アレックス・ラミレス
アレキサンダー・ラモン・ラミレス(Alexander Ramon Ramirez , 1974年10月3日 - ) は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称は「ラミちゃん」。
| 横浜DeNAベイスターズ #3 | |
|---|---|
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クイーンズスクエア横浜にて(2012年1月29日) | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 |
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| 生年月日 | 1974年10月3日(51歳) |
| 身長 体重 |
180 cm 100 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 左翼手 |
| プロ入り | 1991年 |
| 初出場 |
MLB / 1998年9月19日 NPB / 2001年3月30日 |
| 年俸 |
3億5,000万円(2012年) ※2012年から2年契約 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
プロ入り前
実家はベネズエラの首都・カラカス近郊の「ピニャンゴ・デ・ジャレ」という小さな町にある。当地の人口は約200人で、うち3/4ほどがラミレスの一族だという[1]。
ラミレスは5歳のときに兄の影響で野球を始め、8歳のときに地元のリトルリーグの監督にスカウトされ、15歳になると本格的に野球選手を目指すため学校を退学。当時は主に投手を務めていたが、18歳のとき[2]にベネズエラの国内選手権に出場した際にたまたま外野手として試合に出ていたところをクリーブランド・インディアンズのスカウトの目に留まりチームと契約する[3]。1994年2月に現在の夫人と結婚[4]。
メジャー時代
1998年にメジャーに昇格し、2000年にはウィル・コルデロとのトレードでピッツバーグ・パイレーツに移籍。しかしパイレーツへの移籍直後は好調だったものの、8月に入るとスランプに陥りスタメンから外されるようになる。ラミレスによれば「打撃コーチ(ロイド・マクレンドン)に打席でのスタンスを変えるよう指示されそれに従ったところスランプに陥ったため、コーチに『スタンスを元に戻したい』と言ったら、次の日からスタメンを外された」という[5]。
ヤクルト時代
2001年、ヤクルトスワローズに入団。当時、フロリダ州で家と車を購入したばかりでそのローンが残っていたため、当初は「1年だけ日本で金を稼いで、(ローンを)返済したらすぐに戻る」つもりだったという[6]。1年目から打率.280・29本塁打・88打点の好成績を残し、主に7番・左翼手としてチームのリーグ優勝・日本一に貢献。当初の契約では「5番・右翼手」での出場を確約されていたが、キャンプ初日に右翼手のレギュラーだった稲葉篤紀の守備を見て「自分は彼(稲葉)には勝てない」と感じ、左翼手に転向したとのこと[7]。
2003年は移籍したロベルト・ペタジーニに替わって4番に座り、打率.333・40本塁打・124打点で打点王・本塁打王・最多安打・ベストナインの各タイトルを獲得。
2004年8月21日の対阪神タイガース戦(明治神宮野球場)では、トレイ・ホッジスからランニング本塁打を放った。終盤には代理人の意向もあって移籍が取り沙汰されたが、本人の希望もあって残留。その際、義理の息子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの入団が決め手となった。
2006年は26本塁打・112打点を記録するものの、636打席で19四球を記録するなど選球眼の悪さが露呈し、出塁率.289は両リーグで最低だった。
2007年10月4日の対横浜ベイスターズ21回戦(明治神宮野球場)において、外国人選手・右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成、打率も.343、安打数は最終的に204安打まで達した[8]。
シーズン終了後に球団側との契約交渉が決裂したことで退団が決まり、11月30日に自由契約公示。同年12月29日、読売ジャイアンツへの入団が正式に発表された。入団会見は巨人初のビデオレターによるものとなり、会見では「このチーム(巨人)に足りないものを加えに来た」とコメントした。
巨人移籍への背景
シーズン終了後、球団側からラミレス側への残留要請が行われたが、提示された条件は契約年数1年、推定年俸4億円というラミレス側の希望とはかけ離れたものであった。7年在籍した球団に対する彼の希望は、高年俸ではなく契約年数で、ラミレスは球団側が複数年契約を認めればヤクルトに残留する選択も考えていた。実際、ラミレスは後に「現状維持の2年契約の提示があれば残留していた」と記している[9]が、最終的に球団側は複数年契約を提示しなかったため、ヤクルトを退団することとなった。
自由契約となったラミレスに対し、右の大砲を探していた巨人とオリックス・バファローズが獲得を検討していたが、オリックスはアレックス・カブレラを獲得したため、巨人が獲得した。推定年俸は5億円(契約年数2年、総額10億円)。ラミレスは以前から「巨人では外国人選手が大変な思いをしている」と聞かされていたため、巨人は一番行きたくないチームだったが[10]、巨人がラミレス自身が希望する複数年契約を提示したことに加え、ラミレス自身が原辰徳の指揮に以前から興味を持っていたこともあって巨人入りを決めたという[11]。
巨人時代
2008年は開幕から5番打者としてシーズンを迎えたが、開幕から結果を残したことと、4番候補のイ・スンヨプ・高橋由伸の不振により、主に4番で起用されるようになった。前年の高打率を維持しながら長打力も発揮し、45本塁打、125打点で2年連続3度目の打点王を獲得。2008年のセ・リーグ最優秀選手に選ばれた。指名打者制の試合では主に指名打者として起用されていたが、日本シリーズの第4・5戦はで阿部慎之助が負傷して指名打者で出場したため左翼手として出場した。この年にフリーエージェント資格を取得したため、2009年から外国人枠を外れて日本人扱いとなった。
2009年は144試合全てで4番に座り、前年に続く活躍。3割30本100打点を達成したほか、打率.322で自身初の首位打者と3度目の最多安打を獲得。チームの3連覇に貢献し、2年連続の最優秀選手に選ばれた。シーズン通しての調子の波も少なく、6月以外の月間打率は全て3割以上だった。巨人の右打者の首位打者獲得は1971年の長嶋茂雄以来38年ぶりである。同年の日本シリーズで、観戦に来た小笠原道大の娘にファールボールを当ててしまうが、翌日「ゴメンナサイ」と書いた自身のサインボールを小笠原に渡した[12]。
2010年4月、孫のD・J・ラミレスが誕生(夫人の連れ子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの子)。好不調の波が少なかった過去2年と違ってシーズン当初は低打率に苦しんだが、その中でも得点圏においては勝負強い打撃を見せ、本塁打と打点を量産。夏場に入ると一気に調子を上げて打率も向上させ、最終的に打率.304、49本塁打、129打点で二冠王に輝いた。しかし、首位打者の青木宣親(ヤクルト)、シーズンMVPの和田一浩(中日)、シーズン安打数の日本新記録を挙げたマット・マートン(阪神)の3人に阻まれ、ベストナインには選出されなかった。打撃二冠のタイトルを獲得しながらベストナインに選ばれなかったのは、1960年の藤本勝巳に次いで二人目である。
2011年5月1日、4番としての連続先発出場記録を416試合として、松井秀喜が持つ415試合を抜き、巨人軍新記録を達成する。しかし7月13日の対阪神戦で受けた死球の影響で、翌日の7月14日に先発から外れ、長野久義が4番で先発出場し、記録は469試合で途切れた。代打で途中出場したため連続試合出場は続いたが、翌日の試合では途中出場もなかったため、連続試合出場は985試合で止まった。この記録は外国人選手としては歴代最長記録となった[13]。8月5日、3回表に内野安打を放ち、NPB通算1793安打を記録。タフィ・ローズの1792安打を越え、歴代外国人選手の通算最多安打記録を更新した[14]。シーズン成績は、打率(.278)が巨人入団以来初めて3割を切り、打点(73)は連続100打点が8年で止まり、来日以来最低の数字となった。本塁打数(23)も来日以来最低の数字となり、打撃三部門で来日以来最低の記録となった。但し、本塁打数はリーグ2位である。これは「飛ばないボール」に変わったこともあり、セ・リーグの選手全体の本塁打数も減少したため、本塁打数に関しては決して不振とは言える数字ではなかった(最多は、ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)の31本)。指揮官の起用面を配慮し契約最終年となる今年、10月31日の同年のクライマックスシリーズ・ファーストステージ終了を以て、正式に退団を表明した。
DeNA時代
巨人退団後の12月8日、横浜DeNAベイスターズが獲得を発表し、入団会見を行った[15]。 キャンプの途中にインフルエンザに感染した。
プレースタイル
故障をせず、長期離脱したことがほとんどない。2004年8月8日以降、2011年7月15日に欠場するまで全試合に出場。日本の外国人枠選手の連続出場試合記録(985試合連続出場)、日本人選手を含めても歴代8位の記録を保持している。
打撃
首位打者が1度、本塁打王を2度、打点王を4度、さらに最多安打を3度獲得するなど打撃に優れている。早打ちの傾向があり[16]、2007年の初球打ちの打率は5割を超えたが、それゆえに四球が非常に少ない。三振数も多く、来日から7年連続100三振以上を記録している。しかし巨人移籍後は出場試合が多いながらも全てのシーズンで100を下回っており、長距離打者としては少ない部類になっている。
来日当初は典型的なプルヒッターだったが、近年はボールを手元まで呼び込んで外角球を捌くことができるようになった[17]。追い込まれると右方向に流し打つ柔軟さも兼ね備える[18]。球種的な弱点も少なく[19]、巨人移籍以降2010年までの通算得点圏打率.347とチャンスに強い他、同じく通算対左打率.337と左投手にも強い。
守備・走塁
主に左翼を守っているが、守備範囲は非常に狭く、2010年には得点換算で両リーグワーストの数値を記録した[20]。同じく刺殺150は規定試合以上の外野手では守備固めでの起用が主だった藤川俊介に次いでリーグワースト2位を記録。失策も多く、2008年から2010年まで3年連続で両リーグの外野手でワーストの守備率を記録している。また、本人曰く「日本に来るまで外野は右翼しか守ったことがなかった」こともあり(前述しているように、ヤクルトとは当初右翼手として契約している)、試合終盤で自チームがリードしている局面では守備固め要員を送られるケースが多い。
守備能力の問題については本人も自覚しており、著書でも「日本に来たら、外野手はほとんどみんな、僕よりうまいんだ」と記している[21]。パ・リーグ主催分の交流戦や日本シリーズでは、主に指名打者として出場している。そのため移籍先の横浜DeNAベイスターズ監督の中畑清も「ラミレスは特に外野手じゃなきゃいけないとは思っていない」と発言し、守備位置のコンバート案も示唆する言動を見せている。
走塁面では盗塁数が少なくベースランニングで手を抜くことが多いが、右打者ながら一塁到達4.2秒台前半を記録するなど足が特別遅いという訳ではない[18]。200安打を達成した2007年には22本の内野安打を記録しており、200本安打を達成した際の安打も三塁手への内野安打であった。
人物
「試合を支配する要素の70%はメンタリティー、残り30%がフィジカル」との考え方を持っている[22]。またメンタリティーの強化のためには「相手を研究し準備する」ことが不可欠であると考えており、そのためシーズン中は試合前に過去の試合のDVDを、試合後にはその日の自分の打席のDVDを観ることを日課にしている[23]。過去のDVDを観る際は主に「得点圏にランナーがいるときのバッテリーの配球」に主眼を置くとのことで[24]、特に日本に来てからは、捕手が配球の主導権を握る日本野球のスタイルに合わせ「捕手を中心に研究する」ようになったとのことである[25]。そのような自らの意識から「日本の選手はフィジカル面ばかりでなく、もう少しメンタリティーに重きを置いてもいいのではないか」とも感じているという[26]。
パフォーマンス
本塁打を打った際やヒーローインタビューの際に、パフォーマンスを行うことで知られている。
本塁打ではベンチ前でチームメイトとハイタッチを交わした後、ベンチ脇のテレビカメラ前でコミカルなアクションを披露する。特にホームゲームでは、球団マスコット(ヤクルト:つば九郎、巨人:ジャビット)とコンビでアクションを行うほか、本塁打や適時打でチームに貢献した場合、直後に守備に就く際にもファンの声援に応え、パフォーマンスを交えてお辞儀や敬礼で感謝の意を伝えている。
パフォーマンスには毎年モデルチェンジが加えられ、近年はシーズン前にファンからパフォーマンス内容を募集している。下記にこれまでラミレスが行ってきた主なパフォーマンスの基本フォーマットを示す(括弧内はパフォーマンスの元ネタを演じているお笑い芸人)。またヒーローインタビューなどの際にパフォーマンスを行う際、開始前に「1、2、3(イチ、ニー、サン)」と日本語によるカウントアップを行うことがある。
ラミレスによれば、元々はキャンプ中にロッカールームで選手数人が互いに「アイーン」をやって遊んでいたのを目撃した際に、同僚だった度会博文から「お前もやってみろ」と言われて、その日の練習中に数人の子供の前でやってみたところ、大変好評だったのがきっかけだという。メジャーリーグでは選手が試合中にパフォーマンスを行うことは相手を挑発しているように受け取られかねなかったため、通訳などに相談したところ「日本では問題ない」と言われたので、積極的にパフォーマンスを行うようになったとのこと[27]。その後もパフォーマンスを続けている理由としては、「野球のことをよく知らない小さな子供が『アイーン』『ゲッツ』として自分のことを覚えてくれるのが嬉しい」ことを挙げている[28]。
- 2001年・2002年
- 「アイーン」と右肘を前方にかざす(志村けん)。
- 2003年
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」と両人差し指で前方を指し、そのままカメラからフレームアウトする(ダンディ坂野)。
- 5月28日の対広島東洋カープ戦の試合前、クラブハウスでダンディ本人と対面。取材陣の前で共演を果たした。
- 2004年
- 「ラミちゃんペッ」と鼻に右人差し指・中指を当てる(加藤茶の「カトちゃんペッ」)。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 2005年
- 「ラミちゃんペッ」「アイーン」「ゲッツ」を使用した他、下記のパフォーマンスもレパートリーとなっていた。
- 「俺の時代だ!」と自分を指す。
- 「ハイ! ハイ! ハイ、ハイ、ハイ!」と、左隣の人の肩に両手を添えながら足踏み(レギュラー)。
- 2006年
- 「ラミちゃんチッチキチー」と親指をカメラ前に差し出す(大木こだま)。
- 「ペッ」と鼻に人差し指・中指を当てる(加藤茶)。ただし、これは省略されることが多かった。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 春季キャンプ中の2月11日に番組企画で大木こだま・ひびきと対面。直々にレクチャーを受け「こんなに上手く出来る人はおらん」と太鼓判を頂戴した。
- 2007年
- 「ラミちゃん」と自分の顔を指す。
- 「カッチカチ」と左二の腕に力瘤を作り、右の拳で2度叩く(ザブングル・加藤歩の「見ろや、この筋肉!カッチカチやぞ!」)。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 5月10日の対横浜ベイスターズ戦の試合前にザブングルと対面を果たし、加藤らと取材陣の前でパフォーマンスを共演した。
- 2008年(この年から読売ジャイアンツに所属)
- 巨人がリードしている場面で本塁打を打った際のパフォーマンス。
- 「そんなの関係ない!」と右拳を地面へ振り下ろし、さらに「はい、オッパッピー!」と両手を広げる(小島よしお)。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 「そんなの関係ない!」は、本来は「そんなの関係ねぇ!」だが、ラミレスは「子供たちへの影響も考え、丁寧な言葉にした」としている。
- 相手チームにリードを許している場面で本塁打を打った際のパフォーマンス
- 「ラララライ! ラララライ!」と両腕を上下させながら足踏み(藤崎マーケット)。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 前年の帰国前、宮本慎也からお笑い芸人のネタを複数収録したDVDをプレゼントされ、これらを元にキャンプ・オープン戦中にアイディアを練り続けた。さらにヤクルト時代に引き続き、2月下旬から球団Webサイトでパフォーマンスのアイディア募集を実施し、約600通のアイディアが寄せられた。またこの間、多くの有名人から本人直々にパフォーマンスの売込みもあったが、主なものは「どげんかせんといかん」(東国原英夫)、スキップするように横向きに走る「欽ちゃん走り」(萩本欽一)。
- 欽ちゃん走りについては萩本本人と、東京ドームで初本塁打を打った折に本塁からダッグアウトに戻る際に披露すると約束を交わした(この欽ちゃん走りは4月18日の対東京ヤクルトスワローズ5回戦で、移籍後東京ドーム初となる3号3ラン本塁打を放った際に披露して公約を果たした)。
- こうして検討を進めた結果、ラミレスは同年のパフォーマンスを2本立てで行うことを決め、3月16日に東京ドームで行われたオープン戦前のファンイベントで発表した。まず巨人がリードしている場面でのパフォーマンスには「そんなの関係ねぇ!」を採用。「リードしていても気を抜かずに戦っていこう」という意味合いを持つ。一方、追う展開でのパフォーマンスには「ラララライ体操」を採用。「みんなでテンションを上げていきたい」とチームを鼓舞する気持ちが込められている。また、お立ち台ではこの2本をミックスしたパフォーマンスを行っている。蛇足だが、そもそもラミレスが1月25日に来日した際、当初から今季のパフォーマンス候補としていたのがこの2本であった。
- なお、小島は7月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦を観戦した際、同日2本塁打を放ったラミレスのパフォーマンスに対して「動き的に物足りない」と辛辣な評価を下した。これを試合後に伝え聞いたラミレスは「時間に限りがあるし、物足りないのは分かっている」と釈明している。
- 藤崎マーケットは、球団側から所属事務所を通じて「ラララライ体操」の使用許可を求められ、快諾したと語っている(テレビ朝日系『アメトーーク』にて)。
- 2009年
- 「ら!み!」と、茶道のように茶碗を回すジェスチャーをする。
- 「茶!」と、茶を飲み干すジェスチャーをする。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 2月の宮崎春季キャンプの期間中には例年通りパフォーマンスのアイディア募集も行われた。宮崎市立大塚中学校では、野球部に所属していた男子生徒が、お祭りのお囃子にあわせるような見事なパフォーマンスアイデアを考え、ラミレスは気に入っていたが、ラミレス自身は前年フリーエージェントの資格を得たため、同年から選手登録が日本人扱いとなるのにちなんで、「和」の要素を取り入れたいと考えていた。
- そんな折のキャンプ休日、ラミレスは宮崎学園中学校・高等学校の生徒の手解きで茶道を体験した。この席上、茶道部所属のある女子生徒から「今年のパフォーマンスに、茶道を取り入れてほしい」とリクエストされたのを受け、ラミレスは茶道の作法をアレンジした『らみ茶ゲッツ』を考案した。
- 9月8日の対横浜ベイスターズ戦では、始球式を務めた加藤茶と再会して談笑。試合前、加藤と往年のパフォーマンス復活を約束したラミレスは本塁打を放ち、約束通りカメラ前で「ラミちゃんペッ」を「この夜限りのスペシャルバージョン」(本人談)として披露した。
- 2010年
- ジャイアンツ主催試合で本塁打を打った際のパフォーマンス
- ジャビットからこん棒を受け取ると、2人で剣道のジェスチャーを始め「面!小手!胴!」と打突の所作を真似る。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- ビジターの試合で本塁打を打った際のパフォーマンス(主催試合でも行うことがある)
- 右拳を下から突き上げるようにガッツポーズし「ヨロコンデー!」と叫ぶ。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- ラミレスは前年に続き、和のテイストを含むパフォーマンスを考案した。前年同様2月の春季キャンプ休日、宮崎学園高等学校の生徒との交流で剣道を体験し、席上で剣道部所属のある男子生徒から「剣道を使ったパフォーマンスをやってほしい」とリクエストされた。この話題がニュースなどで取り上げられたこともあって、直後に球団が行ったアイディア募集でも剣道に関する反響が多かったという。ラミレス自身も「宮崎で剣道を見学した時『素晴らしいパフォーマンスになる』と確信した」と語っている。
- 一方「ヨロコンデー」は、キャンプ期間に行きつけにしている宮崎市内の寿司店で、板前がオーダーを受ける際に「喜んで」と笑顔で答える姿を基に発案したもの。「ファンのみんなと勝利の喜びを分かち合いたい」という願いが込められている。同年は自身のサインにもローマ字で「YOROKONDE!!」と書き入れている他、試合後のヒーローインタビューでも「ヨロコンデー」のパフォーマンスを行っている。
- 巨人ではこの「ヨロコンデー」の掛け声に引っ掛け、抽選で選ばれた100人のファンがラミレスと交流するイベント「ヨロコンデー」を毎月5日(5月から8月まで)に計4回実施した。これはラミレスが「できるだけ多くのファンとふれあいたい」と自ら発案したイベントで、サインや写真撮影などでファンとの交流を楽しんだ。
- 2011年
- 「We are one!」と手話を交えてメッセージを送る。
- 「がんばろう!日本」とガッツポーズを交え、人差し指を立ててアピール。
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
これらパフォーマンスの中でも特に「アイーン」と「ゲッツ」を気に入っており、2003年以降、パフォーマンスの締めには「アイーン」「ゲッツ」が使用されている。またアンダーシャツやグラブ、打撃グラブ、リストバンドなど用具類にも「アイーン」「Get's」「ラララライ」「らみ茶」などの刺繍を入れている。
疑惑の判定
- 以下のような「疑惑の判定」に絡んだことがある。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998 | CLE | 3 | 8 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .125 | .125 | .125 | .250 |
| 1999 | 48 | 102 | 97 | 11 | 29 | 6 | 1 | 3 | 46 | 18 | 1 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 26 | 1 | .299 | .327 | .474 | .801 | |
| 2000 | 41 | 117 | 112 | 13 | 32 | 5 | 1 | 5 | 54 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 17 | 3 | .286 | .316 | .482 | .798 | |
| PIT | 43 | 123 | 115 | 13 | 24 | 6 | 1 | 4 | 44 | 18 | 1 | 0 | 1 | 0 | 7 | 2 | 0 | 32 | 6 | .209 | .254 | .383 | .637 | |
| '00計 | 84 | 240 | 227 | 26 | 56 | 11 | 2 | 9 | 98 | 30 | 2 | 0 | 1 | 0 | 12 | 2 | 0 | 49 | 9 | .247 | .285 | .432 | .716 | |
| 2001 | ヤクルト | 138 | 547 | 510 | 60 | 143 | 23 | 0 | 29 | 253 | 88 | 1 | 2 | 0 | 5 | 27 | 0 | 5 | 132 | 11 | .280 | .320 | .496 | .816 |
| 2002 | 139 | 569 | 539 | 65 | 159 | 25 | 0 | 24 | 256 | 92 | 0 | 4 | 0 | 4 | 22 | 6 | 4 | 146 | 10 | .295 | .325 | .475 | .800 | |
| 2003 | 140 | 614 | 567 | 105 | 189 | 34 | 3 | 40 | 349 | 124 | 4 | 6 | 0 | 7 | 34 | 6 | 6 | 104 | 14 | .333 | .373 | .616 | .988 | |
| 2004 | 129 | 557 | 525 | 79 | 160 | 30 | 2 | 31 | 287 | 110 | 2 | 0 | 0 | 2 | 23 | 1 | 7 | 118 | 22 | .305 | .341 | .547 | .888 | |
| 2005 | 146 | 629 | 596 | 70 | 168 | 19 | 1 | 32 | 285 | 104 | 5 | 1 | 0 | 3 | 23 | 5 | 7 | 121 | 13 | .282 | .315 | .478 | .793 | |
| 2006 | 146 | 636 | 603 | 79 | 161 | 28 | 2 | 26 | 271 | 112 | 0 | 0 | 0 | 10 | 19 | 1 | 4 | 104 | 28 | .267 | .289 | .449 | .739 | |
| 2007 | 144 | 628 | 594 | 80 | 204 | 41 | 3 | 29 | 338 | 122 | 0 | 0 | 0 | 5 | 23 | 3 | 6 | 106 | 14 | .343 | .371 | .569 | .940 | |
| 2008 | 巨人 | 144 | 600 | 548 | 84 | 175 | 28 | 0 | 45 | 338 | 125 | 1 | 0 | 0 | 3 | 39 | 9 | 10 | 90 | 20 | .319 | .373 | .617 | .990 |
| 2009 | 144 | 608 | 577 | 66 | 186 | 35 | 0 | 31 | 314 | 103 | 4 | 3 | 0 | 6 | 21 | 4 | 4 | 88 | 12 | .322 | .347 | .544 | .891 | |
| 2010 | 144 | 606 | 566 | 93 | 172 | 28 | 0 | 49 | 347 | 129 | 1 | 2 | 0 | 7 | 21 | 1 | 12 | 98 | 14 | .304 | .338 | .613 | .951 | |
| 2011 | 137 | 515 | 477 | 39 | 133 | 12 | 1 | 23 | 216 | 73 | 2 | 1 | 0 | 5 | 30 | 1 | 3 | 72 | 9 | .279 | .322 | .453 | .775 | |
| MLB:4年 | 135 | 350 | 332 | 38 | 86 | 17 | 3 | 12 | 145 | 48 | 3 | 1 | 2 | 0 | 15 | 2 | 1 | 78 | 10 | .259 | .293 | .437 | .730 | |
| NPB:11年 | 1551 | 6509 | 6102 | 820 | 1850 | 303 | 12 | 359 | 3254 | 1182 | 20 | 19 | 0 | 57 | 282 | 37 | 68 | 1179 | 167 | .303 | .338 | .533 | .871 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
| 年 度 |
外野 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2001 | 137 | 176 | 9 | 6 | 0 | .969 |
| 2002 | 139 | 227 | 9 | 4 | 0 | .983 |
| 2003 | 140 | 220 | 10 | 6 | 2 | .975 |
| 2004 | 129 | 175 | 8 | 4 | 1 | .979 |
| 2005 | 146 | 218 | 6 | 3 | 1 | .987 |
| 2006 | 134 | 205 | 8 | 5 | 0 | .977 |
| 2007 | 132 | 184 | 4 | 2 | 0 | .989 |
| 2008 | 134 | 171 | 2 | 4 | 0 | .977 |
| 2009 | 133 | 147 | 2 | 6 | 0 | .961 |
| 2010 | 132 | 150 | 5 | 4 | 0 | .975 |
| 2011 | 120 | 119 | 3 | 3 | 0 | .976 |
| 通算 | 1476 | 1992 | 66 | 47 | 4 | .978 |
- 2011年度シーズン終了時
タイトル
表彰
- 最優秀選手:2回 (2008年、2009年)
- ベストナイン:4回 (2003年、2007年、2008年、2009年)
- 月間MVP:8回 (2003年4月、2004年9月、2007年7月 - 9月、2008年5月、2009年8月、2010年5月)
- セ・リーグ会長特別賞(2007年)
- オールスターゲームMVP:1回 (2007年 第1戦)
- セ・リーグクライマックスシリーズMVP:1回 (2008年)
- 日本シリーズ敢闘選手賞:1回 (2008年)
- 東京ドームMVP:1回 (2010年)
- 連盟特別賞:1回 (2010年)※8年連続100打点のプロ野球新記録
- 優秀JCB・MEP賞:1回 (2007年)
記録
- NPB初記録
- 初出場・初先発出場:2001年3月30日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、5番・左翼手として先発出場
- 初打席:同上、1回表に小宮山悟の前に空振り三振
- 初安打:同上、7回表に竹下慎太郎から左翼線二塁打
- 初本塁打・初打点:2001年4月4日、対読売ジャイアンツ2回戦(明治神宮野球場)、4回裏に高橋尚成から左越ソロ
- 初盗塁:2001年5月26日、対横浜ベイスターズ7回戦(横浜スタジアム)、3回表に二盗(投手:河原隆一、捕手:谷繁元信)
- NPB節目の記録
- 100本塁打:2004年6月5日、対読売ジャイアンツ10回戦(明治神宮野球場)、9回裏に岡島秀樹から左中間へ2ラン ※史上234人目
- 150本塁打:2005年8月19日、対阪神タイガース15回戦(明治神宮野球場)、1回裏に下柳剛から左越2ラン ※史上137人目
- 1000本安打:2007年4月21日、対中日ドラゴンズ5回戦(明治神宮野球場)、3回裏に吉見一起から左前安打 ※史上244人目
- 200本塁打:2007年8月19日、対読売ジャイアンツ8回戦(東京ドーム)、4回表に金刃憲人から中越ソロ ※史上89人目
- 1000試合出場:2008年4月18日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、5番・左翼手として先発出場 ※史上425人目
- 250本塁打:2008年9月17日、対横浜ベイスターズ22回戦(横浜スタジアム)、3回表に三浦大輔から右越ソロ ※史上53人目
- 1500本安打:2009年8月26日、対中日ドラゴンズ17回戦(ナゴヤドーム)、5回表に川井雄太から中前安打 ※史上104人目
- 1000三振:2009年9月20日、対東京ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、2回表に由規から ※史上47人目
- 日米通算300本塁打:2010年4月1日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、2回表にスティーブン・ランドルフから左越満塁本塁打
- 1000打点:2010年4月10日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、8回裏に鈴木義広から左越満塁本塁打を放ち達成 ※史上37人目
- 300本塁打:2010年5月15日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)、5回裏に成瀬善久から左越ソロ ※史上36人目
- 3000塁打:2010年9月19日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)、4回表に福原忍から中前安打 ※史上70人目
- 日米通算350本塁打:2011年4月15日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回表にディオーニ・ソリアーノから左越3ラン
- 1500試合出場:2011年8月14日、対広島東洋カープ15回戦(東京ドーム)、4番・左翼手として先発出場 ※史上170人目
- 350本塁打:2011年8月24日、対阪神タイガース17回戦(東京ドーム)、4回裏に能見篤史から中越ソロ ※史上26人目
- NPBその他の記録
- オールスターゲーム出場:6回(2002年、2003年、2007年、2008年、2009年、2010年)
- 全球団から本塁打:2008年3月28日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、2回表に石川雅規から中越ソロ ※史上9人目
| 日付 | 対戦球団 | 球場 | 回 | 相手投手 | 通算本数 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2001年4月4日 | 巨人2回戦 | 明治神宮野球場 | 4回裏 | 高橋尚成 | 1 |
| 2 | 4月6日 | 中日1回戦 | 明治神宮野球場 | 9回裏 | 紀藤真琴 | 2 |
| 3 | 4月12日 | 阪神3回戦 | 阪神甲子園球場 | 4回表 | バディ・カーライル | 3 |
| 4 | 4月13日 | 広島東洋1回戦 | 広島市民球場 | 2回表 | 黒田博樹 | 4 |
| 5 | 5月12日 | 横浜6回戦 | 宮城球場 | 6回裏 | 木塚敦志 | 6 |
| 6 | 2005年5月9日 | 福岡ソフトバンク3回戦 | 明治神宮野球場 | 6回裏 | 倉野信次 | 132 |
| 7 | 5月11日 | 北海道日本ハム2回戦 | 明治神宮野球場 | 4回裏 | 岩本勉 | 133 |
| 8 | 5月17日 | 東北楽天1回戦 | フルキャストスタジアム宮城 | 4回表 | 山村宏樹 | 135 |
| 9 | 5月21日 | オリックス2回戦 | 明治神宮野球場 | 5回裏 | 光原逸裕 | 137 |
| 10 | 6月7日 | 西武3回戦 | インボイスSEIBUドーム | 7回表 | 長田秀一郎 | 141 |
| 11 | 2006年6月16日 | 千葉ロッテ4回戦 | 明治神宮野球場 | 4回裏 | 小林宏之 | 168 |
| 12 | 2008年3月28日 | 東京ヤクルト1回戦 | 明治神宮野球場 | 2回表 | 石川雅規 | 212 |
背番号
- 61 (1998年 - 2000年)
- 3 (2001年 - 2007年、2012年 - )
- 5 (2008年 - 2011年)
関連情報
著書
- ラミ流 How to succeed and be positive(中央公論新社) 2009年9月 ISBN 9784120040566
関連項目
- ベネズエラ人の一覧
- ベネズエラ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
- 読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧
- アレックス・ラミレス・ジュニア(義理の息子)
- マニー・ラミレス - 日米野球で、パフォーマンスの「ラミちゃんぺっ」を東京ドームでやったことがある(親戚ではないが、クリーブランド・インディアンス時代の元チームメイトで友人でもある)。
- 渡辺麻友 (AKB48)- 顔が似ており、ラミレス本人もそのことを認めた[30][31]。
脚注
- ^ 『ラミ流』p.141
- ^ 『ラミ流』p.159では「16歳のとき」とされている。ただし同ページには「1年後の1993年にルーキーリーグでデビュー」との記述もあるため、本記事ではそちらを基準とした。
- ^ 『ラミ流』pp.146 - 159
- ^ 『ラミ流』p.84
- ^ 『ラミ流』pp.162 - 163
- ^ 『ラミ流』p.12
- ^ 『ラミ流』pp.18 - 19
- ^ この年、ラミレスが放った204安打は当時のセ・リーグ最多記録で、両リーグ最多記録はイチローの210安打(1994年)だった。2010年にマット・マートン(阪神タイガース)が214安打を放ち、セ・リーグ記録とシーズン記録の両方を更新した。
- ^ 『ラミ流』p.56
- ^ 『ラミ流』p.53
- ^ 『ラミ流』p.60 - 63
- ^ 反撃弾!トドメ2点打!オガラミ砲で引導渡した-スポーツニッポン
- ^ ラミレス、連続試合出場止まる-時事通信、2011年7月16日配信、同日閲覧
- ^ ラミ 知らずに歴代外国人「No.1」の1793安打-スポニチアネックス、2011年8月6日配信、同日閲覧
- ^ “アレックス・ラミレス選手 入団発表”. 横浜DeNAベイスターズ (2011年12月8日). 2011年12月9日閲覧。
- ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、340-341頁頁。ISBN 978-4-331-51519-8。
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2008』アスペクト、2008年、40頁頁。ISBN 978-4-7572-1439-2。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2010』アスペクトムック、2010年、36-37頁頁。ISBN 978-4-7572-1744-7。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、115頁頁。ISBN 978-4-86191-710-3。
- ^ Baseball Lab守備評価~Left FielderSMR Baseball Lab
- ^ 『ラミ流』p.20
- ^ 『ラミ流』p.97
- ^ 『ラミ流』p.110 - 114、p.120 - 121
- ^ 『ラミ流』p.114 - 118
- ^ 『ラミ流』p.101 - 105
- ^ 『ラミ流』p.100、p.122 - 125
- ^ 『ラミ流』p.32 - 34
- ^ 『ラミ流』p.37 - 38
- ^ [http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:lkGKcF-YpRUJ:hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20110327-OHT1T00184.htm+we+are+one+%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%AC%E3%82%B9&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja&source=www.google.co.jp ラミ手話で復興メッセージ「WE ARE ONE 頑張ろう ニッポン」(スポーツ報知・2011年3月28日付)※キャッシュデータ
- ^ 巨人ラミレス選手がAKB渡辺麻友さん似を認めた, YUCASEE MEDIA, 2011年3月8日閲覧
- ^ 龍前寺(2011-03-06), ラミレス、AKBまゆゆと似てることをついに認める, POPUP, 2011年3月8日閲覧