料理の鉄人
料理の鉄人(りょうりのてつじん)は、1993年10月10日から1999年9月24日までフジテレビ系列にて放送された料理バラエティ番組。日本テレワーク制作。
放送開始当初の半年間は実験的番組が放送されることが多い毎週日曜日の22時30分(JST)からの30分番組であったが、予想以上の人気により1994年4月改編では毎週金曜日の23時00分(JST)からの日産自動車の一社提供45分枠に当時放送されていた番組(ワーズワースの冒険)を時間移動させる異例な措置での全国ネット進出となった。最後のCMパートでは、日清製粉、花王のCMを流していたことも。
初期は日産自動車一社提供であったが、日産自動車の社内改革問題により後期は同社を含む複数スポンサーとなった。提供読みでは「私の記憶が確かならば、この番組は日産自動車の提供でお送りします」という鹿賀主宰の声が流れる。
現在CS放送「フジテレビ739」やBSフジにて再放送中。BSフジでは「料理の鉄人 完全版」として放送時間が1時間半となっており、従来の放送では放映されなかった未公開シーンも含んでいる。
概要
「キッチンスタジアム」と呼ばれるステージで、毎回一人の「挑戦者」と「鉄人」が料理対決する料理の異種格闘技戦。「美食アカデミー」主宰に扮した鹿賀丈史が番組の基本的な進行を行った。主宰の「私の記憶が確かならば...」「甦るがいい、アイアンシェフ!」「さあ、存分に○○するがいい」「アレ、キュイジーヌ!(Allez cuisine! 「料理始め!」の意)」などの特徴的なセリフを始めとした番組全体の派手で仰々しい演出、オープニングタイトル等で主宰がパプリカをかじるシーンでも話題となった。また料理対決では高級食材がふんだんに使用され、6年間で使われた食材の総額は実に8億4335万4407円にも及んだ。
- 鹿賀がパプリカをかじるオープニングは1回(数回?)だけ新バージョンのものに変更されたことがあったが、従来のものとは比べ物にならない出来ですぐ引っ込められた。
番組のテーマ音楽は、映画『バックドラフト』のサウンドトラックのものが使用された。なお、番組中に流れる日産自動車のCMでは鹿賀や鉄人たちが出演していた。
通常とは別に、正月などには特番として「完全なる料理の鉄人」が放送された。
チャンピオンシップ大会とも言える特別企画「鉄人ワールドカップ」は1995年の第1回大会が東京都の有明で、1997年の第2回大会が京都府の嵐山で、1999年には東京・お台場で(坂井宏行VSアラン・パッサールの一騎打ち)それぞれ開催されている(なお第1回大会では、放送中にオウム真理教幹部上祐史浩が逮捕されたため、一時その中継に差し替えられた)。
ルール
- 挑戦者は番組レギュラーの一流料理人である「鉄人」の中から1人を指名する。
- 「鉄人」は料理のジャンルが異なる3人+1人で構成される。(後記)
- 挑戦者/鉄人ともに2人まで助手をつけることができる。助手は美食アカデミーから選ばれる。
- 挑戦者/鉄人を問わず、出汁またはスープ1点を除き食材の持込はできない。器具などは可。
- 番組開始当初(~1993年11月)は挑戦者を決定するための予選が存在した。
- テーマ食材が発表される。発表は開始直前まで明かされない。
- テーマ食材の魅力を引き出し、より多い票数・点数を獲得した側の勝利。
- 番組後期には事前にテーマ食材候補として5つの食材のリストが鉄人・挑戦者の双方に渡されるようになった。
- テーマ食材をもとに調理を開始する。制限時間は原則として60分(1時間)であるが、食材によってはこれを超える制限時間(90分等)となることがある。
- その他の食材および器具は、キッチンスタジアムにあらかじめ大量に設置されたものを使用する。
- テーマ食材を使っていない料理は採点の対象にならない。
- 試食。3人(1995年10月より4人)の審査員の投票で勝敗を決定する。
- 試食は挑戦者先攻。
- 採点は20点満点で、どちらかに1点差以上をつけなければならない。その点差を1票とする。
- 投票で2-2だった場合は採点差で決定。それでも決着がつかない場合は延長戦を行う。(延長戦は審査員4人制開始に伴い導入)
- 延長戦は新しいテーマ食材で行われる。制限時間は30分。
- 延長戦でも決着がつかない場合、その試合は完全に引き分けとなる。両者勝利。
特別ルール
- 「寿司」対決では、シャリの下準備だけ事前に行っても良い。
- 「うどん」「そば」対決では、鉄人側は50分+小休止+10分で進行する。
- 「花見」「ひなまつり」対決では、テーマ食材は設けない。
- バレンタイン「チョコレート」対決では、テーマ食材が2つある。
- 2000皿記念では、対決1週間前にテーマを発表した。
- フランス決戦では、調味料を含めた食材はすべて購入してから開始。
- お節決戦では、100人前を1時間40分。
出演者
美食アカデミー主宰
食材発表、調理の開始·終了、勝者発表などを行う。
- 2002年1月の特番で、「主宰である鹿賀がフグの毒に当たって亡くなったため、その甥が後を引き継いだ」という設定で新たな主宰として登場した。
- しかし本木の登場に際し、番組の冒頭でブラックジョークさながらに鹿賀を偲ぶ追悼シーンが放映されたことが、後に一部視聴者からの批判を受け、物議をかもした。本木版は1回だけ放送されたが、演出方法などを変えたことなどもあり評判は芳しくなく、以後2005年12月現在まで放送はされておらず休止状態にある。
実況席
調理の実況・解説。
鉄人
番組レギュラーの料理人で、挑戦者と対戦する役どころ。複数名で構成されるが、実際に挑戦者と戦うのはそのうちの一名。
フレンチの鉄人
- 初代:石鍋裕(いしなべ ゆたか)
- 1948年、神奈川県生まれ。
- 西麻布「クイーンアリス迎賓館」オーナーシェフ。番組では「フランス料理界のヴィスコンティ」と称されている。
- コスチューム(コックコート)カラーはグリーン、登場時には主宰と同じくパプリカを手に甦る。
- 記念すべき第1回の対決に登場した鉄人でもあるが、経営者としても多忙を極める石鍋は出演に事欠き、鉄人としての登場回数はわずか5回。引退セレモニーも無いままいつの間にか引退、後述の坂井に鉄人の座を譲った。
- 引退後は番組初の「名誉鉄人」の座についたが、1995年に2回挑戦者と対決したほか、1998年の「2000皿記念」では坂井らとチームを組んで陳ら中華チームと戦っている。
- 現在は、東京・西麻布、お台場、舞浜イクスピアリ、中部国際空港など、27ものレストランを展開する「クイーン・アリス」の代表兼オーナー・シェフとして活躍している。
- 2代目: 坂井宏行(さかい ひろゆき)<英語版Wikipedia解説>
- 1942年、鹿児島県生まれ。
- 渋谷「ラ・ロシェル」オーナーシェフ。番組では「フランス料理界のドラクロワ」と称されている。
- コスチューム(コックコート)カラーはレッド、登場時には先代の石鍋とは異なりラ・フランス(洋梨)を手に甦る。
- 鉄人デビューは1994年2月。後述の道場・陳とともに番組を長く支えた鉄人のひとりでもある。
- 全7鉄人の中で最高勝率を誇る最強鉄人であったが、テーマ食材にフレンチ料理によく使われるオマールがくると3連敗した時もあったために、スタッフからは「負け犬オマール」と言われる程悔しかった時期があったという。
- しかし、最終回スペシャルとして開催された「最強鉄人決定戦」では予選で3代目和の鉄人・森本正治を相手に5-0かつ100点満点のジャッジで決勝に進出。決勝戦では、1995年の「ミスター・アイアンマン・シェフ決定戦」で敗れた中華の鉄人・陳健一(予選ではイタリアンの鉄人・神戸雅彦に5-0の完封勝利)を相手に、3連敗中と苦手としていたオマールで3-2の接戦ながらリベンジ達成し、最強鉄人に輝いた。
- 更にその後、主宰のたっての願いで実現した世界No.1シェフ決定戦では、第2回の京都嵐山決戦で2代目和の鉄人の中村孝明と引き分けたフランスのアラン・パッサールとロンコンカイで対戦し、世界最強シェフの称号を手に入れた。
中華の鉄人
- 陳建一(ちん・けんいち)
- 1956年、東京都生まれ。
- 赤坂「四川飯店」総料理長。コスチュームカラーはイエロー、登場時には中華包丁を手する。
- 四川料理の神様・陳建民の息子でもあり、子供の頃は父・建民やその弟子たちが働く厨房を遊び場に育った。
- 玉川大学卒業後、父・建民のもとで修行を始め、現在では「四川飯店」グループの総帥である。
- 出演は、審査員も務めた岸朝子の推薦によるもの。創生期から最終回まで途中で交代することなく出演し続けた唯一の鉄人であり、最終回の≪キッチンスタジアム・閉鎖式≫では全鉄人代表としてスピーチをした。別名「最古参」。
和の鉄人
- 初代:道場六三郎(みちば ろくさぶろう)<英語版Wikipedia解説>
- 1931年、石川県生まれ。
- 番組開始当時は銀座「ろくさん亭」主人。コスチュームカラーはブルー。
- 和食の料理人でありながらジャンルにとらわれない料理を生み出し圧倒的な強さを誇った、まさに「鉄人」そのものの料理人。
- 対決中に必ず筆で「お品書き」を書くシーンがお馴染みでもあった。
- しかし、高齢であるが故に病のため番組に登場できない時期もあったほか、後半は一時期精彩を欠く戦いを見せることがあった。
- 「素材に国境はない」「素材を成仏させる」などの名言を残しつつ、後継の鉄人に後述の中村を指名し、1996年1月に惜しまれながら引退。後に「マグロの頭を包丁で割れなくなった時、引退を決意した」と語っている。石鍋に続いて「名誉鉄人」の座についた。
- 番組出演の傍ら港区赤坂に「ブラッセリー六三郎」(現「ポワソン六三郎」)を開店したほか、2001年には銀座にもう一軒の店「懐食みちば」をオープンしている。
- 2代目:中村孝明(なかむら こうめい)<英語版Wikipedia解説>
- 1947年、長崎県生まれ。
- 番組登場時は「なだ万」理事・料理本部長(総料理長)。後に独立し、1999年10月に「孝明 ARIAKE」オーナーシェフとなる。コスチュームカラーはパープル。
- 番組を支え続けた道場が引退に伴って自ら指名して登場させた鉄人である。鉄人デビューは1996年3月。
- 道場とは違った意味で独創的な料理を見せつけ、1996年の大晦日に繰り広げられた「お節対決」においては道場に勝利したこともある。(この「お節対決」は翌年の1997年春に正式オープンしたフジテレビ台場新社屋のV4スタジオを使って行われた。)
- しかし、やはり先代の道場が持つ圧倒的な強さと独創性とを比較されることも多く、また金粉を料理にばら撒く等の独創性が受け入れられないなど審査員や視聴者から厳しい評価を受ける場面も多かった。
- それが影響したのか、不名誉な3連敗を喫したことをきっかけに引退を決意。
- 1998年2月に行われた引退試合では番組解説者でもある服部と対決の末、勝利。道場と同様に「名誉鉄人」の座についた。
- 3代目:森本正治(もりもと まさはる)<英語版Wikipedia解説>
- 1955年、広島県生まれ。
- 先代の中村の引退後、1998年2月に「ニューヨークからやって来た鉄人」の触れ込みで番組に登場。コスチュームカラーはシルバー。
- かつては寿司職人だったが、ニューヨークへ渡り、「ソニークラブ」総料理長を経て「NOBU」総料理長を務めていた。
- 道場、中村とはまた違った「ニューヨーク仕込みの和食」を見せつけ異彩を放った。
- 2001年11月、フィラデルフィアにて「MORIMOTO」開店、オーナーシェフ。
- 2005年からアメリカで放送されている「アイアン・シェフ・アメリカ」でも鉄人を務めている。
- ニューヨーク在住のため、毎週ではなく対戦するときのみ来日していた。
イタリアンの鉄人
- 神戸勝彦(こうべ まさひこ)
- 1969年、山梨県生まれ。
- 番組も後期に突入した1997年6月に突如登場した鉄人。襲名時は特定の店舗に属さないフリーのシェフという異例の経歴での起用だった。
- 登場時は通常の鉄人が蘇る雛壇横の絵画が突然開き、オーケストラをバックにトマトを手に蘇る(ただし対戦時のみ)。
- 番組の設定上では「本来なら第1回から登場するはずだったが、主宰がイタリアへ修行に行かせた末、帰国させ満を持して登場させた」ということになっている。
- 当初本人は番組出演のオファーを受けたとき、てっきり挑戦者として出演するものだと思っていたところ、初回の収録直前になって実は鉄人として出演することが判明し慌てふためいたというエピソードも残っている。
- 現在は恵比寿「リストランテ・マッサ」を開店、オーナーシェフ。
審査員
影響
- 「バルサミコ酢」「セルクル」「バプール」などそれまで一般的でなかった食材や器具、調理法が多数登場した。一部は反響を呼び、専門店に行かなければ手に入らなかった食材がスーパーで購入できるようになった。他の料理番組や雑誌にまでブームが及び「SMAP×SMAP」「ジャングルTV~タモリの法則~」など、他のバラエティー番組でもタレントが料理に挑戦するコーナーが登場した。なお、演出を手がけた田中経一はその後テレビ朝日にて、この番組と同じく料理をテーマにした「愛のエプロン」や、ほぼ同じ趣向の番組「魂のワンスプーン(TBS)」の演出も手がけている。
- 番組で使用されたBGMはほとんどが映画『バックドラフト』のサントラであったが、もはや『バックドラフト』よりもこの番組のほうが有名となってしまった。一時期、イベント等でこのBGMを使用することが流行ったが、元の映画を知らないために葬儀のシーンの曲(番組中では作品紹介のBGM)を流してしまう例もあった。
日本国外での放送
同番組は、アメリカでもケーブルTV専門局FOOD NETWORKで放送され大好評となった。放送は基本的に吹き替えであったが、主宰の鹿賀丈史が喋る部分のみ字幕となっており、また、レポーターの太田真一郎が実況の福井謙二に呼びかける際の「福井さん!」という部分だけは、吹き替えでも訳されずそのまま"Fukui-san!"とされた。なお、陳健一については、苗字のみ中国語風発音になり、Chen Kenichiと表現された。
その後フジテレビより版権を購入した他局が、アメリカ版"Iron Chef USA"を製作、放送したが、再放送されていた本家『料理の鉄人』とのあまりの違いのため不評で、わずか1クールのみで終了の憂き目をみた。しかし吹き替え版を放送していたFOOD NETWORKが、自ら2005年2月よりフジテレビ側からのスタッフ派遣を受け、同社の綿密な監修を受け製作した"Iron Chef America"の放送を開始。同番組には、Iron Chef Japaneseとして、本家の3代目「和の鉄人」森本正治もレギュラー出演し、またスポット参戦的に坂井宏行も出演しており、正規の米国版の証拠として「Original Format Produced by 」の字幕と共に、フジテレビのロゴが番組最後に大きく表示される。ちなみに、同番組の司会者は、「本家・初代主宰(鹿賀丈史)」の甥という設定になっているが、なぜか番組オープニングでカンフーを披露している。左手には鹿賀と同じくパプリカを持っているが、なぜか右手に持っている青リンゴをかじる。また同番組には独立した解説者はおらず、実況兼解説者という立場のMCが試合中の放送を進行する。 放送開始当初は、冷蔵庫前レポーターはおらず、スタッフのメモをMCが読み上げていたが、途中から本家と同じ形でケビンという冷蔵庫前レポーター(米国版ではフロアレポーター)が登場している。
米国版のキッチンスタジアムは2005年製と言うこともあり、ディープフライヤーやスモーカーの設置など本家のものよりハイテク化・高機能化している。
名勝負
テーマはカニ。中華の重鎮と和の鉄人の対決は鉄人道場が勝利した。
「家庭料理のカリスマ」小林カツ代が鉄人陳健一にじゃがいもをテーマに勝負を挑み、見事勝利した。
芸能界きっての料理人といわれる俳優梅宮辰夫が和の鉄人道場六三郎と対決。テーマはアジ。鉄人道場が勝利した。
料理が得意なタレント島田紳助が中華の鉄人陳健一に勝負を挑んだが、陳が勝利。ハモを捌く時に指を切る。テーマは大正エビだった。
この年のフジテレビの年越し企画として放送された初代と2代目の和の鉄人による夢の対決。おせち料理100人前で対決し、2代目の中村が勝利した。テーマ食材を決定する際には馬を使ったパフォーマンスが披露された。
連敗を喫していた和の鉄人中村孝明が挑戦者神田川俊郎を迎え撃ったが、神田川が勝利し中村は3連敗。鉄人引退を決意した。テーマはアラ。
小林カツ代の長男であるケンタロウが母子での勝利を目指して陳と対決。テーマも母小林カツ代がじゃがいもだったのに対して新ジャガで行われたが、陳の勝利。母子で鉄人からの勝利はならなかった。
1995年に世界最優秀ソムリエに輝いた田崎真也がイタリアンの鉄人神戸勝彦に勝負を挑んだ。テーマは中トロ。挑戦者田崎が勝利した。
スタッフ
関連書籍
- 小説・料理の鉄人(扶桑社文庫、全5巻)
- 美食アカデミーが実在するという設定で書かれたフィクション。鉄人や挑戦者たちが実名で登場しており、番組開始直後から1995年ごろまでに実際に行われた対決を題材としている。小山薫堂が執筆。
- 料理の鉄人大全(フジテレビ出版)
- 番組開始からレギュラー放送終了までの全対戦表や様々なエピソードをまとめた一冊。