モアイ
モアイはチリ領イースター島にある人面を模した石造彫刻のこと。大きさは3.5m、重量20トン程度のものが多いが最大級のものは20m、重量は90トンに達する。


概要
伊豆大島くらいの小さな島の海に面した高台に、人面を模したモアイ像が多数建てられている。 島で産出される凝灰石でできており、建造中に放置されたものも含め約1000体ある。顔だけのものが多いが、中には胴や手足がついているもの、ふんどしのようなものを着けて日本の正座と同じ座法をしているものもある。モアイは、島の内側を向いて立てられていたことが多い。
東端と西南端の狭い切り立ったがけを除きほぼ島の全周にまんべんなく配置されている。おそらく祭祀目的で立てられたと推測されるが、実際の祭祀形態については諸説あり、定説はいまだない。モアイが作られた目的が不明なのは、島民が奴隷として島外に連行され、さらに解放後、天然痘により島民の大半が死亡し記憶も途絶え、島固有の文化である、文字板コハウロンゴロンゴを読めるものもいなくなり、さらにキリスト教布教の際、コハウロンゴロンゴが多数焼かれてしまい、これらのごく一部しか残っていないためである。
香川県高松市に本社を置く株式会社タダノが1992年からクレーンなどをイースター島に持ち込んでモアイ像を起こしたり修復などを行い、使用後のクレーンなどをイースター島に寄贈している。 このきっかけとなったのが、TBSの日立 世界・ふしぎ発見!でイースター島を特集した際、 「クレーンがあれば、モアイを元通りにできるのに」という知事の声を放送したところ、回答者である黒柳徹子が「日本の企業が助けてあげればいいのに」という内容の発言をし、それをタダノの社員が見ていたためだと言われている。
建設方法
モアイの材料となった石材は凝灰岩と判明しているが、凝灰岩は海岸周辺には存在せず、島内の山から切り出され、運ばれた可能性が指摘されている。考古学者が現地住人の協力を得て行った実験では、木製のソリに横倒しにして乗せ、大勢が縄で引っ張り、目的地についたらてこを使って立たせるという方法で、当時の人口・技術力でもモアイの運搬が可能であったことを証明している。現在イースター島には大規模な森は存在せず、1000体分もの石材を運搬するのは、木材が足りず不可能のように思われるが、地質学的調査によると、モアイが作られた当時は椰子の木が生い茂っていたとされる。むしろ島民たちの乱伐によって森が消失した可能性が高い。 人口1万人の島に1000体ものモアイが乱立し、森が消滅したことから、モアイを現在の世界各地のビルにたとえ、地球全体をラパヌイにたとえて、地球温暖化や森林伐採を警鐘する人々もいる。
日本のモアイ
現代になってから、日本でモアイ像を真似て作られたモヤイ像という像がある。東京都渋谷駅のものが有名。
また、同じく日本に、倒されたモアイ像を起こすテストのために作られたモアイ像がある。香川県の女木島に存在する。
この他に、チリから日本に贈呈されたモアイ(レプリカ)がある。1960年に発生したチリ地震津波で甚大な被害を受けた宮城県志津川町(現在の南三陸町)に対して、チリ地震津波災害30周年の折、同じ被災国であるチリからモアイが贈られた。このモアイは現在、志津川湾に面した公園に設置されている。他に、宮崎県日南市「サンメッセ日南」にもモアイ像がある。海沿いにある7体のモアイ像は、チリの方を向いているとされている。
また、札幌市南区に所在する滝野霊園にも多数のモアイ像を模した石像が群立している。一種の観光名所化しており、中心部から離れているので自家用車で向うのが一般的である。2006年12月現在33体のモアイ像が存在し、周辺の休憩用ベンチの一部もモアイ像を模している。
その他
2003年、日本人観光客がモアイ像に彫りこみ行為をしてチリ警察に逮捕される騒ぎがあり、日本人観光客のモラルが問題になった。
日本のゲームメーカー「コナミ」の作品中に、しばしばモアイが登場する。