マンクス2 7100便着陸失敗事故

2011年にアイルランドで発生した航空事故

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マンクス2 7100便着陸失敗事故(マンクス2 7100びんちゃくりくしっぱいじこ)とは、マンクス2が運航する近距離定期便のフェアチャイルド・スウェアリンジェン メトロライナーが、2011年2月10日コーク空港での着陸に失敗した事故である。

マンクス2 7100便
2009年8月に撮影された事故機
事故の概要
日付 2011年2月10日
概要 操縦ミス
現場 アイルランドの旗 アイルランド コーク州コーク
北緯51度50分29秒 西経08度29分28秒 / 北緯51.84139度 西経8.49111度 / 51.84139; -8.49111座標: 北緯51度50分29秒 西経08度29分28秒 / 北緯51.84139度 西経8.49111度 / 51.84139; -8.49111
乗客数 10
乗員数 2
死者数 6
生存者数 6
機種 フェアチャイルド・スウェアリンジェン メトロライナー
運用者 マンクス2
機体記号 EC-ITP
出発地 イギリスの旗 イギリス アントリム州
ベルファスト国際空港
目的地 アイルランドの旗 アイルランド コーク州
コーク空港
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航空機と乗務員

  • 機体:フェアチャイルド・スウェリンゲン メトロライナー、機体記号:EC-ITP
  • 乗務員:2名(機長(31歳)・副操縦士(27歳))

事故の経緯

2011年2月10日、現地時間午前9時50分頃、北アイルランド首都のベルファストからアイルランドコークへ向かっていた近距離定期便である7100便が、コーク空港の滑走路17への着陸に失敗した。機体は最終着陸進入中に突然左に大きく傾き、裏返しになって滑走路17に叩きつけられた。

乗っていたのは12名で、機長と副操縦士および乗客4名の合計6名が死亡し、乗客4名が重傷を負った。アイルランドでは過去45年間で最悪の航空機事故となった[1]

7100便は濃い霧のために既に2度着陸復行をしていた。それまでは副操縦士が操縦していたが、3回目に着陸を試みた際はエンジンの出力調整だけを機長が担当した。これは飛行機の操縦は1人が行い、もう1人は計器を確認するという手順を逸脱しており、事故の引き金となった。

機体は元々左エンジンの推力が相対的に高くなっており、左に傾いた際にスラストレバーを機長が握っていたために副操縦士の反応が遅れ、最後には裏返しになってしまった。

事故原因

この事故の直接の原因はパイロットたちの操縦ミスだが、背後には数々の問題があった。

まず、機長は事故の4日前に機長になったばかりであり、機長としての乗務にまだ慣れていない状態にあった。副操縦士は雇われて3週間しか経っておらず、さらに悪いことには両名共に搭乗機であるフェアチャイルド・メトロライナーの慣熟訓練が未了だった。つまり、この7100便では実質的に新米パイロット同士が組んでいたことになり、航空業界では違反行為にあたる。通常、機長ないしは副操縦士が新人パイロットである場合、組む相手であるクルーには100時間以上の飛行経験が求められる。

また、目的地であるコークは霧が発生しやすい場所であり、そのような視界不良の起きやすい環境下では、パイロットの操縦経験や目的地への離着陸経験、地形や空港の状況の知識、さらには緊急事態に対処する能力が必要とされる。そのため、不慣れな搭乗員同士の組み合わせは尚更あってはならない状況だった。

さらに、事故機には客室乗務員がいなかったため、出発前に乗客への安全事項を説明する役割は副操縦士が行なう他なかった。本来ならば、機長と副操縦士のパイロット2人で運行する場合は、彼らは操縦に集中し、運行に備えた打ち合わせを出発直前まで行なうべきである。それに加えて、運行会社のマンクス2は、当該機を含むフェアチャイルド・メトロライナーを夜間は貨物機として使用し、昼間に旅客運行を行なっていた。ところが、本来ならば旅客運行のために座席を設置する地上スタッフがいてしかるべきであるのに、マンクス2ではパイロットたちが座席を設置する作業を行なうことが常態化していた。そのような条件下に置かれたパイロットたちには肉体的、精神的な疲労が累積し、事故当日のパイロットたちは実際にほぼ睡眠不足だったことが判明している。

そして、当日パイロットたちは着陸を焦っていた。視界不良という悪条件があり、本来ならば別の空港に着陸するべきであるが、若いパイロットたちは会社側から振替え便や代用の輸送手段などの支援を受けられず、重いプレッシャーに晒されていたため、二度着陸復航した後、三度目の着陸を強行した。この時、操縦を担当していたのは副操縦士だったが、機長がエンジン推力の調整を行なったために、副操縦士の対応にタイムラグが起きてしまった。

そして、フライトレコーダーの記録から明らかになったことは、左右のエンジン推力にバランスが取れておらず、左エンジンの方の推力が大きかったために、機長が土壇場で着陸復航を行おうとした結果、右主翼を滑走路面に叩きつけ、そのまま機体が横転した。

このような事実が明らかになり、事故調査はマンクス2という会社の実態調査に移行した。すると、マンクス2というのは、スペイン資本の会社だったが、拠点はマン島マン島空港となっており、航空会社ではなく、インターネット上でチケットを販売しているだけのいわゆるペーパーカンパニーであることが判明した。使用されていた航空機はスペインの会社の所有で整備も外注であったことに調査官たちは困惑した。さらに、当該機には事故までの106時間の飛行記録がありエンジンの推力バランスに問題を抱え続けていたにも関わらず、搭乗したパイロットたちがそのことに気付かなかったか記録しなかったため、整備時に見落とされていたことも判明する。これらの実態が明るみに出た運航会社のマンクス2は、2012年12月に倒産した。

関連項目

注釈

  1. ^ ただし、1985年6月23日に発生したエア・インディア182便爆破事件は含まれない

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