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TS衛生兵さんの戦場日記 | |
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ジャンル | ファンタジー・戦記 |
小説 | |
著者 | まさきたま |
イラスト | クレタ |
出版社 | KADOKAWA |
掲載サイト | ハーメルン・小説家になろう |
レーベル | ファミ通文庫 |
発行日 | 2023年7月29日 - |
連載期間 | 2021年12月14日 - 2024年10月30日 |
巻数 | 4 |
話数 | 207 |
漫画 | |
原作・原案など | まさきたま |
作画 | 耳式 |
出版社 | KADOKAWA |
掲載サイト | 電撃コミックレグルス |
レーベル | 電撃コミックスNEXT |
発表期間 | 2023年8月25日 - |
巻数 | 2 |
テンプレート - ノート | |
プロジェクト | 漫画 |
ポータル | 文学・漫画 |
TS衛生兵さんの戦場日記は、まさきたまによる日本のライトノベル、及びそれを原作とする漫画。小説投稿サイトハーメルンや小説家になろうで連載され、ファミ通文庫より2023年7月に書籍化された。電撃コミックスNEXTにて漫画版も発売されている。
概要
2021年12月、ハーメルンにて『TS衛生兵さんの成り上がり』というタイトルで連載開始。2023年1月より小説家になろうでも連載を開始し、2024年10月に本編が完結。2023年7月よりファミ通文庫にて書籍版が出版されている。書籍化の際、第1巻の内容には「成り上がり」要素が少ないという理由からタイトルを『TS衛生兵さんの戦場日記』に変更した。2023年8月より、電撃コミックレグルスにてコミカライズ版が連載、2024年2月には電撃コミックスNEXTよりコミカライズ版の単行本が出版されている。
「次にくるライトノベル大賞2023」にて単行本部門1位を獲得している。
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フランクフルト大聖堂 | |
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Kaiserdom Sankt Bartholomäus | |
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北緯50度6分38秒 東経8度41分6秒 / 北緯50.11056度 東経8.68500度座標: 北緯50度6分38秒 東経8度41分6秒 / 北緯50.11056度 東経8.68500度 | |
所在地 | フランクフルト |
国 |
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教派 | ローマ・カトリック教会 |
ウェブサイト |
www |
歴史 | |
守護聖人 | バルトロマイ |
聖遺物 | 聖バルトロマイの頭蓋骨の断片 |
建築物 | |
現況 | 現存 |
用途 |
大聖堂 教区教会 |
様式 | ゴシック様式 |
建設年 | c. 7世紀 |
完成 |
1550年 1950年代(再建) |
建築物概要 | |
塔数 | 1 |
塔の高さ | 95m(尖塔含) |
管轄 | |
主教区 | リムブルク教区 |
教会管区 | ケルン大司教区 |
関係平信徒 | |
音楽監督 | アンドレアス・ボルツ |
フランクフルト大聖堂(ふらんくふるとだいせいどう、独: Frankfurter Dom)、正式には聖バルトロマイ帝国大聖堂(独: Kaiserdom Sankt Bartholomäus)は、ドイツのフランクフルト中心部に位置するゴシック様式の大聖堂。
この聖堂は同市で最大の宗教建築で、かつては協同教会でもあった。一般に英語ではCathedral(大聖堂)と呼ばれているにもかかかわらず、真の意味で大聖堂であった、つまり司教座聖堂であったことはない。しかしその重要性から、Kaiserdom(帝国大聖堂)と呼ばれている。神聖ローマ帝国の皇帝を選ぶ選挙とその戴冠式が行われていたことから、特に19世紀には国家統一の象徴となっていた。
現在の建物は3度目の再建を経た姿である。19世紀後半からの発掘調査によって、少なくとも7世紀まで遡る建物が発見されている。この聖堂は古くは皇帝居城の宗教的対となる建造物であり、フランクフルトの街、旧市街の歴史と密接に関わっている。
歴史
フランクフルト大聖堂は帝国の協同教会であり、ドイツ語ではDom と呼ばれた。これは全ての協同教会のことを指す提喩であり、大聖堂と訳されるのが一般的である。この大聖堂は14世紀から15世紀にかけて、メロヴィング朝時代の教会跡の上に建築された。
1356年に神聖ローマ皇帝カール4世によって金印勅書が発されて以降、神聖ローマ皇帝はこの聖堂でドイツ王として選出され、1562年から1792年にかけては皇帝選挙も行われた。選挙は聖歌隊室(Hochchor )の南側に選挙のために造られた礼拝堂(Wahlkapelle )で行われ、選出された交代の塗油とローマ王としての戴冠は聖バルトロマイの頭蓋の一部が安置されていると信じられている中央祭壇で行われた。
フランクフルトが世俗化した際、残存していたカトリック教会と教会財産は市によって接収されたが、教会建物の利用はそこの教区に委ねられた。こうして大聖堂は市所有の教会となり、カトリックやルター派の信徒によって利用されるようになった。
フランクフルト大聖堂は、特に19世紀にかけてドイツ国家統合の象徴となった。司教座聖堂ではなかったものの、その大きさと戴冠をはじめとする政治上の役割によって、帝国の歴史のなかでも重要な建造物となった。
1867年、フランクフルト大聖堂は火災により破壊され、現在の姿に再建された。第二次世界大戦中の1943年10月から1944年3月にかけて、フランクフルト旧市街は連合国空軍の6度に渡る空襲で壊滅した。特に1944年3月22日のイギリス空軍による攻撃では、木造家屋を中心とする千棟以上の建物が破壊された。この空襲で大聖堂も甚大な被害を受け、内部は完全に焼失した。現在の建物は1950年代に再建された姿である。
フランクフルト大聖堂聖歌隊学校
フランクフルト大聖堂聖歌隊学校(独: Frankfurter Domsingschule)は、2011年に設立されたエキュメニカルな混声合唱団で、ミサやイーブンソングだけでなく、公式のレセプションや開会式にも参加している。フランクフルト大聖堂聖歌隊学校は宗教的な所属に関係なく、全ての歌手に年齢に応じた
登場人物
少女と怪物の物語
- 白い少女 / フィオ
- 声 - 長江里加
- 貴族によって支配されている国で最下級の身分「山羊の民」として暮らす少女。毎夜『檻』に閉じ込められる悪夢に苦しんでいた。
- 黒き怪物 / レヴァニア
- 声 - 川原元幸
- 人間の夢を喰らう魔物。『檻』で出会ったフィオの夢を食べ続けた末、フィオから人間の姿を奪ってしまう。フィオを人間に戻すため、『檻』を巡って武器の記憶を修復する旅を始めた。
- ママ
- 声 - 原由実
- 「ママ」を自称する謎の存在。『檻』について詳しく、レヴァニアを先導する。その正体は、月面サーバーの管理補助を担う「ポッド006」。
- 運送屋 / 運送屋代理[注 1]
- 声 - 会一太郎
- ママに似た形状の存在。帽子と鞄を身に付けている。
- 流浪の少年 / リオン
- 声 - 皆川純子
- ある王国の第一王子だった少年。持病の悪化により父王から捨てられ、ディミスと共に放浪の旅をするようになる。
- 義肢の狩人 / フレンリーゼ
- 声 - 福原綾香
- 森の中の小さな村で狩りをして暮らしていた女。人間を機械兵に改造するというリオンの王国の計画に巻き込まれ、妹もろとも拉致される。下半身を改造されたうえ妹を喪って以降、復讐のために生きるようになる。
- 機械仕掛けの兵士 / ディミス
- 声 - 佐藤拓也
- リオンの王国で開発された旧型の機械兵。欠陥品として王城の地下に廃棄されていたが、そこに追いやられてきたリオンとの出会いから「意志」を獲得。その後は彼の忠実な従者として動く。
- 暗殺者 / アケハ
- 声 - 喜多村英梨
- とある大名に仕える殺し屋の女。卓越した剣の腕を持ち、主からの信頼も厚い。
- 山に挑み続ける者 / アルゴー
- 声 - 山路和弘
- 数々の名峰を踏破してきた、壮年の冒険家。家族のことを顧みずに未踏峰に挑み続け、その末に遭難死する。
- 白衣の男 / 063y[注 2]
- 声 - 堀内賢雄
- 「花」に支配された世界で「花」と戦うために造られたクローン兵の男。
- 白衣の女 / F66x[注 3]
- 声 - 佐藤聡美
- 「花」に支配された世界で「花」と戦うために造られたクローン兵の女。
- 山男の娘
- アルゴーの娘。父の背中を追うように、冒険家として世界を旅している。
- 声 - 夏谷美希
- 復讐の少年軍人 / ラルス
- 声 - 小野賢章
- 後悔の青年軍人 / グリフ
- 声 - 白井悠介
- 封印されていた少女 / ノエル
- 声 - ゆかな
太陽と月の物語
- 女子高校生 / 明城 陽那
- 声 - 市ノ瀬加那
- 男子高校生 / 暮染 佑月
- 声 - 内山昂輝
- パパ
- 声 - てらそままさき
- 黒いママ[注 4]
- 声 - 堀江由衣
- 赤さん
- 声 - 竹内良太
- 銀髪の魔女 / サリュ
- 声 - 茜屋日海夏
- 醜き獣人 / プリエ
- 声 - 大和田仁美
- 仮想世界の歌姫 / マリー
- 声 - 田所あずさ
- 電脳社会の帝王/ ユリィ
- 声 - 戸松遥
- 若き船乗り / ユディル
- 声 - 木村良平
- 妖しげな占い師 / サラーファ
- 声 - 安済知佳
- 黒い鳥の姉妹
- 声 - 栗坂南美
ヒトと世界の物語
大統領部隊表彰
大統領部隊表彰 대통령 부대 표창 | |
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大韓民国大統領による賞 | |
種別 | 部隊勲章 |
受章資格 | 朝鮮戦争において国連軍の一部として韓国の防衛に参加した部隊を含む、韓国軍および外国軍部隊 |
受章条件 | 韓国への卓越した貢献 |
状態 | 現行 |
大統領部隊表彰 (朝鮮語: -대통령 부대 표창) は、国防に関して卓越した貢献をした部隊に授与される、大韓民国の勲章。朝鮮戦争中の国連軍への貢献を鑑み、戦争中には全アメリカ軍部隊に大統領部隊表彰を受賞することが認められた。
公式には、「大統領部隊表彰」という名の勲章は存在しない。これは地方政府、軍部隊、病院などに授与される「大統領表彰」の一形態である。
着用形式
大統領部隊表彰は、韓国軍の制服では右胸に着用される。記章は幅35 mmで、金色のフレームで囲まれている。記章は白地で、中央に直径6 mmの太極模様が配されており、その両端には5 mmのハンター・グリーン、0.4 mmの白、0.4 mmのオールドグローリーレッド、0.4 mmの白、0.4 mmのハンターグリーンで構成されたストライブが配されている。この記章は追加のデバイスの着用が許可されていないが、朝鮮戦争退役軍人の写真の中には銅星を付けた例も見られる。
大統領部隊表彰を授与された外国軍人は、制服の右側 (例: アメリカ陸軍) あるいは左側 (例: アメリカ海兵隊、アメリカ沿岸警備隊、アメリカ空軍) に、他の勲章の略綬とともに着用される。
著名な受章部隊
朝鮮戦争
- 第1海兵師団 (アメリカ海兵隊) - 1950年10月26日から1953年7月27日にかけての、仁川上陸作戦、第2次ソウルの戦い、長津湖の戦いを含む作戦行動に対して
- 第58架橋工兵中隊[訳語疑問点] - 仁川上陸作戦、長津湖の戦いにおける第X軍団での架橋作戦実施に対して
- 第7歩兵師団 (アメリカ陸軍) - 3回受章している。最初は仁川上陸作戦で、2回目は1950年から1953年にかけての貢献に対して、3回目は朝鮮半島への1945年から1948年、1953年から1971年までに渡る駐屯に対して。
- 国連軍フランス大隊 - 米第23歩兵連隊麾下で2回受章
- イタリア赤十字軍団第68野戦病院
- トルコ旅団 - クムヤンジャンニの戦いにおいて、自軍の3倍の規模の中国軍を撃退した功績に対して
- 第65歩兵連隊 (アメリカ軍) - 2回受章している。1回目は議政府の戦いでの功績に対し、2回目は717高地の「鉄の三角地帯 (Iron Triangle )」と呼ばれる地域での功績に対して
- 第2飛行隊 (南アフリカ空軍) - 「この部隊は朝鮮半島の国連軍を支援するため南アフリカから派遣された。P-51を装備したこの部隊は、第8軍の支援を継続的に行った。隊員の勇敢さと献身により高い評価を得てきたが、パイロットの損失は大きかった。割り当てられたすべての任務を快くこなし続け、通常期待される以上のパフォーマンスを発揮している。」
- 第16野砲兵連隊 (ニュージーランド陸軍)
アメリカ空軍の装備品一覧
弾薬
火器
航空機
陸上車両
名称 | 画像 | 種別 |
---|---|---|
HMMWV | 装甲車 | |
R-5 | 給油車 | |
R-9 | 給油車 | |
R-11 | 給油車 | |
C300 | 給油車 |
制服
名称 | 画像 | 備考 |
---|---|---|
ACU | OCPを使用。ABUは2021年4月に退役した。 | |
フライトスーツ | 航空機搭乗員、ミサイル部隊所属兵はノーメックス製のオリーブグリーンまたはデザートタンの防火飛行服を着用する。 |
エイブル・アーチャー83
エイブル・アーチャー83(英語: Able Archer 83)は、1983年11月にNATOがヨーロッパで行った、核戦争の勃発を想定した軍事演習である。
概要
エイブル・アーチャー演習はNATO軍によって毎年行われる軍事演習であり、その目的はNATOとワルシャワ条約機構との緊張がエスカレーションし、アメリカがデフコン1を宣言して核攻撃を行う状況をシミュレーションすることであった。11月7日から5日間に渡って開催された1983年のエイブル・アーチャー演習は西ヨーロッパ全域のNATO軍司令部が参加し、ベルギーのモンス郊外に所在する欧州連合軍最高司令部(SHAPE)で統括された。この演習では前年までに見られなかった新しい要素が導入された。新しい型式の暗号通信、無線封止、政府首脳の参加などである。これらの要素は演習の現実味を増し、ヨーロッパへのパーシングII弾道ミサイルの配備予定と相まって、ソ連共産党政治局や軍司令部の一部がエイブル・アーチャー83が実際の核攻撃の予兆を隠蔽するための偽装であると信じるに至った。そのため、ソ連は核戦力や東ドイツ・ポーランドの航空戦力を臨戦態勢に置いた。核戦争の脅威は、アメリカ軍のレナード・H・ペルーツ中将がワルシャワ条約機構の軍事行動に反応しないよう助言し、演習が11月11日に終了したことで収束した。
この演習は、大統領情報活動諮問会議の1990年の報告書が2015年に機密解除されたことで注目を集めた。一部の学者は、エイブル・アーチャー83がキューバ危機以来最大の核戦争の危機であったと主張している。一方、そのような見解に異議を唱える学者も少なくない。
背景
RYAN作戦
エイブル・アーチャー83に関する核戦争の危機の最大の原因は、この演習の2年以上前に遡る。1981年5月に開催されたKGB高官とソ連首脳部の秘密会議において、ソ連共産党書記長レオニード・ブレジネフとKGB議長ユーリ・アンドロポフはアメリカがソ連への核攻撃準備を行っていると端的に述べた。
この脅威に対抗するため、アンドロポフはKGBとGRUの対外諜報部門がRYAN作戦を開始すると宣言した。RYANとはロシア語で「核攻撃」を意味する"Raketno Yadernoe Napadenie "の略であり、これはソ連史上最大かつ最も包括的な平時の諜報作戦だった。この作戦の下、諜報員たちは核攻撃の決定を下す指導者、攻撃を実行する技術者や軍関係者、核施設の監視を任務とした。RYAN作戦の目的は、核攻撃の予兆を察知し、それを未然に防ぐことであった可能性がある。
RYAN作戦が実施されたきっかけは不明である。KGB出身の亡命者の中で最も階級の高かったオレグ・ゴルジエフスキーは、RYAN作戦を「レーガンの攻撃的な言動とソ連のパラノイアの致命的な組み合わせ」によるものだと述べている。彼はブレジネフとアンドロポフを「非常に古い価値観を持ち、共産主義の教義に非常に影響されやすい」と評し、「レーガンが核のボタンを押し、ソ連を文字通り「歴史のゴミ箱に打ち捨てる」と信じていたと推測している。
CIAの歴史家ベンジャミン・フィッシャーは、RYAN作戦の誕生のきっかけとなったであろういくつかの出来事を指摘している。その一つが、レーガン政権が発足直後に開始した心理作戦(PSYOP)である。フィッシャーによると、別の情報源はゴルジエフスキーの証言を部分的に裏付けている。RYAN作戦にKGBと共に関与していたチェコスロヴァキアの諜報将校は、「ソ連の諜報員たちは1941年と1983年の歴史的類似性に固執していた」と述べた。彼はこの感情は「理性的なものではなく、本能的なもの」であり、ソ連の思考に深く影響を与えていたと考えていた。
心理作戦
アメリカによる心理作戦は1981年2月中旬に始まり、1983年まで断続的に続けられた。これには北極圏と極東ロシアのソ連領海に秘密裏に侵入する一連の作戦が含まれており、NATO軍艦船がソ連の軍事基地にどれだけ接近できるかを示すものだった。1981年、アメリカ、イギリス、カナダ、ノルウェーの海軍艦船83隻は空母ドワイト・D・アイゼンハワーを旗艦としてGIUKギャップを秘密裏に通過した。艦隊はソ連のレーダーや偵察衛星に探知されることなくコラ半島に到達した。この他にもバレンツ海、ノルウェー海、黒海、バルト海で同様の作戦が実施されており、クリミア半島沖にはアメリカの情報収集船が定期的に配備されていた。さらに、アメリカ空軍の爆撃機はソ連領空に直接飛び、領空侵犯直前で引き返すという飛行を実施していた。この行動は週に数度行なわれ、ソ連防空網の脆弱性を試験し、アメリカの核戦争能力を誇示する狙いがあった。
「これは本当に彼らに堪えた」と語るのは、元国務次官補(軍事援助・技術担当)のウィリアム・シュナイダー・ジュニアである。彼は、アメリカの飛行活動に関する機密の「事後報告書」を見た人物である。「ソ連はこの飛行が何を意味するのか全くわからなかった。編隊がソ連領空に真っ直ぐ飛んできて、ソ連のレーダーが次々とそれを捉え、部隊は警戒態勢に入る。そして、最後の瞬間に編隊は急旋回して帰還する、ということが繰り返されたのだ」
フリートEx83
1983年4月、アメリカ太平洋艦隊はフリートEx83と呼ばれる最大規模の軍事演習を北太平洋で実施した。この演習には薬40隻の艦艇、300機の航空機、23000人の人員が参加し、史上最も強力な艦隊が結成されたとも言われた。艦隊はアリューシャン列島からカムチャッカ半島に向けて反時計回りに移動し、ソ連を挑発した。これにより、アメリカ海軍情報局はソ連レーダー、航空機の性能や戦術の情報を研究することが可能となった。また、艦隊はペトロパブロフスク・カムチャツキーを母港とするソ連原潜の活動海域で活動した。4月4日には、エンタープライズとミッドウェイ搭載のF-14トムキャットが最低でも6機、千島列島の志発島にあるソ連の軍事基地上空を飛行し、模擬爆撃を実施した。これに対し、ソ連は報復措置としてアリューシャン列島上空の飛行を命令し、アメリカがソ連の領空を繰り返し侵犯したとして正式な抗議を行った。
アメリカ合衆国上院軍事委員会の公聴会で、海軍作戦部長ジェームズ・ワトキンス大将は(カムチャッカ半島において)「ソ連は丸裸の小鳥のようだ。彼らもそれを自覚している」とと述べている。
大韓航空機撃墜事件
1983年9月1日、大韓航空007便はソ連の領空を侵犯したために日本海、海馬島付近でSu-15に撃墜された。乗員乗客269人全員が死亡し、その中にはジョージア州選出の下院議員で、反共団体のジョン・バーチ・ソサエティ理事であるラリー・マクドナルドも含まれていた。
軍備増強
ロナルド・レーガン政権は発足当初からソ連に対し強硬姿勢をとり、ソ連の戦略的・軍事的能力を大幅に制限することを目指した。政権のこの姿勢により、アメリカ史上最大の平時の軍備増強が行なわれ、冷戦期最後の米ソ両国による非難の応酬が繰り広げられた。1982年6月8日、レーガン大統領はイギリス庶民院にて演説し、その中で「自由と民主主義により、マルクス主義とレーニン主義は歴史のゴミ箱に打ち捨てられるでしょう」と述べた。
1983年3月23日、レーガン大統領は戦略防衛構想(SDI)を打ち出した。スター・ウォーズ計画と通称されたこの計画により、レーガンは核戦争の脅威から世界を守るセーフティーネットを構築しようとしたが、ソ連首脳はこれをデタント時代の戦力均衡を崩し、宇宙空間にまで軍拡競争を拡大させる試みであると捉えた。ブレジネフの後継としてソ連共産党書記長となったユーリ・アンドロポフは、「いかにして核戦争を引き起こし、それに勝利するかという新たな計画を構想している」とレーガンを批判した。
SDIに対するソ連の批判にかかわらずアメリカは軍備増強を進めた。エイブル・アーチャー83の際にソ連首脳が最も脅威に感じていたのは、NATOが計画していた、パーシングII弾道ミサイルの西ヨーロッパへの配備だった。このミサイルは、ソ連が西部国境沿いに配備していた中距離弾道ミサイルRSD-10パイオニアへの対抗として配備される計画だった。しかし、パーシングIIはソ連のミサイルサイロや指揮管制施設などを破壊する能力を有していた。さらにパーシングIIは移動可能であり、どの発射地点からも短時間で発射でき、加えて修正機能付きの誘導装置を備えていたために、このミサイルは先制攻撃能力を持つと考えられた。その上、西ドイツにパーシングIIが配備された場合、ソ連領内に6分以内に着弾すると推測された。パーシングIIのこれらの能力は、ソ連首脳にパーシングIIから生き延びる方法は先制攻撃のみであると考えさせるに至った。CIAの歴史家ベンジャミン・フィッシャーは、「パーシングIIによる奇襲攻撃の恐怖」がRYAN作戦と直接結びついたとしている。
ミサイル早期警戒システム誤報事件
1983年9月26日よる、ソ連のミサイル早期警戒衛星、コードネーム"Oko"がアメリカ領内からの大陸間弾道ミサイル1発の発射を告げた。その日当直に就いていたスタニスラフ・ペトロフ防空軍中佐は、地上の早期警戒システムがミサイル発射の兆候を検知していないことからこの警報を誤報であると断定した。彼がこの決断を下した理由としては、このシステムは新しく、以前にも誤作動を起こしたことを知っていたこと、本当にアメリカが全面核戦争を仕掛けてくるなら1発ではなく数千発のミサイルが飛来するだろうと思ったことなどがあった。その後再びシステムは数発のミサイルの飛来を検知したが、いずれもペトロフは誤報だとして無視した。
後の調査によって、システムが実際に誤作動を起こしていたことが明らかになった。誤報の原因は、監視衛星の軌道下にあった高高度の雲に太陽光が特定の角度で反射するという稀な条件が原因であった。
エイブル・アーチャー83演習
NATOが発表したシナリオには、エイブル・アーチャー演習に至るまでのシナリオが詳細に記されており、これはアメリカ統合参謀本部とイギリス国防省で使用された。演習では、NATOを表す「ブルー」勢力とワルシャワ条約機構を表す「オレンジ」勢力が設定された。シナリオでは、ユーゴスラビアがブルー勢力に転換した後シリア、南イエメン、イランでの代理戦争が激化。オレンジ勢力がフィンランド、ノルウェー、西ドイツに侵攻することが想定されていた。欧州連合軍最高司令部のグレゴリー・ペドロウ博士は、このシナリオを以下のように説明している。
演習シナリオは、11月4日(演習開始の3日前)にオレンジ軍(仮想敵)がヨーロッパ全域で戦闘を開始し、ブルー(NATO)が全面警戒を宣言するところから始まった。オレンジ軍は 11月6日に化学兵器の使用を開始し、同日中にはヨーロッパ全域で化学兵器を使用する。これらの出来事は演習が開始される前に発生したものとされ、単なるシナリオの一部だった。つまり、演習開始前の3日間で戦闘は始まっており、状況は悪化していた。このように設定された理由は、この演習の目的が通常戦から核戦争への移行プロセスをテストすることだったからである。オレンジ軍の前進、化学兵器の執拗な使用、第二梯団の迅速な投入により、欧州連合軍最高司令官は早くも演習1日目(1983年11月7日)に核兵器使用の政治的判断を求めた。
こうして、1983年11月7日、ソ連の諜報機関が核戦争の兆候を早期に検知しようとしているなかでNATOは演習を開始した。エイブル・アーチャーと名付けられたこの演習では、核戦争における統制プロセスがシミュレーションされた。しかし、当時の世界情勢や演習の特段リアルな内容から、一部のソ連首脳はこれが現実の核攻撃のぎそうであることを疑った。2月17日に発信したKGBの電報では、以下のようなシナリオが記されている。
ステート・オレンジ(36時間以内の核攻撃)に係る措置は可能な限り短時間で秘密裏に(演習や訓練などの名目で)行なわれなければならないことを鑑みると、戦闘警報システムは平時に奇襲的に核攻撃を行うために使用される可能性が高い。
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