Rigel

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最新のコメント:18 年前 | トピック:根本的に勘違いです。 | 投稿者:Rigel

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エホバの証人・モルモン教について

おーたと申します。先ほど、Category:旧約聖書正典についての意見を書き込みました。お気に召さないかもしれませんが、正直に書いておきましたので、よろしく御照覧ください。

さて、エホバの証人やモルモン教のカテゴリーについても編集されておられるようですが、要約欄の「「キリスト教の教派ではない」というのは事実と異なり」というコメントについても意見させてください。はっきり言って、この問題はキリスト教内外でたいへんに拗れる話題です。もちろんエホバの証人やモルモン教の方々は自身をキリスト教の一派というか本道だと自負なさっていますが、ほとんどのキリスト教の立場からすればこの2宗派の扱いは大変にクリティカルです。ニカイア信条を認めていないという点で、致命的であると言っても良いかと思います。加えて、モルモン教は「モルモン経(モルモン書)」を聖書よりも優先しており、これは相当に危ない。従って、POVからすればこの2派をキリスト教に無条件で加えることは控えるべきであります。この問題は議論が始まれば大変に疲弊する話題であります。どうか、慎重に発言していただきたく思います。--おーた 2007年7月18日 (水) 14:13 (UTC)返信

上記のように指摘しながらもカテゴリを張替えなかったということは、私の示した分類そのものが間違っている、という意味ではないということでよろしいのでしょうか?。であるならば、なるほど、ご指摘のとおりコメント欄の記述が不穏当であったのかもしれません。「慎重に発言していただきたく思います」との件、了解致しました。Rigel 2007年7月20日 (金) 12:56 (UTC)返信
Wikipediaの方針から言って「間違えている/間違えていない」について性急に結論を出すべきではないですし、それを基準に考えるのは危険です。記載するのに「妥当か/妥当でないか」について、ゆっくりと合意をとりながら編集を進めていくべきです。そして、私は「正しさ」を性急に求めるあまり、編集合戦に入っていくやり方を好みません。Riegelさんの件の書き込みを、私の見解に沿って、さっさと削除することは可能ですが、そういう性急さにあまり意味を見出しません。
私の意見は「POVの見地からRiegelさんの書き込みは一端削除するべきである」です。どうか考慮の上、対応をお願いします。--おーた 2007年7月22日 (日) 03:32 (UTC)返信

改めて読み返してみると、私の読み間違いかな?とも感じましたので、↓の発言は削除せずに、カテゴリの話であることを前提としたコメントも残します。「書き込みは一端削除するべきである」などと言われましても、要約欄は後から編集することができません。そもそも、私の要約欄の記述は、それ以前に「キリスト教の教派ではない」という要約を記している人がいたためで、その内容を受けたものであるに過ぎないのです(履歴を参照して下さい)。従って、私自身による主張は「事実と異なり構造が不自然」の部分のみになります。「キリスト教でない」という見解も存在するでしょう。一方、「キリスト教であるが異端である」という見解もあることでしょう。私の「事実と異なり」との発言は、「キリスト教でない」というその一方だけに偏った見解を否定したに過ぎないのです。

では、「キリスト教の教派ではない」との要約とその編集がPOVではないという根拠はどこにあるのでしょう?。この編集に先立って、ノート:エホバの証人において、「エホバの証人」の定義についての長大な議論がなされ、私はそれに参加しています。私が「この記事内に以前に「異端ですらない」と書かれたことがありましたが、その意味では正しかったようです。 」と記述したところ、Siyajkak さんがこれに反論を示し、数多くの文献を引用した後に、「伝統的キリスト教徒の立場からすれば、はっきり異端として位置づけています。」と主張されているのです(異端であるならば「キリスト教」ですし、キリスト教でないならば「異端」ではないはずなのです)。

「キリスト教ではない」というのは、ある人々にとっては正しい主張であろうことを認めるのにやぶさかではありませんが、編集を差し戻すのであれば、その主張がメインストリームであることを証明する必要があるものと思います。そうした手順をきちんと踏んだ上であれば、編集合戦など起こりようはずもありませんので、どうぞご自由にカテゴリを張り替えて下さい。Rigel 2007年7月22日 (日) 05:48 (UTC)返信

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト キリスト教

幾つか誤解があるようですので説明します。まず、私がWikipedia:削除依頼/Category:旧約聖書正典で存続意見を入れたのは、「正典と外典を区別しないという合意」が存在するという意味の発言をした人がいたためです[1]。もしそうした事実があるのであれば、「ゆっくりと合意をとりながら編集を進めていくべき」という上記のおーたさんの意見すら通らないわけで、この点で、おーたさんは非難する相手を取り違えているとしか言いようがありません。つまりは、削除依頼においてそうした主張が取り下げられていたなら、私は存続意見を取り下げていたことでしょうし、新たな提案を提出する必要性すら生じなかったのです。
それから中立性に関して。私が最後に示した案[2]では、中立性の確保に際して「両論併記」という厳然たる理由を挙げているつもりです(Wikipedia:中立的な観点を「対立する意見」というキーワードで追えば、これが何のこと指しているのか理解できるはずです)。一方、おーたさんご自身は、「英国聖書協会が分裂騒ぎを起こすほどにセンシティブなテーマ」であることを削除すべき理由として挙げています(上記のコメントもその見解を踏襲していると受け取れます)が、私にはこれこそPOVであるようにしか見えないのです。
それに、私が「性急に結論を出す」ことを提案しているように見えるのであれば、それこそ勘違いであり、私の発言を削除するよりも、後々の議論の参考として残しておいた方が、「ゆっくりと合意をとりながら編集を進めていくべき」ということに資するはずなのです。ここまで説明しても納得できないのであれば、私のその発言を削除する権限をおーたさんに委譲しますので、どうぞご自由に削除して下さっても構いません。
この問題が必要以上に複雑化しているのは、「削除依頼に掲げられている」という事実があるためで、この削除依頼が片付かないかぎり、「トビト記」をはじめとする問題がある各記事を、適正なカテゴリに張り替えることすら出来ないという点も、頭の片隅に置いて頂けますならば幸いです。Rigel 2007年7月22日 (日) 04:59 (UTC)返信

根本的に勘違いです。

私は「エホバの証人・モルモン教」についての書き込みをしたのに、勝手に「ウキプロジェクトキリスト教」の話に勝手に進められたことに、Riegelさんの本質を見たような気がします。議論が噛み合わないのは、そういう点にあるのではないでしょうか。勘違いに気が付かれて、またいろいろ書き込んでおられるようですが、私としてはやはり議論が拡散していると思います。強い疑惑が存在している間は、敢えて書かない。あるいは、カテゴリーでゼロ/イチがはっきり分かれるようなところには書かない。それはPOVの基本ではないでしょうか。今回、指摘させていただいたのはRiegelさんによるカテゴリーの追加に関してです。これはゼロ・イチがはっきり出る表現ですから注意を要します。ましてや「キリスト教の教派ではない」というコメントとともに削除されたことに対する、カウンターとしての「「キリスト教の教派ではない」というのは事実と異なり、構造が不自然」というコメントとリバートです。エホバの証人がキリスト教の正統的な教派だとみとめる合意がWikipedia内にあるのでしょうか?まず、それを示してカテゴリーへの復帰をお願いします。--おーた 2007年7月22日 (日) 12:00 (UTC)返信

事実関係の確認をしたいと思います。まず、要約欄に「キリスト教の教派ではない」と書かれた方の編集はこれで、「Category:キリスト教の教派」と「Category:アブラハムの宗教」の2つが取り除かれています。一方、私の編集、「「キリスト教の教派ではない」というのは事実と異なり、構造が不自然」では、それとは異なるカテゴリ、「Category:キリスト教非主流派」を付け加えました。つまり、取り除かれたカテゴリとは別の、より相応しいであろうカテゴリを付け加えたわけです(モルモン教も編集内容は同じなので説明は割愛します)。これが「リバート」である、と言われるのは、どのような根拠によるのでしょう?。
また、「カテゴリーへの復帰」とは何を意味しているのですか?。「カテゴリーからの削除」の間違いでしょうか?。前者は単なる勘違いでしょうから良いとして、後者については全く意味不明でしかありません。
つまりは、今回の場合は勘違いしてもしかたないでしょう?。寄せられたメッセージが意味不明(POVの見地からRiegelさんの書き込みは一端削除するべきである、NPOVの間違い?、「書き込み」とは何の事?)だったのですから。Rigel 2007年7月22日 (日) 12:40 (UTC)返信
「リバート」云々と書いたことは私の粗相でありました。申し訳ない。ただ、私の議論の趣旨に変化はないことには留意したいただきたく思います。つまり、キリスト教の「教派」であろうが「非主流派」であろうが、カテゴリー登録をするには、エホバの証人もモルモン教も問題が微妙すぎると申し上げたいのです。やはり、そこは合意形成していただきたいし、合意形成できない事項はどのカテゴリーにせよ入れるべきではありません。ただ、過去にカテゴリーに対しても合意形成ができているならばそれを示せばよろしいだけかと思います。しばらくしても合意形成が出来ていないようであれば、残念ですが削除せざるを得ないかなと考えています。--おーた 2007年7月23日 (月) 13:19 (UTC)返信

はっきり言いましょう。あなたはWikipedia:中立的な観点の内容を、全くと言っていいほどに理解していません。

この点は、上の節でも示したように、「英国聖書協会が分裂騒ぎを起こすほどにセンシティブなテーマ」というのをカテゴリ削除の根拠として挙げられていることからして、当初からその疑いを抱いてはいたのですが、NPOV(中立的な観点)をPOV(観点)と呼ぶなど、通常ありえない表現を3度も繰り返していること、さらには、ここまで詳細に説明しても、まだカテゴリの撤去にこだわることなどからして明白です。

もう一度、順を追って説明しましょう。大別すると、エホバの証人については、「キリスト教ではない」とする意見と、「キリスト教である(が異端である)」とする意見の2つが存在します(「キリスト教ではなく異端である」と主張する人がいるのであれば、それは根本的な部分に対する理解が間違っていると言わざるをえません)。ノート:エホバの証人において Siyajkak さんが引用された内容から察するに、

「キリスト教」とする出典は、

  1. 平凡社『世界大百科事典』
  2. 山折哲雄監修『世界宗教大事典』平凡社
  3. 鈴木範久、宮家準、宮田登他編『日本宗教事典』弘文堂
  4. 村上重良『世界宗教事典』講談社
  5. ミルチャ・エリアーデ他/奥山倫明訳『エリアーデ世界宗教事典』せりか書房
  6. ジョン・ボウカー編松村一男監修『ケンブリッジ世界宗教百科』原書房

キリスト教であることを明確に述べていない出典は、

  1. 井上順孝、中牧弘允外『新宗教教団・人物事典』弘文堂
  2. ジョン・R・ヒネルズ編/佐藤正英訳『世界宗教事典』青土社
  3. 山折哲雄他編『日本「宗教」総覧』新人物往来社
  4. 松野純孝編『新宗教辞典』東京堂出版

となるはずです。ところが、おーたさんはこうした出典には基づかずに、「合意形成」がなされていないことを削除すべき根拠として表明しています。個々人の好みによって意見が分かれる、いわば「POVによる多数決」にすぎない「合意形成」が、明確な「出展」を伴う記述よりも優先されなければならない理由とは何でしょうか?。「その主張(「キリスト教ではない」)がメインストリームであることを証明」では説明が不十分だったでしょうか?。

このように見解の相違がある項目において、中立性の確保に最も貢献する方法とは、「両論併記」に他なりません。私がカテゴリを付け加える前は、「Category:新宗教」しか張られていませんでした。これは、明確に「キリスト教」であるとする出典を度外視した構造であり、POV以外の何物でもありません。一方、もし私が「Category:新宗教」を取り外した上で、「Category:キリスト教非主流派」のみを残した場合、これも、「キリスト教ではない」とする意見を度外視したPOVによる編集である、と言われても仕方がないでしょう。しかし、「Category:新宗教」と「Category:キリスト教非主流派」の二つが張られている現在の構造は、どちらの意見にも与しない、文字通りの「両論併記」であるはずです。また、それを取り外すということは、POVへと再び逆戻りすることをも意味するのです。

ここまで説明しても、まだ「問題である」と思われるようでしたなら、どうぞご自由にカテゴリを撤去なさって下さい(少なくとも私はリバートしませんので)。ただし、あなたに対しては「今一度、Wikipedia:中立的な観点をじっくり時間をかけて読み、内容の理解に努められたし」との助言をせざるをえないのです。

最後に、かなり強い論調での記述となってしまいましたが、こうでもしないとご理解頂けないものと感じたからです。気分を害さるかもしれないので、予めお詫びしておきます(本当、申し訳なく思います。これに反論が示されない限り、これらの記述は今週末までには撤去します)。Rigel 2007年7月24日 (火) 07:58 (UTC)返信

丁寧な解説、ありがとうございます。私が求めているのは、そのRiegelさんの解説が、コミュニティーの合意に基づくものなのですか?ということなのです。コミュニティーの合意に基づくものなら、それを示して頂きたいということだけです。同意がないなら、Riegelさんが指摘されるように両論(場合によっては三論、四論)併記されるしかないでしょう。そのような状態でゼロ・イチがはっきり出るカテゴリー登録が妥当なのですか?そのようなことを言いたいだけです。--おーた 2007年7月24日 (火) 12:10 (UTC)返信
(追記)私が「コミュニティーの同意」に拘るのは、Riegelさんの見解と異なる見解はいくらでも見かけるからです。現にWikipediaのエホバの証人でも、つい先日(このスレッドが開始されたのと同じ22日付けですね)にRiegelさん自身が「三位一体の否定など既成教会の教理との根本的な違いから、東方正教会、カトリック教会、プロテスタント系諸教会からは異端的教派と扱われている。」という記述を削除なさっています。この件についてはノートをみても、合意が取れているようには私には思えなかった。やはり、そのあたりはきちんと合意をとっていただいた上でカテゴリー登録に進んでいただきたい。そういうことです。そして、こういう議論は消去することなく(つまり無かった物として葬り去るのではなくて)、きちんと残してWikipediaの記事の向上に役立てていただきたいと思います。--おーた 2007年7月24日 (火) 12:57 (UTC)返信

なるほど、私が「三位一体の否定など既成教会の教理との根本的な違いから、東方正教会、カトリック教会、プロテスタント系諸教会からは異端的教派と扱われている。」との記述を削除したようにしか見えないわけですね。

私が編集する前は、「異端」との文字は「教義」の末尾に隠れるように存在していたに過ぎません。一方、私の編集後は、冒頭の定義部分において明確に「異端」と記されているはずです。さらに付け加えるならば、「異端的」が「異端」に変わっているわけで、この点、非難されるいわれはないはずなのですが?。

なぜこうなったのか?。元々は私の発言が発端であるといえます。ノートにおいて私は、「異端」との記述を、そのように無理やり記述するのではなく、「堂々と記述すれば良いものと思われる。」と発言しています。定義文についての議論が始まったのはその後であり、その定義文に最初に「異端」との文字を含めることを提案したのも私自身です(嘘だと思われるのであれば、Siyajkak さんにも直接尋ねてみると良いです)。

また、その編集に対して合意らしきものがないと思われるのであれば、それは大きな間違いです。まず、私はその議論の存在を井戸端にて告知しています。これは、現在に至るまでWikipedia:井戸端 (告知)に掲載され続けています。日付は7月3日になっていますので、私が記事を編集するまでの約20日間は衆目を集めることに貢献したはずです。また、そのメッセージは「記事の役割分担や改善案についての議論」であり、ノートのそれまでの内容と併せて考えるならば、幾つかの記述は撤去される可能性があることも暗に示唆しているはずなのです。つまり、単に議論の参加者が少なかっただけであり、合意のない編集であるとの指摘は筋違いでしかないでしょう。

また、議論の参加者以外にも、その議論を傍観していたことが確実であろう人物も挙げておきましょう。ノート:エホバの証人#さらに具体的には利用者:Shinbeiの更新履歴、利用者‐会話:125.203.112.50とを見るならば、このIP氏がその議論の推移を見守っていたことが認識できるのです。125.203.112.50氏は、その投稿履歴からして、エホバの証人に好意的でない記述ばかり投稿していることが伺えますので、この場合には「反対者がその議論を黙認していた」との構図が浮かび上がってくるのではないでしょうか?。

で、本題のカテゴリの編集についてですが、私の編集についての合意は存在しないと思います。ただし、それを言うならば、まず「Clarinさんの編集(カテゴリ撤去)に合意があったのか?」についても議論しなければならないでしょう。改めて今から何らかの合意を得て、それをカテゴリ内容に反映させたいのであれば、Wikipedia:コメント依頼あたりを用いると良いでしょう。この会話ページにおける討論の内容を参考資料として提示しておくならば、ほとんど労力をかけずにコメント依頼が開始できるはずです。

た・だ・し、私はあなたの名誉のために、これらの内容を出来る限り早く撤去しようとしているというのに、コメント依頼に持ち込まれると、そのコメント依頼が終了するまでは、これらの内容を白紙化して人目に付かないようにすることなど出来ないのです。そうした覚悟がおありであるならば、コメント依頼に持ち込むことに反対はしません。それから、私の編集は「POVをNPOV化させた」ものですので、これを「撤去しろ」などと言われても、従えないのは言うまでもありません。後はご自由にどうぞ。Rigel 2007年7月25日 (水) 08:34 (UTC)返信