立川らく兵
立川 らく兵(たてかわ らくへい、1977年5月8日 - 、本名:中間 剛)は、日本の落語家である。落語立川流所属の二つ目[1]。
| 立川 らく兵 | |
丸に左三蓋松は、立川流の定紋である | |
| 本名 | 中間 剛 |
|---|---|
| 別名 | 立川 らく兵 |
| 生年月日 | 1977年5月8日(48歳) |
| 出身地 | |
| 師匠 | 立川志らく |
| 名跡 | 1. 立川らく兵 (2006年 - 2014年、2015年 - 2016年?) 2. らく兵 (2016年? - 2021年) 3. 立川らく兵 (2021年 - ) |
| 活動期間 | 2006年 - |
| 活動内容 | 落語家 |
| 所属 | 落語立川流 |
来歴
宮崎県宮崎市出身[2]。小学生時代には、ソフトボール部に。中学生時代には野球部、高校時代はサッカー部に所属した[3]。2006年8月、立川志らくに入門[1]。容姿が、戦争中の旧日本兵に似ているという理由で、志らくより らく兵と名付けられた[2]。2012年4月、二つ目に昇進[1]。2014年1月、飲酒を原因としたしくじりで、志らくに破門される[4]。
2015年2月、志らくに許され一門に復帰したものの、その後、再びしくじりによって亭号を剥奪され、以後、らく兵として活動していた。真打に昇進する際には、再び亭号を名乗ることができるようになると言われていたが、結局、二つ目のまま、2021年より再び亭号を名乗るようになった[2][5]。
2019年5月、師匠の志らくが主宰する劇団の稽古に一門の弟子たちが一度も見学に来なかったことから「弟子が師匠に対して興味がないのなら弟子である必要はありません」との理由で、志らく門下の二つ目7人全員が前座に降格となった。ただし、いずれも期限を決めた上での前座再修行としている[6]。その後、同年7月1日付で二つ目に復帰した[7]。
脚注
- ^ a b c “らく兵(一門of立川志らく・立川志らくホームページ)”. 2018年7月29日閲覧。
- ^ a b c “破門に続き…名誉ある立川の亭号を剥奪 談志師匠もおびえた強者!?らく兵”. 産経新聞 (2016年10月16日). 2018年7月29日閲覧。
- ^ “志らくに読ませたい らく兵の浮世日記”. 産経新聞 (2018年5月3日). 2018年7月29日閲覧。
- ^ “広瀬和生の「J亭を聴いた」(平成27年5月分)”. サンケイリビング新聞社 (2015年5月27日). 2018年7月29日閲覧。
- ^ [1]
- ^ 立川志らく、二つ目の弟子全員を前座に降格処分 - 日刊スポーツ 2019年5月21日
- ^ 立川志らく、志獅丸を真打ちに昇進「戻さないといろんな人に迷惑がかかる」 - SANSPO.COM 2019年7月14日
外部リンク
- らく兵のブログ - Ameba Blog
- らく兵 (@tatekawarakuhei) - X