前山町 (伊勢市)
概略
現在、岡本2丁目に位置する教王山神宮寺金剛院世義寺は、天明年間に聖武天皇の勅願を奉じ、行基が前山町亀谷郷に建立したと伝えられている。中世、外宮宮域の西に移り、寛文10 年の山田の大火には幸い類焼を免れたが、神域と寺門を接するのを憂えた山田奉行によって現在地に転じた[1]。(詳しくは「世義寺」を参照)
「前山」は外宮御山に隣接し、他領とならない地勢のはずだったが、乱世の頃から一宇田郷に属した。山田から前山の薪を採るに際しては、山手と称し、年貢を一宇田郷に出していた。山田の人民はこのことを当時の奉行花房志摩守幸次に嘆願したところ、その推挙を得て、寛永16年9月10日、願いの趣向を聞き届けられ、前山の地は、先規のように神領に復した[2]。
「前山」という山
豊宮崎の南に位置する高岳である。西に至って鷲嶺と名づけられる、東に位置する内宮城の犬牙する所は鼓岳という。それぞれ一山であって連続している。内宮城からみると酉戌の位置にあたり、前山と呼ばれ、またその南は奥山と称せられる。前山の旧名は旧記に「左貴山」といい、これは「前」の意であろう。一説には、外宮城高倉山に南北に対し、その前に向うため、この名前となったという。あるいは、往古は大和都より河俣谷を経て田丸府にいたり、佐八村より宮河を渉て、前山を経て宇治郷の浦田坂に至るのを内宮に詣る途次とした、その時は外宮の前を望み到るため、前山というのだともいわれる。現在は外宮城の後ろにあって、前山と称すべき意はない。古今の沿革は未詳で、江戸後期、佐八より谿路を経て間道があるが、樵夫の路であり古昔の官遣の形勢ではない。これは田丸城以東の村落の詣人が私的に通った路なのであろうと思われる。当時の土俗では旧る道と称せられた[3]。
小字
長尾谷、 名吉谷、 東山、 亀谷郡、 中之尾、 河原谷、 西ノ屋敷、 井戸谷、 白石、 前林、 赤谷、大曽谷、 境目谷、 一之谷、 西山、 小長谷、 長谷、 鞍骨、 室ヶ谷、 宮出河内、 峯、 茶ノ木谷、 口ナシ、 八島、 久保垣外、 蚖谷(まむしだに[4])、 大倉谷、 大倉谷西側、 松尾、 笹尾、 赤穂谷、 南谷、 大倉南谷、 割谷、 鍛冶屋谷、 行員谷、 鍋ヶ谷、 谷田、 赤坂谷、 西世古谷、 杣ヶ谷、 口城山、 小田子、 奥城山及び馬谷[5]
脚注
- ^ “近世伊勢参宮名所図会古市周辺 2023年9月1日”. 2025年1月8日閲覧。
- ^ 度会郡誌.小川稠吉.1897.p73(「世々の惠」)
- ^ 前山名称『勢陽五鈴遺響』
- ^ “稀少地名漢字リスト - 三重県”. pyrite.s54.xrea.com. 2023年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月8日閲覧。
- ^ “三重県第1865号”. 三重県. 2023年1月8日閲覧。