大洋デパート火災

1973年に日本の熊本県熊本市で発生した火災事故

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大洋デパート火災(たいようデパートかさい)は、1973年(昭和48年)11月29日午後1時15分に熊本県熊本市下通1丁目3番10号にある百貨店大洋デパート」(地上13階、地下1階)で起きた火災

火災発生当時は改装工事をしながらの営業で、出火したとみられる場所は2階から3階の階段の踊り場と言われている。事実上『従業員の通路』と化していた階段部分には、大量の荷物が置かれており、通路幅は狭かった。タバコの火の不始末か放火か、または改装工事の際の火花によるか、出火原因は未だに不明とされている。3階から8階の間を全焼し、買い物客や従業員、工事関係者ら104人が死亡、123人が重軽傷を負うという、日本のビル火災では大阪市千日デパート火災1972年)に次ぐ大惨事となった。

火災当時、ビルにスプリンクラーなどの防火設備などは無かった。 大洋デパートは、1975年11月に防災設備を完備し、ロゴなどを変えてイメージを一新して再開した。下通り側アーケード出入り口の1階には慰霊碑が設置された。 火災により強度を失ったコンクリート製の店内の柱を補強する為に、店内全体の柱は太くなってしまい、買い物客に圧迫感を与えてしまうとの配慮から、柱が鏡張りとなった。 しかし火災後のダメージはぬぐいきれず、翌年に倒産、廃業した。

1979年10月、大洋デパート跡地に、ユニード資本による百貨店とスーパーの複合商業施設として「熊本城屋」が開業した。その後、ユニードがダイエー子会社九州ダイエーと合併したため「城屋ダイエー」と店舗名を変更するが、現在はダイエーの直営店舗「ダイエー熊本下通店」として営業されている。


大洋デパート

エピソード

  • 火災が起こるまでは市内随一の百貨店で、当時、市民は市街地へ出かけることを「大洋に行く」と言うほどであった。
  • 朝には「朝だ元気で」(八十島稔作詞・飯田信夫作曲)、夕方には「夕焼け小焼け」(中村雨紅作詞・草川信作曲)が大洋デパートから市内一円に向けて放送され、市民に時を告げていた。
  • ニッポン放送アナウンサー荘口彰久(熊本出身)の親類がほぼ毎日のようにこのデパートに買い物に行っていたという。しかし偶然にも出火当日は「体調が悪い」と言って買い物に行かず、結果として難を逃れた。
  • この模様は急遽テレビ中継され、屋上にしか逃げる事が出来なかった人々が多量の煙に巻かれている姿を刻銘に放送している

関連項目