蜀漢

中国三国時代の国の一つ

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ショク)は、中国の地名、王朝名。地名としての蜀は現在の四川省を指す。

  1. 古国名。蚕叢・柏灌・魚鳧・杜宇・鼈霊といった王名が伝わる。紀元前316年に滅ぼされた。
  2. 三国時代劉備により建てられた蜀漢221年 - 263年)。この項で詳述。
  3. 五胡十六国の一つの成漢304年 - 347年)。または十六国に数えられない譙縦後蜀405年 - 413年)。
  4. 五代十国時代の十国の一つ。前蜀907年 - 925年)・後蜀934年 - 965年)をそれぞれ参照。

王朝としての(221年 - 263年)は、とと共に中国三国時代を形成した一国である。巴蜀(現在の四川省湖北省一帯)を領土とし、成都を都に定めた。自らはの正統を継ぐものとしてと称したため蜀漢とも称される。

文帝曹丕後漢を滅ぼして即位した時に、の命脈を保つという名目で劉備によって建国された。

多くの三国志演義関連の創作において主人公格である劉備が建国したことや、群臣に諸葛亮関羽などの人気の高い武将が集まっていることから、特別視されることも多いが、実際には三国の中でも最も弱い勢力であった。 の連合軍によって関羽と荊州を失い、引き続いて張飛と昭烈帝劉備が死んだ後は、通俗的には暗愚とされる劉禅が後を継ぎ、諸葛亮丞相として政務を執った。

諸葛亮の死後は徐々に衰退し、263年に、の侵攻を受けて劉禅は降伏。三国の中でも最も早く滅亡した。

蜀の皇帝の一覧

  1. 先主(昭烈帝、劉備、在位221年 - 223年
  2. 後主(劉禅、在位223年 - 263年)、先主の子

なお、先主・後主という名は、『三国志』がを正統とし、を正規の皇帝と認めない立場から読んだ呼び名である。