永井尚典
永井 尚典(ながい なおのり、1810年9月23日(文化7年8月25日)-1885年(明治18年)1月7日)は、美濃加納藩の第5代藩主。父は第4代藩主・永井尚佐(尚典は長男とも三男とも言われている)。母は戸田忠寛の娘・お喜勢。正室は奥平昌高の娘。子に娘(板倉勝貞室)、娘(永井尚服室)。官位は従五位下、山城守、肥前守、伊豆守。
文化7年(1810年)8月25日生まれ。天保10年(1839年)、父の死去により家督を継ぐ。藩政では見るところは無いが、様々な要職を歴任して奏者番にまで出世している。男児が4人いたが、この4人はいずれも早世したため、文久2年(1862年)に隠居して家督を養嗣子の永井尚服に譲り、明治18年(1885年)正月7日(異説として5月7日)に死去した。法号は正明殿正五位尚典日厳大居士。
|
|
|