栗原浩

日本の政治家 (1900-1978)

これはこのページの過去の版です。Tsuru381 (会話 | 投稿記録) による 2011年6月3日 (金) 09:26個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

栗原浩くりはらひろし 1900年明治33年)1月16日-1978年昭和53年)8月24日)は埼玉県知事。県庁職員出身。埼玉県北埼玉郡原道村(現・加須市)出身、同町名誉町民。

略歴

この間、知事室長、出納長、副知事等を歴任
  • 1956年(昭和31年)埼玉県知事に就任(1956年7月16日~1972年7月12日)
  • 1978年(昭和53年)8月24日死去

知事引退後、埼玉医科大学理事長、校外教育協会会長、社会福祉協議会会長、共同募金会会長を歴任。県知事の職に4期16年間あり、長期政権であった。県知事であった時期と高度経済成長期が重なったこともあり、任期中には住宅・工業団地や鉄道・道路の整備に努めたほか、1963年には「総合開発計画」を決定した[1]。また、1972年に勲一等瑞宝章を授与された。

参考資料

  • 『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会 1998年

脚注

  1. ^ 「新編 埼玉県史 通史編7」p767-773、「埼玉の100人(政治編)」埼玉グラフ。


43代・第44代
大沢雄一
  埼玉県知事
45代-第48代:1956年-1972年 -
49代-第53代
畑和