飯田市

長野県の市

これはこのページの過去の版です。202.247.240.249 (会話) による 2007年2月23日 (金) 12:20個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (スポーツ)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

飯田市(いいだし)は、甲信地方南部、長野県南部(伊那地方)の

いいだし ウィキデータを編集
飯田市
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
市町村コード 20205-3
法人番号 2000020202053 ウィキデータを編集
面積 658.66km2
総人口 92,311[編集]
推計人口、2025年9月1日)
人口密度 140人/km2
隣接自治体 長野県:飯島町松川町高森町阿智村
清内路村下條村泰阜村天龍村
喬木村豊丘村大鹿村南木曽町大桑村
静岡県静岡市浜松市川根本町
市の木 りんご
市の花 ミツバツツジ
飯田市役所
市長 佐藤健
所在地 395-8501
長野県飯田市大久保町2534
外部リンク 飯田市
ファイル:長野県飯田市県内位置図.svg
拡大表示(SVGファイル対応ブラウザのみ)
ウィキプロジェクト

江戸時代には飯田藩の城下町であった。

また、飯田市と下伊那郡を「飯伊地域(はんいちいき)」と称するが、その中心都市。商圏は広く飯伊地域の他、上伊那郡にも及ぶ。

そのほか、愛知県豊橋市静岡県浜松市などとともに「三遠南信」と呼ばれる地域を形成し、相互交流を行っている。

地理

 
南部伊那谷と飯田市街

隣接する自治体

歴史

沿革

  • 1871年(明治4年)8月29日 廃藩置県により飯田藩は飯田県となる。11月には信濃国中南信地方の諸県、高山県(旧飛騨国=現岐阜県)と合併し筑摩県となりこれにより筑摩県伊那郡飯田町となる。
  • 1876年(明治9年)筑摩県の信濃国分が長野県に編入されたことにより長野県伊那郡飯田町となる。
  • 1879年(明治12年)下伊那郡制施行により下伊那郡飯田町発足。
  • 1889年(明治22年)4月1日 下伊那郡飯田町、市町村制施行も合併を伴わずに発足。
  • 1937年(昭和12年)4月1日 下伊那郡飯田町と上飯田町が合併して市制施行。飯田市が発足。

(※=合併して市制施行というケースは戦前では唯一。)

  • 1956年(昭和31年)9月30日 飯田市と下伊那郡座光寺村、松尾村、竜丘村、三穂村、伊賀良村、山本村、下久堅村が合体。新制飯田市が発足。
  • 1961年(昭和36年)3月31日 下伊那郡川路村を編入。
  • 1964年(昭和39年)3月31日 下伊那郡竜江村、上久堅村、千代村を編入。
  • 1984年(昭和59年)12月1日 下伊那郡鼎町を編入。
  • 1993年(平成5年)7月1日 下伊那郡上郷町を編入。
  • 2005年(平成17年)10月1日 下伊那郡上村南信濃村を編入。
  • 2006年(平成18年)4月6日 大分県豊後高田市観光まちづくり株式会社と「パワーアップ協定」を締結。

友好都市

国内

海外

地域

教育

大学・短期大学

高等学校

交通

鉄道

バス路線

道路

高速道路

飯田IC座光寺PA上飯田BS

一般国道

名所・旧跡・観光

名産物

全国シェアは7割と言われている。

行事

スポーツ

近年は自転車ロードレースに特に力を入れている。UCI公認のレースであるツアー・オブ・ジャパン(毎年5月に開催)や実業団の大会を誘致したり、アマチュア向けのレースを数多く開催し、自転車競技を通し地域の活性化・観光客の誘致を図っている。 最近では国内・海外で活躍する実業団チーム、ダイハツボンシャンスの地域密着型のホームタウン構想を実現。全国初の新たな試みで各方面から注目を集めている。

飯田市を本拠地とするチーム

出身有名人

(五十音順)

関連項目

外部リンク