を使い、砂糖の代わりにフルーツを取り入れ、野菜を食べ、油を使わない調理方法を続けたという。
2009年11月、ブリトニーは『The Circus Starring Britney Spears』ツアーの終了と共に裁判所に父のジェイミーの管理監督が必要なくなったとして陳情書を提出したという。さらにこの陳情書が認められれば恋人のジェイソン・トラウィックとの結婚するのではという噂が流れた。ブリトニーはジェイソンからもらったとされる大きなダイヤの指輪を仕事の最中も外そうとしないという。
2009年12月2日に28歳の誕生日を迎えたブリトニーにプレゼントとして新車の白いBMWが贈られたという。この日ブリトニーはセクシーに着飾って登場すると、結婚間近といわれているジェイソン・トラウィックや2人の子供達、父親のジェイミーの他、親しい友人が誕生日を祝ったという。このパーティーにはアルコール類は一切なかったという。さらにブリトニーは周囲に「3人目の子供が欲しい」ともらしているという。
2010年11月、米経済誌フォーブスが2009年6月1日から2010年6月1日までの1年間で『30歳以下で最も稼いだスターランキング』を発表し、ブリトニーは6400万ドル(日本円で約57億6000万円)を稼ぎ、2位にランクインした。ブリトニーは100公演を開催したワールド・ツアー『The Circus Starring Britney Spears』の収益に加え、タブロイド紙や米大手のデパートチェーン『コールズ』とタッグを組んで生まれたブランド『キャンディーズ』のオリジナルの香水の売り上げなどの収入があったという。さらに同誌の2009年6月1日から2010年6月1日までの1年間で『ハリウッドで最も稼いだ女性ランキング』でも3位にランクインしている。
奇行・復帰
2007年初頭より精神不安定のためか突然自らバリカンを持って坊主頭にしたり[6]、パパラッチを傘で叩いたりなど迷走していた[7]。家族や関係者の説得もあって3月下旬までドラッグ・リハビリのため更生施設に入所。ダンススタジオに通いボイストレーニングをするなど復帰の準備を本格的に開始。5月1日、2004年6月のアイルランド公演以来約2年10か月ぶりにカリフォルニア州サンディエゴのライブハウスで15分ほどのライブパフォーマンスを披露した。全て口パクであったがそれでもファンは待望のステージ復帰に喜んだ。
フロリダ州オーランドとマイアミでのミニライブの往路、革製のシートがないという理由で飛行機を降り、離陸時間を1時間遅らせる。その後のオーランドでのライブでは口パクで「Do Somethin'(ドゥ・サムシン)」を歌っている最中に、バックに流れていたCDが音飛びして何度も同じところを繰り返し、仕方なく観客に背を向けてごまかした。 7月、シンディ・ローパーのコンサートに特別出演する予定だったブリトニーが急きょ出演をキャンセル。理由は、口パクではなく生で歌うことが条件だったためと言われる。
8月に新曲「Gimme More(ギミ・モア)」を発表。楽曲の評価は比較的高いが、9月にMTV Video Music Awardsでパフォーマンスをし、高視聴率をマークすることは出来たが精彩を欠き、華々しい復活を印象付けることはできなかった[8]。ダンスにまるでキレがないうえに顔は無表情であり、露出度の高い衣装で崩れた体型が目立ち、口パクのタイミングも合っていなかった。このため各メディアやネット上で、「ブリトニー、復帰失敗」などと酷評を受けた。
10月には、裁判所が命じた事前に日時を特定しない薬物検査を受けなかったため親権を失い、面会権のみに制限されたが、その面会権も一時的に差し止められた。
11月に4年ぶりとなるオリジナルアルバム『Blackout(ブラックアウト)』を発売する予定だったが、インターネット上での流出があまりにひどいために、急遽10月30日に発売が早まった。『Blackout』からの先行シングル「Gimme More」はプラチナムを獲得した。アートワークの中には挑発的な服装をしたブリトニーが教会の懺悔室の中で神父と並んで写っている写真があり(うち1枚は彼女が神父の膝の上に乗っている)、カトリック教会から「教会を嘲るのをやめ、エンターテイナーとして徹するべきだ」と強い抗議を受けた。なお、日本版の発売は予定通り11月14日である。 ビルボードチャートでは1週間に29万枚のセールスを記録し、5作連続の1位も期待されたが、イーグルスの『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』に阻まれ初登場2位(日本では4位)。
なお、2007年には、マジシャンである、クリス・エンジェルとの交際が、パパラッチにより明らかになっている。
2008年1月3日、ブリトニーはこの日の午後、ビバリーヒルズの自宅で2人の息子と過ごしていたが、元夫ケヴィン側に息子たちを引き渡すことを拒否。警察が出動する事態になり、ブリトニーは何らかの物質による合併症状を発症しているとされ、精神状態の医学検査を行なうため救急車で病院に搬送された[9]。5日には病院を退院した。この騒動により子供達との面会権を失ってしまう。
1月31日、ブリトニー自身もしくは他の人たちに危険を及ぼす可能性があるとしてカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに搬送された[10]。3日間の集中鑑定・治療の結果、引き続き14日間の治療が必要と診断されていたブリトニーが、2月6日午前11時30分頃に入院していたUCLA病院の精神病棟を緊急退院した。UCLA病院の担当医は、法律の下にブリトニーを入院させていたが、ブリトニーの容体は安定し、自分や他人に危害を加える恐れはないと判断し、ブリトニーが退院を望んでいるために、これ以上の入院は必要ないと判断した。入院直後は抵抗していたブリトニーだったが、病院内では診察に協力的でとてもおとなしかったという。
その後、父親のジェイミー・スピアーズがロサンゼルス地方裁判所により成年後見人として選出され権限を与えられてブリトニーをサポートしている[11]。
2月22日、1月3日以来会っていなかった息子達の面会権を得ることが出来た。2月中旬から6 - 15歳で15名位のダンスレッスンの講師をブリトニーが行い、子供やその親から絶賛されている。クラスの子供は全員ブリトニーが大好きで、子供の親も「子供と一緒にいるブリトニーは素晴らしいの一言です。子供はいつもブリトニーと一緒に踊って、ブリトニーがきっかけを与えてくれたんです」と絶賛。そしてブリトニー自身もかなり癒され、楽しんでいるという。また子供たちと一緒に撮った写真をフォト・エージェンシーを通して世の中に売り出し、売り上げは子供達のガン治療を行うテネシー州メンフィスのSt.Jude Children's Research Hospitalに贈られチャリティーにも貢献している。
完全復活
2008年3月24日、CBSで人気放送中のコメディードラマ『How I Met Your Mother(ハウ・アイ・メット・ユア・マザー)』にゲスト出演し、1067万人の視聴者を獲得し、放送開始からの3年間で過去最高記録をマークした。いまだにブリトニーに対する注目度が高いことを証明したことになる。TVにカメオ出演するのは、2006年のNBC『Will & Grace(ウィル&グレース)』以来となる。また、ブリトニーがドラマの中で着ていた衣装がチャリティー・オークションに出品され、集まった収益金は環境保護団体の天然資源保護協議会に送られた。
6月25日には子供達と一晩過ごせる権利を裁判所から下され、2006年の離婚以来続いていた親権争いは7月18日に和解が成立した。 和解では、フェダーラインが息子2人の親権を維持することとなった。
そして9月7日、MTV Video Music Awardsのメインとして元気な姿を見せ、見事3冠を獲得し、華々しい復活を遂げた。そしてまた、12月の自身の誕生日の2日に復活作『Circus(サーカス)』をリリース。ファーストシングルの「Womanizer(ウーマナイザー)」が9月26日にラジオで解禁された。その「Womanizer」はitunes USAで1週間に28万6千ダウンロードされ、Billboard Hot 100にて96位から1位という当時歴代最高のジャンプアップによりシングル「...Baby One More Time(ベイビー・ワン・モア・タイム)」以来の1位を獲得した[12]。
2008年はブリトニーの年と言われ、2008年のYahoo!検索ワードで1位だった[13]。過去8年のうち7年間はブリトニーが1位をとっている。
2009年に開催されたの音楽祭“NRJアウォーズ”では“最優秀インターナショナル女性アーティスト”およびシングル「Womanizer」での“最優秀シングル”と、2部門で賞を獲得するなど健闘をみせた。「Womanizer」はブリトニーのシングルの中で最も売れたシングルとなった。
そして、発売2か月で前作を超える全世界セールス400万枚を突破したアルバム「サーカス」。まさに完全復活を果たしたブリトニー・スピアーズが、3月3日、生まれ故郷のあるルイジアナ州のニュー・オリンズ・アリーナにて、約5年振りとなるツアー<THE CIRCUS STARRING BRITNEY SPEARS>をスタートさせた[14]。このツアーは、29都市36公演のほぼ全てが約2万人収容の大会場、計50万人以上を動員する大アリーナ・ツアー。6月3日よりロンドンのO2アリーナで8公演を開き、ロンドンだけで十数万人を動員した。
米Yahoo!が発表した、21世紀最も売れたシングルトップで、ブリトニーは4位 Toxic、5位 Womanizer、6位 Oops!... I Did It Again でTop20のうち3曲もランクインした。ほかに、3曲ランクインしたのは、シャキーラだけである。
2009年10月にブリトニーのニューシングル“3”が、約25万5千回ダウンロードされ、Billboard Hot 100で自身3曲目の1位を初登場で獲得した。初登場のシングルが1位となったのは、テイラー・ヒックスの「Do I Make You Proud」(2006年)以来3年ぶり。また、米人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」出身者ではないアーティストがビルボードで初登場1位を獲得したのは、セリーヌ・ディオンとR・ケリーの「アイム・ユア・エンジェル」以来11年ぶりとなる。また1位をとったことをツイッターでは、『私のファンに“3”がBillboard Hot 100で1位になれたことにお礼を言います。私は世界で最も偉大なファンに恵まれていると思ってます。私は、みんなのために頑張っているので、みんなが“3”を好きならとても満足です。〜 Britney』とコメントしている。同月、イギリスのパーク・クリスマス・セイビングが行ったアンケートで、セレブママの1位に選ばれた。
どの雑誌にも2009年はブリトニーのことをカムバックスターと言っている。 現在は、音楽シーンを「ポップ・アイコン」として世界を引っ張っている。
音楽
アルバム
- ベイビー・ワン・モア・タイム - ...Baby One More Time(1999)
- ウップス!...アイ・ディド・イット・アゲイン - Oops!...I Did It Again(2000)
- ブリトニー - Britney(2001)
- イン・ザ・ゾーン - In The Zone(2003)
- グレイテスト・ヒッツ: マイ・プリロガティヴ - Greatest Hits: My Prerogative(2004)
- B・イン・ザ・ミックス - B in the Mix: The Remixes(2005)
- ブラックアウト - Blackout(2007)
- サーカス - Circus(2008)
- コンプリート・ヒット・シングルズ(2009)
シングル
- ベイビー・ワン・モア・タイム - ...Baby One More Time(1998)
- サムタイムス - Sometimes(1999)
- クレイジー - (You Drive Me) Crazy(1999)
- ボーン・トゥ・メイク・ユー・ハッピー - Born To Make You Happy(1999)
- フロム・ザ・ボトム・オブ・マイ・ブロークン・ハート - From The Bottom Of My Broken Heart(1999)
- ウップス…! アイ・ディド・イット・アゲイン - Oops!...I Did It Again(2000)
- ラッキー - Lucky(2000)
- ストロンガー - Stronger(2000)
- ドント・レット・ミー・ザ・ラスト・トゥ・ノウ(邦題:最後に知らせないで) - Don't Let Me Be The Last To Know(2001)
- アイム・ア・スレイヴ・フォー・ユー - I'm A Slave 4 U(2001)
- オーヴァープロテクテッド - Overprotected(2001)
- ノット・ア・ガール - I'm Not A Girl, Not Yet A Woman(2002)
- アイ・ラヴ・ロックンロール - I Love Rock 'N' Roll(2002)
- ボーイズ - Boys <Co-Ed Remix>(2002)
- アンティシペティング - Anticipating(2002)
- ミー・アゲインスト・ザ・ミュージック feat. マドンナ - Me Against The Music feat.Madonna(2003)
- トキシック Toxic(2004)
- エヴリタイム - Everytime(2004)
- アウトレイジャス - Outrageous(2004)
- マイ・プリロガティブ - My Prerogative(2004)
- ドゥ・サムシン - Do Somethin'(2005)
- サムデイ(アイ・ウィル・アンダースタンド) - Someday (I Will Understand)(2005)
- アンド・ゼン・ウィー・キス - And Then We Kiss(2005)
- ギミ・モア - Gimme More(2007)
- ピース・オブ・ミー - Piece Of Me(2008)
- ブレイク・ジ・アイス - Break The Ice(2008)
- ウーマナイザー - Womanizer(2008)
- サーカス - Circus(2008)
- イフ・ユー・シーク・エイミー - If U Seek Amy(2009)
- レーダー-Radar(2009)
- スリー - 3(2009)
DVD/ビデオ
- タイム・アウト・ウィズ・ブリトニー・スピアーズ - Time Out with Britney Spears(1999)
- ライヴ・アンド・モア! - Live And More(2001)
- ブリトニー: ザ・ビデオ - Britney: The Video(2001)
- ライヴ・フロム・ラス・ヴェガス - Live From Las Vegas(2002)
- イン・ザ・ゾーン - In The Zone(2004)
- グレイテスト・ヒッツ: マイ・プリロガティヴ DVD - Greatest Hits: My Prerogative DVD(2004)
映画出演
2002年、映画「ノット・ア・ガール」で映画初主演をする。この映画でブリトニーはラジー賞の最低主演女優賞・最低主題歌賞を受賞。主題歌の「I'm Not a Girl, Not Yet a Woman(ノット・ア・ガール)」も本人が歌っている。
日本公演
- 2002年 "Britney Spears The Tour"
- 4月25日 東京ドーム
関連作品・商品
映画
- ノット・ア・ガール - Crossroads(2002)(主演)
- 主題歌「I'm Not A Girl, Not Yet A Woman」
- オースティン・パワーズ ゴールドメンバー - Austin Powers in Goldmember(2002)(カメオ出演)
- 挿入曲「Boys <Co-Ed Remix>」
テレビ
- ザ・シンプソンズ - The Simpsons(2000)(声の出演)
- ウィル&グレース - Will & Grace(2006)(カメオ出演)
- ハウ・アイ・メット・ユア・マザー - How I Met Your Mother(2008)(アビー役)
- サウスパーク - Britney's New Look(2008)(演出、本人未承諾かつ侮辱的な内容である)
著書
- "Britney Spears' Heart To Heart"(母親リンと共著)
- "A Mother's Gift"(母親リンと共著)
ゲーム
- "Britney's Dance Beat"(プレイステーション2)
香水
2004年に、エリザベス・アーデン社監修の下、ファーストフレグランスの"Curious(キュリアス)"を発表。
- "Curious"(2004)
- "Fantasy"(2005)
- "Curious In Control-New Limited Edition"(2006)
- "Midnight Fantasy"(2007)
- "Believe"(2007)
- "Curious Heart"(2008)
- 限定デザインのボトル。香りはCuriousと同一。
受賞/ノミネート
- 2000 "Best New Artist" ノミネート
- 2001 "Favorite Female Artist Pop or Rock Music" ノミネート
- 2001 "Favorite Album Pop or Rock Music" ノミネート
- 2005 "Best Dance Recording" 受賞
- 2009 "Best Dance Recording" ノミネート
アメリカン・ミュージック・アウォーズ
- 2000 "Best Pop Vocal Album" ノミネート、
- 2000 "Best Female Pop Vocal Performance" ノミネート
- 2001 "Best Pop Vocal Album" ノミネート、
- 2001 "Best Female Pop Vocal Performance" ノミネート
TEEN CHOICE AWARDS
- 2000 "Favorite Female Artist" 受賞
- 2000 "Female Hottie of the year" 受賞
ゴールデンラズベリー賞
脚注
- ^ Britney Spears - Biography - IMDb
- ^ Britney Spears' newly-discovered British family
- ^ Ancestry of Britney Spears
- ^ Spears, Lynne; Craker, Lorilee (2008). Through the Storm: A Real Story of Fame and Family in a Tabloid World. Tennessee: Thomas Nelson. p. 4. ISBN 1595551565
- ^ “B・スピアーズ、交通違反に関連して警察に出頭”. REUTERS (2007年8月1日). 11月8日閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
- ^ “ブリトニー・スピアーズ、なんとスキンヘッドに”. REUTERS (2007年2月18日). 11月8日閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
- ^ お騒がせセレブ・ブリトニー・スピアーズの波瀾万丈の人生
- ^ “B・スピアーズ、MTVアワード授賞式で復帰”. REUTERS (2007年9月10日). 11月8日閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
- ^ “米歌手スピアーズさんが救急車で病院に”. AFPBB News (2008年1月4日). 11月7日閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
- ^ “米歌手スピアーズさん、再び救急車で病院に”. AFPBB News (2008年1月31日). 11月7日閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
- ^ “ブリトニーさんの父親、成年後見人期間が無期限に”. AFPBB News (2008年10月29日). 11月7日閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
- ^ “B・スピアーズ、シングルチャートの首位獲得”. REUTERS (2008年10月16日). 11月8日閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
- ^ “08世界ヤフー検索ワードランキング、ブリトニーが1位”. AFPBB News (2008年12月2日). 11月7日閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
- ^ “ブリトニー完全復活!米ニューオーリンズで5年ぶりのツアーがスタート”. AFPBB News (2009年3月4日). 11月7日閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)