田村明浩
日本のベーシスト、ミュージシャン (1967-)
田村明浩(たむら あきひろ、1967年5月31日-)は、ロックバンド・スピッツのベーシストであり、同バンドのリーダーである。愛称は「タムタム」や「リダ」。同バンドのメンバーである三輪テツヤと同じく静岡県藤枝市出身。小学校の頃に三輪が転校してきた。血液型はA型。身長は167cm。静岡県立藤枝東高等学校卒。
来歴
人物
- 既婚者であり、2児の父。家族の話を振るのが許されるのはスピッツのメンバー内で彼のみ、と言うのが暗黙の了解。
- 妻は元福岡FMのDJ。アルバム「インディゴ地平線」の「ナナへの気持ち」の間奏で草野マサムネと話している声を早送りしたものが入っている。
- 6歳年上の姉がいる。
- 競馬などのギャンブルやサッカーなどのスポーツ観戦が好きである。
- 静岡県出身ということもありお茶が好きで、生のハーブティーからほうじ茶まで幅広く飲んでいる。
- カレーが大好物で、メンバーからもネタにされている。食べるのもかなり早いらしい。
- 自他共に認めるほど食べこぼすことが多い。「青空を見ながら普通に食べていたら頭からうどんをかぶった」(本人談)と言う、食べこぼしの範疇を出た経験まで持つ。
- 彼がライブで見せるベーシストにしては珍しい激しい動きは「田村ダンス」と呼ばれている。
- 連続で跳びまくったり、マイクスタンドを蹴り倒したり、シンバルを殴ったり、ベースを放り投げたり、水を撒いたりと、最早ダンスの域を越えている感もある。その激しさから定位置がない男とも呼ばれる。
- ライブ中にベースのストラップやシールドが外れてもお構いなしで暴れまわるため、スタッフはよく彼を体で止めて直している。
- ズボンのチャックをよく閉め忘れているらしく、ライブ中でもそのままやっていたこともよくあるらしい。
- 演奏後やMC後に袖へ引っ込むのが早い。
- ライブ中に口をとがらせる癖がある。
- アグレッシブなパフォーマンスとは打って変わって、口調はおっとりしている。
- 普通にお喋りするのは好きだが、MCやインタビューはあまり得意ではないらしい。
- 『インディゴ地平線』収録曲『ほうき星』と『ハヤブサ』収録曲『俺の赤い星』の作曲を手がけた。
- 『チェリー』、『遥か』などでコーラスを担当している。
- 集中力を上げるため、ライブ前にバナナ2本を食べ、ユンケルを2本飲む。
- MOTORWORKSのライブではMC中にバナナを食べ、観衆から「バナナコール」があがったことがある。
- MOTORWORKSのメンバーである石田ショーキチ曰く、「永遠の二十代」。
- ギターソロに対する美学や情熱はかなりのもので、MOTORWORKSではギターソロディレクターと呼ばれている。
- 小学校時代は将棋とサッカーを習い、中学時代は卓球部。負けず嫌いなので、そこそこのレベルまで上達したらしい。
- 人一倍地震を怖がっている。ツアー中に泊まったホテルで地震があったとき風呂に入っていたが、慌ててずぶ濡れのままタオルを腰に巻いただけの姿でホテルの廊下に飛び出した。
- ジュビロ磐田の中山雅史とは藤枝東高校の同級生。雑誌で対談もした。
- 若い頃、ピンク色のボディにchao!と手書きしたベースを使っていた。
- スピッツのメンバーである崎山龍男と出会った当初、その外見(金髪逆毛)にびびって、しばらく「崎山さん」と敬称をつけて呼んでいた。
- デビュー初期は名前の表記が「田村アキヒロ」だったが、1993年のアルバム『Crispy!』から漢字表記に戻した。また、この頃は髪を金髪にしており、PVの監督である竹内鉄郎に「星の王子様」と言われていた。
- ウルフルズのベーシストであるジョン・B・チョッパーとは大の仲良し。
- ジョン・B・チョッパーがウルフルズを脱退するため機器を全て処分していたとき、ジョンBがメインで使っていたベースを「知らない人に売るくらいなら、またやりたくなるまで僕が預かってるよ」と買い取り、4年後のジョンB復活の際には快くそのベースを返した。
- ベースの貸し借りがあったらしくGOING UNDER GROUNDのCDに彼の名前が載っていたことがある。
- 本人曰く、「日本で一番好きなバンドはスピッツ、世界で一番好きなバンドはクイーン」。
- デビュー前はバイトをせず、自宅で自主制作テープをひたすらコピーしていた。(2000本くらい)
参考資料
WEBサイト「スピッツ歌詞研究室」の田村明浩プロフィールの一部
WEBサイト「ロビンソンの庭」メンバーのプロフィールの一部