ノート:ヴェストファーレン条約

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最新のコメント:18 年前 | 投稿者:カラジチ

「神聖ローマ帝国」の項のノートにも書きましたが、昨今のドイツ史ではヴェストファーレンを「死亡診断書」と見なすのではなく、その積極的評価が始まっているようです。こういった流れも反映しては如何でしょうか。 あと、

この結果、ドイツへの勢力伸長を果たしたフランスとスウェーデンは帝国議会への参加権を得た。

スウェーデンは参加権を得ましたが、フランスは得てなかったはず。

フランスは宰相リシュリューの元、国王ルイ13世をケルン大司教(選帝侯)にし、最終的には神聖ローマ皇帝位を狙っていた。

ルイ13世がケルン大司教になったことってありましたっけ? 以上疑問点です。

カラジチ 2007年2月24日 (土) 09:13 (UTC)返信

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