聖痕を受ける聖フランチェスコ (ルーベンス)

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聖痕を受ける聖フランチェスコ』(せいこんをうけるせいフランチェスコ、: Franciscus van Assisi ontvangt de stigmata: Saint Francis Receiving the Stigmata)は、17世紀フランドルバロック期の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスキャンバス上に油彩で制作した絵画である。ベルギーヘントにあるフランシスコ会修道院の教会 (現存しない) のために描かれた[1]。『マグダラのマリアの法悦英語版』 (リール宮殿美術館) と『キリストの怒りから世界を守る聖母マリアと聖フランチェスコ英語版』 (ベルギー王立美術館ブリュッセル) とともに、おそらく同教会用に描かれた3点の絵画のうちの1点であった。制作年代は、1630年ごろ、あるいは1615-1620年とさまざまに提唱されてきた。オランダ美術史研究所では、1624年ごろとしている[2]。1797年に、本作はヘントのシント・ピーテル修道院英語版から接収され、1802年に公開された新たな「国立美術館」のコレクションに入った。現在は、ヘント美術館に所蔵されている[1][2]

『聖痕を受ける聖フランチェスコ』
オランダ語: Franciscus van Assisi ontvangt de stigmata
英語: Saint Francis Receiving the Stigmata
作者ピーテル・パウル・ルーベンス
製作年1624年ごろ
素材キャンバス上に油彩
寸法265.5 cm × 193 cm (104.5 in × 76 in)
所蔵ヘント美術館ヘント

作品

聖フランチェスコは1181年にアッシジに生まれた。もともと裕福な商人の息子であったが、財産の相続を放棄し、信仰の道に入った[3]。1224年、彼は仲間の修道士レオとともにラ・ヴェルナ山に隠遁したが、そこで火のように輝くセラフィム (熾天使) として現れた十字架上のイエス・キリストの幻視を見て、聖痕を受ける奇跡を経験し、キリストと同じ傷を持った[1][3]。聖フランチェスコは、死後まもなく伝説的存在となる。彼が聖痕を受けたエピソードは、イタリアだけでなくアルプス山脈以北の国々でも人気があった[1]

本作の前景右側にある髑髏と開かれた祈祷書は、聖フランチェスコが選んだ瞑想と隠遁の生活を示唆する。聖人は正面から捉えられ、鑑賞者をまっすぐに見ている。苦悩に満ちた顔が出来事の劇的な性質を高めているが、それはルーベンスの晩年の作品に典型的に見られる。互いに溶け込む灰色の色調も同様である[1]

なお、フランス・ピルセン (Frans Pilsen)、フィリップ・ランベルト (Philippe Lambert)、ヨセフ・スプライト (Joseph Spruyt)、ウィレム・バイテウェッヘは、それぞれ本作の版画を制作している[2]

脚注

  1. ^ a b c d e Saint Francis of Assisi Receiving the Stigmata, ca. 1633”. ヘント美術館公式サイト (英語). 2025年10月14日閲覧。
  2. ^ a b c Peter Paul Rubens: The stigmatisation of Saint Francis of Assisi, c. 1624”. オランダ美術史研究所公式サイト (英語). 2025年10月14日閲覧。
  3. ^ a b 「聖書」と「神話」の象徴図鑑 や2011年、153頁。

参考文献

外部リンク