小野寺景綱

戦国時代の武将

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小野寺 景綱(おのでら かげつな)は、戦国時代の武将。下野(川崎)小野寺氏13代目。現在の栃木県足利市川崎町に存在した小野寺城(川崎城)の城主。中務大輔遠江守を称していた。

 
小野寺 景綱
時代 永禄年間
氏族 下野小野寺氏
父母 父:小野寺長綱
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佐野昌綱長尾景長と主従関係にあり、佐野昌綱下野国足利郡大窪(現:足利市大久保町)を所望し賜った書状が現存している。

豊臣秀吉によって後北条氏が滅ぼされると、改易され浪人となったとされる。その後、家臣共々に帰農したが、徳川政権の時代、新たな領主にあらぬ疑いをかけられ切腹したと伝承が伝わっているが、証拠たる文献がみつかっていない。

家臣(川崎城付)[1]

城代

  • 河田大和之助
  • 河田弾正

侍大将七崎月人

  • 小林形戸
  • 河嶋原八

旗侍

  • 蘇原又助
  • 富田宇右門
  • 横山兵庫

奥家老

  • 丸山土佐之助
  • 和泉玄番

勘定方

  • 清水藤素

小中杓兄番

  • 島田兵和
  • 秋山源之助

足軽衆

  • 仁木弥八
  • 津久井惣右衛門
  • 清水檀七

奇衆

  • 河田弥市
  • 小池首七
  • 黒崎嶋助七

脚注

  1. ^ 『小野寺家文書』。