Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考

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良質な記事にふさわしい優れた記事を見つけたり、作り上げたら、是非このページで推薦してみてください。あるいは、推薦されている記事を読んでみて、感じたことを投票という形でフィードバックしてみてください。記事に対するたくさんの意見や感想は、執筆者の励みとなります。

※推薦・投票の前に、選考のルールを一通りご確認ください。ルールに関する質問や意見はノートページにお願いします。

はじめに

  • 推薦・投票ができるのは下記の投票・推薦資格を満たしたログインユーザーのみとなります。
  • コメントは記事そのものに関して行ってください。

良質な記事の目安

以下に良質な記事の目安を挙げます。

推薦や、推薦された記事へコメントする際の参考としてください。

推薦の仕方

推薦の要件

ユーザー登録しており、かつ以下の条件を満たす利用者が推薦できます。

  1. 初めて編集した時から1か月以上を経過していること 
  2. その間、標準名前空間(記事名前空間)の編集回数が50回以上あること

自薦・他薦は不問です。自薦の場合はその旨を述べて下さい。また、一人が一度に推薦できる記事は3つまでです。ただし、自分が推薦した選考の1件が次の状態になった場合には、新たに1件の推薦を追加できます。

  1. 賛成票が2票以上入っており(推薦者票も含めます。条件付き賛成/反対票はコメントとして扱います)、
  2. かつ、反対票がない状態が、
  3. 48時間以上経過した場合(コメントはいくつ付いていても条件には含めません)。

なお、一度条件を満たしたら、その後の変化は考慮しません。たとえば、ある選考がある時点で条件を満たしたが、次の推薦を出す前に反対票が入ってしまった、という場合でも、新たな推薦を追加できる権利は失われません。

通常の推薦の手順


  1. 上記ボックスの[選考対象記事名]という部分を、鍵括弧[]も含めて推薦する記事名に置き換えて「選考ページを作成」のボタンをクリックします。末尾の日付は推薦した年月日であり、そのままにしてください。すると、ページ作成画面が選考ページのひな型つきでロードされるので、そのひな型を編集して投稿してください。なお、推薦者としての賛成票は任意であり、投票を控えても結構です。選考ページのひな形は下記の通り。
    === {{Page|選考対象記事名}} ===
    選考終了日時:'''{{subst:#time:Y年Fj日 (D) H:i|+14 days}} (UTC)'''
    *(推薦)推薦理由を記述。--~~~~
    *{{賛成}}:推薦者票--~~~~
    
  2. 先に作成した選考ページを{{Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/○○○_20251018}}という書式で「選考中の記事」節の一番下に追加します。
  3. 選考対象記事のノートページに{{良質な記事候補}}を貼付して選考中であることを告知します。
    書式:{{良質な記事候補|選考サブページ=○○○_20251018|よみがな=△△△}}
  4. さらに広く告知するために、Template:選考中の記事・画像一覧の選考中の記事リストに追加することもできます。

月間新記事賞と月間強化記事賞を受賞した記事の自動推薦

月間新記事賞月間強化記事賞を受賞した記事は、自動的に推薦されます。上記の推薦資格を満たすログインユーザーならどなたでも推薦の手続きをとることが可能で、自動推薦の記事については「同時期に3つまで」という推薦記事数の制限の対象外となります。推薦の仕方は上記の通常の推薦と同じです。推薦理由については、

*(自動推薦)20xx年xx月の月間新記事賞受賞記事。--~~~~

または

*(自動推薦)20xx年xx月の月間強化記事賞受賞記事。--~~~~

などとしてください。

投票の仕方

投票資格は通常の推薦の推薦資格に準じます。ただし、初編集からの期間と標準名前空間の編集回数の条件は、当該選考の開始時点で満たしている必要があります。投票資格を満たさないログインユーザーおよびIPユーザーもコメントは認められます。推薦された記事を編集・執筆した人も投票可能です。投票・コメントは記事の全文をよく読んだ上で、以下の形式で行ってください。{{条件付賛成}}、{{条件付反対}}、{{保留}}などの下記以外の形式での投票は、最終的な投票集計では{{コメント}}と同等扱いとなるのでご注意ください。

  1. *{{賛成}}:記事に対するコメント--~~~~ - 現状で問題ないとき。現状でも良質な記事と認められるが、他に改善点がある場合にはどうぞご指摘ください。
  2. *{{コメント}}:記事に対するコメント--~~~~ - あと少し手を加えれば賛成しても良いとき。問題点を具体的に指摘してください。
  3. *{{反対}}:記事に対するコメント--~~~~ - 大幅に手を加えなければ賛成できないとき。

記事に問題点がある場合は、その箇所や改善策を具体的に指摘してください。主観を交えず、出来る限り客観的な批評を行ってください。投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合があります。不適切な多重アカウントブロック逃れによる投票・コメントは除去され、投稿されなかったものとして扱われます。ただし、選考終了後にさかのぼっての取り消しは行われません。

選考期間

選考期間は記事が推薦されてから2週間です。選考期間終了時点で賛成票が3票以上かつ2/3以上の支持(支持票数が反対票数の2倍以上)がある場合は、良質な記事となります。

記事の修正や査読など選考に時間を求める意見が出た場合、どなたでも最終的な選考期間が6週間を越えない範囲で、2週間または4週間の単位で2回まで選考期間を延長することができます。

延長の希望が表明されていない場合でも、その時点の選考期間終了時に2票の賛成票があり・かつ・反対票が投じられていない場合、選考期間が2週間自動延長されます。自動延長は1回の選考に対して1回のみ適用します。また既に選考期間が最大の6週間になっている場合には適用できません。

希望により延長された選考に自動延長を適用することも、自動延長された選考に希望で延長をすることも可能です。

早期終了

以下の場合は、早期終了として選考を直ちに終了することができます。

  • 反対票のみ3票以上集まった状態が48時間継続した場合。良質な記事は見送りとなります。
  • 賛成票のみ3票以上集まった状態が48時間継続した場合。良質な記事となります。
  • 賛成票がなく、推薦者が取り下げ意思を示した場合。良質な記事は見送りとなります。
  • 推薦者が不正な多重アカウントとして無期限投稿ブロックを受け、他に有効な賛成票がない場合。良質な記事は見送りとなります。

選考が終了したら

選考が終了したら速やかに以下を実施してください。実施は推薦者でなくても構いません。

  1. 選考対象サブページ(Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/○○○_yyyymmdd)に選考結果を記入する。
  2. 選考中の記事」節から選考対象サブページ({{Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/○○○_yyyymmdd}})を除去する。
  3. 記事がTemplate:選考中の記事・画像一覧に追加されていた場合、それを除去する。
  4. Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/選考結果リストに選考対象サブページを追加する。
  5. ノートページから{{良質な記事候補}}を除去し、{{選考審査の記録}}を張り付けて結果を記入する。すでに{{選考審査の記録}}が貼られているようなら今回の結果を追記する。
  6. 選考を通過して良質な記事となった場合は、
    1. 記事本文のカテゴリ・デフォルトソートの直上に{{Good article}}を貼付する。
    2. Wikipedia:良質な記事/リストへ対象記事を追加し、分類の記事数(括弧内の数字)を更新する(今までに分類方法で議論になり、一定の方針を決めたものについて、Wikipedia:良質な記事/リスト/分類基準にまとめられています)。
    3. Wikipedia:良質ピックアップ/ダイジェスト版未作成記事リストに対象記事を追加する。
    4. Wikidataにおける記事のSitelinkにGood articleバッジを割り当てる(登録利用者のみ可能です)。

選考中の記事

現在時刻: 10月18日土曜日04:12 (UTC) (キャッシュ破棄

選考終了日時:2023年6月25日 (日) 00:04 (UTC)2023年7月9日 (日) 00:04 (UTC)

  • (自動推薦)2023年5月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2023年6月11日 (日) 00:04 (UTC)[返信]
  •   コメント 現代についての記述はともかく、「名称の由来」節、「歴史」節において、「おたくま経済新聞」「ガジェットニュース」「precious」「macaroni」といった出典を使うのはよろしくないと考えます。たとえば、「名称の由来」節の、「ビスケット生地に卵白を泡立てたメレンゲを加えていたため、かつてはメレンゲパンとも呼ばれていた」という記述などは、メロンパンの歴史について語る上でそれなりに重要なのではないかと存じますが、こういう記述があまり信頼できない資料で出典づけされているのは、良質な記事の品質水準を鑑みてあまりよいこととはいえないでしょう。--Nux-vomica 1007会話2023年6月16日 (金) 06:42 (UTC)[返信]
      返信 書籍出典を追加して指摘された情報源を除去しました。--Popbeans会話2023年6月18日 (日) 16:26 (UTC)[返信]
  • ありがとうございます。記事の問題の一端が改善されたと思います。しかし、あずきごはん様と同様、私も先述した問題が完全に解決されたとはいいがたいと考えています。
  • 東嶋(2007)および同書で参照されているサイトによれば、メロンパンのサゴヤン起源説の発端は、「メロンパンの起源はかつて帝国ホテルで焼かれていたガレットではないか」という村上信夫の推測を、沢木まひろが当時帝国ホテルでパン職人として働いていたサゴヤンと紐づけたところにはじまります。東嶋(2007)には「サゴヤンが(メロンパンの原型と想定される)ガレットを焼いた」以上の記述はありませんし、沢木のサイトにも「今のメロンパンは、ホテルのパンを見たか食べたか聞いたかした町のパン職人が、庶民のおやつ用として菓子パンにアレンジしたのではないか。」と記述されています。内藤陽介による「一般には、1910年頃、ロシア帝国の宮廷料理人だったイワン・サゴヤンが、フランスの焼き菓子ガレットを元に考案したとされています」という記述はこれの伝言ゲームのようにみえます。現行の記事においては出典の適切な重み付けがなされておらず、結果としてきわめて信頼性の低い説とある程度もっともらしい説が不適切なかたちで混在しているように思います。かなり抜本的な改稿が必要でしょう。--Nux-vomica 1007会話2023年6月20日 (火) 04:44 (UTC)[返信]
    調査ありがとうございます。たしかにこの説は正確性に難があるようです。出典の読み込みが甘く不適切な出典を付けていたことを反省しています…。他の文献も当たって改稿してみようと思います。--Popbeans会話2023年6月20日 (火) 08:12 (UTC)[返信]
  •   コメント Nux-vomica 1007さんのご意見に概ね賛同します。食品関連の発祥などについては、メディアが積極的に噂を拡散することが少なくありません。ある程度信用できる資料に依るべきと思います。--あずきごはん会話2023年6月16日 (金) 13:48 (UTC)[返信]
  1. 選考開始時点で問題となっていた、出典の信頼性の問題がクリアされている。
  2. 独自研究を含まない。
  3. 中立的な観点からの記述がなされている。
  4. スタイルマニュアルに沿った記述がなされている。言及されるべき事柄について一通り解説しており、また、記述量も30000バイト弱ある。
以上の点が全て満たされているため、「良質な記事」に推薦いたします。また、選考自体には関係ありませんが、本文中の画像の使い方が効果的で理解を助けるものであると思います。--Dokuo350会話2023年6月19日 (月) 12:16 (UTC)[返信]
  •   賛成 Popbeansさん・あずきごはんさんの指摘事項は尤もですが良質な記事の目安は満たしていると判断します。--津三会話2023年6月24日 (土) 10:37 (UTC)[返信]
  •   報告 選考終了時点で、賛成2票、反対0票より、選考期間を2週間延長。--Family27390会話2023年6月25日 (日) 01:50 (UTC)[返信]
  •   コメント由来や歴史については興味深く読ませて頂きました。しかし、「取り上げた作品」節の意味がよく分かりませんでした。何故『アンパンマン』だけを記述しているのか。そもそもメロンパンナというキャラクターがメロンパンをモチーフにしただけであって、『アンパンマン』はメロンパンを取り上げた作品ではないのではないかと思っています。『焼きたて!!ジャぱん』のクッキーメロンパンの話のように、メロンパンを元に物語が構成された話がある作品であればなんとなく理解はできるのですが・・・。--Gurenge会話2023年7月2日 (日) 09:48 (UTC)[返信]

選考終了時点で、賛成2票、反対0票より、見送り。--Family27390会話2023年7月9日 (日) 14:08 (UTC)[返信]

選考終了日時:2023年6月25日 (日) 00:04 (UTC)

  • (自動推薦)2023年5月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2023年6月11日 (日) 00:04 (UTC)[返信]
  •   賛成 すべての説明を追いかけることまではできませんでしたが、何となく何を証明しているのかはわかりました。一通りの証明や定理の概略解説、歴史などを説明できているものと思います。この定理が、力学などの分野で何かの役に立っているのか、というあたりはあるといいかもしれません。--Tam0031会話2023年6月21日 (水) 15:22 (UTC)[返信]
  •   賛成 専門性の高い内容で、真実性については判定できないものの、良質な記事の基準を満たすものと思います。上記で御指摘の「何かの役に立っているのか」に関しては、「適用」節以下で解説が尽くされているものと思います --Anesth Earth会話2023年6月24日 (土) 06:22 (UTC)[返信]
  •   賛成 良質な記事の目安は満たしていると判断します。--津三会話2023年6月24日 (土) 10:38 (UTC)[返信]

選考終了時点で、賛成3票、反対0票より、通過。--Family27390会話2023年6月25日 (日) 01:52 (UTC)[返信]

選考終了日時:2023年6月25日 (日) 00:05 (UTC)

  • (自動推薦)2023年5月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2023年6月11日 (日) 00:05 (UTC)[返信]
  •   コメント おおむね良い記事だと思うのですが、「19世紀ドイツ・社会ダーウィニズムの流入」節におけるニーチェに関する記述が気になります。ニーチェの思想が特に遺稿集『力への意志』の出版後、ナチスにより積極的に悪用されたことは事実だと思いますが、そうとして『悦ばしき知識』『アンチクリスト』執筆当時、ドイツ国内の思想潮流におけるニーチェの影響力はごく限られていたはずです。現状の記述ではそうしたことがあまり見えてこないように思えます。また、「シャルマイヤーはプレッツとは違い人種差別思想とは無縁だったため、ナチスが力を増すにつれ影響力はなくなっていったが、ヴァイマル共和国時代までは人種衛生学の主要な指導者の1人だった。」「また、作戦の「中止」後はガスよりも毒物や飢餓が殺害方法の中心となった。」「2010年、ドイツの精神医学会は、障害者の殺害に加担した事を正式に認め、謝罪した。」など、いくつかの重要な記述に出典がついていないようにみえます。--Nux-vomica 1007会話2023年6月16日 (金) 08:52 (UTC)[返信]
    • お答えします。
      • 「『悦ばしき知識』『アンチクリスト』執筆当時、ドイツ国内の思想潮流におけるニーチェの影響力はごく限られていたはずです」--->「執筆当時、あるいは存命中のニーチェに思想的影響力などほとんどなかった」と明示的に述べよ、あるいは、そのように内容を修正せよという趣旨のようですが、使用したクレーの『第三帝国と安楽死』、『「価値を否定された人々」』のどちらにもそのようなことは書かれていません。解説部分は斜め読みしかしてませんが、白水社版の『ニーチェ全集』第Ⅰ期第10巻、第Ⅱ期第4巻にもそのようなことが書かれていた記憶はありません。いずれにしても、出典を提示できない以上、現状では意に沿った改変は不可能です。「~いたはず」という推測ではなく、確実な証拠を挙げてもらえませんか。推測以上でないなら、資料を渉猟する労力を割くことはできません。
      • 「シャルマイヤーはプレッツとは違い人種差別思想とは無縁だったため、ナチスが力を増すにつれ影響力はなくなっていったが、ヴァイマル共和国時代までは人種衛生学の主要な指導者の1人だった。」--->出典をつけました。確認してください。
      • 「また、作戦の「中止」後はガスよりも毒物や飢餓が殺害方法の中心となった。」「2010年、ドイツの精神医学会は、障害者の殺害に加担した事を正式に認め、謝罪した。」--->共に、今回私が加筆する以前に書かれた部分で、私はこの箇所に関与していないのですが、一応出典を付けておきました。--HinokisOfRoma会話2023年6月18日 (日) 02:44 (UTC)[返信]
    出典の追加を確認いたしました。ありがとうございます。
    ニーチェ受容のタイムラインについてですが、渡邊二郎・西尾幹二編(2013)『ニーチェを知る事典』の「生前の反響、直後の受容」節(p. 588-595)には「ニーチェのはじめての体系的紹介は(発狂によりニーチェが著述家としてのキャリアを終えた翌年の)1890年の出来事であり、本格的な支持を得るのはそれ以後のことである」旨が記されています。--Nux-vomica 1007会話2023年6月18日 (日) 08:13 (UTC)[返信]
資料をあたってみましたが、以下の理由からT4作戦への加筆は無理と判断しました。
  1. 全巻を調べたわけではありませんが、白水社版『ニーチェ全集』の解説は、著作物の成立事情や文献学か思想的な観点からしか書かれておらず、ニーチェの受容史については得るところがない。また、優生思想に関する言及がない。
  2. 弘文堂の『ニーチェ事典』も同様で、受容史・優生思想について得るところがない。
  3. ニーチェの優生思想の観点から書かれているのはT4作戦関連の諸々の著作ですが、逆に19世紀のニーチェの受容史に関しては書かれていない。
  4. 三島憲一『ニーチェ』(岩波新書)、恒吉良隆『ニーチェの妹エリーザベト―その実像』(同学社)、マッキンタイアー『エリーザベト・ニーチェ』(白水社) などを使えば受容史については書けるが、優生思想については触れていない。
書き始めてはみましたが、結局でき上がりそうなのは単なるニーチェの受容史なので、T4作戦の記事に載せるのは不適当です。したがって、T4作戦ではなくフリードリヒ・ニーチェの記事の方に加筆することにしました。--HinokisOfRoma会話2023年6月24日 (土) 08:11 (UTC)[返信]

選考終了時点で、賛成1票、反対0票より、見送り。--Family27390会話2023年6月25日 (日) 01:55 (UTC)[返信]

選考終了日時:2023年6月25日 (日) 00:05 (UTC)

  • (自動推薦)2023年5月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2023年6月11日 (日) 00:05 (UTC)[返信]
  •   反対 英語版からの翻訳ですが、多くの誤訳があります。例えば「分割統治節」の最初の段落と次の段落の冒頭、
※太字は誤訳とそれに対応する部分
(本記事)
1945年7月17日から8月2日まで、戦勝国は戦後ヨーロッパの構想をポツダム協定に基づいて、オーデル・ナイセ線の西側を4つに分割し、4か国で臨時統治することを決めた。その4カ国とは、アメリカ、イギリス、フランス、そしてソ連であった。これらの支配地域は都市の場所ではなく、戦勝国の軍の現在位置によって、大まかに決められた。連合国統治評議委員会はベルリンについても、同様に4つに分割されることになり、160 平方キロメートルがソ連統治下に収まった。アメリカ、イギリス、フランスは都市の西側を統治下においた。
(英語版)
From 17 July to 2 August 1945, the victorious Allies reached the Potsdam Agreement on the fate of postwar Europe, calling for the division of defeated Germany, west of the Oder-Neisse line, into four temporary occupation zones each one controlled by one of the four occupying Allied powers: the United States, the United Kingdom, France and the Soviet Union (thus re-affirming principles laid out earlier by the Yalta Conference). These zones were located roughly around the then-current locations of the allied armies. As the seat of the Allied Control Council, Berlin was also divided into four occupation zones, despite the city's ___location, which was fully located 100 miles (160 km) inside Soviet-controlled eastern Germany. The United States, United Kingdom, and France controlled western portions of the city, while Soviet troops controlled the eastern sector.
(試訳)
1945年7月17日から8月2日まで行われた会議を経て、連合国は戦後ヨーロッパの運命を決めたポツダム協定を締結した。協定によりオーデル・ナイセ線西側のドイツは4つの占領区域に分割され、それぞれ米英仏ソの4か国が暫定統治することとなった(ヤルタ会談での方針の再確認)。各国が当時占領していた地域が、大まかに各占領区域として割り当てられた。連合国管理理事会が置かれたベルリンも、ソ連占領区域の内側160キロメートル東にあるにもかかわらず4つの占領地区に分割され、英米仏がベルリン西地区を、ソ連が東地区を統治することとなった。
(本記事)
東側はソ連が共産党(KPD)と社会民主党(SPD)を統合し、ドイツ社会主義統一党(SED)を結成させ、SEDはマルクス・レーニン主義であって、ソ連の傀儡ではないと主張した。
(英語版)
In the eastern zone, the Soviet authorities forcibly unified the Communist Party of Germany and Social Democratic Party (SPD) in the Socialist Unity Party ("SED"), claiming at the time that it would not have a Marxist–Leninist or Soviet orientation.
(試訳)
ソ連占領区域では、ソ連軍政本部が共産党(KPD)と社会民主党(SPD)を強制的に統合させ、マルクス・レーニン主義やソ連の傀儡にはならないとその時点では主張していたドイツ社会主義統一党(SED)を結成させた。
はじめの方だけでも以上の通りで{{要改訳}}を貼りましたが、記事全体を見直す必要があろうと思います。--Iso10970会話2023年6月17日 (土) 02:04 (UTC)[返信]
  •   コメント 今回の改稿以前の記事の主要な部分は私が書いたものであったこともあり、翻訳に基づく大規模改稿にすぐに気づいて、メインページ強化記事に推薦しました。しかし、労の多い改稿を顕彰するというつもりで推薦はしたものの、文章的に疑問はいろいろあり、月間強化記事賞では投票しませんでした。上記Iso10970さんの指摘事項の最初の文章「連合国統治評議委員会はベルリンについても、同様に4つに分割されることになり、160 平方キロメートルがソ連統治下に収まった」でも、4つに分割されるのはベルリンであり、「連合国統治評議委員会は」とはつながらないわけで、原文と比較しなくてもおかしく、推敲が必要であることは明らかでした。Iso10970さんの作成された原文との対照を見ると、さらに翻訳自体がおかしいことがわかり、これでは問題が多すぎてとても良質な記事には賛成できません。--Tam0031会話2023年6月17日 (土) 14:59 (UTC)[返信]
  •   賛成 Iso10970さん・Tam0031さんの指摘事項は尤もですが良質な記事の目安は満たしていると判断します。--津三会話2023年6月24日 (土) 10:43 (UTC)[返信]
  •   反対 誤訳が未修正のままですので、改訳が行われない限り、良質な記事への推薦は難しいかと存じます。 --Anesth Earth会話2023年6月24日 (土) 11:57 (UTC)[返信]

選考終了時点で、賛成1票、反対2票より、見送り。--Family27390会話2023年6月25日 (日) 01:58 (UTC)[返信]

選考終了日時:2023年7月5日 (水) 03:08 (UTC)


賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過。--佐藤なにが会話2023年7月1日 (土) 13:51 (UTC)[返信]

選考終了日時:2023年7月7日 (金) 16:09 (UTC)2023年7月21日 (金) 16:09 (UTC)


選考終了時点で、賛成1票、反対0票より、見送り。--Family27390会話2023年7月21日 (金) 16:34 (UTC)[返信]

関連項目