万松行秀

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万松 行秀(ばんしょう ぎょうしゅう)は、中国元代曹洞宗禅僧。『従容録』の著者として知られる。

万松 行秀
大定6年(1166年) - 定宗元年閏4月7日1246年
尊称 万松老人
生地 懐州河南省河内県解梁
宗派 曹洞宗
寺院 従容菴
雪巌善満
弟子 雪庭福裕林泉従倫耶律楚材
著作従容録
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略歴

大定6年(1166年)、懐州河南省河内県解梁の蔡氏に生まれる。邢州浄土寺の贇允に就いて得度し、中都・慶寿寺の勝黙円光、次いで磁州・大明寺の雪巌善満に歴参。善満の法を嗣ぎ、浄土寺に戻って万松軒に住む。紹熙4年(1193年)、金の章宗に招かれて法を説き、中都・仰山棲隠寺、応天府・報恩洪済寺を歴住。嘉定16年(1223年)に、境内の従容菴にて耶律楚材の依頼で『従容録』を著す。元の太宗2年(1230年)に中都・万寿寺に住職、すぐに従容菴に隠居。 定宗元年閏4月7日1246年)に遷化。

著作等

  • 『従容録』
  • 『請益録』

参考文献

脚注

外部リンク