ノート:東信地方
最新のコメント:18 年前 | トピック:佐久地方の交通史について疑問提起 | 投稿者:61.118.112.126
江戸時代の藩について
各地域全体の話とするには範囲が広すぎると思われましたので、各地域の江戸時代の藩に関する記述を一旦コメントアウトいたしました。--SigC 2007年1月28日 (日) 14:03 (UTC)
佐久地方の交通史について疑問提起
「それ(明治の鉄道敷設期)以来、佐久地方の交通網は、関東と関西を結ぶ内陸ルートというよりも、関東と日本海側を結ぶルートという性格が濃くなっている。」が私の修正した版です。 元々内陸ルートと日本海側ルートという表現が佐久地方の交通網にはあまり適したものではないと思いつつ、日本海側ルートとしては北国街道を想起し、内陸ルートの説明としては、中仙道を想起しました。中山道は、江戸と京都(・大阪)を結ぶ東海道のバイパスであり、また西国大名の参勤交代や日光例幣使はもっぱら東海道ではなく中山道が用いられその意味で関東と関西を結ぶとしました。しかし61.118.*** 氏により、関東と「東海」と変更されました。交通史という大きな文脈では、中山道の持つ意味は島崎藤村の『夜明け前』にも書かれているように、東と西を結ぶ動脈であり、東海に限定されるものではなく、また滋賀県の草津宿で東海道に合流するという点でも東海とするのはいかがなものかと思います。是非このノートで61.118.***氏の見解をお聞きしたいと存じます。--Newport8865 2007年9月2日 (日) 14:08 (UTC)
返答が遅れてしまいました、中仙道が、関西に利用されているのかと疑問に思って修正しましたが(東海道の迂回路の様なルートなので)、Newport8865氏の考えを理解しましたので、私も「関東と関西を結ぶ内陸ルート」でいいかと思います。--61.118.112.126 2007年9月15日 (土) 05:41 (UTC)