石製模造品
石製模造品(せきせいもぞうひん)は、日本列島の古墳時代前期から中期に見られる、実物の器物を模して造った小型石製品(ミニチュア品、仮器)の1種。鏡や武器・武具(刀剣・甲冑・盾)、船、農具、工具(刀子・斧・機織具)などを模したものがあり、各地の古墳のほか祭祀遺跡から出土する。古くは石製模造器具(せきせいもぞうきぐ)とも言った。祭祀に関わる遺物であるため「石製祭具 複合(せきせいさいぐ ふくごう)」と呼ぶ研究者もおり[1]、また多くが滑石製であることから滑石製品(かっせきせいひん)と呼ぶ傾向もある[2]。
概要
古墳時代前期後半(4世紀半ば)以降に出現する、実際の器物を粗略に表現した軟質石材の石製品群を「石製模造品」と定義する事が多く、4世紀に出現する車輪石や鍬形石などの、酸化凝灰岩や碧玉を用いて精巧に造られた石製品群(前期古墳の副葬品に見られる)とは区別される。軟質で加工しやすい岩石を研磨して製作されており、滑石を使用したものが多いが、蝋石や蛇紋岩(蛇紋石)製のものも存在する[3]。
古墳の副葬品のほか、川べりや岩陰などに所在する祭祀遺跡から出土する事が多く、祭祀に関わる遺物であると考えられている。川辺りの遺跡からの出土するものは、孔[注釈 1]を開けているものが多いことから、紐を通して樹木などに吊り下げて使用していたと考えられている[3][4]。
石製模造品と同じく実用の器物を模したものとしては、土製のものや金属器のものも存在し、土製模造品や金属製模造品と呼ばれる[5]。
学史において、これらを最初に報告したのは大野延太郎である。大野は1900年(明治33年)に『東京人類学会雑誌』169号誌上で、初めて「石製模造品」の名称を用いた[6][5]。
この後、高橋健自が、模造された器物によって27種に分類した。この後、大場磐雄や小林行雄らによる研究が知られる[2]。
古墳に副葬されるものと、集落または集落近くの川辺り(遺跡としては旧河道として検出される)で出土するものとでは、模造された器物の構成に違いが見られる。古墳副葬品の場合、剣や盾などの武器武具のほか、刀子や斧・鎌などの農工具、鏡・櫛など、生活に関わる器物が見られる。これらは古墳に葬られた被葬者(首長)の政治的な性格を表すものと考えられている。これに対し集落遺跡から出土するものは、剣(剣形石製品)・鏡(有孔円板)等が多く、水辺における祭祀に使われたと考えられている[3]。
類例
- 武器・武具
- 農具
- 工具
- 服飾具
- 厨膳具
- 臼(うす)・杵(きね)・案(つくえ)・槽(ふね)・坩(かん)・坏(つき)・盤(さら)
- 機織具
- その他
- 船
これらの分類法や名称の設定には、研究者ごとの分析視点や基準により異同があり、剣(剣形)や鏡(有孔円板)および玉類(臼玉など)を「石製祭祀遺物」として石製模造品とは別種とする意見もある[7]。また他の石製品群との区別が明瞭なものや、そうではないものもあり、見解が別れている。このため、滑石を用いたものに限った上での総称として「滑石製品」と呼ぶ事も行われている[8]。
脚注
注釈
- ^ 底のある窪みである「穴」ではなく、貫通していることから「孔」の字を用いる。
出典
参考文献
関連文献
引用文献
- 石倉, 亮治「房総の石製模造品」『千葉県文化財センター研究紀要』第8号、千葉県文化財センター、1984年、319-356頁、NCID AN00142443。
- 斎藤, 忠「石製模造品」『日本考古学用語辞典』学生社〈改訂新版〉、2004年9月、243-244頁。ISBN 4311750331。
- 清喜, 裕二 著「2.玉と石製品の型式学的研究 ③滑石製品」、一瀬和夫・福永伸哉・北條芳隆 編『副葬品の型式と編年』同成社〈古墳時代の考古学4〉、2013年5月31日、178-188頁。ISBN 9784886216212。
- 公益財団法人 京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館(編)「古墳時代の祭祀遺物、石製模造品-特別展示「おこしやす、古墳時代へ」によせて-」『リーフレット京都』第417号、公益財団法人 京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館、2023年10月。石倉, 亮治「房総の石製模造品」『千葉県文化財センター研究紀要』第8号、千葉県文化財センター、1984年、319-356頁、NCID AN00142443。