神奈川県立港北高等学校
神奈川県立港北高等学校(かながわけんりつこうほくこうとうがっこう)は、全日制普通科を持つ高等学校。所在地は神奈川県横浜市港北区大倉山七丁目。
神奈川県立港北高等学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 神奈川県 |
設立年月日 | 1969年1月1日 |
創立記念日 | 12月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 14119E |
所在地 | 〒222-0037 |
外部リンク | 神奈川県立港北高等学校 公式サイト |
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概要
神奈川県のいわゆる「百校計画」実施以前の1969年設立で、9学区制時の横浜北部学区では川和高等学校、市立東高等学校に次いで開校した。(後の16学区制では横浜東部学区に所属。)・設立年は港北区が分区された年であり、緑区に移行する川和高校に替わり港北区唯一の公立高校となった。(現在、川和高の住所は都筑区、港北区には公立3高校が立地する。)
校地は新横浜地区北方の鶴見川東岸に接し、太尾小学校を挟んで太尾新道[1]の西に位置している。南には港北水再生センター北側を利用した太尾公園があり、北隣接地にはかつて金田正一が所属した当時の国鉄スワローズ練習グラウンド・合宿所が存在した[2]。当高校付近の鶴見川堤防は近年両岸ともに整備されており、地域住民の憩いの場となる他、通学路や部活動・学校活動の場として生徒にも利用されている[3]。新道沿いの太尾堤緑道は緑が豊富で、桜並木としても紹介されている。同校入口付近の桜は大柄な樹容を見せており、春には片側の並木ながら「桜のトンネル」が楽しめる[4]。
この地域は古くから「太尾」と呼ばれていたが、2009年の住居表示実施に伴い「大倉山」に変更された。最寄り駅は東急東横線大倉山駅と横浜市営地下鉄ブルーライン新羽駅の2駅だが、通学経路が平坦なこともあり、約4割の生徒は自転車で通学している[5]。
自主性を重んじる校風があり、年間行事の中で体育祭(6月)、球技大会(7月、12月、3月)、文化祭(思港祭・9月)は、いずれも生徒会を中心とした生徒自身により運営されている[5]。 生徒からの要望を受け実施された新制服の制定(2008年)では、制定作業に生徒会役員が加わった。自転車通学のし易さ、歩き易さを求める生徒の意見が取り入れられ、プリーツのスカートを採用、女子のスラックスと夏季のポロシャツが設定され、上着ボタンは生徒によってデザインされた[6]。 (⇒制服 ) また、教育のスローガンには「自学力の育成」が掲げられており、校歌の3番に歌われる『やがて大樹になるために』を合言葉に、「自己実現に向かって自ら成長し続ける港北生を育成する」[7]ための教育目標とスクールビジョン、具体的なアクションプランが策定されている。 (⇒教育の理念・特色 )
沿革
- 1968年(昭和43年)12月1日 – 設立準備室を神奈川県教育庁総務室内に開設。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)4月3日 – 第1期工事完成に伴い港北区太尾町1,895番地に移転。
- 1971年(昭和46年)
- 1973年(昭和48年)7月21日 – クラブ室完成。
- 1975年(昭和50年)12月11日 – 図書館棟完成。
- 1976年(昭和51年)12月1日 – 校歌制定。米山正夫作詞、作曲。
- 1979年(昭和54年)5月15日 – 創立10周年記念式典を行う。
- 1981年(昭和56年)4月1日 – 16学区制に変更。横浜東部学区となる。
- 1989年(平成元年)4月6日 – 1989年度入学式。11学級となる。
- 1990年(平成2年)1月11日 – 創立20周年記念行事を行う。
- 1992年(平成4年)10月1日 – 第1期校舎リフレッシュ工事。
- 1999年(平成11年)3月9日 – グラウンド補修工事。
- 2005年(平成17年)4月1日 – 全県学区に変更。
- 2006年(平成18年)12月20日 – 神奈川大学と教育連携締結。
- 2007年(平成19年)
- 1月16日 – 神奈川県立青少年センターと教育連携締結。
- 2月3日 – 専修大学と教育連携締結。
- 2008年(平成20年)
- 4月1日 – 新制服の制定。
- 11月20日 – 創立40周年記念式典を行う。
- 2009年(平成21年)10月19日 – 住居表示実施により大倉山7丁目35番1号となる。
- 2010年(平成22年)2月8日 – 仮設校舎HR教室使用開始。
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校歌
- 神奈川県立港北高等学校校歌
- 作詞・作曲:米山正夫
・同校卒業生いんぐりもんぐりの1stアルバム「卒業記念」にも校歌が収録されている。
教育の理念・特色
同校によれば、初代校長内田正三が打ち出した「一つでも良い。自分の優れた能力を見出してその芽を伸ばせる学校にしてみたい。」という理念は今日まで継承されており、生徒の自主性を伸ばし、しっかりとした学力の定着を図りながら、ひとりひとりの興味・関心に応じた進路選択を職員あげて支援する、としている[8]。
創立40周年を契機にして作られたグランドデザインでは、スクールビジョンとして、・生徒の自己実現力の育成、・地域に根ざす学校をめざすこと、・教職員の指導力結集による教育力向上、と要約される3つが示されるとともに、2つのスクールミッション、「(1)生徒一人ひとりのかけがえのない個性を尊重し、その伸長を図る。(2)多様な価値観を受容しつつ、自己実現に向かって自ら成長し続ける生徒を育成する。」を掲げている[7]。学校目標の中にも「生徒の興味・関心に応じた選択科目の充実を図り、生徒の個性や多様な進路希望に応える支援体制を整備する。」とあり、2年、3年時においては50を超える自由選択科目が用意されている[9]。そして、このような科目選択、自己実現に向けた取組みを目的意識の伴ったものとするため、1~3学年毎に 『私の未来地図 I~III 』をテーマとし学習を進めている。
さらに、スクールビジョン/ミッションを実現するため、具体的な6つのアクションプランが示されている。その6つ目には「地域・外部機関との連携強化」があり、実際に地域組織、大学、NGO等と連携して取組むことにより、上記スクールミッションの(2)、「多様な価値観を受容しつつ―。」に対応するプランの1つとなっている[10]。
また、より進学校として進んでいくことを目標に置いており、当面はアクションプランの1番目にある「学力向上に向けた取り組み」を重点的に行うこととしている。具体的には、習熟度別や少人数学習・ティームティーチングの強化による個々の生徒へのきめ細かな指導、および夏季等の長期休業中における補習・補講態勢の充実による生徒の個別学習ニーズへの対応等である。これらは現在、第2期5カ年計画として実施されている[7]。
※グランドデザインの上記以外の内容、全体の概要については、港北高等学校公式HP『グランドデザイン』[11](構成図による説明)を参照。
授業、学校活動・行事の特徴
- 修学旅行の行先は沖縄が多い。以前には生徒の希望に応じ、クラスによって行先が異なる時期もあった。
- 体育の授業は基本的に男女別だが、伝統的に3年最後の授業に限り、男女での社交ダンスが科目となっている。
- 県立高校教育力向上推進事業における「家庭・生活教育」の教育推進校となっている。地域子育て支援拠点「どろっぷ」での子供達との交流等の地域活動により、第57回全国高等学校家庭クラブ研究発表大会(青森県)での研究発表では全国第4位に相当する「全国家庭科教育協会賞」を受賞した。
- 総合的な学習の時間 『 私の未来地図 』 では社会人講師によるキャリア講習会、上級学校講座、進路講演会や大学訪問等が行われる。また、大学からのスクールライフサポートの学生受け入れや留学生との交流会、NGOや地域団体との交流や授業が実施され、異文化の理解や社会の多様な取組みに触れる。生徒は様々な角度から意見をまとめ発表を行なっている。これらの学習には生徒の主体的な姿勢を重視する開発教育の手法も用いられている。
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校舎
治水政策が整う以前の鶴見川はたびたびの氾濫に見舞われていた。そのため創立時の校舎建設にあたっては、浸水のリスクを抑えるため、1階床部分における高さを標準の設定よりかさ上げする対策がとられた。
四川大地震を受け実施された2008年の学校耐震調査では、構造耐震指標であるIs値が対象3棟すべてについて0.3を下回ると診断され[12]、校舎建て替えに向けて仮設校舎が建設された。仮設校舎使用に際しては学校生活上のマイナス面を抑える取り組みが為されているが、陸上競技トラック・フィールド上への建設のため、同施設は使用が制限される状況にある。仮設校舎は居住性を維持するため、全教室にエアコンが設置されている。2011年5月の県による発表では、耐震対策の検討結果により、2棟については耐震スリット[13]による改修、残り1棟については改築(建替え)との方針が示されている[14]。
2013年に入り本館2の取り壊しが始まる。2013年4月19日の建設工事標識設置情報によれば、本館2の新築着工は2013年11月20日、完成は2015年3月31日である[15]。
制服
1969年開校時の制服制定では 県立生田高校とともに、県内公立高としては初となるブレザータイプが採用された。当時は通学電車内等で注目されることも多く、女子のワンボックススカートと合わせ、同校受験の主要な志望動機ともなっていた[6]。
現在の制服[16]は2008年度生(39期生)着用分よりモデルチェンジされ2代目となっている。女子制服ではスカートがワンボックスタイプからプリーツタイプへと変更され、リボンおよびネクタイを追加、男女共ラペルピンが設定された。主な仕様は以下の通り[6]。
- 上着(男女)―ブレザー(シングル2つボタン・紺色・ラペルピンを設定。)
- ※ボタンデザインは2006年度生(37期生)によるもの。
- ※紺色と緑色チェックのコントラストは控えめなものである。
部活動
部活動は活発に行われており、生徒の加入率は約80%である[5]。書道部が2010年から3年連続で全国高等学校総合文化祭への参加を決めたほか、約100名が所属する吹奏楽部は市や県での上位常連であり、地域の演奏会や交流も積極的に行っている。校内陸上トラック、鶴見川堤防等恵まれた環境を持つ陸上競技部[3]、バスケットボール部等も大会での上位入賞を果たしている。
また、野球部における2003年夏の神奈川大会・対横浜高校戦は、その後も高校野球ファンの間で語られる試合である。一般には「無名」の同校野球部が、涌井秀章(現ロッテ)、成瀬善久(現ロッテ)の2枚看板を擁する春の甲子園準優勝校・横浜に対し9回1死まで1対0でリードし、最後に10点を奪われ敗れる展開は話題を呼んだ[17]。
- 文化部
- 軽音楽部
- 美術部
- 書道部
- 写真部
- 放送部
- 調理部
- 服飾部
- 漫画文芸部
- 吹奏楽部
- 茶華道部
- 運動部
- 陸上競技部
- バレーボール部
- バスケットボール部
- バドミントン部
- サッカー部
- 硬式テニス部
- 野球部
- 卓球部
- ラグビー部
- 柔道部
- 剣道部
- 水泳部
- ダンス部
旧学区
学区撤廃以前は「横浜東部学区」(1981-2004年度/以下各校)に属していた。
- 神奈川県立横浜翠嵐高等学校
- 神奈川県立鶴見高等学校
- 横浜市立東高等学校
- 神奈川県立港北高等学校
- 神奈川県立新羽高等学校
- 神奈川県立寛政高等学校(2004年平安高等学校と統合、神奈川県立鶴見総合高等学校となる。
- 神奈川県立平安高等学校(1983年開校、2004年寛政高等学校と統合、神奈川県立鶴見総合高等学校となる。
- 神奈川県立岸根高等学校(1983年開校)
- 神奈川県立城郷高等学校(1987年開校)
交通
- 横浜市営バス
- 41系統(鶴見駅西口-川向町折返場) 「太尾堤」 徒歩5分
- 41系統(中山駅北口/ららぽーと横浜-新横浜駅前) 「太尾堤」 徒歩5分
- 41系統(鶴見駅西口-新横浜駅前) 「新菊名橋」 徒歩17分
- 104系統(鶴見駅入口-新横浜駅前) 「新菊名橋」 徒歩17分
- 臨港バス
- 鶴02系統(鶴見駅西口-新横浜駅前) 「新菊名橋」 徒歩17分
※至近の「太尾小学校前」停車の市営バス6系統は、運行本数が少なく通学には適さない。
主な出身者
【50音順】
政治・経済
- 岩岡洋志(実業家、新横浜ラーメン博物館社長)
- 藤巻幸大(幸夫)(実業家、元参議院議員、元福助社長、元セブン&アイ生活デザイン研究所社長、元明治大学研究・知財戦略機構特任教授)
マスメディア・ジャーナリズム
芸能・ファッション
- 川田亜貴子(スタイリスト)
- 谷原章介(俳優)
- 富田靖子(女優)
- 水谷あつし(俳優、脚本家、演出家)
- 水野江莉花(ミュージカル女優、ダンサー)
- 皆川明(ファッションデザイナー、ミナ・ペルホネン代表、多摩美術大学美術学部客員教授)
音楽・芸術・文学
- 安藤洋子(コンテンポラリーダンサー、振付家)
- 伊東明日香(現代美術家)
- 岩佐なを(詩人、版画家)
- いんぐりもんぐり(音楽バンド)
- 岡田勉(キュレーター、アートプロデューサー)
- 菅野由弘(作曲家、早稲田大学 理工学術院 基幹理工学部教授 (表現工学) )
- 小牟田聡(ミュージシャン、作・編曲家、元A-JARI(key.) )
- 佐宗綾子(作曲家)
- SHINPEI (ギタリスト、BREAKERZ(gt.) 、MUSCLE ATTACK (vo.・gt.) )
- 鈴木朝潮(現代美術家)
- 高島信二(ミュージシャン、音楽プロデューサー、元オメガトライブ(gt.) )
- テイ・トウワ(ミュージシャン、音楽プロデューサー、DJ)
研究・教育
- 金子新(首都大学東京システムデザイン学部准教授、ヒューマンメカトロニクス、博士(工学) )
- 笹生豊(聖マリアンナ医科大学医学部准教授、整形外科学、医学博士)
- 佐藤一郎(国立情報学研究所教授、総合研究大学院大学教授併任、分散システム・プログラミング言語・ネットワーク、博士 (工学) )
- 白井肇(埼玉大学工学部教授、機能量子デバイス工学、博士 (工学) )
- 高原弘樹(東京工業大学大学院理工学研究科教授、機械物理工学、博士 (工学) )
- 中丸宣明(法政大学文学部教授、日本文学-近代文学成立期の研究)
- 長岡恭史(東進ハイスクール講師、東進衛星予備校講師、数学科)
- 永田清(大東文化大学経営学部教授、情報セキュリティ・暗号論、博士 (工学) )
- 橋秀文(美術評論、美術史家、神奈川県立近代美術館専門学芸員)
- 原田晃樹(立教大学コミュニティ福祉学部准教授、地方自治論・行政学)
- 山越康雄(米国ミシガン大学歯学部研究准教授、生体材料科学、博士(歯学) )
- 山本勲(横浜国立大学大学院工学研究院教授、応用電磁物性・磁気科学、博士 (工学) )
関連項目
脚注
- ^ 太尾小と港北高の入口表示が立つ太尾新道沿いの太尾堤緑道はかつて、現在の新横浜駅近くの鶴見川へ合流変更する前の旧鳥山川が流れていた。旧鳥山川は現在の新羽橋の下流側に存在した太尾橋付近に至り鶴見川に注いでいた。“横浜市三千分一地形図「新吉田昭16」”. 横浜市建築局 (2010年4月1日). 2011年6月10日閲覧。
- ^ 横浜市建築局 (2010年4月1日). “横浜市三千分一地形図「82-7大倉山(昭38)”. 2011年6月10日閲覧。
- ^ a b 港北高等学校公式HP (2011年5月16日). “陸上競技部”. 2011年6月10日閲覧。
- ^ 沢原馨 (2009年4月). “横浜線沿線散歩・桜咲く太尾堤緑道”. 2011年6月10日閲覧。
- ^ a b c 徹底解剖神奈川県公立高校2012. 東京学参. (2011-5). p. 107. ISBN 978-4-8080-4284-4
- ^ a b c 創立40周年記念誌「想い 港北高校の四十年」. 神奈川県立港北高等学校. (2008-11). pp. 4.8.12.16.57.76
- ^ a b c 港北高等学校公式HP (2011年6月6日). “校長室”. 2011年6月10日閲覧。
- ^ JS日本の学校 (2011年6月10日). “港北高等学校・基本情報/教育目標”. 2011年6月10日閲覧。
- ^ JS日本の学校 (2011年6月10日). “港北高等学校・学ぶこと/学校生活”. 2011年6月10日閲覧。
- ^ 第57回全国高等学校家庭クラブ研究発表青森大会(2009年7月・青森市)に於いて「地域を結び、世代をつなぐ ~心と心を結ぶネットワーク~」のテーマで全国第4位に相当する「全国家庭科教育協会賞」を受賞した。/港北高等学校公式HP (2009年12月4日). “トピックス・家庭クラブが「全国家庭科教育協会賞」受賞!”. 2011年6月10日閲覧。
- ^ 港北高等学校公式HP (2011年10月7日). “グランドデザイン” (PDF). 2011年12月8日閲覧。
- ^ Is値は「地震の震動及び衝撃に対して倒壊し、又は崩壊する危険性」について、0,3未満=「高い。」、0,3以上0,6未満=「ある。」、0,6以上=「低い。」の3段階を目安とし、神奈川県立高校の耐震化対策についてはIs値に地盤条件等も考慮した基準により、0,3以上も含め検討が行われた。
- ^ 耐震スリット工事は鉄筋コンクリート建築の柱や梁が地震によって破壊されないよう、壁との間にスリット(隙間)を設けて力を逃がす耐震工法。
- ^ 神奈川県 (2011年5月31日). “県立学校の耐震状況について”. 2011年6月10日閲覧。
- ^ 建設データバンク (2013年4月19日). “港北高校本館2 新築工事|建設工事標識設置情報”. 2014年4月4日閲覧。
- ^ a b 矢部プロカッティング (2009年9月7日). “シーガル制服・港北高等学校”. 2012年1月22日閲覧。
- ^ 高校野球思い出データベース. “2003年夏3回戦横浜vs港北”. 2011年11月23日閲覧。