深川通り魔殺人事件
深川通り魔殺人事件(ふかがわとおりまさつじんじけん)とは、1981年(昭和56年)6月17日午前11時35分頃、東京都江東区森下二丁目の商店街の路上において発生した無差別殺人事件。
| 深川通り魔殺人事件 | |
|---|---|
| 場所 | 日本 東京都江東区 |
| 日付 | 1981年6月17日 |
| 標的 | 民間人 |
| 攻撃手段 | 包丁 |
| 死亡者 | 4人 |
| 負傷者 | 2人 |
概要
茨城県鹿島郡波崎町(現在の神栖市)出身の元トラック運転手で寿司職人の経歴を持つ男(当時29歳)が商店街の路上で、主婦や児童らを包丁で刺し、児童1人と乳児1人を含む4人が死亡、2人が重傷を負った。男は主婦や児童を刺した後、通行中の女性を商店街の中華料理店に引き連れ、女性と中華料理店の店員や家族などを人質にとった(営業時間外)。家族は店の裏口から逃げ、難を逃れたが、男は店の2階に立て篭もった。中華料理店は駆けつけた警察官に包囲され、男の説得に当たった。
しかし、男は全く応じなかった。午後6時50分頃、男の隙を見て人質の女性が逃走した。これを機に警察官が突入し、柳刃包丁を振り回し抵抗する男を取り押さえ、現行犯逮捕した。女性は軽傷を負った。猿轡をされ、白いブリーフにハイソックス姿で後ろ手に手錠を這わされて連行される男の様子(犯行時は下半身裸であったことを示す書籍もある[1]。)がテレビ中継され、世間の注目を集めた。
男は傷害事件などで7回に及ぶ逮捕歴があり、事件の約2か月前に府中刑務所を出所したばかりで、覚醒剤を常用していた。男は逮捕後、取り調べで「寿司職人になろうと面接を受けたが、断られて腹が立った。子供を持つ家族が羨ましかった、子供の父親が来たらいつでも恨みを晴らさせてやる、俺の腹を刺せばいいんだ」、「死んだ人間は、これも運命だ。俺は侍だから、殺された町人も幸せだろう」、「昨年7月に道路交通法違反で捕まるまで、覚醒剤をやっていたが、いまはやっていない。俺は正常で、今度の事は真剣な気持でやった」[2]と供述したが、科学捜査研究所の尿検査では、2,3日以内に覚醒剤を使用したものと鑑定された。しかし覚醒剤の入手方法などは、判明することはなかった[3]。
1982年12月23日に東京地裁で行われた判決公判で、裁判長は「犯行当時、覚醒剤中毒による心神耗弱状態にあった」としたが、刑事責任能力は問えるとして、無期懲役の判決を言い渡した。なお、判決理由の朗読中に、傍聴人が「その通りだ。俺にも聞こえる電波が」と叫び、退廷させられたり、東京拘置所に拘置中の被告人に対して数人の人物が面会を求め、自分も幻覚妄想に苦しめられており、被告人を支援したいと申し出た[4]。
当時、覚醒剤の第2次乱用期にあたり、中毒患者による事件が多発して社会問題化していた。また、犯人の男が逮捕された時の異様な風体や男の供述に出てくる電波という言葉が世間の耳目を集め、薬物中毒者が起こした象徴的事件となる。ただし、この「電波」という現象は、犯人の男が覚醒剤に手を染める以前から存在しており、この事件も、直接の原因は覚醒剤が原因ではないとする意見もある[5]。
テレビドラマ化
参考文献
- 佐木隆三 『深川通り魔殺人事件』 文藝春秋、1987年10月。ISBN 4167215098