FNNスーパータイム
FNNスーパータイム(エフエヌエヌ すーぱーたいむ、通称:スーパータイム)とは、フジテレビ(FNN)で1984年10月1日から1997年3月28日(土日のみ1985年4月6日から1997年3月30日)までの間にかけて放送していた夕方のニュースワイド番組である。それまでの全国ニュースとローカルニュースを統合し(全国ニュースを18:00からにしたのは、『FNNニュースレポート6:00』が最初)、全国のニュース番組では初めてキャスターが立ってニュースを伝えるというフォーマットを採った(立ってニュースを伝えるというスタイルはスーパータイム終了後も『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』に引き継がれた)。現在はFNNスーパーニュースWEEKENDでそのスタイルが適用されている。(土曜・日曜両日)
番組概要
- わかりやすさを重視した構成、視聴者の視線に沿った特集、親しみやすい演出(たかしまあきひこの音楽、独特のカメラワークなど)で多くの視聴者の心を掴んだ。その結果、他局の番組に影響を与え、夕方ニュース戦争のきっかけとなった。
- また、1985年4月1日にスタートされたバラエティ番組『夕やけニャンニャン』(17時台)のエンディングで、初代メインキャスターの逸見政孝(当時フジテレビアナウンサー)がその日のニュース項目を伝えるコーナーがあり、視聴者が引き続きスーパータイムに流れるようになった事も追い風となった。ついにはそれまでトップだった『JNNニュースコープ』擁するTBSを抜き、長期に渡ってこの時間帯の視聴率トップの座を独占した。
- 第1回の放送では、逸見が「いよいよスーパータイムが始まりましたが、気楽にお伝えすることにします」と挨拶。これを受けて、幸田は「皆様どうぞ、気楽にご覧下さいませ」と挨拶し、初回の冒頭をまとめた。
- 1987年元日では逸見は紋付袴姿、幸田は着物姿でニュースを読んだ。
- 放送期間中に、『日本航空123便墜落事故』、『三原山の噴火』、『昭和天皇の崩御』、『リクルート事件』、『湾岸戦争』、『バブル景気』、『救急救命士法の成立(黒岩祐治の功績)』、『雲仙岳の噴火』、『初代キャスター逸見政孝の死』、『阪神・淡路大震災』、『オウム真理教の関連事件』などテレビ報道に変化をもたらす出来事も多かった。末期には『NNNニュースプラス1』に視聴率を奪われるなど視聴率で苦戦し、お台場社屋移転後の番組改編により1997年3月28日(放送回数:4497回、伝えたニュースの数:約6万)をもって放映終了(土日を含めると1997年3月30日まで最終回)。同年3月31日から、『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』(土日のみ4月5日から、『FNNニュース ザ・ヒューマン WEEKEND』)に受け継がれる。
出演
メインキャスター
■平日
- 1984.10~1986.12 逸見政孝、幸田シャーミン
- 1987.1~1987.3 逸見政孝(毎日)、幸田シャーミン(月~木)
- 1987.4~1987.9 逸見政孝(毎日)、幸田シャーミン(月~木)、野間脩平(金)
- 1987.10~1988.3 逸見政孝(毎日)、幸田シャーミン(月~木)、安藤優子(金)
- 1988.4~1989.3 逸見政孝、安藤優子
- 1989.4~1991.3 上田昭夫、安藤優子
- 1991.4~1992.3 黒岩祐治、安藤優子
- 1992.4~1994.3 露木茂、安藤優子
- 1994.4~1997.3 露木茂、松山香織
■■土曜・日曜
- 1985.4~1986.9 陣内誠、城ヶ崎祐子
- 1986.10~1987.9 山中秀樹、城ヶ崎祐子
- 1987.10~1988.3 野間脩平、安藤優子
- 1988.4~1990.9 黒岩祐治、小田多恵子
- 1990.10~1991.3 黒岩祐治、田代尚子
- 1991.4~1992.3 小林穂波、田代尚子
- 1992.4~1992.9 山中秀樹、木幡美子
- 1992.10~1993.9 山中秀樹、大林典子
- 1993.10~1997.3 山中秀樹、近藤サト
スポーツコーナー
■平日
- 1984.10~1985.3 河村保彦
- 1985.4~1994.3 長田渚左(月~水)、森末慎二(木・金)
- 1994.4~1995.9 上田昭夫、中井美穂
- 1995.10~1997.3 上田昭夫、八木沼純子
■■土曜・日曜
- 1985.4~1986.3 川端健嗣
- 1986.4~1989.3 三宅正治
- 1989.4~1989.9 有賀さつき
- 1989.10~1991.3 木幡美子
- 1991.4~1994.3 吉田伸男
- 1994.4~1996.3 佐藤里佳
- 1996.4~1997.3 富永美樹
リポーター
お天気コーナー
■平日
- 1984.10 - 1985.6 寺田理恵子、三竹映子、吉崎典子
- 1985.7 - 1985.9 永麻理、寺田理恵子、長野智子、松田朋恵、三竹映子、吉崎典子
- 1985.10 - 1986.6 永麻理、長野智子、松田朋恵
- 1986.7 - 1986.9 阿部知代、岩瀬惠子、永麻理、長野智子、松田朋恵
- 1986.10 - 1987.6 阿部知代、岩瀬惠子
- 1987.7 - 1987.9 阿部知代、岩瀬惠子、中井美穂、青木美枝
- 1987.10 - 1988.6 中井美穂、青木美枝
- 1988.7 - 1988.9 青木美枝、有賀さつき、河野景子、中井美穂、八木亜希子
- 1988.10 - 1989.6 河野景子、八木亜希子
- 1989.7 - 1989.9 河野景子、木幡美子、佐藤里佳、田代尚子、八木亜希子
- 1989.10 - 1990.6 佐藤里佳、田代尚子
- 1990.7 - 1990.9 大坪千夏、佐藤里佳、田代尚子、松井みどり
- 1990.10 - 1991.6 大坪千夏、松井みどり
- 1991.7 - 1992.6 大坪千夏、中村江里子、松井みどり
- 1992.7 - 1992.9 小島奈津子、中村江里子、西山喜久恵
- 1992.10 - 1993.6 小島奈津子、西山喜久恵
- 1993.7 - 1993.9 小島奈津子、関戸めぐみ、西山喜久恵、濱田典子、平松あゆみ
- 1993.10 - 1994.6 関戸めぐみ、濱田典子、平松あゆみ
- 1994.7 - 1994.9 木佐彩子、関戸めぐみ、武田祐子、富永美樹、濱田典子、平松あゆみ
- 1994.10 - 1995.6 木佐彩子、武田祐子、富永美樹
- 1995.7 - 1995.9 木佐彩子、菊間千乃、杉浦広子、武田祐子、富永美樹
- 1995.10 - 1997.3 濱田典子・・・資格を取り、気象予報士として出演。
■■土曜・日曜
- 1985.04 - 1996.03 不明
- 1996.04 - 1997.03 岩谷忠幸・・・『Weekend Journey』として。
ネットしていた局(FNN系列各局)の番組名の変遷
番組開始当初から数年間、この番組はテレビ静岡(SUT)・テレビ愛媛(EBC)・テレビ西日本(TNC)・鹿児島テレビ(KTS)の4局を除いて地域ごとに独自のタイトルに差し替えていた。このため、キー局フジテレビでは、スーパータイムのオープニングをベースに番組タイトルを各局のものに差し替えたオープニング用VTRも制作・提供していた。そのために、全国のニュースや『夕やけニャンニャン』のニュースコーナーでは、『スーパータイム』の名前が使えずに、“6時のニュース”等と表現していた。(そのためにヘッドラインのあと、「全国のみなさん、今晩は」ともう一度あいさつしたこともあった) ちなみに終了時には福島テレビ(FTV、『FTVテレポート』)、関西テレビ(KTV、『アタック600』)、テレビ大分(TOS、『ニュースインおおいた』)の3局を除くすべての局で『スーパータイム』に番組タイトルが統一されていた。
- 北海道文化放送
- 岩手めんこいテレビ(1991年4月1日開局)
- 仙台放送
- 秋田テレビ
- 山形テレビ
- YTSニュースワイド60 FNN⇒YTSニュース スーパータイム FNN(1993年3月31日末で終了し、同年4月1日からANN系列となり『YTSステーションEYE』へ)
- さくらんぼテレビ
- SAYスーパータイム(サービス放送期間中に放送)
- 福島テレビ
- 長野放送
- FNN NBSイブニング6:00(1990年4月2日まで週末は『FNNスーパータイム』として全国枠と長野ローカル枠を放送)⇒FNN NBSスーパータイム NEWS&SPORTS
- 新潟総合テレビ
- NSTワイド600 FNN⇒NSTスーパータイム FNN(週末版は全国枠を『FNNスーパータイム』として、ローカル枠を『NSTニュースコーナー』というタイトルで放送)
- テレビ静岡
- 東海テレビ
- FNN東海テレビイブニングニュース600⇒FNN東海テレビスーパータイム(月~土)、FNN中日新聞テレビ日曜夕刊(日/現在も放送中)
- 富山テレビ
- FNNイブニングとやま⇒FNNスーパータイムとやま(月~土)、FNN中日新聞テレビ日曜夕刊(日/現在も『FNN北陸中日新聞日曜夕刊』として放送中)
- 石川テレビ
- FNNニュースワイド石川6:00⇒FNN石川テレビスーパータイム(月~土)、FNN中日新聞テレビ日曜夕刊(日/現在も『FNN北陸中日新聞日曜夕刊』として放送中)
- 福井テレビ
- FNN福井テレビニュース6:00(週末は『FNNスーパータイム』として全国枠と福井ローカル枠を放送)⇒FNN福井テレビスーパータイム
- 関西テレビ
- FNN KTVアタック600(平日)、KTVニュース FNN(週末)⇒FNNアタック600(月~土)、FNNアタック530(日)
- 山陰中央テレビ
- 岡山放送
- OHK報道センター6:00 FNN(週末は『FNNスーパータイム』として全国枠と岡山・香川ローカル枠を放送)⇒OHKスーパータイム FNN
- テレビ新広島
- テレビ愛媛
- FNNスーパータイムEBC600(日曜は『FNNスーパータイムEBC530』)⇒EBCスーパータイム FNN
- 高知さんさんテレビ
- SUNSUNスーパータイム FNN(サービス放送期間中に放送)
- テレビ西日本
- サガテレビ
- テレビ長崎
- テレビくまもと
- TKUニュース・アイ FNN(1989年4月2日まで週末は『FNNスーパータイム』として全国枠と熊本ローカル枠を放送)⇒TKUスーパータイム FNN
- テレビ大分
- FNNニュースインおおいた TOS(1978年10月2日からスタートされた長寿番組、ただし1986年3月30日まで週末は『FNNスーパータイム』として全国枠と大分ローカル枠を放送)
- テレビ宮崎
- UMKニュースレポート FNN(1988年4月17日まで週末は『FNNスーパータイム』として全国枠と宮崎ローカル枠を放送)⇒UMKニュースリポート FNN(1988年4月18日というニュース番組では中途半端な時期に開始、ただし1992年3月29日まで週末版は前身の『ニュースリポート』と同様)⇒UMK FNNスーパータイム
- 鹿児島テレビ
- 沖縄テレビ
- FNN OTVイブニングワイド(1992年3月29日まで週末版は『FNNスーパータイム』として全国枠と沖縄ローカル枠を放送)⇒OTVスーパータイム FNN
補足
番組進行
平日
- 18:00 オープニング(関東では司会者の横顔のアップを写してスタートした)、全国ニュース(中断CMあり)
- 18:25(初期は18:20) 全国パートからローカルパートへ(提供スーパーが流れる)
- 18:27 特報(関東ローカル、系列局はローカルニュース、中断CMあり/初期は『ニュースジョッキー』)
- 18:40 スポーツコーナー(関西テレビ以外ネット、東海も独自の時期あり)
- 18:47 NEWS JOCKEY → NEWS SCRAMBLE(関東ローカル)
- 18:53 お天気コーナー、エンディング
週末
- 18:00(土)、17:30(日) オープニング、全国ニュース、スポーツコーナー(中断CMあり)
- 18:20(土)、17:50(日) ローカルニュース、天気予報、エンディング
テーマ音楽・タイトルデザイン
テーマ音楽
- 1984.10 - 1990.03 作曲:たかしまあきひこ
- 1990.04 - 1993.03 作曲:たかしまあきひこ(初代の短縮版)
- 1993.04 - 1996.09 作曲:たかしまあきひこ(2代目と尺は同じでアレンジしたもの)
- 1996.10 - 1997.03
何度かのリニューアルで、番組内のBGMやジングルも何度か変化した。だが、18時30分に各局からの放送に切り替える際のBGMと、スポーツコーナーでのBGMは、1996年10月のオープニングリニューアル以降も同じ物を使い続けた。
タイトルカラー
- 1984.10 - 1988.03 青
- 1988.04 - 1990.03 銀(金で縁取りされていた)
- 1990.04 - 1993.03 金
- 1993.04 - 1997.03 黄(紫で縁取りされていた)
タイトルロゴの配色の変化はあったものの、ロゴそのものは放送開始から終了まで同じものが使われた。(ロゴは、1段目に「FNN」、2段目に「スーパータイム」である。)タイトルデザインは山形憲一。
タイトルコール
- 1984.10 - 1988.04 幸田シャーミン
- 1988.04 - 1994.09 安藤優子(1990年4月のオープニングリニューアル時はそのまま使用、1993年4月のオープニングリニューアルに伴い再収録。安藤優子降板後もそのまま半年間使用)
- 1994.10 - 1997.03 松山香織(1996年10月のオープニングリニューアル後もそのまま)
※なお、東海テレビの場合、タイトルが『FNN東海テレビスーパータイム』になった後もしばらくは、フジテレビのタイトルコールを採用せず、東海テレビ独自のタイトルコールを使用していた(ローカルパートではCM入りの際にも使用)。また、北海道文化放送でも、『uhbスーパータイム』にタイトルを変更した直後は、オープニング時のフジテレビ送出の(安藤優子バージョンの)タイトルコールではなく、北海道文化放送独自のタイトルコール(ローカルパートキャスター:大崎誠子)を使用していた(ただし、タイトルロゴに関しては、上部に「uhb」と下部に「協力:北海道新聞」のロゴが付く以外は同じ)。
オープニング映像
- 1984.10 - 1990.03
- 1984.10 - 1988.3 黄土色の画面に波紋が広がる画面の後、FNNの文字を残してバラバラになったかけらが画面奥に散っていく。散っていくと同時に画面奥から光り、画面左右から『スーパー』と『タイム』の文字が現れ、正面で『スーパータイム』のタイトルロゴになる。バックは地球のCGに赤い線が一本入るもの。
- 1988.3 - 1990.03 オープニング映像の構成は以前と同じままに、新たにオープニング映像が作りなおされた。波紋が広がる画面は同じだが、光とともにFNNの文字を残してかけらが一瞬手前に浮いた後、画面奥に散っていき、画面手前から「スーパー」と「タイム」が現れるようにして、正面で『スーパータイム』のタイトルロゴになる。バックは地球のCGに赤い線が一本入るもの。
- 1990.04 - 1997.03 背景がその日のニュースに関連した映像かお天気カメラの映像
- 1990.04 - 1993.03 『スーパータイム』のロゴが下から上昇し、全てが画面に現れたところで奥に傾き、右側から「FNN」ロゴが登場して合体し『FNNスーパータイム』となって、ロケットの発射のように左上に消えるCG
- なお系列局用のフォーマットは上記とは異なり、『スーパータイム』のロゴが画面手前から現れ、画面左右から現れた「FNN」及び系列局名が合体するパターン(ロゴの消え方は各局任意)。これは当時のフジテレビの週末版のエンディングタイトル映像の前半部を流用したものである。
- 1993.04 - 1997.03 バラバラになった『スーパータイム』のロゴが、さらに左側からは「FNN」(系列局ではその放送局名)も現れ合体して、手前に急接近してそのまま通り抜け消えるCG(ただし、NSTの週末版ではこのCGを流用した静止画を使用していた)
- 1990.04 - 1993.03 『スーパータイム』のロゴが下から上昇し、全てが画面に現れたところで奥に傾き、右側から「FNN」ロゴが登場して合体し『FNNスーパータイム』となって、ロケットの発射のように左上に消えるCG
オープニングの流れ
■平日
- 1984.10 - 1990.03
- タイトルコール(フジテレビ、テレビ静岡のみ)⇒提供スポンサー⇒キャスターの挨拶(ローカル向け)⇒ヘッドライン(5つ。ヘッドライン直前に全国ネットとなる)⇒キャスターの挨拶(全国向け、初期はなし)⇒全国ニュース⇒CM
- 1990.04 - 1993.03
- タイトルコール(改題地域を除く)⇒提供スポンサー⇒キャスターの挨拶(ローカル向け)⇒ヘッドライン(3つ)⇒キャスターの挨拶(全国向け)⇒全国ニュース⇒CM
- 1993.04 - 1994.09
- キャスターの挨拶(ローカル向け)⇒ヘッドライン(3つ)⇒タイトルコール(関西テレビと福島テレビとテレビ大分を除く)⇒提供スポンサー⇒キャスターの挨拶(全国向け)⇒全国ニュース⇒CM
- 1994.10 - 1996.09
- ヘッドライン(4つ)⇒タイトルコール(KTVとFTVとTOSを除く)⇒提供スポンサー⇒キャスターの挨拶(全国向け)⇒全国ニュース⇒CM
- 1996.10 - 1997.03
- タイトルコール(フジテレビのみ)⇒キャスターの挨拶(全国向け)⇒全国ニュース⇒提供スポンサー⇒CM
- タイトルコール(フジテレビのみ)⇒キャスターの挨拶(全国向け)⇒全国ニュース⇒提供スポンサー⇒CM
※ヘッドライン読みは、1994年9月まで平日版キャスターの声となっていたが、1994年10月のリニューアルでヘッドライン読みが男性ナレーションの声になった。
※ヘッドラインの最後の2項目(3項目あった時期は最後の1つ)はローカルニュースのヘッドラインに差し替えられていた(関東地方はスポーツコーナー、特報コーナーのヘッドライン)。
※ヘッドラインは全ての系列局で放送されたものの、構成に関しては大幅に変更する系列局もあった。例えば、ローカル向けヘッドラインのBGMを全国向けとは別のものを使用、17:59.45から開始(岩手めんこいテレビ、福島テレビ末期)、17:59.30から開始(関西テレビ末期)など。またヘッドラインが4項目の時代は、1項目をキャスター挨拶に割り当てていたところ(福島テレビ、東海テレビなど)もあった。
■週末
- 1985.04 - 1993.03
- タイトルコール(改題地域などは除く)⇒提供スポンサー(日曜日のフジテレビは日付け表示。スポンサーは天気予報コーナーのみ)⇒ヘッドライン(3つ)⇒キャスターの挨拶⇒ニュース⇒CM
- タイトルコール(改題地域などは除く)⇒提供スポンサー(日曜日のフジテレビは日付け表示。スポンサーは天気予報コーナーのみ)⇒ヘッドライン(3つ)⇒キャスターの挨拶⇒ニュース⇒CM
※1993年4月以降からは平日と同じ。
※全ての時期においてローカルニュースのヘッドラインは存在せず、フジテレビからキャスター読み上げのヘッドラインが全国送出されていた(東海テレビ等一部の地域では、土日もヘッドラインの一部が差し替えられていた)。
提供スポンサー
平日
全国パート
|
関東ローカルパート
|
お天気ローカルパート
週末
スタジオセット
- 1984.10 - 1990.04 初代
- 1990.04 - 1992.03 2代目(上田昭夫キャスターが就任以後、スタジオセットを変更する)
- 1992.04 - 1994.09 3代目(露木茂キャスターが就任以後、スタジオセットを変更する)
- 1994.10 - 1997.03 4代目(番組開始10年目突入を記念してスタジオセットを変更する)
- 1997.03 5代目(お台場新社屋の報道センターから)
※三代目までは背景なし・あるのは三角形等幾何学オブジェと宙に浮かぶ『FNN』のロゴだけ、と言う簡素とも斬新とも言える物。四代目は番組満10周年を機に作られたもので、近未来的なセットになっている。五代目は短期間の為、お台場新社屋の報道センターにテーブルを配しただけ。ちなみにそのテーブルは河田町時代の4代目のセット時のものをお台場に持ってきて使用していた。
裏番組
スーパータイムが初めてのもの
スーパータイムがニュース番組ではじめて行ったものは幾つかある。
- キャスターが立ってニュースを伝える
- 当初はカジュアルさを演出する意図があったが、これが視聴者にスマートな印象を与えた。「ニュースプラス1」(日本テレビ系)、「ステーションEYE」(テレビ朝日系)などが取り入れた。
- アタック音
- それぞれのニュースの冒頭に音楽(ジングル)を流した。これものちに「ニュースプラス1」が取り入れている。
- CM前のアイキャッチ
- CMが始まる前に予告映像とアタック音楽を流した。全国向けとローカルニュースが混合した編成だったため、系列局に配慮する意味もあった。
その他
- よくバラエティ番組で真似されていた。特にビートたけしの番組では、たけしと鬼瓦権三(たけしの二役)とのやりとりが放送され話題になった。スタジオセットも「FNN」のかわりに「TAKESHI」とかかれた本物そっくりなものだった。幸田シャーミンと実際に共演したこともあった。
- 関東で、各地でタイトルが異なることを知っている者は少なかった。テレビ雑誌や業界雑誌等も『スーパータイム』と表記することが多かった。
- スポーツコーナーの『南ちゃんを探せ』などの人気企画があった。これは全国のスポーツ美少女を紹介する企画で、南ちゃんとは、当時放送されていたアニメ『タッチ』の浅倉南の事を差していた。なお、関西テレビでは独自にスポーツコーナーを制作していたため放送されなかった。また、テレビ新広島もスポーツコーナーの後半をローカルニュース・広島県内の交通事故の状況(協力・広島県警察本部)・私の交通標語等のコーナーに差替えていたため、放送されないことが多かった(ごくまれに放送されたことがある)。
- 1987年から同局で放送されている『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島 → 平成教育テレビ≪現:25時間テレビ≫』内でも、『スーパータイムDX』『スーパータイムSP』『スーパータイム特別版』と題し、普段とはキャスターも内容も違う(主に芸能人がキャスターを務める)物を放送していたり、改編期や国政選挙投票日の夜に特別番組として、『スーパータイムスペシャル』が放送された事もあった。(こちらでは平日版のキャスター、あるいはタモリと安藤優子のペアが司会を務めた。又、1992年7月19日の『平成教育テレビ』内の『FNNスーパータイムSP』放送では逸見が総合司会を担当していた関係で1984年10月1日のレギュラー放送第一回目のOP部分と1988年10月某日(おそらく上旬)のED部分の一部が放送された。
- 年末年始も時間を短縮して休まず放送していた。初期の頃は31日も通常通りの時間枠であったが、その後も主に15分間や30分間放送していた。特に1997年の元日は16:45~17:00まで放送していた事があった。
- 又、1995年に起きた阪神大震災やオウム真理教関連のニュースが起きた時は30分を拡大して放送していた。そして、19:00のスペシャル番組が18:30からのスタートの場合は30分早めに繰り上げて17:30から放送された。
- 1993年10月から1994年3月までには、『スーパータイム関東』と言う関東ローカルの番組が、金曜日の17:30~18:00に放送された事がある(司会は福井謙二(フジテレビアナウンサー)、中村江里子(当時:フジテレビアナウンサー))。
- 最終回で露木がフジテレビ社員が婦女暴行で逮捕されたと言うニュースを伝えたとき、不快感をあらわにして身内である犯人をばっさりと切り捨てた。
- 12年半という長きに渡って放送された番組だけあり、スポンサーも数多く替わっていったが、この中には、現在放送中の『FNNスーパーニュース』迄ずっとフジテレビの夕方ニュースのスポンサーを務めている企業もある。
- 1995年9月21日の『あっぱれさんま大先生スペシャル』の中で『あっぱれスーパータイム』と言うパロディー特別版があり、司会は露木茂(当時:フジテレビアナウンサー)とあっぱれ学園の女子生徒2人の計3人が行った。
- 終了から約10年後の2007年に映画「バブルへGO」の1シーンで「スーパータイム」が復活。(なお劇中の設定は1990年であるが、当時担当していた上田・安藤コンビではなく、1994年4月から1997年3月まで担当していた露木・松山コンビが登場している。)
関連項目
番組の変遷
フジテレビ(FNN) 平日夕方のFNNニュース 1984.10 - 1997.03 |
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
FNNスーパータイム
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フジテレビ(FNN) 週末夕方のFNNニュース 1985.04 - 1997.03 |
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FNNスーパータイム
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