パネルクイズ アタック25/log20220525
この記事には複数の問題があります。 |
パネルクイズ アタック25 | |
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ジャンル | 娯楽番組 / クイズ番組 |
出演者 |
浦川泰幸、加藤明子 (共にABCアナウンサー) 他 解答者4名(視聴者orタレント) |
オープニング | 作曲:山下毅雄 |
エンディング | 同上 |
製作 | |
プロデューサー | 尾島憲(ABC) |
制作 | ABC |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送(2006年4月 - ) |
放送国・地域 | ![]() |
放送期間 | 1975年4月6日 - 現在 |
放送時間 | 日曜日 13:25 - 13:55 |
放送分 | 30分 |
回数 | 1850 |
公式サイト | |
特記事項: ハイビジョン撮影(2005年4月 - ) 2011年現在の正式な放送開始時刻は13:25:30。 放送回数は2012年5月27日放送分までのもの。 |
『パネルクイズ アタック25』(パネルクイズ アタックにじゅうご、ラテン文字表記:PANEL QUIZ ATTACK 25)は、1975年4月6日から朝日放送(ABCテレビ)を制作局として、ANN系列で放送されている、民放唯一の視聴者参加型クイズ番組。ハイビジョン制作(2005年4月 - )、ステレオ放送(2006年4月 - )、文字多重放送(2003年4月 - )を実施している。一般には単に「アタック25」と呼ばれることが多く、新聞などのテレビ欄にも「クイズアタック25」ないしは「アタック」と表記されることがある。2012年6月に37年3か月となり、クイズ番組最長寿番組の座に就いたが、それ以前は37年2か月放送して終了した中部日本放送(CBC)のローカル番組『天才クイズ』だった。
概要
現在はANNフルネット24局(同時ネット)と宮崎放送(TBS系列、2012年4月開始の遅れネット)での全国ネット放送となっている。
いわゆる「腸捻転」の解消に伴い、毎日放送制作の『東リクイズ・イエス・ノー→5人抜きQ(クイズ)イエス・ノー』の放送枠を引き継ぐ形でスタートした。当初は13:15からの25分番組で、後に一般CMや番宣を放送する5分枠を埋めて30分番組に。1994年10月2日放送分からは、日曜正午の番組の放送時間を12:55まで延長されたため、『新婚さんいらっしゃい!』と同様に10分繰り下がっての開始となり現在に至る
この番組の生みの親である堤章三は、毎日放送『アップダウンクイズ』の生みの親でもあり、構成を長く務めていた。放送開始から18年間にわたって構成を務め、監修へ移行した後に2008年末に番組を降板した。1993年からは、上方演芸放送作家の高見孔二が構成を担当。
初代プロデューサーは当時、朝日放送テレビ第二制作部長だった三上泰生。番組送信などの技術畑出身で、『ワイドショー・プラスα』や『ワイドサタデー』、『新婚さんいらっしゃい!』などの番組プロデューサーを務める傍ら、『残響2秒 ザ・シンフォニーホールの誕生』と『6chは上方文化や』(いずれも大阪書籍)という著書を残す。
音楽はテレビ朝日『クイズタイムショック』や朝日放送『霊感ヤマカン第六感』などを担当した山下毅雄によるもの。この番組のテーマ曲と海外旅行獲得VTRクイズ出題中に流れる曲(『フライト・トゥ・パリ』)は発売されたCDに収録されている。また、オープニングテーマ曲の「アタック!」の声と「口笛」の音は、山下本人のもの。なお、シンキングタイムの音楽、トップ賞のファンファーレ(ごく一部のみ)以外は開始当初から全く変わっていない。
時期ごとに番組構成を変えながら続けているにもかかわらず、その時期のテレビ番組の主流に反した傾向が強い。といっても、答えやアタックチャンスのルール説明のテロップ(代わりに字幕放送でその喋った内容を確認できる)、アタックチャンス・旅行クイズのCM跨ぎなど、若干ではあるが、その時期ごとのテレビの主流演出が取り入れられている部分もある。
この番組の最高視聴率は関西地区で24.2%(1979年1月14日放送分)、関東地区で21.5%(1980年1月27日放送分)を記録している。2009年度現在視聴率は全盛期に比べると8%前後とあまり高くない
制作局の朝日放送は本番組を「青少年に見てもらいたい番組」に指定している(他のANN各局では指定していない)
基本的なルール(後述)は放送開始時から以下を除きほとんど変わっていない
- 「オープニングクイズ」での誤答が1995年10月1日放送分よりノンペナルティ化された。
- 誤答でのお立ちを1995年10月1日放送分より3問から2問に緩和。
- 放送開始から半年後にアタックチャンスが開設。当初は1問限りだったが、後に正解が出るまで続ける方式に変更。
- 賞金が増額。
- 海外旅行獲得VTRクイズ(旧フィルムクイズ)正解者の旅行先変更。
出演者
期間 | 司会 | 出題 | アシスタント | |
---|---|---|---|---|
1975.4.6 | 1976.3.28 | 児玉清 | あかはゆき | 浅井環 |
1976.4.4 | 1980.3.30 | 中村京子 | ||
1980.4.6 | 1981.3 | 相沢純子 | 森昌美 | |
1981.4 | 1984.9.30 | 平井悦子 | ||
1984.10.7 | 1985.3.31 | 豊島美雪 | ||
1985.4.7 | 1985.6.30 | 伊藤美加 | ||
1985.7.7 | 1993.9.26 | (これ以降無し) | ||
1993.10.3 | 1999.3.28 | 相馬宏美 | ||
1999.4.4 | 2009.3.29 | 沢木美佳子 | ||
2009.4.5 | 2011.4.10 | 加藤明子 | ||
2011.4.17 | 現在 | 浦川泰幸 |
- 番組開始当初から、初代司会者の児玉は出題者(アシスタント)とともに席に座り、オープニングと海外旅行クイズの時だけ立って(ハンドマイクを持って)番組を進行したが、1992年10月4日放送分から全編立って進行するようになった(座っている時はデスクマイク、立っている時はハンドマイクだったが、これらに代わりピンマイクを着装していた)。
備考
- 初代司会者の児玉は、1975年4月6日(第1回)放送分から2011年4月10日(第1795回)放送分までの約36年間[1]にわたって司会を担当した。これは日本のテレビにおけるクイズ番組史上最長の司会記録である。先行で放送される『新婚さんいらっしゃい!』司会を桂三枝が第1回の放送から現在まで司会を担当しており、2011年4月現在で実に40年間にわたって司会を続けている。これは日本のテレビにおけるバラエティ番組史上の最長の司会記録である等、当番組との共通点が多い。
- なお、児玉は1984年10月14日・10月28日放送分では腹膜炎による病気入院で欠席し、タレントの板東英二が代役司会を務めた。
- 2011年4月17日(第1796回)放送分以降、児玉は肝機能障害(当初児玉の死因である胃癌は公表されず)により当分の間検査入院・治療に専念することを表明し、ABCアナウンサーの浦川が代役司会を担当することになった。また、児玉はこの入院によって当番組や『テレフォン人生相談』(ニッポン放送)を含めた番組、講演会への出演も全て見合わせたが[2]、同年5月16日に児玉は胃ガンのため復帰叶わず77歳で逝去。5月17日より、ABC公式サイトに哀悼のコメントが掲載されている。これにより、浦川が5月29日(第1802回)放送分より代役司会から正式に2代目司会者を担当することが決まり、「児玉さんに対し、恥ずかしくない司会をやっていきたい」と決意を新たにした。[3]
- 2011年5月29日放送分の冒頭では、浦川がパネルボードをバックに改めて児玉逝去の旨を伝え、5月22日に放送予定だった本編は児玉逝去4日前に収録されたため、オープニングの浦川の挨拶では児玉が無期限休養中である旨のコメント部分を割愛した。
- なお、本放送終了後に問題内容が更新される本番組の携帯サイト(クイズ解答とパネル取りができる携帯ゲーム)は2012年3月29日分まで、浦川の顔写真を使用せず、児玉の顔写真を使用していた。3月30日以降は浦川と加藤の顔写真を使用している。
- 浦川と加藤はABCアナウンサー。加藤より前の出題者は芸能事務所所属のキャスターが務めていた。
- 1993年1月17日・1月24日(第899・900回)放送分では出題者の豊島が急病のため、下村委津子が代役を務めた。
- 番組開始当初から10年ほどはパネル操作アシスタントもいて、児玉・出題者・アシスタントの3人で番組を進行していた時期もあった。現在アシスタントはおらず、浦川と加藤の2人で進行している。パネル操作アシスタントは4人いた。
- 2012年4月1日(第1842回)放送分から、番組セットが180インチの大型液晶パネルを備えたものに大幅リニューアル、問題がビジュアルものを増やすなどして新装開店することになった[4][5][6]。
クイズの種類
番組内で出題される問題はほとんどが読み上げ形式で、答えは解答後・シンキングタイム終了後にテロップで出される(1994年3月6日から)。問題読み上げの途中で押された際、正解・不正解に関係無く司会者が問題を最後まで読み上げて解説するが、しない場合はテロップで問題の答え(ごく稀に問題文も)が出される。以下の形式を含めて出題される問題の中にはテレビ朝日系列で放送される番組に関連したものも含まれる(テレビ朝日制作・ABC制作を問わず。一部は番組宣伝を兼ねる場合もある)。
読み上げ問題以外では以下の形式が用意されている。
現在
オープニングクイズ
当初は第1問から読み上げ問題だったが(児玉が「今週のアタック25はこの問題からスタート!」と言う)、パネルの書体が変更された1984年10月からオープニングクイズを導入した。最初は「フラッシュオンクイズ」として、黄色のパネルがランダムでフラッシュされるモニターに隠れている写真の人物を当てる。1994年頃に分割された写真が繋ぎ合わさる過程へと変更された(名称は「フラッシュオンクイズ」のままであった)。1996年10月から系列各局からのご当地映像クイズに、その後1997年5月からは街頭インタビューとプロフィールのヒントからある人物を当てる志向になった。演出もCGを使った形式になっている。2005年10月からは、人物当てから物当てに、2008年10月からは再び人物クイズとなり、人物の写真を泡状のCGで隠されているものを見て人物を当てる物に変わった。新装開店となる2012年4月1日放送分からはタレントによるゲストクイズに変わり、VTR出演による本人に関する問題を出す。なお、リニューアル後最初(2012年4月1日)のゲストクイズの出題者は平原綾香で最新のゲストクイズは川澄奈穂美が出題している。
1995年9月24日(第1033回)放送分までは他のクイズ同様間違えるとお立ちとなったが、CM後に間違えた解答者がお立ちのまま自己紹介するという異質なケースが少なからずあったため、1995年10月1日(第1034回)放送分からお手つきでもペナルティ無しに変更された。また、優勝者のVTRクイズ正解時の旅行先が変更されると、司会者と出題の女性がその地に赴き、旅行先にまつわる問題が4週にわたり出題されていた。ただし、2011年5月15日(第1800回)放送分からエーゲ海クルーズの旅行内容の一部が変更された時には、児玉が入院中だった影響から、出題者の加藤のみが赴いていた。さらに、2012年4月1日放送分での「地中海クルーズペア10日間の旅」への変更の際には、旅行先にまつわる問題が出題されなかった。
映像クイズ
2012年4月現在のもの。映像クイズの呼称は「ビジュアルクイズ」になっている(2004年4月以降)。なお2012年4月から、映像クイズが大幅に増加し、オープニングクイズの後に行われている(隠し絵のみ音楽の問題の後に行っている)。
- アナグラム問題…著名人(架空の人物を含む)の名前を並び替えて作った文章を見て元の名前を当てる問題。2012年4月からは著名人の名前以外のものも出題されている。(オープニングで旅行先のクイズが出題される時は行われない。)
- 熟語問題…2枚の9分割されバラバラになったパズルの文字が何という二字熟語になるかを当てる問題。
- ランキング問題…上位5位までのランキングを見て抜けている順位の国名や品物名などを当てる。
- 映画問題…映画の一部を見て、それに関連する問題に答える。
- ここまでで誤答やスルーが発生した場合はパネル5枚が埋まるまで映像での3択問題が出題される。ただし、3問出題されてもパネル5枚が埋まらない場合は、通常の読み上げ問題に移る。
- 隠し絵問題…海の下に隠された絵や写真が何かを当てる。船の軌跡によって次第に下の絵や写真が見えてくる。
音楽の問題
当初は、特定のテーマに沿った曲名や歌手名を当てる問題が中心だったが、現在は3曲流し、タイトルに共通して入っている言葉を当てる、歌手名または曲名の頭文字を繋いで3文字の言葉を当てる、歌っている歌手の人数をすべて足した人数を当てるなど、多様な形式が存在する。なお、問題数も当初は3問あったが、しだいに2問→1問と減り、2004年4月以降映像クイズ直後に出されていた問題は、2010年6月以降、映像クイズ後の読み上げ問題を数問こなした後、楽曲を聴いて、アーティスト名や曲名、楽曲にまつわるものを答える形式に変更されている(そのアーティストや楽曲に関連したCD作品などの発売に合わせたり、放送時期・季節に合わせて出題される場合が多い)。2012年4月1日放送分からは、パネルが15枚埋まった段階で出題される形式に変わった。
過去
パーソナルクイズ
1992年9月ごろまで、解答者に関する問題が出題されたが、失格中でなければ誰でも解答できた。失格者は立ったままでインタビューに答えることになっていた。
オープニングクイズから3問出題後に行われる形式で、赤から順に4人の解答者に関するエピソードの関連問題を1問ずつ計4問出題。司会者とのやりとりは直接の対話とエピソードの一節を紹介するケースの2通り。なお年間チャンピオン大会では解答者がそれぞれトップ賞をとった回のフィルムクイズの答えの関連エピソードから出題した。クイズは全員に解答権があった。
初期には、各解答者の生年月日の朝日新聞に載ったニュースから出題するクイズだった。
7ヒントクイズ
毎日放送『アップダウンクイズ』の「目で見るクイズ」に似た内容のクイズで、BGMに合わせて7枚の写真パネルが見せられ、それに共通するものは何かを答えるクイズである。なお、誤答があった場合、この問題に限り、MCの児玉清が「続けます。続きどうぞ」と言って問題を続行させ、正解者が出るか時間切れになるまで流し続けていた。
ルール
- 4人の参加者が、赤 (■)・緑 (■)・白 (■)・青 (■)の4色に分かれて戦う。
- 早押し問題が出題される。解答者がボタン(「ボーン」という音)を押したところで各問題全体での読上げが止まり、司会が解答者を指す。通常は「赤!」という風に、色の名前を呼ぶ[7]が、チャンピオン大会の予選では、「○○さん」と名前で、さらに同じ名字が複数いる場合には、「○○県の○○さん」などと言って指す[8]。解答者が解答したのちに、司会者が問題文の残りを読み上げて、正解を確認する。
- 正解者が出ると、下の図のようなボード上の1から25までの数字が書かれたパネルの色が下に記したルールに従って変わっていく。最終的に、自分の色のパネルの枚数を競う。解答者のスコアはパネルの獲得枚数で決めるため、「○点」とは言わず、「○枚」と言う。番組本編内でのパネル獲得のルール説明は番組初期の数回以降途切れていたが、2009年5月3日(第1702回)放送分でオープニングの提供クレジット読み上げ後にアシスタントのナレーションによるルール説明が復活し、その後も不定期に行われている。その後、2012年4月のスタジオセットリニューアル後はルール説明を行なう際、1問目のオープニングクイズ終了後に行なっている。クイズの正解数は勝敗に関係せず、パネルの取り方に戦略性が求められる。
- 最初の正解者(現在の1問目は有名人からの出題クイズ[9])は、13番のパネルを獲得する。アトランダムに光るパネルを解答ボタンで押して止めていた時期もあった(1985年4月頃。不評のためすぐに取りやめ)。その際流れるBGMが、その後のフラッシュオンクイズで流された。
- 2問目以降の正解者は、下記の優先順位に従ってパネルを1つ指定し、そこを自分の色にする。児玉は長年の経験でパネルの取り方を熟知しており、角を取れるにも拘らず取らなかった場合は「何故角を取らない?!」と言ったり、適切ではない場所のパネルを取った場合は、少し唸って「○番を取った方が良かった」と言ったり、何故その場所を取ったのか解答者に理由を聞いた事がある(いずれの場合も「次はこうしたらいいよ」という児玉のアドバイスであり[10]、浦川に引き継がれた現在もパネルの取り方がおかしかった場合は解答者に聞く場合がある)。
- 自分の色のパネルで他の参加者の色のパネルを縦・横・斜めのいずれかの方向に挟める場合、そのようなパネルの中から指定する。挟まれた部分に複数の参加者の色が混在してもよい。挟まれたパネルは、オセロゲームの要領で、全て解答者の色に変わる。
→
(白が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。10番のパネルを指定すると、14番の青が白に変わる) - 自分の色で挟めない場合、次の問題に正解したときに挟めるようになるパネルを指定する。
→
(緑が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。例えば、5番を指定すると、次に正解して3番を指定すれば、4番を挟むことができる) - それでも指定できない場合、参加者の色がついているパネルに縦・横・斜めいずれかで接しているパネルの中から指定する。
→
(赤が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルが指定できる)
- 自分の色のパネルで他の参加者の色のパネルを縦・横・斜めのいずれかの方向に挟める場合、そのようなパネルの中から指定する。挟まれた部分に複数の参加者の色が混在してもよい。挟まれたパネルは、オセロゲームの要領で、全て解答者の色に変わる。
戦略
- 良く知られている戦術に、1問目の正解者が2枚目のパネルをあえて他の解答者に取らせることで、その解答者が更に次の問題に正解しても辺(3, 11, 15, 23番)を狙えなくさせるというものがある。実際、シミュレーションによる解析を行った研究[11]では、1問目に正解して中央を取った解答者は2枚目のパネルは他の解答者に取らせた方がよいという結果が出ており、また、このように、正解すると不利になる参加者のいる局面が全体の3.8%あるという結果が出ている。ただし、この研究ではルールを一部簡略化している。
- 最初の問題から3問連続で正解した解答者は、大抵は13→8→3、または13→12→11等の様に縦か横かに指定して、挟まれにくい端を狙う場合が殆どである。しかし中には、13→7→1の様に敢えて斜めに指定して、挟まれる恐れのない角を最初から狙う戦術を取る解答者もたまに現れる。それでも、最初の問題から3問連続正解という解答者は滅多におらず、大体は3問目で他の解答者に阻止されて角のパネルを獲得されることが多いので、その戦略はリスクが大きい。
- 一見正解してパネルを取る単純明快なゲームだが、いくら正解を重ねても角を取れない事態に陥ることもある。シンプルさの中に複雑な駆け引きが繰り広げられる。
アタックチャンス
- 1975年10月5日(第27回)放送分より新設された特別問題として定着し、当初は1回限り、スルーまたは不正解だった時には無しという対応をしていた。その後、正解者が出るまで続ける方式に改められ、現在に至っている。
- またアタックチャンス直前、出題中の場面には、パネルボードが表示される。1995年9月までは、スタジオのパネルを画面上部に表示し、同年10月からCG表示に切り替わった。2012年4月からはパネルがモニターでの表示により、アタックチャンス直前以外にも常に表示されている。
- 残りのパネルが5枚になったところで鐘(チャイム)が鳴り『アタックチャンス』問題となる。司会者は、残りがおおむね7枚になってくると「まもなくアタックチャンスに入る可能性あり。お立ちにならないでいきましょう!」、あるいは「あと1枚(2枚)でアタックチャンスに入る可能性があります。慎重に、かつ大胆にいきましょう!」といっていた。
- この問題で正解した解答者は通常のパネル獲得の後、大量得点の可能性や今後の展開に有利なパネル(「アタックチャンスの狙い目」と呼ばれる)を1枚だけ指定(元の色で点滅したあとに「■黄」のパネルに変わる。開始当初は黄色にはならず、点滅後そのパネルが消灯するだけだった)することが出来る。なお、司会者の「アタック・チャンス!」というコールも、当然チャンス中は正解が出るまでコールされる。
- 黄色になったパネルは、誰も獲得していないパネルと同じ扱いになる。ただ、他人が取ったパネルは勿論、自分が獲得したパネルでも指定できるが、消すと逆に不利になったり、他の解答者にチャンスが出てきてしまうような場合でも、どれか1枚を指定しなければならない。ただし、過去にアタックチャンス時にパーフェクト状態だった解答者に対して、アタックチャンスの狙い目指定の放棄を認めた例がある。その解答者はその後パーフェクトを達成した。
- だいたいの回は角のパネルが指定されるが、配置によっては端のパネルが狙い目に指定されることもある。一般に、13番に狙い目を指定することはめったにないが、1987年7月5日放送と1994年2月27日放送には狙い目に13番が指定されるという珍事が起きた。
→
(22番に青が入って、アタックチャンスの狙い目として25番を指定) - アタックチャンスの時点でトップ独走状態にある解答者が正解した場合は、大量のパネルを追加獲得する必要性が小さい。このため、他の解答者にとって以後の展開が有利にならないパネルをアタックチャンスの狙い目に指定して、守りに入ることがある。
- 司会者が「アタックチャンス後の問題が大事です」と度々述べるように、解答者全員は、その後の問題に正解し狙い目となったパネルを獲得することがさらに重要である。前述のように、パネルが空くことで他の解答者にもチャンスが生まれるからである。
- 1996年6月以前はアタックチャンス問題の合図となる鐘(チャイム)を鳴らしパネルの状況を説明した後、児玉が「それでは、ここでこちらをご覧下さい」と言ってCMに入り、その後「アタックチャンス」のタイトル文字とアタック音が流れる趣向だったが、1995年10月からは、特別企画ではタイトルを出さなくなる。1996年7月以降はCMに入る前に児玉が「(大事な大事な)アタックチャ〜ンス!!」(他に「それぞれの思惑を込めて、まいりましょう。勝負のアタックチャンス!!」などのバリエーション有り)とコールしてから、一旦CMを入れて、再開後再び「アタックチャンス!!」のところから再生した(このコールの際、児玉が右手の握りこぶしを微妙に前後させるポーズもまた番組恒例となっていた)。なお、一時期は解答権を得た出場者が解答する直前まで放送、CMに入って「アタック・チャンス!!」から再生していたこともあった。なお、2005年 - 2006年に同点決勝の場合は、同点決勝の前にCMが入っていた。
- 1996年6月以前のアタックチャンスのアタック音は、優勝者に対するフィルムクイズに不正解だった時の音の出だしの部分を加工して使用していた。また、アタックチャンスの旧来式の台形ロゴは現ロゴに変更後も2000年6月まで使用されていた。
- コーナー開始から2009年3月までは出題中の場面のみ通常問題と区別されていなかったが、4月から出題中の右下に「アタックチャンス」と表示されるようになった。2012年4月から右上に表示されている。
- アタックチャンスのパネル選択時は、放送開始当初から1995年9月までと2009年4月以降実際のパネル画面を映して行われている(それ以外の時期はCG画面を使って行われていた)。
シンキングタイムとお手つき
- シンキングタイムはおよそ10秒(流れ終わったあとはブザーが鳴らない)シンキングタイム用のBGMが流れ、流れ終わっても(時間切れ寸前であっても)、解答ボタンが押された場合は解答することができる。ただし、画面を見て答える問題と音楽の問題では出題自体がシンキングタイムであるためBGMが流れない(司会者自らが押すブザーが鳴った時点で出題は終了)。
- 1986年10月よりシンキングタイム時のBGMが変わったが、元々は同局で放送されていた『クロスワードクイズ・Theエイリアン』→『三角ゲーム・ピタゴラス』で使用されていたもの。
- お手つき・誤答は司会者が押すブザーが鳴り、不正解のBGMが流れ、解答者はその場で起立して、続く2問の解答権が失われる。司会者は「2問の間御辛抱」や「あと1問御辛抱」と言う。ブザーが鳴ると時間切れとみなして解答権を失うため、正解が出ても不正解である。これは他の解答者も押されていることを考慮して即答をしなければならないため。ただし、第1問目のオープニングクイズにはペナルティがないので、同じ解答者が何回も続けて間違えることもある。2011年1月9日放送の女性アナウンサー大会でも中盤に5問設定された特別問題(並べ替えや複数答える問題)で第1問目のオープニングクイズと同様、不正解でもペナルティ無しで何度でも解答できるルールで行なわれた。なお、言い直しは認められていないため、誤答が出た後で正解が出ても不正解となる。
- ブザーが鳴ると解答席の横にあるランプが2つ点灯し、解答権が失われる2問は起立していなければならない。起立することから、司会者は解答権が失われる状態を「お立ち」と呼んでいる。2問以上連続して誤答が出ると、次の問題の解答権は2人にしか与えられない。
- ブザーの後は不正解の(立たなければならない)BGMを流す。ただし、音楽の問題や画面を見て当てる問題ではすぐ正解確認に入るため流れないが、もちろん「お立ち」となる。なお、正解の場合のチャイムやBGMは無く、司会者が「正解!」(かつて初代司会者の児玉は2007年以降「正解!」と言う場合が圧倒的に多かったものの、たまに「結構!」「その通り!」と言った場合もある。浦川に変わってからは、「その通りです」「その通り、正解です」という場合が多い)などと言うことでそれに替えている。
- 「お立ち」となっても他の解答者への出題は続くため、当然ランプは1つずつ消える。なお、スルーや他の解答者の不正解もあり得るため、司会者が「1問得されました(助かりました)」などと言うこともあれば、パネルが1枚も埋まることなく解答権が復活することもある。また、司会者は2問の「お立ち」が終わった解答者が出る状態を「お戻り」と呼んでいる。
- 1995年9月24日(第1033回)放送分まで、「お立ち」は3問だったが、解答者が4人なので、解答権が1人だけという状況もあった。そのため、収録時間や問題を全部使い切り、ウェストミンスターの鐘が鳴って強制終了したこともある。1995年10月1日放送分から「お立ち」を3問から2問に減らしたのは、その影響からである。
- 妊娠している人などは体調の負担を考慮して座ったままとなる例外もあるが、座ったまま休むことができても2問の解答権は失われる。2006年9月3日に放送された芸能人大会において出産直前だったジャガー横田がその例外の1人になった。ペアでの大会だったため、不正解の際はペアを組んでいた夫の木下博勝のみ「お立ち」とした。
- 「東リ・パネルクイズアタック25(旧)」時代は、パネルの両脇に当時の東洋リノリュームのロゴマークが縦に10個つながっているタイマーがあり、それが一定時間ごとに下から一つづつ点灯、10個すべて点灯すると時間切れというルールだった。
優勝者(トップ賞)の決定・ウェストミンスターの鐘・賞金
- 全てのパネルが埋まった時点でゲーム終了となる。また、収録時間の都合で時間切れとなった場合はウェストミンスターの鐘(字幕放送では単に「(鐘の音)」で表記) が鳴り、パネルが埋まっていなくても終了となる。
- 出場者は参加賞と獲得パネルの枚数に応じた賞金(1枚につき1万円)を獲得し、獲得パネルの最も多い人が優勝(すなわちトップ賞)。海外旅行を賭けたフィルムクイズに挑戦する。
- 25枚のパネルを全て同じ色にするとパネル獲得分の賞金に加えてパーフェクト賞として合わせて50万円を獲得できる。
- 2人もしくは3人が同じ枚数で並んだ場合、同点決勝(プレーオフ。司会者が「同点決勝!!」と言って問題が始まる)を行って優勝者を決定。2人での同点決勝の場合は、先に解答権を得て、それが正解ならばその時点で決着。もし、不正解の場合は、相手に解答権が移る。その解答も不正解の場合は、新しい問題に移る。3人での同点決勝の場合は、最初に解答権を得た人が不正解の場合は、その人は次の問題の解答を失い、新しい問題に移る。新しい問題で、先に解答権を得た人が不正解の場合、今度はまだ2問とも答えていない人が解答権を得る。それでも不正解の場合は、3人で新しい問題に移る。1問正解で優勝決定。
- 2009年2月8日(第1690回)の放送で、番組史上初となる3人による同点決勝が行われた。赤・白・青がそれぞれ8枚ずつ、緑が0枚で最後の問題を迎え(この状況も番組史上初)、ここで緑が正解したことによる。同点決勝は青が制した。
- 2011年5月8日(第1799回)の放送では、全員が6枚ずつで最後の問題を迎えた。最後の問題は緑が制したが、もし時間切れになってウェストミンスターの鐘が鳴っていたら、全員での同点決勝になるところだった。
- 優勝者を発表する時、司会者が「○(色)の○○さんが○枚のパネルをお取りになりまして、地中海クルーズ・ペア10日間の旅、挑戦権獲得!!おめでとうございます!!」と絶叫し、ファンファーレが流れる。画面には「地中海クルーズ・ペア10日間の旅、挑戦権獲得」の字幕スーパーが写し出される。その後、司会者が優勝者(トップ賞)の賞品(「○○さんにはトップ賞といたしまして…」と言う)を紹介し、出題者が参加賞の賞品(「そして、今日出場いただきました○○さん(三人全て)には…」と言う)の紹介をする(1996年4月 - )。
- 80年代前半~90年代前半では、パーフェクトを達成したときには、「パーフェクト達成!!」の字幕スーパーとトップ賞と別のファンファーレが流れたが、1998年10月11日放送の11人目のパーフェクト達成の際は「パーフェクト達成!!」の字幕スーパーやトップ賞との別のファンファーレはいずれも出ず、通常のトップ賞のファンファーレが流れたのみだったが、2009年8月16日(第1717回)放送分で12人目のパーフェクトが出た時はラストコール後に「史上12人目!パーフェクト達成!!」の字幕スーパーが出るが、トップ賞との別のファンファーレは11人目同様流れず、やはり通常のトップ賞のファンファーレが流れただけである。
- 鐘が鳴るのはだいたい年に1、2回程度であるが、2002年度のように一度も鐘が鳴らなかった年もある。かつて1995年9月には1ヶ月の間に2回(第1031回・第1033回)もウェストミンスターの鐘が鳴ってパネルが全て埋まらず、ゲーム終了ということもあった。ただし、芸能人大会やチャンピオン大会など特別な大会では時間切れ無しで全てのパネルが埋まるまで勝負は続けられるが、その際、途中カットされる部分はダイジェスト形式で編集した上で放送する。特別な例として、1995年5月28日(第1016回)放送分で、誤答の「お立ち」が非常に多かったため、逆に全てのパネルが埋まるまで続けたこともある。1995年10月1日(第1034回)放送分から不正解による起立を3問から2問に短縮したのは、1995年9月の出来事の影響が大きく、ウェストミンスターの鐘が鳴る確率を低下させて攻撃性を増すためである(1995年10月1日放送分で初代司会者の児玉がコメントした)。
- 2011年10月2日(第1819回)放送分では誤答が相次いだため、4年振りにウェストミンスターの鐘が鳴り、2代目司会者の浦川に変わってから初めての鐘となった[12] 。さらに2011年11月13日(第1825回)放送分でも誤答が相次ぎ、2度目の鐘になった[13]。
- このほかに、賞金とは別に優勝者(トップ賞)(18金ダイヤモンドネックレス、掃除機、キャスター付き旅行バッグ)・参加賞(ベルト、札入れ、小銭入れ、キーケース、磁気健康グッズ)の賞品がプレゼントされる。過去に東リが単独スポンサーだった時代にはカーペットまたはカーテンまたはクッションフロアがプレゼントされていた。また、パーフェクト達成した優勝者にトップ賞の賞品に加え、それとは別にパーフェクト賞分の東リ商品を贈呈した。優勝者と参加賞では違った品物が贈呈された。商品紹介のBGMは、本田雅人「放課後は日曜日」(アルバム「Real-Fusion」収録。2009年4月~2012年3月)。
- 獲得賞金はゲーム終了後司会者が「パネル獲得数と賞金の額を順に申し上げますが…」と言って紹介していたが、現在は行っていない(司会が浦川に変わってからは、(特に優勝者に対して)「○枚獲得、○万円お持ち帰りですが」などと賞金に言及することはある)。ただし、夏休みに行う児童・生徒対象の大会では「賞金」とは言わずに、「奨学金」(主に生徒)または「図書券」(主に児童)と表現していた。
賞金額の変遷
金額はパネル1枚当たりの額。賞金額改定の度に2,000円ずつ値上がりしており、賞金額の改定は毎回4月に行われているが、1990年4月以降は1枚10,000円で据え置きとなっている。
- 放送開始-1977年3月…2,000円
- 1977年4月-1986年3月…4,000円
- 1986年4月-1989年3月…6,000円
- 1989年4月-1990年3月…8,000円
- 1990年4月-現在…10,000円
25枚全て獲得してパーフェクトを達成した際の賞金は、放送開始当初から50万円に固定されている。過去には副賞として当時のスポンサーだった東リのカーペットが贈呈された(優勝者とは別の賞品。さらに過去には東リのクッションフロアも賞品だったことがあった)。
また、賞金とは別に出演料的なものが成績にかかわらず5,000円支払われる(近畿地方近辺からの出場者の場合はこの中に交通費も含まれるが、遠方からの出場者でABCまでの交通費が5,000円を超えた場合、交通費もABC側から別途支払われる)。
海外旅行獲得VTRクイズ
海外旅行獲得クイズは、25枚のパネル盤面上(スタジオでは別モニター)にVTRを映し、古今東西問わず「ある○○」を当てる問題。主に「人物」(浦川はある「人名」という場合もある)、「都市」がメインで、他に「グループ」、「架空の人物」、「国」、「都道府県」、「町」、「村」、「半島」、「島」、「山」、「川」、「湖」、「海峡」、「岬」、「観光地」、「国立公園」、「温泉」、「日本の年号」、「西暦年」、「文学作品」、「楽曲」、「条約」、「組織」、「建造物」、「施設」、「出来事」、「寺」、「船」、「遺跡」、「お城」などがある(出題VTRの一部はテレビ朝日系列各局が取材したものを取り入れることもあり、その際にはエンディングのスタッフロールのスーパーで協力した系列局がクレジット表記される)。
成績や賞品紹介の後、すぐに優勝者と司会者が簡単な感想を話した後、司会者から「さあ、今日はある○○を、御当て頂きます」とジャンルが発表され、優勝者が獲得した自分のパネル(外す操作は当初はアシスタント、現在はスタッフ)を全部外した時点で「ある○○とは何(誰)でしょうか、問題スタート!!」(または「~、問題スタートです。」、児玉司会時代では「ある○○・VTRスタート!!」)と言ってVTRが始まる。1990年9月以前はフィルム映像だったため、「ある○○、フィルムスタート!!」と言っていた。番組開始当初(東リ提供時代)からは1996年3月まで全成績を述べた後に、CM無しでそのままクイズに入っていた。1996年4月から2010年3月14日まではVTR開始前に一旦CMに入り、CM明けに旅行の紹介を放送した後、もう一度「ある○○、VTRスタート!!」から再生されていたが、2010年3月21日放送分から2012年3月25日までは、残りパネル1~3枚の時点で一旦CMに入り、CM明けに旅行の紹介をした後、以後番組終了までCMを挟まずに競技を進行するようになっていた。2012年4月1日からは浦川が「今日はある○○を当てていただきます」と言った後、一旦CMに入っている。憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅になった2010年6月以降、旅行の紹介は海外旅行獲得クイズ開始直前に変わった。
VTR映像は、優勝者の色のパネルの部分だけしか見ることが出来ない(オンエアでは残った他の色のパネルのうちの1枚にトップ賞獲得者の様子が映し出される。パーフェクトの場合は出されない)。現在はCGパネルにVTRが表示されるが、1995年9月以前はスタジオのパネルでクロマキー合成によりVTRを流していた。その際、残った別の色のパネルの数字部分が透けて映像が見えていたり、格子の形が見えていた。これはクロマキー合成に紫色を使っており、格子の線は黒だが、パネルの数字は紫色を使っているためである(エンディングでのパネル点滅時には紫もある)。映像はいくつかのヒント映像が流れ、映像の最後に、ある人物ならその人の顔写真(このために映像を撮っている場合もある)、ある都市なら航空写真に市章(ただし、日本にある都市の場合のみ)、ある国なら航空写真に国旗が映される。VTR映像出題中は「フライト・トゥ・パリ」のBGMが流れる。2012年4月1日放送分からはサイドパネルが追加され、5月13日放送分からは左側に「海外旅行を賭けたクイズに挑戦中」、右側に「その○○とは?」と表示されるようになった。
映像終了後、司会者に「その○○とは!?(西暦の場合、児玉は「さあ、それは西暦何年?」、浦川は「その年とは?」)」と尋ねられ、5秒以内(解答時間は時報のようなカウントダウンの音が流れる)で正解を解答すると、司会者が「正解!!」[14]・「結構!!」・「その通り!!」と絶叫、ファンファーレが鳴り、番組開始当初から1983年12月までと1995年10月から2009年3月までは電飾が光る中で、2009年4月以降は電飾点灯に加え、「憧れの地中海クルーズペア10日間の旅獲得!!」というテロップが出る中で海外旅行獲得。1984年1月から1995年9月までは電飾点灯に加え、解答者席上(天井)に吊るされていたくす玉[15]が割られて大量の紙吹雪とフランス国旗を彩った紙テープが降った。児玉が司会をしていた頃は海外旅行決定の時にその解答者に握手をし、「おめでとう!」・「やった!」・「良かったぁ!」や「いや、文句無し」(1995年「20周年記念グランドチャンピオン大会」)、「あんな顔が出てしまえば笑っちゃうよね」(同年の一般大会)といった労いのコメントがあった。
誤答の場合は初代「アタックチャンス」のアタック音をアレンジしたBGMが流れる。一時期、不正解の時、BGMが流れる前にブザーが鳴ったこともあった。2012年4月1日の放送から、不正解時に「残念」というテロップが表示されるようになった(表示の後、崩れ落ちる形で消去)。司会者が正解を説明する際、毎回パーフェクト達成状態の形でパネル全体が外れて見られるようになる。現在はその際に画面が中央に寄り、周りはトップ賞獲得者の色がバックとして使われる(1997年10月 - 。画面下にはスタッフ・制作クレジットのロールが流れる)。正解を説明の際、司会者は当初、内容を書いたメモをポケットに入れていたが、現在は「アタック25」のロゴの入った黒いファイルを持っている。[16]
優勝者の獲得パネルの配置によっては、大事な部分が他の人のパネルで隠されて全く見えず(特に画面下の年代などのヒントのテロップなど)、全部見えれば分かったのに答えられなかったというケースも少なくない。他の3人は分かっていたのに優勝者だけが分からなかったというケース、パーフェクトや20枚以上の大量得点を獲得したのに全く分からなかったケース、逆に1桁枚数(7・8・9枚)の優勝者、または真ん中がほとんど取れなかった優勝者がわずかに見えた画面で正解を探し当てたケースもある。そのため、問題の難易度は常に一定ではなく、運に近い状態と言える。
エンディングの際に、解答者の前で出題者から花束が贈呈される(その際出題者は「おめでとうございます!」と言う)。ただし、1975年4月6日の放送開始時から1995年9月25日放送分までは祝福のBGMが流される中、出題者から花束が、エールフランスの客室乗務員から旅行バッグ(末期では旅行獲得プレート)が、1995年10月1日放送分から2012年3月25日放送分までは出題者から花束と旅行獲得プレートが渡されていた。そして、VTRクイズの正解・不正解にかかわらず、浦川は「また来週です」などと言ってエンディング、2012年4月1日放送分からは携帯電話サイトやスマートホンサイト利用者に対するクイズ出題となる。2011年4月10日放送分まで、児玉が司会だった時は「また次回、憧れの地中海クルーズの旅、お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!!おめでとうございます」と言って、逆に旅行獲得できなかった時は「本当に残念ですが、また次回、憧れのエーゲ海クルーズの旅、お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!! 残念でございます」と言ってエンディングとなった。
かつてエールフランス協賛によるパリ旅行だった時は、以下のような流れとなっていた。
- 児玉が優勝者を発表する際に、「○○(色)の○○さんが○○枚のパネルをお取りになりまして、パリ挑戦権獲得!!おめでとうございます!!」と言ってファンファーレが鳴った際、字幕スーパーには「トップ賞・花の都パリに挑戦・ABC」→「アタック25トップ賞・パリ挑戦権獲得」と出た。
- 出題前に「さぁ(トップ賞の解答者名)さん、エールフランスに乗れますでしょうか。パリそしてニース(カンヌ)があなたを待っております(この時にこやかに旅行鞄を持っているエールフランスのスチュワーデスのアップが映し出される)よろしいでしょうか。ある○○(人物・国・都市・川・島・年号など)、フィルムスタート!!」というコメントとともに出題が始まった(1995年10月以降は「○○行きなるでしょうか、VTRスタート!!」に変更されるが、詳しくは海外旅行を参照)。
- 正解すると、改めて正解内容を確認した後、児玉が「(解答者名)さん、お見事!! パリそしてニース(カンヌ)にいらしていただきます!!おめでとう!!良かった!!」などとコメントした後、BGMが流される中、エールフランス機の離陸映像とパリの風景をパネルに映し出して、そのパネルをバックに先述の通り、エールフランスのスチュワーデスより「おめでとうございます、エールフランスで楽しい旅をどうぞ!」と言いながら、航空バッグ(末期は旅行獲得プレート)が、出題者より花束が贈呈された。
- 児玉が「さらに○○さんにはトップ賞といたしまして(トップ賞の賞品)を合わせてお持ち帰りいただきます」を紹介し、出題者が「そして、今日ご出場いただきました他3名様(後に3名の個人名)には(参加賞の賞品)をお持ち帰りいただきます。そして、今日見事パリ行きとなられました○○さんを応援していただいた方には(賞品名)をプレゼントいたします」と言った。
- 児玉が感想を聞いた後、「○○さん、見事パリ行きを射止めたことをお伝えして、また来週この時間、パリがあなたを待っております!!ごきげんよう!!さよなら!!良かった!!」と言って片手を前に出しながらエンディングとなる。
- 1992年9月放送分まで、不正解で旅行を獲得できなかった場合に児玉は「○○(出題者)さん、おみやげを差し上げて下さい!」と言うと、出題者は「残念でございました。トップ賞の○○さんには(賞品名)を差し上げます(その間に拍手が沸く)。そして、ご出場いただきました他3名様(後に3名の個人名)には(参加賞の賞品)を差し上げます。そして、今日トップ賞となられました○○さんを応援していただいた皆様には(賞品名)をお持ち帰りいただきます」と言った。児玉は席に戻り、「○○さん惜しくもパリ行きなりませんでしたが、また来週この時間、パリがあなたを待っております!!ごきげんよう!!さよなら!!残念!!」と言って片手を前に出しながらエンディングとなった(どちらとも末期は解答者席の前で行った)。
歴史
この番組が誕生する1年前の1974年4月7日 - 1975年3月30日、同じ児玉が司会をした視聴者参加クイズ番組『東リクイズ・イエス・ノー』→『5人抜きQ(クイズ)・イエス・ノー』が東洋リノリユーム(現・東リ)の一社提供の下、毎日放送製作でANN系列にて放送されたが、視聴率低迷や1975年3月31日にABCとMBSのネットチェンジを理由に終了した。ただ、東リ側が児玉司会による自社提供の番組をABCでも継続して制作・放送することを熱望したため、1975年4月にこの番組が誕生。その児玉は当初『 - イエス・ノー』失敗などからこの番組の司会をすることに難色を示したが、東リ側の要請もあって結局了承。よってNET(現・テレビ朝日)など一部系列局では制作局が異なるものの、児玉司会・東リ提供の番組が継続して放送されることになった。なお、児玉は2011年2月19日の『日刊スポーツ』大阪版のインタビューで『アタック25』への思いを語った際に、当時の経緯を語っている[17]。
ANN系列単独加盟局所在地域でも、広島県では広島ホームテレビ(HOME・当時UHT)が開局した後も、『 - イエス・ノー』までは諸事情により、JNN系列の中国放送(RCC)へ時差ネットされていたが[18]、1975年10月のテレビ新広島(TSS・FNN系列)開局に備えた編成の整理により、本番組から系列通りUHTがネットとなった。
JNN系列局時代のABCは、『ベルトクイズQ&Q』の水曜日の製作を一時担当した以外、自社製作の視聴者参加クイズ番組が無く、『ベルトクイズQ&Q』『夢の世界旅行・クイズジャンボ』等、TBS製作の番組ばかりだった。
放送開始にあたっては、とあるABCのスタッフが、子供にオセロゲームを買ったことを思い出し、「このオセロゲームを使ったテレビ番組はどうだろう」と言ったのがこの企画が生まれる発端だった。
次に放送時間内にクイズを答えてすべての面が埋まり、面を最も多く獲得した解答者が海外旅行を賭けたクイズに挑戦すると仮定した場合、面の数は何枚が良いのかを試行錯誤の末に出した結論が25枚だった。
また、企画段階では最終的に獲得した面の数とは別に、クイズの正解数に応じて賞金を出すという案もあったが、あくまで「面の数」にこだわり、これがこの番組の最大のウリとしてプロデューサーが一蹴。さらに、使用する面には赤・緑・白・青という「色」を使うため、まだ一般家庭の半数が白黒テレビだったこともあり、この企画には社内やスポンサーからも難色を示す声が上がったという。しかし、プロデューサーは「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回って実現させた。
初代プロデューサーの三上泰生は自らの著書『6chは上方文化や』の中で「人生、非情なものだ。この非情さをクイズで表現したかった」と記している。
1992年9月まではABC制作枠の15秒番組宣伝枠がABC制作全国ネット番組の中で唯一なかったが、翌10月から放送開始(基本的に日曜20時台の番組の番宣)。同時に番組ロゴをそれまで台形をモチーフにしたものから現ロゴに一新した。
1997年4月の時点で毎日放送『アップダウンクイズ』(1963年10月6日 - 1985年10月6日)、NHK『連想ゲーム』(1969年4月5日 - 1991年3月20日)の22年を抜き、全国ネットクイズ番組の長寿新記録を達成した。なお、地方ローカル番組を含めた最長寿記録はCBCで放送された『天才クイズ』の37年2か月(1967年7月26日 - 2004年9月25日)だったが、現役クイズ番組としては全国ネット・地方ローカルを問わず当番組が最長寿であるが、2012年6月以降の継続が決まったため、クイズ番組最長寿の完全新記録達成となった。
テレビ朝日『100万円クイズハンター』が終了した1993年10月からTBS『クイズ悪魔のささやき』が始まる1994年4月までの半年間と、テレビ東京『決戦!クイズの帝王』が終了した1997年3月からフジテレビ『クイズ$ミリオネア』が始まる2000年4月までの3年間は、全国ネットのレギュラー番組で唯一の視聴者参加クイズ番組だった。しかし、『クイズ$ミリオネア』が2006年9月で視聴者参加を取り止めたため(ここまでの期間中の視聴者参加クイズ番組は他にテレビ朝日『タイムショック21』(2000年10月~2002年6月)、フジテレビ『ウィーケストリンク☆一人勝ちの法則』(2002年4月~9月)があった)、再び唯一の視聴者参加クイズ番組になっていたが2012年4月からNHK『連続クイズ ホールドオン!』のレギュラー放送開始に伴い再び唯一ではなくなったが、民放テレビ番組としては唯一の状態が継続される(賞金が支払われる視聴者参加クイズとしても唯一)。
1996年7月から1999年3月まではオープニングのテーマ曲がサラウンドで放送された。2003年4月6日から字幕放送を開始。2005年4月4日からハイビジョン化され、2006年4月9日からは番組の音声もモノラルからステレオになった。2010年6月6日よりアナログ放送ではレターボックス放送となり、その日のアタックチャンスでレターボックス放送に移行したことを意識した問題が出題された。
なお、過去のVTR映像は当番組やABC・テレ朝系の回顧特番で見る限り、1984年5月20日(第465回)放送分以降しか確認されていない(この回の優勝者が番組史上3人目のパーフェクト達成者となり後述する特別企画・1000回記念大会に出場した際、紹介の時点で当時のVTRが流れた)。これは当時のマスターテープだった2インチVTRが非常に高価で保存が安易にできず、上書きして使い回されていたことが主流だったことから、第1回をはじめとする番組初期の映像は残っていない可能性があるためである(後述の追悼特番で取り上げた第1回と1975年の芸能人大会が、白黒のスチール写真しか紹介されていなかったため)。
特別企画
- 1回目の特別企画は1975年7月27日(第17回)放送分の藤田まこと、石坂浩二、桂三枝、高岡健二(現・高岡建治)を迎えたゲスト特集[19]で、石坂がパリ旅行を獲得した。このときのバックセットは観客席ではなく解答者の席の色に沿ったスパンコールであった。また出演者は全員が初代のタイトルロゴを書いた丸いワッペンをつけていた。
- 毎年、8月第2日曜日(夏休み期間中)に「高校生大会」と8月後半に「高校生VS高校の先生」が、9月の敬老の日の前日(2001年までは9月15日と重なる週の日曜日)に60歳以上対象の「熟年大会」が行われる(ただし、60歳以上であっても、熟年大会ではないレギュラー放送で出場した人は複数いる)。1994年まで「中学生大会」、1996年まで「小学生大会」が行われた。なお、「高校生VS高校の先生」は「小学生大会」の後継として1997年から行われている。
- 2005年から2007年には9月第1週にタレントやお笑い芸人の2人1組、計4組が解答者として出場する「芸能人大会」が開催された。なお、上記の「アナウンサー大会」同様、出題場面が途中でダイジェストの扱いとして放送されることがある。芸能人大会はこの時期以外に2006年3月5日(第1547回)放送分でも開催されている。
- 数年に一度、過去5年以内(またはそれ以上)に出場者で海外旅行を逃した人、解答できずに終わった人、あるいは正答できてパネルを獲得するも最後は0枚という残念な結果に終わった人たちのためのいわばリベンジ大会である「夢をもう一度大会」がある。優勝できなくとも、獲得パネル1枚だけで喜ぶ人あり、海外旅行獲得リベンジ達成の人ありなど、夢を再び与えるという画期的な企画も持っている。
- 1989年1月15日に放送された『700回記念大会第1弾』「4強激突!プロ野球大会」ではセ・パ両リーグの2強の選手とファンのタレントが出場、優勝したジャイアンツチーム(後述)優勝、パリ旅行を獲得した。さらにトップ賞となったチームを応援していた観客1人にもパリ旅行がプレゼントされた。
- 1989年1月22日(700回記念大会第2弾)、1990年4月8日(15周年記念大会第2弾)、1991年1月20日(800回記念大会)の3度、各大学のクイズ研究会やサークル25人が1チームとなって4大学対抗で戦う「大学対抗!100人の大サバイバル」を実施。[20]各大学、代表者1名が解答席に着いてクイズに答えるが、お手つき・誤答や相手に正解された場合は、その人は失格で、次の代表者に交代するという特別ルールで実施。当然25人全て失格になった大学は、その時点で敗退。そのため、1989年の700回記念大会第2弾で放送された最初の大会では、通常のルールでは不可能な6枚獲得で優勝するという事態が起きた(18枚獲得していた大学がいたが、25人全員失格で敗退したため。)。なお、海外旅行への挑戦権は、優勝したチームで最終的に残ったメンバー全員にあり、正解した場合は残り人数分の旅行を獲得できるというルールだった(結果は誤答)。また、1993年1月24日放送分では900回記念として「大学クイズ研究会ペア大会」を実施。
- 1995年2月5日の1000回記念では過去にパーフェクトを達成した9(8)人(1993年8月22日時点)のうちの4人が出場。9(8)人目のパーフェクト達成者(大阪府在住の塾講師)がパネル16枚でトップ賞を獲得。ちなみにこの塾講師は、1986年2月に放送された『クイズタイムショック』(田宮・山口期)での最後のパーフェクト達成者である。
- 1995年3月12日~26日(第1005~1007回)、過去5年以内の出場者の参加も交えての「20周年記念グランドチャンピオン大会」を3週にわたり開催、まず全国各地で筆記予選を行いネット局の代表1人(全国朝日放送からは2人)が選ばれ、それらを東日本・西日本別に予選大会を行い(形式は3問先取の早押しクイズで4人勝ち抜き→従来のパネルクイズ)、それぞれ獲得パネルの多かった2名が選出。決勝戦ではテレビ朝日代表の東大生(後述の30周年記念大会のクイズ王決定戦にも出場)がグランドチャンピオンとなる(賞金は枚数に関係なく50万円)。
- 1997年1月5日と1998年1月11日には大学対抗クイズ研マドンナペア大会を開催。1998年は予選を行っていた。
- 2000年3月には4週にわたって25周年記念大会を開催。1週目は、番組が開始された年の1975年に出場された「25年前の出場者大会」を、2週目は、出場者が全員25歳である「25歳大会」を、3週目は「25にちなんだ人大会」を、4週目「系列局女子アナペア大会」を行った。2001年4月にも3週にわたって27周年記念大会を開催した(実際は満26年)。1週目「27にちなんだ人大会」、2週目「ペア大会」、3週目「系列局女子アナペア大会」を行った。
- 2004年4月4日~18日には番組開始30周年(正式には満29年であり、30年目突入)記念大会と銘打って、3週間に渡る「史上最強のクイズ王決定戦」を開催した。参加基準やルールは「20周年記念大会」と同じだが、賞金はパネル1枚につき4万円だった。『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』初代チャンピオンで、「20周年記念」でも決勝まで勝ち残っていた(「20周年記念」のチャンピオンも東日本予選から決勝進出)新潟代表のブックオフ社員が優勝。
- 2005年3月20日、1500回を迎えやくみつる・高田万由子・森内俊之・丸山和也の4人の著名人によるゲスト大会が行われた結果は森内がパネル18枚で優勝。なお、クイズを趣味とする森内は、過去にもプロ棋士としての仕事の合間を縫って1995年4月23日(第1011回)に一般参加者として予選会を勝ち抜いて出場したことがあり、その際はパネル1枚に終わっている。
- 2005年8月7日(第1520回)放送分は、「浴衣大会」を開催。一般出場者4人と、児玉・沢木が浴衣を着て登場した。
- 2010年2月14日(第1740回)と同年4月4日(第1746回)放送分は、2001年以来となるペア大会を行った。
- 2011年5月16日に児玉が逝去。22日は通常の放送を休止し『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』と題した追悼特別番組[21][22]が放送された。5月19日に収録が行われ、スタジオには児玉の遺影や趣味であった切り絵の作品[23]、応援席には過去の放送時の写真が展示された。追悼番組では番組のこれまでの歴史のほか、児玉の俳優としての活動、数々の名語録などを映像で振り返った(一部映像は通常の放送素材とは別に児玉の司会ぶりの様子のみを収録した映像も使用)[24]。VTRゲストには最初の芸能人大会に出演した石坂とNHK大河ドラマ『龍馬伝』で児玉と共演した福山雅治が登場し、故人との想い出を語った。内容については別項「さようなら児玉清さん…」も参照のこと。
チャンピオン大会
- 毎年、最終放送となる本番組の放送では、前年12月(もしくはその年の1月中旬)からその年の11月までに特別企画以外にて優勝した解答者から獲得枚数が多かった上位解答者が登場、『年間チャンピオン』を決定する「アタック25 チャンピオン大会」が、1978年から行われている[20]。
- 2003年度までは、年間の獲得枚数上位4人が対戦。2004年度から2007年度までは、年間の獲得枚数上位10人で予選クイズ(3問先取の早押しクイズ、誤答2回で失格・退場)を行い、それを勝ち抜いた4人が対戦。
- 2008年度以降は、年度内に14枚かそれ以上のパネルを獲得して優勝した出場者全てに参加資格が与えられ、さらに第2日曜日放送分で予選、第3日曜日放送分で決勝と、2週に分けて放送されることになった。
- 予選第1ステージでは、映像を用いた「筆記クイズ」を20問出題。予選第1ステージの結果発表は、いつも使用している25面パネルで行われ、成績上位10人のエントリーナンバーに対応したパネルが一斉に赤く点灯する。
- 予選第2ステージは2004年度から続く「10人一斉早押しクイズ」で3問先取でファイナルステージに進出、誤答2回で失格・退場。なお、決勝進出者は、勝ち抜けた順に赤・緑・白・青と座る(ここまでが第2日曜日の放送)。
- 第3日曜日の放送では予選を勝ち上がった4人によるチャンピオン大会のファイナルステージ・決勝戦を実施。決勝は通常方式で行い、ここで優勝した解答者が年間チャンピオンとなる。
女子アナ大会
- 年始初の放送はANN系列のうち4局の女性アナウンサー各2人を解答者に迎えた「新春女性アナウンサー大会」を2003年から行っており、この時に限り旧来の『解答者本人が自己紹介をする』形式をとっている。かつては1992年10月4日、1996年1月7日に男性アナウンサーを含めた「アナウンサー大会」を実施した経緯がある。また、2000年3月26日にも「25周年記念企画」で、2001年4月15日にも「26周年記念企画」で行っていた。エンディングでは司会の児玉、出題者の沢木(2010年は加藤)、解答者の全員が揃って「アタックチャンス」のポーズを取るのが恒例となっている。さらに2010年1月10日の女性アナウンサー大会では、前半のCM前のアタックチャンスのコールを、児玉と共に、解答者全員が解答席に座りながら「アタックチャンス」のコールをした(CM明けのアタックチャンスは別撮りで従来どおり児玉単独で行う)。なお、ABCのアナウンサーは社則により解答者として出場しない(問題の内部流出など不正防止の意味合いもある)。また、ANN系列のうち現在放送していない福井放送とテレビ宮崎は対象から外れている。
- 2010年1月10日では、赤:青森朝日放送の鈴木理香子・坂本佳子ペア(パネル獲得枚数7枚)、緑:新潟テレビ21の内山知子・笠井さやか(現:千葉テレビ)ペア(同1枚)、白:テレビ朝日の矢島悠子・竹内由恵ペア(同11枚)、青:愛媛朝日テレビの矢佐間恵・大角茉里ペア(同6枚)の各アナウンサーが解答者として出場。テレビ朝日の矢島・竹内ペアが優勝し、旅行クイズではある国の名前「シンガポール」を正解し、地中海クルーズペア10日間の旅を獲得した。
- 2011年1月9日(第1783回)は時間を45分間に拡大(直前番組『新婚さんいらっしゃい!』の時間拡大により14:10 - 14:55に放送)。出場者も北海道テレビ放送:国井美佐・石沢綾子ペア、秋田朝日放送:塩地美澄・後藤明日香ペア、テレビ朝日:本間智恵・加藤真輝子ペア、静岡朝日テレビ:森直美・広瀬麻知子ペア、広島ホームテレビ:坪山奏子・山田幸美ペア、山口朝日放送:関真由美・冨田和ペア、大分朝日放送:大久保千夏・高嶋和代ペア、熊本朝日放送:伊藤明日香・高崎恵理ペアの計8局16名に増員。2局4名ずつの連合チーム(赤:北海道テレビ放送・秋田朝日放送、緑:テレビ朝日・静岡朝日テレビ、白:広島ホームテレビ・山口朝日放送、青:大分朝日放送・熊本朝日放送)で戦う形式とした。また、今大会用の特別問題として、お手つきでもペナルティが無い多答・並べ替え問題が数問出題された。優勝は赤の北海道テレビ・秋田朝日放送チーム(12枚獲得)。
- 2012年1月8日(第1831回)は通常の枠内で放送された。解答者には赤:東日本放送:若月貴代・高野萌ペア、緑:テレビ朝日:矢島悠子・竹内由恵ペア、白:名古屋テレビ放送:鈴木しおり・金沢歩ペア、青:九州朝日放送:加納有沙・石井栞ペアが参加。優勝は白のメ〜テレ(19枚)獲得。
番組出場
解答において人名の場合は、日本人、中国人、韓国人の場合は姓と名のフルネームでなければならないが、それ以外の外国人の場合はフルネームでなくてもよく、判別できる程度でよい(このケースは予選でも適用される)。ただし、フィルムクイズは外国人もフルネームで答えなければならないことがある。そのため、苗字または名前しか答えられず、結局不正解になってしまったこともある。
いわゆるクイズ王によるクイズ荒しを防ぐため、一度本選に出場すると、5年間は本選に出場することができない(ただし、「グランドチャンピオン大会」などの特別企画で特例として5年以内でも出場できることがある)。その5年間の沈黙を経て再び出場する者も多い。
予選・収録
予選は基本的にANN系列局の放送エリアごとで行われる。そのため、ハガキに書く住所の項目は都道府県名から書くことになっている。なお、山梨県を含む関東地区予選はテレビ朝日ではなくABC東京支社で行われる。ANN系列局がない富山県は富山テレビ(BBT)で行われていたが、2009年3月の放送終了により予選の募集は終了した(ケーブルテレビや県外受信などで北陸朝日放送(HAB)や、新潟テレビ21(UX)を見ることができる視聴者は引き続きHABまたはUXで行われる予選については参加可能である。ただしHAB富山支局、テレビ朝日富山支局では予選は行われない。ANN系列局のエリア外で県外から視聴している場合は(クロスネット局の福井放送(FBC)の放送エリアも含む)、当該地域の局で開催される予選に参加することになる。FBC、ABC徳島支局、ABC高知支局、鳥取県・島根県に所在するテレビ朝日の各支局でも予選は行われない。2012年4月から放送再開した宮崎県については、ANN系列局のテレビ宮崎ではなく、この番組を放送している宮崎放送で開催される予選に参加する。
予選は専用の用紙に氏名などの他に自己アピールを記入することから始まる。現在の予選問題は全30問(制限時間8分)の筆記形式で、いわゆる「クイズによく出る問題」と時事問題がバランスよく出題される(かつては、同じ筆記形式でも、問題文のない解答欄のみの用紙に、カセットテープ再生による読み上げ問題の解答を記入する方式もあった。1問の制限時間はおよそ10秒で、全20問。問題の読み上げは、本選の出題者が担当していた)。解答の際、誤字・脱字がある場合は不正解となる。ただし、漢字がわからない場合はその漢字をかなで書いても問題はない。筆記予選が終わると答案用紙が回収され、即採点される。その後は名前もしくは受験番号を呼ばれた人のみ面接に進めるが、それ以外の人(呼ばれなかった人)はその場で「お帰り」となる。面接に呼ばれるのは基本的には得点上位者だが、明確な基準は無いため、ある程度得点できていれば面接に呼ばれることもある。この面接に受かれば、予選に合格となる。予選に合格すればすぐ出場というわけではなく、向こう1年間の出場資格が与えられたということになる。実際に出場が決定するのはABCのスタッフより電話連絡が入った時である。1年待っても連絡がなければ出場資格が消滅する。なお、指定された収録日に都合が悪く(用事等で)出場を辞退したとしても出場資格は消滅せず、合格してから1年以内であれば再びお呼びがかかることもある。
なお、出場が決まっていないなら、出場資格を持っている間にも予選に参加することは可能で、その予選に合格すれば出場期限を延長できる。また、前回の出場から5年経過していなくとも、応募すれば予選への参加は可能である(ただし、出場はできない)。
1975年の放送開始以来、出場者募集はハガキのみだったが、2004年春頃からはインターネットでも募集されるようになった(現在は携帯電話でも募集している)。また、出場者募集のお知らせは数か月に1回だけ行っていたが、現在は毎週番組中でアタックチャンスに入る前のCM明けに告知され(無い場合もある)、1年を通じて行われている。また、音楽問題の正解確認時と旅行獲得クイズ前のインタビューを行っている場面で各放送局別で送出マスターのテロップで出場者募集のお知らせ表示を行うこともある(主に予選開催日が迫っている放送回の場合)。応募したはがき、インターネット、携帯電話は抽選前に記入漏れ、偽り、重複応募がないか等を厳重にチェックした後厳正な抽選を行い、予選参加者を決定する。
2006年10月1日、横浜市立大学医学部に通う19歳の学生が優勝したが、予選の筆記問題でカンニングしたことをmixi上の日記で暴露していたことが発覚。2ちゃんねるを中心に騒がれ、一部の新聞などにも掲載された。その後、この学生はカンニングを否定。放送元のABCはこれを不問とした。
従来は、番組開始当初から大阪市北区(1989年まで大淀区)大淀南のABC本社Aスタジオで行われていたが、2008年春から社屋の移転により、福島区福島1丁目(通称「ほたるまち」)のAスタジオでの収録(隔週木曜日)となっている。このため、同年4月27日からエンディングでのスタジオ全景のカメラ位置も変更されている。収録から放送までは原則2週間後から3週間後だが[25]、2011年5月15日放送分は5月12日収録で3日後に放送された[26]。
備考
応援席
1995年9月までは観覧者を一般から募集をしていたが、現在は出場者の身内・友人と関係者・アルバイト(エキストラ)しか観覧席に座ることができない。
1992年9月までは、観覧者が色別のパネル上げでトップ賞の予想を行い(行わない回もまれにあった)、予想が的中するとプレゼントが、的中しなかった観覧者全員に粗品が贈られていた。
- 番組初期の頃は、司会の児玉の呼びかけとともに、番組の冒頭でギャラリー(観客・応援者)が、支持する解答者の後方にある「応援席」へ移動し着席する様子が、BGMが流れる中、映し出されていた。
- プレゼントの内容は、番組オリジナルグッズや、スポンサーからの賞品などだった。そのため支持(応援)する色の観客席に座る人のばらつきが発生していた。観覧者にはそれぞれの色のプラカードを持たせて、番組序盤で上げていた。
- 1985年頃には、フィルムクイズの前に各解答者の応援人数をコンピューターで表示していた時期もあった。
- 現在では、このトップ賞予想制度は廃止され、番組冒頭時点から各解答者の後方にはギャラリーがすでに着席していたが、2012年4月1日放送分からは解答席の背後のモニター設置により、ギャラリーは出題者席の背後に移動し、画面にはほとんど映らなくなった。
解答者紹介
1994年4月3日放送分までは本人による自己紹介(解答ボタンを押した後に自己紹介に入るもの、1992年10月のリニューアル以降はフラッシュオンクイズ→提供クレジット→CM挟んでから)で、翌週4月10日放送分からは出題者のナレーションによる紹介に。1996年10月6日放送分からは序盤終了後(パネル5枚埋まった時点が目安)に児玉が紹介し提供クレジットとCMとなった。2005年1月9日以降、オープニングクイズが終わった後に紹介する形になっている(2008年8月以降は、解答者のプロフィールのうち年齢が省略され、「今回は○○歳代の皆さん」と紹介している)。2012年4月1日放送分からは、OPアニメーションの中で4人同時に紹介されており、司会者による紹介も省略された。また、「○○歳代」はサイドパネル左側で紹介されることになった。
優勝者に関する記録
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
パーフェクト
25枚パーフェクト優勝を達成した解答者は2009年8月現在で12人。それ以降約10年10か月間にわたってパーフェクトは無かったが、2009年8月16日放送分の「高校生VS高校の先生大会」で鹿児島県のラ・サール高校の生徒が通算で12人目のパーフェクト達成者となり、これが児玉の生前最後のパーフェクト達成者となった。 なお、青の席からパーフェクトが出たことは1度もない。
- 歴代パーフェクト達成者
# | 放送 | 色 | 達成者 | 旅行クイズ |
---|---|---|---|---|
1人目 | 1977年10月2日 | ■白 | 埼玉県 女性[27] | 正解 |
2人目 | 1983年11月27日 | ■緑 | 東京都 男性 | 正解 |
3人目 | 1984年5月20日 | ■緑 | 千葉県 男性 [27][28] | 正解 |
4人目 | 1985年9月29日 | ■緑 | 福岡県 男性[29] | 正解[30] |
5人目 | 1986年12月28日 | ■白 | 東京都 女性 | 正解[31] |
6人目 | 1987年4月5日 | ■緑 | 東京都 男性[27][29] | 正解 |
7人目 | 1989年10月15日 | ■赤 | 大阪府 女性 | 不正解[32] |
8人目 | 1990年12月30日 | ■白 | 愛知県 男性 | 正解[33] |
9人目 | 1993年8月22日 | ■赤 | 大阪府 男性[27][34] | 不正解[35][36] |
10人目 | 1997年2月23日 | ■白 | 愛知県 男性 | 不正解[37] |
11人目 | 1998年10月11日 | ■緑 | 岐阜県 女性[38] | 正解[39] |
12人目 | 2009年8月16日 | ■白 | 鹿児島県 男性 | 正解[40] |
- これまでの色別パーフェクト達成者数
- ■赤:2人
- ■緑:5人
- ■白:5人
- ■青:0人
なお、5人目・8人目のパーフェクトが出たのは年間チャンピオン大会。
最低記録
優勝可能な(海外旅行挑戦権獲得)最低獲得枚数は7枚であるが、1989年1月22日の700回記念特集第2弾・「大学対抗100人の大サバイバル大会」では6枚で優勝となった。これはパネル獲得数が一番多く、「ゲーム終了時に生き残りが1人でもいること」というこの回だけの特別ルールにより、パネル獲得数が一番多かったチームがゲーム終了前に25人の解答者を全員使い果たして失格となったためである。
なお、7枚で優勝したのはこれまでに5人いる(最近では2007年10月14日放送分)。また、優勝するためには最低3問に正解する必要があるが、1985年6月9日、2000年8月6日、2008年7月27日、2012年3月4日放送分では、3問正解での優勝が起きている。
海外旅行
フィルムクイズ正解で獲得できる海外旅行は、初回から1995年9月までエールフランスで行くパリ(パリの他にニース、カンヌ、ディジョン、あるいはタヒチ)だったが、1995年10月放送分から旅行先はアメリカ合衆国(ニューヨーク・フロリダディズニーワールド)、ドイツ、スイス、ローマ、オーストリア、ミラノ、スペインと変化。そして2009年4月5日放送分からは地中海クルーズ・ペア10日間の旅と史上初のペア旅行となり、2010年6月6日放送分から憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅となった。
1975年以来、オープニング映像にエールフランスの旅客機が飛び立つ映像が使われていたが、パリ旅行中止とともに消滅した。2007年4月1日放送分で、旅行先がパリ・ミラノに変更されたことに伴って、久々にエールフランスの旅客機が飛んでいる映像が、オープニングクイズで流された(2008年4月からのスペイン・パリ旅行の時にも適用された)。
フランス旅行が中止になったのは、1995年9月5日にフランス政府が南太平洋ムルロア環礁で核実験を行ったことに対する抗議とされている。そのため、この出来事があった直後の9月10日放送分から24日放送分までの3回分、収録した日付のテロップを表示したり、優勝者決定時のテロップを「海外旅行挑戦権獲得」に変更。さらに、児玉のコメントの1つである「パリ挑戦権獲得!」を「海外旅行挑戦権獲得!」に、「エールフランスに乗れますでしょうか?」を「海外旅行獲得なるでしょうか?」と変更するなどの対応になった。
2001年4月、ようやく旅行先にパリが復活。ただし、エールフランスではなく、日本の旅行会社が主催するツアーとの提携である(2001年のみJALパックAVA、2002年から2004年まではANAハローツアー、2005年4月から2009年3月までは近畿日本ツーリスト、2009年4月からはPTS提供)。なお現在は違うが、初代司会者の児玉は長らく樫山文枝と近畿日本ツーリストのCMに出演していた。
通常旅行に行けるのは1人で、2人ペアでの旅行は、チャンピオン大会等の特別企画のみだったが、2009年4月からは、通常回でも2人ペアでの旅行獲得ができるようになった。
1995年10月のニューヨークとフロリダ・ウォルトディズニーワールドの旅に変更以降、旅行先が変更される際の1か月間は通常のオープニングクイズが旅行先にまつわるクイズに変更される。この時のVTRでは、初代司会者の児玉と出題者が実際に旅行先へ赴き、そこから出題を行う(ただし、エンディングのVTRクイズ前に出る旅行先紹介VTRは出題がなくなってからも登場)。なお、この旅行先にまつわる問題が実施される場合、読み上げ問題の間に挟まれる、通常の映像(ビジュアル)クイズと音楽の問題の合計4問のうち、1 - 2問分が削減される。ただ、2011年5月15日の一部旅行先変更の際には、音楽の問題が出題された上、出題の加藤明子アナウンサーだけが赴いた。また、2012年1月22日放送分から旅行先紹介VTRがカットされたが、これは1月13日にイタリアで発生した、コスタ・コンコルディアの座礁事故が影響したとされている。
その後、2012年4月1日放送分からスペイン・フランス・イタリアをめぐる地中海クルーズ・ペア10日間の旅に変更され、VTRクイズ出題前の旅行先紹介VTRが復活した。ただし、これまで旅行先変更のたびに行われてきた、その旅行先にまつわるクイズが出題されなくなり、代わりに新登場となったVTRゲストが登場して出題するクイズに変更された。
旅行先の変遷
()内は航空会社・旅行会社である。
- 1975年4月 - 1976年3月:パリ(エールフランス)
- 1976年4月 - 1981年5月:タヒチ(エールフランス)
- 1981年5月 - 1986年頃:パリ・ディジョン(エールフランス)
- 1986年頃 - 1991年3月:パリ(ニースも抱き合わせ)(エールフランス)
- 1991年4月 - 1995年9月:パリ・カンヌ(エールフランス)
- 1995年10月 - 2000年2月:ニューヨークとフロリダ・ウォルトディズニーワールドの旅(日本旅行→JALパックAVA)
- 2000年3月 - 2001年3月:ウォルトディズニーワールドとディズニークルーズライン8日間の旅(JALパックI'll)
- 2001年4月 - 2002年3月:ヴェネツィア・フィレンツェ・ローマとパリ10日間の旅(JALパックAVA)
- 2002年4月 - 2003年6月:パリ・ロワール・モンサンミッシェル10日間の旅(ANAハローツアー)
- 2003年7月 - 2004年3月:ドイツ・ロマンチック街道とスイス・アルプス、パリの旅(ANAハローツアー)
- 2004年4月 - 2005年3月:パリ・モンサンミッシェルプロヴァンスを巡るフランス縦断10日間の旅(ANAハローツアー)
- 2005年4月 - 2006年3月:充実のローマ・パリ9日間の旅(近畿日本ツーリスト・ホリディ)
- 2006年4月 - 2007年3月:充実のオーストリア・パリ9日間の旅(近畿日本ツーリスト・ホリディ)
- 2007年4月 - 2008年3月:充実のパリ・ミラノ9日間の旅(近畿日本ツーリスト・ホリディ)
- 2008年4月 - 2009年3月:充実のスペイン・パリ9日間の旅(近畿日本ツーリスト・ホリディ)
- 2009年4月 - 2010年5月:地中海クルーズ・ペア10日間の旅 (PTS)
- 2010年6月 - 2012年3月:憧れのエーゲ海クルーズ・ペア10日間の旅 (PTS)
- 2011年5月15日放送分から賞品自体は変わらないが、一部旅行先が変更された。
- 2012年4月 - 現在:スペイン・フランス・イタリアをめぐる地中海クルーズ・ペア10日間の旅 (PTS)
パネルボードと解答席
- 番組の要であるカラーパネルは、初期の頃で制作費1000万円ほど掛かっており、パネルの内部に赤・緑・青の蛍光灯を組み込んで、それらの色を合わせている。そのため、点灯した色にムラがあったり、点灯が乱れたり、黄色が微妙な色になったりした事がある。またパネルを開発した家電メーカーの社員がスタジオに駐在しており、パネル故障などの緊急事態に対応していた(実際トラブルが起き、収録が中断した事もあった)。
- 番組初期の頃は、25枚のパネルの左右両サイドに上向きの矢印(当時のスポンサーの東洋リノリユーム〈現: 東リ〉のマーク)を図示した10個のランプが縦並びにあり、シンキングタイム(5秒)には、シンキングのBGMとともにそのランプが下から0.5秒に1つずつ順に点灯していき、解答時間切れを表していた。
- 現在、番組を見ると、画面右端の空きエリアの部分に現在の4人取得パネル数が常時表示されている。
- 現在の解答席は8代目である。2001年9月30日放送分からパネルの枚数表示が電光から液晶に替わっている。
- 初代: 1975年4月 - 1976年3月
- 2代目: 1976年4月 - 1984年3月
- 3代目: 1984年4月 - 1986年3月
- 4代目: 1986年4月 - 1992年9月
- 5代目: 1992年10月 - 1995年9月
- 6代目: 1995年10月 - 2001年9月
- 7代目: 2001年9月30日 - 2012年3月25日
- 8代目: 2012年4月1日 - 現在
- 早押しボタンは、初期頃はキーボードのスペースキーほどの長さのボタンであり、7代目の初期頃は解答席の色と同色のカラーボタンが左右に設置された。左利きの人や特別企画で2人1組の回もあるので、その為の配慮と思われる。現在は黒いボタンである。
- 解答席の正面にはテレビモニターが設置されており、通常時や旅行を賭けたVTR問題の際に使用される。またモニターの手前に、自分や相手のパネルの獲得枚数がわかる表示板が設置されている。
- 現在のパネルボードの書体は3代目である。初代は角張っている文字、2代目はゴシック体になり、解答席と同様に、2001年9月30日放送分から3代目 (Lucida Bold) になった。
- 1995年9月まで、スタジオのパネルで表示していたが、1995年10月からテレビ放送ではCGで製作したパネルを使用している。無論スタジオのパネルは現役で使われており、2009年4月から第1問・アタックチャンス・ラストコール時にスタジオのパネルでの表示が復活した。2012年4月1日のリニューアルからは、パネルがモニターでの表示になり、位置も解答席の背後に移動した(つまりCGで製作したパネルに統一、スタジオのパネルは廃止)。
- 初代: 1975年4月 - 1984年9月(新学社「単元別漢字ノート」のページの数と同じ書体になっている)
- 2代目: 1984年10月 - 2001年9月(フォントはゴシック体)
- 3代目: 2001年9月30日 - 現在(フォントはLucida Bold)
スタジオセット
- 初代:1975年4月 - 1976年3月
- 2代目:1976年3月 - 1984年3月
- 3代目:1984年3月 - 1986年3月
- 4代目:1986年4月 - 1987年3月
- 5代目:1987年4月 - 1989年3月
- 6代目:1989年4月 - 1992年9月
- 7代目:1992年10月 - 1995年9月
- 8代目:1995年10月 - 1997年9月
- 9代目:1997年10月 - 2001年9月23日(司会者の立ち位置部分の背景のみ変更)
- 10代目:2001年9月30日 - 2004年3月(司会者の立ち位置部分の背景のみ変更)
- 11代目:2004年4月 - 2006年3月
- 12代目:2006年4月 - 2008年3月
- 13代目:2008年4月 - 2012年3月25日
- 現行:2012年4月1日 - 現在
タイトルロゴ
- 初代:1975年4月 - 1992年10月
- 台形をモチーフにしたもので、上段から「(東リ)パネルクイズ」「アタック」「25」と並べられている。
- 2代目:1992年10月 - 2012年3月25日
- 3代目:2012年4月1日 - 現在
- 「パネルクイズ」の部分のフォントが変更。また、「パネルクイズ」「アタック」の部分が少し左に移動した。
オープニングの変遷
- 1975年4月 - 1982年3月
- エールフランスの飛行機が離陸するシーン→テーマソングに合わせて、色を切り替えたり、クロマキー合成を駆使して25枚のパネルにタイトルが映し出される→アタックチャンスの黄色を含む5色のパネルがフラッシュ(時折「ア」「タ」「ッ」「ク」「25」を表示)しながら、バックにスタッフロールが流れる。最後に「25」の赤文字が浮かび上がる→司会席の児玉が「さぁ、25枚のパネルにアタックしましょう!パリです」と挨拶し、その季節ごとのパリ・フランスの風景を描写した紹介→3人が「『東リパネルクイズ アタック25』、司会の児玉清です」「問題を差し上げます○○(出題者)です」「アシスタントの○○です」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶→その回の趣旨を紹介した後、解答者の自己紹介→ギャラリーの応援席移動→提供読みという構成。この時代のテーマソングはフルコーラスで流れていた。
- 1982年4月 - 1985年3月
- 最初にパネルボード(マス目無し状態)が登場し、そこに映る飛行機離陸シーンから、パリの日中の風景が綴られた映像にのせてタイトルバック(通常のレッドバック・白文字ではなく、赤文字で映像に被せる方式)・スタッフロール、それ以降の展開は前と同じ。
- 1985年4月 - 1992年9月
- 飛行機離陸シーンに続きタイトルバック→パネルボードの前に立った児玉と豊島が「こんにちは、この時間は『パネルクイズ アタック25』でお楽しみいただきます。司会の児玉清です」「問題を差し上げます、豊島美雪です」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶した後、先週の展開を回想するやりとり→解答者の自己紹介→ギャラリーの4色別のボード札上げ→フラッシュオンクイズという構成。
- この時期からスタッフロールはエンディングに移動、出演者は本人の映像に合わせてクレジットされるようになる。
- 1992年10月 - 1994年3月
- 空港の映像→飛行機離陸シーン→タイトルバック(この代から番組ロゴが変更、CGアニメーションによる表示になった)にのせて児玉の「『東リパネルクイズ アタック25』、まずはフラッシュオンクイズでお楽しみいただきます」の挨拶と共にフラッシュオンクイズスタート→13番点灯あとにブルーバックに提供クレジット→CMと続き、児玉と出題者が「さあ、25枚のパネルにアタックしましょう!『東リパネルクイズ アタック25』、司会の児玉清です」「こんにちは、問題を差し上げます、○○です。今日もパリ目指してがんばって下さい」「どうぞ、よろしくお願いいたします」と挨拶する構成。
- 1994年4月 - 1995年9月
- スタジオをバックにタイトルが映し出される→解答席の前に立った児玉と相馬が「こんにちは、お元気でお過ごしのことと存じます『東リパネルクイズ アタック25』司会の児玉清です」「問題を差し上げます相馬宏美です」「どうぞよろしくお願いいたします」と挨拶→解答者紹介(その間、児玉と相馬はそれぞれの持ち席に移動)。
- 1995年10月 - 1996年6月
- タイトルバックは変わらず、パネルの前に立った児玉と相馬が「さぁ、25枚のパネルにアタックしましょう!『東リパネルクイズ アタック25』、司会の児玉清です」「問題を差し上げます相馬宏美です。これから30分ご一緒にクイズでお楽しみください」「どうぞよろしくお願いいたします!」と挨拶→解答者紹介へと続く。
- 1996年7月 - 1999年3月
- スタジオをバックにタイトルバックにCGのパネルボードが散乱し、それがまとまりタイトルに形成される→パネルの前の映像がアップになり、パネルの前に立った児玉と相馬が「こんにちは『東リパネルクイズ アタック25』司会の児玉清です」「問題を差し上げます相馬宏美です。さあ○○の旅を目指して頂きましょう」「どうぞよろしくお願いいたします!」(これは1996年10月以降省略)と挨拶→児玉の進行でオープニングクイズに入り、その後パネルが5枚埋まる時点まで問題が続く→解答者紹介→提供クレジット。このときのオープニングの曲はサラウンドで放送された。
- 1999年4月 - 2004年12月
- タイトルアニメーションCG→パネルの前に立った児玉が、「こんにちは、『東リパネルクイズ アタック25』、児玉清です」(2000年6月まで。後に東リが冠スポンサーで無くなった際には、東リと言わなくなった)。出題席に座っている沢木が「問題を差し上げます沢木美佳子です。今日も○○の旅を目指して頑張って下さい」と挨拶→児玉が「はい、頑張っていただきます」と言った後オープニングクイズに入り、その後数問問題が続く→解答者紹介→提供クレジット。
- 2005年1月 - 2009年3月
- オープニングクイズまでは変わらないものの、オープニングクイズが終わった後、解答者紹介→提供クレジット。
- 2009年4月 - 2012年3月
- アニメーションCGを事実上廃止し再びスタジオをバックにしたタイトルバックになった。それ以降の進行は変わらず。ただし、2011年4月17日から5月15日放送分、児玉が休養により欠席した5回分は代役となった浦川が「こんにちは、児玉さんが今回も体調不良でお休みですのでABCアナウンサーの浦川が務めさせていただきます」と挨拶。児玉逝去後最初のレギュラー放送となった5月29日放送分では一部挨拶を編集によりカットされ、6月5日放送分以降は「こんにちは パネルクイズアタック25 司会のABCアナウンサー浦川泰幸です」と挨拶することになった。2012年1月22日からは番組名を省略。
- 2012年4月 - 現在
- アニメーションCGがタイトルバックとして復活。1985年3月以来、27年ぶりにOPの中で司会・出題者が紹介された(司会・出題者の表情は毎回変えている)。それに伴い両者の自己紹介も省略され、出場解答者もOPアニメーションの中で4人同時に紹介されることになった。このアニメーションの終盤に提供クレジットが挿入され、サイドパネルにはその回の解答者の年代やオープニングクイズの出題者などが表示されることになった。提供クレジット表示終了後、浦川は「今週も始まりました“パネルクイズアタック25”」、加藤は「“地中海クルーズ・ペア10日間の旅”を目指してがんばってください」と言った後オープニングクイズに入る。
児玉時代の特徴
- 児玉は初代司会者として、番組開始当初の1975年4月から2011年4月まで約36年間務めていた。ただし、1984年10月に児玉が腹膜炎に伴う入院で、2週にわたり板東英二が代役を務めている。このことが1000回記念の時のアタックチャンスの問題にも取り上げられ、その時のVTRも放映された。
- 俳優が本業の児玉が司会を任されたのは、前身番組『クイズ・イエス・ノー』からの流れによるものだが、『アタック25』の司会では俳優らしく、その特性を生かしたキャラクターでもあり、かつパワフルな司会が人気だった。
- 2006年9月3日(第1572回)放送分の「芸能人大会」で児玉と華丸二人でのWアタックチャンスが実現し、出場者及び後方の応援席の方々まで拍手と爆笑が溢れた。また、華丸・大吉は最後の問題を答え、華丸自身で「ラストコール」をした。提供クレジットをはさみながらのエンディングでは、解答者全員で「アタックチャンス!!」の掛け声とポーズを唱和した(この方式は、2007年のチャンピオン大会でも取り入れられた)。また、この日の放送は、普段行われていない番組宣伝まで行われる程の回となり、これ以降、最低1問は、児玉の「その通り!○○!!(○○は、出された問題の答え)」と言っているシーンが映されるようになった。華丸・大吉の地元・福岡県(北部九州地区)での視聴率は19.8%(近畿地区12.9%・関東地区11.6%)を記録した。
- 2007年9月5日、フジテレビ平日正午に放送されている『森田一義アワー 笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に、児玉がゲスト出演(1年ぶり2回目)。その際に、『いいとも!』司会のタモリが「(2007年)8月頃から、アタック25で“正解!”っておっしゃってますよね、どうしてですか?(タモリの発言は8月であるが、正式には同年6月頃に始めた)」と尋ねると、児玉が「私のモノマネをして下さっている(博多)華丸さんが、“その通り!”や“結構!”と真似して下さるので、それを自分が真似しているのではないかと思い、“正解!”と言うように変えた」というエピソードを語っている。(他に「よくご存知です。○○なんだ!!」「正解!!お見事」などもあり)また、この影響か「大事な大事なアタックチャンース!!」も、現在は「大事な大事な勝負のアタックチャーンス!!」と、“勝負の”を付けて言っていた。
- 2011年5月22日の追悼特番では放送ではオフレコーディングになっていた、出題・解答時の児玉のリアクションだけを映し出した映像が公開され、「正解!!よーし来たぞ!!ウハァー」と興奮した表情などが紹介されていた。
- 当番組と制作局が同じであった『霊感ヤマカン第六感』(フランキー堺司会)にも出演し、「霊感ゲーム」の問題で児玉に対して「オセロゲーム」が出題され、正解を成し遂げていた(相手の女性軍の問題は「はさみ将棋」)。
- 児玉は出場・見学者・スタッフを気遣っていた。出場・見学者には緊張感をほぐしてもらい、番組出演に際して楽しい思い出を作ってもらいたいということで、収録の合間を利用して飴を配ったほか、スタッフとも海外ロケーション(海外旅行の紹介映像の製作時)や慰労会などで交流を深めるなど、出演者・スタッフとの絆を大切にし「ファミリー」のようにふるまっていた(前述の追悼特番より)。なお、飴配布は児玉の入院・逝去後、加藤が配布している。
- 川崎フロンターレ 2007年8月25日に川崎市等々力スタジアムで行われた日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)1部・ガンバ大阪との試合で「アタック25日」と題したコラボレーション企画を行った[41]。
その他
- 初回から数回は、初代司会者の児玉が1分間ほど、パネルの取り方等のルールを説明していた。余談だが、2009年4月から出題者となったABCの加藤明子アナウンサーが、パネルの取り方のルール説明を提供の後で紹介する場合がある。
- 解答者が正解した時に児玉がよく言っていた「その通り」の「通り」は、当時冠スポンサーだった東リ(その東リ)とかけていた。
- なお、長年のスポンサーだった東リは、アタックシリーズというパネルカーペットを販売しており、昔はパネルカーペットアタック25という商品もあった他、切り絵を趣味とした児玉の才能に着目し、スポンサー降板後も同社のラグマットに児玉のデザインを採用した商品を発売した。
- 開始当初はパネルの取り方のルールが十分に把握できず、時間切れも頻発していた。
- 中CM前になるとパネルと視聴者との両方が映るが、東リ時代、パネルの横に視覚的にシンキングタイムを表す矢印が設置されているのが見えていた。この矢印は東リのマークである。
- 競走馬にも「アタックチャンス」がいた。2000年生まれの牡馬→騸馬で、2002年にデビューしたが、平地競走10戦0勝(2着・3着各1回。4着以下8回)、障害転向後も4戦0勝(全て4着以下)の合計14戦0勝(2着・3着1回ずつ。4着以下12回)で2003年に競走馬を引退した[42]。
- かつてライバル局の毎日放送が、ちょうど重なる時間帯に近畿ローカルのクイズ番組をぶつけていた。特に『クイズGoGoZ』はネット局(北海道放送・中部日本放送・あいテレビ・RKB毎日放送)で放送されるなど好評だったが、『アタック25』には視聴率面で遠く及ばず短期間で終了している。
- 他系列がこの日曜13時台の時間帯の広告料金をゴールデンタイムより低く設定しているのに対し、ANNはゴールデンタイム並みの最高ランクの料金に設定している。これは他系列はローカル枠なのに対し、ANN系が全国ネット枠のためである。
- 最後の海外旅行挑戦権の問題において、日本国内の地名・人名に関する問題が出題される場合は、大体その地域にあるANN系列局が協力している。
- 解答の正誤判定は司会者一人で行っており、時には司会者の裁量違いで正答が不正解扱いになるケースが稀にあった(前例では宮沢りえの曲名を当てる問題で、解答者が「ノンタイトリスト=NO TITLIST」と正答したのにもかかわらず、初代司会者の児玉に「ノータイトリスト」が正解とされてしまい、不正解にされたことがある)。
- 毎日放送アナウンサーの森本栄浩は、関西学院大学の学生をしていた1983年の年間チャンピオン大会で優勝した。
- かつてABCの社員として1960 - 1980年代にかけ『お荷物小荷物』『必殺シリーズ』『ザ・ハングマンシリーズ』など数々の名作ドラマを世に送り出したテレビプロデューサーの山内久司(現・同社顧問)は、2007年5月20日放送の読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』(放送時間上は裏番組に当たる)にパネリストとして出演した際、この番組について「あんな(制作費の)安い番組やめられまへん」と褒めているとも貶しているとも受け取れるコメントをしていた。
番組休止・変更
報道特別番組の編成や年末年始を除き、編成の都合によって番組が休止になることはほとんどない。ただし、次の場合に放送の休止や放送日時の変更などが行われる。
- 毎年8月に行われる『全国高等学校野球選手権大会』の決勝戦が日曜日にあたる場合。準決勝が日曜にあたる場合はABCや準決勝進出校の地元局のみ放送日時を変更(それ以外のネット局へ裏送り)。
- 毎年11月 - 12月に放送される国内ロードレース中継(全日本大学駅伝対校選手権大会・横浜国際女子マラソン・福岡国際マラソン)の際は放送時間が繰り下げまたは休止となる[43]。
パロディ
他局でのパロディは非常に多いが、『番組ナンバーワン決定戦』(2006年放送)、『朝日放送新社屋完成記念 番組対抗No.1スペシャル 〜オールスター大集合!おめでたバトル〜』(2008年放送)といった番組対抗クイズ特番で使用するなど、ABC自身もたびたびパロディの題材にしている。
- 『ごきげん!ブランニュ』「アタック25やろう!」 - 出演者が本物のセットと出題者で普通に1回分のアタック25をやるという企画。
- 『ブラマヨ最強宣言!!』「ブラマヨのアタック25」 - 本物のセットを使い、沢木が問題読みとして出演した。
- 『クイズ!紳助くん』 - 島田紳助が初代司会者の児玉になりきって司会を担当した。
- 『夢対決2012 とんねるずのスポーツ王は誰だ!!真夏の猛特訓スペシャル』 - 木梨憲武率いる「木梨JAPAN」とワールドカップサッカー日本代表が1枚1m四方、当番組のパネルボードを模したもので、5×5、25枚のパネルをオセロ形式で奪い合う企画。2012年7月1日登場の新企画で、「サッカーオセロアタック25」が正式ゲーム名。あくまでもオセロ形式で奪い合ったパネルの獲得枚数で勝負を決めるものだったが、この企画では「アタック25」で使われている効果音の一部が使われた。
関連書籍
- 1983年11月1日に『東リ・パネルクイズアタック25』の書名で、大泉書店より発行された。大きさは新書判で、全1250問・219ページで構成されている。8 - 9ページの目次に「パリ挑戦者(向かって左)を激励する児玉清さん」という写真があるが、このときのトップ賞とパリ旅行挑戦権を獲得したのは、当時滋賀県の大学生・早川浩一だった(獲得パネル数10枚、フィルムクイズである人物・「ガンジー」を見事正解してパリ旅行を獲得。長寿番組でありながら、これまで1冊しかクイズ本が発行されていない中で、唯一掲載された挑戦者である)。
- 現在は絶版となっている。発刊から長期間経過していることもあって古書店でも探すのが難しく、ネットオークションの出品も稀で当時の定価(650円)の数倍から十数倍もの高値での落札となるケースが多い。
ゲームソフト
- 富士通パソコンシステムズ: プレイステーション版・Windows95版・Macintosh版のゲームソフト(全て1997年)を発売していた(他に100万円クイズハンターのゲームも発売された)。
- PS版: ゲーム内容はオープニングからエンディングのフィルムクイズに至るまで実際の番組(発売当時)の流れを完全に踏襲しており、司会の児玉も実写ムービーで登場するなど、番組の雰囲気の再現性は非常に高い。クイズゲームとしても、問題数の多さに加え、一度出題された問題はセーブデータに記録されて出題の優先度が下がるなど、独自の仕様により高い評価を得ている。他にもクイズだけで楽しむモードや、逆にクイズ無しでスロットマシンを使ったモードが楽しめる。また、「勝ち抜きアタック」モードで優勝し、フィルムクイズを正解すると、「ニューヨークの様々な光景」がテーマの映像が流れ、そのあとに「勝利の言葉」が表示される。この言葉、応募券とともに自身のプロフィールなどを郵送すると、先着500名にオリジナルグッズが貰えた。
- PC版: PS版では予選が無かったのに対し、こちらは応募ハガキの記入から始まり、予選の筆記試験、面接を合格できれば番組出場と、実際の番組参加手順を更に忠実に再現している(ただし、実際の予選はディレクター以上のスタッフが仕切るのに対し、このソフトではADが予選を仕切るようになっている)。
- デジキューブ(のちに倒産、現存せず): プレイステーション2版のゲームソフト(2002年)を発売していた。
- PS2版: PC版と同じく応募ハガキの記入からスタート。まれに、予選会の通知ではなく「近所のスーパーの特売」といったものが届き、その時点でゲームオーバーになることがある。オリジナル解答者を作って成績を保存する事もできる。予選もある程度再現されており、筆記試験、面接が行われる。面接の受け答えによっては、ミニゲームに挑戦することもある。本戦では、1問目はおてつき無し、アタックチャンスや旅行クイズの前にCMをはさむ(設定で省くことも可能)、パネルが規定の数だけ埋まると、「画面を見て答える問題」「音楽を聞いて答える問題」が出題されるなど、本戦の雰囲気を最大限に踏襲している。他にも専用マルチタップで最大4人まで対戦できるパーティモードがある。優勝するとプロデューサーからデジタルカメラが貰え、コントローラーの操作でスタジオ内をそのカメラで撮ることができ、それを保存しプリンターに繋げてプリントアウトすることもできる。そして児玉、沢木、プロデューサーがゲーム内で言った台詞を聞けるモードがあった(言っていない台詞は聞くことができず、全部集めるのには時間がかかる)。さらに、ある条件を満たすと、チャンピオン大会モードが追加される。また、タイトル画面でコントローラー2のR1を押すことでパネルシミュレーター機能が利用できる。なお、海外旅行挑戦権クイズに使われる音楽は著作権の都合により別の曲が使われている。
冠スポンサー
この番組の冠スポンサーは以下のように移り変わっている。2000年7月以降は冠が付かず、単に「パネルクイズ アタック25」として放送されている。
放送期間 | 冠スポンサー | 番組名 |
---|---|---|
1975年4月 - 1986年3月 | 東洋リノリユーム(一社提供) | 東リ・パネルクイズアタック25 |
1986年10月 - 1987年3月 | アルインコ(一社提供) | アルインコ・パネルクイズアタック25 |
1987年4月 - 1992年9月 | 日興證券・日興投信(各60秒) | 日興パネルクイズ アタック25[44] |
1992年10月 - 2000年6月 | 東リ(90秒または120秒) | 東リ・パネルクイズアタック25 |
1986年4月 - 9月は東洋リノリユーム・小林製薬の二社提供であったため、冠は付かなかった。アルインコは1987年4月に冠スポンサーから外れてからも翌年3月までスポンサーを継続した。
東リは上記以外にも1991年10月 - 1992年9月(30秒枠)、2000年7月 - 2002年3月(60秒枠)、2007年4月 - 2008年3月(30秒枠)にも提供したことがある。長期にわたって当番組のスポンサーだった関係から、スタジオのセットには現在も同社の製品が使われている。また、「東リ・パネルカーペット・アタック」シリーズの商品名はこの番組の名称にちなんでいる。
提供クレジットは、番組開始当初の東洋リノリユーム一社提供時代は、白地に同社のシンボルマークの大写しを使用、その後日興證券時代から複数スポンサーになってからは1996年9月29日までブルーバックが使用されていたが、その後はスタジオ映像に提供クレジットを重ねる形式となった(2012年4月からは番組オープニングと統合)。
現在番組スポンサーのひとつであるジャパネットたかたは、この番組限定のTVショッピング(CM)を毎回制作しており、高田明社長らジャパネット社員が「この時間は(商品名・機器名)にアタックします!」と言っている。
ネット局と放送時間
2012年4月現在
放送地域 | 放送局 | 系列 | 放送日時 | 備考 |
---|---|---|---|---|
近畿広域圏 | 朝日放送(ABC) | テレビ朝日系列 | 日曜 13:25 - 13:55 | 【制作局】 |
関東広域圏 | テレビ朝日(EX) | 同時ネット | ||
北海道 | 北海道テレビ(HTB) | |||
青森県 | 青森朝日放送(ABA) | |||
岩手県 | 岩手朝日テレビ(IAT) | |||
宮城県 | 東日本放送(KHB) | |||
秋田県 | 秋田朝日放送(AAB) | |||
山形県 | 山形テレビ(YTS) | |||
福島県 | 福島放送(KFB) | |||
新潟県 | 新潟テレビ21(UX) | |||
長野県 | 長野朝日放送(abn) | |||
静岡県 | 静岡朝日テレビ(SATV) | |||
石川県 | 北陸朝日放送(HAB) | |||
中京広域圏 | メ〜テレ (NBN) | |||
広島県 | 広島ホームテレビ(HOME) | |||
山口県 | 山口朝日放送(yab) | |||
香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送(KSB) | |||
愛媛県 | 愛媛朝日テレビ(eat) | |||
福岡県 | 九州朝日放送(KBC) | |||
長崎県 | 長崎文化放送(NCC) | |||
熊本県 | 熊本朝日放送(KAB) | |||
大分県 | 大分朝日放送(OAB) | |||
鹿児島県 | 鹿児島放送(KKB) | |||
沖縄県 | 琉球朝日放送(QAB) | |||
宮崎県 | 宮崎放送(MRT) | TBS系列 | 土曜 11:00 - 11:30 | 13日遅れ[45] |
- BSデジタル放送のBS朝日、CS放送のスカイ・Aでは放送されていない。
- 制作局であるABCでは、夏の高校野球の準々決勝や準決勝が日曜日と重なった場合は、放送日時を振り替える(各ANN系列局への裏送り)。
- 各ANN系列局で放送日時が変更された場合、ネットスポンサー・字幕放送はそのままとなる。また、夏の高校野球予選を放送しているANN系列局では、放送日時を変更せずに直前番組である『新婚さんいらっしゃい!』と共に当該週の放送を休止とする場合がある。
過去に放送していたネット局
※系列は放送当時の系列。
放送地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
宮城県 | ミヤギテレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
|
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1993年3月まで |
福島県 | 福島中央テレビ | ||
新潟県 | 新潟放送 | TBS系列 | |
新潟総合テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1981年4月から1983年9月まで | |
長野県 | テレビ信州 | テレビ朝日系列 日本テレビ系列 |
1980年10月開局から1991年3月まで |
富山県 | 富山テレビ | フジテレビ系列 | 2009年3月まで |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | |
福井県 | 福井テレビ | フジテレビ系列 | |
静岡県 | テレビ静岡 | ||
島根県 鳥取県 |
山陰中央テレビ | ||
岡山県 | テレビ岡山 | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
現:岡山放送、1979年3月まで 同年4月に岡山・香川両県のエリア一本化により瀬戸内海放送へ一本化 |
愛媛県 | テレビ愛媛 | フジテレビ系列 | |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | |
宮崎県 | テレビ宮崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1996年10月に宮崎放送へ移行 |
鹿児島県 | 南日本放送 | TBS系列 |
スタッフ(2012年5月現在)
- 協力:JTBグループ PTS、カガミ(旧・各務プロダクション)、東リ ほか
- 構成:高見孔二
- 問題アドバイザー:山口牧生
- 問題チェック:吉氏眞理、井上景子 (週替わり)
- 音楽:山下毅雄
- 美術:田中影洋
- ディレクター:大橋洋平
- プロデューサー:尾島憲
- 制作著作:ABC(1989年3月31日までは「朝日放送」と表記、2008年1月放送からは横長四角の「ABC」(新CIロゴ)表記になった)
過去のスタッフ
- 構成、監修:堤章三
- チーフプロデューサー:小森成樹(現・ABCリブラ代表取締役社長)
- プロデューサー:河野雅人、月村潔、吉田多満子、北條信之、野条清(元・アナウンス部長)、秋山利謙、岩城正良
- ディレクター:岡本悦治、野条清、清水雄一郎、及川瑞葉、岩城正良、鳥海久慎、小城修哉、佐々木聡子、佐藤真澄、矢野政臣、朝日源、植田貴之
1985年3月まではオープニングで出演者・スタッフが紹介されていた。
脚注
- ^ 腸捻転解消前の『東リクイズ・イエス・ノー』(毎日放送制作)の時代から換算すると37年間。
- ^ 児玉清が緊急入院、当面は検査と治療専念-芸能SANSPO.COM-(2011年4月2日記事)
- ^ “児玉清さん「胃カメラのんでおけばよかった」スタッフに漏らす”. スポーツ報知. (2011年5月20日)
- ^ 「アタック25」リニューアル!浦川アナ「児玉さんが見ていたら…」-スポニチ Sponichi Annex 芸能2012年3月23日速報記事、3月27日閲覧。
- ^ ウラウラのつぶやき(2012年3月) - 朝日放送『おはよう朝日です』サイト内。「3月23日」を参照
- ^ 2012年3月25日放送での告知より。
- ^ 浦川泰幸アナウンサーが司会になってからは、連続解答となった場合に「立て続けに赤!」や「またしても赤!」、大事なパネルを取ることが予想される場合に「ここで赤!」などと言う場合がある。
- ^ 1995年3月放送の「20周年記念グランドチャンピオン大会」では「北海道」などと、都道府県名で呼んでいた。
- ^ 2012年6月17日放送分では1問目の有名人からの出題クイズが時間切れで正解が出なかったため、2問目の2文字の漢字を当てる問題で最初の正解者が出るという珍事があった。
- ^ 『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』(2011年5月22日)より
- ^ 野口陽来、松井利樹、小森成貴、橋本隼一、橋本剛『アタック25の最適戦略』、第12回 ゲーム・プログラミング ワークショップ 2007、pp.144-147、2007
- ^ その際、テロップにも時間切れになった際のルールが表示され、CMに入る前にもサイドパネルに「ウェストミンスター寺院の鐘!」(右側パネル)「4年ぶりにスタジオに響き渡る」(左側パネル)と表記された。
- ^ この時の新聞見出しは、「大乱戦で事件発生!!」だった。
- ^ 浦川は「大正解!!」と言う時もある。
- ^ くす玉の外観は造花であるが、外観が映るのはごくまれに優勝者を応援した観客席を映し出した時に少し出る程度で、大抵は海外旅行クイズに正解し、くす玉が割られて解答者の頭上に紙テープ・紙吹雪が舞うところしか映らなかった。
- ^ ファイルにあるABCロゴは現行ロゴでなく、3代目(1989年-2007年)のものを使用している。
- ^ “【復刻】児玉さん「アタック25」への想い”. 日刊スポーツ大阪版. 日刊スポーツ. (2011年5月17日) 2011年5月17日閲覧。
- ^ UHTはUHF局だったため、スポンサーセールスや受信可能範囲等の都合から一部のNET系列番組(MBS制作を含む)を先発VHF局であるRCCの編成に残していた。
- ^ 放送当時にABCの番組に出演している、または出演経験がある。藤田は時代劇『必殺シリーズ・必殺仕置屋稼業』、石坂はドラマ『霧の感情飛行』、三枝は当番組の直前に放送されている『新婚さんいらっしゃい!』、高岡はドラマ『TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿』に出演。なお石坂はこの前年に『必殺シリーズ・暗闇仕留人』に出演していた。
- ^ a b 児玉が司会を担当していた時代はチャンピオン大会、および大学生サバイバルトーナメントの開催時には、優勝者に贈呈するためのトロフィーが用意されていた。
- ^ さようなら 児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜 - 朝日放送、2011年5月20日
- ^ ネットスポンサーはすべてパーティシペーション(PT)扱いとなり、一部企業はACジャパンのCMに差し替えた。
- ^ 同特別番組では2004年2月『徹子の部屋』(テレビ朝日制作)に児玉が出演した際に切り絵の腕前を披露する場面も紹介された。
- ^ 肖像権の関係上、ほとんどの解答者や観客にはぼかし処理がされた他、かつての冠スポンサーだった日興証券・日興投信に関して司会者席下部の「提供 日興証券・日興投信」の文字は放送時のスポンサーと異なることからぼかし処理で消されていた。ただし、1989年の「700回記念プロ野球大会」の部分を再生した「アタックチャンス」の箇所など解答席の場面での両サイドの日興証券・日興投信の看板や東リのロゴはそのまま放送されていた。
- ^ 児玉清が「アタック25」収録を欠席-芸能-SANSPO.COM(2011年4月1日記事、6月5日閲覧)
- ^ 「アタック25」児玉清の復帰を待つ!-芸能-SANSPO.COM(2011年5月10日記事、6月5日閲覧)
- ^ a b c d 1995年2月放送の1000回記念特集に出演。
- ^ 当時は立命館大学学生。
- ^ a b その年のチャンピオン大会も優勝している。
- ^ 医学部生大会で山口大学の学生だったが、ある人物・魯迅を正解。
- ^ チャンピオン大会初のパーフェクト達成者で、春に優勝した時の大学生大会はお茶の水女子大学学生で赤に座っていた。その時の旅行クイズはある都市・日光市で正解したが、その時もあわやパーフェクトという22枚を獲得、他の解答者が1枚ずつ獲得する珍事となった。
- ^ ある人物・古関裕而
- ^ ある人物・泡坂妻夫
- ^ 1986年1月30日に放送された『クイズタイムショック』の鬼特集では山口崇司会時代最後のパーフェクトを達成、賞金100万円を獲得している。
- ^ ある人物・尾崎行雄
- ^ その年のチャンピオン大会と1000回特集でも優勝したが、旅行クイズはその年のチャンピオン大会がある人物・丹下健三を答えられずに失格。1000回特集はある国・ベルギー王国を通称であるベルギーで正解、3回目にして悲願のパリ行きを達成した。
- ^ ある人物はグラハム・ハンコックだったが、「ハンコック」だけを答えた状態で児玉からフルネームでの解答を求められたものの、「グラハム」は答えられずに失格となった。
- ^ 2000年11月2日に放送された「クイズ$ミリオネア」でもパーフェクトを達成、賞金1000万円を獲得している。
- ^ ある人物・岡田斗志夫
- ^ ある国・モナコ公国
- ^ 参照:フロンターレ公式[1]
- ^ 詳細:[2]
- ^ 『全日本大学駅伝対校選手権大会』と『横浜国際女子マラソン』放送時は繰り下げ、『福岡国際マラソン』放送時はその年ごとのケースバイケース。
- ^ 1991年6月 - 11月は、損失補填問題に伴い一時降板。
- ^ 1996年10月にテレビ宮崎から移行後、2002年12月に打ち切ったが、2012年4月7日放送再開。ただし、毎月最終週を除く。遅れ放送のため、携帯サイトやスマートホンサイトでのクイズには参加できない。
外部リンク
- 朝日放送|パネルクイズアタック25
- アタック25の記録
- 関西素材 関西風味―テレビ50年 2.天国と地獄・長寿支えるドキドキ感 - 神戸新聞の連載記事(2003年5月22日)
朝日放送 日曜13:15 - 13:25枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
パネルクイズ アタック25 (1975年4月 - 1994年9月) ※13:15 - 13:45 【ここからANN系列】 |
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朝日放送 日曜13:25 - 13:45枠 | ||
パネルクイズ アタック25 (1975年4月 - ) ※13:15 - 13:45 ↓ ※13:25 - 13:55 【ここからANN系列】 |
-
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朝日放送 日曜13:45 - 13:55枠 | ||
不明
(? - 1994年9月) 【ここまでローカル枠】 |
パネルクイズ アタック25
(1994年10月 - ) ※13:25 - 13:55 【10分繰り下げ、ここから全国ネット枠】 |
-
|
テレビ朝日系列 日曜13:15 - 13:25枠 | ||
パネルクイズ アタック25
(1975年4月 - 1994年9月) ※13:15 -13:45 【ここからABC制作枠】 |
新婚さんいらっしゃい!
(1994年10月 - ) ※12:55 - 13:25 【10分繰り下げ】 |
|
テレビ朝日系列 日曜13:25 - 13:45枠 | ||
日曜演芸会
(1961年4月 - 1975年3月) (関東ローカル。地域により別編成) ※13:15 - 14:00 (枠移動=16:30 - 17:15) |
パネルクイズ アタック25
(1975年4月 - ) ※13:15 -13:45 ↓ ※13:25 -13:55 【ここからABC制作枠】 |
-
|
テレビ朝日系列 日曜13:45 - 13:55枠 | ||
パネルクイズ アタック25 (1994年10月 - ) ※13:25 - 13:55 【10分繰り下げ、ここからABC制作枠】 |
-
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