山口淑子
山口 淑子(やまぐち よしこ、1920年2月12日 - )は、満州の奉天(現在は中国東北部の瀋陽)生まれの国際的女優・歌手。戦前には李 香蘭(り こうらん、Lǐ Xiānglán、北京語読みは リー・シアンラン)の芸名で、戦後は本名の「山口淑子」などの名で活躍した。結婚引退後は、テレビキャスターとしても活躍。大鷹淑子として日本の参議院議員もつとめた。
生涯
戦前・戦中~中国人スター「李香蘭」として
1920年(大正9年)、奉天(現・瀋陽)で日本人軍人の娘「山口淑子」として生まれた。「中国で生まれたからには中国人として育てる」と軍人の父親の育児方針により幼い頃から中国の言葉と文化・習慣を躾けられ、奉天の女学校在学中に、父親の友人である瀋陽銀行の頭取・李際春将軍の義理の娘分(乾女児)になり、中国名「李香蘭」(リー・シャンラン)と命名された。13歳よりイタリア人オペラ歌手マダム・ポドレソフに声楽を師事する。
国籍は日本だが、中国語に堪能だったことから満州ラジオ局の歌手を経て、日中戦争開戦の翌1938年(昭和13年)に満州国の国策映画会社満洲映画協会(満映)より中国人映画女優「李香蘭」(リー・シャンラン)としてデビュー。映画の主題歌も歌って大ヒットさせ、女優としても歌手としても中国と日本、満州国で大人気となった。完璧な中国語とその振る舞いから、中国でも日本でも中国人女優と思われていた。
戦中の日本映画では、国策映画『サヨンの鐘』などに出演。当時の日本の大スター長谷川一夫とも『白蘭の歌』『熱砂の誓ひ』『支那の夜』で共演している。当時の日本での李香蘭の人気は高く、1941年の紀元節に日劇で行われた実演公演「歌ふ李香蘭」では会場である日劇の周囲を七周り半もの観客が取り巻き、大騒動となった。この事件は「日劇七周り半事件」と呼ばれ、語り草となっている。
1943年、阿片戦争で活躍した中国の英雄・林則徐の義挙を描いた上海の中華電影有限公司、中華聯合製片公司、満洲映画協会の合作映画「萬世流芳」に林則徐の弟子の恋人役で主演し、中国全土で公開されるや、劇中彼女が歌った主題歌「賣糖歌」と共に、中国映画史上始まって以来の大ヒットとなる。なお、この151分もの長編映画であった古装片(時代劇)「萬世流芳」は、中国の阿片戦争敗北100周年記念に作られた映画で、阿片戦争の敵国・英国を日本に見立てて中国民衆を鼓舞するような内容で、1943年6月に封切られるや、空前の大ヒットになった。李香蘭は劇中、「賣糖歌」と「戒煙歌」の2曲を歌い、妖艶な雰囲気を振り撒き、中国民衆の心をつかんだ。
それまでは満州と日本で人気のあった李香蘭が、中国(当時の中華民國)でも人気女優となる。その後も上海の百代唱片公司で吹き込んだ「夜來香」「恨不相逢未嫁時」「海燕」等が大ヒットし、また愛国歌曲「防空歌」も李香蘭により吹き込まれ、中国民衆の祖国防衛意識を高めたのである。
戦後~女優「山口淑子」
『支那の夜』(中国では『上海之夜』)をはじめ、『百蘭の歌』『熱砂の誓ひ』で、抗日から転向し日本人を慕う中国人女性を演じた為、第二次世界大戦(太平洋戦争)の日本の敗戦に伴う満州国の崩壊後に漢奸(中国の売国奴・敵国協力者)の嫌疑をかけられ、上海で中華民國の軍事裁判にかかり、処刑寸前だったが、実は日本国籍であるということが証明され、無罪となった後、国外追放になり日本に引き揚げた。
1947年に本名の「山口淑子」に戻し、日本映画や新劇の舞台で活躍。主演作では、池部良と共演した1950年の『暁の脱走』などが名作として名高い。『わが生涯のかゞやける日』では森雅之と、『醜聞』では三船敏郎と共演している。シャーリー山口(シャーリー山口とも、Shirley Yamaguchi)の名でハリウッド映画やブロードウェイでのミュージカルで活躍。
その後アメリカで日系アメリカ人の彫刻家イサム・ノグチと結婚し、ヨシコ・ノグチとなるが、わずか4年で離婚。
1952年から1957年には4本の香港映画に主演し、李香蘭(Lee Hsiang Lan)の名を復活させた。(広東語読みではレイ・ヒョンラン) また同時に香港で、何曲もの主演映画の主題歌を吹き込み、それらはスタンダード・ナンバーとして、今でも全世界の中国人の間で歌い継がれている。「三年」「梅花」「少時候」「洋場十里」「心曲」「分離」等々。
1958年に日本人外交官の大鷹弘(国連大使・加瀬俊一の秘書官、三等書記官)と結婚し、大鷹淑子(おおたか・よしこ)となり、20年間演じた映画女優から引退。引退直前には原節子の呼びかけにより、芸能生活20周年記念映画として『東京の休日』が製作された。三船敏郎、池部良などの東宝オールスターが出演する豪華のものとなった。
司会者・参議院議員として
1969年に、山口淑子の名でフジテレビのワイドショー「3時のあなた」の司会者を始める。ベトナム・カンボジアや中東などの海外取材も行う。1973年には日本赤軍の重信房子とのインタビューに成功。1974年に、自由民主党から参議院議員に立候補し当選。1980年、1986年と再選され、環境庁政務次官・参院北方問題特別委員長・参院外務委員・自民党婦人局長などを1992年まで歴任する。アラブ諸国ではジャミーラの名で知られている。
おもな出演映画
「李香蘭」時代
- 蜜月快車(1938年、満映)
- 私の鶯(1938年、満映、東宝)
- 白蘭の歌(1939年、満映、東宝)
- 富貴春夢(1938年、満映)
- 冤魂復仇(1938年、満映)
- 東遊記(1939年、東宝、満映)
- 支那の夜(1940年、東宝・中華電影公司)
- 孫悟空(1940年、東宝)
- 熱砂の誓ひ(1940年、東宝、華北電影公司)
- 美しき犠牲・鉄血慧心(1941年、満映)
- 君と僕(1941年、朝鮮軍報道部)
- 蘇州の夜(1941年、松竹)
- 迎春花(1942年、満映)
- 黄河(1942年、満映)
- 戦ひの街(1943年、松竹)
- 萬世流芳(1943年、中華電影公司・中華聯合製片公司・満映)
- サヨンの鐘(1943年、松竹、台湾総督府)
- 誓ひの合唱(1943年、東宝、満映)
- 野戦軍楽隊(1943年、松竹)
「山口淑子」時代
- わが生涯の輝ける日(1948年、松竹)
- 情熱の人魚(1948年、大映)
- 流星(1949年、新東宝)
- 人間模様(1949年、新東宝)
- 果てしなき情熱(1949年、新世紀プロ・新東宝)
- 帰国(ダモイ)1949年、新東宝)
- 初恋問答(1950年、松竹)
- 暁の脱走(1950年、新東宝)
- 女の流行(1950年、松竹)
- 醜聞(1950年、松竹)
- 東は東(1951年、アメリカ映画)
- 風雲千両船(1952年、東宝)
- 霧笛(1952年、東宝)
- 戦国無頼(1952年、東宝)
- 上海の女(1952年、東宝)
- 抱擁(1953年、東宝)
- 少夫妻(1953年、香港ショウ・ブラザース 李香蘭名で主演)
- 土曜日の天使(1954年、東宝)
- 金瓶梅(1955年、香港ショウ・ブラザーズ 李香蘭名で主演)
- 白夫人の妖恋(1956年、東宝、香港ショウ・ブラザーズ)
- 神秘美人(1957年、香港・香港ショウ・ブラザーズ 李香蘭名で主演)
- 東京の休日(1958年、東宝)
- 一夜風流(1958年、香港ショウ・ブラザーズ 李香蘭名で主演)
ヒット曲
日本
- 夢の太湖船
- いとしあの星(映画「白蘭の歌」主題歌)映画の中でのみ歌唱
- 迎春花(映画「迎春花」主題歌)
- 紅い睡蓮(映画「熱砂の誓ひ」主題歌)
- 夜霧の馬車
- サヨンの歌(映画「サヨンの鐘」主題歌)
- 私の鶯(映画「私の鶯」主題歌)
- 月下の胡弓
- 乙女の祈り(映画「蘇州の夜」主題歌)
- 蘇州の夜(映画「蘇州の夜」主題歌)
- 蘇州夜曲(映画「支那の夜」主題歌)
- 支那の夜(映画「支那の夜」主題歌)映画の中でのみ歌唱
- 夜来香
- 東京夜曲
- 何日君再来(映画「上海の女」主題歌)
- そうだその意気(霧島昇・松原操 共唱)
中国(戦後の香港を含む)
- 賣糖歌(上海映画「萬世流芳」主題歌)
- 戒煙歌(上海映画「萬世流芳」主題歌)
- 恨不相逢未嫁時
- 夜來香
- 海燕
- 忘憂草
- 第二夢
- 不要告訴我
- 空閨殘夢
- 防空歌
- 蘭閨寂寂 (香港映画「金瓶梅」主題歌)
- 烏鴉配鳳凰(香港映画「金瓶梅」主題歌)
- 身世飄零 (香港映画「金瓶梅」主題歌)
- 梅花(香港映画「神秘美人」主題歌)
- 分離 (香港映画「神秘美人」主題歌)
- 歌舞今宵(香港映画「神秘美人」主題歌)
- 三年(香港映画「一夜風流」主題歌)
- 小時候(香港映画「一夜風流」主題歌)
- 情枷愛鎖(香港映画「一夜風流」主題歌)
- 十里洋場(香港映画「一夜風流」主題歌)
- 只有你
- 河上的月色
- 心曲(チャップリンのエタナリー)
ミュージカル
彼女の半生は劇団四季『ミュージカル李香蘭』(1991年初演 「ミュージカル異国の丘」「ミュージカル南十字星」と共に“昭和三部作”)となり、人気を呼び幾度となく再演され続けている。
漫画
李香蘭を演じた女優
参考図書
文献
著書
- 1974年 『誰も書かなかったアラブ “ゲリラの民”の詩と真実』サンケイ新聞社出版局、[1]
- 1979年5月 『中国に強くなる本 挨拶から食事まで 9億人の隣人と仲よくする法』かんき出版
- 1987年7月 『李香蘭私の半生』(藤原作弥と共著)新潮社、ISBN 410366701X / 新潮文庫: 1990年12月、ISBN 4101186111
- 1993年9月 『戦争と平和と歌 李香蘭心の道』東京新聞出版局、ISBN 4808304643
- 1997年8月 『次代に伝えたいこと 歴史の語り部李香蘭の半生』天理教道友社、ISBN 4807304097
- 2004年12月 『「李香蘭」を生きて 私の履歴書』日本経済新聞社、ISBN 4532164923、[2]
- 2006年3月 『チャップリンの日本』日本チャップリン協会・大野裕之篇 親交のあったチャップリンの思い出を語っている。ハリウッド時代の写真も多く収録。
関連文献
- 藤原作弥『満洲の風』集英社、1996年7月、ISBN 408781131X
- 毎日新聞社『李香蘭 二つの祖国に揺れた青春』(毎日グラフ別冊)、毎日新聞社、1991年6月、[3]
- 山口猛『哀愁の満州映画 満州国に咲いた活動屋たちの世界』三天書房、2000年3月、ISBN 4883460541
- 四方田犬彦『日本の女優 (日本の50年日本の200年)』岩波書店、2000年6月、ISBN 4000263196
- 四方田犬彦『李香蘭と東アジア』東京大学出版会、2001年12月、ISBN 4130800949
関連項目
外部リンク
- キネマ旬報データベース「山口淑子」
- 日本映画データベース「山口淑子」
- IMDb: Shirley Yamaguchi(英語)
- 中文電影資料庫: 李香蘭(中文繁體版)
- PChome 個人新聞台: 李香蘭專題網站(中国語)
- 中日新聞社: 「(「靖国」を語る)傷つけた心癒やす努力を」(2005年8月14日)
- 女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金): 「大鷹淑子副理事長に聞く」(2001年12月20日)
- 満州映画の一考察 ―李香蘭を中心として・・・―
- 松山大学法学部教授・田村譲のホームページ:山口(大鷹)淑子(李香蘭=りこうらん/リィ・シャン・ラン)