小笠原道大

日本の野球指導者、元プロ野球選手

これはこのページの過去の版です。210.135.213.140 (会話) による 2006年5月17日 (水) 12:06個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (来歴・人物)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

小笠原 道大(おがさわら みちひろ、1973年10月25日 - )は、千葉県出身の北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手背番号2。ポジションは内野手(主にサードファースト)。右投左打。愛称は「ガッツ」、通称「ミスターフルスイング」。周りからはその風貌と実力から「北のサムライ」と呼ばれている。力と技を兼ね備えたパシフィック・リーグを代表する名打者の一人。

オリンピック
男子 野球
2004 野球

来歴・人物

現在は内野手だが、元々は捕手で、2年目の1998年まで捕手として登録されていた。翌1999年一塁手へ転向。この頃レギュラーに定着し、「バントをしない2番打者」として大ブレイクした(現在は不動の三番打者)。2003年三塁手に転向したがアテネオリンピックや2006年のワールド・ベースボール・クラシックなど公式戦以外では一塁を守る事が多かった。現在は一塁手出場が多いが、他の選手の采配具合によって三塁手に就く事もある。

本塁打は1998年7月7日近鉄15回戦(東京ドーム)の7回に盛田幸妃から、左手人差し指にギプスした状態で放った。この事から愛称のガッツが生まれた(後述)とされている。

2002年、2003年と2年連続で首位打者に輝き、更に1999年から2003年まで4年連続で打率3割・30本塁打を記録するなど、日本を代表する強力な打者である。2005年交流戦での不振が響き、6年振りに打率3割を下回ってしまった。それでも自己最多の37本塁打を記録した。打撃の成績が目立つが、守備でもゴールデングラブ賞を6回も受賞(後述)している。度々自己記録を更新する事や、天才と異名を取るバッティングセンスから「孤高の天才打者」と呼ばれている。

肘あてやサポーターをつける事を好まず、リストバンドも守備の時くらいしかつけないのが特徴。独特な神主打法やヒゲ、豪快なフルスイングで人気を集め、投手に威圧感を与えている。

イチローがポスティング制度でマリナーズに移籍する以前は小笠原がパ・リーグ最強の打者と言われていた(現在は三冠王松中信彦とのパ・リーグ打撃王争い)が、それは打撃のみの話しで、実際にはゴールデングラブを5回も獲得している小笠原の方が松中より総合的には実力が上なので(それに加えて小笠原は、50mでも5秒台後半でなかなかの俊足である)現在でも最強は小笠原と言われている。

WBC2006において、2次リーグ以降のヒットはメキシコ戦の先制2点タイムリー1本のみ。打率こそ低迷したが、一塁の好守備と巧走塁でチームの優勝に貢献した。決勝のキューバ戦では押し出し四球犠牲フライでチーム最多の3打点を挙げている。

2006年5月15日にプロ10年目にてFA権を取得。本人曰く、まだ使うかどうかも考えていないらしい。

略歴

通算成績(2005年シーズン終了時)

  • 打率.321(3679打数1180安打) 207本塁打 630打点 51盗塁 630三振

※2006年に通算打率(4000打数以上)の第1位(現在はレロン・リーの.320)を越える可能性がある。

タイトル

  • 首位打者 2回(2002年、2003年)※1
  • 最多安打 2回(2000年、2001年)※2
  • 最高出塁率 1回(2003年)
  • ベストナイン 4回(一塁手部門:1999年~2001年、三塁手部門:2003年、2004年)
  • ゴールデングラブ賞 5回(一塁手部門:1999年~2003年、三塁手部門:2004年)
  • IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞 1回(2000年)
  • 会長特別賞 1回(2001年)

※1、首位打者連続獲得はイチロー以来の快挙。

※2、シーズン195安打(パ・リーグ歴代2位、両リーグでは3位)を記録。

記録

  • 1000安打をリーグ史上最速で達成 ※3
  • 17試合連続得点 ※4
  • 4試合連続猛打賞 ※5

※3、1000安打史上最速で達成 ('04.07.24、リーグ新記録)

※4、'01には17試合連続得点(日本新記録)を樹立。

※5、リーグタイ記録となる、4試合連続猛打。

エピソード

  • ニックネームの「ガッツ」の名付け親は同僚の岩本勉。小笠原が骨折した小指にギプスを固めた状態で代打で出場し盛田幸妃から本塁打を打ったことや、食事をガツガツ食べることかららしい。
  • 西武松坂大輔が公式戦に初登板した試合で本塁打を放ち、松坂にプロの洗礼を浴びせた。松坂の一発病はこの一打から始まったものと言われている。
  • 私生活では二児の父であるが恐妻家でもあり、4億近くある年俸は全て妻が管理しているらしい(社会人時代、小笠原の給料が妻の給料より額が低かったため)。また小遣いも出ないらしく、試合で手に入る賞金ならば自由に使えるとのこと(プロ野球の試合は試合毎にスポンサーがつき、先制打や本塁打などの殊勲打を打つことで懸賞金や賞品等をもらえる事がある)。
  • 2006年のシーズン開幕戦(対東北楽天戦、札幌ドーム)の初打席、初球を本塁打(パ・リーグ2006年シーズン第1号本塁打)し、ファンを湧かせた。
  • 現在スラッガーと知られる小笠原だが高校通算本塁打は0本である。

関連項目