第十国立銀行
第十国立銀行(だいじゅうこくりつぎんこう)は、山梨中央銀行の前身の一つである明治期の銀行。
1874年(明治7年)6月、当時の山梨県令であった藤村紫朗の殖産政策に沿い、栗原信近(くりはらのぶちか)らは、貸付や預金を取り扱う銀行類似会社である興益社を設立。国立銀行条例の改正を受け、1877年(明治10年)4月に興益社を改組し、当行を開業。本来であれば順序的には「第九国立銀行」となるはずであったが、「九」が「苦」に通じるということで忌み、「第十国立銀行」にして貰ったという逸話を持つ。初代頭取には栗原信近就任。その後、国立銀行営業満期前特別処分法に基づき私立銀行第十銀行に改称。戦時下の「一県一行」行政に基づき、国の指導もあり、1941年(昭和16年)に有信銀行と合併、山梨中央銀行を新しく設立。