安寧天皇

日本の伝説上の天皇

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安寧天皇あんねいてんのう、綏靖天皇5年(紀元前577年)- 安寧天皇38年12月6日紀元前510年1月17日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第3代の天皇(在位:綏靖天皇33年(紀元前549年7月3日 - 安寧天皇38年(紀元前511年12月6日)。磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみのみこと)・師木津日子玉手見命(『古事記』)。いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的である。(実在説もある)

  • 師木津日子玉手見(しきつひこたまでみ)命、片塩(かたしほ)の浮穴(うきあな)宮に坐しまして、天の下治らしめしき。(この後は、妻を娶って三人の御子をもうけ、その内の一人は天皇の位についた。もう一人の御子の子が淡路に行き、二人の子をもうけたことを記す。)崩御は西暦紀元前511年(御年57歳)であったと言われている。
天皇略系図(初代 - 第10代) SVGで表示(対応ブラウザのみ)

片塩の浮穴宮は奈良県北葛城郡か。

(「師木津日子玉手見命坐片鹽浮穴宮 治天下也 是為安寧天皇」、「天皇御年肆拾玖歲 御陵在畝火山之美富登也」『古事記』)。

系譜

父は綏靖天皇、母は事代主神の女・五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)(古事記は河俣毘売)

  • 皇后:渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめのみこと。鴨王の女、あるいは天日方奇日方命の女か)
    • 息石耳命(おきそみみのみこと、常津彦某兄?)
    • 大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと、懿徳天皇
    • 磯城津彦命(しきつひこのみこと)

皇居

片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや)。『古事記』にも「片塩浮穴宮」。所在地については、以下の3説がある。

  1. 奈良県橿原市四条町付近 (『帝王編年記』『和州旧跡幽考』)
  2. 奈良県大和高田市三倉堂・片塩町 (『大和志』『古都略紀図』)
  3. 大阪府柏原市内 (『古事記伝』『大日本地名辞書』)

前後の諸宮が全て奈良盆地の中に位置しているので、候補としては1・2説が有力とみられるが、確かではない。
なお、大和高田市に存する「片塩」「浮孔」の町名・施設名は全て、2説に基づく近代以降の復古地名である。

御陵(所在地)

畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまひつじさるみほといのうえのみささぎ):現在の奈良県橿原市吉田町字西山。古事記には「畝火山の美富登(みほと)」と記されている。中世荒廃、元禄の検討で所在を誤ったが、幕末修陵のさい現地に治定。陵名は、陵南に御陰井と称する古井があることによる。

事績

特に記録されていない。綏靖天皇25年(紀元前557年)正月に立太子、同33年(紀元前549年)父天皇の崩御を受けて、7月に即位。在位38年で崩御。『日本書紀』に57歳(67歳?)、『古事記』に49歳。

在位年と西暦との対照表

先代
綏靖天皇
天皇
第3代
次代
懿徳天皇