難波一甫流
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難波一甫流(なんばいっぽりゅう)とは、難波一甫斎久永が開いた柔術を表芸とする武術の流派である。
難波一甫流 なんばいっぽりゅう | |
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発生国 |
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発祥地 | 不明 |
発生年 | 不明(1603年以前) |
創始者 | 難波一甫斎久永 |
源流 | 竹内流 |
派生流派 |
不遷流、渋川一流 鞍馬楊心流 |
主要技術 | 捕手術、剣術、杖術、腰之廻、捕縄術 |
伝承地 | 広島藩、長州藩 |
歴史
流祖は難波一甫斎久永である。
難波一甫流捕縄術の伝書には大和国の人であると記されている。また、尾張国の熱田神宮神主の粟田数馬の子孫とする説もある。
竹内流の書籍によると難波一甫斎は竹内流三代目の竹内久吉(1603~1671)の門人で竹内流免許であったとされている[1]。
しかし、伝書には竹内久吉の生まれた年と同じ1603年(慶長8年)の日付で難波一甫斎から前原七太夫元網に伝わったことが記されており、実際の創流の年代は不明である。
萩藩の閥閲録によると前原七太夫元網については萩藩士で300石であったと記されている[2]。
1626年(寛永3年)萩藩の浪人である福原九郎兵衛元方が広島藩に来て難波一甫流を教えた。
福原九郎兵衛については広島藩に来る3年前の1623年(元和9年)に山口の町奉行を務めていたことが分かっている[3]。
三河国の宝蔵院流槍術師範の佐久間半右衛門が広島に来て、福原九郎兵衛から難波一甫流を学んだ。
1648年(正保5年)に佐久間半右衛門から矢野家に伝わって以降は、安芸国南部で広く修業されるようになった。
幕末の拳骨和尚として名高い武田物外は、広島藩の指南役であった高橋猪兵衛満政の門弟であり、難波一甫流を基礎にして不遷流柔術を開いた。
また、幕末に首藤蔵之進満時が澁川流柔術と難波一甫流を学び渋川一流を開いた。渋川一流は現在まで広島に伝わっている。
上述のように広島藩では広く普及した流儀であり、現在も、広島市に所在する慈光寺に奉納額が掲げられている他、江田島市にある八幡神社に難波一流の奉納額が掲げられているなど多くの修行者がいたことがうかがえる。
技法
系統によって内容が異なる。
柔術、剣術、槍術、棒、長刀術、十手、分銅鎖などを伝えていた。
捕手腰廻之事
多くの系統に見られる難波一甫流の目録である。
この目録は忽離之事から始まる腰廻と五ヶ条の捕手であり、源流の竹内流捕手腰之廻小具足の初期技法に近い内容であった。
広島の系統
広島に伝わった難波一甫流は系統によって形の表記が異なっているが、有馬専三郎系の形は下記の通りである。
- 組打之巻
-
- 捕合之事
- 捕合ナゲ、打込、シヅミ、ウツリ、ネヂイ(左右)、ヘンネヂ(左右)、手鍔、テツバヘン、デモギ、両手(左右)
- 立相之事
- イキスリ、向トリ(左右)、沈(左右)、コツホ、四方ノ向、四方両腰、四手ノヲリ、クツカタ、モキ、ワク、サシコミ
- 丸身之事
- ワシノヲトシ、一生イチカイ、大腰、四手崩、ユキスリ、向トリ、シヅミ
- 組打之事
- 沓形、四留、切掛、見飛、取組、込入、込相、袖摺、額附、衣帔、切込、脇込、附相、落羽、巻返、籰
- 居合拾方
- 向トリ、手ツバ、ヌキツケ、ケコミ、スリコミ、ウシロツメ、リウコツツメ、サカカタナ、ツカトメ、サウシヤトリ
- 詰合之事
- ハシラツメ、アオリツメ、イコミツメ、コトリツメ、フロツメ、ホウツメ、七人ツメ
- 當之事
- 上段之當、下段之當、息合之當、嵐之當、キリン之當、ツリカネ當、コントウ之當、コツホノアタリ
- 枕鑓之事
- 上段、中段、下段、マボロシ、上三角、下三角、左右、フセヤリ、ハリコミ、引ヲトシ、手トメ、シハク、セツコウ、マキステ
- 剣術之巻
-
- 腰廻之事
- 初脇指、横刀、柄破、退身、追座敷、鐺返、向返
- 兵法表大剣事
- 巻切玉簾、一見、附合、乱切、洞入、右剣、左剣
- 裏
- 車、大嵐、燕飛、巻打、色越、寸志海、連打
- 高波剣
- 無上剣
- 小剣之事
- 眞十文字、替身、獅子洞入、樊噲籠心、挫、長短一見、拂子剣、大極
- 銕剣之事
- 抜打、巻崩、柄落、盡切、乱躰、打返
- 銕剣之事裏
- 向返、引落、大波、小波、瀬車、打巡、對切
- 鑓折棒の事
- 引棒、突棒、向棒、手留、余舟、五筒、拂筒、二方搦
九州の難波一甫流捕縄術
九州に伝わった難波一甫流の捕縄術を伝える系統である。 系統によって形名の表記が異なる。
上甑島(鹿児島県薩摩川内市)の鞍馬楊心流柔術に伝わる捕縄術は、この系統から派生したものである。
- 捕縄術
- 七曜、火責、二重菱之事、番不入之事、不動加羅縛、胴搦之事、括索之事、手組縄之事、真之胴之事、六道縄之事、早縄之事、天狗縄之事、淋縄之事、手襁縄之事、口伝
- 随意縄之事
- 剣菱之事、早縄、國越渡縄之事、加羅縛之事、括縄之事
系譜
広島藩の系統
広島藩の資料では前原七太夫久の名前を久永、福原九郎兵衛の名前を元網、佐久間半右衛門を元方としている。しかし、長州藩のいくつかの資料によると実際は前原七太夫久の名前が元網で福原九郎兵衛の名前は元方である。
矢野徳十郎までの系譜
- 難波一甫斎久永
- 前原七太夫久永
- 福原九郎兵衛元綱
- 佐久間半右衛門元方
- 矢野次郎右衛門清方
- 矢野長右衞門清政
- 矢野新右衞門清忠
- 矢野徳十郎清次
矢野徳十郎以降の系譜
- 矢野徳十郎清次
- 矢野春蔵清良
- 藤井源二左衛門主好
- 矢野徳三郎
- 小室善右衛門利用
- 小室富右衛門利忝
- 宇高宗助直常
- 有馬平五郎直行(小室善右衞門、富右衛門にも師事)
- 有馬専三郎直次(宇高専三郎)
- 下前九郎本相
- 野田三代吉
- 斎藤恒䄆
- 中井實右衛門
- 下前九郎本相
- 有馬専三郎直次(宇高専三郎)
- 有馬平五郎直行(小室善右衞門、富右衛門にも師事)
- 小室善右衛門利用
- 矢野徳三郎
- 藤井源二左衛門主好
- 小室伊太夫
- 矢野春蔵清良
流祖からの伝系不明
長州藩の系統
吉川六左衛門は1622年(元和8年)に前原七太夫から伝承している。
- 難波一甫斎久永
- 前原七太夫元綱
- 吉川六左衛門尉家直
- 杉岡七郎兵衛尉正重
- 桂喜兵衛尉貞勝
- 井下新兵衛尉房常
- 香川典膳[4]
九州の系統
- 難波一甫斎藤原久長(大和国)
- 小笠原七兵衛(山城国)
- 岩部五郎兵衛(肥前国)
- 松尾勝慶(肥前国)
- 内藤七兵衛
- 石橋源左衛門
- 松村佐兵衛
流祖からの伝系不明
史跡
- 難波一甫流 父甚八傳 大下形次郎先生記念碑
- 広島県広島市佐伯区五日市町大字石内(株式会社大江石油の横)
- 1902年6月(明治35年)に建てられた難波一甫流師範の大下形次郎の記念碑である。
- 難波一甫流は五日市町で盛んであり、大下形次郎はこの付近を代表する使い手で良き指導者であった[5]。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『武芸流派大事典』
- 『沼田町史』
- 『広島県史』近世2
- 『新藤兼人の足跡』
- 森本邦生『難波一甫流の研究』
- 竹内流編纂委員会 編『新装増補版 日本柔術の源流 竹内流』日貿出版社、2019年
- 船越聖示 編『ふるさといつかいち』船越聖示、1987
- 広島市公文書館 編『中山村史』広島市、1991年
- 新川美水 著『長州藩における体育・スポーツ史 年表とその解説』新川美水、1994年
- 浜田喜一 著『岩国柔道史』岩国市立岩国図書館、1972年
- 五日市町誌編集委員会 編『五日市町誌 下巻』五日市町誌編集委員会事務局、1983年
- 香川晃 著『香川家文書』岩国徴古館、1973年
- 山口市史編纂調査会 編『昭和八年版 山口市史』マツノ書店、1992年
- 山口県文書館 編『萩藩閥閲録』マツノ書店、1995