文欽

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文欽(ぶんきん、?-257年)は、中国三国時代武将仲若。父は文稷、子は文俶文虎がいる。

魏では揚州の刺史の地位にあった。司馬師の専横に怒り、毌丘倹と共に反乱を起こしたが失敗し、呉に落ち延びる。257年、諸葛誕司馬昭に対して謀反を起こすと、それに協力して諸葛誕と共に寿春城に立て籠もった。しかし諸葛誕とは、魏にいた頃から仲が悪かったため、作戦をめぐって意見が対立し、最終的には怒った諸葛誕によって殺害されてしまった。

文欽は武勇に優れた人物ではあったが、同僚との仲を取ることが下手な人物だったと言われている。呉に亡命したときも、呉の武将である朱異らと仲が悪く、常に疎まれていたらしい。